羅刹女 ---4---


 土蔵のなかからこの世のものとは思えぬ絶叫と悲鳴が聞こえてくるに至って、勝手口で働いていた は隣にいた千鶴の耳を反射的に押さえていた。
 聞く所によると、 が運んだ山崎の情報をもとに引っ立てられてきたのは京に潜んでいる長州浪士のまとめ役的な大物だったようだ。 薪炭を扱う商人とは仮の姿、捕縛後屯所にもたらされた報告によると家には槍やら刀やらがたんまりと隠してあったのだから疑い用も無い。
 さらにご丁寧に会津藩の紋が入った提灯まで容易してあったのだからさらに穏やかではないときた。
 しかしその武器類を押収する前に奪還されてしまい、この不手際の報告を聞いた土方の額からはそれこそ角が突き出んばかりだった。
 こうなれば何をする気だったのか意地でも吐かせてくれるとばかりに、かなり手段を選ばない尋問をやっているのだが、相手もなかなか手強いらしく一向に口を割らない。
 先程まで悲鳴すらろくに上げなかったという、その手強い相手の口からあの絶叫が出ているということはあの土蔵の中で一体何をやっているか。
 少なくとも千鶴に見せるなどもっての他、聞かせるのもやめといたほうが良いだろうことは にもわかった。

「千鶴ちゃん、母屋の奥のほうに行ってな。 耳を押さえてあれ聞かないように」
「は、はい……。 さっき永倉さんが五寸釘と百匁ロウソクもってったんですけど、まさかあそこで何かに使ってるんでしょうか………」
「あー、考えない考えない。 想像すると不幸を招くよ、さ、奥に行った行った」

 ほとんど追いやるように千鶴を下がらせる。 ちなみに普段一緒に台所を使っている八木家の小女たちはとっくに怯えて母屋のほうに引っ込んでしまっている。
 土蔵はもともとが貯蔵庫だから、時には食品なども保存する。使い勝手の問題から台所と近い場所にあることも多い。
 つまりは筒抜けなのだ、ここは。

「すみません、誰かいますか?」

 母屋側から声がかかり、 はそちらを振り返った。
 一段高くなっている板の間と廊下の境目の襖のところに、山南が姿を見せていた。

「湯冷ましを一杯、いただきたいのですが」

 山南は手にした急須を軽く掲げてみせる。部屋に置いてあったものだが、飲みきってしまったのだろう。

「ああ、今足しますか」
「お願いしますね」

  は山南から急須を受け取ると、大きな鍋に湧かしてとってある湯ざましを柄杓で急須に移す。
 そうしている間にも、土蔵のほうから凄まじい声が聞こえてきた。

「……ああ、やっているようですね、土方君」
「あれやってるの、副長ですか……」
「ええ、存外あちらの口が固くて他の人でが音をあげたんですよ。 そこで彼の出番というわけです……見物に行きたいならおつきあいしますよ?」
「遠慮させてもらいます」

 そんな、食欲減退確実の光景など望んで見たくはない。
 げっそりと肩を落としつつも、以前怪我をした右腕で が空になった鉄鍋を持ち上げるのを見て、山南はわずかに眉を寄せた。
  は山南に背を向けているので、それには気づかない。

「はいっ、どうぞ」
「ありがとうございます。 五条君、お茶くらいでしたらおつき合いいただけますか?」

 見物に行かないのなら、ここではあれが耳ざわりだろうから部屋のほうで一緒に茶でもどうだと誘われて、 は意外の念に目を軽く見開いた。

「もちろん、雪村君も誘って」
「来ますかね、千鶴ちゃん。 ……山南さん、最近何かと嫌みを言ったりしてませんか?」
「これは、手厳しい」
「……手加減してあげてください。 隊士の皆や私ほど図太く出来ていないんですから」

 ここの所の山南の態度というか言動はどこか苛立ちや棘を含んでいて、前の穏やかな山南を知っている者はもちろん、そういう機微に敏感な者たちは時折眉をひそめるようになっていた。
 以前、大坂出張の折に負った肩から腕にかけての傷は、命に別状こそなかったとはいえ山南のもうひとつの命を奪うに至った。
 今の山南の左手、これは持ち上げてものに添えるくらいにしか役にたたない。剣を握るための握力が、ほとんど失われてしまった。
 加えて指を繊細に動かすような事にも難儀する。
 きき腕は右腕なので日常生活こそ支障は最小限ですんだが、武士ともなると「その程度でよかった」とも言っていられなかった。
 ……何より誰よりもいら立ちを覚えているのは山南だろうが、同じように腕に傷を負い、運良く回復した立場の はこれ以上の事を言うことはできなかった。











 夕刻すぎ、屯所の中がにわかに騒がしくなりはじめた。
  も他の隊士たちと同様に広間に集められ、捕虜の尋問から得られたというとんでもない情報を聞かされたが。これがまた我が耳を疑うような内容だった。

 風の強い夜を選んで京都御所に火を放ち、その混乱に乗じて天皇を長州へ連れ去った上、幕府や公家の要人を暗殺しようというものだった。
 幹部の皆はこれを聞いて一様に、長州の連中の頭のネジはどこかにとんでったらしい、と評していたが、 もまさしくその通りだと思う。

 この日本で、古今東西『天皇を攫う』などということを一体誰が考え付いただろうか。新選組でなくともこんな計画を聞かされたら相手の正気を疑うに違い無い。
 平和な時代なら、畏れ多いが過激すぎる冗談だろう、つか冗談は選べよ、と取り合ってもらえないか、考えるだけでも罪に問われて牢で頭を冷やす羽目になるかのどちらかだろうが、今の長州の連中はそれを本当にやりかねないから恐いのだ。
 そうでなくとも、孝明天皇のやりかたは尽く攘夷派のやりかたと反りがあわず、長州人にとっては思い通りにならない日々がずっと続いていた。
 何をするにも『天皇』をたてないと大儀が立たないから、手元に連れ帰って良いようにしてしまおうという魂胆がミエミエである。
 天皇が京を離れる、それがもたらす大混乱を、その混乱を見過ごさないだろう諸外国の動きを、長州人が読めないはずがあるまいに……。
 天皇を敬い攘夷と言いながら天下の大犯罪をやってのけようとは、根性が太い。

 そこへ、新選組に捕縛された同志『古高俊太郎』の奪還を計画する集まりがあると、情報が入ってきた。
 古高俊太郎は先程まで蔵で尋問されていた人物の事だ。トカゲの尻尾ではないが切り捨てるのが妥当と考えるとばかり思っていたのに、存外大物だったらしい。
 この報を受けた土方は慌ただしく出陣の準備を整える隊士たちに一通りの指示を終えると、自分の部屋に戻り を呼んだ。

「ご用でしょうか、副長」
「お前は屯所に待機しろ。 屯所待機の連中の指揮は山南さんが執る。お前はこっちに何かあったら八木さんたちを守って逃がせ」

 畳に座った に、土方は報告書から目を上げて憂鬱そうな視線を向けた。

「奇しくもお前の言ったとおりの状況が出来上がったぜ。 お前は近藤さんのほうにつけたかったんだが、俺たちの後方は絶対に大丈夫なんだっていう安心が欲しい。 ……そいつが、今日命をかける連中の士気にも繋がる」

 頼む、と小さく言った土方の短い言葉に込められているものを感じ取り、 は姿勢を正した。
 この男は、多分新選組の浮沈をかけることになるだろう一戦を前にして、『お前を信じて後方を任せる』と言ってくれているのだ。
 剣の腕があるとはいえ、女で、日頃雑用と他の隊士の仕事の穴埋めくらいにしか働いていない者を相手に。
 これに応えられずして新選組にいられようか。

「承知。 副長もご武運を」

 土方は視線を弛めて に笑いかける。
 誰に言ってやがるんだ? という声が聞こえたような気がして、 も視線をあわせると薄く微笑んだ。












 隊士たちは、今日の出動を相手に悟られないように数人ずつバラバラに出掛けていった。
 武具も荷物に偽装して追って届けるために、小荷駄の者たちがこれも少しずつ運んでいる。
 京の町は折しも祇園祭りの宵……大通りは夕涼みの男女であふれているだろう。それぞれ無事に合流出来ていればいいのだが。
 やがて、千鶴と は山南に呼ばれ、普段会議や食事に使われる広間に集まった。

「五条君。 病人たちの様子はどうです?」
「はい。 なるべく一ケ所に集め、いざというときに備えて刀を枕元に、腹を下していなくて体力に余裕のある者は胴守りだけでもしておくようにと通達しました。 これは駄目だという連中は、奥に移しておきましたが、こちらにも武器は配ってあります」

  はそう伝えると、一拍置いてから付け加えた。

「……ただ、彼等に護衛をつける余裕はありません」
「……結構です。 武器を手元に配したならもしもの事があっても刀も抜かずに死ぬような不様にはならないでしょう。いざとなったら自決もできます」

 さらりと穏やかな口調だったが、言っている事はちっとも穏やかではない。
 さらに酷かったのが、山南の千鶴に対する言い様だった。
 この期に乗じて逃げるかもしれないから、自分の目の届く所に居るように、もっとも逃げだすそぶりを見せたら斬ると笑顔で言ってのけた。
 あっけに取られる の横で、千鶴は気丈にも山南の目をまっすぐ見返し、逃げたりはしないと言い切っていたが山南はそれに対して薄く笑ってすませただけだった。
  も、千鶴がこの新選組に関係する医者の娘で、新選組は事情があって行方不明になっているその医者を探さなければならず、その手がかりの一環として千鶴を保護してくれているのだとは、千鶴本人の口から聞いていた。
 けれど見ている限り、千鶴に対する新選組の態度は半ば『監視』だ。それも自分たちに不都合あれば斬る、そういう雰囲気がありありと感じられるものだ。
  が新選組にやってきた冬の頃など、少し前にここに来たという千鶴に対する幹部たちの態度はどこかピリピリしていて、常に誰かが彼女の側にいるような感じだったし平隊士との接触からも意図的に遠ざけているように思えた。
 おまけに外出禁止まで言い渡されていると聞いた時はかなり驚いた。屯所内でも限られた場所しか歩けないような状態の上それでは軟禁状態と変わらない。保護、というのとはいささか違うように思えた。
 しかし本人がその状況に黙って甘んじている以上、強い事も言えないし口を出す権限もない。
 自分だって千鶴よりはマシとはいえ、『新選組にとって都合の悪い何か』を知ってしまった人間として、監視されている立場にある事を忘れた訳ではなかった。

 土方は、当初の約束をきちんと守っている。
 こちらの能力を使える場所に使うかわりに、あの多忙さの中で監察部を動かしこちらの探し人の情報をあたってくれている。それについては感謝している。
 千鶴も近頃では巡察に出る隊に同行するという条件で外出を許されるようになり、お互い監視の目も大分弛んできているようには感じていたが、あらためてこう言われると嫌なものだ。

「五条君も、わかっていますね?」
「言われなくても逃げやしません」
「そうですか。 雪村君ならまだともかく、君はこの状況下においては非常に危険ですからね」
「それだけの事ができる腕がある、というほめ言葉として受け取っておきます」

  の受け答えに、山南は眼鏡のふちを軽く撫でつつ唇の端だけを持ち上げて笑った。
 なるほど、前々から思っていたがいい根性をしている。ある意味沖田の性格に似たものがあるなと、山南は心の内で密かに呟く。
 これを本人たちに言おうものなら、「どこが似ている」と盛大に文句を言うだろう。

 それから暫く、無言の重苦しい時間が過ぎた。
 千鶴が一度立ち上がり、切れかけた灯明の油を継ぎ足す。
 ひどく重苦しい沈黙の中、 も山南も一言も言葉を発せず、開け放たれた縁側から見える都の闇をジッと見つめていた。

「……静か、ですね……」

 油さしを片付けようとしていた千鶴がふと廊下のほうを見た。
 灯りの届かない範囲に、蒸し暑い闇がじっとりとわだかたまっているのを感じ、千鶴は身を震わせた。
 首筋にひやりと冷たい金属を当てられたような嫌な寒気がして、千鶴は早々に の隣に戻った。

「山南総長」

 気配もなく突然ふってわいた声に、千鶴も もヒャッと肩を竦ませた。
 いつのまにか山南の側に、黒装束を着込んだ山崎がおり、事が動いたようだと報告していた。
 その報告を受けて、山南はこれはまいったと脱力する。

「……新選組は、存外賭け事に弱いようで……」

 山崎の報告によると、会津などの援兵を待たずに動いた新選組は、近藤率いる10名と土方率いる24名のふた手にわかれて、浪士が集結しているとみられる2件……池田屋と四国屋に向かったという。
 この2件は、ここに浪士が集まっていると踏んだ情報を絞り込んだ中で、最後までどちらか判断しかねていた2件でもある。
 そして悪いことに、数の少ない近藤の向かった池田屋こそ本命で、多数の浪士が集結しているという。
 一刻も早く人数の多い土方隊を呼び戻さなければ勝ち目はない。
 山南の判断は素早かった。
 こちらから伝令に出せる人員は限られている。
 山崎と千鶴を伝令として四国屋に向かわせ、途中襲撃されることも予想しその場合は山崎が盾となり千鶴だけでも走らせる。
 山崎と千鶴はその判断に従い、屯所を飛び出していった。

「……山南総長……」
「君はここに待機してもらいます。 実は屯所外には現状で動ける者たちを配備してあるのですが……」
「え?」
「まぁ、隠し兵力といった所でしょうか。 彼等が働くようなことにならねば良いのですが、もしもの場合あなたは八木さんたちを守ってここから脱出してもらいます」

 さすがに好意で家を屯所として使わせてくれている一家を見捨てるのは人の道に外れていると思うし、土方からも を残すからもしもの場合は八木さんたちを守る事を優先させろと言い含められていた。

「……傷病人では邪魔にならないようにするか、身を守るので精一杯です。 お願いできますね?」
「……はい」
「では、これより八木さん一家が寝んでいる奥の部屋周辺の警護を命じます。 新選組に恩義のある方々、命に代えてもお守りしなさい」
「承りました、では」

  は一礼すると、刀を持って奥へと下がった。
 八木家の子供たちは眠っていたが、新選組の物々しさは伝わっていたらしく大人たちは交代で起きて事が済むのを待っているようだった。
 ちょうど起きていた当主に事情を説明して新選組が大捕物の最中であること、そのスキをついて屯所襲撃をされてこちらにも危害が及ぶかもしれない可能性を説明し、警護にあたることを告げた。
 だが、幸いにして襲撃などは起こらず、池田屋から新選組の勝利と凱旋を告げる伝令が駆け戻る頃には、すっかり夜が明けていた。
 これならもう大丈夫、と警護を辞した は、またも忙しく働く羽目になった。
 伝令の言うところによると、蒸し暑い昨夜からの動きまわり、出動した者たちは汗みずくの血みどろ、死人もけが人も出ているし、勝利に沸き立っってはいるが疲労困ぱいしているはずだと。

 山南が改めて八木家に一晩よけいな気をもませた事の事情説明と詫びの挨拶に行っている間、 はすぐさま隊の小者と病人の中で比較的動ける者たちを指揮して出入りの武具商と医者を呼び、八木家の風呂を借りて沸かし、それでは足りないのでさらには鍋という鍋に湯をわかし庭にタライと水も用意して、さっぱりと体を拭けるように計らった。
 さらには飯を炊いて八木家の小女たちに手伝ってもらって大量の握り飯を作り、腹を満たしたらすぐにでもぶっ倒れて高いびきをかけるように静かな数室に布団を延べて心置きなく眠れるようにしておいた。

 凱旋を聞いた壬生村の人々が屯所のまわりに集まってくるころ、朱に白で『誠』の文字を染め抜いた隊旗が夏の光に鮮やかに映えつつ近付いてくるのが見えた。
 誇らしげに胸を張って帰って来た面々は思った通りの状態で、やはり被害なしという訳にはいかなかったらしく自力で歩けず戸板に乗せられて帰還の者もいた。

「お帰りなさい、近藤局長」

 出迎えに山南が一礼するのに、近藤は満面の笑顔で鷹揚に頷いてみせた。
 解散命令が出されるやいなや、一緒に出迎えに出ていた も急がしく動き出す。

「怪我人はあちらの一室へ。 医者を待機させてあります。 無事な面々は、裏のほうに湯とタライを用意してあるからそっちで顔だけでも拭くといい、武具を損じた者がいるなら保管庫のほうに武器商人と小者がいるからそちらに言って代用品を受け取るか必要なら新しく発注してくれ。 飯もたけてるから食欲のある奴は厨(くりや)のほうに」

 パッパッと人の流れを仕切ってゆくその手際の良さに、彼女と馴染みのある幹部たちは横を通る際に笑いながら声をかけた。

「いよっ、遣り手みたいだぞ」

 原田がからかい混じりにそう言ったので、 は腰に手をあてつつくるりと振り向く。

「……さすが、軽口が叩けるくらいには余裕があったみたいですね、原田さん?」
「おっとこいつはやぶ蛇だったか、目が恐ぇえぞ。 そうさな、俺はまだまだ余裕があるが……

 幹部連中の被害が意外と出てると、立ち止まった原田は軽く肩を落として首を振る。
 そして、永倉が手に血まみれの包帯を巻いたまま飯のある方へ行こうとしているのをしっかり見つけて、

「おいこら新八! お前は先に医者のほうだろうがよ! 雪村君」

 幹部たちは、千鶴や の事を隊士たちや他人の前では名字で呼ぶ。それは二人が明らかに女名前のせいもあるが、他の隊士たちが思っているほどには二人を特別扱いしてはいないという印でもあった。

「はい、何でしょうか」

 高い声で答える千鶴に、原田は永倉のほうを指さして、

「そいつを医者の所まで引っ立てていってくれ。 渋るようなら傷口をつねり上げてやれ」

 心得ましたとばかりの千鶴に行く手を阻まれ、微妙な迫力の目でキッと睨み上げられ、永倉は「飯が無くなる……」とぼやきながらも降参して大人しく医者のいる部屋に連れられていった。

「……千鶴ちゃん、お見事……」
「だよな。 あれは他じゃあできねえ」

 吹き出しそうになるのを押えながら、 が小さく呟くと原田もおかしくてたまらないというようににんまりと笑っていた。

「それとよ……忙しい所悪ぃんだが、坊主の手配も頼むわ」
「……」

 原田がそっと背後を振り返ると、ちょうど戸板の上の体に誠の旗を広げて載せた骸が運ばれて行く所だった。

「せっかちな野郎でよ。 俺が池田屋についた時には息がなかった。 それに後二人、遠からず坊主の世話にならなきゃならん奴がいる」
「……承知しました」

 そうでなくとも夏場の傷は膿みやすく、後を引きやすい。
 ましてや遺体ともなれば、この暑さの中一日置くだけでも大変だ。縁者があるなら遺体を引き渡してやりたいが、それも無理だろう。
  は神妙な心持ちで戸板が運ばれてゆくのを見守った後、原田にあらためて目を向けて頭のてっぺんから足下まで見下ろした。

「原田さんは怪我は……?」
「俺は怪我ひとつ無ぇよ。 何だい、心配してくれたのかい」
「ええ」

 照れて否定するとばかり思っていた の素直すぎる答えに、原田のほうが虚をつかれたように次の言葉を失ってしまう。

「言い忘れてました。 ……おかえりなさい」
「……ああ、ただいま」

 命を落としたり深手を負った者たちには悪いが、あの遺体のようにならなくてよかったと、言葉にせずとも充分に伝わる表情をされて迎えの言葉を言われたらまさしく男名利につきるというものだ。
 命がけの戦場からようやく帰ってきたのだという事を実感しながら、原田はそちらもお疲れという意味を込めてポンと の肩を叩いた。








 帰陣後の騒ぎが一段落した頃、 は局長室に呼ばれてそちらへ顔を出した。

「改めまして、お帰りなさいませ、局長」
「おう、五条君! 諸事手配御苦労だったな、助かったよ」

 廊下に座って挨拶すると、近藤がねぎらいの言葉をかけてくれた。それに対してもありがとうございますと目を伏せて一礼する。

「いや本気で有難い。 血みどろで帰ってきた所に風呂がわいていて飯もある、すぐに寝れるように布団もしいてある、疲れてる連中にこれ以上の歓迎もねぇ」

 近藤に同席していた土方も上機嫌でそう言ってくれた。
 今は近藤も土方も風呂で昨夜からの汗と血を流して前の合わせを緩めた着流し一枚、洗った髪も下ろして紐で緩く括っただけのさっぱりとした姿だ。
 だらしない姿だというのに、二人とも妙に色気があるから困る。

「君は雪村君ともども、明日まで非番扱いとしておくから暫く休みたまえ」

 嬉しい申し出だが、人手の足りない今こそ働かなければ事が回らないだろうにと視線を上げて訴えようとすると、土方がピシャリと言った。

「休め。 どうせこの後、使いっぱしりやら雑用やらが山ほど出てくるからその時に存分に働かせてやらぁ」
「は……はい。 では千鶴ちゃんと一緒に休ませていただきます」
「その雪村君だが、今どうしてるかね?」

 近藤の問いに、確かけが人を診ている医者の手伝いをしているはずだと答える。
 応急手当ての知識くらいはあるということで、助手としてかり出されている所だ。

「……あいつも伝令に走ったりして昨夜から動きづめだ。 何か言っても襟首つまみあげて布団に押し込め、いいな?」
「……はい」

 思わず笑み零れてしまいそうになるのを、 は顔の筋肉を総動員して押えなければならなかった。
 昨夜は自分たちの立場を想い出させられるような嫌な思いもしたが、やはり皆妙な所で優しい。
 後は隊の小者と病人の中でも比較的マシな者に働かせ、報復が懸念されるので屯所警護については会津から援兵を頼むということだった。
 局長室を出るとやはり医者の所で忙しく働いていた千鶴に休むようにという話を聞かせた。
 怪我人の診察のほうも、すでに重傷者の治療は終っており医者のほうでも後は自分たちでどうにかなる、という事だった。
 隊士たちの目を離れれば、女同士という秘密を共有しているという気安さも手伝って、自然話が弾む。
 お互い昨夜から働き詰めの事もあり、体の汗だけでも拭き取ってから寝ようと、平隊士たちが滅多に近付かない幹部たちの部屋に近いほうにある の部屋に盥と湯を持ち込み、襖と障子には念入りにつっかい棒をしてから二人は着物を脱いで汗を拭き取っていた。
 本当なら髪も洗ってさっぱりとしたい所だが、八木家と前川家の風呂はまだ順番で幹部たちが使っているし、庭でもまだ隊士たちがちらほらと体を拭いたり井戸で頭から水を被ったりしていたので邪魔をする訳にもいかない。

「ああ、千鶴ちゃんもやっぱり晒しを巻いているんだ」
「はい、目立つといけませんから、苦しいのはちょっと我慢です」
「そうかなあ、私なんかは女の着物のあのぶっとい帯のほうがよほど苦しいけど」

 胸の息が残らず出てしまうような勢いで締め上げるものを終日身につけて動くなんて、男装歴が長い身としてはそっちのほうが大変だと はケラケラと笑った。

さん、背中拭きっこしましょう」
「そうしよっか」

 暫し、肌が綺麗だの胸が見た目より大きいだの、男が聞いたらよろけそうな会話をしながら体を清めて道具を片付けると、さっぱりとするとそのまま布団を強いてそのまま二人でひと眠りする事にした。




 前へ / 薄桜鬼・トップに戻る / 次へ