花と知らず ---3---


 野太い笑い声が朦朧とした意識を乱暴に揺さぶり、 はゆっくりと閉じていた目蓋を上げた。
 埃臭く、冷えた空気が満ちたここは、どこかの大きな蔵のようだった。
 後ろ手に回した手を縛る縄は柱に縛り付けられ、口には猿ぐつわがかまされている。
 事があった場合、この程度の扱いは覚悟していたので何とも思わなかった。むしろどこも大きな傷も怪我もなく、縄さえ外れれば充分動けるのだから幸運なくらいだ。
 そう現状を分析して はあえて弱い女がそうするだろう行動を取った。
 乱暴な事をされ、訳もわからぬところに連れ込まれて縛り上げられるなど、普通の女なら混乱を起こし身を竦ませる。

「ん! んーーー!」

 猿ぐつわをかまされた口で呻き、不自由な腕でもがく に気付いて、蔵の入り口の方で何やら愉快そうに騒いでいた男たちのうち数人が足音も荒く近付いてきた。

「おう、気がついたようだな」
「もう分かっていると思うが、お前には土方をおびき出す餌になってもらう」
「新選組幹部の女になんぞなったのが運のつきよ。 どこの誰かは知らぬが付く男を間違えた己の不運を呪うんだな」

  は頭を振り、猿ぐつわを自力で振りほどくと自分を見下ろす男たちを気丈に睨み付けた。

「……無駄です」
「ほう、何故だ?」
「旦那様が私ごとき端女(はしため・身分の低い召し使いの女)のために動くような方ではありません」

  がそう言うと、男たちはげらげらと笑った。
 不愉快な笑いだったが、 は表情に侮蔑を出すのをこらえ、怯えた顔を作る。

「お前がどう思おうと勝手だが、土方のほうはそうでないぞ。 何せ花町にまで女、貴様の噂が聞こえてきよる」
「百戦錬磨の女たらしが、素人女一人に骨抜きにされたとな!」
「しかもそれが、田舎くさい土のついた江戸の女らしいときて、最初は笑い話かと思ったが本当ときた」

 笑い話もたまには当てにしてみるものだと、男たちはまたも大声で笑う。
 好き放題言ってくれやがって……とは喉元で押さえた。ここで芝居をやめては元も子もない。

「しかし……土くさい女とばかり聞いてはいたが、とんでもない。 中々の尤物だ」
「言えておる。 化粧が薄いのは江戸の風か」
「獲物が来るまで時もあることだし、新選組の鬼を骨抜きにした尤物の味見をしておくのも悪くはない」

 男たちの視線が、ねっとりとした好色な色を孕むのに警戒し、 は身を縮こまらせる。
 だがそれは、怯えた小鳥が震えるように、男たちの加虐心を煽る結果になった。

「おいおい、ほどほどにして次に回せよ」
「わかっとるわい」

 まだ蔵の入り口のほうにいる者たちからも下卑たさざめきが聞こえ、背後の声に煽られたかのように目の前の大柄な男が身を庇い縮こまらせている膝を押さえ付け着物の裾に手をかけた。
 その時だ。

「ガツガツみっともねえ真似してんじゃねえよ。 てめえら野良犬か? 野良犬が幕府の犬を笑うなんて様にならねえぞ」

 無機質な金属音に重なるようにして、聞き覚えのある声が聞こえた。
 何もいなかったはずの柱の後ろを振り向けば、不知火が銀色に光る銃を構えて引き金に指をかけ、 の裾を割ろうとしていた男の頭に照準を合わせていた。

「不知火、貴様」
「あぁ? 土産話をもって帰れって言ったのはてめえらだろうが。 国元の連中に聞かせられないような真似をされたんじゃ土産の意味がねえ」
「だがこれは、土方の女だぞ、別段問題は」
「大有りだよバカヤロウ。 だからって何でもしていい訳ねえだろ」

 手込めにしてしまえばそれだけでも土方の逆上を誘えるとでも思ったのだろうが、考えが甘いと不知火は言う。

「志士を自負すんなら野良犬じみた真似だけはやめろ。 聞き分けねえならこいつで脳天ブチ抜くぞ」

 志士、という言葉に男たちは未練タラタラな様子ながらも から体を離し、仲間の元へと戻っていった。
 そこにいる気配すら感じさせなかった不知火は、 のすぐ側に寄るとしゃがみ込んで顔を覗き込む。
  にだけ聞こえる声でそっと囁きながら、自分の首元に巻いた布を手に取り、その裾で の顔についた土や汚れを拭き取った。

「芝居だからってやりすぎだぜ、美人が台無しじゃねえか」

 そのまま、すっかり崩れた髪にも手を伸ばし、耳の横に指を入れて軽く梳き整える。
 不知火の手付きが存外優しい事に驚きつつも、 は表情を変えずにそっぽを向く。

「すまねえなあ、馬鹿どもの調子づいた作戦に巻き込む事になっちまって。 ……新選組を焚き付けとといたから来ないなんてことはないだろうが、万が一の時は抱えて包囲振り切ってやる」
「不知火、あなた……」
「これがお前じゃなくても、だぜ。 いくら敵の妾だからって、女一人の抵抗を大勢で殴って言う事聞かせるような奴等の巻き添えにするなんて、いくら何でも寝覚め悪ぃぜ」

 買い物の後、何も知らぬ顔をして妾宅に戻った は、不知火の言う通り踏み込んできた浪士たち相手に『女らしく』抵抗したのだが、相手が思っていたよりも荒っぽく、数発殴る蹴るの暴行を受けていた。
 すぐに癒えない人間の身体ってのは不便だよなあと、切れた口元や頬の辺り、目尻のあたりをなぞり、不知火は痛ましげな顔を向けた。
 その時、蔵の外から怒り狂った大声が聞こえてきた。
 土方だ。

「来てやったぞ下衆野郎ども! 女返してもらおうか!」

 ぎょ、と は目を剥いた。
 来るのは作戦のうちだから良いが、まさか馬鹿正直にひとりで来ていないだろうなという意味での驚きだったが、ちらりとこちらを見た浪士たちの低い笑いは、絶望的状況に男が助けに来たことを一瞬喜んだものの、すぐ絶望に変わるのを知らずにいる女の運命を嘲っての事だった。
 だが彼等に、 の本心などわからない。
 浪士たちは不知火が座り込んだままの の首にぐいと腕を回し、こめかみに銃口を押しつけるのを見て、準備が整ったとそれぞれに腰の刀に手をやり、閉じていた蔵の入り口を開いた。
 外の明かりの中に逆光となって、土方の姿が見える。
 浪士たちの入ってこいという声に、土方は大股で蔵の中へと進みいる。
 その背後で、扉が閉じられて閂がかけられた。
 十数人はいるだろう浪士に狭い蔵の中で包囲されるという、最初から手も足も出ないような状況になりながらも、土方は奥のほうに女…… の姿を見つけると、にこりと優しく微笑んでみせた。

「すぐにこいつら片付けてやるからな、ちと待ってろ」

 笑顔の中でまったく笑ってない目が気味悪いです、と言おうとしたが、いらん事言うなとばかりに首元にある不知火の腕がグッと締まり、苦しげなうめきにとって変えられてしまう。

「よぉ、副長さんよ。 強がっちゃあいるがこの状況、どうする気だい」
「てめえ不知火だったか……ったく、人間の下衆だけでもうざってえってのに、てめえまでいるとは頭が痛ぇぜ」

 とかなんとか言いながら、土方はまだ笑っている。
 その理由はすぐに明らかになった。
 採光のために開けてある蔵の窓から、もくもくと煙が流れ込んできたのだ。
 何事だ、と狼狽する浪士たちに、土方はにやりと笑いかけ、

「ちと油をまいて火をつけさせてもらっただけだ」

 思ったより景気よく煙が出てやがるなと、土方は強気だ。
 ついでに、少し離れた所に居た役に立たない見張りはすでに片付けた、とも。

「たしかにここには一人で入ったがな、外には新選組が待機してる。 さあ選べ、ここで俺一人を殺して包囲されたままじわじわ焼け死ぬか、それとも広い表に出て活路を切り開くか!」
「ふん、貴様大事な事を忘れているぞ。 一人で来いと念押ししたのを破った罰だ。 不知火、女を撃て」

  を抱えたまま残忍な笑みを見せる不知火に、土方の顔が露骨に引き攣る。
 さすがにこの包囲を抜けて一足飛びに鬼の所まで飛べるような足は持っていない。
 だが、不知火は銃口を の頭から離し、前にいる人間たちの間をぬうようにして狙いを合わせ、数発を立て続けに放つ。
 至近距離での轟音と、不知火の体越しに銃発射の反動を受け、 は小さく悲鳴を上げた。

「貴様、何をする!」
「女より逃げるのが先だ、火の周りが予想より早いのに気づけ! 火が窓まで来てるじゃねえか!」

 作戦にこだわるよりも活路を開いて逃げろと、不知火は銃で扉の閂を壊していた。
 不知火の言うとおり、見れば男の背よりはるかに高い場所にある窓の下側に、ちろちろと炎が見えるではないか。

「すぐに戻る、まってろ!」

 そう言ってまっ先に外に転がり出たのは、土方だ。
 壊れた閂を半ば蹴り飛ばして外し、荒っぽく扉を開けて外に出る。
 焼け死んではたまらないと、追い掛け外に出た浪士たちだったが、外には土方の言うとおり新選組が待機しており、二隊が蔵の左右をはさむようにして展開していた。
 が、それよりも驚いたのは。

「よぉ、見事に引っ掛かったみたいだな」

 蔵の横からひょっこり出てきたのは、槍の他に奇妙なものを持った原田だった。
 煙りを上げながら燃えるそれは、出来の悪い松明のようだった。
 竹箒の柄に棒をくくりつけて柄を伸ばし、先端の竹部分には青葉とボロを巻き付け油に浸して火をつけたと思しきものだ。
 さらに、同じものを持った数人と、藤堂が別の場所から出てくる。

 蔵は火事になどなっていないし、周囲に油も撒かれていない。
 この即席松明を窓からみせて煙りを流し込んだり、いかにも油を撒いて火をつけました的な演出をしただけだ。

「土方さーん、もういいか?」
「ああ、いいぜ平助。 見事に誘い出されてくれたからな」

 原田と藤堂は松明を捨てて包囲の輪に戻り、刀を抜いた土方もそれに加わり浪士たちをじわじわと取り囲んでゆく。

「で、あいつ殴った分、こいつらに倍返しにしていいんだよな?」

 刀の切っ先をピタリと定めて、藤堂は剣呑な表情を見せる。 倍返し程度で済ませる気がないのは明らかだ。

「ったく、お前等も馬鹿だよな。 妾宅に乗り込んだんなら、あそこで人質とって立てこもってりゃよかったんだよ」

 準備の時間を与えた上、挑戦状を送りつけてくるなど馬鹿のする事だ。
 原田がそう言うが、すべては後の祭り。

「……不逞の者どもをひっ捕らえろ! 抵抗するなら殺してかまわん!」

 土方の号令一下、新選組と、作戦が外れ、もはや破れかぶれになった浪士たちとの大乱闘が始まった。






 蔵の外で始まった剣戟の物音に、 は身を固くする。
 不知火はそんな の首元を片腕で押さえたまま、注意深く音で気配を伺っていた。

「消火はしたらしいな、ったく思いきった事するよな、下手すりゃお前まで丸焦げじゃねえか」

 新選組が包囲しているなら安心かと、銃を下ろす。
  は両手を封じられているために、肩をよじらせて不知火に抗議した。

「いつまでくっついてるのよ、いい加減離しなさいよ!」
「おいおい、さっきのは演技だよ、そんなに怒るな! ……俺としちゃあ、もう少しこのままでも構わないんだがなあ」

 不知火は背後からそっと の肩に顔を寄せ、

「なあ、今度はこんなボロボロになるんじゃなくて、もっと綺麗な格好してみてくれよ。 そいつを拝ませてくれるってんなら、言う事聞いてやってもいいぜ」
「寝言は寝て言いなさいよ」

 たとえ姫君や花魁に化ける事があろうとも、あんたのために化けてやる筋合いはないとばかりに、 の返答はどこまでもつっけんどんだ。

「つれねえなあ……じゃあそのうち一杯付き合え。 それで、帯の後ろに隠してある守り刀を取ってやるのと、手を自由にしてやるってのでどうだ?」
「……乗った」

 乗ったというより妥協した、というほうが正しいが、手を封じられていたのではいつまでも身動き取れない。
 不知火は首を押さえていた腕を離すと、懐に入れてあっさり抜き取られないよう用心のために、あえて背後の帯の隙間に隠した小さな守り刀を取り、それで手首を縛っている縄を切ってやった。
 痛々しく跡の残った手首を摩り、ふうと息をつく の膝の上に守り刀を放ってやる。
  は数回手を握ったりひらいたりして、手の痺れや腕が固まっていないかを確かめ、守り刀を手に取ると片手の中で逆手に持ったり順手に構えたりとくるくると回した。

「軽い痛みはあるけれどそこそこ掴めるかしらね」
「参戦する気かよ、おっかねえなあ」

 こういう時は気合い入れて助けに来た男心を汲んでやれよ、と不知火が溜め息混じりに零した所で、蔵の扉が大きく鳴った。
 いつの間にか表の乱闘は静まりつつあり、形勢は新選組有利で終わろうとしているようだ。
 扉の所に立ったのは先程まで余裕をかましていた浪士のひとりで、すでに数カ所に手傷を負った姿で、肩で息をし刀をだらりと下げている状態だった。

「そいつを行かせるな!」

 外から原田の声が聞こえるが、それに重なるように浪士は刀をふりかざし のほうへと駆け寄った。

「女! こうなったら貴様だけでも始末して……」

 土方に、ほえ面かかせてやる、と。
 だが、後半の言葉は銃声に重なってしまい続かなかった。
 浪士が大きく刀を振り上げた所で、不知火が手の中で目にもとまらぬ早さでくるりと銃を一回転させ、発砲していたからだ。
 弾丸は浪士の心臓の位置をわずかにそれて命中し、即死にこそならなかったが、致命傷になった。
 撃たれた勢いのまま仰向けに倒れて傷口と口から血を溢れさせて断末魔の痙攣を繰り返す浪士に、不知火は下衆野郎めと侮蔑の視線を浴びせる。

「じゃあな。 約束、楽しみにしてるぜ」
「……」

 守り刀を構えたものの、言葉もない の髪をもう一度指で梳いて、面倒な事になる前にと不知火は唯一出入りできる蔵の入り口に駆け、寄ってきた新選組の面々の間を素早くすり抜けていった。
 横目に原田が見えた時、ちらりと視線を投げれば原田も驚いた顔をして不知火を見返す。

「あいつは無事だぜ、安心しな」
「何だって?」

 何故お前が をと問う間もなく、不知火は人間ばなれした跳躍力で垣根を飛び越えて逃げ去ってしまった。










◇◇◇◇◇











 結果的に、作戦は大成功だったと言えるだろう。
 あの場にいた浪士十八名のうち 十二名斬って、二人に重傷を負わせ、残り四人を捕縛。
 新選組の被害は、 が多少身体や顔に痣を作った程度だ。

 包囲を抜け出してきた者を捕らえるために、数名を率いて後に詰めていた永倉も容赦なかった。
 結果的に十八名中だれも取り逃がす事なく新選組の手のうちにおさめたのだから、上出来すぎるくらい上出来の結果となった。

 そう、怪我もしたし、女の格好で随分不自由もしたが、作戦としてはいい結果に終わったと は思う。
 だが、幹部たちはそうでもないらしい。

「女を殴る蹴るしていいように扱おうとした馬鹿どもにゃ、きっちり思い知らせてやらなきゃなあ。 この俺様が女の扱いってもんをとっくりと説教してやる」
「あはは、一番説得力ない人が何言ってんですか新八さん。 一人じゃ手間でしょうから僕もそのお説教係りに混ぜてもらいます」

 とかなんとか言って、浪士を放り込んだ倉に、永倉と沖田が壊れた竹刀や何に使う気なのか判らない道具を持って笑顔で向かっていったり、

「打ち身によく効くから、嫌がらずにちゃんと飲むんだ。 こらっ、逃げるな」

 ……と、斎藤が逃げ回る を捕まえて例の土方家家伝・石田散薬を飲まそうとしたり、

「俺もすげえ腹立ってるし、総司たちに混ざりたいけど、今お前も大変だしな、ほっとけないよ」

 藤堂が、乱暴された時に壊れたものの代わりにと、櫛や簪を買ってきたり、一着は持っておけと女の着物を新しく見繕ってきたり、打ち身が落ち着くまで動くなと細々見舞ったり世話を焼いたり気を回す。
 それから事の後に開かれた幹部会議の席で、 は今回の一件、鬼の不知火が絡んできて、あちら様も様々な事情で過激な下っ端を始末したい都合上、何かとこちらの動きを見て見ぬふりをしてくれたのだと話した。
 結果としてああいう複雑な事になってしまい申し訳ないと皆の前で頭を下げる姿に、聞いていた原田のほうが複雑かつ何とも情けない表情になり、

「あのヤロウがお前にちょっかい出しにこないとも限らないからな。 俺が見張ってるから、大変な任務だった分、夜はしっかり休めよ」

 夜になると原田が の部屋の前で槍を抱えて番についたりと、暫く騒々しかった。
 そんなこんなでドタバタしていたが、数日後には尋問の成果か浪士の口からさらに過激派の名前とその動きが割れ、大収穫だと土方は喜々として隊士を率いて自ら出動していった。
 そこからさらに数日。
 白粉を圧塗りにしてもとうてい誤魔化せない顔の痣も大分引いた頃、 はもう一度『妾宅』へ向かった。
 あの事件の後、何かと忙しくてまだ荒らされたまま放ってあるというから、掃除くらいはするかと思い立ったのだ。

「……誰か居るんですか」

 うなぎの寝床と称される京の町家の作りは家全体の奥行きが長く、入り口からは奥にいる人の気配が読みづらい。
  が勝手に入っていくと、座敷のむこうの縁側に、日を浴びてぼんやりと座る人の背を見つけた。

「土方さん」

 ここは彼の休息所だから、居てもおかしくはないのだが。 今日は公用で出ていったにしては屯所への戻りが遅いと思っていたら、こんな所にいたとは。

か」

 土方は大きく伸びをして、まあ座れと自分の隣を指さした。
 散らかった部屋の中は取りあえず見て見ぬ振りをしてそれに従った は、土方の視線の先を共に眺める。

「なあ、妾の振り、もう少し続けねぇか?」

 聞き落としそうなほど小さい声だったが、しっかりと聞こえてしまった。  はわざとらしい溜め息をつくと、あえて土方のほうを見ないまま答える。

「本気で決闘申し込まれたいんですか?」
「いっ、いや、そうじゃなくてだなっ……! あれだけ入れ込んでたのを急に通わなくなったんじゃ、平隊士どもに怪しまれるだろうが」
「ええ、確かにね。 でも今回のような事がああるから里に返したとでも言えば問題ないのでは?」

  は容赦ない。
 土方は口の中でもごもごと言葉を探している様子だったが、仕事ならともかく私情でなら不愉快だと追い討ちをかける。
 が、土方も引かなかった。

「せめて、その痣が消えるまで、ここに居て欲しいんだよ」
「別段問題ありませんよ」
「お前は任務だから覚悟の上だったかもしれないが、俺やここに来ていた皆の男としての矜持がこれを許せねえ」

 見るからに痛々しい、変色した痣。治りかけとはいえ不様なまだらになった顔や身体。いかに日頃男装していて腕っぷしも強いとはいえ、男の向こう傷とは訳が違う。
 こんなものを作らせておいて、完全勝利などと言えるものか。
 まさか堅気の女に手荒な真似はするまいと思っていたのに、『幹部憎けりゃ関係者まで憎い』にまで高まった新選組への恨みの深さと不逞浪士どもの狂暴性を読み違えたばかりにこんなことになった。
 土方は手を伸ばし、頬骨のあたりの痣、口元の傷をそっと指先でなぞる。
 痛ましげに眉を寄せる土方の表情に、 も流石に少しきつい言い方だったかと反省した。
 なので言葉を選び、もう一度気にするなと言い直した。

「役に立てたなら、本当にいいんです。 いずれ消えるものをいつまでも気にしないで下さい」

 むしろ、ちゃんと女に見えていたからああいう目にあったと思えば、年増にはなったがまだ捨てたもんではないと笑う。
 あっけらかんとした の笑みに、土方はほとほと呆れてしまった。
 もしかしてこの女、自覚無しだというのか。

「ちゃんと女に見えたどころか、それぞれの好みの部分を引いてもかなりの美人だってことわかってねえだろ。 化粧も、女物の着物も、髪結い上げたのも似合ってた」

 土方の口からぽんぽん飛び出す褒め言葉に は驚き、目を丸くしてしまった。
 そんなことを面と向かって言われたのは、人生二十年は過ぎたがこれが初めてだった。
 しかもそれを、花町の綺麗所にもてまくりの色男が言うものだから、驚きも倍増というものだ。

「ここに通ってた連中、任務半分、半分はお前と過ごすのを楽しみで来てたろうよ。 あいつら何かと普段と態度が違っただろうが」
「あー……」

 そういえば日頃、邪魔になったら斬るだの殺すだの煩い沖田までも、過ごしやすいお古の帯を持ってきたりと考えてみたら妙な行動をいていた。

「俺もあいつらも、あと少しの間でいいんだ。 このまま終わらせたくねえんだよ」
「……わかりました、ほんとに痣がもう少しマシになるまでですよ」

 こうなったら腹を据えて休ませてもらいますと がいつもの笑みを見せると、土方もようやく固かった表情をほどいてほっと肩を落とした。
 着物の下にもいくつもの痣を作ってしまった の肩をそっと抱き寄せて傍らに寄せると、頭抱いて自分のほうに軽く引き寄せる。

「たまには、ままごとじみた事だって悪くねえだろ?」
「随分手のこんだままごと遊びじゃありませんか?」

 家つき、着物つきとは遊びの範疇を出ているとおかしそうに微笑む に、土方もつられて微笑んだ。

「いいんだよ、たまにやる分には凝ったって」
「どういう理屈ですかそれは。 じゃあ、ままごとといえども舞台をそれなりにしなきゃ様になりませんから、掃除手伝って下さい」
「おう。 あーあ、それにしても連中、荒らしてくれやがったなあ」

 畳は泥だらけ、 調度品は壊されたり倒されたり、襖は破れ柱にも何かをぶつけたあと。
 家を空けている間に、台所の野菜類もすっかり駄目になり、中にはすでに生ゴミと化して臭うものまであって被害甚大だ。
 襷があったなと、倒れた棚を起こして襷を取り出すと二人してしゅるりと袖をからげる。
 せっせと働きながら、土方は時折、盗み見るように の後ろ姿を目で追い掛ける。

「(時間は稼いだが、頭が痛ぇぜ)」

 そう。
 切っ掛けは任務のためだったとはいえ、 の女装とままごとのような妾宅の時間は、思いのほか幹部たちに好評で、何とかもうちょっと時間を引き延ばせないかと本人に聞こえない所で都合をつけようと密かに話がまとまっていた。
 続けるかどうかは最終的に の選択に任せ、無理強いはしないつもりだったが……こうなってくると手強い『恋敵』どもがあの手この手で任務中はできなかった事を仕掛けて来るだろうから油断できない。
 おまけに、不知火とかいう鬼も にちょっかいをかけていたし、まだ続けている事が知れたらどんな行動に出てくるか知れたものではない。

「(あいつは、まるで花だ。 けど花のほうに自覚なしと来た)」

 野に咲く花のように、自らが人の目を引き付けると知らぬまま美しく咲く、そんな女だと思う。
 凛と咲く花は幾人もの鬼を引き付けつつも、自身はそうと知らぬまま無心に花開く。
 花を手折り己のものだけにしたいと思う鬼が幾人もいることなど、夢にも思うまい。
  もいつかは任務でもままごとでもなく、女物の着物を当り前に着て、愛する男のために髪を整える、そんな日が来るかもしれない。
 その日を見てみたいような、見たくないような、複雑な気持ちに捕われつつ、土方はそっと溜め息をついていた。





-----終-----



以前募集した、読んでみたいシチュエーション上位『女装ネタ』です。
島原潜入とどちらにしようかなと迷ったのですが、あえて『任務+幹部のお妾』にしたら男どもがドギマギするというよりも、任務優先に……。
色艶のある話を書くには修行が必用だなあ……いつか芸者か遊女ネタでリベンジしたいもんです。





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