羅刹女 ---42---
4月25日の事だという。
助命嘆願の効なく、新選組局長・近藤勇は板橋の処刑場で斬首に処されたという。
知らせは風のように早く会津まで届き、斎藤は城内でその事実を知らされた。
「……斬首」
喘ぐように、掠れた声で
は斎藤の言ったその言葉を繰り返した。
切腹は武士として名誉ある死の形だが、斬首は罪人を処分するための穢れたものだ。
仮にも正式な幕臣・侍となった者を、生まれの卑しい百姓の倅風情の侍ごっこに付き合う必要はないと罵り嘲られた挙げ句、ゴミ捨て場のような場所で罪人を戒める不浄縄を打たれたまま首を落とされた。
江戸で、土方が助命嘆願を書き綴った手紙を託した隊士も、おそらく無事ではおるまい。もしかすると、近藤ともども処刑されてしまったかもしれない。
本当なのか、と聞く気もおきなかった。
斎藤が嘘をつくような性格ではない、という理由ではない。
新政府軍にとって、『新選組局長・近藤勇』が、どれだけ勤王の同志を殺された憎い相手かという事を考えれば、酷すぎるその扱いも納得できたからだ。
「………誰よりも武士であろうとした人を、武士として死なせなかったばかりか」
はギリ、と拳を握りしめた。
「自分たちの憎しみに任せて、獣のような扱いの果てに殺したというのか……!」
も新選組預かりの身になったばかりの頃は、近藤の事を他の幹部たちに比べてまだ信用できると思っていたものの、所詮は人斬りの親玉くらいにしか考えていなかった。
だが、新選組とともに過ごしてみてその考えも大分変わっていた。
時勢が煮えたぎり、下手に動けば火傷を負いかねないからと日和見を決め込む者が多い中、近藤はかたくななまでに侍であろうとした。
太平の世に腑抜けて刀を差しているかどうかでしか区別のつかない軟弱者とは違う。
己の心の中に描いた侍の姿に向かい努力し、徳川幕府にあくまでも忠節を尽くし、時勢が読めぬ愚か者と言われても信じたものを守る、一途な姿を見続けてきた。
「……この事、土方さんには」
伝えてから行くつもりか、と
は視線で斎藤に問いかけた。
「だめだ、伝えられん。 すくなくとも怪我がはっきりと快方に向かうまでは」
破れかぶれになって戦場へ突っ込むか、後悔で己を殺してしまうか、そんな事になっては目もあてられない。
「平隊士たちにも伝えられん、士気が乱れる。 あんたもそのつもりで居てくれ」
「……わかった」
「五条?」
の握りしめた拳が震えている。
うつむいた顔は、斎藤からは光の加減でよく見えない。
だがポトリ、と落ちた滴が軍靴の上に跳ねた時、さすがの斎藤もぎょっとなった。
「……私が、無理にでも身替わりになっていれば……!」
ぽろり、と零れた二つ目の滴は、地面に吸われて消えた。
なぜ、近藤を縛り上げてでもそうしなかったのか。
あの時、新政府軍の前に出頭すると決めた近藤に、顔の割れていない自分が身替わりで行くからと申し出た。
新選組を潰さないために、それが最良だったろうし、これで自分が世話になった分と弟を見のがしてもらった恩を購える、そう思ったのも事実だ。
自分の命ひとつで、大切な人たちと消してはいけない志を守れるなら安いものだとも。
「私が、行っていれば……」
近藤はまだ生きていて、もしかしたら会津にたどり着けていたかもしれない。
会津の景色と人の誠実さに心を癒されて、立ち直ってくれたかもしれない。
「近藤さん……」
「待て、五条。 あんた、一体何をしようとした」
斎藤は、あの事よりも前に会津に先行していたので新政府軍に包囲された時の騒動を知らない。
ぽろぽろと涙を零し続ける
を建物の影に引き込み、肩を掴んで正面から瞳を覗き込んだ。
「……」
「五条」
言っていいものかと迷いを見せる
の肩を軽く揺さぶり、斎藤は口調を強くした。
斎藤もかなり慌てていた。
何せ、
の涙など見た事がない。
京での最初の出会いの時でさえ、血に狂った羅刹に殺されそうになり、さらには自分たち新選組に抜き身の白刃を突き付けられてもふてぶてしい態度を崩さなかったくらいだ。
その後、新選組で共に過ごす事になっても、
は男以上に働いたし、滅多な事では弱味も見せなかった。
鬼副長の冷たい態度にも恐れず、沖田の物騒な脅しにも毅然と顔を上げていた。
それでも後になって随分崩れた表情も見せるようになったし、笑ったり照れたり、はっきりと怒ったりするようになったが、泣いている顔は想像もしなかった。
……できなかった。
「……流山で、新政府軍に包囲されて」
がぽつり、ぽつりと話した事をつなぎ合わせると、新政府軍に包囲されてもはやこれまでと腹を括った近藤は、自分が囮となって土方たちを逃がすために自ら新政府軍の元に出頭したという。
もちろん、新選組の長とばれては命がないから、甲府攻めの前に幕府から賜った名を名乗って正体を隠しての事だった。
だが、結果は。
この結末が分かり切っていたから、
は近藤の顔が相手に割れていないのを生かして、自分が近藤の身替わりとして出頭しようと考えた。
土方もその作戦に賛成した。
もちろん、後で絶対に助け出す、その覚悟の上でだ。
斎藤は、自分がその場にいたら、冷静に土方と
の案を支持していたと考えた。
しかし、
もまた、新政府軍相手にシラを切り通すには新選組に関わり過ぎている。万が一、顔を知っている者でも敵方に居たのなら、口に出すのも憚られるような目にあわされるに違いなかった。
近藤の死を悼む気持ちと、
が身替わりになどならずにいてくれてよかったと考える気持ち、どちらを口にしていいのか戸惑い、斎藤は喉元まででかかった言葉を飲み込んだ。
その代わり、
の肩を引き寄せ、正面から抱き締めた。
「自分を責めるな。 ……少なくとも、あんたひとりが負うべきものではない」
飲み込んだ言葉の代わりに出てきたのは、そんな分別くさい台詞だった。
こんな事しか言えない自分をふがいないと感じながら、斎藤はじっと軍服に包まれた肩に涙を受け止め続けていた。
「あっれーー、
じゃん! てっきり土方さんの側にいるとばっかり思ってた」
「人手足りないから小姓たちに任せて、こっちに来いってさ。 久しぶり、平助君」
新選組が借りている陣屋。
白河城攻略のための部隊は一部先行していて、斎藤たちは猪苗代湖の南、三代の地で彼等に追い付いた。
こちらには羅刹隊も加わっていて、陽が沈んだ後起きだしてきた彼等と久しぶりの再会となった。
暫くこのあたりで休陣し、他の隊との合流や新兵の訓練と白河城攻略のための偵察などを行うとの事で、姑くは腰を落ち着けられそうだと
はホッと一息ついた。
「正直な所、一君ちょっとキツそうだったからさ。
が来てくれたんならかなり助かるよ」
何だかんだで、羅刹は昼間動けないし、基本的に『存在していない』事になっている。
新選組だけで行動する訳ではないから、なるべく他の隊の者と接触しないように半ば身を隠している羅刹隊では、京以来、ただひとり残った小隊長として指揮を取る斎藤を、表立って手伝ってやることはできない。
藤堂にしても手伝いたいのは山々なのだが、できる事といったら夜間の偵察や、少人数で出撃しての遊撃くらいだ。
話をしているうちに、山南もやってきた。
「おや五条君。 暫く見ない間に美味しそうになりましたね」
「人をみて一言目がそれですか、山南さん?」
「いえいえ、悪気はありません、正直な感想ですよ」
羅刹は親しい人、好意を持つ人など、自分が感情を揺り動かされる相手の血をより美味に感じる。
以前は本当に取って食われそうな目で見られたが、山南の言葉に悪気はないとわかっていたから、
もちょっと呆れただけというふうに返した。
「宇都宮の戦いの事は、こちらまで聞こえてきていますよ。 我々はこれから『朝食』ですが、五条君もよかったらどうです?」
山南にそう言われて、
は思わず自分の腹を押さえた。
そういえば、ここ数日まともに座って食べていない。
斎藤の手伝いは、腹ごしらえをしてからでも遅くないだろう。
「では、御相伴させてください」
羅刹隊の食事が終わった頃、斎藤が部屋へとやってきた。
斎藤は、『表』での軍議が終わると、羅刹隊の元にやってきて、彼等にしかできない仕事への指示を出す。
会津の攻略対象になっている白河城を落城せしめるには、まず周囲の地形や城内の兵力、また城に詰めている各藩兵の結束がどれほどのものかなど、情報を集めるのが大切だからだ。
畳の上に広げられた地図を前に、斎藤も山南も難しい顔をしている。
「白河城は、奥羽諸藩にとって守りの要となる城です。 現在は仙台藩を中心として、二本松、三春などの藩兵が詰めているだけなので、城に入るだけなら簡単でしょう」
山南の言葉に、
は首を傾げた。
「……仙台も二本松も三春も、上辺だけは新政府軍に従っていますけれど……立ち位置微妙ですよね? 力づくで奪い取ったりしたら、反感買って完全に新政府軍側に回りませんか?」
「その可能性を差し引いても、白河は重要拠点なのです。 もし敵に回られたとしても、白河以南の藩では大兵力を動員することはできません。 藩の規模からすると、仙台、庄内、会津くらいですよ、大兵力を出せるのは」
「そうなっちゃっても、仙台は会津の後ろですし、庄内はもっと北より……遠くの白河城までわざわざ手を伸ばすのは返って面倒ですね」
「そういうことです」
だから、攻め落とすというよりは、ここは会津が責任もって守るから、本国の守りに戻っても大丈夫だよくらいの心づもりでいいらしい。
だが問題はその後だ。
山南は、地図上にある宇都宮城を指さした。
「新政府郡は、宇都宮を拠点として押さえました。 ここを足掛かりとして攻めてくる事でしょう。 あちら様も、白河城を攻め落とす意味は分かっているでしょうから、かならず攻めてきます」
会津を守る砦であり、周辺交通の要所でもある。
会津を包囲し、逃げ場を断つ上で、ここを押さえる意味は大きい。
それに、と山南は続けた。
「新政府軍に組織だって対抗するために、『奥羽越列藩同盟』なるものも結成される動きです。 すでに新政府軍の会津への苛烈な要求を和らげようと、和平交渉も行なわれていますから、結果如何では今後戦況は大きく変わります。 そうなると、白河城をどちらが押さえるかはさらに重要になってくるでしょう」
山南の言ったとおり、四月二十一日。
白河城はあっさりと、会津の手に落ちた。
その日、白河城を守っていた主力軍は二本松藩兵だったが、戦闘はほとんど上辺だけ、両軍ほとんど被害はでなかった。
というのも、先日から奥羽烈藩同盟が新政府軍に打診していた和平交渉がついに成らなかった事が大きく影響している。
会津憎しで兵を進めて来ようとする新政府軍に対し、奥羽烈藩同盟がもちかけた会津藩寛典処分嘆願が却下され、主立って交渉した仙台藩に対しても、新政府軍は到底飲めない条件を押し付けた。
会津の同類として滅ぼされたくなければ、全面的に新政府軍の言い分を飲めとの高圧的な態度に、奥羽諸藩の多くが憤慨した。
賊の汚名をさけるために形だけは新政府軍に協力的だった藩も、新政府軍に義は無しと結成されたばかりの奥羽烈藩同盟に次々と加わった。
「ね? 言った通りだったでしょう?」
白河城下の武家屋敷を本陣として借り受けた新選組。
軍装を解かないまま縁側に座った山南は、余裕の表情を見せていた。
煌々と照る月明かりが、夜だというのに濃く山南の影を地面に落としている。
山南の隣へ握り飯と漬け物、茶を乗せた盆を置いた
は、盆を挟んで山南の隣に座った。
「そうですね……」
の元気がない様子に気付き、山南は握り飯に伸ばしかけていた手を止めた。
「女性の憂い顔は美しいものですが、やつれるまで思いつめてしまうのは、いただけませんよ?」
そう言われて
は自分の頬に手を当てた。 何だかんだで食べものが喉を通らないなんて事はないし、やつれるはずもないのだが。
「近藤さんの事ですか?」
問いかけに、返事がないのが何よりの答えだった。
山南は独り言のように、斎藤君が口外無用という条件で幹部にだけ告げたと続けた。
「……生き方も、死に場所も、ままならぬものです。 それはあなたも、よく知っていることでしょう?」
「……それでも、あんな終わり方をしていい人ではなかった」
胸のうちの痛みを濃く滲ませた
の声に、山南は小さく溜め息をついた。
変若水の力で動くようになった自分の腕を撫で、僅かに目を伏せる。
人生は、本当にままならない。
山南は、
が近藤と出会う前の彼を……貧乏道場の主だった時代を知っている。
かつて近藤の人柄に惚れて、貧乏道場に出入りするようになった身だ。
近藤勇は、他人に憎まれるような人柄ではない。
だが、『新選組局長』の近藤勇を憎む人は、数えきれないほどいる。
新政府軍に『近藤勇』とばれた時点で命は無い、本人もそう、わかっていたはずなのに……。
「近藤さんは……『新選組の近藤勇』でいることに、疲れたのかもしれませんね」
山南の言葉に、
はゆるゆると顔を上げた。
山南は、伏せていた目を上げて、夏の夜空を見上げる。
ぽっかりと浮かんだ月のあかりが、開放的な明るさを滲ませた夏の闇が心地よい。
さして遠くない過去、同じようにして夏の夜空を眺めていた。
傾きかけた貧乏道場の庭先で、近藤がにこにこと笑いながら暑いのにもろ肌脱いで相撲に興じる食客たちの姿が見える。
縁側には、井戸水で冷やしただけの瓜と安い酒。
放っておくと際限なく飲み食いしてしまう連中から守るように、盆の傍らに座った山南は、座って呑んだらどうだと近藤に声をかける。
近藤が、古ぼけた浴衣を着た肩ごしに振り向く。
そうするか、と笑う表情は、何とも満ち足りた顔をしていて、夏の月明かりがそんな姿の輪郭を浮かび上がらせ、山南もまた目を細めた。
あの日の風の匂い、月明かりの色、青くさい瓜の味まで、克明に思い出せる。
なのに、自分も、周囲も、また近藤自身も……あの日の笑顔ができなくなったのがいつなのかは、思い出せないのだ。
そうして疲れたことにさえ気付かず走り続けた先の結末は、知らされた通り。
悔いても嘆いても、近藤も、あの笑顔も、満ち足りた時間も、戻ってはこないのだと。
あの日と同じに見えながら、違う夏の月が嘲笑う。
いつしか山南は、夏の月を睨み返していた。
時流も、運命も、後の人々も、自分たちを笑いたくば笑えと。
自分たちの生きざまを、決意を、死にざまを笑った全てを笑い返す事ができるくらいにはなってやると。
それが、倒れていった者たちが……近藤が、『生かしたい』と思った者たちへ残せるものなのだから。
「(近藤さん、あなたは新選組局長でいることに疲れても……)」
視線を戻した山南は、
に視線を戻して柔らかく微笑んだ。
山南の表情に、
のほうが面食らう。
「(それでも、生かしたかった)」
目を丸くしている
に、山南は、
「斎藤君から聞いていますよ、あなたは近藤さんの身替わりになって新政府軍に出頭しようとしたそうですね」
「話したんですか、あの人。 ええ……あの時の自分の楽観ぶりをいくら呪っても足りません。 近藤さんを縛り上げてでも、私が行くべきだったんです」
は山南から視線を反らし、自嘲的な笑みを浮かべる。
「けど、私が生かそうとしたのは新選組局長の近藤勇でしかなかったんですよね。 近藤さんの心が『疲れた』って悲鳴を上げていたのなら、余計に追い詰めるような真似をしてしまった」
結末は、あまりにも残酷なものだった。
山南は、おっとりとした声で言葉を紡ぐ。
「かつての五条君の立場からすれば、近藤さんが死んだからといって、そうまで思いつめる事はなかったはずですよ。 精々、食いつめ浪人集団の頭が死んだか、お気の毒さま、くらいにしか思わなかったでしょうにね」
「……大分毒されましたかね、私」
「ええ、見事に馬鹿が移りましたね。 残念ながら治る見込みはないので、どうせだから馬鹿の行く末を見届けませんか」
「山南さん?」
「馬鹿の親玉が心を残した、新選組を。 あの人が何を生かしたかったのかを」
山南にはわかる。
近藤が何より生かしたかったのは、『家族』だ。
己の士道を踏みにじられても、命と引き換えにしてでも譲れないものだったのだ。
そうでなくば、不動堂村の屯所が出来た時に、やっと同じ志を持つ者の『家』が出来た、とあれほど喜ばなかっただろう。
「看取ってくれとは言いません。 ただこの先、勝つにせよ負けるにせよ、別の道を行くにせよ……新選組の中で後世に語るに値するものを見つけて欲しいのです」
「後世に語る、ですか?」
「そう。 近藤さんが生かしたかった新選組とは、どういう場所で、どういう者たちがいて、どんな毎日を過ごしていて、どんな志が集っていたのかを」
僅かに気力を取戻した様子で問い返してきた
に、山南は頷いてみせる。
「こんな言葉を御存知ですか。 歴史は勝者が作る、という」
山南はたとえば、と続け、
徳川の世において、戦国大名たちの武勇が尊ばれ、語り継がれている中で、豊臣家の話題だけは、物語として残す事も歴史研究として残す事も禁じられている。
徳川家が勝利者として天下を取った後は、自分たちの都合のよいように世の中を作りかえるために、旧権を持つ豊臣家を徹底的に弾圧し、『歴史から抹消』しなければ安心できなかった。
その心理が、この戦にも如実に表れている。
新政府は、旧権の徳川家から土地も権力もなにもかも奪ってしまわなければ安心できない。できれば地上から血脈ごと消し去ってしまいたいと思っているはず。
やがては歴史からも消し去り、あるいは悪い時代の支配者と決めつけ、自分たちが権力を取った事こそこの国の未来にとって有益であったのだと正当性を主張したいはずだ。
「このままゆけば、旧幕府に組した勢力の全ては、弾圧の対象となり、歴史の中ですら歪んだ存在として語られるでしょう」
「そんな……」
「ばかな、と思いますか? 残念ながら、勝利者のやることなどどこも大概一緒ですよ」
新選組は、旧幕府の先兵として、勤王の志士たちを無差別に殺した凶悪人斬り集団とでも書き立てられますかね、と山南は冗談にならない事を言う。
も最初こそ、食いつめ浪人が会津藩の後ろ盾を得て、京都市中の安全確保とは名ばかりの中身のない警邏組織が幅をきかせているだけだ、と思っていた。
短くはない時間彼等と共に居て、そうではないことを肌で知った今となっては、変な悪口を言われるほうが腹が立つ。
「でも、山南さん。 私が戦の中で死ぬかもしれないんですよ? そうなったら語り継ぐもなにもないじゃないですか」
「そこは、なるべく死なない方向でお願いします」
それにね、と山南は、片腕を伸ばし
の方を抱き寄せよせる形を取った。
だが、二人の間にある盆が邪魔をして、山南の腕は
の方にすこしばかり届かない。
「この距離が良いんです。 ……あなたは、抱き寄せられそうで抱き寄せられない、そんな距離をずっと新選組の中で保っていました。 あなたの意思で逃げない、目をそらさないでいてくれたからこそ見えてきたものを、もう少しだけ見続けてくれませんか」
私達のように、どっぷりと浸かってしまった立場からでは見えないものも、語れないものもあるのだと、山南は腕を戻す。
「さて、さめないうちに頂きますね」
山南は握り飯に手を伸ばすと、ぱくりと一口頬ばった。
羅刹といえども、食べて眠る。
平和な時間や、戦の行く末に、思いを馳せる。
考えて、考えて、何を生かすか、何を守るか、何を伝えるかを決めていく。
迷って、迷って、迷い続けているうちに時間はどんどん迫って、取り返しのつかない時になって後悔しても遅いというのに。
自身も、ここに至っても自分がゆくべき道を見出せないでいるふがいなさに嫌気がさしていた。
納得できる道は自分で見つけださねばならない、そんな大口を土方に対して叩いていたのに情けない、明日にも死ぬかもしれないくせに、まだ迷っている自分がもどかしい。
そう思っていたものの、これから何を守り、何を見据えて生きていけばいいのか今だ見えてこなかった。
そんな中で、ただひとつだけはっきりしていることがある。
新選組から逃げようとは、思わないのだ。
この先にあるのが、どんなに過酷で、どんなに血なまぐさい戦場であるとしても。
沖田に、あの人たちをお願いと託されたからではない。
近藤の死に負い目を感じているからでもない。
土方の迷いが人ごとに思えないからでもない。
山南に、迷いを見抜かれ、そこから抜け出す手助けをしてもらったからでもない。
きっとここが、今の自分が居るべき場所で、ここに留まる意味があるからだ。
ならばもうすこし、この『家』に暮らす人を助けるために、自らの命を差出した近藤の意思が皆をどう導くか、見ていこうと思った。
勝者が歴史を作るというなら、その歴史の中で新選組が好き勝手に書き立てられるのも業腹だ。
「山南さん」
「何ですか?」
「知りませんよ、うっかり生き残った挙げ句に、あることないこと後世に伝えちゃっても」
あんまり頭よくないから、とんでもないこと言い残すかもしれませんよと
は僅かに微笑んだ。
人間の
は寝る時間だったので、先に部屋に下がっていった。
ささやかに腹を満たした山南は、羅刹隊の戦支度を監督する場所に向かうために廊下を歩きながら、先程
に言えなかった事を呟く。
「……きっと、辛くて悲しくて、死んでしまったほうがマシという思いを何度もさせることになるでしょうね」
この戦の果てを、旧幕府軍の戦いを、新選組の末路を見届けるというのは、間違い無くそういうことになると、山南は予感していた。
「それでも、あなたの」
目を伏せると、京都時代の事がまざまざと目蓋の裏に浮かんでくる。
も、最初屯所に来た頃は表情も固く、警戒心をむき出しにしていたものだが、年月を経るにつれて驚くほど表情は柔らかくなり、よく笑うようになった。
羅刹に対しても必要以上に動じたりせず、時には太い態度を見せる
を、山南は密かに評価していた。
新選組の表の顔も裏の顔も、絶妙な距離から見続けてきた……そんな彼女だからこそ、耐えられるとも思った。
それでも半分は、山南自身のわがままがある。
心の中で近藤に、引き合いに出してしまってすまないと詫びながら、
「あなたの魂に、我々が確かに生き、戦い、死んでいったことを刻み付けてほしいのです。 それがどんなに深い傷と痛みを伴う事になるとしても」
に忘れられることのほうが、後の歴史から消される事よりも堪え難い。
完全に我が侭だとわかっていても、その程度には彼女の事を好いている。
そうでなくば、
の血があれほど甘く感じるはずがない。
かつて京の屯所に居た頃、実験用としてすこしもらって味見した
の血の味わいを、今でもはっきりと思い出せる。
山南は目を伏せたまま、思わず喉を押さえていた。