◇◇◇◇◇
山南の存在を隠すのに、すし詰め状態の屯所では狭すぎる。
屯所の移転は急ぎ進められ、すったもんだの問題をかなり強引に片付けつつも壬生村の八木邸から西本願寺へと移る事が出来た。
「……それにしても、五両ですか……せめて切餅、二十五両とかどうにかならなかったんですか」
「言うんじゃねぇ、ってか思いださせるな。 顔から火が出る」
幹部たちの起居する部屋のある区画の掃除と整頓をまかされた
は、荷物をほどく土方の横でそう愚痴る。
ちらりと横目で見れば、土方の顔は耳まで真っ赤になっており、あの事は相当恥ずかしかったようだ。
発足したは良いが行き場のなかった新選組に、雨風凌げる家を貸してくれたばかりか、騒がしく血生臭い連中が増えるばかりで壬生村の人たちにも大層受けが悪かったろうに、八木家の人々は新選組を追い出そうとしなかったし何かと便宜を図ってくれた。
もし八木家に何かあれば、必ずやその恩義に報いねばなるまいと思っているのは新選組の者なら誰でも同じだ。
「騒々しいわ建物は痛めるわ、下手をすれば戦火に巻き込んじまう所だったわ、俺たちのとばっちりでいつ刺客に乗り込まれるかわからんわ……それでも嫌な顔一つしないでいてくれた八木さんにせめて礼金を、ってのが筋だってのによ……その日に限って、金庫に五両しかないなんて誰が思うよ」
勝手に金策致すべからずという法度があるのに幹部自ら借金に行く訳にもいかないから、せめて身内の誰かに借りようとしたが、どういう訳か皆そろって素寒貧。
宵越しの金は持たないと豪語するような連中をアテにした自分が馬鹿だったと思いつつ、土方は賭けるつもりで
の所にも声をかけたが、
も予備の刀を買ったのと、春に向って着物と袴の新しいのを注文したばかりで持ち合わせが殆どなかった。
そういう理由だったので土方が五両を包んで八木家に挨拶に行ったのだが、2年の賃料にしてはなんともと苦笑を返されてしまい……それこそ穴があったら入りたい思いをした。
「八木さん、いい人だからな……事情は聞かないでおいてくれたけどよ、大体何で5両しかねぇんだ。 会津のほうからしっかり支給されてて数百両はあるはずだろが!」
「新規参入の隊士さんが思った以上に多くて、食費および雑費がけっこうかかっているのと、伊東さんたちの住まいのためにそろえた備品の代金が思ってるよりかかってるんじゃないですかね」
「何だと……?」
「人員が増えたことによる予算増の申請は上に出ているから大丈夫だって、勘定方の人たちは言ってましたけれど」
「じゃあ大丈夫じゃねぇか、何でだよ」
は言っていいものかどうかと少し視線を宙に泳がせたあと、
「なんていうか……給料の前借りが殺到したらしいんですよ。 けっこうな人数があちらこちらでツケで遊んでて、引っ越しのドサクサで踏み倒されちゃかなわないからってお盆でも大晦日でもないのに掛け取りが来る所も……」
新選組も大分名がうれて給料の出所もはっきりしたものだから、あちこちの店でけっこうツケが利く。
それを良い事に、高くつく遊びをしたり、道楽につぎこむ者も増えてきている。
とはいえツケの支払いで個人的な金策などしようものなら切腹ものだから、苦肉の策として給料の前借りに走ったわけだ。
「……前借りに来た連中ってのは、後で勘定方に問い合わせれば分かるな……どうしようもねぇ奴らだぜ」
「ま……まぁまぁ。 八木さんの事についてはまた別の事があったらかけつけるなり、違った形で報いれば良いこともあるんですから……むこう数カ月懐が寒い人たちをこれ以上虐めないでやってくださいよ」
「平でも月に十両出るってぇのに、どうやりゃそれを使い込めるのか知りたいぜ……」
ちなみに、月に一両あれば親子3人いたとして楽に暮らしていける。
島原あたりで太夫を買うなら、一両二分、さらに諸経費がかかるのだから、遊里通いがどれだけ高い遊びか分かると言うものだろう。
「……そういや、お前は趣味ってぇか、道楽事はねぇのか?」
話を変えてそう問われて、
はありますよと答えた。
「きれいな紙を集めるのが趣味なんですよ。 千代紙や短冊、綺麗な手梳きの紙、模様を刷ったのなんかが好きでして、たまにそういうのを扱う店を覗いていいのがあれば買いますね」
京はそういうこまこました物がおおいから、店を覗くたびに違うものに出会えてけっこう楽しい。
あと、木辺などから根付けなどの小物を彫り出すのも時々する。
「あぁ、そういやぁ妙に手先が器用だったな。 八木さんとこの子供たちに竹とんぼや水鉄砲や、小せぇ弓とか刀のおもちゃをこしらえてやってたっけ」
「知ってましたか」
その程度の道楽だから、滅多に懐が寂しくなるなんて事は無いのだが、山南の一件が起こる直前にポーンと刀を買ってしまった。
はフと気になって、聞いてみる。
「土方さんには、何か趣味とか道楽ってのはないんですか? まさか仕事が趣味ってわけじゃないでしょう」
「お……俺か?」
急に自分に鉾先が向いたことに、土方は思わず行李を押し入れに入れる手を止めた。
「んー、まぁ……近ごろはいろいろな本を読むのが趣味っていうかな。 遊里の女に受けるように、今度源氏物語でも読んでみようかと思ってるとこだ」
どこか棒読みっぽい雰囲気が混ざるあたり、何か妙にごまかしを入れているようで怪しい。
がぎくしゃくと作業を続ける土方の背中をジーと見つめていると、二人の背後、襖のほうで耐えかねたようにプッと吹き出す声がした。
「あっはははは………土方さん、今さら何を。 誤魔化した所ではじまらないでしょうに」
ケラケラ笑う声に、振り向いた土方の顔にも物騒な笑みが浮かぶ。
は災難のとばっちりを避けてすっと横に体をよせる。土方が大股に部屋を横切って、むこうから笑い声のする襖をあければそこには沖田がいた。
「この人ね、句をひねるのが趣味なんですよ」
「何バラしてやがんだ! ……って何だその思いっきり意外そうな顔は」
それが普通の反応ですよと、沖田はさらに遠慮なく笑い転げる。
「黙れこの阿呆! 伊東の奴だって和歌を嗜むじゃねぇか、俺だけなんでそう笑われなきゃならねーんだ」
沖田の頭を小わきにつかまえて、こめかみを拳でグリグリとやりながらそう言えば、沖田は痛い痛いと笑いながら喚きながらも「ほら」と意味ありげに土方を見上げる。
「伊東さんは『いかにも』文学に親しむ雰囲気があるじゃないですか。そういう趣味があってもおかしくないみたいな。 けど土方さんが俳諧って……あいたたたたたた」
かなり容赦なくグリグリとこめかみを抉られて、さすがの沖田も逃れようとじたばた暴れ出す。
この面……もとい、この性格で俳諧と言われて
もかなりほうけていたが、思い当たるフシがあってポンと手を打つ。
「ああ、八木さんとこにいた頃、沖田さんが何やら小さい帳面持って走り回ってましたっけ。 その後を土方さんが罵声あげながら追い掛けて」
「そうそう、それ。 この人の発句帳でさあ、
ちゃんに見せる前に取りかえされちゃったんだけれど」
見られていたら恥ずかしくて死ねる、と土方は思いながらも、土方は沖田の口元を手のひらでがっちり塞いで
に笑顔を向けた。
「五条、この部屋は途中でかまわねぇから新八あたりの部屋を手伝いに行ってやってくれ。 俺ぁこの阿呆にとっくりと説教してやらにゃあならないことがあるのを思い出したんでな」
「……はい」
こういう時の土方に逆らうべからず。 それくらいは
も学習していた。
行儀わるく後ろ手に障子を閉めて廊下に出たとたん、江戸弁丸出しのべらんめぇな怒声が響いたものだから、とばっちりはご免とばかりに
はそそくさとその場を離れた。
の気配がしなくなると、土方は沖田の頭をもう一発ゴツンと殴ってから彼を解放した。
「いったいなあ、そうポンポン殴らなくたって良いでしょ」
「打った所でそれ以上悪くなりゃしねぇから安心しろい」
一番隊の部屋割りと片付けは終わったのかと問われて、しっかりと終わったと沖田は答えた。
「今夜からだって巡察に出られますよ。他はもう少し片付けにかかりそうですけれど。 巡察に出るなら、隊の皆を今のうちに休ませますけれど、どうします?」
「ああ、そうしてくれ。 正式な巡察割は追って出す。それを出す前に一番隊の面々には特に休みを出すから今夜の所はちと頑張ってくれと言っといてくれ」
「わかりました。 それでね、土方さん」
ちゃんの事だけど、と沖田は切り出した。
沖田が心配していることは土方も気になっていたので、取りあえず座れと畳を指差して、差し向いで座る。
「引っ越しのどさくさあたりで逃げちゃうかなって思ったんだけれど……そういう様子はなかったね」
「お前まだ、あいつが新選組を抜け出すと思ってるのか?」
「ええ。 弟を心配するお姉さんの行動力、なめちゃいけませんよ」
僕の姉の事を思い出せば分かるでしょうと言われて、土方は思わず頭を抱えた。
女の足で在所からかなりの距離にある試衛館道場にやってくる事があった沖田の姉、ミツの行動力にはいつも驚かされたし、あの女性に口げんかで勝てた試しが一度もない。
「か弱いうちの姉でさえ、あれだけ思いきったことをするんですから。 型やぶりの最たる所の
ちゃん相手に油断しちゃいけませんよ」
あのおミツをか弱いと言うかとよほど突っ込んでやりたかったが、そこはぐっとこらえる。
「お前の言う事はわかる。あいつは雪村とちがって、多少なりとも新選組を裏切らない理由があるってわけじゃない。 その上、下手な相手をけしかけようものなら返り打ちにして出ていけるだけの腕も持ってるときた」
けれど
は弟大事のためだけに裏切ったりしないと、土方は考えている。
確たる理由はないが、そう思うのだ。
「確かにあれを見られた上に山南さんの一件にまで関わっちまった以上、新選組はあいつを野放しにする訳にはいかねぇ。 ならばこちらからあいつが裏切らないだけの理由をつくってやるってのが、お互いのためにいいんじゃねぇか?」
「丸くなりましたねぇ、土方さんも」
「何とでも言いやがれ。 俺は隊のためを考えて言ってんだ」
隊士の数が増えて、最初の頃よりは随分戦力的・人員的に余裕が出来たとはいえ
が使える手駒であることにはかわりない。
「あいつには、雪村のように監視をおくのは逆効果だ。 隊のために働く気があるうちは、自由にさせておくのが一番いい。 けどな、もしお前の懸念している通りになったら」
土方は、ひと呼吸おいて
の出ていった障子を睨み、
「お前の思うように処分しろ。 長州のやつらに利用された場合も同じだ」
「本人には知らず知らずのうちに……って事もありますもんね。 よかった、本気で庇ったりしたらどうしようかと思ってたんですよ。 土方さんの御墨付きがあるなら遠慮なく斬れるね」
屈託なく笑う沖田に、土方は眉間にシワをよせた複雑な顔で視線をむけなおす。
「お前なぁ……こういう判断は俺よりも近藤さんにもちかけろよ。 それが筋ってもんだろうが」
「駄目ですよ、近藤さんはなんだかんだで甘いから。 それにあんなのでも
ちゃんは女性なんだし、斬るのはやりすぎだって絶対に言いますもん」
近藤さんの性格じゃ、死人に口なしといくら説いたって納得しませんからと言い切られ、さすがに九つの年からの付合い、性格読んでやがるなと土方もため息をついた。
「ま、土方さんの意見も尊重して、使える内は使うってことにしときましょうか。 ああ、僕って優しいなぁ」
「用が済んだらとっとと隊の奴らの面倒でも見てこい!」
またも怒鳴られて、沖田ははいはいと笑いながら立ち上がると悪戯が見つかった子供のように廊下を駆けていった。
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