羅刹女 ---35---


 薫は とも話をしたことがある。
 まだ京に居た頃、薫の仮宅は鬼たちの集合場所のようになっていた。
 主に、親しくしている不知火がらみの用事の時が多かったが、 も仮宅には時々姿を見せ、何度か話をするうちに彼に姉がいることも聞いた。

 すでにこの世でたった二人きりの身内、今まで自分を守ってくれた姉を守れるような強い男になりたくて田舎を飛び出していたのだと照れくさそうに話す からは、姉が大好きで、彼女の幸福を願う様子がありありと出ていて、薫は珍妙なな生き物を見る思いだった。
 たった二人の身内というのは同じだが、自分は、同じ顔、同じ血を持ちながらひとり幸せに暮し、安穏と守られる環境を享受してきた妹を何とかして同じ不幸に引きずり込みたいと願っているのに。
  の話を聞くにつれ、驚いたのは二人が世間で認められる所の『男の才能』と『女の才能』をあべこべの状態で持っていた事だ。
  は学問や技芸が得意で、頭を使っての仕事は誰にも負けないと胸を張るが、体力勝負は自信がないし、剣術にかけては町道場の鳴かず飛ばず程度の腕前だと言う。
 逆に姉のほうは、剣や武芸にかけては誰にも引けを取らないが、頭を使うのは苦手で、寺子屋で習う程度の読み書きですら苦手だったこと。
 周囲には、生まれて来る時に神か仏が魂の入れ物を間違えてしまったのだとか、今からでも頭をぶつけて中身を入れ換えてみたらどうだとか、随分な事も言われたという。

 似ている、と思った。
 身寄りを失い、この世で二人きりの同じ血を持つ者として、周囲の求めるものに対して性別が逆だったばかりに不等な扱いに甘んじるしかなかった者として。
 また、決定的に歩み寄れない部分もあると思った。
 この世でただひとりの身内を思う心の向きが完全に逆を向いている。
  は、同じ血でありながら別々の人間として幸せを願うのに対して、薫はお互いさえ見えていればいい、幸せも不幸も何もかもひっくるめて、いっそ同じものになってしまえたら良いと願ってさえいた。

 そして薫は、 とも何度か会い、親しく話をしたこともあった。
 違いの立場を確と明かさないままの逢瀬ではあったが、 は強く、優しい『姉』だった。
 世間でいうところの女の役割ができなくても、自分にできる事で大切な者を守るのだという気概を持ち、それを周囲に何と誹られようと揺らがない芯の通った微笑みが、今でも薫の目に焼き付いている。
 なるほど、あの弟が懐くのも無理はないと溜め息も出たが、同時に自分の妹に対してどうしようもない憎しみとも沸き上がってきた。
 双児の妹……あちらは兄がいるとさえ知らないだろうが、妹の千鶴は によく懐き、また も千鶴を可愛がっているという。
 自分だけのものである千鶴を構われたという事よりも、何故千鶴ばかりがあちこちから庇護を得て、いつでもぬくぬくとした立場に甘んじていられるのかという事に腹が立った。
 同じ血で、同じ顔でありながら、何で、片割ればかりが幸せなのか、そればかりを考えていた。

 五条姉弟ともかつては理解しあえるかもしれないと期待を抱いたが、立場はそれを許さなかった。
 今や、 は鬼のための国を作ろうとする道に立ちはだかる敵となった。
 姉の も、千鶴を庇護し、これからも見つけたら庇護を続けるだろう新選組から離れようとする気配がない。
 ここに至っても、千鶴は結局守られている。
 彼女や多くの人が暮すであろう、人間の世を守ろうとする に、京の鬼姫に、新選組の男たちに、強くて優しい『姉』に!
 自分が望んでも決して手に入らなかった庇護を、優しさを浴びるほどに享受してきた千鶴が憎くてたまらない。
 それだけに、新選組や、 を傷つけ苦しめれば苦しめるほど、千鶴が追い詰められてゆくだろう様子を想像するだけで胸が高鳴る。

「(あいつも僕と同じだけ苦しまなきゃいけないんだから。  さんは嫌いじゃないけれど、千鶴に代えられるものなんて何ひとつない)」

 だから、仕方ないよね。
 薫はそう結論づけて、自らの思考の中から戻り、血煙の上がる新型羅刹と新選組の面々との死闘に目を戻した。
 新選組の面々は、予想以上に善戦していた。
 互いを庇いあうようにしてはいるが、新型羅刹の圧倒的な能力と数の差に、いずれは押し切られるだろう。
 薫は勝利を確信して、包囲の外から眺めているだけでよかった。
 一方、 たちも焦りを感じはじめていた。
 長柄の武器を使う原田が数に押しつぶされないように一定の間合いを守りつつ近付く羅刹を串刺しにする中、永倉と が槍の間合いをすり抜けてきたのと、左右や背後から来るのを迎え撃ち、時に牽制する。
 羅刹の弱点は、首と心臓。
 頭を胴体から切り離すか、心臓をひと突きにして壊すか。
 とはいえそこばかりを狙って攻撃できるわけではないので、無駄な手数も増えてくる。そして新型羅刹は、人間ならば明らかに行動不能になるような手傷を負わせても平然として迫って来る。
 実際、腕を一本落したくらいでは怯みもしない。
 三人とも、足を切り落として行動不能にしてやろうかとも考えたが、剣の間合いではよほど低く体勢を取らないと臑は狙えないし、厚い肉に阻まれた大腿部は、肉を切り裂くまではできても骨まで断ち落すのはこの状況では難しい。
 槍も主な攻撃方法は突く事で、長刀や長巻のように凪ぎ払う形の攻撃には向かない。
 追い詰められかけていることを感じた永倉と原田はちらりと目配せをしあった。
  には見えないように苦笑を交わす。

「(だよなぁ。 死なせたりしたら男じゃねえ)」

 永倉も同じ事を思っていると確信した原田は、グッと槍の柄を握りなおした。

、お前から見て右手側の所、包囲が少し薄いだろう」
「ええ」
「俺と新八で突破口を作ってやるから、お前一端包囲の外へ出ろ」
「両面から切りくずす気だね、わかった」

 まだまだやる気満々の に、永倉が違う違うと慌てて訂正を出す。

「そうじゃねえよ、外に出たら逃げろって! 大分数も減ったし、後は俺たちだけでどうにかなるからよ。 あのクソガキの思い通りに踊ってやる義理なんてねえだろ」
「敵前逃亡は切腹でしょうが、嫌です、よっ!」

 喋りながらも、 は刀をふりかざして迫ってきた羅刹の胴体を凪ぎ払い、足で蹴り倒す。

「だからって、このままじゃジリ貧――」

 その時だ。
 薫の背後、街道の向こう側から銃声が響いた。
 包囲されている三人の顔がサッと青ざめる。 羅刹たちの相手をしている間に、新政府軍に街道を塞ぐ形で回り込まれてしまったのだろう。
 これでは、この場を凌いでも江戸まで逃げ切れるかどうかわからなくなってきた。
 所が、現れたのは新政府軍ではなく、意外な助け手の姿だった。
 不知火だ。

「何、こんな所で遊んでやがる!」

 苛立ち混じりの怒声とともに、羅刹の群れの中に次々と弾丸が打ち込まれた。その弾丸に打ち込まれた羅刹は起き上がって来ない。
 驚いたのは薫のほうだ。
 銃弾に、新選組の羅刹の対策として銀で鍍金したものが一部新政府軍には支給されている。
 先頃まで新政府軍に加担して新選組に襲撃を繰り返し、羅刹研究の最前線に居た とも親しかった不知火がその弾丸を持っていても不思議はないが、何故この時に彼が現れるのか。
 驚いたのは包囲の中にいる三人も一緒だ。

「てめぇら……新選組の幹部だろ! そんな野郎が二人もついていながら何だぁこの不様はよ!」

 文句を言いながらも、不知火は一旦打ちつくした弾倉に素早く弾を込めなおし、また続けざまに発射する。
 状況が不利になったと感じた薫は、先程羅刹たちに出した命令を訂正した。

「構わん、女も殺してしまえ!」

 首さえ形が残っていれば弟の前に晒す事はできる。予定とは変わってしまうが、裏切り者と千鶴を苦しめる手段にはなる。
 これに眉を吊り上げたのが不知火だ。
 新たな羅刹に向けようとしていた銃口を薫に向け、一瞬の躊躇いもなく撃った。
 弾丸は薫の肩に命中し、血と肉を飛び散らせるが薫も血の濃い鬼、傷はたちまち治癒していくが、撃たれた衝撃までは殺せない。
 よろめいた薫に、不知火は一気に間合いを詰めて飛びかかった。
 首に片腕を回して締め上げると同時に、もう片方の手に持った銃を側頭部に突き付ける。

「わかってるぜ、てめぇを殺せば羅刹どもの動きも統制を失う! 統制を失った理性のねえ連中なんぞ、あいつらにしてみりゃ丸太以下だ、一匹も残りゃしねえだろうよ」
「仕方ないなぁ、降参してあげるよ。 お前たち、もういいよ」

 羅刹たちは、薫の命令が下ると動きを止めて、緩慢な動作で包囲の輪を広げて道を作っていった。
 今までに倒された仲間の血や肉を踏んでしまうことなど意にも介さない無気味な動きで、ゆらゆらと下がってゆく。
 助かった、と永倉、原田、そして は深く長い息を吐いた。

「おい不知火、お前が何でここに」

 原田の質問に、薫も便乗してきた。

「それは俺も聞きたいな。 大政奉還までは京に居たと思ったけれど、何がどうなってこいつらの側に鞍替えしたのさ」

 鞍替えと言われて、人聞きの悪い事を言うなと不知火は薫の首に絡めた腕の力を強めた。

「馬鹿ぬかせ、誰が幕府や新選組に手なんか貸すか! 惚れ込んだ女がむざむざナマスになるのを黙ってみてる趣味はねぇんだよ」

 耳を疑うその台詞に、 のほうが驚いて目を真ん丸にしていた。彼女が窒息しかけた魚のように口をぱくぱくしているのを見た永倉と原田は、生暖かいような疲れたような笑みを不知火に向ける。薫までもが、思わず目を伏せて『報われない奴』と呟いていた。
 そんな雰囲気に耐えきれなくなった は、思わず不知火に刀の切っ先を向けて絶叫していた。

「つまんない冗談聞かせに来たんだったらとっとと失せろ! 鬼なんぞに、、一度ならず二度までも情けをかけられるほど落ちぶれてない!」
「『鬼なんぞ』と来たか、いいねぇ。 けどお前知ってるだろ、惚れた女にかけちゃとことん諦め悪ぃのが鬼の男なんだよ」
「な、な、な……」

  の頭は、こうも直に好いた惚れただのを言われて気の聞いたヒネりが出せるほどもの慣れていない。
 何言ってんだ、とはどもってしまって言えなかった。
 流石に気の毒になった原田が助け舟を出す。

「で、何だ不知火。 お前わざわざそいつを押えこんで、俺らを逃がしてくれます、ってか?」
「結果的にそうなるだけさ。 第一、江戸にこのガキがいねえ事に気付いてお前等の後を追い掛けろって言ったの、 だぜ。 あいつ、綱道とは別に新型羅刹を動かすだろうってこと読んでたんだよ」

 気付いていても自分は江戸の事で手が離せない。だから俺を向かわせたのさと不知火は不敵に笑った。

「行けよ。 鬼の不始末は鬼が片付ける。 お前等は人間同士の喧嘩を片付けにゃならねえんだろ?」
「違いねぇわな。 よし ちゃん、行くぞ」

 永倉にドンと背を押されて、 はよろけるように前に踏出した。
 精神力で体を支えてはいたが、大分体力を消耗していて、気を抜くと刀を握る手指も震えてきそうだった。
 慎重に、不知火が押さえる薫の横をすり抜ける。
 薫は動かず、目も半ば伏せたままで静かに視線だけで たちを見送った。
 彼女たちの気配が遠ざかってから、薫は静かに不知火の腕をほどき、身体の向きを変える。
 不知火もそれに抗わなかった。ただ慎重に、銃を下ろさず薫から視線も離さない。

「……攫っちゃえば、よかったのに」
「あ?」
「さっきの御高説だよ。 鬼の男は惚れた女にかけては諦め悪いって下り。 そうまで言うなら、奪い取っちゃえばよかったじゃないか、それができるだけの力はあるくせに」
「少し前までなら、そうしてたかもな」

 不知火の口調には、しみじみとしたものが宿っていた。
 悔恨ではない。
 不知火の血筋は、長州藩に庇護された鬼族ではもっとも濃く、西国全体でもかなり濃い部類に入る。
 だが、今だに血統を守ってくれる姉妹が生まれず、男兄弟が増える一方。なので、自身か兄弟が何としても血筋の良い女鬼を娶って次世代を繋げなければならない義務があった。
 もともと鬼族は女の数が少ない。
 祖父たちに聞く昔話の時代からすでに女鬼の数は男鬼の半数以下、鬼の絶対数が減った今となってはさらに減っている。
 そういう中で結婚を繰り返し、血筋を守っていけば当然あぶれる男は出るし、女の数が少ないから種族保存のために優秀な血統を選んでめあわせていると、あちこちで次世代、また次の世代で血をかけ合わせるに相応しくない家が出てくる。
 重い義務だったが、不知火はそれを血の濃い家に生まれた者として当然の事と、当り前に受け止めていた。
 あの人間の女に、惚れ込むまでは。
 一族を守り、厳しい状況の中で次世代を残す事を義務付けられた『鬼』としての立場、『鬼』としての相応しい振る舞いよりも、不知火は己の見定めた相手を重く見る。
 それが、男であれ女であれ。
 大嫌いな、人間という生き物であれ。
 鬼よりも圧倒的に弱い身で、前を見据え、己の命を燃やし尽して成すべき事を成そうとする者たちを不知火は見てきた。
 人間など殺しあっても滅んでも構わないと思っていたのを、少しは変える程度に彼等の生き方は激しかった。

「攫っていくことは簡単だ、けれどそれをしたら、あいつの魂を殺す事になる。 あいつは、あいつのままでいい。 てめえみたいに、惚れた女を自分と同じ泥沼に引きずり込んで悦に入ってるようなやり口は
性にあわねえんだよ」
「……惚れた女? 妹だよ?」
「説得力ねえなあ、そんなの関係ねぇって顔してるぜ」

 薫は、ばれたかと唇の端を吊り上げた。

「鬼の男は惚れた女の事には諦め悪いっていうのは、ホント同意。 けど俺からしたら、その女の周りに余計なものが付きまとってる状況をいつまでも許しておくなんて、信じられないね」
「ハッ、てめえの惚れた女も堂々口説けねえで何が鬼の男だ」
「何言ってるのさ、口説くにもいろいろやり方があるって事じゃない。 まあ、こういう話も楽しいけれどさ、そろそろお開きにしない?」
「だな、あの女鬼には悪ぃが、てめえは綱道同様、生かしておけねえ」

 綱道は江戸に残った や後から来る風間たちが確実に片付けているだろう。
 雪村千鶴、彼女にとっては今や唯一の血縁が薫だ。 最後の身内ともいえる彼を手にかけて、彼女をこの世で一人きりにしてしまうのは正直悪いと思ったが、道を外した鬼は鬼の手で始末するのが筋だ。
 放っておけば、綱道がいなくなっても鬼の誇りにかけて人間との全面戦争を起こすだろう薫を放っておくわけにはいかない。
 何よりも、泉下の親友が、その魂を受け継いだ者たちが、この国を西洋列強の食い物にさせまい、百年先の子供たちが幸せに暮らせる国を造ろうという志をぶちこわしにさせるわけにはいかない。

「念仏唱えな!」

 不知火の周囲の空気が陽炎を纏ったかのように揺らめき、同時に彼の姿が人の擬態を捨てて鬼本来のものに変化する。
 そうすることで知覚が鋭敏になり、目は風に舞う木の葉の動きもゆっくりとしたものに捕らえ、耳は風に乗る遠くの足音さえも拾う。
 人への擬態は、人に追われて数を減らす中、鬼たちが自然に覚えたものだった。
 鬼の血が人の血の中に薄れてゆき、はるか祖先から受け継いだ姿さえ失ってしまった者たちもいる。
 だが不知火同様、薫の血もまた濃い。
 小柄な体の内から膨れ上がる気が薫の姿を、鬼本来のそれに瞬時に変化させる。
 残忍な笑みとともに薫の腰から銀の閃光が奔るのと同時に、不知火の手元から轟音が響いた。










◇◇◇◇◇











「ここまで来れば大丈夫だろう」
「ああ、やれやれ……流石に疲れたぜ」

 江戸直前の宿場が見える所まで強行軍を続けて、ようやく後ろを振返る余裕が出来た原田、永倉、 の三人は疲労困ぱいの身を道の端に投げ出すようにして座り込んだ。
 先日からの雪が残る地面はところどころでぬかるんでいるが、それを気にしてはいられなかった。

……大丈夫か?」

 顔を上げる余裕もなく、へたりこんでしまった を気づかい、原田は脇からそっと声をかけた。
 体力的な事なら、食べて寝れば回復する。
 だが、ここの所 には精神的な打撃が立続けに襲い掛かっている。
 多少の事でへこたれるような根性の持ち主ではないとわかってはいるが、どんなに強固な縄でも柱でも、傷が重なれば脆くなる。
 小さな傷が重なるうちに、思いもよらない事で取り返しのつかない事になるかもしれない。

「……大丈夫」
「……なら、いいけどよ……」

 短く答える の表情はうつむいたままなので見えないが、声音からだけでもとうてい大丈夫とは思えない状態なのが分かる。
 それは永倉も感じたようで、これは取りあえず体だけでも休ませないといけないと、無言で原田と目を見合せた。

「なあ ちゃん。 それってもしかして、総司の脇差しだろ?」
「え? ええ……日野で別れる時に預かったんです、これを返しに来るまでは死ぬなって」

 永倉の問いに、 はうつむいたまま腰にさした脇差しを撫でた。

「そうか……よっし、じゃあ取りあえずどこかでメシ食って一眠りして、そいつを総司に返しにいこうぜ」
「そりゃあいいな、戦の行方が気になってるだろうしな」

 原田も永倉の提案に同意する。
  はのろのろと顔を上げて、それはどうかと反論した。

「これ以上ないくらいの負け戦の報告なんて、病状を悪化させそうで」
「このまま蚊帳の外のほうが、あいつにとっちゃ酷い仕打ちになるだろうよ。 それに、脇差しを持ち逃げなんかしてみろ、恨まれるぞ」

 確かに自分の脇差しもあちらに預けてあるからおあいこ、という訳にはいかないだろう。
 黙ってしまった の背を、永倉がドンと叩く。

「考えるのは後だ、後! 食って寝て、それからだ! 頑張って宿場まで行くぞ」

 近藤の事や、援軍を呼びに行ったまま行き違いになってしまった土方の事も心配だが、甲州の戦場から逃れる事の出来た者たちが、これから続々と集まってくるだろう。
 新選組がやられっぱなしで済ますはずがない、また忙しくなるのは目に見えている。
 ならば今のうちに休み、できることはしておいたほうが良い。

「わかり、ました」

  は、ふらりと立ち上がる。
 強行軍を続けてきた足腰の感覚は、ほぼ、ない。
 雲の上を歩いているような頼り無い足取りだが、一応の目的を見い出した事で何とか前に進む事ができそうだった。
 気になることは沢山ある。
 新型羅刹や、江戸で動いている弟の事、千鶴や鬼たち、危機を察して追い掛けてきた不知火と、あの場に残った薫……。
 近藤と斎藤の安否、援軍を呼びに行ったまま戻らない土方。
 これからどうなるのか、どうするべきなのか、まったく先が見えない。
 それでも生きて戻らなければならない理由がある。待つ人がいる。
 あの戦場で命を断っていればいっそ楽だったろう。
 自分も随分弱気な事を考えるようになったものだと、 は我知らず苦笑する。
 もろもろの不安から逃れようとした自分を戒めてくれた沖田の脇差しをそっと撫でて、 は永倉と原田の背をおいかけ歩いた。




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