羅刹女 ---3---


 食い物の恨みは恐ろしいという。
 とはいえこいつら、食い物の恨みと親の仇、天秤にかけたらどっちを取るだろうなと現実逃避をしたくなるくらいには、新選組の食卓は騒々しかった。そして食い物への執着も並々ではなかった。
 幹部たちが集まって食事をする広間の騒がしさを背に、 はすっかりからっぽになった汁の鍋を持って廊下へ出た。
 両手で持たねば落としてしまうような大きさの鉄鍋に並々たっぷりあった汁がお代りに次ぐお代りでたちまち消える様はある意味壮観で、足りないとなったら裏の厨房にまで突撃してきかねない。
 まだあることにはあるのだが、あれは夜の巡察に出る前に腹ごしらえをしてゆく隊士たちの分だ。手をつけさせるわけにはいかない。
 取りあえず使い終ったこの鍋を洗ってしまおうと、裏の井戸にゆき水を汲み上げざっと流した。
 ついでに台所で使う水瓶の水を少し足しておくかと、傍らの大きめの手桶に水を入れ、洗った鍋にも水を入れて両手に下げて勝手口へと戻る。
 水瓶に汲んで来た水をあけていると、背後からぱたぱたと軽い足音が近付いてきた。

「御免なさい、まだご飯ありますか?」
「千鶴ちゃん? ……って、まだ食う気かあの人たちは」

 大きなお櫃を抱え、息を切らして駆け込んできたのは新選組で保護されている雪村千鶴という少女。
 男装こそしているが、初対面の時、 は一目で女の子と見破ってしまい、自分の他にも新選組に女がいたのかと真顔で幹部たちに言ってしまった。
 それについては、他の隊士にはくれぐれも口外無用とくどいほど……それこそ何か口をすべらせれば斬られかねないほど念押しされた。
 彼女は一応副長土方付きの小姓という形になっているが、実際の所は居候に近い形だった。しかし居候に甘んじる事はなく、自分で仕事を見つけて少しでも役立とうという姿勢は幹部たちにも好感を与えているらしく、彼等が千鶴を見る目は一様に優しい。
 あの皮肉屋の、沖田でさえひねくれまくってはいるが一応の優しさと見える情をかけているくらいだ。
 千鶴は何でも新選組に縁深い人の娘とかで、その人……千鶴の父親が行方不明になったのを探して京都までやってきた所、縁あって新選組に厄介になることになったのだと千鶴自身が教えてくれた。
 似たような境遇で新選組に世話になるようになった事もあり、何度か話すとすぐに と千鶴はうちとけた。
 やはり千鶴にも同性のカンというものだろうか が女であるということを何となく気づかれてしまい、いつまでも疑問を抱かれるよりはと のほうから自分は女であるということを明かした。もちろん、他の隊士には秘密、口外無用という事を添えて。

「残っているのは夜の巡察に出る人たちの分だからもう無いよ。 放っておくと際限なく食べそうだからお終いお終い」

 お櫃洗うから、裏の流しに置いといて……と言おうとして、水の入った桶を持ち上げようとすると、千鶴がかけよってきて駄目ですよと桶を取り上げた。

「駄目じゃないですか、傷の抜糸をしたばかりの人がこんなに重たいもの持っちゃ! 治りかけこそ大事にしないと、あとで取り返しのつかないことになるんですよ」
「大袈裟だよ、もう刀だって平気で……」
「だめです」
「……はい」

 めっ、と子供をしかりつけるような目で下から睨まれて、 はたまらず降参した。
 医者の娘である千鶴は、応急手当てくらいならできるとあって が怪我をしていることを知ると、その時から日常の手当てをしてくれた。
 先日医者に行った折、ようやく肉も乗って傷も塞がり、縫合していた糸を抜いたのだがそのあと暫くまともに動けなかったぶん気が詰まっていたのを発散するべく幹部の斉藤に片手稽古に付き合ってもらった だったが、その後千鶴に見つかってしまった。
 まだ大人しくしろと言われているのに激しい運動などしたら、身体が熱を持って傷にも熱が回るでしょう、熱を持つとよけいな疼きが後々まで続いたり、抜糸の小さな傷からでも膿む事だってあるんですよともっともなことを言われてしまった。

 千鶴は から取り上げた桶を持ち上げて水瓶に中身を移すと、あと少しの事なんですから辛抱してくださいと心配そうに眉を寄せた。

「休ませていたものを急につかったら、身体だってびっくりしちゃうんですから。 徐々に揉んで解して、引きつったり痛んだりするのを和らげてから動かさないと後を引きますからね」
「ハイ……」

 という訳で幹部たちの膳を下げるのは千鶴がすることになった。 ひとつひとつは軽くても数人分を纏めて運ぶとけっこう重たい。
  は運ばれてきた食器を洗い、後片付けをする。
 食器は大体猫がなめるように食べつくしてあるし、残飯などほとんど出ないので楽なものだ。

「……山南さんの腕は、これのようには行かないだろうな……」

  は洗い場で、襷をかけているせいでむき出しになっている自分の前腕から二の腕部分を撫でる。
 自分が斬られたのは利き腕だったが、幸いにして傷そのものは範囲こそ広かれ浅いものだった。
 今考えると恐ろしく運がよかった。 この傷をつけることになった浪人者のへたくそ具合に感謝しても良いくらいだ。
 だが、先だって大阪に出張したときに山南が負った怪我は、左腕だったというが腱を傷つけるほどの深手で、命に別状こそなかったが二度と刀をまともに振るう事ができなくなるだろうことは、傷を負った本人が一番分かっているように思えた。
 刀というのは、存外重い。
 鞘から抜きはなった状態で、平均1斤半(1斤=約600グラム、大体800〜900グラム)。 造りによって差はあれど、相当重い代物だ。
 何だそのくらいの重さ、水桶はこぶよりもよほど軽いなどと思うなかれ、たかがそれだけの重量が腕にかける負担は鍛えていない者であれば素振りで100もいかないうちに音をあげることになるだろう。
 軽々振り回しているように見えても、『長くて重いもの』を振り回すには相当の腕力を要する。 振り回すだけでも力がいるのに、それを精緻に操るとなればなおさらだ。
 日頃の稽古で、真剣よりも重い木刀で鍛練するのは、刀を自在に操るため、容易に疲れることのない腕の力を鍛えるためでもある。

 山南の傷はまだまだ生々しいため、どこまで回復できるかを測る事は無理だが、彼をよく知る幹部たちの誰もが半ば諦めているようにも見えた。






 そして桜の蕾がほころびはじめる頃、 の隊内での配置が決まった。
 幹部の小姓役を続けながら、要請があれば人数不足の隊などに臨時要員として配置されたり、特命を受けて単独で動く遊撃扱いの立場ということでひとまずは落ち着いた。
 腕はたつから遊ばせておくわけにはいかないが、どこかの隊にずっと固定で配置させると女だとばれやすくなる。男所帯で女だとばれたりしたら、いろいろと頭の痛い問題が起こる。
 それを考慮しての配置だと人事を司る土方は言った。

 そしてその前に、実際は幹部たちが見たことのなかった の剣術の腕を見るべく、ちょうど数人来ていた入隊希望者に混じって道場で腕試しを行った。
 試験は幹部たちと試合をする事で行われ、 の試験にあたったのは幹部の永倉だったが、隊内でも有数の使い手である彼をして『腕力に多少の問題はあれど、腕のほうは問題なし』と言わしめた。
 事実、他の入隊希望者たちが幹部たちに手も足もほとんど出ないまま散々に打ち据えられた事を思えば上出来といえた。
 幹部の沖田などは永倉に、手を抜いたりしていないだろうなと不審な目を向けたが、永倉はイヤそうな顔をしてそれを否定した。
 他の面々の手前、あれが女だとは思えないと、言いたかったのに言えないという様子に沖田も苦笑してそれ以上の追求の手を止めた。

 さらには新選組の役目上1対多数の戦いという状況に陥ることも少なくないため、入隊希望者たちには幹部たちとの立ち会いだけでなく平隊士数名相手の多人数掛けも行われた。
 これにも は水際だった動きを見せた。
 一対一での立ち会いの時もそうだったが、とにかく動きが早い。腕力のなさを速度で補うかのように。
 そして、攻撃精度が半端ではない。
 多人数掛けでは正面から打ち込んで来た相手の喉を突きの一閃で止めると、胴体を車斬りで狙ってきた二人目三人目を避けるためにすぐさま倒した相手の横を駆け抜けて身体の向きを変えて、たちまち包囲を抜け出した。
 様子を見ていて感心した土方などは、3人掛けの所をまた二人加わらせて5人掛けにするということをしたが、これに対しても は動揺しなかった。
 強かに小手を打って相手の竹刀を弾き飛ばしたかと思えば、相手に比べて小兵の身体を生かして懐に飛び込み、いきなり足を踏み付け頭突きをくらわせる。
 この時代、剣術は体術込みでかなり何でもアリだ。
 最後の一人を床に転ばして、とどめとばかりに胸元に竹刀を突き降ろした所で、ようやく検分役の土方から止めの合図がかかった。
 女ということを除けば、かなり使い勝手のよい手駒として使えそうだと認識した土方は、諸事情もふくめて姑くは幹部の目の届く所に置いておく必要もありと判断し、遊撃扱いとする、と に告げた。

「いままでちと多目に見てきたが、まがりなりにも実戦で働くからにはお前もしっかりと『局中法度』を守ってもらう。 こいつに背くような真似をしたら腹を切らせるから覚悟するんだな」
「承知」

 道場を出たあと土方の部屋に呼び出され、そう言い渡されたが はいささかも動じる事なく返事をした。
 これを聞くと新入りの誰もが表情を変えるものだが、そのあまりの落ち着き払った態度に土方のほうが眉をよせていぶかしんだくらいだ。

「……わかってんのか? 腹を切るってぇのは」
「卑怯な振る舞いをするな、脱走するな、押し借り、出所不明の借金はするな、みだりに物事の仲裁に入って訴訟ざたに関わるな、私情で喧嘩に走るな……でしょう?」
「それが簡単に守れると思ってるのか? お前だって今までに脱走しようとしたりした奴の末路は見ただろうが」

 そう、 が不自由な腕をかかえている数カ月の間にも、士道に背くべからずの項目や脱走未遂、間者だと露見しての切腹、斬首が数件あった。
 不逞浪士を捕縛したあとの人道的とはいえない吟味のあとの処刑もあったし、決して脅しが目的というだけの甘い法度ではない事は もよくわかっていた。

「……万一切腹になるような事になった場合には、せめて人目につかない部屋を貸していただけると助かります。 こんな身で諸肌脱いだら皆が腰を抜かしてしまいますから」
「……覚悟の上ってことか……言うじゃねぇか。 わかった、そうなった場合は考慮してやる。 追って隊服も届けさせる、今日はこのまま非番取っていいぞ、下がれ」
「はい」

  は一礼すると、副長室を辞した。








◇◇◇◇◇











 京都の夏の暑さは酷いものだと聞いていたが、予想以上だった。
 特に今年はまだ六月だというのにこの暑さにも慣れているはずの京都っ子さえ閉口させるようなひどい暑さが続いている。
 鍋底で炒られるようというか、そこにさらに中途半端に雨など降ればもう最悪だで、冗談抜きに目眩がするような陽炎が立ちのぼる。たまったものではない。
 夏は風が湿気を払ってくれる関東地方出身の者たちは次々と暑気あたりで体調を崩して倒れてしまう。 夏でも朝晩涼しさを感じる事さえある東北出身の者たちなどはなおさら体調を崩しやすくなる。
 東国出身が多い新選組でも被害は笑い事ではすまず、暑気あたりで体調を崩す者が続出してまともに動ける隊士が全体の半分以下まで落ち込んでいた。
 部屋を覗けば寝込んでいる病人が居ないといった状況を見て、 はひとりごちる。

「……なんとまぁ……あちこちに腐った魚が転がってるような有り様だよ……」
さん、これ運ぶの手伝ってくれませんか?」
「ああ、はいはい。 どこに運ぶ?」
「この土瓶は平隊士の皆さんが寝ている部屋に一つづつ運んで下さい。 中身は麦茶ですから、時々お皿に入れてあるお塩を舐めながら飲んで下さいって」
「わかった。 ……でも何で麦茶に塩? 冷たい井戸水のほうが喜ぶだろうに」

 台所で大量の湯をわかす千鶴の脇で手伝いをしながら、 はそう尋ねる。

「父様と小太刀の道場の先生が言ってたんです。 沢山運動したり、病気で汗をかいたりお腹を下したときにはただの水だけではかえってだるくなったり目眩が酷くなったりするだけだって。 麦茶や琵琶の葉湯をよくさましたものを少しの塩と一緒に飲みなさいって。 汗と一緒に流れ出ちゃったものを補わないと、体がおかしくなってしまうんだそうです。 麦茶やお塩にはそれを補う力があるそうですよ」
「へぇ、私は『生水はやめとけ』くらいの理由かと思ってたんだけど、ちゃんと理由があるんだね」
「はい。 お水もなるべく、冷たい井戸水じゃなくて湯冷ましを飲んでくださいね」

 千鶴は蘭方医の娘ということで、応急手当てや暑気あたりなどの対処法法など簡単な医学の知識を持っているということで、この状況下では頼りになる存在だった。
  は平隊士たちが寝ている部屋へ行き、千鶴の言った通りの事を伝えるとそれぞれに食欲はあるかどうかなども聞いてまわった。
 そうしてまた勝手口のほうへと戻り、忙しく働いている千鶴にまだまだ食欲のない連中が多いから今日も粥を別に炊かないとならないと告げた。

「卵が手に入ればいいんですけど……あれだったら、粥に混ぜてたくこともできますし、栄養も無理なくとれますから」
「けど夏場は痛みやすいから、滅多な所からは譲ってもらえないしね。 他に腹に負担をかけずに滋養のあるものっていうと……」

 食養生の面でこの状況を少しでも何とかできる部分はないかと千鶴と話し合っていると、藤堂がひょっこりと勝手口に顔を出した。

「お、やっぱここだったか。  、土方さんが呼んでたぜ」
「あ、すみません藤堂さん。 千鶴ちゃん、ここ任せていい? 帰ってきたらまた手伝うから」
「はい、いってらっしゃい」

 勝手口を出て藤堂の後から幹部たちの部屋のほうへと回る。
 その途中、藤堂が振り返り に「なぁ」と声をかけた。

「そろそろさ、その『藤堂さん』っての止めにしねぇ?  歳も近いってのに、なーんかむずがゆくってさあ」
「そうも行かないでしょう。 職務上他の隊士さんと動いたり、そちらの指揮下に入ったりすることもあるのに『平助君』では示しがつきません」
「そりゃまぁ、そうだろうけどさぁ……。 じゃあ、個人的な場合はちゃんと『平助』って呼んでくれよ。 それくらいで妥協するからさ」

 やっぱりなんか釈然としないけど、と複雑な顔をする藤堂に、 は個人的な場合ならと頷き返した。
 藤堂と途中で別れて、土方の部屋の前で入室許可を求めると中から入れと短い返事があった。

「お前、漬け物屋行って梅干しを壷で買ってこい 隊士どもに食わせる」
「……は?」

 突拍子もない発言に、 は思わず土方の顔を見返していた。

「食中りで胃の腑や腸が弱ってる時にゃ、梅干しが一番だ、毒消しになる。 壷じゃ重たいだろうがなるべく酸っぱいの買ってこい」
「……はぁ」

 土方はそう言って財布から金を出して渡す。
 妙な事に詳しいなと思ったりもしたが、そういえば土方は薬屋をしていた事があるという。簡単な医薬の知識や民間療法の知識があってもおかしくなはい。

「それと、例の場所に山崎がいるはずだ。 買い物帰りに連絡(つなぎ)をつけてこい、お前なら目立たん」
「なるほど、本命はそっちですか」
「買い出しも本命だ。 ……けっこう重症っぽのもいるし医者を呼んでやりてぇのはやまやまなんだが、今めったな人間を内に入れるわけにいかねぇ。どの口から戦力半減してるって事がばれるともわからねぇからな……」

 土方のため息の理由が にはよくわかった。
 ここの所、世間が妙に騒がしい。
 開国を迫る諸外国を主に武力をもって退けることを主張する攘夷派の動きが活発になり、幕府の諸外国に対する対応を弱腰と批判する声も日に日に憚ることなくなってゆく。
 ついには、京にて攘夷派の一大決起の噂も囁かれはじめ、それを裏付けるかのように長州人をはじめとする攘夷派の浪士たちが京に集まりつつあった。
 政治犯、国事犯が続々と集結しつつあるのは本当で、新選組としてはこれを見のがしておくわけにもいかない。
 怪しいやつを見かけたら取りあえず引っ立てろくらいの勢いで警戒を強めているのだが、いかんせん人手が追い付かないのが現状だ。
 何人か浪士を捕らえはしたものの雑魚だったり、大物の情報が入っても捕縛に踏み切れるだけの人手を捻出できなかったり。
 そればかりか浪士たちの集結の目的、決起の噂の真偽もなかなか確かめられない。
 獲物を目の前にして身動き取れない状態が続いており、土方のいらつきは日々増す一方だった。

 さらにこの状況を好機と見られて、屯所襲撃でもされたら笑い事ではすまない。

「……私が尊王派の浪士でも、今の状況の新選組を潰そうと思ったら動ける隊士が出払うことになるような噂を流して出動させて、そっちには囮を当てて屯所のほうに大軍をなだれ込ませますね」
「そういうこった。 俺らだけですめばもっけの幸いってもんだが、八木さんも無事じゃあすまねぇ。 あいつら坊主憎けりゃ袈裟までを地でいくからな、下のガキから小女まで絶対に巻き込むぞ」

 最悪、何かと良くしてくれる壬生村の人たちや隣の寺の住職までとばっちりがゆくと言われて、 の背に冷たいものが流れた。
 土方の言う事を否定できないのが何ともいえない。胃に重たいものでも詰め込んだような気になり、思わずみぞおちを押さえてしまう。
 想像もしたくない光景がまざまざと目の前に浮かんでしまい、 は小さく首を振った。
 その後、 は土方からわたされた金を持って屯所を出ると、教えられた通りの漬物屋へと向った。
 土方はどちらかというと辛党で、まんじゅうよりも漬物を好む。
 局長の近藤は甘党で、京の菓子は旨いと子供のように喜んでいるが、土方もまた京は漬物が旨い、とあちこちの店で買っては食い比べをしているようだ。
 陽が照りつける通りを歩いている人は少ない。夏場人が動きはじめるのは多少なりとも涼しい風の立つ夕方からだ。
  もあまりの暑さに負けて、途中一度茶屋の庇の下に避難して井戸水でよく冷やした茶を頼んで咽を湿らせた。
 漬物屋についたときには、一度休んだにも関わらずの上せそうに顔が赤くなっていたらしく、みかねた漬物屋の主人が倉が涼しいから少しやすんでいけと勧めてくれたので有り難く言葉に甘えることにした。
 冬場は建物の中でも分厚い氷が張るという、敷地の北側、それも建物の陰になるように造られた保存倉の中はさすがに夏でもひんやりと涼しい。様々な漬物の匂いがまざりあって鼻には少しきついが、それを差し引いても本当に有り難かった。
 品物の用意が出来たと呼びに来てくれた店の者が、まだあまりよくない の顔色を見て心配そうにもう少し休んでいったほうが良いと勧めてくれた。

「お急ぎでないなら、夕方までお休みになったほうがよろしゅうおまへんか? お国はどこか存じませんが、京の夏のお天道様を甘くみたらあきません」
「いやあ、それがここの梅干しでないと嫌だと、待ちかねているのがいるもんで」
「それは嬉しいこと言うてくれますなぁ。 では、お発ちになる前に湯ざましとウチの漬物、召し上がっていってくれなはれ」

 ちょっと待っていてくれと言って、盆に乗せてもってきてくれたのは湯冷ましと塩をキリッと利かせた瓜の一夜漬けを、梅干しにいれてある紫蘇の刻みを加えて揉んだものだった。

「……これはおいしい」
「へぇ、時間をかけてつけるものだけでなく、こういうもんも取り扱ってます。 ただ日持ちがしませんよって、その日の分しかつくりませんので売り切れたらおしまいいうのが難でんなぁ」

 さすが辛党お勧めの店、この味を出すのに使っているのは塩と紫蘇だけではあるまいと訪ねたがそれは店の秘伝ということだった。
 品物の代金を払い、休憩とうまい漬物の礼を重ねて言ったあと、今度は浅漬けも買いにくると約束して は店を出た。
 あとは土方に言われた通り、山崎と連絡を付けにいかねばならない。
 指定された通りに入っていくと、スッと日差しが途切れた。
 こうして大通りから一歩細い路地に入ると、京の町は以外なくらい日陰になる場所が多い。
 この路地は昼間だが庇の陰が長めにのびていて、薄暗ささえ感じるが大通りにくらべれば極楽だ。
 こういう路地に並ぶ家々の隙間ともいえる細い空間をちらりと覗くと、時々人がいることがある。
 昨今、京には昔から住む人の他にも全国各地から人が流れこんできている。中には食うに溢れてその日の宿も失い、そっと物陰に身を潜めるしかない者たちもいる。
 もともと無宿人はいたが、主に橋の下や洛外の荒れた場所にいることが多かったそういう者たちが、洛中でも目立つようになったと地元の者たちは言う。
  がちらりと覗き込んだ場所にも、菰をかぶって身を縮めて座る人影が二人ばかり見えた。

 確かこのあたり……のはずだが……と何度か視線を巡らせていると、ある家の戸口が開いて薄汚れた着物を着て頭にこれまた汚れた手ぬぐいを被った男が何度も卑屈に頭を下げながら中から出てきた。
 どうやら、一時の労働の対価としてわずかばかりの銭をもらったらしい。
 その男は が歩いて来るのに気づくと、少し引きずるような足取りで背を丸めながら近付いてきて声をかけてきた。

「お若いお武家様、その重そうなお荷物、お望みの場所まで運ぶよって少しばかり銭を恵んでくれまへんか……?」
「あ、いや大丈夫だ、この程度問題なく運べる」
「そう言われますが、そない重い荷物で片手が塞がってる時に襲われでもしたらどないしはります。 遠慮せんと、ささ」

 男は近付いてくると、躊躇う の手からひょいと壺を取り上げた。
 その時深くかぶった手ぬぐいで影になった男の顔がちらりと見えて、 はアッと声を上げそうになった。

「……お武家様、お声を抑えて」

 目を白黒させている の反応が面白かったのか、男の声には多少笑いが混じっていた。
 一度深く息をすって動揺を追い払うと、 は可能な限り声を抑えて、

「何してるんですか、山崎さん」
「仕事だ、この格好だと相手も警戒しないからな」

 確かに監察の人間は様々なことを新選組のために探るのが仕事だが、何も手や顔まで汚して浮浪者の格好をしなくたって………と、 は続く声を出せなかった。
 その間にも山崎は壺を抱えてひょこひょこと歩いていってしまう。
 先程の口ぶりといい、今の歩く様子や背をまるめている所といい、屯所に居る時の所作とはまったくの別人、役者顔負けだ。
 集める情報にあわせて町人に化けたり、忍びまがいのことをするとは知っていたがここまでするとは。
 四半時も歩いただろうか、 はここから先はたいした距離もないし自分で持って帰ると告げた。

「……あの、これを。 大して入ってないからこのまま持っていっていい」
「これは、ありがとうございます」

 こうなったら演技に付合うべきだと割り切って、先程の買い物の釣り銭の入った袋を丸ごと渡した。
 袋を渡す時に、山崎はさりげなく折り畳んだ紙を の袖口に滑り込ませた。
 山崎の視線が「今すぐにそれを見るな、自然な振りをして屯所に帰れ」と言っていると気づいて、 はそのまま振り返らずに壺をかかえて屯所への戻った。






「おう、ご苦労」

 梅干しの壺を勝手口に届け、そこから小皿に数個取り分け茶と一緒に盆に乗せ、それを持って土方の部屋へ報告に上がった。
 簡単なねぎらいの言葉をかけ、土方は早速梅干しを口に放り込んだ。

「ん、美味ぇな」
「副長……あまり驚かせないでくれますか……山崎さんがここの所出ずっぱりなことは知ってましたけど、あれは」
「あのくれぇで驚くな。 で? 山崎からの知らせはどうなった」
「ここに」

  は袖のうちに手を入れ、4つに折り畳んだ紙を取り出した。
 それを受け取り目を通した土方の表情が、たちまち厳しくなる。
 瞳の輝きは書き付けを睨み破らんばかりに強くなり、反面口元には勝ち気な笑みが浮かぶ。
 ……この男との付合いは長くないが、この笑みが出た時は事が大きく動く事を は学習していた。

「二番隊の傷病者はどうなってる」
「半数が寝ついています」

 ここの所千鶴を手伝って食事や飲み物を運んだり、病状を尋ねたりしているので即座に答えることができた。

「三番隊はどうだ」
「同様です」
「病人の一番少ない組は!」
「六番隊、武田さんの所です」
「……よし、永倉と武田を呼んできてくれ」
「わかりました」

 その後は普通に仕事に戻って良いとの事だったので、局長と副長が郷里にあてに送るからとしたためていた手紙を預かっていたので、それを送る手配をすませ、いつもの通り夕餉の支度を手伝い、後片付けを済ませるなどして一日を終えた。
 翌朝、随分早い時間に武田と永倉が隊を率いて出かけていった。
 他の皆が起き出す時間と前後して、外に出ていた山崎が帰ってきたので は彼のために朝食を膳に乗せて監察部の部屋まで持っていった。
 昨日の格好はどこへやら、山崎はすでに体をあらってこざっぱりとしたいつもの着物に着替えている。

「ああ、すまない。 ついでに面倒をかけるんだが、食べたらひと眠りするんで永倉さんたちが戻ってきたら起こしてくれないか」
「わかりました。 汁のおかわりはいります?」
「いや、もう満腹だ」

 そういえば土方に仕事の報告をしなくて良いのかと聞くと、昨日渡した書き付けに大事なことはほとんど書いておいたので、帰還報告と簡単な話だけですんだので、土方の指示で永倉たちが動いたのなら次の仕事があるのは彼等が帰ってからになるという。

「では、すまないが頼む」
「はい」

 山崎は座ぶとんを枕がわりにしてそのまま横になってしまう。 も膳を下げいつもの仕事に戻った。
 山崎が眠ってから一刻後、永倉たちが商人風の風体の男をひとり引っ立てて戻って来た。
 男はそのまま もかつて閉じ込められた蔵へ連れていかれたようだが、とりあえず山崎との約束があったので彼を起こしにいく。

「今日も日射しがきついな」

 寝不足ぎみなのか眩しそうに目を細める山崎は、身を起こすと朝の涼しい空気がすっかり消えギラギラと夏の日射しが照らしはじめた庭を眺めて呟いた。
 昼もまわらぬ前からすでに陽炎の気配も濃い。

「今日は特に酷い一日になりそうですね」

  もうんざりと肩を落とした。




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