羅刹女 ---38---
その日の土方は、朝から非常に機嫌が悪かった。
戦うのか戦わないのか、煮え切らない態度の幕府高官との折衝、半壊した新選組の戦力建て直しと、寝る間もないほど忙しいからだけではない。
将軍・徳川慶喜の『恭順』が決まったのだ。
この国の主人である天皇を奉じた官軍が江戸を包囲し、今や賊となった徳川政権の象徴である江戸の町と、江戸城を攻め滅ぼそうとする動きに対し、徳川側の大将である慶喜が『戦う意思はないから攻撃しないで下さい』と宣言してしまったのだ。
大将自ら白旗を上げて降伏宣言してしまったのでは、喧嘩にならない。
政治的な観点から見れば、江戸百万の市民を守るため、また国内の混乱を長引かせて諸外国につけこまれないようにするために、仕方ないといえるかもしれない。
旧幕臣・勝海舟が主導した、江戸城無血開城に繋がる一連の政治的な動きは、後に日本史に類を見ない奇跡と称される事になる。
国が内戦で弱体化しながらも西洋列強の侵略を阻み、植民地化を免れる礎になった。
後の歴史でいかに評価されようとも、この時代を実際に生きている者には様々な思惑がある。
事に、『士』を自負する者にとっては、敵を前にして戦う事もせずに恭順するというのは、到底納得できない行為だった。
敵を前にして戦わずして逃げるなど、恥辱の極みという考え方、甲州で負ける前の近藤の考え方そのものだ、と
は思う。
『武士』にとっては、それが普通であり、敵を前にして逃げる、降伏するというのは恥なのだ。
甲州での戦の時に、これは勝てない、とまっ先に援軍を呼びに走った土方まで、幕府の大将のふがいない態度に憤慨し、背中から殺気を吹上げている。
は、近寄り難い雰囲気を吹き上げる土方の背中に、五歩下がった位置から声をかけた。
「出立の準備、整いました。 あとは下知を待つばかりです」
「おう、ご苦労」
ねぎらいの言葉は振り向きもせず、しかも苛立ちを多分に含んでいる。
思わず零した溜め息に、土方が「聞こえてるぞ」と反応した。
「……近藤さんの様子はどうだ」
「あいかわらずです。 甲州での負け戦がよほど堪えたようで……けど、それだけだとは思えない落ち込みようですがね」
私にまで、今のうちに新選組を離れたほうが良いのではないかと言ってくるのだから、よほどの喝をいれないと立ち直れないんじゃないですかねと、
はもう一度溜め息を重ねた。
貧乏道場時代からの友人であり、家族にも等しかった永倉・原田の離脱は近藤にとっても痛手だったろう。
いかに売り言葉に買い言葉の諍いとはいえ、出てしまった言葉は戻らず、下げられない頭は重石をつけたところで下がらない。
下手をすると、見捨てられた、とさえ思っているかもしれない。
昔馴染みの仲間が、ひとり、またひとり、もぎ取られるようにいなくなってゆく新選組。
それなのに、まだその長でいなければならない近藤の心中を思うと、
とて心が痛まないわけではない。
土方も、負け戦が込み、出る行動が尽く裏目にでる状況に、隊を率いる一員として言いたくても言えない鬱屈がさぞたまっていることだろう。
「(沖田さんが『頼む』なんて言うわけだ……あの人がいたから、つまり過ぎた気合いも抜けたし、抜けすぎた気合いも自然に入ったんだ)」
いなくなってその人の偉大さがはじめてわかるのだから、皮肉なものだ。
かといって自分には、沖田のような絶妙な立ち位置を取る事はできない。
できる範囲で、近藤や土方の負担を減らしてやるのが精一杯だ。
「羅刹隊と、別働隊を率いた斎藤はもう出発したんだな?」
「ええ、そこに私の判断ですが、小姓たちもつけて。 会津に向かう別働隊には、怪我人も多いですから、彼等の世話役としてついていけと」
「そうか、そのほうがいいかもな」
会津なら、まだ戦の火は及んでいないだろうし、小姓になるような歳若い少年たちは、戦に出ずにすむのなら出ないほうが良い。
本人たちは戦えないことを不満に思っているようだが、子供を戦場に出すようでは隊には先がないと公言してしまっているようなものだ。
「やれやれ。 これでどうにか守りを固められる土地へ移れるぜ。 一服するか、茶ぁいれてくれ」
「はい」
肩こった、と首を回す土方の背後で、
ははいと答えて勝手場へと向かった。
慶応四年四月一日、新選組は流山に着くと、長岡屋を本陣とし、他二ケ所に分宿した。
先日まで本陣としていた五兵衛新田は軍隊を置いても、討って出るにも守備に回るにも不利な地形だったため、幕命とはいえそこに縛り付けられているのは正直気が気ではなかった。
ようやく、喧嘩らしい喧嘩ができる陣地と兵員を手に入れて、土方はやる気になっている。
が、肝心の近藤のほうは、慶喜公の恭順をふがいないと怒りはしたものの、やはりかつての覇気は取り戻せず、日がな一日ぼんやりとして過ごしていた。
幹部たちの多くが新選組を離れた今、
の仕事は多い。
中でも重要なのは、京にいたころから二番組の伍長と監察を兼任している島田とともに、新兵に洋式戦闘と武器の扱い方を教える事だ。
今いる連中、十日でどうにか使えるようにしろと命令されている。
が、中には大砲の音怯えたり、銃を持っての匍匐前身で土まみれになるなど、侍のすることではないと訓練を拒否する者が出たりと、様々な問題を宥めながらなので訓練は滞りがちだ。
それでも何とか一通り武器の扱いを教え、他の者に教練の続きを任せられるようになり、
もようやくひと休みすることができるようになった。
四月三日の朝。
近藤は何やら胸騒ぎを覚えて早めに床から抜け出したものの、何かをする気力がわいてこず、庭に出てゆっくりと歩きながら朝の清々しい空気を胸に満たしていた。
そんな空気を胸一杯に吸い込んでも、胸の内に凝りのようにわだかたまるものを溶かす事はできない。
梢で鳴く小鳥の声もどこか遠くの事のように聞こえ、身体をあたためる陽の光さえ、どこか現実みがないと近藤は感じて居た。
「……誰かいるんですか……って、近藤さんでしたか。 おはようございます」
上着と靴を脱ぎ、洋装の襟元をゆるめただけで寝たらしい
が、寝ぼけ眼をこすりながら廊下を歩いて来た。
「五条君か。 おはよう、随分疲れているな?」
「大丈夫ですよ、昨夜はゆっくり寝かせてもらいました。 近藤さんこそ、今朝は随分早起きですね?」
「いやあ、なにやらこう、胸騒ぎがしてなあ」
陽の光がまぶしい、というように目をすがめると、近藤は父親が娘の仕種を見るように穏やかに微笑んでいた。
も、本人も自覚せぬまま幼い表情を向ける。
「どうしたんですか?」
「いや、夢を見ているようだと思ってなあ」
踏み石に降りて、庭に出る
の様子を見ながら、近藤は感慨ぶかくそう答えた。
近藤らしからぬ現実味のない台詞に、
は思わず吹き出し、
「何言ってるんですか、ちゃーんと、お陽様はあったかいし、時間がたてばお腹もすく。 夜になれば眠くなる、二人ともちゃんと現実にいますよ」
朝っぱらから、彼岸にいっちゃったような顔はやめてくださいと
が軽く睨むと、近藤のほうが驚いて自分の頬をつまんでしまっていた。
「そんな顔をしていたか?」
「よくお通夜の時みたいな顔、っていいますけど、近藤さんのはお通夜通り越して三途の川いっちゃったみたいな顔ですよ?」
「そりゃあ酷い、せめて葬式にしておいてくれ」
大分すっとばしてるぞと、近藤は大いに心外な顔をしてフン、と鼻を鳴らした。
「これで総司がいたら、そのへんで腹をかかえて笑ってそうだなぁ」
「いえいえ、『
ちゃん、近藤さんに何てこと言うのさ』って、鯉口切ってますよ」
相手が土方さんなら、私の味方をしてくれるでしょうけれど、近藤さんのことになると何よりも優先する人でしたから、と
はちょっと目を伏せた。
今もあの植木屋の離れで病を養っているはずの沖田は、元気だろうか。 いや、まだ生きているだろうか。
近藤も同じ事を考えたらしく、事が落ち着いたら一度顔を見にいってやらねばな、と呟いた。
「五条君は、ここを出ていこうとは思わんのかね? 嫌な予感がするというか、そろそろ危なくなるし、この先逃げ出す事もできないような状況になるかもしれんぞ」
話題を変えて、近藤はそう聞いてきた。
先日、五兵衛新田に居た時も似たようなことを聞いてきたから、よほど気にかけているようだ。
「それになあ、逃げられなくなってから、女性とばれたら大変なことになりそうで、俺は今から心配だよ」
「心配してくれるのは有難いんですが、ここに来て女だからという理由で一抜けたするのは、私の性にあいません。 それに、やりかけの仕事もあります」
「やりかけの仕事?」
「ええ」
それは何か、と近藤が問いかけようとした所で、座敷のほうからドタバタと激しい足音が聞こえてきた。
パン、と音を立てて障子が開くと同時に、血相変えた土方が、
「近藤さん、ここに居たか! 逃げる準備をしてくれ、ここは敵に、新政府軍に包囲されてる!」
近藤と
の顔にも、サッと緊迫感が走る。
庭から座敷に上がり、素早く障子を閉じる。
「包囲って、どういうこと!? 大体いつの間に!」
「……気付かなかった」
の叱責に、土方は反論せずに顔をしかめる。 実際、気付かなかったのだ。
しかも間が悪い事に、ここには兵員がほとんどいない。 すぐに建物の中にいる者たちが広間に集まったが、二十人に満たない数だ。
対して、包囲している新政府軍は三百人から上の数。抵抗したところでひとたまりもない。
早朝から訓練に出ている隊を呼び戻そうにもすでに包囲され、おかしな動きをすれば叛意ありとみなされて攻撃されてしまうだろう。
逃げるか、やりすごすにしても、ここにいるのが新選組だとわかったらそれも不可能になる。
なぶり殺しか、捕らえた上で処刑か。解放はありえない。
どうする、と青ざめる隊士たち、肝の太い
もさすがに今回は周囲を励ます言葉もでない。
絶対絶命、せめて包囲の数がひとけた少なければ、と歯がみする土方。
「逃げられる場所がないか、もう一度見てくる」
はそう言って二階に上がり、窓を開けて周囲を見渡した。
背後の一ケ所以外、見事に包囲されている。 その包囲も人数に任せて厚く、遠目にも装備が充実しているのが見える。
正面突破をはかるのは不可能だ。
何で気付かなかった、とバシリと窓の桟をたたく。
包囲の兵を睨み付けていると、正面の兵の一人が、何やらこちらにむかって合図を送っている。
暫しその様子を観察していると、馬に乗った上官らしき人物が、従者を従えてこちらにゆっくり歩き出した。
合図はさらに続いている。 撃つな、という事らしい。
撃つな、という合図、そうすると歩み出てきた上官は使者ということだろう。
「こちらが何者か確認する意思はあるってことか……よし」
は階段を駆け降りると、近藤と土方に、相手の使者が出てきたこと、包囲はしたがいきなり銃をぶっぱなす事をせず、使者を出してくるのだから確認と交渉する気はあるらしいことを伝えた。
「相手が話し合う気があるなら、こっちの兵を引き戻すか、最悪逃げ出す時間くらいは稼げるんじゃあ」
「よし、俺が行く。 島田、一緒に来い。 五条と他の連中は、近藤さんを守っていざとなったら逃げろ」
即座に判断を下した土方は、大股で広間を出ていった。それに島田が続く。
時間が稼げれば、訓練中の隊がこちらの異変に気付くかもしれない。脱出のスキを見つける事ができるかもしれない。
この場を逃れられれば御の字、と
は拳を握りしめた。
二階から様子を見にゆけば、長岡屋から少しはなれた畑の畦道で官軍側の使者と土方たちが向かい合っているのが見えた。
使者に促され、土方たちが官軍陣地のほうへ向かった時はさすがに青ざめ窓枠を握りしめたが、土方たちが陣の中に消えても、大きな騒ぎは起こっていない。
冷や汗を流しながらじっと動きを伺っていると、時間にして数十分後、土方たちが陣地から出てくるのが見えた。
文字どおりホッと胸をなで下ろす。
様子を見ていた数十分が、数刻に感じられたほど緊張していたが、無事に戻ってこれたならまずは一安心だ。
階下に降りて土方達が戻ってきた旨を伝えると、近藤を守っていた隊士たちもほっと表情をゆるめた。
「いや、まだ安心はできんぞ。 相手が官軍というなら、味方でないなら武装解除くらいは求めてくるだろう。 何せあちらには錦の御旗がある」
油断せずにおけ、という近藤の一言に、全員が緊張を新たにする。
ドタドタと足音を隠しもせずに土方と島田が広間に戻って来たが、二人の表情は厳しかった。
「取りあえず、ここになぜ軍隊が駐屯しているのかは適当に誤魔化してきた。新選組だってことは、多分、ばれてねえ」
土方の言葉に、待っていた全員がほっと胸をなで下ろした。
だが土方は、渋い顔のまま、
「だが、胡乱な連中として叩き潰されたくなければ、武器一切を差し出して、兵を解散させて恭順しろだとよ」
上から物を言いやがって、と忌々しく吐き捨てるが、相手は何せ『錦の御旗』を掲げる、『正義の軍隊』だ。
これに逆らうもの皆、子々孫々まで賊扱いにできるとなれば、圧倒的な優越感に人を見下す発言をするのも仕方が無い。
だが、土方は心底腹を立てていた。
薩長土の連中は、今上天皇が歳若いのをいいことに都合の良い神輿としてまつりあげ、何かあったら罪を全部着せて形代にする気満々なのが目に見えている。
幕府軍が挽回して都合が悪くなれば、日本の情勢を伺っている諸外国に対して、様々な不都合をこう釈明するのだろう。
『我々はこの国の主人である天皇の軍隊なのだから、主人の天皇に全ての責任はある』と。
諸外国がそれで納得するかどうかはともかくとして、そうして責任のがれをする腹が見え透いているから、錦の御旗が翻り、将軍が謹慎し恭順を示しても、見え透いた腹の底を蔑み、憤慨する者たちがあちこちで反旗を翻すのだ。
実際今のように、人を踏みつぶす時ばかり、下っぱまでもが錦旗の威光を笠に着る。
長岡屋を包囲している隊にしても、装備と規模からして、せいぜい本隊の露払い、指揮官とて対した権限も持たされていない下っ端だろうに!
こんな都合のよい『官軍』があるかと言いたい。
「副長! そんなことをしたら、我々は」
「わかってる! 腹は立つ、だがこの場を切り抜ける事が第一だ!」
隊士の一人が叫ぶが、土方も押さえた声で強く言う。
心理としては、三下ごときがふざけるんじゃねえと一喝して、残らず素っ首はねてやりたい所だが、いかんせん戦力が無さ過ぎる。
「歳、致し方在るまい。 抵抗する気で悪戯に時間を稼いでいたら、訓練に出ている他の隊がこの騒ぎに気付いて、無茶な攻撃を仕掛けてきかねん。 そうなったら被害は拡大する」
「ああ……」
近藤の下がった肩と、土方の盛大な舌打ちを見てしまっては、他の隊士たちはもう何も言えない。
とにかく、この場を切り抜け、外に出ている隊に危急を告げて兵員を無事に逃がす事が最良の選択だ。
「武器の引き渡しでなるべく時間を稼ぐ! その間に、中島、相馬、お前らは外の隊へ決してこちらには近付かず、斎藤を頼って会津を目指せと伝えろ。 もちろんお前たちも一緒に会津に向かえ、ここには戻るな」
中島も相馬も、数少ない京以来の同志だ。
隊長の補佐である伍長をつとめていたので、隊を率いて会津に向かわせるなら彼等が適任だ。
ここには戻るなの一言に、二人ともそれはないと言いかけたが、戻ればまず命は無い。
激戦が予想される会津に、新選組の兵員を無傷で送り届ける事は重要な任務だと近藤にも諭され、二人はうなだれて了解の意を示した。
武器を引き渡せと言われたが、何もバカ正直に全てを差し出すつもりはない。
小銃、刀剣だけでも、近くの畑や林の中に隠しておく。
土方はその作業を、残りの隊士たちに命じた。作業がすんだら、彼等もそれぞれ散って脱出させる。
いかに包囲が厚くとも、ひとりふたりが逃げるスキはあるものだ。
「五条は、俺たちと一緒に武器受け渡しの交渉にあたれ」
「ちょちょ、ちょっと待って下さい副長!」
が、はいと言う前にそれまで黙っていた島田があわてて口を出す。
「五条君は中島たちと一緒に脱出させたほうが良いですよ!」
鳥羽伏見の時に、
は遊撃担当から伍長に昇格している。 隊長不在の時は隊を率いる事のできる立場だ。
新入りの多い隊を統率して会津まで行くのなら、
がいたほうが中島たちの負担も軽いと、もっともらしい理由をつけてはいるが、島田は京の時代から
が女だと知っていたひとりだ。
ある意味、鳥羽伏見の時よりもまずい状況に残しておくのはいかがなものかという意図がありありと見えていたが、土方はそれは言わず、
「交渉にあたるなら、優男のほうが相手が油断するだろうが。 それにお前等の中で、一番剣の腕がたつのが五条だ、護衛に残らせるのは当然だろう」
京時代、道場で
に負かされた事のある中島と相馬は、うっと言葉に詰まってしまった。
島田も、型はちがえど沖田や永倉と互角にわたりあった
の剣の腕を知っているから、でかかった言葉を引っ込めてしまう。
大量の銃の前に、剣がどれだけ役にたつのかは疑問だが、すくなくとも切り掛かってくる相手なら、
が引けを取る事はそうそうない。
ならば、局長・副長の護衛として俺も残りますと島田が強く主張した。
「よし、島田も残れ。 いざって時は近藤さんを担いで逃げてもらうぞ!」
「おいおい歳、俺はこの通り、立派な足があるんだぞ」
苦笑する近藤に、わかってらあ、冗談だと土方は緊張の中にも笑みを浮かべた。
包囲戦で、相手が逃げる場所を一ケ所あけておくのは戦の常道だ。
完全に取り囲み、逃げ道を断ってしまうと、相手は死にものぐるいで抵抗してくる。
逃げ道をひとつ残しておいてやることが、かえって相手の気を削ぎ、迷いを生じさせることで抵抗を弱める事ができる。
中島、相馬は背後に開いている一ケ所からそれぞれに脱出した。
武器を隠す方も、担当者が持てるだけ持ち、逃げながら途中に隠していく。
新政府軍側に引き渡す武器も、荷車に積みおえて、あとは持っていくばかり。
「こんなに少なくて大丈夫ですかね?」
「なーに」
は縄をかけて固定した木箱をぽんぽん、と叩きながら島田に、
「この長岡屋に起居できる大体の人数、加えて予備少々となるとこれくらい、武器にまわせる予算はあっても現物が集まらないとでも言ってやるさ」
そう言って
は笑う。
「……本当ならただ渡すのはもったいないから、箱の下段に馬の糞でも詰めてやりたい所なんだけどね」
「本当にやらんで下さいよ」
垣根のむこうに翻って見える錦の御旗を睨み付ける
に、クギをさしておく。
新政府軍の態度に腹が立っているのは島田も同じだが、そんなことをされては明らかに叛意ありと受け止められてしまう。
そこへ、武器引き渡しの時間を長引かせるために新政府軍の陣地へ行っていた土方が戻ってきた。
「こうまで長引かせるたあ、何か裏あっての事かとよ。 俺じゃあ話にならんから、大将を出せと来た」
「馬鹿いっちゃいけません、こんな交渉に近藤さんを出せますか」
思わず声を大きくしてしまった島田は、あっと口元を押さえた。
交渉にあたって、土方は甲府行きの時に使った変名、内藤隼人を名乗っている。
陣地までは距離があるので聞かれているとは思えないが、新選組の『土方』の名では目立ちすぎる。 何より正体が一発でばれてしまう。
「なら私が出ましょう」
「ん?」
「近藤さんんも、甲州に行く前に大名の位をもらったのを機に名を変えたでしょう? 大久保大和、でしたっけ」
「ああ……」
その通りだが、どうする気だと土方は少し眉を寄せた。
「私はまだあちらに顔を見せていませんから。 私が大久保大和を名乗って、武器の引き渡しに行ってきますから、その間におふたりは近藤さんを逃がしておいてください」
「馬鹿言っちゃいけませんよ!」
島田に至近距離で怒鳴られ、
は思わず耳を押さえた。自分はそんなにとんでもないことを言ったかと、少し恨みがましい目を向けてしまう。
「あんた、帰してもらえなかった時のことを考えてますか! 幕府軍、それも新選組だとわかったらどんな目にあわされるか」
「近藤さんをそういう目にあわせるよりは、ナンボかマシだから、顔の割れていない私が行くんですよ。 万一ばれた時には、女ってことも一緒にばれるだろうから、最悪、丸坊主にされた上に生き晒しくらいで済むでしょう」
京あたりに護送されて、三条河原で棒にでも縛り付けられて、罪状を書いた立て札と一緒に晒し者。
僧籍に入るわけでもないのに女が髪を坊主にされるなど、第一級の恥辱として世間から指さして笑われる事になるだろう。
それでも安いもんだと
は笑う。
逆に近藤が出ていって新選組局長とばれたとしたら、間違い無く腹を切らされてしまうからだ。
「どっちがマシかを比べてみれば雲泥の差でしょうが! 自分で言うのも何だが優男、このツラが大将ですって出ていきゃああっちも拍子抜けして油断するだろ、それこそ有効な使い道ってもんでしょう!」
駄目だというなら他の案を出してみろとばかりに睨み付けてくる
に、島田は視線で土方に援軍を頼んだ。
いくら状況が厳しくても、土方なら
の無茶っぷりを諌めてくれる、そう期待したのだが。
「悪くねぇ案だな、それいくか」
「副長ーー!」
止めるどころか、
の案に賛成したではないか。しかも目がとことん据わっている。
普段の土方なら、
を殴ってでも止める所だ。
今回に限ってそれはないろだろうという意味で、島田は土方に一歩詰め寄る。
「島田さん。 要が抜けた扇は、ただの木っ端と紙屑です。 近藤さんは、新選組という組織の要なんです。 何を犠牲にしても、この要を抜く訳にはいきません」
すでに覚悟を決めてしまった
の視線に射抜かれて、島田は低いうめきを零した。
「扇の要か、うまいことを言う」
土方は
に歩み寄ると、洋装にあらためても長いままの
の髪に指をからめる。
が大久保大和と名乗り、武器を引き渡しここに駐屯している事情の釈明をする。その言い分を、あちらが信じてくれればそれでよし。
新選組の要たる近藤を失う事なく、自分たちは窮地を脱する事ができる。
武器は惜しいし、解兵を要求されても、近藤さえいればまた出直せる、その確信が土方にはあった。
本人の言う通り、あちら側に行かせる人間として
がもっとも安全な人選だ。
女であるなら刀で処分するのは汚れになるとして、本人の言う通りに断髪・生き晒しで済む可能性も高い。
「あの人を、敗軍の将のまま終わらせる訳にゃあいかねえ。 危険この上ねえ仕事だが、頼むぞ」
「ええ」
「必ず迎えに行く。 その時にこの髪が無かったら、あいつらめ、その時には百倍にして意趣返しをくれてやる」
決まりだ、行ってこいと土方が言いかけたその時だ。
「その作戦を、俺が容認すると思ったのか、土方副長!」
引き止める声は、背後からかかった。
今朝方までの脱力した背をシャンと伸ばし、怒気を全身にみなぎらせた近藤が、ゆっくりとこちらへ近付いてくる所だった。