◇◇◇◇◇
「ケホッ、ケホ……」
「あれ、夏風邪ですか沖田さん」
「んー、かもしれない。 ちょっと喉がね……塩水もらえる? 喉を漱いでおくから」
厨房の裏口から顔を出した沖田は喉元を押さえていた。 稽古で気合いの声を発しすぎて喉を切ってしまったのかもしれないから、そういう時はさました茶や塩水で喉を漱いでおくと良い。
大きめの湯飲みに塩水を作って渡してやると、沖田はありがとうと礼を言ってそれを受け取って、井戸端へ行って喉を漱ぎはじめた。
それでもやっぱり調子が悪いらしく、咳をしている。
「大丈夫ですか?」
「あー…多分稽古で大声出しすぎたせいもあるんだけれど、ここの所連日布団を蹴ってたらしくてさ。 そっちかもしれない」
「そうですね、そろそろ朝夕とはいえ寝苦しい季節になってきたことですし」
「土方さんには黙っておいてよね、あの人けっこう過保護だから」
喉を摩る沖田の顔を、
は腰に手を当てにんまりと笑って見上げた。それはもう、日頃のお返しとばかりに。
「夏風邪の事ですか? それとも子供みたいに布団をけっとばしてお腹だして寝てた事ですか?」
「両方。 あのさあ、君ほんといい性格になったよね」
「誰かさんのお陰様をもちまして」
そう切り返されてしまっては、さすがの沖田もお手上げで降参の意味で軽く肩を竦めて苦笑した。
「……喉には飴湯に生姜を入れたものも良いそうです。 非番なんで菓子屋に行こうと思ってたとこですから、買ってきますよ」
「そっか、悪いけどお願いできる?」
稽古後なので、このままここで汗を拭いていくという沖田と分かれて、
は部屋に戻って身支度をすると外出届けを出して京の町に出た。
普通、隊士は夜の門限さえ守れば非番の日は外出自由なのだが、
は立場の事もあり自発的に外出届けを出し行き先を明らかにしていた。
用事のある店を回ったあと、菓子屋に立ち寄り水飴を買う。
屯所に帰る途中、夏の日射しに耐えかねて茶屋に立ち寄り一服していると、百歩も歩いた先の通りの角のあたりがにわかに騒がしくなった。
身を乗り出して通りを見ると、鮮やかな振袖姿の娘が粗雑な身なりの数人の侍に囲まれて難癖をつけられている様子だった。
娘が走って逃げられないように手首を掴んで迫っているあたり、やり方が何とも乱暴だ。
「お代、ここに置くよ」
「お武家様? お止めなさいまし」
あいつら、志士とは名ばかりの質の悪い輩に違いありませんよと引き止める店の者を振り返り、悪いが縄を用意しておいてくれと頼むと
は大股に騒ぎの起こっている方へと近付いた。
近付いてみれば侍たちの言い分は聞くに耐えないもので、見目麗しい娘に酌を強要しているばかりか市場で魚の品定めをしているかのように上から下までなめ回すように視線を這わせている。
八割方、酌だけで済ます気がないのは明白だったし、国事に奔走する自分たちのために彼女が身を捧げることはさも当然のような口ぶりにも腹がたった。
「おい、そこの。 攘夷志士ってな、三人掛かりでなきゃ女も口説けないってか? 見てらんないな」
のあからさまな挑発に、娘に絡む3人の侍と遠巻きにそれを見守って居た町衆の目が一気に彼女のほうへと向いた。
「はは、いかにももてない面してやがる。 お前等みたいな下衆な連中に口にされたのでは、攘夷って言葉も嘆くだろうよ」
侍3人は、挑発的な言葉を吐いてくるのが刀こそ差しているものの細身の優男であることに下卑た笑みを浮かべ、一人が娘の手をひねりあげたままで、二人がその軽口後悔させてくれるとばかりに刀を抜いて
の斜前左右に位置どって構えた。
「どうせ志も持たぬような食い詰め浪人の分際で! 我らを愚ろうしたこと、とくと地獄で後悔せい!」
「ふん、緩い鯉口だ。 その刃にものを言わせる気にしても、お前等の口にする攘夷がどれだけ軽いか分かるってもんだ」
は腰の大刀を鞘ごと抜き取り、下げ緒で鞘と鍔をしっかり結び付けて抜けないようにした。」
「あいにく、抜いちまうと私闘になるんでね。 こいつで相手をしてやるよ」
「どこまでも馬鹿にしおって! 切り刻んでくれるわ!」
左右の同時掛けをしかけられたが、
のほうが格段に早い。 町衆の中から悲鳴が上がったが、悲鳴が掠れる前に
は右へ跳び、手にした鞘を振り下ろして自分を挟み撃ちにしてしとめようとして居た侍の後ろ頭を強かに打ちすえた。
ゴチンと景気の良い音とともに地べたに転がるひとりを目の前にして、もうひとりがぎょっと目を丸くするが体勢をたてなおす間など与えない。
は返す鞘を跳ね上げてもうひとりの手首を打ち、刀を落とさせると腕ごと跳ね上げられた事でがら空きになった胴体に前蹴りを叩き込む。
みぞおちに深く入った蹴りに腹を押さえて地面に転がるそいつの後ろあたまも一発蹴って気絶させ、悠々とした仕種で残る一人に向き直った。
「さてと」
「ひっ……」
余裕しゃくしゃくの表情を向ける
に、残る一人の顔は露骨に引き攣った。捕まえた娘の手を背中にねじりあげ、もう片手で抜いた脇差しを娘の首筋に当てる。
「て、てめぇ……よくもやってくれたな! けれどこれがみえねぇ訳じゃねえだろう、獲物を捨ててもらおうか!」
攘夷という言葉をおもちゃにしているだけならまだともかく、どうやら、本当に唾棄すべき輩のようだ。
「女の背中に隠れなきゃ物も言えねぇような奴が国事を語るなんて、おかしくってヘソで茶が沸くね。 ああ、浅葱羽織……新選組が来たな、おーいこっちだ」
が男の背後に向かって手を振ると、男はあわてて後ろを振り返った。新選組の評判はこの手の雑魚にも届いているらしい。
しかし、そのくらいで目の前の敵から目を逸らすとは愚かな事だ。
は音もなく間合いを詰めて、無防備にさらけ出された侍のこめかみめがけてひょいと鞘を突き出した。
「ゲッ!?」
「きゃ……」
頭が横にずれたんじゃないかという勢いで体勢を崩した侍の腕の中から、軽々と娘を救い出す。
素早く背後に庇い、先ほどの言葉が嘘だと気付いてこちらをむいた侍のみぞおちに、もう一発鋭い突きを入れた。
もんどりうって地面に倒れた侍は、口から黄色い胃液を吐きながら悶絶する羽目となった。
「ハッタリに引っ掛かりやがって、喧嘩の最中に目を逸らす奴があるか。 娘さん、大丈夫だったかい?」
「え……ええ……。 大丈夫です……」
気丈に振る舞っているが、やはり恐ろしかったのだろう。掴まれた手首を押さえて小さく震えている。
よく見れば大変な美人で、結い上げた髪もつややか、整った顔だちの上に化粧など必要のないほど滑らかな肌をしている。
そんな彼女が青ざめる様子は、男でなくてもそそられるものがある。
は娘を先程自分がいた茶屋の奥に連れてゆき、店員に話して茶を一杯だしてやってくれと話し休ませたあと、用意してもらった縄でぶちのめした侍たちを縛り上げた。
「路地裏に捨てたら迷惑だよなぁこいつら。 あの、すみませんが町衆の中に奉行所にひとっ走りしてくれる方はいませんかね?」
がすまなそうに野次馬たちを見回すと、数人が名乗り出てくれたので彼等に奉行所に連絡を頼み、不逞の輩を引き取ってくれるように手配した。
ほどなく役人がやってきて、気絶させておいた三人を叩き起こして引き立てていく。
奉行所なら新選組の屯所よりはマシな扱いになるだろうと思いつつ、不逞の輩が役人に連れていかれるのを見送り、集まった町衆に騒がせた事を詫びてから
は娘を休ませている茶屋へと引き返した。
「騒ぎはおちついたよ、もう安心だ。 親父さん、さっきの娘さんの様子はどうだい?」
奥の席で娘を休ませてくれていた店の親父がにこりと笑い、こちらも大丈夫だと返してくれた。
見ると娘は顔色を取り戻し、震えていた手元も落ち着いたようだった。
の姿を見ると席から立ち上がり、礼儀正しく手を前で組んで深く一礼した。
「助けて下さりありがとうございます。 私、南雲薫と申します。 お店の方も、ご迷惑をおかけしました」
「手、大丈夫かい?」
「はい、もうどこも」
薫と名乗った娘は微笑んで、着物の上から先程掴まれていた手首のあたりを撫でた。
「薫さん、さしでがましいようだけれど振袖の若い娘さんがこの御時世の町をひとり歩きはさすがに不用心だぞ。 誰かお供をつけたほうがいい。 それとも供がいたけれどはぐれてしまったのかい?」
「いえ、近い場所に出かけるものでしたから、まさかこんな事になるとは思わずに一人で出て来てしまったんです」
確かに不用心でしたと、薫は気落ちした表情で顔を伏せた。
「そうか、何なら私が送っていこう。 送り狼にはなったりしないから、安心してくれ」
「ま……面白い方。 そうですね、先程のような事があるといけませんし、ここからもう近い事ですし。 大した手間にはならないと思いますので、お言葉に甘えてもよろしいでしょうか」
「ああ、いいとも」
は茶屋に薫の分の代金を支払おうとしたが、これは主人が『景気の良いものを見せてもらった礼だ』ということでまけてくれた。
有難く言葉にあまえる事にし、
は娘と連れ立って店を出た。
薫の言う通り、目的地はたいした距離ではなく通り一本隔てて少し下った程度の場所で、先の大火を運良く免れた小さな町家だった。
薫曰く、知り合いの商人の別宅なのだという。
「では、私はこれで」
「お待ち下さい、せめてお茶の一杯なりとも」
薫を玄関まで送りとどけ、
が帰ろうとするとその薫が袖を引いて引き止めた。
助けてもらった上に送り届けてもらう世話までかけて、とんぼ帰りさせたのではいくらなんでも礼を失するから、せめてひと休みしていってくれと言われたが、
は丁寧にその厚意を辞退した。
「それでは、せめてお名前をお聞かせ下さいまし」
「ああ、そういえば名乗っていませんでした。 私は五条
といいます。 では、これにて」
は薫の見送りを受けて家を出た。
の背が角のむこうに消えるのを確かめて、薫は家の中に戻るとふぅっとため息をついた。
「はぁ……驚いた。 まさかこんな所で会うなんてね。 あいつの姉さんだよね……」
先程までのしとやかな娘の顔はどこへやら。 そのまま適当な一室へ入るとさっさと帯を解き、頭の飾りと入れ髪を外し、衣装箱の中から用意してあった洋装を取り出しててきぱきとそれを身につける。
身支度を終えると、実に絵になる洋装の少年武官の出来上がりとなった。
「仕方が無いとはいえ、御苦労な事だぜ」
「不知火か。 気配を消して入ってくるのは止めてくれと言ってあるだろう」
いつの間にか部屋に入ってきていた男が、薫が脱ぎ捨てた帯を拾い上げその硬さにこれを胴体に巻き付けたらさぞや窮屈だろうと顔をしかめている。
「不知火」
「あん?」
「風間たちはいつ頃こちらに来る事になっている?」
「ああ、もう半月もかからねぇとは思うが。 しかし、縁は奇なもの……とはよく言ったもんだね」
帯を畳に落とした不知火は、妙に何かに感じ入った様子で言う。
「一番びっくりしたのは綱道おじさんだと思うよ。 やっと幕府の手から逃れて一族の元へ落ちつけそうだから江戸で待ってるはずの娘を呼ぼうとしたら娘は行方知れず。 人を使って探してもらったら、その娘はなんと古巣に……新選組にいるときた」
あそこがいろんな意味で手強いことはおじさん自身が知っている事だから、さぞ頭を抱えた事だろうと薫も肩を落とす。
「でもよぉ、それが本当にお前の妹だってなら」
「ああ……間違い無く、東の鬼の正統だよ。 もう記憶にも乏しいけれど……母様は東の鬼の中でもっとも純血に近い鬼だったって聞いた事がある。 それは綱道おじさんも保証してくれたでしょ?」
純血の女鬼か、と不知火はつぶやいた。 薫の目に宿る、どこか昏い光には気付かない様子で。
幼い日に生き別れたという妹の事を話す時の薫の目が、不知火は気に食わない。
昏い笑みはもともとだったが、妹が綱道に育てられていたという事実を知ってからことさらその光が沈んだものになった気がする。
「……西の鬼族は、いいかげん血が濃いからな……鬼の血の濃い連中は皆どこかしら親戚筋ときた。 いいかげん、外から新しい血を入れないことには血が腐ってまともな子がうまれなくなっちまう。 風間の家が焦るのも、分かる気がするけどよ」
「とにもかくにも、新選組に匿われているのが本当に妹の『千鶴』なのか、確かめないことには始まらないね。 ……それと、不知火」
あれの姉さんに会ったよと薫が言うと、不知火は意外そうな顔をして薫を見つめた。
「そりゃあ本当に、『縁は奇なるもの』だなぁ。 どうして知り合ったんだ?」
「振り袖で外を歩いてたら、例によって絡まれてさ。 そこを助けてくれたよ。 最初は細身の男の人かと思ったんだけれど、よーく見ると女の人だった」
その女の人に、いかにもこわもての侍がたちまち叩き伏せられてるんだから見物人の喝采がすごかったと、その時を思いだして薫はクスリと笑みを零した。
「本当に、よく似てる。 でもさすがに、弟のほうが大きくなってきちゃったのかな、あっちに比べて線が細いし、おまけに美人さんだったよ」
「美人っていうか……まぁ確かに、凄みのある女だよな。 俺はなよなよした女よりは、ああいうのが好みだ」
あれが鬼だったらな、ああ勿体無いと不知火は首を左右に振る。
脱ぎ捨てた着物を片付けつつ、薫は不知火に笑みを向ける。
「いいんじゃない、攫っちゃえば?」
「はぁ?」
素頓狂な声をあげる不知火に、だってと薫は続けた。
「鬼の男が、人間の女を攫うのは昔っからよくある話じゃない。 人間の間じゃ『女の人は取って食われちゃいました』なんて話が広まってるようだけれど、その実は妻にして一緒に暮らしてる事のほうが多いしね」
「あのなぁ……それで血が薄まって、今大問題になってるんだろうが。 俺の家でそれやってみろ、親兄弟にブチ殺されるぜ」
そうでなくても血統を守ってくれる姉妹がいないから、何としても兄弟の誰かが女の子を作らなきゃ後がねぇんだぞと不知火は片手で自分の目元を押さえた。
実際、不知火家も西の鬼の当主・風間家ほどではないにせよ鬼の血の濃い家柄だ。そこへ人間の血などまぜようものなら笑い事ではすまなくなる。
自分だけが殺されたりするならまだしも、妻子までこれ以上鬼の男を惑わしたり、子供が育って鬼の血を薄めないように始末されてしまう事だってあるのだ。
「ま、その人間の女をどうするかはともかくとして、だ。 俺ぁ風間たちの到着を待って、女鬼が本物か確かめてくるぜ」
「そう。 僕は予定どおり、薩摩藩の人がこちらに来ているだろうから、話し合いをしたりするよ。 そうそう、持ち主の人が京にいる間はこの家を適当に使ってくれていいってさ」
「そうか、ありがてぇ」
じゃあ自分は一旦長州の奴と連絡とってくるわと、不知火も出かけていった。
薫も夜を待って裏口を潜り、闇に沈む路地にすっと姿を消す。
将軍上洛も近付いた夏の夜、京の町は今は静かに眠りについていた。
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