羅刹女 ---5---


「痛ってぇーーーーっつ! も、もう少し優しくしてくれよ!」

 幹部たちの起居する部屋のほう、藤堂の部屋のあたりから盛大な悲鳴が聞こえてくる。
 先の池田屋の戦いで額を強かに割られた藤堂は早い段階で戦線離脱をせねばならなかったばかりか、思いのほか深かった傷は治療のたびに彼に悲鳴を上げさせている。

「藤堂先生、襖を蹴り破らなきゃいいがなぁ」
「あっははは、それはやりそうだ」

 その様子がありありと想像できてしまい、 は丁度一緒に仕事をしていた隊士と顔を見合せて笑った。
 屯所の庭には出入りの武器屋が来ており、池田屋のあと修理や研ぎに出した武具の返却や、壊れたものを補填するために発注したものの納品の数合わせをしていた。
  は隊士と二人でその確認や武器庫への収納と、戻ってきた武具を確かに持ち主に返すための目印札などをつけなおす作業をしており、先程から母屋と庭を往復していた。

「平助君ってばあんな目にあったのに元気が有り余ってるんだよ。 お二人さん、他に母屋の隊士たちに届けるのはある?」

 縁側から庭へ降りてきた沖田がひょいっと二人の手元を覗き込む。
 先だっての池田屋で沖田も倒れたが、今はこうして床を払って起き上がり、まだ巡察や隊士の訓練の仕事は出来ないもののこうした細かい仕事を手伝っている。
 隊士のほうは幹部の沖田にこんな雑務を手伝わせるなどと恐縮しきりなのだが、 は喜々としてじゃあこれとこれを三番隊の部屋に、と押し付ける。

「重たいですよ、大丈夫です?」
「やだなあ、君まで病人扱いなんだから。 何度も言うけど大丈夫だよ。寝てばっかりじゃ足や腕が萎えちゃうんだからもっと持たせてくれたっていいよ」

 じゃあこれ届けてくるねと沖田は笑って母屋のほうへと戻っていった。
 お願いしますと軽く手を振る の横で、隊士が「お前って凄い所あるよな」とひきつり笑顔を向けていた。
 武具の仕分けと武器屋への料金の支払いが終ると と隊士はまたそれぞれの持ち場へ戻っていった。

  は、次は飛脚問屋まで行って、幹部たちが郷里へと送る手紙の手配をせねばと出かける支度を整えようと一旦部屋へと上がった。
 仕事用にかけていた襷を解いて、夏羽織を着込んでいるところへ、沖田が麦茶を入れた急須を片手にやってきた。

「この暑い中、わざわざ出かける事ないよ。 急がないならまだ涼しい明日の朝方にしたら?」
「急ぐ仕事じゃないけれど……」
「じゃ、決まり。 ひと休しよう」

 庭のあの木の影が涼しいんだよと誘われて、 は外出用の羽織を脱ぐと沖田の後について庭に出た。
 沖田の言う通り、そこは充分に涼しい風が通りこの季節息抜きをするにはぴったりだ。
 地面に直接座る事になるが、日陰の地面は冷たくて気持ちが良いのでそんなことは二人とも木にしない。
 沖田は急須と一緒にもってきた湯飲み茶碗の片方に の分の茶を注いで手渡すと、自分の分もおなじように注いで一口飲んだ。
 つられて も一口飲むと、麦の香ばしい香りと一緒にほのかな甘味が口の中に広がった。

「……美味しい」
「うん、ちょこっと黒砂糖を入れてあるんだ」

 そのままも良いけれど、砂糖を入れて飲むなんてちょっと贅沢気分でたまにやりたくなるんだと、沖田は屈託なく笑った。
 ちなみにこの時代砂糖はまだ高価なもので、長家暮らしの庶民が気軽に日々の料理に使えたりはしない。

「沖田さん、そう言えば胸のほうは大丈夫なんですか? 何か、思いきり打たれたって聞きましたけれど」
「ああ、これ? うーん、まだちょっと思いきり深呼吸したり、激しい動きをしたりすると息がついていかなくて痛みが出るんだよね」

 でもこれで骨折なしで済んでるんだから運がいいのか手加減されたのかわからないと、沖田は自分の胸を摩りながら呟いた。

「普段の生活についてはもう支障ないから動いてるんだけれどね。 近藤さんも土方さんも過保護だから、あんまり動いている所を見られちゃうとまた布団に押し込まれそうで」
「私としては、身内の心配をするようなものなのかなと少しだけお二人の気持ちもわかりますけどね」
「あ、やぶ蛇だったかな?  ちゃんも二人の味方なんて酷いなあ」

 口では酷いといいながら、沖田の目は邪気のない笑いを見せていたので も笑い返す。

「あのさあ ちゃん。 ちょっと意見を聞きたいんだけど、いい?」
「……何でしょう?」

 瞳から笑みを消してそう切り出した沖田の様子がいつになく真剣だったので、 も持っていた湯飲みを傍らに置いて軽く背筋を正した。

「僕と ちゃんてさ、もう何度か手合わせしてるけど……君ってその腕の割には相当剣が重いし、攻撃の間合いがグンと伸びる独特の剣筋してるよね。 それって、重心移動が絶妙だからでしょ?」

 言うは易し、行うは難しで誰にでもまねできないそれが君の剣の強さなんだけど、と沖田は言いおいて続ける。

「見た目を裏切る、っていうのかな。けれど素で腕相撲なんかに持ち込んだばあい、明らかに僕のほうが力が強いんだよね。 そこでちょっと聞きたいんだけれど君の場合、相手の外見と剣筋から、大凡の相手がどれくらいの腕力なんだ、って見抜ける?」
「そりゃあ………少しは。 島田さんと永倉さんだったら、明らかに島田さんでしょうし、永倉さんと沖田さんだったら永倉さんかなあって」
「その心は?」
「島田さんはあの体格ですし、その上鍛えているから明らかに全体の筋肉量が他と違います。 あれに締め上げられたら逃げられる自信ないですよ」
「まぁ、そうだよね。僕だって島田さんと力比べはしたくないもの。けれど僕と永倉さんも、体格的にはいい勝負だよ?」
「永倉さんです。 明らかに、腕の筋肉の作り込みが違います」

 上半身のバネを使わない、純粋な腕力だけで言うなら絶対に永倉だと は言い切る。沖田もそれについては同感だと思う。
  の意見を聞いて、やっぱり外見からある程度分かるものだよねと沖田は頷いた。

「……それでさ、僕よりずっと細っこい外見で、君みたいな絶妙の重心移動も使わず、単に腕の力だけで島田さんのようなすごい力を持つ奴がいるとしたらどう?」
「化けもの、とかいいませんかそれ。 土方さんの体格で島田さんの怪力を出そうとしても土台無理ですよ」
「だよねえ。 僕も寝てろって言われた間にずっとそれを考えていたんだけれど、そういう奴が、僕の胸を強かに打ってくれたんだ」

 微妙な顔をする に、本当だよと沖田は念押しするように言った。
 池田屋での戦いの夜、自分が昏倒した原因もそれなのだと。

「それなりに剣の腕はあるようだったけれど、技術よりは腕の力とそれに支えられた速度で振り回す、そんな感じの剣を使う奴だったんだ。 なまくらで受けたりすれば刀ごとバキッと逝きかねない威力で、剣に似合うというか使い手もすごくふてぶてしかった」

 沖田にそう言われるようでは相当の良い性格をしていたんだろうと、 は察した。

「けれどそういうのを相手にして、よくそれだけで済みましたね? 倒れた所にグサリとやるのが普通だと思いますけれど」
「……見のがしてもらえた、っていうのかな。 これ以上留まっても意味がないし僕の相手も面倒だから取りあえずその場を離れたって感じだった。 ……あれの腕だったら、少なくとも僕を倒して近藤さんたちのいる階下へ加勢にいけたはずなのにそれもしなかった」

 ほんとにいろいろ、奇妙な奴だったと沖田は視線を彷徨わせる。あの夜の事を思いだしているのだろうと はその表情から察した。

「嫌な予感がするんだよね。 あいつとは、この先も関わる事になりそうな気がするんだ」

 それもとびきり面倒な問題がからんだ上で……だから君も少し気に留めておきなよと、沖田が珍しくも忠告してくれたので、 は素直に頷いた。
 そこまで話したとき、建物のほうでドタバタと足音が聞こえてきた。
 額に包帯を巻いた藤堂が、これ以上好きなようにされてはたまらぬと逃げ出してきたらしい。
  の部屋にでも匿ってもらうつもりだったのか、部屋のあたりで気配を伺い障子をあけてひょいと顔をつっこんでいた。
 庭からはその様子がよく見えて、沖田と は顔を見合せて小さく吹き出した。

「藤堂さん……じゃなかった平助君、こっち!」

  の声に気付いた藤堂が、庭の木陰で休んでいる二人を見てあっと声をあげる。沖田がそれに応えるように、片手の湯のみ茶碗を軽く持ち上げてみせた。

「平助君も持っておいでよ、麦茶まだあるからさ」
「わかった、ちょっと待っててな!」

 ドタバタと部屋のほうに駆け戻った藤堂は、自分の部屋から湯飲みを持ってくるとピョンと庭に駆け降りた。

「二人っきりでこんな所にいるなんて、ちょっと誤解しちまうぜ? ほい、これ一緒に食おうぜ」
「誤解してくれても僕は構わないよ。 あ、金平糖じゃないか、ありがと」

 手の平に乗るほどの小さな布包みを開くと、中には色をつけた金平糖がぎっしりと詰まっていた。

「平助君が甘いものって珍しくない? どっちかっていうと甘味よりもがっつりご飯派でしょ」
「いやぁ、それがさ。 医者が傷が膿まないように体の熱を取る薬だから飲めっていう薬がすっげえええ苦ぇの。舌が痺れるくらいなんだぜ! そこへ土方さんがさ、万能薬なんだからこれも飲んどけって例の薬も出すもんだから。 口直しがなきゃやってられないって、外に行く連中に買ってきてもらったんだ。 けどまだあるからさ、これは食っちまおうぜ」

 早く治りたいから薬は真面目に飲むけど、あれ続けたら絶対舌が曲がると藤堂は顔をしかめて舌を突き出してみせた。
 舌が曲がるとはうまいことを言うと、沖田も も声を立てて笑ってしまった。

「あー、でもわかるわかる。  ちゃんも腕の傷を治してたときに飲まされたでしょ、土方さんのあれ」
「うわあ、思いださせないで下さいよ……」

 それだけで口の中が渋くなるじゃないですかと が眉をひそめると、大丈夫、それなら味覚はまだまともだと沖田は太鼓判を押した。
 土方のアレ、例の薬とは、彼の家に伝わる家伝薬、『石田散薬』という粉薬の事だ。
 万能薬だが打ち身、骨接ぎには特に絶妙に効くとのそれを、土方は常備薬として置いていた。
 しかもその薬、本人に言ったら睨まれるが『熱燗で服用すべし』という怪しげな特徴があったりする。

「普通生々しい怪我がある人間に酒はどうかと思うんですけどね……あれ、効いたんだか効いてないんだか。 幸い無事に治りましたけど」
「効いたってことにしておきなよ。 でないとまた盛大にヘソを曲げちゃうからねあの人」
「うっわひでえ言い草!」

 怪我の跡を摩る に沖田がからかい混じりにそう言う横で、藤堂はケラケラと笑い転げる。

「あーおかしい。 所でさ、二人して何話してたのさ」
「ああ、池田屋の時の事だよ。 変な奴がいたって話」

  ちゃんにちょっと意見を聞いていたんだと沖田が藤堂に説明すると、藤堂は何ともいえない複雑な顔になって「あれかぁ……」と呟いた。
  も藤堂が額を割られた時の話は同じ階下で彼の側で戦っていた永倉から、帰還直後に話を聞いていた。
 何でも、刀も持たないのに恐ろしく手強い相手がいて、彼と戦って藤堂は戦線離脱を強いられる形になったが、彼もまた状況不利みるや仲間を見捨てて池田屋から離脱したのだという。

「実際あれ思いだすとさ、刀も持ってないのにすげえ迫力だった。 ……あそこで土方さんと一君が来てくれなかったら俺今頃墓の下だもんなあ」

 それにしたって拳でこれをやられたんだぜと、藤堂は包帯の上から傷を摩った。位置的に前髪で隠れはするものの、痕が確実に残るだろうという傷だった。

「ま、男の向かい傷だし? 傷が残った所で男前が上がるってもんだから良いんだけどな!」
「でもさ平助君。 拳骨でそんなにパックリいくものかな普通? 拳に暗器(隠し武器)でも仕込んでたのかもしれないよ」

 確かに藤堂の傷は拳で正面から突かれた感じではなかった。

「出来ますよ、それ。 ただ、相当の腕が必要になりますけど」

 多分これです、と は沖田と藤堂、二人の前で右手の拳を握ってみせた。
 小指、薬指、中指の3本はしっかりと握り込みつつ、人さし指を丸める感じで隣の中指よりも曲げた状態の第二関節が高くなるように握り、その下に丸めた親指を支えのようにあてがう拳の形を作ってみせる。

「中指の下に親指の支えを作る形もあるんですけど、こう、尖らせた拳を作って……普通はこれで、顔面か頭部の急所を狙うんです」

 この拳で殴るのは、手に負担がかかるから普段拳を武器として使いなれていなければ数発殴るのが限度だが、これで骨の薄い眉間を狙って殴られたりしたら普通の拳骨で殴られるよりもよほど効く。達人が打てば陥没ものだ。

「刀相手の無手で、私だったら顎や鼻の下、眉間や目を狙ってこれで一発いれますよ。 けどその相手は……こう」

 ちょっと失礼、と隣の沖田を使って打ち方の再現をさせてもらった。
 ちなみに は、刃物相手の無手も相当鍛練している。
 握力腕力の純粋な差で竹刀や木刀を飛ばされる事があってもすぐにそういう戦いに切り替えてくる柔軟性は沖田も認める所で、立ち会いの時にそういう形になったこともある。

「こうやって、打つ半分、擦る半分のような感じでやったんだと思います。 ただこれで人間の肉を切れるかというと不可能でなくても相当の研鑽が必要でしょう、私は絶対に無理です」
「ああ、確かにそんな感じだった。 腕を大振りにされてさ、当たったけれど思ってたよりも軽いなまだいける! と思った瞬間、視界真っ赤になるし壁に頭を打ち付けた時みたいに目の前揺らぐしさ」

 本当に参ったと平助は天を見上げた。

「やれやれ。 どっちも化け物みたいなのを相手にしてたってわけか……よくまあお互い墓の下にならずに済んだよねえ」
「言えてるよ。 それに俺さ、あいつとは長ーーいおつき合いになりそうな気がするんだよなあ、何故か」

 沖田に入れてもらった麦茶をくいっと煽ったあと、平助は持参した金平糖を数粒口の中に放り込んだ。
  もそれにならい、つまみあげた金平糖を口に入れて転がす。

「僕もそれを ちゃんに話してたとこ。 ほんと、何か嫌な予感がするんだ」

 そして、沖田の予感が当たったのかそれとも避けられない何かが両者を引き寄せたのか、新選組と奇妙な敵たちは再びあいまみえる事となる。










◇◇◇◇◇










 池田屋の一件で重要人物の多くを失いまたは捕縛された長州藩を中心とする攘夷派は、この恨み晴らさでおくべきかとばかりに続々と京に兵力を集め、今まで以上に京の平穏を脅かしていた。
 それに対し、新選組をはじめとする幕府側の勢力は警戒強化することで対策をとっていたが、攘夷派の動きがとうとう抑え難いものとなり暴発するに至る。
 後の世に言う、元治元年七月十九日、『禁門の変』の勃発である。

 京とその周辺各所に布陣した攘夷派勢力との緊張が高まる中、新選組に正式に出動要請が下された時にはすでに後手に回ったとしか思えない状態だった。
 天子のために戦場に出るという大戦への出陣に隊士たちの士気は高く、大いに沸き立っていたが、そんな中で土方はどうせならもっと早く要請をよこしやがれと激しく毒づいた。 

「今から動いたって満足は働きができるか怪しいもんだぜ。 ――五条!」
「はい」

  が居住まいを正すと、土方は の瞳を真直ぐ見据えて命令を下した。

「今回お前は前線に出ろ。 命の保証はねえが、そいつを承知して働いてくれるか」

 夏負けで病人が未だに多いのと、池田屋の戦いで受けた損害を埋めきれない状況で、お前を後方に控えさせておくことはできないと、土方はどこか苦々しい様子で言う。
 命令したあと返事を待たずにちらりと視線をそらしたその表情の変化を は見のがさなかった。

「私の身の心配なら無用です」

 そう が答える後ろで、今回屯所守備として残る事が決まった沖田と藤堂が顔を見合わせて小さく笑っている。

「……土方さん、素直じゃないから」
「だよなー。 正直に女の子を前線に出したくないって言えばいいのに」

  が女だということは隊士たちには秘密だから、彼等に聞こえるような大きな声では話さないが土方の地獄耳にはしっかりと聞こえてしまったようだ。

「てめぇら……聞こえてんぞ!」
「けどよ土方さん。 雪村君みたく後方支援じゃなくて女を最初っから前線に出すってのはいただけないと思うぜ、俺は。 せめて自分でどうしたいか選ばせてやっちゃどうだい」

 そんなの、どんな理由があれ男の名折れだろと原田が控えめに口を挟むと、土方もそれは気にしていたのかム……と言葉に詰まる。
 珍しく迷っている様子の土方と、それぞれの意見を持ちながらも が何か言い出すのを待っている様子の幹部たちを見回して、 は軽いため息をつくと、ひたと土方の目を見上げた。

「行きます」

 寸毫の躊躇いすらない口調に、そういうことなら仕方がないと土方も笑み返すことで答える。
 話がまとまると、出動の決まった幹部たちもそれぞれ急いで戦支度を整えはじめる。
  も額に鉢金をつけ、襷をかけた上から浅葱色の隊服を纏うと足拵えをしっかりと整える。
 大小の刀を腰の剣帯にさして、急所となる首元を襟巻きでくるりと巻いた姿は、ちょっと見では細身の青年にしか見えない。
 隊列を組み壬生の屯所を出動し、新選組は味方との合流地となる伏見奉行所まで辿り着いたが何と門前払いを喰らわされる事となった。
 新選組に出動を要請したことが味方に伝わっておらず、合流を拒まれるのは予想外だった。
 奉行所の面々では話にならないし命令で来た、来ないを言い合っても水掛け論にしかならないので、新選組は直属の上司である合図藩に指示を仰ぎ、九条河原で待機中の会津藩の部隊と合流することになった。
 所がそこでも、新選組が友軍として加わるなどという話は聞いていないし邪魔になるからひっこめとばかりに邪険に扱われて、とうとう一部の幹部が頭に血を昇らせて言い合いになった。
 幸い、近藤が絶妙の間をもって会話に入り、取りなしてくれたために刃傷沙汰にこそならなかったが、あちらこちらと走り回された挙げ句にこの扱い、新選組の隊士たちの顔には疲れと苛立ちがありありと浮かんでいた。
 結局会津藩兵とともに待機することになったが、何と待機中の彼等は予備兵力との事だった。

「……つまりは用がなければ出てこなくていいって事か……適当なもんだ」
「ったく! 俺等を呼びに来た時には一刻を争うような口ぶりだったくせによ!」

 苛立った様子で床几に腰を下ろした土方は、待機が決まったあとに手配して屯所から運ばせた握り飯を口にいれながら毒づいていた。
 隊士の皆も腹が減っては戦は出来ぬとばかりに、皆ぺろりと握り飯を平らげて、交代で仮眠を取る。
 陣は緊張状態にあったが、いつまで続くとも分からないなら少しでも休めるときに休んでおくべきだ。

「俺は仮眠するから、その間大将や他の連中のほうの世話もやいといてくれ。 半時たったら起こせ」
「はい」
  に握り飯の包みを押し付け、刀を鞘ごと抱くようにして体を支えると、座ったまま少し前かがみになって器用な格好で眠ってしまった。

 土方の眠る場所から離れると、かがり火に足す薪を持って は陣幕の外へと出た。 今頃近藤は今頃陣の中の別の場所に腰を落ち着けているはずだ。
 煌々と燃えるかがり火が昼間のように周囲を照らす中、戦場となっているだろう京の町のほうを遠く眺める。
 戦のせいで家々が灯りを落としているせいか、いつもは遠く眺めても都全体が闇にほんのりと浮かび上がる景色の光がどこか弱い。

 あの陰りの中は今一体どんなことになっているのかを思うと酷く不安な気持ちになる。

「らしくもない。 決めたはずだ、戦うって……」

 この不安を言葉にする術を知らない は、かがり火の光をすり抜けて心中に入り込もうとする闇を払うかのようにぽつりと言葉を漏らす。

 あの都で嫌な何かに出会ってしまうような……そんな心の疼きが止まらず、 は本当にらしくもないと思いながらも近藤の姿を探した。
 あのどっしりとした人の側なら、この漠然とした不安も闇も近寄ってこれない、そう確信にも似たものを感じて は歩を速めて陣の中を歩いていった。




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