◇◇◇◇◇
夜。
まだあちこちが燻る宇都宮城は、あちこちにかがり火が焚かれ戦勝の宴の真っ最中にあった。
とはいえ、会津にむけて行軍中なので贅を尽くした宴というわけにはいかない。
それでも城を攻め落とした兵士たちには酒、城の備蓄庫から接収した米や干魚が振る舞われた。
は騒々しい宴の輪がある広場から離れて、自分の分の食べ物を確保して人のあまりいない石垣の前に陣取っていた。
「……こんな所にいやがったか。 探したぜ」
「土方さん」
「横いいだろ、あっちは騒がしすぎて辟易してんだ」
仮にも戦地だってのに羽目を外しすぎだと土方はぶつくさ言いながら
の横に腰を下ろした。
「大鳥さんも、城が落ちて嬉しいのはわかるけれどよ……」
「あんなに反対していたのにね。 土方さんは、自分の手で城を落として嬉しくないんですか」
「嬉しくねぇはずがねえだろ。 けどよ、はしゃぐのは時と場合によるって言ってんだ」
今、新政府軍に奇襲をかけられたら、間違い無く壊滅する。
「それになあ、あっちにいると大袈裟に持ち上げられちまって居心地悪くてしかたねえんだ」
あっちに座ってると尻がムズムズして仕方がねえから逃げだして来たようなもんだと言う土方に、
はとうとう小さく吹き出した。
「鉄砲玉でも逃げ出さない人がですか。 そいつはいい」
「茶化すな」
「私は見慣れてますが、あの人たちにしてみれば軍神のように見えたでしょうよ」
「鬼だの軍神だの、勝手にいろいろ言ってくれるぜ」
実際、味方を斬ってまで退路を立ち、無茶な突撃を促した事さえも、『味方を背水の陣に追い込むことで士気を高めた』と賞賛されている。
旧幕府軍全体を束ねる、総帥の大鳥からすると、将でありながら前線に立った土方の行動は愚策中の愚策であるらしい。
けれど賞賛は主に実際に戦った末端の兵たちから出ているので、土方の行動を彼等の前で頭ごなしに貶す事もできずに、言いたい事も飲み込んで苦い顔をしていた。
「所で五条、そいつは何だ? 髪を束ねてるの、いつもの紐じゃねえだろう」
「ああ、これですか」
どこかで見覚えがあるんだが、と首をかしげる土方の前で、
は背に流した髪の束を肩ごしに前に回した。
そうすると結い紐が首の横あたりに来る。
「沖田さんの、刀の下げ緒です」
「な……」
「私だって驚きましたよ、荷物に入ってたんですから。 いつの間に、って考えてみたんですけれど、近藤さんの助命嘆願の合間、江戸を離れる前に会いに行った時だと思うんです」
甲府から返ってきてあそこに居た時にはそんな形跡なかったから、あの時しか考えられない。
は、溜め息をつきつつ下げ緒を撫でた。
「『連れていけ』って言われている気がしまして」
最後に会ったあの日、沖田は洋装を着込んで元気なフリをしていたが、相当病が進んでいる事は見た目にも明らかだった。
沖田も薫と戦った時の事は一切話さなかったし、
も沖田が気を失っている間に山南が枕元で話した事を口にはしなかったが、やはり、変若水を使う気はないようだった。
近藤さんは元気にしているか、と心配そうに聞いてきたが、土方も
も真実を沖田に教える事はできなかった。
沖田の中で、近藤は常に皆を引っ張っていく新選組の局長であり、幼い頃から自分を導いてくれた親にも勝る存在だ。
その彼が、自ら新政府軍に投降したなど、どうして言えようか。
言ったが最後、沖田は躊躇わずに変若水を煽り、羅刹となっただろう。
薫が言っていた事が本当なら、羅刹は好いた人の血ほど美味いと感じ、本能的に求める。
変若水を飲んでしまったら、自分が敬愛する近藤の血を求めてしまうだろうことを恐れて、沖田は病が進んで遠からず死を免れない身となっても、羅刹になる道を選ぼうとはしなかった。
は、薫が告げていったことを土方に知らせていない。
山南・藤堂、山崎のたっての願いで、近藤と土方には言うなと口止めされたからだ。
山南も薫の言っていたことは真実だと言う。
羅刹は血に対する味覚があり、美味いか不味いかの判別もできる。
京に居た頃、市中警備のついでに口にした浪士の血は、可もなく不可もない味だったと山南自身が言っていた。
羅刹が好いた者の血ほど美味と感じ、本能的に求めるなどと知れば、羅刹の業の深さでさらに頭を悩ませてしまう事は必定。
投降してしまった近藤がいつ帰るかもわからず、それでも新選組を背負っていかねばならずに神経をすり減らしている土方に、よけいな心配はかけたくなかった。
「つれてけ、か……。 お前はどこまで付いて来る気だ?」
「何を言ってるんですか。 人手不足でコキ使う気満々なくせに、妙な仏心出したって滑稽なだけですよ」
「可愛くねえ事言いやがる」
実際、新選組の人手不足は深刻な問題だ。
京以来の同志はすでに数えるほどだし、新規募集した隊士たちは訓練や心得が浸透していない。
かつて十人いた小隊長も、残っているのは会津に先行している斎藤のみ。
部隊指揮の取れる者は貴重だし、土方にしてみれば多忙な自分の補佐ができる人間も側に置いておきたい。
は土方の複雑な想いを見抜いてか、
「こうなったら腐れ縁です。 行きつく所まで一緒に行きますからね。 大体、たった一人の身内も独立した今、故郷に何が残っているわけでも、待つ人が居るわけでもないんですから」
一抜けたなんかしたら、その後の人生、新選組の事が気になって気になって普通に生きていけそうにないとぼやく
の横顔を、土方はどこか安堵した様子で見つめていた。
その視線に気付いた
は、思わず状態を土方から反らす。
「なに見て……っていうか、何て目をしてるんですか」
「お前が男の葛藤ってもんをさっぱりわかっていねえからな。 ここは突き放すなり、お前のほうから去っていくようにしむけるべきなのに……どこまでも腹据わってやがる」
逃げた所で道などない、前を向いても道などない。
ならば、切り開くしかない。
それを心から理解している目だった。
なので土方も、己の内にかかえたものを吐き出す気になった。
「近頃俺はどうかしてるんだよ。 新選組に縛られてきたお前に、自由になって欲しい、女の幸せを見つけてこの先の未来を生きて欲しいって願うのと同じくらい、このまま俺たちの行く場所へどこまでも一緒に行ってもらいてえって願ってる」
背中を石垣に預けて、土方は空を見上げた。
開放的な夏の夜空に、火事の後でまだそこかしこで燻る煙りが薄く流れていく。
「いい加減、刀と鉄砲弾の届かない所へ行かせて、新選組の事も忘れて、誰か良い男を見つけてそいつと一緒になって、子供こさえて末は幸せなバアさんになって欲しいだなんてよ。 散々アテにしておいて、男も足が竦むような戦場に引っぱりだしておいて、何都合の良い夢見てるんだこの甲斐性無しはってよォ……」
そんなこと考えていたのかと、今度は
が土方が想像もしていなかった顔をしてしまった。
戦埃が落としきれずに薄汚れた顔の中で、きょとんと大きく見開かれた目がその驚きの大きさを示している。
片手に握り飯を持ったままというのが、さらに呆けっぷりを強調していた。
「どうした、俺ぁ何かおかしな事でも言ったか?」
「ええ、思いっきり」
明日雨、いや槍が降りますかねと
は天を仰いだ。
握り飯を一旦包みの上に置いて、
「土方さん、甲府に行く前の事を覚えてますか。 ほら、多摩の夕暮れを見せてくれた時の事です」
「ああ」
「本当に嬉しかったんですよ、あの時。 あなたがずっと大事にしていたものを分けてもらった気がして。 私なんかが一緒に見て良いものなのかって思いましたけれど、同時にこの人の見る景色をこの先も一緒に見てみたいって思ったんです」
あれは土方にとって特別な景色だった。
子供の頃は意識すらしていなかったが、故郷を離れて歳を経るにつれて、忘れ難く懐かしく、そして愛おしさが募る光景。
宝箱の中に綺麗な色の石を大事にしまっておくような、他愛も無い感傷だとしても、同じものを
に見せてやりたいと、いつしか思うようになっていた。
「それが、天の高みでも、地獄の底でも。 私がそうしたいと思って新選組やあなたに付いていくんですから、何も思い悩む必要なんてありません。まして私の未来なんて」
「けどよ。 このまま俺たちと一緒に来たら、女の幸せ完全に逃すぞ? どう転んでもこの先落ち着いた暮らしをさせてやれそうにねえ」
「だから、それが余計な気遣いなんですよ」
私は落ち着いた暮らしを望んでいる訳でも、世間で言う所の女の幸せを求めて居る訳でもない、ときっぱり言った。
「流されている訳でも、いやいや進んでいるわけでもない。 私が選んだ道を歩いているんです。 土方さんが気を回す必要なんてないんですよ」
「けれど、それは」
「ああ」
は土方の視線に気付き、自分の髪を纏めている下げ緒に手をやった。
総司の奴が余計な重荷を押し付けやがった、そう思っている顔をしている土方に、これは『ついで』であって、あの人も重荷を押し付けた気なんてないだろうと断言した。
「……あ、もしかしたら、沖田さんに頼まれたから仕方なく付いてきてるって思ったりしてました?」
の眉がぴくんと跳ね上がるのを見て、土方は慌てて否定した。
ただ沖田は、心を許してもいない相手に、一緒に行きたいだの、後を頼むだの、そんな我がままを言う性分ではない。
に下げ緒を託したのも、沢山の意味を込めての事なのだろう。
それだけ
に心を許していた、信頼を寄せていたという印が、彼女の髪に揺れている。
「土方さん、ここに来る道中も零してたじゃないですか。 新選組は近藤さんと土方さん、二人のものなんだから、独りで支えるのは重すぎる、って」
「……忘れろよ、そんなグチ」
「グチでも何でも言って下さい。 土方さんの行く場所で、同じ景色を見る事をこれからも許してくれるなら、それくらいは役に立たせて下さい」
「……」
「近藤さんの代わりにはなれなくても、多少の荷物を持つくらいはできます。 ほら、こんなになっても付いてきてあなたを見放さない人だっているんですよ」
は指に絡めた下げ緒を揺らした。
「信じていたもの、頼っていたものを無くして道に迷ったならば、自分でもう一度見つけだすしかないんです。 どんなに道が暗かろうと、手探りであろうと、自分の身体や心が納得する道は、他の誰かには決して見つけられないんですから」
土方は
の瞳の色の深さに、ハッと息を飲んだ。
もまた、道に迷っている最中なのだ。
自らが守るべきものを失い、初めて自らの為に生きる事を問われている。
自分で言った事を、誰よりも実感しているに違いない。
「他人から見て、不幸に見えようが馬鹿らしく見えようが、自分が納得できる事に向かっていけるのなら、どんなに手探りでも茨道でも、かならず一筋の道になる……そう、思いますよ」
髪と下げ緒に指を絡め、星明かりに縁取られた
の横顔に、土方は暫し見蕩れていた。
埃と煤で汚れていても、今までに知るこの女のどんな表情よりも、美しかったから。
落城の翌・四月二十日。
宇都宮の南・壬生に新政府軍が集結しているとの知らせが入り、これを散らすべく旧幕府軍は出陣した。
一度は行軍で疲弊している新政府軍の隙を突き、壬生まで攻め込んだものの、新政府軍の兵員が予想以上の速度で次々増し、ずらりと並べた最新式の銃砲で逆にいいように狙い撃たれる羽目になり、旧幕府軍は宇都宮へと撤退した。
その後宇都宮城で開かれた軍議では、諸隊が宇都宮城を捨ててなるべく無傷のまま会津へ入るべきだという論と、宇都宮を前線基地として戦うべきだという論でまっぷたつに分かれ、喧々囂々の言い合いになった。
結局は、新政府軍がこれ以上大きく膨れ上がる前にすぐ後ろの今市・日光まで退く事に決まったのだが、軍議に時間をかけたのがいけなかった。
四月二十三日。
新政府軍は、旧幕府軍が負傷者や物資の搬送を行っている最中に追撃をかけてきたのだ。
旧幕府軍は負傷者や物資の搬送を急がせたが、彼等を無事に行かせるためには誰かが盾になる必要がある。
戦える者たちは、自分たちで攻めてぼろぼろにした宇都宮城を盾に戦わねばならない羽目に陥った。
城の四方を諸隊で固めて抗戦するも、新政府軍の銃砲の火力と、次々増員される戦力に押されていく。
土方も第一大隊とともに城の西側を守ったが、攻め込んできた薩摩兵は尻に火のついた牛のような勢いで突撃を繰り返し、旧幕府軍が浴びせかける銃弾をものともせずに柵や堀をこえて肉迫してきた。
「頭下げろっ!!」
パンパン、と軽く響く音に反射的に身体を伏せざま、
は隣に居た兵の頭を掴んで地面に引き倒していた。
かなり乱暴だったにも関わらず文句が出なかったのは、盾にしていた畳を鉛玉が何発か貫通していったからだ。立ったままなら身体に穴があいていた。
限界まで身体を伏せたまま、
はちらりと畳盾の影から敵影を望む。
「くそ、まだ三町(約310メートル)は距離があるってのに……」
薩摩・長州の主力武器は、土方が宇都宮戦の時に、射程の長い化け物銃と評したミニエー銃だ。
これだけ距離が開くと、こちらの銃はろくに当たらない。
闇さえあれば鉄砲などものの役にはたたないのですぐにでも敵陣に斬り込んでやれるのだが、今はまだ午前中、闇など当分望めない。
相手もそれを分かっているから、ここぞとばかりに撃ちかけてくる。
顔のすぐ横で、地面にあたった銃弾がビシリと跳ねて土を散らし、跳ねた石に頬を強かに打たれて
は顔を顰めた。
陣営の中の兵は、地面を這いながら
の指さした土累のほうへと移動する。こちらも大分撃たれまくっているが、畳盾のように簡単に貫通はしない。
旧幕府軍の中には、誇り高き侍が地面を這いつくばって逃げねばならない屈辱に目に涙を浮かべる者もいる。
薩長の持つ銃を武士道にそぐわぬ卑怯の武器と誹るが、逆に銃の前に刀がどれだけ無力か自分で再確認するようなものだ。
「慌てるな、限界まで引き付けりゃあ斬り込める。 あちらさんだってこちらを落とすには遠くから鉄砲ばかり撃ってるだけじゃ駄目って分かってるんだ、嫌でも近付かなきゃならねえ」
土方も一兵卒と同じように、地面に這いつくばり頭を下げた格好を取っている。
「今は我慢比べだ。 城を落とした時みてえな突撃しちゃあ勝てねえ敵だぞ、皆、鎮まれ」
伏せた格好のまま、土方は刀を握りしめている。
「あと少し我慢すりゃあ、好きなだけ芋侍どもを斬らせてやる。 逃げるなよ、辛抱しろ」
華麗な軍装を、秀麗な面を土と煤まみれにして敵を睨み、味方を鼓舞する新選組副長の姿に、周囲の兵は何も言えなくなる。
昔ながらの武者なら、鉄砲ごとき卑怯者の武器恐るるに足らずと何度も突撃を命じる局面だ。
城攻めの時は無謀かと思える突撃を命じた人がだが、意味のない突撃は命じない。
指揮官が無謀な突撃をさせないと分かると、兵たちも踏み止まる気概が出て来たようだ。
隣の者が覚悟を決めてしまうと、同じように腹が据わるのか、ごくりと唾を飲み込んでガチガチに固まりながらも必死に身体を伏せ、頭上を飛んでいく銃弾をやり過ごそうとする。
「……敵さん、大砲は持って来てないみたいで。 よっぽど急いで来たんでしょうかね?」
鉄砲では撃ちくずせない土累陣地でも、大砲なら吹っ飛ばせる。
なのに弾が飛んでこないのをいぶかしみ、
は首を傾げていた。
「結構な事じゃねえか。それとも俺らを豆鉄砲だけで片付けられると鷹くくってきたのかもしれねえな。 だとしたらその考えが甘いってことを思い知って貰わなけりゃな」
の隣まで来て、土方は、
「五条、引き付けたら先陣任せる。 派手にやって来い」
お前が派手にやれば、後が続くとぼそりと呟く。
言ってることが昨夜と矛盾していることを本人も分かっているのか、表情はちょっと複雑だ。 だが、戦において有効な手駒は叶う限り有効に使わなければ勝機は掴めない。
土方個人としての私情と指揮官としての戦略、相反する心情が手に取るように分かってしまったので、
は何も言わずに頷くだけに止めた。
新政府軍との彼我の距離、一町(約100メートル)。
ミニエー銃の命中精度は、この距離ならば何と九割近く。 威力も凄まじく、小さな弾丸でも、まともに当たれば骨も砕ける。
空気を裂いて飛来する弾丸がピシリ、ピシリと鋭い音を立てて地面で跳ねるのを青ざめた顔色で横目に見つつ、皆が土方の号令を待った。
鳥羽伏見の時は、弾丸の雨に阻まれてあと半町の距離が進めずに撤退を強いられた経験がある。
土方は、慎重に、慎重に敵兵との距離を測った。 背後では味方の銃兵が弾の装填を終えて待機している。
旧幕府軍の使う銃でも、引き付ければ命中精度はそれなりに上がる。彼等が一斉射撃をしかけたその直後、敵兵の動きが硬直するだろう僅かな隙しか、斬り込める好機はない。
「まだ、まだだ。 耐えろよ」
あと半町、敵兵、さらに進むこと二十歩。
こちらがあまり銃を撃たない事で、戦意喪失と見て相手も斬り込みを仕掛けようとしているらしい。
敵兵の半数が銃を下ろし、刀の柄に手をかけたその瞬間を、土方は見のがさなかった。
「斉射!!」
よく響く、張りのある声が命じると同時に、銃兵が土累の上にサッと銃を固定し、一斉に引き金を引いた。
かん高く小気味良い音と、むわりと広がる硝煙の匂い。
敵兵の悲鳴が聞こえるよりも早く
は抜刀し、ならんだ銃兵の脇をすりぬけ、ヒラリと土累の上に舞い上がるやそのまま猛禽が獲物を狙うような速度で駆けてずらりと並んだ新政府軍の正面に斬り込んだ。
味方の放った銃弾に驚いて動きを止めた一人を、目にも止まらぬ速度で切っ先にかける。
切り上げから横凪ぎに繋ぎ、たちまち二人目の胴体からも血飛沫が上がり、口から絶叫がほとばしった。
土方、すかさず土累の上に上がり、叫ぶ。
「斬り込み、続けぇ!!」
愛刀・兼定をぴたりと敵陣に向けるや、自らも
の後を追って敵に襲い掛かる。
今まで銃弾の雨の中、地面に這いつくばり頭を上げる事もできなかった旧幕府兵たちは、その鬱憤を晴らすかのように閧の声を上げて白刃を抜きつれ、我先にと突撃した。
味方陣地から敵陣後方を狙った援護射撃が飛び、銃を使える距離を取らせまいと畳み掛ける。
「し、新選組だ!!」
早くも三人目の兵を斬り殺した
の袖に翻る袖章を見て、新政府軍の兵の中から悲鳴じみた声が上がった。
四人目が破れかぶれに銃底で打ちかかって来るのを、振り上げた腕の隙間からひと突きに心臓を突いて仕留めながら、
はこんな場にも関わらず苦笑してしまった。
京の頃に売れた名は、こんな所でも有効らしい。
だが新政府軍の兵には、その笑みがことさら無気味に見えたようで、得体のしれない恐怖に押されて上ずった声があちこちで上がった。
が四人目を突き離した頃には、後続の斬り込み人員が追い付いてきて、白刃を振り上げて突入してきた。
たちまち血煙が上がり、敵味方入り乱れての大乱戦に陥る。
こうなってしまうと、銃撃よりも斬り込みが本職という者が多いだけに、旧幕府軍は強い。 新政府軍の下仕官の装備は白刃を阻むものもない軽装のため、それこそ斬り放題だ。
「思い知れ、芋侍が!!」
「恥知らずの変節漢どもめ!!」
この場の新政府軍は、薩摩の兵だ。
あちらこちらで、恨みの籠った罵声が聞こえる。新政府軍に江戸の地を追われた恥辱を晴らさんとするばかりではない。
幕府に従う姿勢を見せながら裏では長州・土佐と手を組み土壇場で裏切った薩摩のやりかたを憎む者は多い。
なますに斬っても飽き足らぬ思いが旧幕府兵の振るう刀をより苛烈なものとしていた。
だが、この場の指揮官は土方が思っていたよりも有能だった。
混乱激しい最前線を切り捨て、まだ腰がひけていない最後方の銃兵を素早く横合いに移動させて至近距離から発砲させた。
人数にして二十名足らずの銃撃だったが、恨み骨髄で斬り込みに集中している旧幕府兵にとっては急に横っ面を叩かれたような一撃となった。
「ぐっ!」
その一発が、運悪く土方の足を撃ち抜いた。
「副長っ!!」
がくりと身体が崩れた土方の様子に、近くにいた新選組隊士が悲鳴を上げた。
横手からまたも銃弾が飛び、何人かが身体を跳ねさせて倒れる。
隊士はとっさに土方の盾になり、がばりと彼の頭を抱え込んで庇った。その肩に銃弾がかすり、鮮血が飛び散った。
「俺に構うな! 行け、斬り崩せ!」
かばってくれた隊士を押しやり、土方は指揮と切り込みを続けようとする。だが土方の足下にはどんどん血だまりが広がる。
傷は本人が思っているよりも深いはずだ。 このまま動けなくなって狙い撃たれ続ければ、土方は蜂の巣になってしまう。
背後に異常を感じていたが、
は戻れない。
先頭にいる自分がとって返せば狙われるだけでなく、敵によけいな立ち直りの隙を与えてしまう。そうでなくても敵指揮官に手痛い一撃を食らわされたばかりだ。
敵兵の頭ごしに見える後方の様子では、早くもまた十数名が体勢をたてなおして銃を構えているではないか。今は味方の背中があるから打てないだけで、あれをまた別方向に動かされたら致命的だ。
その時だ。
敵兵のさらに向こう、旗を押し立てて向かってくる部隊がある。
すわ、敵の援軍かと思ったが、旗を確認して
は大声をあげる。味方を鼓舞し、敵の士気をくじくために。
「後ろに味方の援兵だ!! 挟み撃ちだぞ、押せ、押しまくれェ!!」
どんどん近付いて来る旗が見えたのか、味方が勇ましい雄叫びを上げた。無防備な横から打ち込まれる鉄砲玉をものともせずに刀を振り上げる。
逆に慌てたのは新政府軍だ。 いかに有利な鉄砲を持っていても、斬り込みで陣型を崩された上に挟み撃ちにされては流石に勝ち目はない。
新政府軍側の指揮官は引き際に際しても優秀だった。
退却合図のラッパを吹き鳴らすや、たちまちまだ無事な者をまとめて退却してしまった。
犠牲が大きくなるので、負傷者を回収するような事はしない。負傷のせいで逃げ遅れた新政府側の兵は、助かりそうな怪我であっても容赦なく斬り殺された。
だとしても戦場においては、捕虜として人道に外れた扱いをしたり、怪我を放置して苦しんで死なせるよりはよほど恩情のある措置だ。
「呆れた逃げ足の早さだ」
損害を最低限に押えるためとはいえ、負傷者を見捨ててスタコラ逃げた新政府軍に、
は少し感心してしまう。
周囲の旧幕府兵たちは、勝利の鬨の声を上げて斬り捨てた薩摩人の血を踏み付けていた。
勝利に酔う彼等の間をすり抜けて、
は後方に引き返す。
「土方さん!!」
「馬鹿、大袈裟に、さわぐな……」
土方は数人の新選組隊士に守られ、地面に膝をついた格好で顔に脂汗を浮かべていた。
彼の足下にたまった出血の量から、本人に任せておいて良い傷ではないと判断した
は、すぐさま土方を城の中まで下がらせるように指示した。
この戦場には島田も出ていたので、隊士のひとりに頼んで彼を探してきてもらうと、事情を話して城内に連れ帰ってくれと頼んだ。
「何を大袈裟な事言ってやがるんだ。 走れはしなくても指揮はとれるだろうが」
俺が戦場を離れてどうするんだ、と土方は駄々を捏ねたが、島田は
の味方をした。
「あんまりぎゃあぎゃあ言うようなら、戸板に縛り付けて日光に搬送して下さい!」
「了解しました。 ですが、城に下がるのはあんたもですよ。 撃たれてるじゃないですか」
「え?」
斬り込みに夢中で気付かなかったが、
の軍装にも血が滲んでいる。
腕の甲が大きく裂けて血が滲み、さらに肩の後ろにも大きな出血がある。
どちらもまともに当たった訳ではなく、擦っただけのようだが、浅くとも範囲は大きい。縫い合わせるか、包帯できつく押さえたほうが良い傷だった。
今気付いた、という様子で自分の身体を見回す
に、島田は言う。
「ちょうど良い、手当てのついでに副長が無茶をしないように見張ってて下さい」
「おい、島田……」
「二人ともあまり我がままを言うようなら、担いで持っていきますよ?」
すでに自分一人の身体ではないこと、わかっているのかと隊士たちと島田に並んで睨まれ、土方も
も白旗を上げて降伏するしかなかった。
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