羅刹女 ---31---


 一月七日、夜。
 兵糧を使う煮炊きの火が飛び火して新選組の居る大阪城二の丸に燃え移り、容易に消し止められない規模の火災となった。
 新選組はすぐに大阪城を出て、懇意の船宿、『京屋』に移っていた。

 京屋は新選組初期からの長い付き合いの後援者で、大坂出張の時の定宿として世話になるばかりでなく、京阪の土地の人に顔なじみのいない新選組のために人を紹介してくれたり、他にも様々な事で骨を折ってくれたりと、組織ぐるみで並々ならぬ恩義を受けている。
 京屋の主人、忠兵衛は荒っぽい人斬り集団相手でも動じない度胸の据わった人で、大坂者のあたりの柔らかさと強かさの中にどこか潔い竹を割ったような部分を感じさせ、近藤や土方とも話が合った。
 何より、思い切りが良い。
 だから、 をかつぎ込んできた不知火が無茶な相談を持ちかけた時も、『新選組の捕虜になってしまったらどうだ』という普通は考えられない案を出す。
 今回も、大阪城を焼けだされた新選組が戻って来たと知って、宿の使用人を残らず叩き起こし、すぐさま収容の準備にあたらせた。

「忠兵衛さん……他の客はよろしいのですか?」

 あまりの対応の早さに、他の客に迷惑になりはしないかと土方のほうが案じてしまったが、忠兵衛は気持ちの良い笑いとともに心配いらないと請け合った。

「京屋は新選組御用達、何があるか判らないこの状況で他の客など入れられません。 どうぞ安心して休んでいって下さい」

 どうやら、他の客を泊めずに何があって戻ってくるか判らないからと、新選組が京阪を離れるまでは他の客を入れないつもりだったようだ。
 その気づかいが心から有難く、土方は深々と頭を下げた。

「お気づかい、本当に感謝します。 生憎、近藤は怪我で床を上げられない状況ですが、この御礼は近藤ともども、いずれ」

 いつかは厚恩に報いねば、そう常々思っていた。
 だがそのいつがか来る保証は、今となってはどこにもないというのに、変わらず自分たちを助けてくれる忠兵衛の心が本当に有難かった。

「さあさ、頭を下げるのは後や、土方先生。 局長サンが動けないなら、あんたがやる事は山とありますやろ」

 土方は頷くと、隊士に今後の指示を出すために建物の中に入っていった。
 その後、幕軍はそれぞれに江戸を目指すという事になり、新選組は榎本率いる幕府艦隊の順動丸と富士山丸に分乗させてもらい、海路江戸を目指す事が決まった。
 京屋は船宿なので、店のすぐ前が川に面している。
 港に出るため、忠兵衛が手配してくれた小舟が着くと、動ける者が負傷者に肩を貸しながら順繰りに乗り込んでいった。
 そんな中、未だに捕虜扱いで手に縄をかけられている状態の不知火は、店の前から川におりる石段に腰掛けて至って大人しくしていた。
 手は、飯を食べたり用を足すのに不自由がないように肩幅より少し狭い程度の間をとって縛られている状態だ。
 その荒縄の端を握っているのは で、こちらはろくに動けないので『お前が重石役やれ』と押し付けられる格好で嫌々やっている。
 膨れっ面の の横に忠兵衛がやってきて、にこりと微笑む。

「五条さんでしたな、お加減はいかがです?」
「あ、京屋さん」

 お陰さまをもちまして、傷も綺麗に縫ってもらえ、血が足りなくて多少ふらつく他はまったく平気だと、 は立ち上がり一礼した。
 本当は縫い合わせはしたが肉がくっついていない傷を無理矢理包帯でぐるぐる巻きにして押さえているものだから、動く度に飛び上がる程痛いのだがそこは我慢している。

「俺からも礼を言わせてくれ。 お陰さんで、この通りうまいこともぐり込めたぜ」
「それは、ようございました。 なかなか立派な捕虜ぶりで」
「だろ?」

 不知火は座ったままだたが、上の段に立つ忠兵衛の顔を見上げつつ、縛られた手を軽くかかげニヤリと笑ってみせた。
 忠兵衛も面白そうに笑っているが、その横で は渋い顔だ。

「京屋さん、これが捕虜扱いで乗り込んで来たって聞いた時の私の驚きは並じゃあなかったんですからね。 怪我とは別の原因で心臓が止まる所でしたよ」
「ははは、新選組の方たちには多少刺激的なほうがようございましょう」
「笑い事じゃありませんて」

 その時、 のほうにも出発するからそろそろ乗れと声がかかり、土方が忠兵衛に最後の挨拶をするためにこちらにやってきた。
 頭を下げようとする土方をとどめて、忠兵衛は言う。

「何ですかいな、肩なんぞ落として。 あんたたちが自らの心のうちにあるものに恥じない戦をしたというんなら、何処に行くにも胸を張って行きなされ」
「……」
「お上の事情なんぞ、武士も町人も、下っ端には判らんで当然、大事なのはここ」

 忠兵衛はドンと拳で自らの胸を叩いた。

「この奥にあるもんに嘘をついていないんなら、形はどうあれ負け戦じゃあらへん! 鳥羽伏見をみじめな負けにするのも貴重な経験とするのも、あんさん方の胸の内一つちゅうことや!!」
「!!」

 土方は、知らず伏せがちになっていた視線を弾けるようにして上げた。
 部下の手前、強気な態度は崩さなかったが、戦場での味方の情けなさ、すでに刀剣が主役ではなくなっていた戦い、総大将の逃亡と打ちひしがれる事ばかりだった土方の心に、忠兵衛の言葉は確かな力を与えた。
 呼吸を深く吸い込み忠兵衛を見つめる。
 目の前には、剣雨弾雨の戦場とは違えど、同じようにいくつもの修羅場をくぐり抜けてきた男の顔があった。

「心配せんでも、京屋はずっとここにおります。 また上方に来た時には、是非アテにしたってや」
「……はい。 では、いずれ」

 頭は下げず、そのかわりにシャンと背筋を正し胸を張り、土方はそのまま忠兵衛に背を向けた。
 歩くのが辛い に手を貸し、船着き場へと降りてゆく。
 その最後についた不知火の背に、忠兵衛は声をかけた。

「この忠兵衛、人を見る目には多少自信がありますよって、言わせてもらいますが」
「あ?」
「あの女子はんに惚れ込むと、苦労しまっせ」

 苦笑を浮かべる忠兵衛の顔を振り返り、不知火は不敵な笑いを浮かべつつ、忠兵衛にだけ聞こえる声で返事をした。

「俺ぁ、暴れ馬が好みなのさ」










◇◇◇◇◇












 山崎が羅刹となった。
 幕府の密命に関わった幹部隊士には、山南の手からそれぞれに変若水が渡されている。
 進退極まった時の選択肢の一つとして使うように、と。
 山崎も渡されていたから、もっと早い段階で使う事もできた。
 だが、悩みに悩んだ。
 鉛玉を取り出す事も出来ない鉄砲傷を受けて明日の命も知れない状態になりながら、それでも悩んだ。
 変若水を飲み、『羅刹』となって、この先どうするのかと。

 悩み抜いた結果、山崎は自らの意思で羅刹となる事を決めた。
 たとえ血への渇望と餓えに苛まれる事になり、狂ってしまうかもしれなくても、この命にはまだ新選組のために使い所がある、そう考えての事だった。
 今後の立場については、山崎はもともと影働きが多く、一般の隊士たちと仕事上すれ違いになる事も多かったので、死んだ振りをしなくてもごまかせるだろう、幹部たちもそう判断した。
 だが山崎が羅刹の道を選んだ事についての心中は、それぞれ複雑なようだった。
 事に、沖田はかなり激しい感情を露にし、山崎の選択を愚かな事だと否定さえした。

 海路江戸へ向かう行程の半分も過ぎた頃、 は負傷した体をジッと横たえているのにも飽きて寝床から起きだし、沖田の部屋に見舞いに行こうとした。
 ……が、慣れない船旅に荒れがちな冬の海がもたらす艦の揺れが加わり、『船酔いが酷くて起きていたくないから』と会うのを拒否されてしまった。
 大坂城ではあんな事になったので見舞いにも行けなかったので、是非顔を見ておきたかったのだが、そういう理由なら仕方が無い。
 病の身に船酔いまで加わったのではやっていられないだろう。
 実際酷い揺れだし、並外れて頑丈な面々の他は、揺れから来る吐き気のせいで海軍の者たちが気をきかせて炊き出してくれた飯も口にする事が出来ず、与えられた部屋で転がって呻いているか、身を切る風の吹き付ける甲板で少しでもすっきりする空気を吸おうと頑張っているかのどちらかだ。

  は幸いにして船には強めのタチだったらしく、多少胃がむかつくような感じを覚える事があるが、油物を食べ過ぎた時と大差なく、行動に支障が出るような事はなかった。
 普通なら他の船酔い連中のように新鮮な空気を吸いたくなるはずが、 の足は船倉のほうへと向かっていた。

「……不知火?」
「おう」

 船倉は雑多なものが所狭しと積まれていて、不知火はその片隅に防寒着と毛布一枚与えられただけで放り込まれていた。
 もともとここは頑丈な鍵がかかるし、急には使わないようなものばかりが入れられているので、軍規違反をしたときの重謹慎部屋として使う事もあるのだと聞いている。
 さらに、この船に乗ってから聞いた事だが、世界には捕虜虐待を禁ずる法があるらしくて、艦長の榎本は船上にいる間はその『国際法』にのっとって捕虜を扱うと宣言していた。
 扉をあけて入って来た の足取りに、不知火は目を見張る。

「出歩いていいのか?」
「我慢できない痛みじゃ無いから動いてるだけ。 無理な事はしてないわよ」

 寝床で大人しくしてるのも飽きたし、だからといって幹部たちに見つかれば戻されてしまう。
 甲板にも誰かしら人がいるが船酔い連中ばかり、そうなると暇を潰せそうなのがここしかないと は溜め息をついた。

「……厨房で頂いてきたからこれで手を打ってちょうだい」
「酒か! やるねえ」

 二合ほどしか分けてもらえなかったが、寒い場所にいる時はそれでもありがたい。
  の差し出した陶器の瓶に口をつけて酒を煽った不知火は、うまそうに一息つくと視線で飲まないのかと問いかけた。
 新選組の面々の前では用心して、滅多に酒には口をつけることはなかったが、飲めない訳ではない。
 が、今はまずいだろう。

「傷に障る」
「あー……そういうもんなのか」

 じゃあ仕方ないと言う不知火に、 は少し呆れた視線を向けた。
 どうやら本当に、『傷を負ってもすぐに治ってしまう』から、怪我人への対処や禁忌などが判らないらしい。
  は不知火から体一つ分離れた位置に座り、はぁと溜め息をついた。

「どうした? しけた面して」
「上は騒がしくてね……」

 またひとり、羅刹になることを選んだ者が出て、その関係で騒々しいからこちらに逃げてきたと言うと、不知火もまた難しい顔をした。

「大阪城で、山南って奴が『羅刹になるか人として死ぬかは、本人の意思によって決められるべきだ』って言ってたけれど、そうなったのか? 無理矢理に変若水を飲ませたりた訳じゃなく?」
「自分の意思よ。 自分の命にはまだ使い所があるからって……」
「変若水を前にしながら、人として死ぬ奴もいれば、人を捨ててでも命を生かす奴もいるってか……人間ってやつは、どうもわからねえな」

 お前にはわかるのか? と問われてしまい、 は思わず目を見張った。

「……俺とやりあってたとき、目の前に変若水がありながら飲まなかっただろう。 それがどういうものであるか知ってたのに。 お前の剣の腕であれを飲まれてたら、正直俺もかなりヤバい所まで追い詰められてたと思うぜ」
「簡単よ。 私には必用ない、そう思ったからそうしただけ。 私は、人のままでいい、鬼とも羅刹とも違う生き物のままでいいのよ」

 弟がまだ半人前だったりしたら、死んでも死にきれないとばかりに飲み干していただろうけれどと、 は微笑んだ。

「顔も知らない誰かや、これから生まれてくる子供たちのために戦うことを自分の意思で選んだのなら、充分一人前と言えるでしょう? 私が死を踏み越えてまで守る必要はない、そう思ったから使わなかっただけよ」

 人として死ぬか、死を踏み越えてでも呪われた命を生かすかは、それこそ選択を委ねられた者の性分なのではないかと は考える。
 不知火は、 の心を読むかのように瞳の底を見つめていたが、ふいと目を逸らすと『やっぱり人間の考える事はよくわからない』と溜め息をついた。

「私だって鬼のの考える事はわからないわよ。 人は愚かだ、嫌いだと散々言っておきながら、あなたみたいな妙なのも居る」
「俺だって大概の人間は嫌いだよ。 けれど、たまにいるんだよ理屈じゃねえ奴……」

 叶う事なら、生涯人間には関わらずに静かに静かに暮してみたかったと不知火が言うと、 は目を見張って驚いた。

「静かに? あなたみたいに好戦的で、お節介焼きで、島原じゃ綺麗所のお姐さんたちに随分……」
「だーかーら! それは、やむにやまれずこっちに出てきた結果であってだなあ」

 島原の事は言うなと、不知火は慌てて の言葉を遮った。

「鬼の事情も複雑なわけよ」






 その後、艦は無事に横浜港に到着し、治療の必用な傷病者を横浜医学所に収容した後、江戸・品川港へ向かった。
 品川到着後、新選組は榎本艦隊と別れて上陸し、旅宿・釜屋へ一旦入り身を休めたが、負傷した近藤と、病の篤い沖田は神田医学所の松本良順宅で療養する事となった。

「ただいま戻りました」
「何で戻ってきてんだこのバカ」

 近藤と沖田を医学所まで護衛し、ついでに自分も傷を治療してもらって戻ってきた だったが、戻るなり原田にそう言われてムッと眉を寄せた。

「バカはないでしょう、バカは」
「いーやバカだ。 土方さんがお前を行かせたのは護衛のためだけじゃねえだろ。 野郎にやられた傷を、きちんと看てもらって治療しろって事だろうが」

 傷なんか残らないにこしたことはないんだからと言われたが、ここまで来たら傷跡のひとつふたつでオタつく根性なしの婿などいらんと は吐き捨てるように断言した。
 呆れ返って物もいえない原田に、 はもうひとつ大事な事を伝える。
 伏見奉行所以降、行方が判らない千鶴の事だ。
 どうやら無事らしいと言うと、原田の表情がパッと明るくなった。

 大阪城から将軍の退去に同行して江戸に戻ってきていた松本の所に面会希望者があった。
 五条 と名乗った彼は、自分は雪村綱道と変若水の関係者であり、かくかくしかじかで綱道をとめなければ江戸が危ないと切々と訴え、協力を求めてきた。
 その時に、拓人が話した事曰く、綱道の娘、千鶴は八瀬の鬼の一族に保護されて無事でいるという。

「本当か……本当なら滅多にないくらい良い知らせだぜ」

 皆、気になっていたから知らせてやらなきゃなと、原田は笑う。 も微笑みながら頷いた。

「しかしお前の弟、まーた無茶やろうとしてるんだろう? 不知火の奴が手を貸すとか言ってはいたが、本当に綱道さんを止められるのか?」
「それは、判らないわよ」

 不知火は品川に上陸すると同時に、腕を縛っていた縄を千切ってどこかへ行ってしまった。
 もともと、鬼の力ならどうとでもできる拘束だったものを、新選組と休戦している間は大人しく捕虜の礼儀を守ってそのままにしていただけだ。

「気になるだろうから大きな動きがあったら知らせてやるよ、とか何とか言ってたけれど……アテにせず、こっちはこっちの状況を何とかしなきゃならないでしょ? 動ける人間が医学所でのんびり寝てられる場合じゃないわよ」

 松本曰く、近藤と沖田と では、 が一番治りも早いし傷の程度もマシだということだった。

「しかしまあ、本当にやることは山積みだよな。 土方さんは『もう刀や槍が主役の戦争じゃない』って割り切って、早急に銃砲やそれを手にいれるための軍資金暢達に駆け回ってるようだし」
「あれだけ撃たれまくれば実感もできるよねえ……敵陣に辿り着く前に穴だらけにされたんじゃやってられないよ」

 鉛玉に嫌われている自信はあったから恐くはなかったが、弾の雨には流石に参ったと、鳥羽伏見の戦場を思いだして は肩を落とす。
 その肩を、原田がポンと叩いた。

「いてっ」
「おっと悪い。 まあ戻ってきちまったものは仕方ないから、内勤のほう頼むわ」

 江戸も何かと物騒なので、巡察の真似事をしなければならないからそちらのほうは引き受けたと言いつつ、原田は の背を建物の中へと押した。




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