羅刹女 ---33---


 ちり、と灯火の芯が燃える音さえ大きく聞こえた。
 滴るままの血に、何をしているのだろうと目をあければ、山崎の目が、息をすることも忘れたかのように滴る鮮血を凝視している。
 身体は血を求めている、だが人としての心がそれを拒む。
 そんな目を見ていられず、 はもう一度目を閉じた。
 ややあって、腕に震える指先が腕に触れ、捧げ持つようにして支えたかと思うと、切迫した吐息が肌に近付き、ひたり、と濡れたものが傷口に触れた。
 先程着物を引きちぎらんばかりに己の胸を掻きむしっていた手が、まだ震えている。
 握りしめたりして傷つけまいと、指先に込める力さえも堪えている様が如実に伝わり、そんなに壊れもののように扱わずとも大丈夫だと伝えるために、目をあわせてそれを伝えようとした。
 だが、山崎の声がその間を計ったかのように遮る。

「……見ないで、くれ」

 例えようのない苦しさを孕んだ声でそう言われては、目を閉じているしかないではないか。
 そのまま暫くジッとしていたが、舌が離れて、傷の上に手ぬぐいらしき布地があてがわれる感触を覚えて、 はもういいのかと薄く目を開けた。

「すまん、迷惑をかけた」

 もう大丈夫だ、と言う山崎の声にしっかりと目を開ければ、彼の姿はすでに常のものに戻り、先程の発作の様子などどこに消えたのかと首をかしげたくなるほどいつも通りの様子になっていた。
 それでも、畳の上に少し滴ってしまった血と、山崎が手を添えて手ぬぐいを当てたままの傷口の存在が今あったことが夢幻ではないのだと教えている。

「五条君、傷薬はあるか?」
「あ。 ああ……はい」

  が荷物の中から、合わせた蛤の貝殻の入れ物に入れた傷薬を取り出すと、山崎は が飲んでいた酒を少し傷にかけて洗うと、薬を塗り込み、手ぬぐいの端を裂いて包帯を作り巻き付けた。
 傷といっても、軽く刺しただけで幅が大きくないからすぐに血も止まるし大して痛くもないというのに、山崎は丁寧すぎるほどの手当てをした。
 包帯を巻き終えても、傷の上に手を当てたまま、居畳まれない様子で目を伏せている山崎に、何と声をかけて良いものか迷ってしまう。

「五条君、本当にすまなかった。 だが、二度と自らを傷つけるような真似は」

 包帯の上に添えた手に、少しだけ力が入る。

「……君の身体は、羅刹や鬼とは違う。 傷を受ければ治るのに時間がかかるし、跡が残る事だってある。 悪くすれば化膿して取りかえしのつかない事態を招く事さえある」
「羅刹や鬼ならいいってわけじゃないでしょう、いろいろと」

  は、山崎の手の上からそっと自分の片手を重ねた。

「貧血にならない程度でしたら、血ぐらい構いませんから。 傷なんざ京にいた頃の事を考えれば、それこそ今さらです」

 何かいいたげな山崎の口を遮って、 は言葉を重ねた。

「本当ならあの船で死んでいたものを、まだこの命には使い道があるからと長らえたのでしょう? だったら、その使い所を確と見極めるまでは変に我慢しないでください。 これという時が来たときは、本当に止めたりしませんから」
「五条君、君は……。 わかった、時々は、甘える事にする」

 鉄砲傷を助からない場所に負い、死の真際まで悩んで悩んで変若水に手を伸ばした事を出されては、何も言えない。
 確かにこの命にはまだ使い道がある、新選組のためにここで死ぬわけにはいかないと、その一念であの毒々しい赤色を飲み込んだのだから。

「だが、無闇に傷をつけてほしくないというのも本当だ。 例の発作を軽減する薬もあるのだから、本当に切羽詰まった時だけ転がり込む事にする」
「はい」

 それでいい、 もそう思って微笑みを見せた。
 落ち着くと、山崎がどうしてここに来ているのかが気になった。
 甲府攻めにあたり、羅刹隊は江戸残留が決まっており、屯所に残っているはずなのに。
 その分、留守の間にある程度の人員確保や武器弾薬・資金などの確保を任されているはず。
 羅刹たちの存在を事情の知らない破落戸軍隊の中で万が一にも露見させないようにとの警戒の意味もあるが、任された仕事のほうでせっせと働いているはずの山崎がここにいるということは、後方で何か異変があったということだろうか。

「江戸のほうで何かあったんですか、山崎さん」
「いや、いつ官軍が攻め上ってくるかと町衆が不安になっている他は、大きな動きはない。 本隊が完全に江戸を離れてしまう前に、最終報告が欲しいという事だったので来ただけだ」
「そうでしたか……」
「だが、状況は厳しいぞ。 松本先生を筆頭に、後援してくれる人がいることはいるのだが、留守の間に江戸が戦場になりでもしたら」
「そこで新選組に組しているとわかったら……考えたくもありませんね」

 新政府軍の攻撃の標的となることは避けられない上、坊主憎ければ袈裟まで憎いを地で行って、容赦のない目にあわされるだろう。
 将軍が謹慎している以上、幕軍は正式には動けない。新政府軍のやり方に不満を唱える諸隊がそれぞれ軍備を整えて江戸を守ろうとしているが、統率の違いと戦力差は歴然だ。
 その状況で江戸で全面戦争など、本当に考えたくもない。
 実際、松本の自宅のある幕府医学所も新政府軍の攻撃目標にされる懸念からほぼ閉鎖状態になりつつあるという。
 松本は今だそこに留まり、もし江戸が戦火に晒されるようならそこを野戦病院にするつもりだと言っているが、そんな事をすれば松本の身が危うい。
 松本は将軍の身体に直に触れる事が許される奥医師でもあるが、幕府軍医の筆頭でもある。
 いわば幕府軍の医療面を一手に預かる人だというのに、その人が官軍の手に押さえられてしまったらきっと重い罪に問われる。

「こちらが唯一勝っている点は海軍力だが……新政府軍は主力を陸路で行軍してきている。 海路から来たほうがはやいのにそうしているのは、錦の旗の元、道々の土地を恭順させる目的あってのことだろう」
「私が指揮官でもそうしますよ、背後を崩される怖れがない事は前線に立つ者にしてみれば有難い事です」

 それだけに、甲府城をいずれが押さえ、街道を確保するかが重要になる。
 もし甲府城を新政府軍に押さえられたら、旧幕府軍は背中に刃を押し付けられたに等しい状況になる。

「先程報告ついでに副長とも話したが、甲府城に入りさえすれば篭城戦が可能だそうだ。 甲府城はもともと江戸城落城に備えて将軍の退避場所として築城された要塞、いかに新政府軍が人数と最新の火器をもって攻め寄せようとも多少の事ではびくともせんとな」
「そうなれば、江戸のは海軍を守りの要に置いて、陸軍は甲府城で……って事も可能になりますねえ」
「うむ、そうなれば理想だな」

 山崎は、自分が来れるのはここまでだから後をよろしく頼むと言いおいて、話を切り上げ部屋を出た。
 今夜自分が泊まる部屋についたとたん、山崎は後ろ手に障子を閉めて、喘ぐように大きな呼吸を吐き出した。
 先程とは別の意味で胸を押さえ、何度も何度も深い呼吸を繰り返す。

「(……何だというんだ、これは)」

 胸を押さえていた手をそろそろと上に上げて、口元を被う。
 唇に、舌先に、 の肌の感触がまだ残っている。
 そればかりではない、彼女の身から滴った、新鮮な血の香り、味わいまでも克明に思い出せる。
 思いだすだけでも喉が鳴るような、瑞々しく健康的な味わい、あれは渇いていなくとも欲しくなる。
 正直に言うなら、『美味かった』。
 新鮮な素材を目一杯に生かしつつも滋味溢れる料理が抵抗なく喉をすべり落ちて胃の腑で染み渡る、あの感覚に似ている。

 船を降りてから、すでに一度発作が出ていたが、それは薬で押さえていた。 藤堂曰く、血を口にしてしまったほうが肉体的には楽だが、自分で納得しない限り我慢したり薬で凌ぐのも手だと言われて、まずは薬で押さえ、この先も可能な限りそうするつもりでいたのだが、目の前で滴る、渇いた身を癒すだろう赤い滴の誘惑に抵抗しきれなかった。
 その上、まさか生き物の血に、こんな味わいを覚えるとは。
 これでは、万一血に狂って理性を飛ばしたりしてしまったら……そしてその時、 がいたら、自ら食らい付いて血をすすり上げてしまいそうだ。

「(それは。 それだけは)」

 おぞましい想像が克明に脳裏をかけぬけ、ぞっと背筋を震わせた。
 取りあえず、羅刹の事についてもっと山南や藤堂に話を聞かねばなるまい。
 一刻ほど身体を休めたあと、羅刹の身を苛む陽が出ないうち山崎は府中宿を離れた。










◇◇◇◇◇











 宿場を抜けて江戸の喧噪から離れて暫く。
 凍える空気の中、広々とした農村の景色が見えてきた。
 江戸の消費を賄う食糧生産地として、水田の他にも野菜畑や果物畑なども作っているから、畑の様子も様々だ。
 そんなのどかな農村を通る街道を破落戸軍隊が通っていくのは何ともちぐはぐとしか言い様がない。

「五条君、見たまえ。 日野だよ」

 近藤が乗っている駕篭の引き戸を開けて、降りて歩くと言い出さんばかりに身を乗り出した。
 嬉しい、懐かしい……そんな満面の笑顔に、護衛として駕篭の傍らを歩いていた も思わず微笑んでしまう。

「この街道を真直ぐいって、宿場に入った中程にな、このあたりの名主、彦五郎さんのお宅がある。 京に上がった当初、散々お世話になった方なんだよ」
「ご挨拶していかない訳にはいきませんね」
「そうとも、そうとも」

 日野の佐藤彦五郎の所には、土方の姉、おノブが嫁いでいるという。
 土方も若い頃は実家よりも姉の婚家である佐藤家に入浸っていたと話に聞いているから、今日は懐かしい人たちとの再会で盛り上がるのだろうなと思った。

「……そういえば、総司は大丈夫なのか? 大分空気が冷たいが」
「馬の上で大人しくしてます。 早駆けでもしないかぎり、大丈夫でしょう」
「まったく、あいつときたら変な所で子供のようだからなあ」

 引き戸を開けたまま、近藤は腕を組んでやれやれと溜め息をついた。
 日野に行くのに、最後まで駕篭で行く事を拒んだ沖田は、『歩きが駄目なら馬で行く』ということでようやく妥協してくれた。
 身体のためには冷たい空気で肺を痛めないためにも駕篭に乗ったほうが良いのだが、自分の足で歩いていくよりは馬にゆっくり揺られたほうが体力の消耗は少ない。

「しかし寒いな。 この季節のこのあたりの天気は、もっと温かくて良いはずなんだが」
「局長、戸を閉じておいて下さい。 冷えは肩の傷にだってよくないんですから」
「うむ、せっかく回復してきたものを台無しにしたくないからな」

 言う通りにしようと、近藤は笑いながら引き戸を閉めた。
  も、不知火にやられた傷が癒えきってはないのだが、最初の治療がよかったのか傷の後に必ず出る発熱も長引かず、傷が化膿することもなく、順調に回復し今は大きな傷をいくつか、しっかりと包帯で押さえておけば不自由なく動けるようになっていた。
 日野宿に入ると、先駆けが宿割りを済ませてくれていたので、それにあわせて分宿し、新選組の一党は名主の佐藤家に挨拶に向かった。

「彦五郎さん、御無沙汰しております!」

 佐藤家の門前に横付けされた大名駕篭から降りた近藤の姿は葵の紋の入った黒の羽織りに仕立ての良い袴という威厳に満ちた姿で、また傍らに立つ土方も洋装ながら凛々しい軍人姿。
 故郷から旅立った若者の晴れがましい帰郷をひと目見るようと集まってきていた近在の人々には、故郷の誇りだと涙を滲ませる者さえいた。
 そのまま、佐藤家で歓待の宴となるうち、近郷の血気さかんな連中が集まってきて是非仲間に加えてくれと請うてきた。
 日野に立ち寄ったのは同士を集める目的もあったのでそれは良いが、集まってきた連中が予想外に多かったために選別にはもう少しかかりそうということで、 は土方の指示で日野宿で休んでいる面々をもう少し先の八王子宿まで進ませておく手配を取った。

 もともと日野には泊まらず、全軍八王子まで進む予定だったが、仕方が無い。
 新選組だけなら急ぎ行軍すればすぐに合流できる。

「諸事、滞りなく終わりました」
「おう、御苦労」

 夕暮れ前に佐藤家に戻ってきた を、土方自ら出迎えた。

「姉さんには、会えました?」
「ああ。 変わってねえ」

 今日の土方の微笑は、酷く優しい。
 京にいたころも隊士募集のために江戸に戻った際にこちらに立ち寄りもしたというが、それでも久しぶりに会うなつかしい人々とその歓待が、嬉しく無いはずがない。

「お前、ちょっと付き合え。 そこまで出るぞ」
「いいんですか。 宴の主役が姿を消しては様にならないでしょう」
「どうせ夜には戻るんだ、かまやしねよ。 見せたいものがあるんだ、少し急ぐぞ」

 そうして土方が を連れ出したのは、多摩川を見おろせる土手の上だった。
 広々とした河原、穏やかに流れる水面に暮れ行く陽に煌めく。
 冬枯れから、緑が萌えはじめたばかりの弥生の景色が茜色に染まり行くのは、お世辞抜きに美しい景色だった。

「土用の頃になると、この土手はむせるくらいの緑に包まれてな。 支流に浅川というのがあって、そこも一面緑に染まる。あの薬の材料も浅川の土手で一年分を収穫するんだ」
「ああ、万能薬」
「お前、まーだあれを根にもってるのか。 良薬口に苦しだろうが」

 怪我や打ち身を作って来るたび、また体調を崩すたびに、石田散薬を飲んでおけと言ったものだが、苦いのは嫌いだの舌が曲がるだの散々な事を言い、どこかの誰かさんではないが手を焼かせてくれたのが だ。
 殊に、新選組に来たばかりのころ、腕にあった傷を癒すために飲ませた時の事を相当根にもっているらしい。
 その件については、後に話し合わねばなるまいと心の中で思いつつ、土方も幼い頃から幾度となく見た故郷の夕暮れを懐かしく眺めた。

「この景色を、お前に見せたかった」
「え……」
「近藤さんや源さん、総司や、俺……俺たちが育った郷里の夕暮れを、いつかお前に見せてやりたいって、前から思ってたんだよ」

 夢がひとつ叶ったと笑う土方の笑顔も、茜色に染まっている。
 そんな事、一言も言わなかったし素振りすら見せなかったではないか。
 この景色と僅かな時間に礼の言葉で返すなど不粋が過ぎる。
 空が茜から紫にかわり、紺色が迫るまで。
 二人は景色を目にも心にも焼きつけるかのように、寄り添いながら眺めていた。
 その後二人でのんびりと歩き彦五郎の屋敷に戻ると、宴はまだ続いていて土方はどこに行っていたんだとばかりに座敷に引っ張り込まれてしまった。

「お、おい! 明日は合流の事もあるし早発ちだからな、隊士どもにもそう言っとけ!」
「はい。 ごゆっくり」

 ごゆっくりじゃねえよと喚きながら連れ込まれていったが、酒の嫌いな、しかも弱い土方にしてみれば、郷里の者が是非にとすすめる歓迎の盃を受けない訳にはいかない今日の宴は実際大変だろう。
 行軍中に二日酔いで落馬しなけりゃいいがと、 は密かな笑みを零しつつ、縁側を歩いてあてがわれた部屋に向かった。
 佐藤家は広い家なので、新選組の面々は全員がここに泊まっているが、最初隊士たちと一緒の部屋で寝る事になりかけた。
 だが、土方が姉のおのぶにそっと耳打ちをして、あれには小さくても良いからひとり寝できる場所をと気をきかせてくれたのが有難かった。
 新選組の面々は身内のようなもの、破落戸連中と違って珍しさにも慣れたのか、女でありながら従軍していることに今さら表だって口をはさんでくる者もいない。
 が、知っている以上は女ひとりが野郎と雑魚寝はむこうにしてもゆっくり休めず迷惑だろう。
 ひととおり、明日は早発ちになるから早めに寝るように通達しておいて、様々な手配や荷物に抜かりが無い事を確認したあと、夜半前に用意してもらった部屋へと向かった。
 おのぶが用意してくれた部屋は、普段は布団部屋として使っているらしい三畳間だ。
 詰めればあと二人は寝れる場所を独占させてもらって少し申訳ない気もしたが、心遣いが嬉しい。

「そこに、いらっしゃいます?」
「あ、はい。 今あけます」

 洋装を解きかけていた は、障子のむこうでした声に答えてもう一度上を羽織り応対に出た。
 カラリと障子をあけると、礼儀正しく少し脇に座る形で女性がいた。

「おのぶさん? どうしたんですか?」
「女の方が足腰を冷やしてはいけないから、湯たんぽを入れにきましたの。 ほら、今日はやけに冷えるでしょう?」
「ああ、そういえば夕方あんなに晴れていたのに」

 軒のむこうに見える空は、夕方の晴れ具合はどこに行ってしまったのだろうと思うくらいにどんよりとした雲に被われてしまい、それがどうやら雪雲らしく、冷え込んできた空気に雪の降る前独特の埃っぽい匂いがする。
 おのぶはにっこりと微笑むと、ちょっと失礼しますわねと室内に入り、敷いておいた布団をめくり上げて、手ぬぐいでくるんだ陶器の湯たんぽを足下に入れた。
 そして布団を直しながら、

「驚いたんですよ。 あの歳三が女の人をつれてきた、それが男顔負けに剣が達者な方なんて言うから」
「本当に、色々と驚かせてしまったと思います。 この格好といい、女が軍の指揮官やってる事といい」
「ふふ、あの子は昔から何かと突拍子のないことをやらかす所があったから、驚きはしたけれどそれだけですよ。 それよりも、その洋装……息苦しくないのかしら?」
「多少は。 上着のこの釦というやつがここまで多くなければ動きやすいんですけれどねえ」

 何ごとも慣れの問題、とコロコロ笑うので、 もつられて笑ってしまった。 おのぶという人はどうやら好奇心旺盛なたちらしい。
 弟の歳三に似た顔だちながら、女性らしいふんわりと丸い輪郭と少女のようにころころかわる表情が魅力的な人だ。
 ふんわりとした印象とは裏腹に、仕種も言葉もテキパキとしていていているのは、いわゆる『江戸の女』の魅力というやつだろう。

「おのぶさんは、宴席のほうに出なくていいんですか?」
「いいんですよ。 だって勇さんも歳三も、精一杯肩ひじ張って威厳を出してるんですもの。 そこへ私が出ていったりしたら、それがぶちこわしになってしまうわ」

 新選組や、一軍の長として、恐いかおもしなければならない立場の男たちが、身内の女ひとりに頭が上がらないなどいう所を見せたら、それこそ周囲がどう思うか。
 おのぶの言い分に、 もそれはもっともと頷いた。

「男の人たちとは別に、さっき話をしたから良いのよ。 まったくあの人たち、驚くくらい根っこは変わっていないんだから。それがわかっただけでも充分」

 手のつけられない悪ガキだった頃から二人を知っているおのぶにとっては、近藤も土方も、沖田も皆、弟のような存在のようだ。
 いくら偉くなって帰ってきたからといっても三つ子の魂百までのことわざの通りすぎて面白いと、おのぶは口元を押さえて明るく笑った。

「そっか……おのぶさんは、あの人たちの小さい時の事を知っているんですね」
「ええもう。 とくに歳三なんて、これじゃあお嫁さんになる人が苦労するから、今のうちにどうにかしなきゃってあれこれ世話をやいたりしたんだけれど」

 結果があれだから、良かったのか悪かったのかと笑いを重ねる。
 今頃宴席で、土方はクシャミをしている事だろう。

「…… さん、この先どうなるかわかりませんけれど、あの人たちをよろしくお願いしますね」
「私ごときでは役不足かもしれませんけれど、力を尽します」
「そんな堅苦しいものじゃなくていいのよ。 いざってときに、ああいう人たちの首に縄つけて止めてくれるような人がいてくれて、本当によかったと思ってるんだから」

 おのぶ、以外と過激だ。
 おのぶは の目をひたと見て、

「あなたの目と、弟たちがあなたを扱う態度を見てピンときたの。 この人なら、もしもの時につっぱしる男どもの手綱を取ってくれるってね」

 男というのは、いくら立派に見えてもどこか子供じみた部分があるから、そういう時取りかえしのつかない事にならないように手綱を取るのは女の仕事なのだと、おのぶは言い切った。

「ほら、総司さんだと頼りになることはなるんだけれど、いざあの人たちが悪い事をしようとしても、どこまでのあの人たちの味方でしょう? 悪い事は悪いって、背いてでも止められる人じゃないから」
「ああ……ほんとよく見てますね」

 確かに沖田は、どこまでも近藤の味方だろう。
 出会った頃から、ずっと、何があっても近藤を信じて、同じ道を歩いてその行く手を阻むものがあれば善も悪もなく斬る、そういう立場を貫いてきた。
 沖田の話が出た事で、ふと思った。
 そういえば、沖田は宴席に出たときは元気そうに振る舞っていたが、先ほどの土方の話だとおのぶが世話をやいていて……という事だった。
 ということは、今はもうやすんでいるのだろうかとおのぶに聞くと、宴席を離れて早めに床についたはずだという。
 近藤も土方も、まさかこれ以上連れ歩きはすまいと思うが、少し心配になった。

「さあさ、つい居座ってしまったけれど、 さんもそろそろお休みなさいな。 総司さんのお見舞いにいくなら、明日発つ前でも良いでしょう?」
「そうですね、明日は強行軍になりそうだし、寝ておくことにします」

 おのぶが障子を閉めて、足音が遠くなると は洋装から寝巻きの単に着替えて、布団に足を入れる。
 話をしている間に、湯たんぽがだいぶ布団をあたためてくれていた。
 これは、良く眠れそうだと思わず微笑み、 はすっぽりと肩まで潜り込み、疲れていたのかほどなく寝息を立てはじめた。







 翌朝、夜も明けきらぬうちに起き出した は、手水を済ませたあと、足袋ごしにでも凍えるほど冷たい廊下を歩き土方たちを起こすために彼等の部屋へと向かった。
 と、その途中。

「その足音、 ちゃんでしょ? ちょっと寄っていきなよ」

 途中の部屋から、声がかかった。

「沖田さん? 起きていたんですか」
「うん、昨夜はせっかくの宴なのに早めに寝かされちゃったから、その分早く目がさめちゃって」

  が障子を開けて入ると、沖田は床の上に起き上がり脇にある火鉢の中で赤々と燃える炭に息を吹き掛けているところだった。
 炭が程よく燃えた所で、五徳をかけてその上に水を入れた土瓶をのせる。
 これらも、冷たく渇いた空気が胸の病には一番よくないからと、おのぶが昨夜のうちに気をきかせて運びこんでくれたものだ。

「こっちにおいでよ。 障子の側は冷えるよ」

 招かれて、火鉢の側に座ったとたん、思わず手を翳してしまった。
 とにかく、今日は冷える。
 沖田が見ていなければ、足を持ち上げて翳したいくらいだ。

「そういや、よく足音で私だってわかりましたね? 屋敷の中にはかなり多くの人間がいるっていうのに」
「嫌だなあ、君の足音くらい、京にいたころから散々知ってるんだから、聞き分けくらいつくよ」

 それに、寝付くようになってから音には特に敏感になっている気がするんだと沖田は言った。
 身動きが取れない分、周囲の音や気配を感じる力が敏感になっている。
 きっとこの部屋にも、宴の喧噪が聞こえてきたことだろう。
 一人寝ている中でその賑やかな声を聞いていることは、どれだけ寂しい事だったろうと は思う。
 というより、ようやく分かり始めた。
 この沖田総司という青年、表現方法がひねくれているだけで、随分と寂しがり屋だと言う事に。
 何だかんだいいつつ、人の側にいることが好きだし、好きな相手ほど憎らしい口をきいてしまう。
 嫌がらせや憎らしい口を続ければ、大概の人間は敵意を見せたり嫌悪して離れていくが、それらから逃げない人間に対して、沖田は無条件の信頼を寄せる。
 それは、すでに無防備と言っていいほどの心の許し方で、見ているほうが心配になるくらいに全面的にその人の事を受け入れてしまう。
 近藤や土方、井上、などの郷里の仲間、永倉をはじめとする昔なじみたち。
 今は側にいない千鶴に対しても、最初随分意地の悪い事をしていたようだが、京を離れる前には随分と心を許し、今も病床で事あるごとにその身を心配し続けている。

「…… ちゃんも、甲州に行くんでしょ? 僕としてはここらで一抜けたしてくれると、変な心配しなくていいんだけれどな」

 鳥羽伏見の戦い、あの後の皆の落ち込み具合、刀がもう戦場で役立たずになりつつある状況にどれだけ落胆していたかを肌で、雰囲気で感じていた沖田にしてみれば、今度の戦の行方は流石に心配だった。
 近藤の事もそうだが、 は相変わらず自分の腕と腰の両刀に絶対の信頼を置いている。
 確かに最後の最後まで裏切らないのは己の修練と実力だが、今度の戦ばかりは勝手が違う、そう思う。
 ……とはいえ、止めた所で向かうのだろう。
 自分とて、身体が自由になれば、誰に止められようとどこまでも近藤に従って行くに違い無いのだから。
 思った通り、 は少し困ったような笑みを浮かべ、止めてくれるなと言うではないか。
 だから沖田も微笑み、枕元に常に置いている刀掛けに掛けてある自分の脇差しを手に取った。

「抜けるのも止めないし、行くとしても止めないけど。 ……でも行くなら、これを」
「沖田さん? でもこれは」

 沖田が差し出した脇差しは、彼がずっと大刀といっしょに腰に差していたものだ。
 刀が武士の魂なら、その刀が損じた時にでも戦えるように常に持つ差す脇差しとて魂の一部のようなものだ。
 戸惑う の膝の上に脇差しを落とすと、沖田は火鉢の縁に腕をかけ前屈みに背を曲げる。

「僕は、やっぱりここまでみたいだから。 代わりにそれをつれていって」

 僕の魂のひとかけを、君に託すのだといいたげな沖田の様子に、 は慎重に膝の上の脇差しを手に取り持ち上げた。
 そしてもう片手で、自分の腰にある脇差しを抜き取り、そこに受け取ったものを差す。

「……ではこれを、預かって下さい」
ちゃんの?」

  が今まで腰にさしていたものを差し出され、今度は沖田が戸惑う番だった。

「沖田さんの脇差も、預かるだけです。 だからこれもちゃんと預かっていて。 私は甲州で死ぬ気は微塵もないですから、必ず返しに、そして受け取りに戻ってきます」
「また随分と、陳腐な約束じゃない?」
「黙らっしゃい。 お互いに、どっちかの形見にしたりしたら承知しないってことでいいじゃない」

 帰ってくるまでにくたばったりしたら、葬式での弔辞であることないこと吹聴してやると脅しをかける
 その表情が、京にいたころ散々嫌味のやり取りをして睨みあったころのふてぶてしい顔だったので、沖田も思わずその頃の気分になり、言い返した。
 そっちこそ、野垂れ死んだなんて聞こえてきたりしたら、とんでもない女だったという話に尾ひれつけて弔辞を述べてやると。
 沖田は の脇差しを受け取ると、片手で大事そうに胸元に引き寄せた。
 そうして互いの再会を約束しておいて、沖田は夜明け前に出陣する新選組の面々を見送りに門前に出た。
 随分と肉が落ちて痩せた身体を洋装に包み、腰には両刀。
 ここ数日の移動の疲れで衰弱した身体を気力で奮い起こしてしっかりと立ち、皆の背が宿場の道の向こうに消えるまで見送った。
 鎮撫隊の後方支援役の春日隊の隊長として郷里の若者たちを纏め出陣した夫・彦五郎の代わりに見送りに出たおのぶが沖田の側に付き添い、同じように弟たちの背が見えなくなるまで一緒に見送った。
 そうして皆の姿が見えなくなってから、沖田はおのぶの方を向いて笑いかける。

「まったく、土方さんてば。 ねえおのぶさん、あなたの弟って昔からあんなに世話焼きで口煩い人でしたっけ」

 あれじゃあ、丸っきり落語に出てくる世話女房だよねと冗談めかして言うと、おのぶもつい口元を押さえて吹き出してしまった。

「確かにそうね。 ほんと、あの手におえない子が一端の口をきくようになっちゃって」

 土方は出陣寸前に新選組副長の顔に戻る時まで、残して行かざるを得ない沖田の事を心配しつづけ、直前に見舞いに来て沖田が洋装に着替えていることに驚き、外の空気が冷たいから出てくるな、寝てろ、粥でも食ってあったまって火鉢でも抱いてろと、口やかましいくらいに言ってきた。
 近藤が『まあまあ』と止めなければ、大人気ない口げんかに発展しそうな勢いで寝てろと平気だの言い合いをしていた。

 そんなこんなで騒いでいたからだろうか、土方は沖田の腰にある脇差しがいつもと違い、 のものであることに気付かなかった。
 それにちょっとした優越感を持ちながら、おのぶに背を押されて家の中に入る前に一度だけ外を振り返った。

「あれ、雪?」

 明けきらぬ空を被い尽した重たい雲から、この季節には珍しい雪の最初のひとひらが舞い降りた。




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