羅刹女 ---7---


 市街地を舐め尽した炎は二十一日まで燃え続け、ただでさえ治安のよくなかった都に容易には立ち直れないような傷を残した。
 天王山で今回の首謀者たちが切腹して果てたのを見届けた土方は、一度撤収命令を出し新選組は屯所に戻った。
 近藤も無事に長州残党の追討許可を受けることができ、新選組は休む間もなく部隊を再編成し数隊を京都周辺から残党を一掃するべく出動させることになった。

「……で? その態度のでけぇ奴ってのがあいつの弟の手がかりを持っていたってのか?」
「ああ……随分知っている様子だった」

 新選組屯所、局長室。
 近藤と土方、監察方の山崎、そして現場にいた原田が集まり原田の口からその時の事の報告を受けていた。

「ううむ……長州藩がらみとはな……」

 五条という名に反応し、 の顔を見て「そっくりな弟」と言った不知火という男は、最初 を躊躇いなく殺そうとしたが が誰であるかを知ると随分態度を軟化させた。

「不知火という奴にとって、弟は親しいか、その身内を殺したくない程度には仲の良い関係なんだと思う。 ……というか、もう十割方そいつが情報を持ってるで間違いないと思う」
「だが、利敵行為は利敵行為だ」

 そう、 は『個人的な事情で長州兵をむざむざと撤退させる時間を作った』という理由で蔵込めで謹慎中だった。
 あの場の長州兵をひとり残らず倒せという言う命令ではなかったし、不名誉な後ろ傷を付けられた訳ではない。むしろまわりの隊士の証言から、銃相手に真正面から突っ込んで切り伏せようとしたと証言も得ている。
 単に、個人的な事情で敵兵と取引きまがいの事をし、結果としてなれ合いになり相手の思うままの時間を稼がせてしまったことが問題なのであって、士道不覚悟というわけではない。
 弟がいるからといって、長州になびこうとしたわけではないから隊を脱しようとした訳でもない。
 局中法度にはかからないが、頭に血が昇って他に示しがつかないような事をしてくれた事は確かだ。

 なので問題行動を罰し、頭を冷やして事について考えろという意味で謹慎3日の処分を下した。
 そういう訳で、 は大人しく蔵で謹慎している。

「局長、副長。 今回の件について、監察方では調査を続行したく思います。 ……彼女なら、たとえ弟が敵方に回ったとしても我々の元を去る、ということはないと思えるのです」

 謹慎に際しての態度も神妙にだし、 は今までもこちらが約束を守る限り決して裏切ったりはしないというのを態度で示してきた。

「……行方の調査と、事によっては捕縛を続けさせて下さい」

 調査中止にはしないでやってくれという山崎の言葉に、近藤は鷹揚に頷いた。

「うむ、一度探すと言ったものを翻す訳にはいかん。二言を使うなど、それこそ武士のすることではないからな!」
「……まぁ、近藤さんがそう言うなら」

 土方には何か考える所があるという感じだったが、取りあえず調査続行の許可が出た事に、山崎はありがとうございますと頭を下げた。







 古高の尋問が行われた、今だ血の跡も匂いも生々しい蔵の片隅。
 静かに座している はともすれば息もしていないのではないかと思われるくらいに身動きがなかった。
 そうして考えるのは、弟がいなくなった日の事。

 故郷は街道を外れた、豊かとはいえない土地柄だったが、姉弟ふたりがそれなりに暮らせてゆけるだけの蓄えもあったし、稼ぎのつてもあった。
 ある朝、弟の寝具の枕元に置き手紙があった。
 京都に行って、自分の力と腕を試してくる。 心配しないでくれ、と。
 それだけ簡潔に書かれていたが、それこそ全身の血が退く思いだった。
 いかに田舎とはいえ、諸外国に開国を迫られ、不平等条約を押し付けられ、さらには国内が佐幕と尊王派にわかれて論争を繰り返し、そのどちらもが自分の意見が正しいものとして譲らず、意を通すために半ば力づくで事を行おうとし、そのせいで日本は内乱への道をまっしぐらに進んでいるという話が聞こえてこないわけではない。
 ましてや京都は、その両勢力のぶつかり合いがもっとも激しい場所だ。
 寄る辺もないままに出ていって戦いに身を投じたとして、無事で帰れる場所ではないことくらい話だけでもわかるはずなのに。

 それでも、半年待った。
 いかに男じみて、男の格好をしていても自分は女。 はきちんと弟に家を継がせる気でいたから、半年の間本当に祈るような日々を過ごした。
 そのうちに、女ひとりで家を守るのは難儀だろうし、いつまでもそのような格好をして荒っぽい仕事をするのも限界がくるだろうから、これを期に婿を取り身をかためてはどうだろうかと、村の世話役が話を持ち込むようになった。
 そうしてしまえば楽だったろうが、今さら世話役が連れてくるような男の期待する『女の役割』が自分にできるとも思えず、持ち込まれる話を蹴り続けた。
 だが断り続けるにも限界が来たある日、 も思いきって土地を離れる事にした。
 名主と世話役の所に行き、弟を探しに行く。 必ず見つけてこちらに帰るように説得するから、戻ってきたときは良いように取りはからってやってくれ、そうして彼に家を継がせる事になるから、戻る頃には婚期を大幅に逃した大年増になる自分の婿取りの話は無しにしてくれと一方的に言い切り、家の戸に釘を打ち付けて京都へ出てきた。

 そういう事情を抜きにしても、情勢不安の京都などに前ぶりも相談もなしに行ってしまい、散々心配かけてくれた半年間の分、きっちり尻をひっぱたいて説教してやるとだけは決意して村を離れた。
 京都へ出てきたはいいが、様々な事情が重なり手がかりを得られないまま、またも半年と少し。

 まさか、あんな場所で、京都よりとんでもない所に居るかもしれないという情報が入るとは。

 長州藩は攘夷熱ともいえる一種の狂気が渦巻いているとしか思えない場所だ。 今回の御所への発砲でもそれが伺える。
 敬うべき天皇を、自分たちのしていることが正当であると世間にしめすために戦の混乱に乗じて連れ去ってしまおうと考え、その暴挙が阻止されても諦めずに向かってくる……。

 どうして。

 何度状況を思いなおしてみても、弟の出てゆく理由が、何も言わずに行った訳が、そして長州に身を置く訳がわからない。
 考えても考えても、出てくるのは『どうして』という疑問ばかりだ。

 できれば今すぐにでも京都を飛び出し真相を確かめに行きたい。
 けれど、いままで新選組の皆が寄る辺もなく、出身も身の上もこれ以上ないほど怪しい自分に寄せてくれた信頼と期待にかけて、彼等を裏切りこれ以上の私事に走るなど出来るはずもない。
 だから今は、謹慎を命じられたこの三日を天から与えられた機会と思い、胸を掻きむしるような不安を、後から後からわき上がる疑問を自分の中で鎮めるために使おうと思った。

  がそうして、ただひたすらに己の心を木石と等しくあろうとつとめている間、蔵の外には沖田が来ていた。
 脱走しないようにきっちりと鍵をかけて張り番がついているから、遠巻きに様子を伺うだけでいたが、幹部の自分が言えば中に通してもらえるだろう。

「話をしたいから、じゃ理由が弱いかな。 何か差し入れでもつけるか」

 残暑は厳しいけど、そろそろ朝夕冷えることもあるから羽織か布団がいいかなと考え、沖田は一度建物の中へと戻り、布団部屋へ行くと体を包めるようなかけ布団を一枚持って廊下に出た。

「おや総司。 五条君に差し入れかね?」

 踏み石のある所から庭に降りようとすると、ちょうど向こうから歩いて来た井上が声をかけてきたので、沖田は笑ってその通りですと答えた。

「蔵は日中それなりに暑いかもだけど、そろそろ朝夕冷える事もあるでしょう?」
「ははぁ、それで布団かね」
「土方さんも蔵込めで謹慎って、ちょっときついよね。 自室は無理でもせめて監察部屋とかにしてあげれば良いのに」
「おやおや、随分優しい事を言うじゃないか」
「嫌だなぁ井上さん。 僕はこれでも優しい男で通ってるんですよ?」

 そりゃあ悪かった、と井上は素直に詫びた。総司もこの年上の穏やかな人が嫌味などでそういう事を言うはずがないとよく知っていたのでそれ以上の皮肉を返すような事はしない。
 だが井上は、そう言ったあと笑顔を曇らせる。

「けどね総司。 その仏心は分からんじゃないが、今は顔を出さないでおあげ。特にお前は」
「特に僕は……って、井上さん、それはないですよ」
「いやいや、本気で言っているよ」

 井上は沖田の隣に来ると、まぁ座りなさいと言って縁側に腰掛けた。
 沖田もそれにならい、ふとんを脇に置くと同じように腰掛ける。

「今頃必死になって、自分の心を鎮めようとしているんじゃないかな、五条君は。 そこへ日頃仲のあまりよろしくないお前が顔を出したりしたら、カチンと来て私闘になってもおかしくないだろう?」
「そこまで仲が悪くはありませんよ」

 確かに挑発めいた事や皮肉を言うこともあるが、それはもうあっちも慣れたものだと沖田は思っていた。
 それに近頃はむこうも受け流すのが上手くなり、「ハイハイそうですか」でサラリと流されてしまうことも多々あったし、逆に切り返される事さえある。

「そりゃあ悪かった。 でもね総司、今五条君にどんな慰めも皮肉も禁物だよ。 今頃、何故弟君が自分の元を離れていってしまったかを必死に考えているんじゃないかな……それに納得できる答えを自分の中から見つけるためには誰にも邪魔されない時間が必要なんだ」
「……僕は弟君の気持ちが少しだけわかるな。 ……きっとお姉さんの側を離れて、男としてどこまでの力が自分にあるか、試してみたくなったんだと思う」
「……だったら、やんちゃをしようとする弟を持つお姉さんの気持ちも少しくらいは分かるだろう? ミツさんの顔を思いだしてみるといい」
「うわ、そうきますか」

 沖田は一本取られたというふうに苦笑した。
 ミツは沖田の二人いる姉の上のほうで、婿養子を取り沖田家を継いでいる。
 身体の弱かった母に代わり、自分の面倒を見てくれた総司にとってはもうひとりの母のような存在だ。
 近藤や土方相手に、一歩もゆずらぬ口げんかをしてのけるという猛者な面もあるが、総司にとっては口煩く心配性で、それでも優しくて大好きな姉に他ならなかった。
 主に貧乏という事情があった沖田家から近藤の所に内弟子として預けられても、たまに女の足では大変だろうに道場を訪ねてくれるミツの存在が、剣の修行をはじめたばかりの総司にとってはとても心強かった。

 なるほど井上の言う通りかもしれない。
 預け先がしっかりしていても、姉のミツに随分心配な顔をさせてしまっていたものだ。
 それなのに、詳しい事情も告げられないまま飛び出していかれ、さらにその先がとんでもない所となれば姉の身の心配はどれほどのものだろう。

 よほど、追い掛けていってしまいたいに違い無い。
 そうして顔を見て確かめて、自分の心配は何もかも杞憂だったのだと、安堵したいという気持なのではないだろうか。
 今思えばミツがそうして訪ねて来てくれるたびに、ホッと優しい笑顔をしていたことの理由がわかる。
 なのに、 はここを……新選組を離れていこうとしない。
 じっと座して、想いに耐えている。

「……そうですね、源さんの言うとおりかも。 弟君の気持ちもわかるけど、 ちゃんも大変なんだもんね。 今はひとりにしておいてあげたほうがいいのかな」

 何か声をかけないでいられる自信ないし、と沖田は横の布団をポンと叩く。

「これは張り番の人に ちゃんに渡してもらいますよ。 …… ちゃんなら、彼等をぶちのめして脱走なんてしないだろうって信じます」
「そうしておあげ。 謹慎が終って落ち着いてるようだったら、気鬱を払うような所にでも連れていってやればいい」
「うん、そうします」

 そうして沖田は井上との話を切り上げ、蔵の前で布団を張り番の隊士に渡した。
 隊士は話をしなくて良いのかと気をきかせてくれたが、今はひとりにしておいたほうがいいと告げて、騒がせないようにそっとその場を離れた。
 そのあと残暑の陽が差し込む庭、数日前に自分と藤堂、そして と一緒に話をした木陰にひとり陣取って上を見上げる。
 夏色の葉の隙間からきらきらと光がこぼれる様子が美しい。
 その中に、勝ち気で心配性の姉、ミツの顔が見えたような気がした。










◇◇◇◇◇











 三日間の謹慎が明けたあとすぐに、 は通常の隊務に戻った。
 憔悴している様子も見えず、局長・副長が会津本陣に出かけるとなればキビキビと供回りの仕事をこなし、傷病者が多い中、巡察に出る隊の補填要員として入ってくれと求められれば昼夜を問わず巡察に出る。
 休む間もなく働く様子を気づかい、幹部たちの数人が甘味所にでも行かないかと声をかけたがそれも断り、脇目も振らずに働いていた。
 土方などは、好きにさせときゃあいいと言っていたが、心配性の千鶴などはその様子を見てオロオロと心配しているし、基本人の良い原田や永倉も、そろそろ強制的になんとかするべきかとコソコソ相談するようになっていた。

 その日、非番の重なった原田、永倉、沖田の三人は千鶴を交えて『何とかして を休ませよう』と知恵を絞りあっていた。
 人目につきにくい千鶴の部屋だったが、四人も入るとさすがに狭苦しい。
 そこで幹部が頭をつきあわせて話をするのはある意味滑稽だったが、集まった面々は至って真面目だった。

「弟さんの手がかりが見つかった事は良い事なんですよね……なのに、こんな事になっていたなんて」

 千鶴がわが事のように肩を落とす。

「君のお父さんだって、まだ手がかりすら見つからないじゃないか。 君ってばお人好しっていうか、悠長だよね」

 嫌味ともいえる沖田の発言に、永倉が無言で沖田の脇腹に肘鉄を入れた。

「いいんです。 それぞれ事情だってあるんですし」
「千鶴……お前ほんと、いい奴だよなぁ」

 しみじみ呟く永倉の横で、原田もうんうんと頷く。

「とにかく、今は影も見つからない私の父よりも、 さんです。 平気そうにしてますけれど、やっぱり……辛いんだと思います」
「たしかにな。 あのままじゃそのうちぶっ倒れるか気鬱にかかるぜ」

 どうしたもんかと原田は視線を落とした。
 男だったら、パーっと発散させてしまえと遊廓につれていって太夫でも奢ってやるところだが、相手は外見はともかく、女だ。その手は使えない。

「酒は……駄目だろうしな。 徹底的に自制してやがるから、愚痴を聞いてやりながら酔い潰す、ってのもなぁ」
「そういえば、あの人……飲み会があったときも絶対に乱れたりしませんよね。 さほど飲んでいる様子もないし」
「だろう? まだこっちを警戒してるのかもしれないし、酒に弱いのかもしれないから俺たち以外の連中がいる場所で間違いがないようにしているのかもしれないけどな」

 永倉と沖田がそう言いあうが、結局の所酒にさそっても甘味の時と同じように断られるのがオチだろう。よってこの手も使えない。

「たまには女の格好でもさせて、芝居見物にってのはどうだ? 気晴らしくらいにゃなるだろう」
「原田さん、それもきっとだめです。 男の格好が長いと、女の着物や帯なんて苦しくてたまらないって言ってましたから。 身体までしめつけちゃうととても気晴らしにはならないと思います」

 千鶴の言わんとしていることももっともだ。原田はダメか、と肩を落とした。

「そう言うなら、千鶴ちゃんにはなにか良い案があるの?」

 少し意地悪も含めて、沖田がそう千鶴に水を向けると、千鶴は口元に手をあて、考える表情になりながら慎重に口を開いた。

「……もしかして さんがあんなに無茶して働いているのって、身体を動かしていればいろいろ考えなくてすむからじゃないかなって思ったんです」

 自分も、父との連絡がとれなくなって暫く、不安な心を誤魔化すためにがむしゃらに家事をしたり、小太刀の稽古をしたり……普段あまりしないような庭の草むしりまで徹底的にやったり、それでも時間があいてしまえば父の蔵書を片っ端から読みふけったりしたものだと千鶴は言った。

「身体なり頭なり、くたくたに疲れて夢も見ないくらいに眠ってしまえば、心の澱も少しは軽くなるんじゃないかと思います。 少なくとも、私はそうでした」

 嫌な考えばかりがつのり、どうしたら良いかも分からなくなりそうな中……そうして心の澱を払い少しずつ自分がどうしたいのかを確かめる事で、わき上がる不安を自分の中で消化して、『京都まで父を探しに行く』という結論を立てた。

「他の事を考えられないくらいに疲れちゃいたいからあんなに働いてるんだと思います。 けど さん、下手な男の人より頑丈そうでなかなかそうもいかないんじゃないでしょうか」
「あっはははは、うまいこと言うねえ千鶴ちゃん。 けどそれ、いい案じゃないかな」

 沖田は膝を叩いて、一本取られたというふうに邪気のない笑顔を千鶴に向けた。

「そういう事ならそれこそ僕らが適任じゃないか。 とにかく、指一本持ち上げるのも億劫なくらいにクタクタに疲れさせちゃえばいいなら、手っ取り早い方法があるよ」

 そう言って沖田は、ヤッと剣を振る真似をした。
 千鶴もその意味に気付いて、胸の前でぽんと手を叩く。
 原田も永倉も、荒っぽいけど確かに効果的だと、うんうんと頷いた。

「よーし、千鶴ちゃんの案いこう。 ついでだから、何人目まで持ちこたえるか賭けるか?」
「その前に、仕掛ける順番決めなきゃだろう」
「そうだね、じゃあじゃんけんで決めようよ」

 話が決まったはいいが、人の難儀にかこつけて賭事はだめです! と千鶴が小さな肩をいからせると、男3人は大柄な身体を竦め悪戯小僧のように次々と部屋から逃げ出した。





 庭から聞こえてきた威勢の良い気合の声に、部屋で書類と格闘していた土方は危うく筆を滑らせそうになった。
 どうせ幹部の誰かが剣でも振っているのだろうが、何もこちらが頭を使っているというのにそれを台無しにするような場所でやらずとも。
 一喝するべく立ち上がった土方は、スパァンと片手で勢いよく障子を開けて大声で雷を落とそうとした。
 が、それは寸前で止まる。

 庭の土を蹴立てて沖田と が木刀で打ち合う激しい立ち会いを行い、その様子を永倉と原田が縁側で野次をとばしつつ観戦し、さらにその横ではちんまりと正座した千鶴までいる。

「なんだなんだ、今の声は」

 奥の局長室から近藤までが慌てて出てきたのに気付いて、正気に戻った土方は留めていた怒鳴り声を張り上げる。

「何やってんだてめぇらは!!」

 額から角でも出ていそうな土方の様子に気付いた原田が、怒鳴り声などどこ吹く風の様子で立ち会いに熱中している二人に声をかける。

「おーい、お二人さん。 ちょっとタンマ。鬼のお出ましだ」
「熱中して聞こえてねぇなふたりとも。 かといってあの間に入るのはあぶねぇしな。 よーし千鶴ちゃんやっちまえ、俺が許す」

 永倉が言うなり、ハイッと勢いよく返事をした千鶴が庭におりると、縁の下に置いてあった手桶に入った水を持ち上げて、立ち会い真っ最中の二人めがけて思いきり中身をぶっかけた。

「うわっ!」
「わっ!」

 そろって水をかけられた沖田と はさすがに正気に戻ったか、木刀を下ろすと肩で息をしながら千鶴のほうに向く。
 そしてその背後で仁王立ちになっている者の姿を認めて、二人そろって『ゲッ』と潰れたカエルのような声を出した。

「……なかなかやるじゃねぇか雪村。 で、てめぇらは稽古してるのはいいとして、だ……俺の仕事の邪魔したくてこんな場所でやってるわけか、ああ?」

 あーやっちゃった、と微妙な顔をしている千鶴の頭をぽんぽんと叩いてやりながら、土方は庭に降りる。
 大股に進んで来る土方の額に確かにツノが見えた気がして、沖田と はジリジリと後ろに下がる。
 逃すかとばかりに落ちる特大の雷……お説教は土方に任せ、縁側に出てきた近藤はのんびりと座って様子を見ている永倉と原田に声をかけた。

「これはどういうことなんだ?」
「あー、五条の気晴らしになればと思って誘ったんだ。 気鬱を吹っ飛ばすには、とにかく身体を動かすのが一番、なら立ち会いがいいだろうって」
「ふむ、弟君の一件があってから随分気落ちしていたようだしな……その手も悪くないだろうが、何故ここなんだ?」

 説明を求められた原田は、千鶴と一緒に の気鬱をどうすれば払えるかと相談した結果こういう事になったのと、倒れるかもしれないような激しい立ち会いやら、幹部が数人がかりで一人を徹底的に打つ所など一般の隊士に見せたりはできないからだと説明した。

「つまりは訓練でもない、一種の気晴らし、遊びのようなもんですから。 そういうのを道場に持ち込むのは、いかにもまずいでしょう。 だからこっちでやったんです」

 容赦なく炸裂する土方の怒声を脇に、永倉は軽く空を仰いだ。
 残暑の空は、秋の透明さを滲ませている。もうすぐ京にも過ごしやすい季節が巡ってくるだろう。

「けどさ……俺、あいつの弟が書き置き一枚残して出ていった気持ちもわからんじゃないんだよ。 あいつ見てると、本当に強くて優しくて、いい姉ちゃんだったって事はわかるんだけどさ」

 永倉は一度言葉を切り、何かを考えるようにしてから続ける。

「……男一匹、そういう優しい姉ちゃんの元から離れて、自分の力で何ができるか見極めてみたいっていうかさ。 大体姉ちゃんの事嫌ってりゃ、心配しないでくれなんて書き置きも残しゃしねぇよ」

  からどういう状況で弟がいなくなったかはある程度聞いていたから、書き置きの事についても一応は聞いていた。
 そんなものを残して急にいなくなられて心配するなと言うのが土台無理だが、大好きな相手だからこそ、いつまでも守られていたくない男としての気持ちも分かる。

「だったらそう、言ってやりゃあいいだろう」
「ばーか。 こういうのは自分である程度気付かねぇと、納得なんてできねぇよ。 ……あいつの中じゃ、弟はいつまでたっても自分が手を引いていた頃のちっさい子供のままなのかもしれねぇしな」

 俺たちにできるのは、悩むあいつの気晴らしに付き合ってやるとか、こうして思いっきり身体動かさせてやることくらいだろうと言う永倉の言い分だったが、原田にもそれは少し分かる気がした。
 男が大事なもの、大事な人のために強くなりたいと思うのは、ごく自然なことだから。
 そして近藤にも何となく、永倉の言い分は理解できた。

「なるほどなぁ。 道場に顔を出しにきたおミツさんにとって、総司が自分の身長を遥かに追いこすほど大きくなっても、小さい弟のままだったのと同じようなものか」
「そうそう、そんな感じ。 総司はあんなんだから、おミツさんの事も上手くかわして心配なるべくさせないようにしてたけれど、そっけないようでいながら『姉さん大好き』が滲み出ていたでしょう?」
「ああ、そういえばそうだったなぁ」

 そのほのぼのとしたやり取りを思いだしたのか、近藤はおおらかな笑顔を見せた。
 沖田の姉のおミツには一度も言い合いで勝てたことのない近藤だったが、そのたびに沖田が「姉さんがんばれー」などとニコニコしながら応援していたものだ。
 勝ち気で口が達者で、おせっかいで優しかったおミツ。
 九つの歳まで、体のよわかった母に代わって面倒をみてくれた長姉に、沖田は本当に懐いていた。

「長州に行ったっていうのも、男が信念を持って行ったってんなら、俺たちが姉ちゃんを心配させるなって言う筋合いでもねぇしな。 そのうち姉ちゃんが新選組にいるなんて聞いて奪い取りに来るかもしれねぇけど」

 杞憂で終ってくれりゃあいいが、と永倉は視線を たちに戻した。
 説教の合間の言い訳というか事情を一通り聞いたらしい土方が沖田の手から木刀をひったくり、今度は俺が相手だとばかりに構えを取る所だった。

「なぁに、そういう事なら遠慮すんな。 ……俺も机仕事ばかりじゃ体が鈍るんでなぁ」
「……副長。 いえ土方さん……目が据わってますって!」

 後ずさりつつ間合いを取ろうとする からはなれて、沖田は縁側で順番を待つ永倉の元へとかけよった。

「ごめん、ちょっと貸して」
「あーおい、そりゃ俺が……おおい土方さん、順番決まってるんだから割り込むなよ」

 土方と二人がかりで に向かうかと思いきや、沖田は木刀の切っ先を土方に向けた。

「あぁ? どういうつもりだ」
「ほら僕達、立ち会いで疲れてるんですから。 よけいな横やりは二人がかりでも潰しちゃわないと後がつかえてますしね」

 あんまりな言い分に、土方はひきつり笑顔を浮かべたままコノヤロウと毒づいた。
 様子を見守っていた近藤はこの構図がよほど面白かったのか、呵々と笑うと原田の手から木刀を借り受ける。

「おーい近藤さん、割り込みはないだろ」
「まぁ許せ原田君。 さて、そういう事なら俺が歳に加勢するぞ、どこからでも掛かってこい!」

 形成逆転、そりゃあないだろうと悲鳴をあげる沖田と を相手に、ここ数日机仕事ばかりで鬱憤のたまっていた二人はここぞとばかりに暴れまくった。

 結局、沖田も も、病み上がりであったのと無茶な働きかたをして体力が落ちかけていたのが禍いし、散々抵抗して打ち合ったものの降参する羽目になった。
 二人ともふらふらの状態で、近藤と土方に肩を貸されたり半ば引きずられるような感じで『寝ろ!』と連行されてゆく姿を見送りながら、原田と永倉は良い所取られちまったなと顔をみあわせて苦笑した。


---序の破 終---





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