羅刹女 ---43---

 夜半。
 山崎が病床の土方の元にやってきたのは、新選組を含む奥羽烈藩同盟が、25日の白河城とその周辺における戦闘で新政府軍を撃退した知らせを持っての事だった。

「斎藤も、山南さんたちも頑張ってくれてるみてぇだな……」
「はい。 俺の出立と入れ代わるように、各藩の同盟重役が軍を率いて白河城入りしていました」

 寝床の上に起き上がって、肩に上着をかけた格好の土方は、ほっと安堵の息を吐いた。
 奥羽烈藩同盟の主力が守りの重要拠点である白河に入ったのなら、宇都宮の時のようにそうそう簡単に取戻される事はあるまい。
 勇壮で鳴る奥羽諸藩のつわものたちの戦い振りを間近で見られないのが何とももどかしい。

「俺も、この足さえ何とかなりゃあなあ」
「もうひとつ伝言です。 『とっとと治したいなら、今は無理をするな。 何のために小姓たちだけではなくて、島田さん含め数人残していったと思っている。 治さず来たら縛り上げて荷物と一緒に後方に送り返すからそう思え』 ……だそうです」
「そんな口の悪い伝言寄越すのは五条しかいねぇな。 ったく、あいつぁ……」
「副長の事を心配しているから、そんな台詞が出るんですよ」
「何だ、お前もあいつの味方かよ」
「はい。 彼女や斎藤さんが小姓君たちだけではあなたを押さえておけないから島田さんたちを残したという考えも、致し方ない事です」

 新選組結成初期からの最古参、島田が前線に居てくれれば、どれだけ斎藤にとって助けになったかわからない。
 だがその彼をあえて土方の元に残したのは、今、新選組が土方を失う訳にはいかないという思いが、残された面々の間で一致しているからだ。

「実際、おケガの具合はどうなのです?」
「ああ……もう、大分いいんだがな」

 土方は、布団の外に包帯が巻かれた足を出すと、手を伸ばして足首のあたりをポンと叩いた。

「熱持ってた時は、叩くだけで脳天まで痛みが響いたぜ。 今じゃこの通り」

 足には包帯をずらさず、傷口まわりを固定するためか、ゆるめの足袋を履いて押さえている。
 腫れていた頃は、足袋など履けない状態だったろうから、回復に向かっていることは向かっているのだろう。

「まだ、体重をかけると傷が開くってんで、歩くにゃ杖がいるがな」
「副長……治りかけが肝心なんですから、本当に無理はしないで下さい」
「心配しすぎだぜ。 手水と、ちょっと気分転換に外の庭に出る他は、歩きまわりゃしねえよ」

 実際、歩き回るような無茶はしていないようで、枕元には本の山が出来ている。
 暇つぶしに、ひたすら読んでいるらしい。
 山崎は、その本の山の中で、一冊だけ分けられている本に目をとめた。

「『羅刹所見』?」

 一瞬山南の持ち物か、と思ったが、字が違う。
 他の本に比べて、表題を書いた墨が新しいので、最近のものではあるようだが。

「ああ、こいつか? 五条の弟…… が書いたモンだよ。 あいつが綱道さんと一緒にやった研究や、独自の研究……それに、最近じゃ『羅刹を治す』方法を探してまとめているらしい」
「羅刹を、治す……ですか?」
「ああ。 俺たちじゃ考えもつかねえことを考えやがる」

 俺も羅刹について知っておかなきゃならない事がまだまだあるから、読ませろと言ってみた所、 は自分の研究書とも言えるそれをあっさり渡してくれたのだ。
 そんな話をしていると、襖の外で気配がした。

「土方さん、五条です。 傷を洗う時間ですよ」
「おう、入れ」

 土方が呼ぶと、行儀悪く足で襖をひっかけて開きながら、 が入ってきた。
  は山崎の姿を認めて、ん、と動きを止める。

「ああ、来客でしたか? でしたら用が済んでからでも……ん?」
「心配いらねぇ、新選組の者だ」

 それなら、と室内に入ってきて、手にした手当て道具一式を布団の裾脇に置く の様子を、山崎はすこし腑に落ちない様子で見ていた。
 それに気付いた は、

「ああ、説明行ってないのか。 俺はもう西国とは縁が切れたっていうか、羅刹の事でお尋ね者になってるよ。 今は、松本先生の助手で、先生に代わってこの人の手当てを任されてる」

 話をしながらも、 は布団の裾をまくると、土方の足から足袋と包帯を手際よく外して、油紙の下に木綿布に挟んで張りつけておいた熱取りの湿布を取る。
 持ち込んだタライの中の水で緩く絞った手ぬぐいで傷口の周辺を綺麗に拭き、治り具合を確かめる。

「……これなら、あと2、3日で抜糸しても大丈夫かな。 もう暫く包帯で押さえてもらうけれど、戦場に出ない範囲でなら歩いてもいいよ」
「何だ、まだ前線に出るなってか?」
「軍靴の中ってのは、蒸れますからね。生傷にとっちゃ最悪の環境なんですよ。 治りかけを悪化させたきゃどうぞ」

 容赦のない事を言いながらも、 は手のひら程度の大きさに切った晒し布の上に、傷の熱を取って治りを早める薬草をすり潰したものを乗せて広げ、二つ折りにして土方の足の傷に当てる。
 その上から、先程と同じように油紙を当て、さらにそれらがずれないようにクルクルと包帯を巻き付けた。
 手慣れたその様子に、山崎のほうが感心してしまう。

「それと……」

  は汚れた包帯を別のタライのほうに乗せ、道具を片付けながら何気ない世間話を切り出すように、

「あんたたち、白河城の局地的な戦況で安心しないほうがいい。 奥羽烈藩同盟は……ひいては会津は負けるから、討ち死にの覚悟をきめるなり、転戦先を今から考えるなりしておいたほうがいいよ」

 さらり、ととんでもないことを言ったのだ。
 土方と山崎の顔が、流石に険しくなる。
 奥羽諸藩が結束して立ち向かえば、大勝とはいかないまでも、新政府軍を退かせる事くらいはできるはず。
 それだけの士気と、兵力があるはずだ。

「何故そう、言い切れる?」
「奥羽烈藩同盟が、単なる『仲良しごっこ』だからだよ。 今は新政府軍に対する義憤でいろんな藩が加わってきているけれど、これらをまとめる盟主の権限の強さは? 烏合の衆の諸藩を律するだけの決まり事は? 同盟に反した時の罰則は? 裏切りを防ぐための対策と、藩ごとの功を競わずに、全体を纏められるだけの保証は?」

 山崎の鋭い声に、 は淡々とした口調でそれらの事を並べてみせた。
 さらに問題はあるという。

「藩ごとに、命令系統も軍備もバラバラなのは仕方が無い。 だったら同盟の中で藩単位での命令系統だけでも一本化して、盟主の藩の殿様に絶対の権限を持たせて、内部の裏切りを許さない姿勢で一丸となって当たらないと、戦況が悪くなったら絶対に『いちぬけた』をする藩が出る。 そうでなくても、新政府軍は俺ごときの考える事なんて見抜いていて、立場の弱い小藩に、奥羽烈藩同盟を抜ける代わりに後の扱いを保証する事を条件に調略をかけるだろうね」

 そうして外掘りから崩されれば、会津も仙台も逆に奥羽内から包囲される事になる。

「藩の中でだって、抗戦派と穏健派でわかれている所がいくつもあるはずだ。 そういう所にだって、内応で揺さぶりをかけられたらどうなる?」

 同盟は瓦解、立場的に逃げる事のできない会津一藩だけが、最終的に大変な目にあう。
  は薬入れの引き出しを、パタンと閉じた。

「新選組の厳しい法度は、外にも聞こえてきたからね。 烏合の衆をまとめるために、血を流してでも命令系統をはっきり一本化させ、頭に絶対の権限を持たせて生殺与奪さえ決めらる代わりに、法度を侵した時は幹部でさえ処罰される態度を示してみせた。 個人個人が抜け駆けで功を競わないような状況を作り、金がなくても食うに困るだけはないように隊での環境も整えた」

 理想と忠義だけでは飯は食えない、働けないということが良く分かっている人が法度を作ったのだなと、外に聞こえてきた分だけでも は感心していたものだ。
 そんな法度を作った者が、奥羽烈藩同盟の現状を見て安心しているなんて、危機感が無さ過ぎる。

「奥羽烈藩同盟は、規模の大きい、しかも法度のタガのない新選組だ。 そんな組織が、危機に際してバラバラにならないほうが変だろう」
「……」

 土方をして、返す言葉がなかった。
 なるほど、確かに幼帝をたぶらかす新政府軍に義はあらずとの考えで、奥羽烈藩同盟はまとまっている。
 先頃、会津藩に対する処遇の緩和を求めたもののそれが侮辱を込めた態度で断られ、諸藩の怒りが爆発したことが同盟がまとまった切っ掛けだ。
 発足して日が浅いうちはいいが、同盟の原動力となった怒りは、時間や状況とともに冷めていく。
 そうなった時の事を考えると、また、新政府軍が錦の御旗をかかげて外圧をかけてくる事を考えると、考えるだに恐ろしい。
 難しい顔になってしまった土方をちらりと見やってから、山崎は に鋭い視線を向ける。
 この若者の言っていることは正論かもしれないが、新選組という武力組織を率いてきた者に対する無礼な振るまいも多分に含まれている言い様に、少なからず腹も立っていた。

「ならば君には、劣勢を覆せる案が出せるというのか。 そこまで言うからには、妙案のひとつくらい持っているのだろうな?」

 他人の考えを蹴るならば、あわせて代案を示すのが筋だろうと山崎が言うと、 はその通りだと素直に頷いた。

「俺なら、仙台か会津の殿様……いや、仙台じゃだめだな、いざってときに会津に全責任を押し付けて逃げられるから。 会津の殿様を盟主として、殿様にさっき言ったような、同盟内に対する絶対的な支配権と命令権を持たせる事。 内部の法を整え、命令系統の縦割りを一本化して、藩同士が功を競わないようにすること。 さらには、各藩の藩主の身内、できれば跡継ぎか血の繋がった子を人質として会津に留め置く事かな」

 何も難しい事ではない、戦国の時代だってこれくらいはやっている所はあったはずだと言う。

「最低でもこれくらいはやらないと、続々と裏切りが出るだろうね。 何せ相手は、ただの軍隊じゃあなくて『錦の御旗』つきなんだ。 帝の威光に逆らって、この国で子々孫々まで賊の汚名を着せられるかもしれない不名誉を受けるかもしれない恐怖を押さえ、同盟に参加していれば安全でさらに自分たちに利があるっていうことを示さなきゃ」

  は一旦言葉を切った。

「怒りの力で一致団結している同盟は、怒りが冷めた時、砂の城より脆く崩れるだろうね」









 とは言ってみたものの、医者の助手にすぎない身に、ましてや元は新政府軍の裏の一面に関わっていた身に、戦況に関わる所に意見を届かせる事などできない。
 土方の部屋を辞した は、自分が使っている部屋に戻ると、戸棚から薬研を取り出して、そこにあらためて薬箱から取り出した数種類の薬種を入れて細かく砕いていく。
 無心に作業をしていると、迫る戦の不安といらつきが、すこしだけ和らいだ。
 出来上がった薬を小分けにして、ロウ紙に包む。
 そこまで終った所で、襖の外で声がした。

「山崎だ。 入ってもいいか」
「どうぞ。 散らかってるけど」

 山崎が襖をあけると、本人の言った通り確かに散らかっていた。
 畳の上には引き出しごとひろげた薬箱を置き、薬種を計る匙などの小道具も散らばっている。

「ちょうどよかった。 はいこれ。 羅刹の発作を押さえる薬」
「あ、ああ……」
「知ってると思うけれど、使い続けると効きが悪くなるから。 正気をなるべく保ちたきゃ、ある程度は血を飲む事をすすめるよ」
「そうか、君はこの世で唯一羅刹を看れる医者だったな」
「医者っていっても、真似事だけどね……」

 この時代、知識さえあれば誰でも医者は名のれる。
 名のれるが、効きもしない薬を高値で売り付けてあくどく稼ぐ者もいるし、正真正銘腕の悪いヤブもいる。
 松本のような医者には、誰でもなれる訳ではない。
 自分はあくまで真似事、助手がせいぜいと はそう思っている。
 淡々と作業をしている の様子に、山崎は思っていることを言い出すべきか暫し悩んだが、思い切って聞いてみる事にした。

「五条君」
でいいですよ。 姉ちゃんと紛らわしいでしょう」
「では 君。 何故土方さんに、白河城の事を言った?」

 畳の上に座った山崎は、広げた薬種を油紙に包みなおす の様子を見ながら言った。
 それに答える の口調は、手元の作業同様に澱み無い。

「手を打つなら早いほうがいいし、判断材料は多い方がやりやすいでしょう? 白河城の緒戦は、新政府軍がこっちをなめてかかってきたから勝てたようなものでしょうしね」

 耳に入った所によると、どうせ同盟軍は旧式装備の烏合の衆とタカをくくって進んできた新政府軍は、敵陣周辺の偵察や当日の天気なども確かめないまま正面から攻め込んできたという。

「油断しきった相手に勝った事を喜んで楽観しているようじゃ、先は見えてます。 勝った勢いで進撃して、前線を移動させれば士気は上がったでしょうけれど、同盟軍は亀みたいに白河城に籠っちまった」

 篭城戦やっていいのは、救援のアテがある場合と、城内に食糧や武器弾薬が売るほどあって地形および戦力的に有利で、相手の根負けを待てる時だけだ、と はぼやく。

「そこまで負け戦と先が読めているなら、なぜ姉上を連れ戻しに行かないんだ?」

 山崎の鋭い声に、 の手元が止まる。
 ふう、と重たい息を吐いて、 は手にもっていたものを畳の上に下ろした。

「できれば、俺だって戦場から引き離したい」
「だったら、弟の君が説得するべきだろう。 彼女が聞く耳もたんというなら、俺や土方さんだってそれなりに」
「けれどそんな事をしたら、俺は姉ちゃんの幸せを壊す事になる」
「戦になど関わらず、嫁いで日々を穏やかに暮らし、子や孫に囲まれて老いていく事以上にどんな幸福があるというのだ」

 山崎の言い分を聞いて、 は思わず手を止めた。
 次いで、ぷ、と小さく吹き出す。
 真剣な話をしているのにまさか笑われるとは思っていなかった山崎は、不快そうに眉を寄せた。

「あ……ああ、すんません。 いや、その手の紋切り型の幸せ論、郷里に居た頃、耳にタコができるくらいに聞いてきてるんだ」
「郷里に居た頃と言っても、俺は君や姉上の過去などほとんど知らん」
「何だ、姉ちゃん、何も話していなかったんだ?」

 もう何年も、新選組に関わっていたのに? と、 は心から驚いている様子で目を丸くしていた。
 他の幹部たちは知らないが、山崎自身は、何も聞いた事がない。 少なくとも が過去を話しているような素振りがあった事があるかどうかすら知らない。
 剣の腕が立ち、幕府を、新選組という組織と、侍の誇りを裏切らない。 新選組にとっては、誰であれそれで充分だった。
 身分、という壁を越えて集まった者たち……『侍』という『血筋』など必要ない、『侍』という『魂』があればそれで同志だった。
 過去が農民であれ、商人であれ、罪を犯した者であれ……得体の知れない素性の者であれ。
  は充分に、その条件を満たしていた。
 山崎にとってもそれで充分だったから、話す気がない限り過去の詮索は不粋と、こちらから聞いてみることもしなかった。
 それではまずかったのだろうか……という顔をしている山崎に、 は驚きを苦笑に変えて、

「本来なら、俺が親父の剣流を継ぐはずでした。 でも俺は体が弱くて、小さい頃は病気ばかりしてた。 ……元服まで、生き残れるかどうかさえ危ぶまれたことさえある」

 跡を継ぐべき男の子が弱い子だと分かった時点で、次の子に望みをかけるか、養子を迎えるかするのが普通だ。
 父親は、もちろん血を継いだ己自身の子を望んだが、母は を産んだ事で体調を崩し、病に臥せりがちになってしまった。
 到底次の子は望めない、父も母もそう思い悩んでいるうちに、姉が剣を手に取った。
  が何とか三歳まで育ったものの体が弱く、両親が今後をどうするべきか思い悩んでいた頃、弟ができないなら自分が父の跡を継ぐ……そう言って、木刀を引っぱりだしてきたのだという。
 父も、幼い娘の戯れ言と思い、最初は遊びのつもりで相手をしていたのだろう。

「けど、姉上には天賦の才があった」

 話の合間に山崎が入れた言葉に、 は重い仕種で頷いた。

「親父……あれでけっこう強かった。 だからわかっちまったんだろうね、息子じゃなくて娘の中に、自分の剣流を継ぎ、さらに高めてくれるものが眠っているって……」
「あくまで自らの血に跡を継いで欲しいなら、そこでも普通、娘に剣など取らせず、婿を迎えて孫に望みをかけるだろう?」
「まあ、そうですよね。 でも何故か親父はそうしなかった。 周囲っていうか、住んでた村の人たちにも、散々言われましたよ。 あそこの親父は何を考えているんだ、娘に男の格好なんかさせて剣なんか教えて、『女』の幸せを奪う酷い親父だって……」
「……」

 山崎は沈黙したが、言い分は村人たちのほうが正しいと思う。
  は山崎の沈黙が話の続きを促していると取って、ひと呼吸おいてから言葉を続けた。

「そうこうしているうちに、母さんは決定的に体を壊して死んじまって。 俺が五つ、姉ちゃんが七つの時だった。 その時に、親父は娘を手放さず、自分の剣の全てを継がせようと決めたんだと思う」

 しかし、男手ひとつで子供二人を育てるには厳しい寒村。
  はどこぞに売られるか奉公に出されてもおかしくない身だったのだが、そこはそれ。
 姉が必死に庇ってくれたこと、あと病床の母が、一通りの文字の読み書きと数の数え方を教えてくれ、 自身も父の本を盗み読みしていた。
 普通の子供が寺子屋教育を始める年齢でいろはの読み書きと計算をらくらくしてのけた。
 さらにはカタコトながらも兵書を読み、おぼろげながら理解しはじめた体の弱い息子に、別の才能を見い出したのだろう。
 何とか他所に出される事は免れることができた。

「そんなこんなで……何故か、世間様に認められるのとはまったく逆の才能を授かっちまった俺たちは、街道から外れた寒村で育ちました」

 年月がたてば、姉も年頃になる。
 父も、周囲の『これ以上無茶をさせずに娘に婿を取らせたらどうだ』という押しに負け、とうとう見合いの話を飲んだ。
 この時、父の心底憂鬱そうな溜め息を、 はまだ覚えている。

「青ヒョウタンみたいな男が来たらどうしよう……って所もあったんでしょうけれど。 その頃の姉ちゃん、日に日に死んだ母さんに似てきてたから……親父としては、ものっ………すごく複雑極まる心境だったんだろうって、今ならわかる」

 どんなに人でなしのロクデナシの常識ナシのクソ親父でも、母に心底から惚れて、愛していたことだけは、わかる。
 だから、心底からは怨めないし、憎めない……。
  は消えるような声で呟いていた。
 聞いている山崎のほうも複雑な顔になってしまう。
 性別はともかく、自分が求めた才能を持った跡継ぎ(?)に育った娘が、惚れた女に日ごとに似てくる……。
 そんな状況、ある意味地獄なのではなかろうか。会ったこともない姉弟の父に軽く同情してしまう。
 そうなると、余計に気になるのはその後、婿取り騒動の顛末だ。

「もちろん、普通の見合いで終る訳ありません。 その頃、姉ちゃんがどんな心境にいたのかわかりませんが、『最低でも自分を剣で負かすくらい強い殿方でなければ嫌です』と」

 でなければ尻に敷きます、それでも良いですか? と言ってのけた。
 まあそれまでも、ド田舎住まいながらも、強い剣術遣いであった父と、その娘の女武道の噂は街道近くまで出ていたらしいから、噂を聞き付けた武芸者が立ち会いを求めてやってくることはあった。
 なので、話はけっこう広まり、婿候補は両手の指の数を超えるほど集まった……のだが。

「……だが?」
「婿候補、全員がコテンパンに叩きのめされちまいました」

 姉ちゃんも、気にいった男がいたら、無理をしないでわざと負けても良いのだと、村の世話役に言われていたはずなんですけどねぇ……と、 の目はどこまでも遠い。

「親父的にはひと安心だったんでしょうけれど。 それから暫くしてからでしょうかね、跡継ぎ……姉ちゃんが強くなったので安心したのか、今度は親父が行方知れず」

 国のために働きたい、愛する女が眠るこの国を異国との戦争でめちゃくちゃにしたくない、そのためには田舎にいつまでも引きこもっている訳にはいかないと。
 家を訊ねてきた、父の古い友人だという男と、思いつめた目と口調で話をしていたのを、 は何度も見ている。
 そしてある日、書き置きも残さずに姿を消した。

「……本人に言わせれば、『働きに』行ったんでしょうけどね、あのクソ親父。 俺は当時、親父のことがほんとのほんとに嫌いだったから、いなくなってセイセイしたけれど……家を守る事になった姉ちゃんは、弱い俺をかかえてさらに苦労する事になっちまった」

 そこへさらに、村の世話役から説得がかかった。
 父が戻らないなら、なおのこと婿を迎えて暮らし向きを安定させろ、もう父の意向だからと無理をすることはないのだから、『女』に戻って『幸せ』になれ……と、何度も。
 世話役たちは、 がこれでようやくあの父から解放されたと喜んで『女』に戻るだろうと思っていたのだろう。
 けれど、 はもうその時に気付きかけていた。
 もう戻れない。
 人の言う『女』の『幸せ』を手にするには、あまりにも心の形が違ってしまった。

「…体は女でも、この心は、剣の形をしている……って。 当時、姉ちゃんが呟いた言葉です」
「剣の、形をしている……」
「周囲が求める『女』にはなれない……戻れない。 そう、気付いたんだと思う。 それでね、自分の心が剣の形をしているのが悪い事で、周囲の言うような『女』の『幸せ』を受け入れられない事が、とても悪い事のような気がする……って」

 弱音を、吐いていた。

「俺も、そういう事を言う周囲が嫌いでした。 まるで、姉ちゃんが姉ちゃんのままじゃ、幸せになんかなれないって言われてるようで。 俺の大事な人を、否定されてるみたいで」
「……!」

 紋切りの幸せ論なら聞き飽きた……そう言った の言葉が、山崎の中でストンと腑におちた。

「大事な人を否定されたくなければ、俺だって強くならなきゃって……泣きたくなるくらいそう思って。 守られたままで居るもんか、今度は俺が守るんだ、強くならなくちゃ。そのためには、姉ちゃんの庇護の元から離れて修行あるのみ……そう考えて、俺は故郷を飛び出しました。 後の経緯は御存知の通り」

 家出した俺をおいかけてきた挙げ句、姉は人斬り集団にとっつかまり、出ていくのもままならない状況。
 それを遠く離れた地で聞いた時には、新選組の評判を聞いていただけに、卒倒するかと思った。

「けれど……再会してみて、本当に驚いた」

 姉を奪い返そうと、乗り込んでいったあの冬の日。
 ドジを踏んで新選組に拘束され、幹部たちの前に引き出された時。
 その時の顛末は、山崎も知る所だ。

「驚いた。 あの人たちの態度だけじゃなくて、ここは……新選組は、姉ちゃんが姉ちゃんのままで居られる場所なんだって。 剣の形をした心を持っている女が存在していても自然な場所なんだって」
「……」
「剣の心を持ったまま、あの人のまま。 与えられずとも、道を切り開いて、幸せを探して掴める所なんだって」

 何より。
  は立ち上がると、障子を開いて外の空気を取り入れた。
 縁側から夏の爽やかな夜風が流れ込む。
 月光も差し込んできて、室内にいる と山崎の影をより濃く落とした。

「山崎さん。 ……あんたには、『この人がいるから、世界は明るい』って人はいる?」
「……居る」

  の質問に、山崎は少し考えてからそう答えた。
 山崎は商人の息子として生まれた。いくら武士になりたいと願ってもその夢を周囲から『無理だ』と笑い飛ばされていた頃がある。
 そうしたら、新選組が……自分の居るべき場所があったのだ。
 魂さえ、武士であれば生まれなど関係ない。そう断言してくれる場所があり、人がいたのだ。
 新選組とその人に出会えた事は、至上の幸運だと思った。魂が震えた。
 だからこそ自分は、死を踏み越えてなお、この場所にいる。
 山崎の答えを聞いて、 は『そっか』と微笑んだ。
 振り向いたその顔は、どこか幼く、賢しさなどまったくない。

「俺は、故郷を出るまでは、姉ちゃんこそがそういう人だった。 いや……連れ戻そうと新選組に乗り込むまではそう思っていた、のかな。 けど、考え方が大分変わったよ」

 幸せの形はひとつじゃないし、この人がいるから世界は明るい、そういう人も、ひとりじゃない。

「俺が、戦場から姉ちゃんを引き離したいっていうのは……何ていうかな、ただの我が侭」

 周囲は当然の事だと言うかもしれないが、姉が自ら望んで新選組とともに在り、戦場に立つというなら、彼女を幸せにするものがそこにきっとあるのだ。
 周囲があたえる、紋切りの『女』の『幸せ』ではない、何かが。

「俺が、戦場からら離れて、いずれは家族を持って子や孫に囲まれて幸せになって欲しいと願うのも、そうだと?」
「そうだよ。 女の人が望まない男に嫁いで、家を継ぐ子を産むのってさも当然のように思われてるけれどさ。 それって、選ぶ余地なんて最初っから無いよって言ってるようなものじゃないか」

 それが『幸せ』なんですよって刷り込まれてるだけ。
 だから何かが違うと気付いた時に、葛藤が生まれる。

「刀が、刀として生きられる場所で生き、それができなくなったら死ぬ。 たとえそれでも、姉ちゃんにとっては望まない男に嫁いで後の人生を長く過ごすより、ずっと満たされているはずだ」
「……だが、それでも! 姉上が死んだら、君の光のひとつが消える事になるのだろう……!」

  は、そうですね、と山崎に笑みを向ける。

「けど。 守る手段も、幸せの形も、ひとつじゃない。 今望まない形で、姉ちゃんを戦から、あんたたちの元から引き離したら、それは姉ちゃんの魂を殺す事になる」
「魂を、殺す……」
「魂を殺された武士が、武士でなくなるように……新選組の人は、それを誰よりも知っているだろ?」

 たとえあの人の肉体が死んでも、魂が生きているのなら、後の世に、人の心に伝わるのなら……それはひとつの『生きている』形なんだと は言う。
 側にいない淋しさは免れなくても、確かに、生きているのだと。

「……今になって思う。 俺のここには、たくさんの人が……生きてる」

  は、自分の胸を指さす。
 故郷に居た頃。
 姉から離れて生きた年月、その間に経験した事、出会った人々。
 肉体は滅びても、ここに息づく人がいるのだと…… は断言できる。

「それにさあ」

  は縁側に出て、月を見上げる。
 夏の開放的な夜空を照らす月明かりが、心地よい。
 山崎も釣られるように、縁側に出て月を見上げた。
 羅刹にとっては太陽にも等しい、月明かり。

「姉ちゃんだって、誰かの世界を照らすお日さまで、迷いを導く月明かりだ。 姉の背丈よりも肩幅よりも、でっかくなった弟が一人占めするなんて、野暮の極みだろ?」

 子供の頃、特に母を失ってからは、 にとって陽であり月であった、姉・
 それがすでに、一人占めして良いものでないことくらい、気付いている。
 気付いているからこそ、せめて姉が納得できる場所を照らし、輝いてほしい。

「そうか……」

 身内を見殺しにしたとなじられる事があろうとも、 にとって大切な人の幸せを願うとはそういうことなのだと。
 ならばもう、女の幸せの形がどうのこうの、とは言うまい、と山崎は思う。
 幸せがどうの、戦場から連れ戻さないのかと言い出した気持ちの根は、 と同じだと気付いたから。
 この人が居るから、自分の世界は明るいのだという言葉にも、大いに納得できる。
 世界を照らす陽があり、迷いを照らす月があり、月の無い夜にも、無数の星が輝く。
 星さえ隠れる嵐の中でも、人と人との出合いは灯火となり、心の闇を照らしてくれる。
 山崎にとっても、 の存在は、光のひとつなのだから。

「ならばもう、何も言うまい」

 山崎の答えに、 は先ほどと同じ、邪気のない笑みを向けた。









 閉じられた襖の向こう。
 廊下の側で、山崎と 、二人の会話をずっと聞いていた土方は、声を立てられないままそこに居た。
 最初は、白河城を含めた今後の事を考えて、もう少し案をまとめるべく意見を求めようと思った。
 歩き回る許可も出た事だし、布団の中で悩んでいても妙案にはならないだろうと、二人の元を訪れたのだが。
 声をかけようとした一瞬前、襖の向こうでただならぬ話が始まった。
 土方も、 の過去などほとんど知らなかった。
 珍しくもそれを知る事のできる機会を逃してなるかという気になり、ついつい盗み聞きのような格好のまま襖に張り付いてしまった。
 二人が気付いてない様子なのを幸い、どんどん深刻な方向に流れる話を、ほとんど丸ごと聞いてしまった。
 縁側に出た二人は、何を考えているのか揃って月を見上げている。
 彼等に気付かれないように、土方はそっと襖の側を離れた。
 廊下は、暗い。
 その暗がりの中で、土方はぽつりと呟いた。

「皆、誰かのお日さまで、お月さま、か……」

 自らの元に、近藤という光は戻って来てくれるのだろうか。
 また、自らは誰かの光足り得ているのだろうか。

 自分の意思でここに留まるのだ、と言い切った
 新選組の中に、彼女の光はあるのだろうか。

 それを想うと、不粋な戦の話をする気になれなくなった。
 想いを飲み込み、土方は足音をさせないようにして廊下を歩く。

 完治した訳ではない足の傷が、しくりと痛んだ。





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