羅刹女 ---10---


 伊東の博学はさすがにたいしたもので、国学、軍学だけでなく和歌や書画などの文化にも造詣が深い。
 しかもこれが他者に教えるのが上手で、教わる者の程度にあわせて上手に手ほどきをするものだから、今まで何かにつけ『ついてこれない奴は不要』的な新選組の方針に疲れていた者たちをたちまち魅了した。
 この時代、日本国の識字率を聞いて訪れた外国人が驚嘆したという話がある。
 彼等にとって文字が読めるということは一種の特権階級の証しであり、教育を受けられるほど豊かな暮らしをしているという事でもあったが、日本の子供は貧しい裏長家の子まで基本的な文字を読めるし、武士ともなれば文字を読めない者はいなかったくらいだ。
 新選組には様々な身分出身の者たちがいるが、中には農民あがりで文字の読み書きがよくできない、という者たちもいた。
 伊東はそういった者たちにもきちんと手ほどきをし、郷里に手紙を書くにも代筆を頼まなければならなかった者が短期間のうちに自分で手紙を書くようになっている様は伊東の教え上手をよく表していた。

 もちろん、新選組に寺子屋の師匠をしに来た訳ではないので、本来の仕事もきっちりこなす。
 柔に見えてあれでなかなか働き者、道場主をやっていただけあって剣の腕もかなりな上に求心力もありときては、もともといる幹部たちにとっては伊東の存在は扱いづらいなどというものではなかった。
 特に土方などは、「兵隊なんぞ馬鹿のほうが扱いやすい」とかなんとか言うだけあって、隊士たちによけいな知恵をつける伊東のやりかたは他の幹部たち以上に苦々しく思っているようだった。

  は一応読み書きはできるが、漢字の知識があまり達者ではない。
 なので武家の者たちが堅苦しく書くような漢字だらけの書面や、漢文調の文面を読むとなるとかなり苦労してしまう。
 なので先日、近藤に写本を頼まれた本を書き写すのも、半分以上は意味が分からず文字の形だけを写しとっていただけという、情けない状態だった。
 この機会に少しでも苦手な部分を克服しておこうと、用意してもらった漢字まみれの教書を読みやすい日本語の文に直すということを、仕事の合間や夜寝る前の時間にちまちまとこなしている。
 その日も土方に言い付けられた仕事と剣の稽古を終えた時間に部屋でせっせと書き取りに励んでいると、伊東がやってきた。

「失礼するわね……あら、熱心じゃない、いいことよ」

 伊東はどれどれ、と の手元を覗き込み、大体会ってるけどここちょっと違うわよと指摘をしてくれた。

「でも大分上達したじゃない。 最初の頃なんて、読めない字のほうが多くて訳も虫食いだらけだったんだから」
「はぁ、おはずかしい限りです」
「それでいいのよ。 誰だって読めない書けない分からない、から始めるんですから。 赤子だって這ってからじゃなきゃ歩けないでしょう、何ごとも順番があるのよ」

 ちゃんと進歩しているんだから心配するなと、伊東は笑う。

「これなら、目標の読本(よみほん)がすらすら読める日も近いわよ。 自信もちなさい」

 上達を褒められた事は素直に嬉しかったので、 は微笑んで礼を言った。
 それから伊東に何か用があるのかと訪ねると、短冊を持っていたら貸してほしいという事だった。

「いくつか和歌が浮かんで帳面に書き留めていたんだけど、書き留めておきたくなったのよ。 なのにここの所忙殺されちゃってそういうものを求め歩く時間もとれなくて」

 いくら忙しくても、趣味に割ける時間がないようでは心の潤いに欠けると伊東はぼやいた。

「そういうことでしたら……」

 大した揃えではありませんがと、 は荷物入れにしている行李の中から手箱を取り出すと、中身を伊東の目の前に広げてみせた。
 色とりどりの雑紙や枕紙、模様を刷った錦絵調の包装紙と一緒に、少し厚手の紙に縁を付けた短冊も数十枚ある。
 紙を桜色に染めたものや、金銀の箔を刷り込んだ華麗なもの、縁取の紙に高貴な紫を使ったものの他に、墨で梅花図や鳥などを細かく描いたものを入れてある短冊などが出てきて、伊東は目を見張った。

「まぁ〜〜、たいしたものが無いなんて言って、けっこういいもの揃えてるじゃない。 そうね、これとこれ、いいかしら?」

 伊東が選んだのは、白地に薄墨染めの縁がついたものと、無地縁だが地に押さえた桜色で散る桜の花弁が描いてあるものだった。

「良いんですか? そんなに地味な柄で」
「ええ。 だって山南さんを悼んだ歌を書き留めておきたいんですもの。 そういう和歌に、あまり派手なものは似合わないでしょう?」
「そうですね……」

 伊東は山南が死んだと思っている。 なので も話を合わせて目を伏せた。
 何かと刺さる物言いをしてはいたが、伊東は山南の事を認めていたし、剣も同流とあって親しみを感じていたことは も見て分かっていた。
 ただ、状況が状況だっただけに周囲にそれが良い方向に余裕を持って捉えてもらえなかっただけだ。

「じゃ、いただくわね。 もしかしてこういうのを集めるのが趣味なら、そのうち素敵なのでお礼させてもらうわ」
「いえ、おかまいなく」
「ふふ。 勉強会のほうにも顔を出してちょうだいね」

 伊東を送りだしてまた書き取りに戻った だったが、そこから半時ほど集中したあとさすがに根気がつきてしまい、ぐっと背伸びをすると仰向けに畳の上に転がった。







 そんなやり取りがあってから数日後、 は副長室に呼ばれた。

「……隊士募集のために江戸に下る事が決まった。 お前、一緒に来る気はあるか?」
「……は?」

 上から人員増強を命じられていたことは も知っていたし、近藤が兵は東国の者に限ると普段から言っているのも承知していた。だからこその江戸まで下っての募集なのだろうが、ここで何故幹部でもない自分にこんな話が来るのか。

「……やめておきます」
「そうか」

 土方が見るからに安堵した表情をしたものだから、今度は のこめかみのほうが引き攣ってしまう。
 これで行くなどと答えたらどうする気だったのか、聞き出さねば気がすまなくなってしまうではないか。
  は膝で土方のほうににじりよると、不審を露にした顔でぎろっと土方の整った目のあたりを睨み付けた。
 やはり後ろめたい事があったのか、ふいっと視線を逸らす土方の視線をまた追い掛けて顔を覗き込む。

「副長?」
「ああ、行かないってんならいいんだ。 悪ぃな、手間を取らせた」

 そうだ先触れの手紙を出したいから飛脚問屋に……と言いかけた所で、 は畳み掛けるように、

「ふ、く、ちょう?」

 と言葉を区切ってさらに膝をにじり寄せた。 
 これにはさすがの土方も諸手を上げて降参するしかなかった。

「わ、わかったわかった! 迫ってくるのはやめろ!」
「じゃ、訳をきかせてください」
「あー……いやその、伊東の野郎がよ、お前を東帰の供として推選したんだよ」

 もちろん土方は反対した。 山南も(表立っては)居なくなり、自分も伊東も側を離れるとあっては局長の近藤の補佐に何かと気が付く小姓がいたほうが絶対に良いに決まって居るという理由で。
 他の幹部に任せれば良いとの伊東の弁だったが、そういったことを任せる事のほうが論外の幹部のほうが多いし、監察部に補佐を頼もうにもあちらはあちらで忙しい。
 信がおけて頼りになるのは井上くらいだが、井上一人に任せるには負担が大きい。
 逆に伊東が を推した理由は、何かと細かい所に気付く所もあるので道中の世話役としてももちろんの事だが、見目の柔さを裏切る剣技の持ち主なので、隊士募集の試験係に使いたいと言う事だったという。

「伊東さんが、私をですか?」
「……お前、伊東が来た時から住まいをととのえたり細々した用事を足したりして面倒見てやってただろ。 そのせいかあいつが妙に気にいってるみたいなんだよ。 あいつの場合、衆道趣味は表立ってはねえようだが、女のほうが良いって奴でも、見目が良い男なら味見くらいはってのはけっこういるからな」

  はギクリと身をすくませた。衆道……男が男を恋愛対象とする習慣がこの国にはある。

「伊東もそうだと思いたくはねぇが、見目の良い男は好みみたいだし……お前、そういう輩と江戸まで行きてぇか?」
「全面的に遠慮させていただきます」

 どっちの言い分ももっともなので、とにかく本人に聞いてみてどうするか選ばせようという事にした。

「ま、お前を試験官に使おうって手は、俺もいい案だと思ったがな。 何せホレ、その優男っぷりだろ? どうせあなどって油断して掛かるような奴はその場でたたきのめして落選にしてやりゃあいい」

 戦う前から相手の外見に騙されて油断するような奴ぁ隊士として論外だという意見だけは、土方も伊東の言い分に賛成だった。

「見目の事はともかく、腕を買ってそうおっしゃってくださる点については、お二人に感謝しますが……やはり我が身は可愛いです」
「だよなぁ。 俺も道中となると目が行き届かない部分もあるからな、断ってくれてホッとしたぜ」
「それに、旅となればいつでも逃げ出す機会ありと見て、出立前に殺されてはたまりませんから」

 土方は冷めた茶の入った湯飲みに伸ばしかけた手を思わず止めた。
 この男にしては珍しいくらいの動揺のみせかただったが、 は気付かぬ素振りで言葉を続ける。

「身内可愛さに逃げ出しはしないと証し立てるものが私には何もありませんから。 それなりに働く事を許してくださっているとはいえ、それは幹部の方々の目が届く範囲においての事でしょう」
「お前……」
「疑わしき行いがあるなら斬ってしまったほうが後くされがありません。 ましてや私は組織の機密の一部なりとも触れてしまった身……さらにあなたがたの受けのよろしくない伊東先生になにかと接触をもたれているとあっては、いくら局長・副長のご用事とはいえ旅に出すなど長い間目を離すような信用などおけませんでしょう」

 あの時の沖田との会話を聞かれていたのかとひやりとしたが、確かに立ちさる足音を聞いてから話をしたし、気配もなかった。
 障子一枚へだてて直ぐ側にいるような気配を察する事ができないほど、自分も沖田も鈍った覚えはないから、聞かれてはいないはずだ。
 それなのに、ここまで自分の置かれた危うい立場を察しているとは。
 そして実際、やりかねない者がいることもきちんと把握しているときた。
 土方は参ったというふうにため息をついたあと、湯飲みを取って冷めて不味くなった茶を一気に呷った。

「あー……伊東にゃ、俺から説明しておく。 下がっていいぞ」
「失礼します」

  は一礼すると、副長室を辞した。
 この数日後、土方、伊東、斎藤の3人は江戸へと下る。
 この頃、東海道を通っての京と江戸との往復は、男の足で二週間〜三週間程度。
 途中難所もあれば天候の悪化で川が氾濫して足留めを食うこともあったが、この時は幸い目立った遅れも出ず無事に江戸に着いたあとは先行していた藤堂と合流し、順調に隊士の募集を行う事が出来た。
 桜も散り、若葉も色を濃くする5月の上旬、土方一行は新入隊士53名を従えて京に戻って来た。
 隊の人数が増えた事もあり、隊を十組に分けた上で組長を補佐する伍長などを配する編成変えが行われたりもした。
  は新入隊士の配置を決めるための腕試しで大活躍。優男と侮ってかかってきた者たちを残らず打ち据え、同じ試験官の沖田にやんやの喝采を頂戴した。
 沖田も沖田で意地が悪く、剣の腕ならひとかどの覚えがある連中を相手に1対多数の多人数掛けを仕掛け、 に打ちのめされた所にさらに追い討ちをかけていた。
 もっともこれを切り抜けられないような奴は早々に斬られて死ぬだろうと、幹部も元から居た隊士たちも同情はしていない。
 新入隊士が新選組という場所が生半可な腕と覚悟で勤まる所ではないと身をもって知ったあと、 は彼等のために医者を呼んでやった。

 汗を拭き、部屋で一服していると伊東が手に包みを持ってやってきた。

「先ほどはお疲れさま。 なかなかどうして、錦絵から出てきたような若武者っぷりだったわよ」
「あ、これは伊東先生」
「ああ、楽なままでいいわ」

 袴もつけない格好で座ぶとんを枕に畳に伸びていただらしない格好から飛び起きて、姿勢を正そうとする を伊東は笑って止めて、自分も敷物なしに畳みの上に座った。
  は慌てて座ぶとんを差し出そうとしたが、すぐ済む用事だから良いと伊東は手にしていた包みを解くと白木の薄い箱を の前に置いた。

「江戸のお土産。 開けてご覧なさいな」
「私に……ですか?」
「そうよ。 この間も短冊を貸してもらっちゃったし、日頃から江戸から来た皆が何かとお世話になっているしね」

  にとってみれば小姓の仕事の範囲内でやっているだけなのだが、伊東はそれが嬉しいらしい。
 開けてみろと促されて、箱の蓋を持ち上げ中から出てきたのは、夏草を描いた紙を張った団扇と、色とりどりの張り替え用の紙が十枚以上。夏から秋にかけての草花、上等な白無地、江戸名所図など様々な種類がある。
 団扇の骨も竹の節を丁寧に削って煙で燻して色を付け艶を出した上等なものだ。

「扇子なら京都の品のほうが質が良いから、あなたの趣味にあわせた江戸物ならやっぱりこっちだろうって。無地や箔刷りもいれておいたから、気に入った俳句や短歌が出来たらそれに書き込んで張り替えるのもまた風流でいいわよ。 気に入ってもらえたかしら?」
「ありがとうございます、とても素晴らしい」

 丁寧に礼をして、団扇のつやつやとした持ち手を持ってみる。軽く仰ぐと骨のほうもしなやかでよく風が起こる。 まさにこれからの季節にまさにぴったりの品だった。
 そのうえ、持ち帰るにもたいしてかさ張らない。

「喜んでもらえて嬉しいわ。 これからも何かと面倒をかけるでしょうけれど、よろしくね」

 伊東が笑顔で部屋を立ち去るのを、廊下に出て一礼して見送る。

 いつか井上が言っていたが、確かに悪い人ではない。 本当にただちょっと、立ち居振る舞いがアレで時々言葉が刺さるというくらいで。
 悪い人ではないだけに、自分の立場上あまり接触をもたれてもよろしくない人なのだが露骨に拒む事もできない。

「……しかも土産物の趣味も良い、ときたらもう否のうちどころが……はぁ、嬉しいけど困ったもんだ……」

 伊東よりも先に、土方が旅装を解くなり『土産だ』と言って渡しに来たものが『江戸名物・浅草海苔』だったことを思えば、やはりその差は歴然に思えた。










◇◇◇◇◇










「ケホッ、ケホ……」
「あれ、夏風邪ですか沖田さん」
「んー、かもしれない。 ちょっと喉がね……塩水もらえる? 喉を漱いでおくから」

 厨房の裏口から顔を出した沖田は喉元を押さえていた。 稽古で気合いの声を発しすぎて喉を切ってしまったのかもしれないから、そういう時はさました茶や塩水で喉を漱いでおくと良い。
 大きめの湯飲みに塩水を作って渡してやると、沖田はありがとうと礼を言ってそれを受け取って、井戸端へ行って喉を漱ぎはじめた。
 それでもやっぱり調子が悪いらしく、咳をしている。

「大丈夫ですか?」
「あー…多分稽古で大声出しすぎたせいもあるんだけれど、ここの所連日布団を蹴ってたらしくてさ。 そっちかもしれない」
「そうですね、そろそろ朝夕とはいえ寝苦しい季節になってきたことですし」
「土方さんには黙っておいてよね、あの人けっこう過保護だから」

 喉を摩る沖田の顔を、 は腰に手を当てにんまりと笑って見上げた。それはもう、日頃のお返しとばかりに。

「夏風邪の事ですか? それとも子供みたいに布団をけっとばしてお腹だして寝てた事ですか?」
「両方。 あのさあ、君ほんといい性格になったよね」
「誰かさんのお陰様をもちまして」

 そう切り返されてしまっては、さすがの沖田もお手上げで降参の意味で軽く肩を竦めて苦笑した。

「……喉には飴湯に生姜を入れたものも良いそうです。 非番なんで菓子屋に行こうと思ってたとこですから、買ってきますよ」
「そっか、悪いけどお願いできる?」

 稽古後なので、このままここで汗を拭いていくという沖田と分かれて、 は部屋に戻って身支度をすると外出届けを出して京の町に出た。
 普通、隊士は夜の門限さえ守れば非番の日は外出自由なのだが、 は立場の事もあり自発的に外出届けを出し行き先を明らかにしていた。
 用事のある店を回ったあと、菓子屋に立ち寄り水飴を買う。
 屯所に帰る途中、夏の日射しに耐えかねて茶屋に立ち寄り一服していると、百歩も歩いた先の通りの角のあたりがにわかに騒がしくなった。
 身を乗り出して通りを見ると、鮮やかな振袖姿の娘が粗雑な身なりの数人の侍に囲まれて難癖をつけられている様子だった。
 娘が走って逃げられないように手首を掴んで迫っているあたり、やり方が何とも乱暴だ。

「お代、ここに置くよ」
「お武家様? お止めなさいまし」

 あいつら、志士とは名ばかりの質の悪い輩に違いありませんよと引き止める店の者を振り返り、悪いが縄を用意しておいてくれと頼むと は大股に騒ぎの起こっている方へと近付いた。
 近付いてみれば侍たちの言い分は聞くに耐えないもので、見目麗しい娘に酌を強要しているばかりか市場で魚の品定めをしているかのように上から下までなめ回すように視線を這わせている。
 八割方、酌だけで済ます気がないのは明白だったし、国事に奔走する自分たちのために彼女が身を捧げることはさも当然のような口ぶりにも腹がたった。

「おい、そこの。 攘夷志士ってな、三人掛かりでなきゃ女も口説けないってか? 見てらんないな」

  のあからさまな挑発に、娘に絡む3人の侍と遠巻きにそれを見守って居た町衆の目が一気に彼女のほうへと向いた。

「はは、いかにももてない面してやがる。 お前等みたいな下衆な連中に口にされたのでは、攘夷って言葉も嘆くだろうよ」

 侍3人は、挑発的な言葉を吐いてくるのが刀こそ差しているものの細身の優男であることに下卑た笑みを浮かべ、一人が娘の手をひねりあげたままで、二人がその軽口後悔させてくれるとばかりに刀を抜いて の斜前左右に位置どって構えた。

「どうせ志も持たぬような食い詰め浪人の分際で! 我らを愚ろうしたこと、とくと地獄で後悔せい!」
「ふん、緩い鯉口だ。 その刃にものを言わせる気にしても、お前等の口にする攘夷がどれだけ軽いか分かるってもんだ」

  は腰の大刀を鞘ごと抜き取り、下げ緒で鞘と鍔をしっかり結び付けて抜けないようにした。」

「あいにく、抜いちまうと私闘になるんでね。 こいつで相手をしてやるよ」
「どこまでも馬鹿にしおって! 切り刻んでくれるわ!」

 左右の同時掛けをしかけられたが、 のほうが格段に早い。 町衆の中から悲鳴が上がったが、悲鳴が掠れる前に は右へ跳び、手にした鞘を振り下ろして自分を挟み撃ちにしてしとめようとして居た侍の後ろ頭を強かに打ちすえた。
 ゴチンと景気の良い音とともに地べたに転がるひとりを目の前にして、もうひとりがぎょっと目を丸くするが体勢をたてなおす間など与えない。
  は返す鞘を跳ね上げてもうひとりの手首を打ち、刀を落とさせると腕ごと跳ね上げられた事でがら空きになった胴体に前蹴りを叩き込む。
 みぞおちに深く入った蹴りに腹を押さえて地面に転がるそいつの後ろあたまも一発蹴って気絶させ、悠々とした仕種で残る一人に向き直った。

「さてと」
「ひっ……」

 余裕しゃくしゃくの表情を向ける に、残る一人の顔は露骨に引き攣った。捕まえた娘の手を背中にねじりあげ、もう片手で抜いた脇差しを娘の首筋に当てる。

「て、てめぇ……よくもやってくれたな! けれどこれがみえねぇ訳じゃねえだろう、獲物を捨ててもらおうか!」

 攘夷という言葉をおもちゃにしているだけならまだともかく、どうやら、本当に唾棄すべき輩のようだ。

「女の背中に隠れなきゃ物も言えねぇような奴が国事を語るなんて、おかしくってヘソで茶が沸くね。 ああ、浅葱羽織……新選組が来たな、おーいこっちだ」

  が男の背後に向かって手を振ると、男はあわてて後ろを振り返った。新選組の評判はこの手の雑魚にも届いているらしい。
 しかし、そのくらいで目の前の敵から目を逸らすとは愚かな事だ。
  は音もなく間合いを詰めて、無防備にさらけ出された侍のこめかみめがけてひょいと鞘を突き出した。

「ゲッ!?」
「きゃ……」

 頭が横にずれたんじゃないかという勢いで体勢を崩した侍の腕の中から、軽々と娘を救い出す。
 素早く背後に庇い、先ほどの言葉が嘘だと気付いてこちらをむいた侍のみぞおちに、もう一発鋭い突きを入れた。
 もんどりうって地面に倒れた侍は、口から黄色い胃液を吐きながら悶絶する羽目となった。

「ハッタリに引っ掛かりやがって、喧嘩の最中に目を逸らす奴があるか。 娘さん、大丈夫だったかい?」
「え……ええ……。 大丈夫です……」

 気丈に振る舞っているが、やはり恐ろしかったのだろう。掴まれた手首を押さえて小さく震えている。
 よく見れば大変な美人で、結い上げた髪もつややか、整った顔だちの上に化粧など必要のないほど滑らかな肌をしている。
 そんな彼女が青ざめる様子は、男でなくてもそそられるものがある。
  は娘を先程自分がいた茶屋の奥に連れてゆき、店員に話して茶を一杯だしてやってくれと話し休ませたあと、用意してもらった縄でぶちのめした侍たちを縛り上げた。

「路地裏に捨てたら迷惑だよなぁこいつら。 あの、すみませんが町衆の中に奉行所にひとっ走りしてくれる方はいませんかね?」

  がすまなそうに野次馬たちを見回すと、数人が名乗り出てくれたので彼等に奉行所に連絡を頼み、不逞の輩を引き取ってくれるように手配した。
 ほどなく役人がやってきて、気絶させておいた三人を叩き起こして引き立てていく。
 奉行所なら新選組の屯所よりはマシな扱いになるだろうと思いつつ、不逞の輩が役人に連れていかれるのを見送り、集まった町衆に騒がせた事を詫びてから は娘を休ませている茶屋へと引き返した。

「騒ぎはおちついたよ、もう安心だ。 親父さん、さっきの娘さんの様子はどうだい?」

 奥の席で娘を休ませてくれていた店の親父がにこりと笑い、こちらも大丈夫だと返してくれた。
 見ると娘は顔色を取り戻し、震えていた手元も落ち着いたようだった。
  の姿を見ると席から立ち上がり、礼儀正しく手を前で組んで深く一礼した。

「助けて下さりありがとうございます。 私、南雲薫と申します。 お店の方も、ご迷惑をおかけしました」
「手、大丈夫かい?」
「はい、もうどこも」

 薫と名乗った娘は微笑んで、着物の上から先程掴まれていた手首のあたりを撫でた。

「薫さん、さしでがましいようだけれど振袖の若い娘さんがこの御時世の町をひとり歩きはさすがに不用心だぞ。 誰かお供をつけたほうがいい。 それとも供がいたけれどはぐれてしまったのかい?」
「いえ、近い場所に出かけるものでしたから、まさかこんな事になるとは思わずに一人で出て来てしまったんです」

 確かに不用心でしたと、薫は気落ちした表情で顔を伏せた。

「そうか、何なら私が送っていこう。 送り狼にはなったりしないから、安心してくれ」
「ま……面白い方。 そうですね、先程のような事があるといけませんし、ここからもう近い事ですし。 大した手間にはならないと思いますので、お言葉に甘えてもよろしいでしょうか」
「ああ、いいとも」

  は茶屋に薫の分の代金を支払おうとしたが、これは主人が『景気の良いものを見せてもらった礼だ』ということでまけてくれた。
 有難く言葉にあまえる事にし、 は娘と連れ立って店を出た。
 薫の言う通り、目的地はたいした距離ではなく通り一本隔てて少し下った程度の場所で、先の大火を運良く免れた小さな町家だった。
 薫曰く、知り合いの商人の別宅なのだという。

「では、私はこれで」
「お待ち下さい、せめてお茶の一杯なりとも」

 薫を玄関まで送りとどけ、 が帰ろうとするとその薫が袖を引いて引き止めた。
 助けてもらった上に送り届けてもらう世話までかけて、とんぼ帰りさせたのではいくらなんでも礼を失するから、せめてひと休みしていってくれと言われたが、 は丁寧にその厚意を辞退した。

「それでは、せめてお名前をお聞かせ下さいまし」
「ああ、そういえば名乗っていませんでした。 私は五条 といいます。 では、これにて」

  は薫の見送りを受けて家を出た。
  の背が角のむこうに消えるのを確かめて、薫は家の中に戻るとふぅっとため息をついた。

「はぁ……驚いた。 まさかこんな所で会うなんてね。 あいつの姉さんだよね……」

 先程までのしとやかな娘の顔はどこへやら。 そのまま適当な一室へ入るとさっさと帯を解き、頭の飾りと入れ髪を外し、衣装箱の中から用意してあった洋装を取り出しててきぱきとそれを身につける。
 身支度を終えると、実に絵になる洋装の少年武官の出来上がりとなった。

「仕方が無いとはいえ、御苦労な事だぜ」
「不知火か。 気配を消して入ってくるのは止めてくれと言ってあるだろう」

 いつの間にか部屋に入ってきていた男が、薫が脱ぎ捨てた帯を拾い上げその硬さにこれを胴体に巻き付けたらさぞや窮屈だろうと顔をしかめている。

「不知火」
「あん?」
「風間たちはいつ頃こちらに来る事になっている?」
「ああ、もう半月もかからねぇとは思うが。 しかし、縁は奇なもの……とはよく言ったもんだね」

 帯を畳に落とした不知火は、妙に何かに感じ入った様子で言う。

「一番びっくりしたのは綱道おじさんだと思うよ。 やっと幕府の手から逃れて一族の元へ落ちつけそうだから江戸で待ってるはずの娘を呼ぼうとしたら娘は行方知れず。 人を使って探してもらったら、その娘はなんと古巣に……新選組にいるときた」

 あそこがいろんな意味で手強いことはおじさん自身が知っている事だから、さぞ頭を抱えた事だろうと薫も肩を落とす。

「でもよぉ、それが本当にお前の妹だってなら」
「ああ……間違い無く、東の鬼の正統だよ。 もう記憶にも乏しいけれど……母様は東の鬼の中でもっとも純血に近い鬼だったって聞いた事がある。 それは綱道おじさんも保証してくれたでしょ?」

 純血の女鬼か、と不知火はつぶやいた。 薫の目に宿る、どこか昏い光には気付かない様子で。
 幼い日に生き別れたという妹の事を話す時の薫の目が、不知火は気に食わない。
 昏い笑みはもともとだったが、妹が綱道に育てられていたという事実を知ってからことさらその光が沈んだものになった気がする。

「……西の鬼族は、いいかげん血が濃いからな……鬼の血の濃い連中は皆どこかしら親戚筋ときた。 いいかげん、外から新しい血を入れないことには血が腐ってまともな子がうまれなくなっちまう。 風間の家が焦るのも、分かる気がするけどよ」
「とにもかくにも、新選組に匿われているのが本当に妹の『千鶴』なのか、確かめないことには始まらないね。 ……それと、不知火」

 あれの姉さんに会ったよと薫が言うと、不知火は意外そうな顔をして薫を見つめた。

「そりゃあ本当に、『縁は奇なるもの』だなぁ。 どうして知り合ったんだ?」
「振り袖で外を歩いてたら、例によって絡まれてさ。 そこを助けてくれたよ。 最初は細身の男の人かと思ったんだけれど、よーく見ると女の人だった」

 その女の人に、いかにもこわもての侍がたちまち叩き伏せられてるんだから見物人の喝采がすごかったと、その時を思いだして薫はクスリと笑みを零した。

「本当に、よく似てる。 でもさすがに、弟のほうが大きくなってきちゃったのかな、あっちに比べて線が細いし、おまけに美人さんだったよ」
「美人っていうか……まぁ確かに、凄みのある女だよな。 俺はなよなよした女よりは、ああいうのが好みだ」

 あれが鬼だったらな、ああ勿体無いと不知火は首を左右に振る。
 脱ぎ捨てた着物を片付けつつ、薫は不知火に笑みを向ける。

「いいんじゃない、攫っちゃえば?」
「はぁ?」

 素頓狂な声をあげる不知火に、だってと薫は続けた。

「鬼の男が、人間の女を攫うのは昔っからよくある話じゃない。 人間の間じゃ『女の人は取って食われちゃいました』なんて話が広まってるようだけれど、その実は妻にして一緒に暮らしてる事のほうが多いしね」
「あのなぁ……それで血が薄まって、今大問題になってるんだろうが。 俺の家でそれやってみろ、親兄弟にブチ殺されるぜ」

 そうでなくても血統を守ってくれる姉妹がいないから、何としても兄弟の誰かが女の子を作らなきゃ後がねぇんだぞと不知火は片手で自分の目元を押さえた。
 実際、不知火家も西の鬼の当主・風間家ほどではないにせよ鬼の血の濃い家柄だ。そこへ人間の血などまぜようものなら笑い事ではすまなくなる。
 自分だけが殺されたりするならまだしも、妻子までこれ以上鬼の男を惑わしたり、子供が育って鬼の血を薄めないように始末されてしまう事だってあるのだ。

「ま、その人間の女をどうするかはともかくとして、だ。 俺ぁ風間たちの到着を待って、女鬼が本物か確かめてくるぜ」
「そう。 僕は予定どおり、薩摩藩の人がこちらに来ているだろうから、話し合いをしたりするよ。 そうそう、持ち主の人が京にいる間はこの家を適当に使ってくれていいってさ」
「そうか、ありがてぇ」

 じゃあ自分は一旦長州の奴と連絡とってくるわと、不知火も出かけていった。
 薫も夜を待って裏口を潜り、闇に沈む路地にすっと姿を消す。
 将軍上洛も近付いた夏の夜、京の町は今は静かに眠りについていた。




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