花と知らず ---2---
これだけは、どうにかならないものか。
というか、これがなければ『妾』としては甚だ不自然なのだが……。
は座敷にふたつ並べて敷いた布団をしげしげと眺めてため息をついた。
もちろん、振りだけの妾なので本番に及ぶような事はない。 ないのだが……。
横で土方が寝てると思うと落ち着かない。
その上……
「おう、風呂あいたぞ。 入っちまえ」
「はい、旦那様」
この呼び名だ。
背中が痒くなること甚だしい。
妾宅に通ってきているという事実が大事で、誰が見ているわけではないのだから二人だけのときはフリなどやめて『副長、もしくは土方さん』と呼ばせてくれ、でないとジンマシンが出そうだと頼んではみたのだが、どこに耳目があるか判らないのだから徹底しろと言われてしまった。
実際、今も背中がムズムズして仕方が無い。
「どうした? 何なら背中流してやろうか?」
「それは……ご遠慮申し上げます」
「そう言うなよ。 何せ俺は年若い恋女房にめろめろになってる男なんだからな」
恐ろしく似合わない口ぶりに、今度は腕まで鳥肌が立った。
怒鳴り散らしてやりたいのをグッと我慢して、着物の裾を押さえて立ち上がる。
「ではお風呂をいただきましたら、御酒の用意をさせていただきます。 今夜は……ほら、月が綺麗ですし、月見酒など」
「ああ、そいつぁ悪くねぇな」
嫌がらせの一つもしても罰はあたるまいと、土方の嫌いな酒をわざと勧めてみたものの嫌がる様子もないほど上機嫌ときた。
「監察の報告によると、そろそろあちらさんも仕掛けてくる頃合なんじゃねえかって事だぜ。 この辺も通りがかる人間がちとおかしいだろう?」
「ああ……確かに、今日来た野菜売り、天秤棒の担ぎかたがやけにシャンとしてましたね」
あまりジロジロ見てもこちらの挙動を疑われるので顔に剣術の面ずれがあるかどうかまでは確認しなかったが、所作からして明らかに武士だろうという人間が来るようになっている。
「噂は順調に広まってるってこった。 新選組副長土方は、女に入れ揚げて骨抜きにされてるってのがな」
「外に噂が広まる分には作戦だからいいんですけれど、平隊士への影響はどうなんです」
「それがだなあ、俺も意外だよ」
あの鬼副長が人並みに女に惚れて妾宅に通い詰めているなんて、あの人も人間らしい所があったんだなあと妙に安心感をもたれてしまい、隊が和やかになっているとか。
ただ、此処にいるのが
だとばれてはいけないので、平隊士たちは普段ここに近付かないように厳命してはある。
「『副長の恋を応援しよう』なんて動きも出てるってんだから、何だ? 俺ぁそんなに血が冷たいって思われてたわけか? ってちょっとへこんだな」
「ぷっ……」
縁側に立ったまま、くすくすと笑う
に、土方は訝しげな視線を向ける。
何で笑ってしまったかって、平隊士たちとも話をする
は、彼等が普段土方の事をどんなふうに言っているのかも知っているからだ。
鬼や蛇などいいほうで、血の色真っ黒だとか、泣く子が引きつけを起こすだとか、本当に散々な言われようなのだから。
「何だよ、そこまで笑う事か?」
「い、いえいえ。 彼等の気持ちもわかるもんですから。 お風呂、いただいてきますね」
一旦台所に降りると、竈の脇に浴室の入り口がある。
堅苦しい女帯をほどいて湯舟に身をしずめると、ほっと溜め息が漏れた。 あちこち凝り固まったものが解れて落ちていくようだった。
屯所では、風呂こそあるがゆっくり入るようなことはできない。
女だと周囲にばれないようにしなければらないために、事情を知っている者に見張りに立ってもらってしまい湯を使うか、部屋を閉め切って体を拭くか……身綺麗にしておくにも苦労がいろいろある。
この妾宅でなら誰にも気兼ねすることなくゆっくりと湯舟に入れる、これは役得だなと思いつつ
は湯をてのひらにすくって肩にかけた。
寝巻きに着替えて肩に手ぬぐいをかけて、洗い髪を背に流したまま台所に出ると、そのまま酒の支度をする。
土方は酒が苦手なので、燗をつけては酒の匂いが出てしまって飲めないだろうと、冷酒のまま徳利に移し、酒肴とともに膳の上にそろえた。
酒肴といっても島原のような凝ったものではない。 今日回って来た煮売り屋から買った昆布の煮物と漬け物程度の簡単なものだ。
「旦那様……?」
「おう」
土方は縁側に出て柱に砕けた格好で柱に背中を預けて庭と月を眺めていた。
は彼の側に行き膳を置くと、盃を持った土方に袂を押さえながら酌をする。
盃を干して、土方はお前もどうだと
にも酒を勧めたが、
は首を横に振ってそれを断った。
「下手に無防備に酔った姿を見せたくありませんから」
「そういや、屯所でも全然飲まないよなあ……」
「下戸、という訳ではないんですよ?」
そりゃあ、永倉さんたちのように水のように干すことはできないけれど、そこそこは付き合えるはずだと
が言うと、土方はあいつらの前で下手に付き合えるのを見せないほうが良いと忠告された。
何でも、いけるクチだとわかったとたんあいつらのノリに嫌でも巻き込まれる事になるだろうからと。
徳利をゆっくりと一本開けて、ほどよく気分もよくなった所でさあ寝るかと言う事になった。
「屯所じゃなかなかゆっくり寝れねぇからなあ、役得だぜ。 お前も片づけなんか明日でいいから、寝ちまえよ」
副長として多忙を極める土方は夜遅くまで起きて仕事をしていることが多い。
この作戦にあたって、書類仕事を少し減らし、なるべく時間を作って妾宅に通うようにしている。
また作戦を徹底するために、こちらには仕事を一切持ち込まないときた。
戸締まりをして火の元を確認すると、枕元の行灯を消して
も布団に入った。
隣で横になっている土方には背を向けて眠る。
妾の態度ではないが、フリとはいえ手を伸ばせば届く距離に寝ていられるとどうにも落ち着かない。
こうして寝ていて、時折土方の視線を感じる事もあったが、無視を決め込みひたすら寝る事に集中するようにしていた。
「……小せぇ肩だよな」
ぽつり、と呟くような土方の言葉が闇の中でやけに大きく響いた。
「悪ぃと思ってる。 フリとはいえいきなり妾だもんな……」
「……」
「あと数日の辛抱だろうから……もう少し我慢してくれ。 それと今回、あんまり無茶するなよ……」
妻……正妻と妾では、社会的な立場は大きく違う。
社会的地位のある男は妻を持ってこそ一人前、甲斐性があるなら妾を囲う事も自由だが、女のほうでは誰かの妾になるような事は卑しい事として社会的に蔑まれる。
良い暮らしをさせてもらえるとはいえ、社会的には一段下に見られ、旦那に飽きられればそれきりだ。
妻より立場はもちろん下だし、酷い扱いを受けても文句もいえない。
少なくとも、娘を妾にくれと言われて喜ぶ親は少ないはずだ。
作戦のために一時的とはいえ、そう言う立場においてしまったことを少しなりとも悔いるくらいには、気にかけてくれているのだろうか。
そう思った
は、独り言か寝言のようにそっと呟いた。
「頼りに、してますから」
無茶をせずとも良いくらい、綺麗に作戦を決めてくれればそれでいい。
ここまでやったのだから、妾のふりをした甲斐がなくなるような下手を打たれるほうがたまらないというものだ。
呟いたあとは、寝たふりを決め込む。
流したままの髪に、何か言いたそうな雰囲気を纏った土方が一度触れてきたのを感じたが、気付かぬふりをし続けた。
妾宅には、幹部たちもやってくる。
表向きは、副長の妾が敵に接触されて情報をうっかり流さないように見張るのと、土方があまり入れ込まないように歯止めをかけるため、となっている。
その実は、幹部たちか通う事により狙われる的の数を増やしここへの襲撃を確実に引き寄せる目的と、土方がいない時にほぼ丸腰状態である
を守るためでもあった。
「ご新造さん、勝手に上がらせてもらうよ」
沖田の声だ。
勝手知ったる何とやらなので出迎えもせずに好きにさせておく。
というのも、気分が悪くて風通しの良い座敷の柱にもたれるようにしてへたりこんでいたからだ。
「どうしたの、気分悪いの?」
「……ああ、はい……すみませんお持て成しできませんけれど、台所に適当なものくらいはありますから……」
うぷ、と帯の上から胃のあたりを緒さえ、こめかみを摩る
に、沖田は背後からそっと近付いた。
普段なら、警戒されてしまって背後からなどとても近付けないのに、簡単に間合いに入らせてくれるとは、よほど気分が悪いらしい。
「まさかと思うけれど、悪阻(つわり)ってわけじゃないよね?」
「時期的に合いませんて」
妾の振りはじめたのいつからだと思ってるんです、逆算してみろと嫌みを返される。
どうにか嫌みを言うだけの気力はあるようだと見て、沖田はちょっと失礼、と一言ことわってから
の背の帯の結びに手をかけた。
「!!」
「胴回りをきつくしすぎ。 加減しなきゃ」
結びの飾りの部分をほどいて、幾重にも巻き付けてある部分にたるみをもたせる。
慣れの問題もあるだろうが、普段男の格好ばかりしているのにいきなり女帯をぎちぎちに巻いて体をしめつけては、気分も悪くなろうというものだ。
ましてや、
は女の着付けになれないので加減が自分で今一つ分かっていない。
「楽になりました、ありがとうございます……ああ、普通に息ができるって素晴らしい」
「前来たときは平気だったでしょ、何かしたの? それとも本当に体調悪いとか?」
「いえ、帯を締めたまま、水汲みしたんです。 水瓶を一杯にするのと、お風呂と防火用水」
剣を持つ身として腕だけは萎えさせるわけにいかないから、毎日やっていたのだけれど今日は少し張り切り過ぎた。
締め付けていたせいもあって普段よりも早く息が上がりかけても続けたものだから、かえって気分を悪くしてしまった。
「この状況でも鍛えるのを忘れないのはいいけどさ、そういうのは男手があるときに半分やらせなよ」
だれかしら来るって分かってるんだから、その時にでも頼めばいいじゃないと沖田が言うと、次からそうすると
は素直に答えた。
女帯の固さと締め付けに、よほど辟易しているらしい。
沖田は緩めた帯の裾を手にとってみて、その固さに閉口する。
こんなものをギチギチに巻き付けていたのではそれは体に悪いだろう。
「着物一式用意したの土方さんだよね? 変な所で気がきかないんだから」
やっぱり持って来て正解だったよと、沖田は持参のふろしき包みを解いた。
包みの中は、女帯。ただし、大分使い古してかなり柔らかいものだ。芯まですっかりくたくたになっているが、家にいる分にはこれで充分。
「こっちにつけかえておきなよ。 大分楽なはずだから」
「……よくこんなもの手にはいりましたね。 というか、どうして気付いたんです」
「そりゃあ、前に来た時に気付いてたからだよ。 道場のおかみさんや僕の姉さんがしていた帯って、もっと動きやすくて働きやすいものだったなあって思って。 実際、ああいうのなら苦しくないだろうから、古着屋に行って柔らかいの探してみたんだ」
「ありがとうございます……本気で助かります」
「いえいえ、どうしたしまして」
本気で礼を言っている
に、相当参っていたのだと察する。
沖田は
が硬い帯を完全にほどいた所に、古着の帯を巻き付けるのを手伝った。
帯の後ろの形を整え終えた
は、一度深呼吸をする。
「うん、段違いに楽」
「もう、むかつきも頭痛も大丈夫?」
「ええ。息ができるようになったら大分スッキリしました。 それにしても、世の女の人は凄い……」
「それは同感だなあ。 僕もこんなのでぐるぐる巻きにされるのは遠慮したい」
が畳む帯にもう一度触ってみたが、これなら硬く巻けば下手な刃先など通さないのではないかと思う。
「そうしてるとさ、本当にどこかの若奥さんって感じだよね。 近藤さんも言ってたけれど、世が世なら君も普通にそういう格好してたかもしれないんだ……」
君の在所が何処かは知らないけれど、けっこうあちこちから求婚されるような小町娘になった可能性だってあるんだよねと、沖田は
の所作を含め、その女姿をまじまじと眺めていた。
「二年不作が続けば娘が売られるような寒村でしたからねぇ。 どこかの宿場で飯盛女(非公式の女郎)になってたかもしれませんよ。 あるいは売られて吉原あたりか」
「だとしても、すぐに旦那がついたと思うよ。 想像してたより綺麗だしね」
「想像してたよりって……こう、引っ掛かる何かを感じるんですが」
「気のせいに決まってるじゃない。 気分が治ったならさ、僕、少しここで寝かせてもらっていい?」
夜勤明けでちょっと寝不足だから昼寝させてと言う沖田のために布団を出そうとすると、止められた。
そこに座れと言われて正座したら、膝にすかさず頭をのせられてしまい、いわゆる『膝まくら』の状態にされてしまう。
「気をきかせた御褒美、って事にしといてよ……おやすみ」
「……もう。 今回だけですよ」
本当に疲れていたらしく、ほどなくして寝息をたてはじめた沖田の髪のほつれを指先でそっとなぞりつつ、
も庭から流れてくる心地よい風に身をまかせて暫しまどろむ事にした。
そんなこんなで、申しわけないくらいに穏やかな日々が続いていた。
土方は相変わらず時間を見つけては通ってくるし、幹部たちも姿を見せる。
自分だけがこんなにのんびりと過ごさせてもらってよいのかと言えば、皆して『世の女ってのはこういうのが普通だろう?』と返されてしまう。
家を守り、夫の帰りを待つ……それが普通であることは頭ではわかっているのだが、下手に動乱の中に身をおいてしまったせいだろうか、ふと、ぬるま湯に使っているようなやるせなさを感じてしまい、気落ちしてしまう時がある。
土方が充分な金子は置いていってくれているので、その点不自由はない。
物売りの声に誘われ、
は笊を持ち庭から裏口の所へ出た。
「八百屋さん、八百屋さん」
「へえ、毎度」
このあたりでも、天秤棒で荷物を担ぐ物売りが日に何度も通る。売り物は商人によって様々だ。
中には明らかにこの家の様子を探るために来ている『にわか物売り』もいるが、この八百屋は近在の郷から来ている本物のようだった。
扱っている葉物野菜も新鮮で、
は思わず多めに買い求めた。
籠いっぱいに野菜を買ったあとは、水を張った盥に浸して鮮度を保っておく。
休息所を持つ人間は、望めば隊から食事を炊き出しで届けてもらえるのだが、ここでは万が一にも
の顔が隊にばれるのを防ぐためにそれは止められていた。
なので、料理の手間を省きたければ煮売り屋なり棒手振りが売りにくるものなり自由に買えと、金子はむしろ多すぎるくらいに渡されている。
だが料理は嫌いではないので、ここに居る間くらいはと膳にのせる菜の一つくらいは自分で作るようにしていた。
「味噌汁の具と、煮浸しと……塩を効かせてごまとじゃこの菜飯もいいかな」
米に菜を混ぜるのは、『かさ増し』と呼ばれて少ない米をなるべく食い繋ぐための知恵なのだが、上流階級に行けば行くほど、『貧乏くさい』といって嫌われる。
新選組の台所も、金回りが良くなってからこっちは銀シャリが普通に食べられるようになってはいたが、土方たちはこういう貧乏飯も意外なくらい好む。
むしろ美味いのに格式優先で食わないなんてもったいない、そう思っている事だろう。
菜飯と、ちょっと贅沢に卵を落とした味噌汁にしよう……そういえば味噌が切れかけていたと思い至る。
味噌売りもこのあたりを回ってくることはあるが、それを待っていたのでは夕餉には間に合わないし今日来るとも限らない。
は着物の裾をもちあげ、はしょった形に着直すと、すぐそこまで買い物に出る事にした。
土方をはじめ妾宅に出入りする幹部たちは上方風の味付けを好まない者が多いので、隣の家にちょっと味噌を分けてもらうというわけにはいかない。
江戸方面の味噌も扱う大きな店まで行かなければ。
小さな味噌樽をふろしきに包んで持ち、家を出る。
巡察の途中見かけたあの店が一番近いかなと、カラコロと下駄を鳴らして早足で通りを歩いていった。
味噌屋で手持ちの樽に一杯に詰めてもらって代金を支払い、元来た道を急ぎ戻る。
隊士としての巡察の中で、昨今の時勢で女が一人歩きをするのがどれだけ危険かという状況に何度も遭遇してきている。
島原や祇園に通うような余裕のない浪士に絡まれる程度ならまだしも、暗がりに連れ込まれたりするような被害も多く聞こえてきている。
家の者も注意するようになり、女があるくときは誰かしら供をつけたり、なるべくなら家のまわりから離さないようにしている。
なので厄介事に遭遇する前に急いで戻ろうとしていたのだが、家まで間近の所になって厄介事のほうが待ち構えていた。
家々の隙間、ごく細い路地からにゅっと誰かの腕が伸びてきたかと思うと、人とは思えないようなすごい力で暗がりに引きずり込まれてしまった。
「――!!」
とっさに大声を出そうとしたが、荒っぽく建物の壁に背中を押しつけられ、口元も手で押えられてしまい声が出せなくなった。
「……しいっ! 大声出さないってんなら離してやる」
「(……鬼!?)」
こちらに敵意はない、大声を出さないでいられるかと重ねて問われ、
が小さく頷くのを確認すると、不知火は彼女の口元に押し付けていた手をそっと外した。
「……こっちに向かってくるから誰かと思えば当たりだよ……一体何してやがるんだこんな所で」
「関係ないでしょう」
「話す義理がねえのはわかるがな、今あの家に戻るのは得策じゃあねえぞ」
不思議そうな顔をする
に、不知火は先日島原の酒宴に出た時の長州浪士たちの計画を話してやった。
はみるみる顔色を変える。
『土方が女を囲っている』ので、その女を人質に取るか妾宅を襲撃して新選組幹部を殺す、そういう計画が立てられているという。
「お前が出かけたのと、ほぼ入れ違いになったみてえだが……浪士二十人近くが妾宅の周囲に張り込んでいて、合図ひとつで踏み込む手はずだ。 今のこのこ戻ったりしたら、大変な事になるんじゃねえか?」
「それならなおさら、『普通の女』が襲撃に気付いて戻らないなんて不自然でしょうが」
「馬鹿! 気が立ってる連中の前に丸腰で戻ったりしたらどういう目にあわされるか」
数を頼んだ上、憎い新選組に関わっている、抵抗できない女がひとり。
本人には面と向かって言えないが、花も霞む美しさだ。
それを手折り踏み荒らしたいと考える男の心理を、
は理解していない。
不知火の頭にも、想像もしたくない状況がいくつも浮かび、貞操まで危ないから止めとけと忠告したが、それでも戻らねばと
は言い張った。
「私が一抜けしたら、作戦が成り立たないのよ」
「作戦……ってえ事は」
もしかして、新選組幹部襲撃の情報は、と不知火は問い返した。
は小さく頷き、元はといえば、非番の日に遊里で『新選組に何とか一泡ふかせられないか』という酒の愚痴を聞き付けてきた者が発端で、それなら襲いやすい状況を作って一網打尽にしてやろうじゃないかということで、わざと『幹部の女』の噂を流した。
「そちら様がわざわざお仲間の作戦を喋るってことは……今、妾宅を囲んでいる人たちって、何かと暴走しがちで仲間内でも手を焼いてる……言うなれば、下っ端なんじゃない?」
「あーー……否定できねえ所が何ともなあ」
「こっちだって、下っ端よりも頭を捕まえてやりたい所なんだけれど、昨今の西国諸藩の士への扱いと朝廷での立場を考えれば、頭のほうに近いほど慎重になって動かないから、下からさらべていくしかないのよ」
「いや、こっちも暴走バカどもを一掃してくれるってんならむしろ助かるんだけどよ」
「だったら、変な口を出さずに静観してなさいな」
は肩を押さえる不知火の手を払うと、味噌を詰めた桶を抱えて路地の暗がりを出ていった。
カラコロと地面と擦れて良い音を立てる下駄の足音を聞きながら、不知火は舌打ちをする。
「ああ、ったくよう……放っておいたら後生が悪すぎるじゃねえか!」
万が一にも友人で、
の弟の拓人の耳に入ったら、どんな顔をされてしまうか。
すでに新選組に身を置いている事は知らせているから、一日でも早く人斬り狼どもの巣から引き離したいと思っているだろうに、この上、狼どもに良いように使われて、女の身が危険に晒されるような事までしているなどと 言えようはずもない。
ここから新選組屯所まではさほど距離はないなと、不知火は路地から出ると急ぎ駆け出した。
屯所に投げ込まれた石には文が結び付けられており、いかにも急いでなぐり書きしましたという字で『妾、危険、すぐ行け』とだけ記されていた。
夜勤が続いた一番隊は非番を取らせているので、土方は屯所待機の二番隊を率いてすぐに妾宅に向かった。
だが、土方たちが辿り着いた時、妾宅の中はめちゃくちゃに踏み荒らされ、家具も小物もあちこちに引き倒されて嵐が通り過ぎたかのような有様になっていた。
座敷も土足で散々踏み荒らされており、極め付けは女の簪と櫛が乱暴に投げ捨てられ、その横に『妾を誘拐したので返して欲しければ何処そこまで来い』というお約束な内容の脅迫状があった。
「土方さん!!」
「分かってる!」
脅迫状を読んだ永倉は、まさか助けに行かないなんて言うんじゃないだろうなと激昂し、力任せに拳を握る。
土方も永倉の大声に負けずに言い返し、畳に落ちた櫛を拾い上げると懐に入れた。
櫛の歯は、無惨に折れている。
は、常ならば簡単に攫われてしまうような女ではない。
常であれば、襲ったほうの心配をするくらいで丁度良いが、今は抵抗も碌にできないだろう動きづらい女の格好、さらに懐に刀を潜ませただけのほぼ丸腰だ。
この状況からして、随分と乱暴に扱われ、連れ去られたのは間違いない。
「これにはあんた一人で来いってあったが、もちろんそんな気はねえよな? 断っても俺ぁ行くぜ」
「あたぼうよ。 もちろん最初は俺が囮になるが、せっかく餌に食いついてくれたんだ、どうせやるなら徹底的に、だ」
体を張ったあいつも、中途半端な始末だけはしてくれるなと思ってるだろうよと土方も拳を握りしめる。
そうと決まったら、早速屯所に戻って準備だと、土方と永倉、二番隊は元来た道を駆け戻った。