羅刹女 ---6---


 東の空も大分白んだ頃、遠く聞こえた一発の銃声が皆の意識をそちらに向けさせる。

「はじまったな」

 淡々とした斉藤のつぶやきに、 は小さくうなずくと仮眠をとっている連中を叩き起こすべくその場を離れた。
 間をおかず、総員戦闘準備との土方の鋭い声が飛ぶ。

「起きろ、始まったぞ、御所の方角だ!」

 仮眠のつもりがすっかり寝入ってしまった奴もいたので彼等を蹴り起こしながら、 は次々と竹筒の水筒を押し付ける。 昨夜隊の小荷駄の者ににぎり飯といっしょに屯所から運ばせたものだ。
 いざ戦となれば人間緊張しきって1日や2日程度空腹など忘れていられるものだが、咽の乾きだけはそうもいかない。ましてや補給が臨めないような場所にいくなら最低限の備えはするべきだ。

「わかってるだろうが走りながら飲んだりするなよ、腹が痛くなるからな」

 準備をすませ仮眠中の者たちを各隊が隊列を組む方へ向わせた は、急ぎ土方のほうへと駆け戻る。

「山崎! 斥候を放って状況を確認させろ、新選組はこのまま大通り方面から御所に向う!」

 いつの間にか土方の側に控えていた山崎はうなずくと、監察方の数人にテキパキと指示を出して自身も明けきらない闇の中に飛び出していった。
 土方は陣幕の中に飛込んできた の姿を見ると、準備は出来たかと短く尋ねた。

「は。 本隊は整列も完了し、局長の下知を待つばかりとなっております。 陣の後片付けは小荷駄の者と小物数名に任せ、戦闘開始の伝令を屯所に向わせました」

 いつでも動ける、と は次の命令を待った。
 よし、と土方が満足げにうなずく。 だがそこへ会津兵の待ったがかかった。

「待て新選組、我々は待機を命じられているのだぞ!」

 命令あるまでここを動くのはまずいと会津兵は唾を飛ばして力説した。
 確かにアテにしていた待機兵力が出払っていたのではいざと言うとき困るだろうなとも思うが、この戦の総指揮がだれなのかしらないがそれはアテにならないと思った。
 そもそもシッカリしてれば暴徒と化した今回の長州兵の主力部隊を京に入る前に止める事だって出来ていたはずだし、防ぎきれずに京で戦闘がはじまってみれば最初の時点から情報伝達はいい加減、貴重な戦力をたらい回しにして疲弊させるなどとんでもないことをやってくれた。
 それらの事実だけでも、数だけなら圧倒的に劣る長州兵たちに情報の面でも戦いの面でもいいように翻弄されていた事がわかる。

 どうやら土方も同じ事を思っていたようで、一瞬彼の背中からゆらっと陽炎のようなものが昇ったのが見えた。
 出陣の命令はまだかと急かしに来た永倉もそれをまともに見てしまい、「うげ」とカエルが潰れたような声を発して一歩後ずさる。
 永倉よりも側にいた に至っては、土方の額のあたりで何かが“ぷっちん”と切れるような音を聞いた気がして、軽く目を伏せ両手の人さし指を自分の耳穴に突っ込んでギュッと栓をした。
 直後、耳を塞いでいても届く土方の怒号が空気を震わせた。
 ちらと永倉のほうを見れば、彼も察したのかしっかりと耳を抑えていた。

「この後に及んで待機なんぞ話しにならん! 行くぞ、永倉、五条!」

 浅葱色の羽織を翻して、土方はほうけたように固まっている会津兵に背中を向けて大股で進んでいった。
 その背中を追い掛けながら、永倉は横を行く にニヤリと笑いかけた。

「気の毒によあの藩兵。 暫く雷の音にもおびえる事になるんじゃねぇか?」
「そうだろうねぇ……」

 お気の毒様、と は内心で手をあわせていた。

 だがその後も、新選組は良いように振り回された。
 ようやく主戦場となった蛤御門の前に辿り着いた時は、既に戦闘は終わり数体の敵味方の死体が倒れている、そんな状態だった。
 そして天皇の御所に鉄砲玉を撃ちかけるという前代未聞の暴挙に誰もが我が目を疑っていた。
 門の柱に残った弾痕の深さは至近距離で撃ったものだろう。少なくとも流れ弾ではなく、そういう意志をもって撃ったのだろうということは誰の目にも明白だった。

「長州の野郎ども、ぜってー頭に何か湧いてやがるぜ。 つーか歴史に残る暴挙だよなぁこれ」

 天皇家の身内同士の跡目争いとかで撃ちあって痕が残るならともかく、古来から天皇に従い、敬うはずのこの国の民が撃ったのだ。
 たとえ歴史が改ざんされてこの事実が全ての書から消されたとしても、人々の口に残り語り継がれる暴挙だと、永倉は天を仰ぐ。
  も全く同感で、隊士にいたってはまだ自分の見ているものが信じられないと自分の頬をつねる者までいるほどだ。

「……けどよ土方さん。どうする? これ以上連れ回すのは酷だぜ」
「……」

 戦う相手を求めて急行したのにまたも肩透かしを食らい続け、行き場の無くなった力が疲労に変わりつつある。
 隊士たちの様子は土方にもわかっていた。 それ以上に士気の落ち方が酷い。
 局長の近藤が泰然と構えているために誰も不平を漏らす者こそいないが、手柄ひとつたてていないといえどもこれ以上は無理かと諦めかけた時。

「土方さん、斥候が戻ってきたぜ。 公家御門のほうにはまだ長州兵がいるようだ。 会津や桑名の藩兵相手に粘ってるらしい」

 原田が斥候の報告を受けたらしく土方の側に駆けてきてそう告げた。また山崎も戻ってきて、京市街地を逃れた長州の敗残兵が天王山へ向っているとの知らせを持ってきた。
 どうする、と判断を仰がれたのは局長の近藤ではなく副長の土方だった。
  も何度か見てみたが、こういう局面で判断をまかされるのは、なぜか土方だ。
 こういう事の明暗をわけるような判断こそ、一軍の大将の仕事とばかり思っていた は、不思議そうに隣に居た井上の顔を見上げた。
 井上は不思議そうにしている の表情と、ちらりと土方を見る視線から言いたい事を察したのか、微笑んで『昔からこうなのさ』と教えてくれた。

「歳さんは、無類の采配上手だからね。 あの二人が多摩川の河原で村の悪ガキどもを率いて喧嘩をしている時からあの分担は変わらぬのさ」

 大将としての器は近藤のほうが勝っているだろうが、軍師としての采配の振い方は明らかに土方が上だったと井上はおかしそうに教えてくれた。

「あの二人が組んで喧嘩をすると、大概泣かされるのは隣近所のガキどものほうでね。 私は同門の者としてやりすぎを止めに入ったり、暴れ過ぎた二人を道場の床に正座させてこっぴどく叱りつけたりもしたもさ」

 あの二人が、井上の前で小さくなって正座して……?

 想像もつかない様だったが、井上の表情を見る限り本当らしい。

「だから五条君、心配いらん。 近藤さんが信じて歳さんにあれを任せているうちは、あれは歳さんの仕事なのさ」

 井上は目を細めて自分よりも大分年下の二人を見守る。 土方は難しい顔をして考え込みながらも表情の中にうっすらとどこか楽し気な色が浮かんでいるし、近藤に至ってはゆったりとした笑みさえ見せて土方が答えを出すのを待っている。

 数呼吸のあと、土方は肩から力を抜いて大きな深呼吸をひとつすると、ジッと待っていた隊士たちの顔を見回す。

「忙しくなるぞ」

 短いその一言に、疲れ果てていたはずの隊士たちの顔にサッと生気が蘇った。 皆まだ、本当に戦う気力を失ってはいなかったのだと、 は彼等の顔を見回して軽い驚愕に目を見開く。

「佐乃助! 隊を率いて公家御門に回り、長州の連中を追い払え」
「あいよ」

 死にものぐるいの抵抗をしてくる敵と戦ってこいという命令を、原田はまるで「八百屋行って大根買ってこい」と言われた程度の気安い調子で引き受けた。

「斉藤と山崎は当初の予定通りここの守備に残り、状況の把握につとめろ」
「御意」

 斉藤は短い言葉で、山崎は無言でうなずく事で命令を了解した返事に代えた。



 土方の采配に従い、新選組の面々はそれぞれの担当場所へと散った。
  は原田とともに公家御門へと向う。そこでは逃げようとする長州兵と彼等を逃がすまいとする会津を中心とする幕府方の軍との戦いがいまだ続いており、状況は混乱を呈していた。
 だが半ば膠着状態とも言えたその状況も、新選組の猛者たちの参戦で一気に流れが変わった。
 長州兵達は総崩れとなり、傷付いた仲間を担ぎあげる余裕もないまま背を向け転がるように逃げていく。

「逃がすな、追え、追えーー!」

 会津藩兵の檄が飛ぶ。 それに応えて兵たちが駆け出そうをするが、逃げる長州兵のしんがりにいた軽装の男がくるりと振り返ると逃げる仲間を背に立ち止まった。

「ヘイ、雑魚ども! てめえらとはこの俺様が遊んでやるぜ!」

 言い放つがいなや、彼の手の中で銀色の光が踊る。
 その形状、先端をこちらに向ける構えを見た瞬間、 は叫んでいた。

「伏せろっ!」

 隣にいた藩兵を半ば引きずり倒しつつ、 は身体を投げ出すように地に伏せた。  の叫びに反応した周囲の数人も反射的に身を屈め、その動きに重なるように耳を劈く爆発音が近くで響いた。
 伏せた たちの背後で誰かが絶叫を上げるのが聞こえた。

「ヒュゥ、いい反応してるじゃねぇか優男」

 銀色の輝きを手にした男は、口笛をひとつ吹いて面白そうに笑っていた。
 しかし は笑うどころではない。 ぶざまに地に伏した格好からゆっくり膝をたてて起き上がりながら後ろを伺うと、先程悲鳴を上げたと思われる藩兵がすでに動かなくなって倒れており、彼の身体の下には毒々しい赤い水たまりが出来ていた。

 あれは多分、銃。 それも拳銃というものだ。
 ただし会津兵が持っているような旧式の火縄銃とはちがう、携帯に適するように造られた『拳銃』という種類があるのだと、 も隊の仲間から聞いたことがあった。
 長身の銃よりも珍しい事は珍しいが、薩摩や長崎出島のほうで金を積めば手に入らないものではないし、しかも近頃のものは弾を込めるのも随分楽な上連射も可能、遠くの的には当たりづらい変わりに近距離の相手を撃つ事に特化した弾丸の威力は凄まじく、火縄銃など豆鉄砲に等しい、と。

 ガチンという音のあと、再び銃口がこちらにねらいを定めるのを見て、 は膝立になった格好から下半身のバネを全て使うような勢いで踏み切っていた。
 先手必勝、そう判断した は凄まじい速度で拳銃を持つ間合いを詰め、右手だけで持った刀を低い姿勢から大きく弧を描くようにして斬撃を放った。
 刀の物打ちで胴体を凪ぐ一撃は、半端なよけ方ではもっとも切れ味鋭い切っ先に掛かる。
  の動きを見た誰もが、殺った、と確信した。
 一瞬後男は胴体に深々と刃を食らって倒れるのを想像し、誰かがワッと歓声を上げたがその歓声はすぐさま凍り付いた。
 男は後ろに飛び退り刀が振り抜かれるよりも早く、刃の間合いの外に逃れていた。
 攻撃をしたあとの硬直の姿勢のままの と、自らの間合いを取り戻した男では勝負にならない。
 銃口を再び の額にあわせながら、男は口元に酷薄な笑みを佩いた。

「ま、人間にしちゃ、なかなか。 けどそれだけだ」

 あばよ、と、短く嘲るような別れの挨拶のあと、男は引き金にかけた指に力を込めた。

「させるかよっ!!」

 その時裂帛の気合いとともに、原田が横合いから槍の一閃を男の手元めがけて放った。
 照準を合わせたままだと手を貫かれる。 男がそれをさけるために手を動かしたことで から狙いが外れる。

「ボサッとすんな五条! 新選組、散解しつつ囲め、纏まると狙い撃たれるぞ!!」

 原田はそう言う間も攻撃を休めない。 短く手をひいては突き出す間隔の短い攻撃を続けざまにくり出し、男に照準をあわせる暇を与えない。

「ちっ、うざってぇ……! って、あ?」

 男は原田の言葉の何かに反応したらしく、またも後ろに飛び退り大きく間合いを開けた。 構えようとしていた銃を降ろし、原田の斜後ろへ庇われる形になっている に視線を移す。

「五条? ……今、五条って言ったか」

 男は の顔をまじまじと見つめる。 ややあって納得したようにうなずくと、 に声をかけた。

「なるほど良く似てるぜ……おい、後ろのお前。 お前、もしかして弟いねぇか? 背はさすがに抜かれたみてぇだが、見る人見る人にそっくりだの良く似てるだの、間違いなく血縁だろって言われるくらいに似通った」

 背後で明らかに の顔色が変わる気配を感じ取り、原田は内心でチッと舌打ちをした。
 いかに強い戦士といえど、心の隙を突かれると脆い。
  は強い戦士だが、その彼女が唯一心を痛めているものが、家出をしてしまった弟の存在だ。
 まさかここで、その存在が出てくるとは。

 普通ならここで耳を貸すなと一喝してやりたい所だが、新選組に身を置くようになってから監察方の手をもってしても半年以上何の手がかりすら得られなかったものを、聞くなというのはあまりにも酷だ。
 だからあくまでもおどけた調子で、 の動揺を払うかのように原田は目の前の男に言ってやった。

「もっともらしく言いやがって。 世の中同じ顔の人間が3人はいるって話しを知らねぇのか?」
「俺はそこまで目が悪くねぇぞ。 百歩譲って弟じゃなくたって、間違いなく身内、それもかなり血の濃いつながり――」

 そこまで言った所で が動いた。
 原田の背後から飛び出し、懐から何か細い金属の棒を取り出す。
 男は反射的に銃を構えたが、今度は の手が早かった。
 握った金属の棒の先端を、自分に向ってあわせられた銃の照準、その発射口に向けて突き刺すようにねじ込んだ。

「なっ!?」
「……撃ってみろ。 この状態で撃てば暴発でもろともに木っ端微塵だ。 銃とはそういうものだろう?」
「……聞いた通りのとんでもない奴だぜ……」

 金属の棒は、女が使う簪らしい。飾りの部分をにぎって力を込めたまま男の力に対抗しているために、 の腕は細かく震えていた。
 身長差の分睨みあげる形になる目の前の顔、その視線の激しさに男は相手にだけ伝えるようにそっと呟いた。

「……間違いねぇなこれは。 いいのかよ、あっちも随分……」
「お前の言う男が私の弟だと思うなら、これを見せてみるんだな」

 そう言って、 は握りこんだ拳のをゆっくりと開いてみせた。
 くすんだ銀地に家紋とおぼしき紋様と、繊細な蔦模様を彫りこんだ平たい金属の飾りだった。
 細工は良いが、金属は手入れもされないまま長い時間放っておかれたようにくすんで輝きを失っている。

「……私が七つの時に死んだ、母の形見だ」
「それこそこんな使い方をするなよ、おふくろさんが泣くだろうが」

 その言い分だけはちょっとだけ賛成だと、原田はふたりに微妙な視線を向けてひとりごちた。
 原田の位置からは の表情は見えない。
 けれど今、この世で最後の身内だという弟の事と、新選組の事を天秤にかけて揺れているのではなかろうか……そう、思えた。

「ま、こっちも引き際みたいだしな。 預かっておいてやるよ」

 男は銃を引くと、もう片方の手で銃身から簪を抜き取ると、頭の高い位置で結った髪の元取りあたりにスッと挿した。

「恐ろしく似合わねぇな、オイ」

 その様子を見守っていた原田は話が一段落したと見ると、槍を構えて切っ先を銃を持つ男に向ける。

「何もここで行かせる事はないだろう、とっ捕まえて屯所で話を聞けば済むこった」
「あぁ? 何だよ、人がせっかく大人しく退いてやろうってのによ」

 いかにも原田の態度が気にくわないといった態で男は顔をしかめた。
 そうして一度は引いた銃の照準を原田に合せて、引き金にかけた指に力を入れる。
 だがその動きよりも早く、原田の槍が一閃した。
 常人では身動きすらとれずに串刺しにされておかしくないその一撃を、男は軽々と躱した。
 原田はそのまま逃がすような事をせず、素早く腕を引き戻してはまたも突き込む。男は狙いを定めようとするが、原田が足を巧みに使って様々な方向から攻撃してくるためになかなかうまくいかない。

「飛び道具とは卑怯者め! けどそんなもんに頼っているうちは、戦士としても男としても二流だぜ?」
「卑怯じゃねぇよ、立派な武器だぜ。 お前だって長物振り回してるじゃねぇか」

 刀の間合いの外から突き殺すその武器を使っていて、銃が卑怯とはよく言えたと男は笑う。
 男は一旦間合いを取ると、その笑みを原田に向けた。

「俺は不知火匡様だ。 お前の名乗り、聞いてやるよ」
「新選組十番組組長、原田左乃助」

 いつしか原田の顔にも好戦的な笑みが浮かんでいた。 武器の是非はともかく二人はお互いを「面白い相手」と認識しあっていることは、警戒しつつ成りゆきを見ていた にもわかった。

「面倒ごとを引き受けるのもたまには楽しい事があるもんだな。 お前等、次があったら殺してやるからそう思いな」
「次なんざごめんだ、今ここでーー」

 原田が追い討ちをかけようとすると、不知火はその足元めがけて銃弾を打込んだ。
 跳ね上がった土と石くれが激しく足を撃ち、駆け出そうとした原田を一瞬止めた。
 その一瞬の間に不知火はきびすを返し、銃弾を警戒して少し間をあけぎみに包囲していた新選組が逃走を阻もうとして襲って来る所を、何と彼等の頭上を『飛び越えて』包囲の輪をやすやすと突破して駆け抜けていった。

「何だぁありゃ……人間の身長を飛び越えるなんて、普通できるかよ!?」

 さすがの原田も呆れて遠ざかる背を見送った。追い掛けようとする部下や藩兵もいたが、今から追って御所を手薄にするよりも、残された事態の収拾につとめるべきだと判断して、その後は瓦礫の撤去やけが人の手当や搬送を行った。
 結局の所、不知火一人に足留めをされるような形になったことに、誰もが憤慨を覚えていたがあれの横を突破して逃げる長州兵をせん滅しようなどという気を起こさせない、異様な迫力をあの男はかもし出していた。
 殿に残った兵というのは、置き去りにされたのであれ志願して残ったのであれ、少なからず破れかぶれの雰囲気があるものだが、不知火にはそれがなかった。
 それどころか、一対圧倒的多数という状況を自らつくり出しながら、負けるなどと微塵も思っていなかった事は、あの不敵な笑みから見て取れた。
 あの見なれない武器の威力に気押されたのだと言う者もいたが、自己欺瞞だと は思う。
 思い出せば思い出すほど、不知火と言う男の雰囲気は以上だった。
 妖気、とでも表現するべきような何かが蛇のようにその身に絡みつき、見る者の足を竦ませる。
 それが外見と相まって、異様なまでの気配を作り上げていた。
 浅黒い肌、むき出しの腕に奇妙な入れ墨を施し、一まとめに高く結い上げた髪は青黒い波となってそれこそ蛇のような滑りのある艶を見せていた。
 顔だちは整っていたが、異様に好戦的な眼差しの中に含まれた、こちらへの嘲りの色は隠しようもない。

 また相対することとなったら、この上なく嫌な相手だと、 は沈うつなため息をついた。
 その嫌な相手が行方不明の弟の手がかりとは、いずれの神か仏か知らないが、随分嫌みな真似をしてくださるものだと心中でポツリと恨み言を呟く。
 けが人をひとり救護所へ運び終えて、 が戦闘のあった方に戻ると何やら騒がしい事になっていた。
 まだ残党でもいて戦闘にもつれ込んだかと思ったが、どうも様子がおかしい。
 騒ぎを見にいこうとすると、救護所のほうにけが人を運んでいたと思われる藩兵が数名背後からやってきて、 に声をかけてきた。

「おう、そこの新選組の。 あっちで死体になっちまった奴を運ぶから手伝ってくれ」
「ああ、戸板があったほうがいいか?」
「頼む。筵もあればいいが、贅沢は言っていられないなぁ」

 死体をむき出しで運ぶのは惨い事だ。 だからボロなり筵なりの一枚でもかぶせてやりたいが、戦場ではそういうものにも不自由する。

「戸板だけでもそのへんの家から拝借してくる。 そういやあっちが騒がしいようだが……」

  の視線の先を見て、藩兵はああ、あれかと笑って教えてくれた。

「倒れてる長州兵の中でまだ息のある奴にとどめをさして回っているのさ」
「ああ、そういうことか……」

  は納得してうなずくと、すぐに戻るから先に救護所に行っててくれと告げて近くの民家まで走ると、庭から入らせてもらい戸板を一枚外して器用にひょいと背中にかついだ。

「おっと、ちょうどいい」

 庭の水がめの中にゴミが落ちないように筵が一枚かけてあったので、ちょうど良いとそれも失敬する。これまた片手で器用に細く丸めて脇に挟む。
 他に長州兵の生き残りはいないかと、抜き身の刀を手に歩き回る藩兵や新選組の面々の横を駆け抜けて、 は救護所に行くと手当の甲斐なく仏となってしまった者を運び出すのを手伝った。

「随分な残暑だしな、早く弔ってやらないと」
「そうだな……」
 
 死者を一旦集めている日陰の場所に運び込むと、物言わぬまま並べられた彼等に向い、藩兵たちと並んで は静かに手をあわせた。

「そういえば、片付けはどうするんだ? 血だまりは、新しい砂でもまけばいいだろうけれど長州兵の死体なんていつまでも御所の周りに転がしておけないだろう」
「ははは、心配いらんよ。 あとで投げ込み寺に運ばせるからな」

 御所に鉄砲をうちかけるような連中、投げ込みとはいえ地面の下に入れるだけ有り難いと思ってもらわないとと藩兵は笑った。
  もそう思う。そしてそれが戦の習いというものだ。
 基本死体は野ざらし、かつては戦場の死体から金目のものを剥ぎ取るのは、盗賊や近隣住民の貴重な収入源だった時代もあるくらいだ。
 捕虜になれば惨い扱いも悲惨な死にかたも覚悟しなければならない。
 自力で歩いて逃げられない者は、多かれ少なかれそういう運命を辿る。
 実際、この場でとどめをさされた長州兵の死に様は酷いものだった。 一撃でとどめをさしてもらえているのはまだいいほうで、最後の力を振り絞って抵抗したせいでよってたかってなます斬りというのも多かった。
 この時代の日本には、傷病人を敵味方問わず治療するという『赤十字』の概念はまだない。
 味方なら望みをかけて治療もするが、敵の怪我人を見つければ助ける義理などこれっぽっちもない。遺言を聞いたり、とどめをさしてやるだけ親切だと思われるくらいだ。

 いつこの立場が逆転するかは誰にもわからない。
 それは も重々承知していた。
 そして、不知火はこういう者たちを一人でも減らすために、あえて殿に立ち確実に助けられる味方を逃がし切ったのだということも、今さらながら理解できた。










◇◇◇◇◇◇











  十九日、京から追われる形となった長州藩士が逃亡の際に藩邸に火をつけると言う暴挙をやらかした。
 折からの強風にあおられた火はたちまち市街地に飛び火し、蛤御門からもその煙りは見る事ができた。 

「まさかこの京で火付けをするとは……」

 出身地の近い山崎は、市街地のほうに広がる火事の黒煙を眺めて信じられないというふうに首を横に振る。

「火事と喧嘩は江戸の華とも言うが」
「斉藤組長、それはちがいます。 京では火事を出したら七代近所付き合いが出来ないといわれるくらいに忌み嫌われるものです」

 幕府嫌いの京の人間にとって勤王派である長州藩の者たちは親しみのある存在だったが、その彼等が天皇の御所に鉄砲玉を打ち込み、さらには火事を嫌うこの地で逃げるために藩邸に自ら火をかけ、その火が次々と飛び火していったとあっては……。

「長州の評判は一気に下がるでしょう。 市街地に飛び火するだけでも迷惑だというのに、京には歴史ある神社仏閣が多い。それらを巻き込めば取り返しがつかないことになります」
「なるほどな」

 山崎の分析に、斉藤は納得の表情で頷いた。

「斎藤、山崎! そっちはどうだ?」

 公家御門のほうから戻って来た原田率いる隊の姿を確認して、斎藤は少しだけ口元を緩ませた。先頭に立つ原田は呆れるくらい元気で、槍を担いでスタスタと歩いてくる。

「さきほど、屯所と天王山にこちらの事態は収拾したと使いを出した所だ。 もう少し待てば、近藤さんも戻ってくるだろう」

 そう状況を説明して、斎藤は原田の少し後ろにいた のほうを見た。 その表情がやけに沈んでいるだけでなく顔色も少し悪いような気がして、何かあったのかと声をかけた。

「ああ、何でもありません」

  はすぐに表情をいつものそれに戻したが、この調子で何もない訳がない。斎藤は問いかける意味でちらりと原田に視線を流した。

「まぁ、詳しい事は屯所に戻ってから話すわ。 その前に近藤さんと土方さんには報告しなきゃなるまいよ、こいつの弟の手がかりが見つかった、ってな」

 そう聞いて、山崎が片眉を上げて驚きを示した。新選組の監察方は決して無能ではないと自負しているが、半年以上手がかりも見つけられないという体たらくだっただけに、随分気をもませていただろうと少しばかり心を痛めていたくらいだ。

「ふがいない監察方ですまんな、五条君。 けれど、手がかりひとつあるならそこからいくらでも……」

 探索の糸を広げていくことができるだろう、今までの分まで期待してくれていいと山崎が言おうとしたが、 は顔を伏せて首を横に振る。

「……どうしたんだ?」
「……どうやら、長州がらみの所に身を置いているらしい。 とはいえ、まだそいつが本人かどうか分からないんだが……」

  にゃ悪いが、いっそ他人であってくれと思うよと、原田は肩を落とした。




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