羅刹女 ---30---
意識がゆらりと闇の中から浮上し、最初の光が差し込んだ時……。
視界に入ったのは、絵の描かれた豪華な天井だった。
「……」
果たして伏見奉行所の天井に、こんなに豪華な部屋があっただろうか。
は、一瞬自分の置かれている状況が理解できず、昨夜の事は夢だったのか、だとしたら悪夢にしても最悪の部類だと小さく息を吐き出した。
そう思いつつ身を起こそうとして、全身に走ったとんでもない痛みに、小さく悲鳴を上げて布団に崩れ落ちた。
「……ここ、は……? あたしはたしか、橋本宿の前で不知火のバカ野郎と」
火がついたような全身の痛みが、意識をしっかりと覚醒させてくれた。
頭のほうまで響く痛みを少しずつやりすごしながら自分の体を確認すると、傷口は綺麗に縫いあわされてきちんと手当てがしてあり、酷い様だった軍装もとかれて寝巻をまとった状態になっている。
この傷があるということは、不知火とやりあったのは夢じゃあないらしいと確認できた。
殺されてもおかしくない状況から一転、暖かい部屋に寝かされ手当てもきちんとしてある状況に自分がいるのが理解できず、痛みを堪えつつ周囲を見回してみると、どこなのかまではわからないが、部屋は病室として使われているようで十人近くが寝かされていた。
その誰もが包帯に生々しい血が滲む深手ばかり、明日をも知れない者もいるようだ。
見知った顔はないかとさらに視線を動かすと、すぐ隣に山崎が寝かされているのに気がついた。
「山崎さん……!!」
自身の傷の痛みも忘れ、
は彼の枕元に近寄った。
山崎の意識はなく、顔色も悪い。
熱が出ているのか、浅く速い呼吸を繰り返し、時折小さく呻いている。
記憶が確かなら、千両松の戦場で挟み撃ちを食らった時に、銃弾の嵐の中すぐ隣で山崎が腹を撃たれ、放っておけないと彼をかついで一旦味方の場所まで下がり、島田に山崎を託して自分は戦場に戻ったはずだ。
そして、激戦の中で新選組とはぐれてしまい、千両松の戦場を抜けられた頃にはすっかり迷子、仕方ないので橋本宿に先回りをしようとして不知火と遭遇した。
ようやく頭の整理は出来てきたが、今自分が安全らしき場所にいるということは、ここは幕府軍の陣地なのだろうか。
不知火はどうして自分を捕まえて弟の所へ連れていかなかったのか。
様々な疑問も生まれてきた。
その時、背後でスラッと襖の開く音がし、誰かが室内へと入ってきた。
その姿に、
は嬉しげな声をあげる。
「島田さん!」
「五条君! 意識が戻りましたか、心配したんですよ!」
全身なます斬りに近かったんですから無茶をせんでくださいと、島田に肩を支えられる形で山崎の枕元から自分用の布団の上に戻る。
「良かった……運び込まれてからずっと眠ったままだったそうですよ」
「島田さん、ここはどこなんですか」
「大阪城です。 戦線をのがれてきた幕府軍は皆ここに集結しています。 もちろん、新選組も」
皆と合流できた、という安堵感に様々な疑問が残りつつも涙が零れそうになり、あわててうつむいてそれを隠した。
「さあ、まだ横になっていて下さい。 傷をきちんと縫い合わせたとはいえ、相当の出血だったことは間違いないんですから」
島田に促され、再び傷の痛みに呻きながらも
は慎重に体を動かし横になる。 島田が掛け布団を上からかけ、肩が冷えぬように首まで上げて折り込んでくれた。
「あの、私はどうやってここに来ました? 千両松ではぐれてから橋本宿前まで進んだあたりの昨夜、不知火のバカと派手に喧嘩してからちょっと記憶がないんだけれど」
「それがですねえ」
驚かんで下さい、と前おいてから島田が教えてくれた事に、
は呆れてあいた口が塞がらなくなってしまった。
体が自由に動くなら、布団などはねのけて起き上がりありえないと絶叫していただろう。
「し、不知火が、あたしをかついで京屋さん所に行って、京屋さんが新選組の負傷者だからって大阪城に収容してくれるように骨折りしてくれて、その不知火は『新選組の捕虜』って事で大阪城内に居るぅ!?」
ここが重傷患者が多数寝ている部屋だということを忘れて素頓狂な声を上げてしまう。
島田の言う事をいちいち反芻してみても、まだ信じられない。
大坂・京屋は新選組が大坂出張の時に何かと懇意にさせてもらっていた宿で、主人とは交流も深い。
何故不知火がそこを知っていたかはともかく、不知火は自分が直接大坂城に乗り込んでも門前払いされそうだからどうにかしてくれないかと京屋の主人に頼み込んだらしい。
そこからさらに凄いのが、ちょっと
から目を離すわけにいかないから、何とか側に、せめて同じ建物の中にいられるようにできないかと主張する不知火に、何と京屋のほうから『新選組の捕虜』ということで入ってしまえ』と提案したのだという。
「京屋さん……」
「さすが、我々と望んで関わってきて下さっただけあって、肝の据わりが半端ではありませんな、京屋の御主人は」
貧血のせいでなく目眩を感じたが、かくして
は無事大坂城に収容され、不知火も『捕虜』という形で別の場所にいるという。
「我々が橋本宿での戦闘を退いて一旦京屋さんの所に入り、事の次第を知ったのです。 時間的には、五条君の少し後ですね」
「……その『捕虜』、どうしてます?」
「土方さんや山南さんと話をしているはずです。 不知火曰く、どうしても話しておかなければならない事もあるし、こうでもしなきゃまともに話もきかないだろうからと」
「………!!?」
これは、寝ている場合ではない。
不知火の口から語られる事が一体何なのか不明だが、猛烈に悪い予感がする。
横になったばかりにも関わらず布団をはねのけ起き上がる。
島田に無茶をするなと肩を押さえられそうになるが、逆に彼の袖を掴んで、
「不知火のバカの所に連れてってください!!」
と頼み込んだ。
島田は今動くべきではないと渋ったが、あれの意図を確かめない事には安眠できないと無理矢理頼み込まれてしまい、仕方がないと布団の上から抱き上げた。
さすがにこれには
も驚いたようだったが、あまり歩いては傷に障る。
「私だって目方がそれなりにあるんだ、重いでしょう!」
「俺は伏見奉行所に戻るために塀を越える時、永倉さんさえ持ち上げたんですよ。 君ひとりくらいなら軽いものです」
実際島田の腕には微塵の揺らぎもない。
そのまま部屋を出ていくつか廊下の角を曲がると、聞き慣れた江戸訛りの声が聞こえてきた。
「失礼します、副長、総長。 島田です」
すぐに入れ、と声が返ってきた。
島田は
を抱き上げたまま器用に襖を開ける。
島田に抱えられた
の姿に、室内にいた三人……土方、山南、不知火がそれぞれ驚きを露にする。
「申し訳ありません。 どうしても、寝ていられないと」
不知火の横を通り過ぎ、部屋の奥のほうに座っている土方の斜後ろになるくらいの場所で抱えていた体をそっと下ろす。
この位置であればとっさに襲われたりはしない。
「調子はどうですか、五条君?」
穏やかな口調と笑顔でそう問いかけてくる山南に、
は心配いらないと頷いてみせた。
土方よりも、山南よりも安堵した様子を見せているのは不知火で、
にギロリと睨まれても淡い笑みを崩さないまま座している。
その姿がまた凄く、手にはしっかりと鎖がかけられ、胸と二の腕の上にも暴れられないように幾重にも縄が巻き付けられている。
よくぞまあそんな事を許したなという姿だったが、不知火は気にした様子もない。
「……よぉ。 ちゃんと生きてるみたいだな」
「それもどうやらあなたのお陰らしいわね……どういうつもりなのか聞かない事にはオチオチ寝てられないから聞きにきたのよ」
本当に頭は大丈夫か、あの時蹴っとばしたせいでどこかネジが飛んだかと思いきりいぶかしむ
に、そうじゃあないと不知火は首を横に振る。
「仕方ねえだろう、俺ぁ手当ての方法なんて知らねぇんだから。 どのみち、動けない状態にしたらこいつらから引き離して医者に見せる気ではいたしな」
「手当ての方法なんて知らない?」
「傷を作っても簡単に治る、めったな病気にゃかからないような連中の暮す場所で、医者や金創の手当てが必用にはなったりはしねえだろ? 適当な布で傷口巻くくらいはして運んだけれどな」
なるほど、道理だと思う。
医者いらずばかり揃っている場所なら手当ての方法など覚える必要がないからだ。
納得顔で頷く
の顔色が予想よりは良いのに安心したのは、それまで黙っていた土方も一緒だった。
会話が一段落したのを見て土方が
に視線をやると、
は申訳なさそうに小さく頭を下げた。
「すみません、副長。 不覚を取りました」
「……背中に一つも傷がねえんだから上出来だ」
の事だから、逃げようなど考えもしなかったのだろう。
「こいつ、お前をどうする気だったんだ?」
「弟が……
がちょっと大きな仕事をしようとしているそうなんですけれど、その時私の事を心配しなくて良いように、この先進退が危うい新選組から引き離して憂いの種を取り除いておこうって気だったみたいです」
「ほーーう? てめえ、人ん所の隊士を勝手に持っていこうたあ、随分ふてえ根性してるじゃねえか」
土方に剣呑な笑みを向けられても、不知火は涼しい顔のままだ。
その不知火に、
は疑問を投げかける。
「私の記憶があの夜からないのは、あなたとやりあってる最中に気を失ったせいでしょう? 身動きとれなくなったなら当初の目的通りにさっさと運べば良いものを、何故新選組に合流させ、京屋の御主人に無理を言ってまでこっちへ乗り込んできたの」
「……そりゃあ」
さっぱりわかっていない女の物言いに少し呆れながらも、不知火はあの夜の事を思いだして少し照れたように視線を逸らす。
手元の鎖が、もどかしい心情を表すかのように、小さく鳴った。
「あんなの見せられて、陥ちねえほうがどうにかしてる。
も大事だが、お前の意思も大事にしてやりてえ、そう思ったんだよ」
「……?」
だから、お前が一番戻りてえだろう場所につれてきた。
それと、羅刹の事についても有無をいわさず殲滅するんじゃなくて、
の得た知識とやろうとしていること、雪村綱道の事も新選組の耳に入れておいたほうが良いだろうと思って動いただけだと、不知火は低く押さえた声で言う。
「不知火、あなた本当に頭が……」
「皆まで言ってやるな、
」
私、蹴飛ばしただけじゃなくて何かしたかと首をかしげ、どういうことか聞こうとした
の言葉を止めたのは、土方の声だった。
不知火の様子から、事情を察したのは
よりもむしろ男たちのほうで、島田は複雑怪奇な顔をしているし、山南などは口はださなかったが
に何ともいえない微笑を向けている。
隊士たちの前で呼ぶ時のように名字ではなく、わざと親しい者たちばかりの時の下の名で呼ぶあたりが念の入った事だ。
土方は、身内の女を見る時のような慕わしげな目を
に向け、
「まず近藤さんが許すわけねえだろ。 親父さんがいねえ、弟も一人前の男として独立したってんなら俺らが身内のかわりだ」
そして斜後ろで島田に支えられて座っている
に膝をよせると、そで口から覗く痛々しい包帯の上や、正座が出来ずに投げ出して座っている足を労るように撫でる。
常には見せないような、穏やかな笑顔までつけて。
「得心したんなら、布団に戻れ。 食って寝なきゃあ怪我は良くならねえし無くした血も元にもどらねえぞ。 俺たちは、まだこいつに羅刹について聞かなきゃならねえことがある」
それはそれで気になるではないかと不満顔をする
に、だだをこねるなと苦笑して土方は掌で頬を包む。
「後でちゃんと教えてやるから。 −−島田、頼むぞ」
島田に抱き上げられて
が部屋から出て、気配が遠ざかると土方は不知火に視線を戻した。
さきほどの涼しい顔はどこへやら、不機嫌を隠そうともしない不知火の様子は剣呑で、対する土方は挑発的だ。余裕すらある。
ここで山南が、苦笑しながら口を挟んだ。
「あなたたち、子供の喧嘩じゃないんですから」
が退出した後、話は羅刹の事に戻った。
不知火が喋った情報は新選組にとって脅威であり、また
が取った行動はこの戦争における今後を左右しかねない重要な役割だった。
それ以上に、探していた雪村綱道が新型羅刹を使って兵力を増強し、東の鬼の頭領の血筋を立てて人間に戦線布告をしようとしているという事も衝撃的で、俄には信じがたい。
「もう一度聞きますが、その新型羅刹というのは本当に日中の行動に制限を受けないのですね? なおかつ、命令を聞き分けるだけの知能はあると」
山南の質問に、不知火はそうだと頷いた。
から聞き出した所によると、日中の行動に制限を受けない代わりに、簡単な命令を聞き分ける程度の最低限の知能は残るが理性や思考能力がほぼ飛ぶという欠陥がついてくる。
綱道はこれを兵士として都合が良いと捉え、
は人間としてこれはまずいと危機感を覚えた。
「あんたらがどう取るかはしらねえが、新型の連中は『恐怖』まで失っちまってるって話だ。
曰く、恐怖心がないなんて三つの子供よりも戦士として役にたたねえそうだぜ」
実際、俺もそう思うと不知火が言うと、これに土方が同意した。山南もだ。
死ぬのが恐い、傷付くのが恐い、大切なものが傷つけられるのが恐い、命よりも大切なものを守れない事のほうが恐い。
ありとあらゆる怖れは虎口において乗り越えてこそ生きるものであり、窮地においてなお踏み止まるための理性の枷だ。
はじめからそれがないような者に、前線を任せたりしたらどうなるか、惨状が目に浮かぶようだった。
「なお悪い事に、新型の連中は羅刹としての最低限の機能を維持するために、旧型よりも多くの血を必要とする。 これが、新鮮であればあるほど良いってのは変わらねえ」
新型羅刹が一隊を組織できるほど居たとして、彼等を養うだけの血肉を賄うにはどうしても人が沢山死ぬ場所が必用になる。
「常に戦場がなきゃ、新型羅刹軍は維持できねえ。 今はこの日本国内の内戦、遠くは外国との戦……補充人員は戦場で倒れた者をあてれば無限、なーんて綱道はほざいているが、敵さんだって馬鹿じゃねえ。 鳥羽伏見で薩長が銀の弾丸を使って来たように、外国と戦えば必ず弱点を見つけて攻撃してくるはずだ。 そうなりゃ総崩れ、もともと火器や戦術で勝る外国勢にあっという間に逆転される」
それはあんたらが一番身にしみているだろうと不知火が山南に視線をやると、山南は否定することなく小さく頷いた。
銃器すらものともしない新選組の虎の子であった羅刹部隊が銀の弾丸に散々に翻弄されてほとんどの人員を失う事になったのはつい数日前だ。
不知火が語る事が現実となった場合の縮図ともいえる結果を否定することなどできなかった。
「よしんば勝てたとして、この国の民も大地も疲弊する。 戦がなくなったって羅刹がそこにいるんなら、いつなんどき隣人が狂って首筋に食らい付いてきやしないかって怯えながら暮す羽目になるだろうぜ」
そうして、疑心暗鬼が民の心をすり減らしていけば、待っているのは自滅だ。
「……娘として育てた女鬼に、本当の故郷を取り戻してやりたい、血筋に相応しい立場に置いてやりたいって親心がら発した事だとしても、鬼としても人としても見のがす訳にはいかねえ。 綱道を止めるために、
と風間、天霧と八瀬の鬼姫が動いてる。 そっちを邪魔しねえでほしい」
「今まで散々俺らの邪魔しておいて、どの口でほざきやがる」
腕組みをした土方が、きつい目で不知火を睨み付ける。
だが、次には疲れたように大きなため息をついて目を伏せて、
「と、言いてぇ所だが……その事情が本当だってんなら、放っておくわけにもいかねえ。 かといって新選組は動けねえ……有難いと思いこそすれ、邪魔なんてしねえよ」
「そうか。 話が判るようで助かるぜ。 で、あいつの届け賃と情報料ってことでものは相談なんだがな」
捕虜扱いで乗り込んできて厚かましい奴だと土方は皮肉っぽく揶揄ったが、不知火も負けてはおらず、捕虜だから自分の身柄を買い戻すために情報も吐くし、交渉もするんじゃねえかと不敵に笑った。
「どうせ大坂にゃ留まれないんだろう? 江戸まで行く事になるんなら同行させてもらって、そこで解放してもらうわけにゃいかねえかな」
「何で江戸に行くなんてわかる」
「そりゃ、想像つくぜ」
総大将がとっとと逃げちまったって話は城内にいればどこにいても聞こえてくるし、捕虜の耳にまで入るんだからすでに兵の端々まで知れ渡ってしまっていると判断していい。
しかもその総大将が、今だ意気軒高な会津と桑名の兵が無茶できないように、彼等の殿様、会津中将と、桑名藩主を連れて行ってしまったのだというから手回しが良い。
不戦の意思を示す大将たちの意思に反して大坂で戦うとなればそれは侍の道にもとる『不忠』となるし、諸隊は今悩ましい決断を迫られている所だろうと。
ならせめて、大将たちが行ったという江戸まで追い掛けていくくらいしか当座の選択肢は残されていない。
不知火も江戸に用がある。
が、羅刹の軍勢を率いてやってくるだろう綱道の先手を打つためにすでに江戸に行っている。彼に追い付くには、陸路を行くよりも海路が早い。
「……新選組の羅刹には、今後俺は手出ししねえ。 魂ってやつが人であろうとするうちは、羅刹といえども人間なんだって啖呵切ったあいつの意思を尊重する。 風間や天霧はどうするかわからねえが」
これでどうだ、と交渉してくる不知火に、土方は仕方ないといった溜め息をついた。
「……江戸まで休戦、って事で飲もう」
「承知したぜ。 交渉成立だな」
不知火は、ひとつ頷いたあと、ふいに瞳に真剣な光を宿して、山南を見た。
「手出しはしねえが……ひとつ聞いといていいか。 新選組は今後も変若水を使い続ける気か? おそらく、未来はねえし体質改善も無理だろうぜ」
「それこそ承知で使っているのですよ」
山南の主張は揺らぐことはなかった。いかな劇薬といえども、新選組にはまだ羅刹の兵力が必用なのだから。
「但し、意思のない人間に無理矢理変若水を使うようなことはしません。 変若水は……羅刹として死よりも厳しい道を選ぶのは、あくまで意思のある場所で行われるべきです。 変若水を飲むも拒むも、選択肢の一つという形であらねばいけません」
綱道さんがやろうとしてる事が本当なら、人を騙して、また命令として変若水を飲ませるようなこともするはず、それをしてしまってはお終いだと、山南は自分の膝の上に置いた拳をきつく握りしめた。
「意思も魂もなく羅刹となっていかほどの働きができようかという部分は、私も同意するところですからね」
「……魂、か」
人間が時折口にする『魂』というものの存在について、有るか否かを問われれば、不知火の答えは『否』だ。
鬼も人も畜生も虫も、死ねば等しくただの骸、今まで生かされてきた土を潤し、他者を潤す存在に還るだけだと思っている。
では、そうなる前の者たちを動かしているのを何なのかと問われたら、不知火は答えを持たない。
魂などではないが、もっと別の何か。
生きたいと思う気持ち、何かを成し遂げたいという気持ち、様々な『気持ち』それらを呼びならわす名を、知らなかった。
けれど、そういうものを人間の僧侶や神官の言う『御仏の意思』や『魂』という曖昧なもので呼びたくはない。
魂の在り方、在り処……それらを考える時、不知火はいつも手の届かない場所に行ってしまった親友の事を思いださずにいられない。
今もありありと、彼の声が、話していた姿が脳裏に蘇る。
『身体が滅んで、人が入れ代わり、どんなに代を重ねようとも志が……意思が受け継がれて行く限り、それは、永遠に生き続けるんだ』
その時、自分は親友に『死ねば皆等しく骸だ』と笑って答えたはずだ。
それもひとつの真理だよなと笑っていたが、かつて彼が言っていた事を信じない訳にも行かなくなってきている。
何せ、骸にすぎなくなった彼の意思は、確実に長州の者たちの中に染み渡り、受け継がれているからだ。
「不知火?」
「ん? ああ、何でもねえよ」
少し昔の事を思いだしていただけだ……と、小声で答える。
昔というほど前の事でもないのだが、親友といた時間は、どこか遠い夢のような場所に行ってしまったように感じる。
失った痛みだけが現実となって、いつまで胸に残るばかりだ。
話し合いが終わった後、不知火は見張りを付けられて別室に移されたが、捕虜らしく至って大人しくしていた。
天霧あたりがこれを知ったら、『悪いものでも食べたのか』と真顔で聞いてきそうなくらい、殊勝な捕虜ぶりだった。
熱で朦朧とした意識が闇の中から浮かび上がった時に、見えたのは豪華な絵を描いた天井だった。
山崎はここが大阪城であることに思い至り、火で炙られるように痛む右脇腹の傷口をそっと片手で押さえた。
自らの不覚と運の無さが返す返すも忌々しい。
どうせなら、綺麗に心臓を貫いてくれれば良いものを、そう考えずにはいられなかった。
少なくとも
が、銃弾飛び交う戦場で危険を犯して皆と合流しそこねるなどという事はなかったのに。
あの戦場なら、即死であれば骸を引き上げようなどとは考えまい。 動かぬ骸の事より目の前の敵、自分の安全を考えなければならないから。
半端な怪我などしたから、彼女は自分を担いで混乱する戦場の中を走るなどという無茶をしなければならなかった。
銃弾を受けて島田の手に託され、銃創の激痛に霞む視界に、血刀を引っさげノシノシと歩み去っていく
の背を見たのが最後。
行ってはだめだ、このまま本隊の側にいろと声にしたはずだったのだが、届かぬまま彼女は最前線を支えるために戻り、そのまま行方知れずになってしまった。
まさか死んだ、と嫌な予感が胸を締め付けたが、他の負傷者たちと淀城から船で大阪城へ護送されることになり、船上で意識を失ったらしい自分は以後の事を覚えていない。
「(雪村君ばかりか、五条君まで)」
悔やんでも悔やみきれないとはこの事だ。
銃弾は、
に当たるよりも自分に当たってくれたから良いが、神でも仏でも何でも良いから、
たちを守ってくれ、二度と会えずともせめて無事で、そう祈らずにはいられなかった。
その時だ。 自分を含め、負傷者が寝かされている部屋の外で、重たい足音がした。
襖ごしにだんだん近付いてくる足音と一緒に、人の声が聞こえる。
「だから、歩けますって!」
「聞く耳もちませんな。 あんたの無鉄砲ぶりは千両松でとくと見せてもらったばかりですから」
からり、と軽快な音をたてて襖がすべり、見なれた島田の見なれた巨体と、その腕に軽々と抱えられた包帯まみれの
の姿が現われた。
山崎は、身体を苛む熱が頭に回って夢を見ているのではないかといった口調で二人を呼んだ。
「島田さん。 ……五条、君」
そこにいるのか、と掠れる声で呟けば、包帯まみれの
がひどく驚いた表情をしたあと、島田の腕の中から飛び下りようとして身動きし、予想をしていなかった動きに
を支えそこねた島田が身体を取り落としてしまい、
は先程まで自分が寝て居た空の布団の上に転がり落ちた。
「いっ………!!」
は痛い、と言いかけて片手で口を、もう片手で一番衝撃が来たらしい足を押さえて蹲り、ややあって涙を滲ませた目のまま顔を上げて、山崎の側ににじり寄った。
「山崎さん、よかった、生きてた」
「まあ、あまり無事とは言えないようだが……そちらも相当無事じゃないようだな」
その包帯まみれ、どうしたことだと山崎は苦笑する。
島田は諦めを滲ませた表情で、怪我人二人の側にあぐらをかいて座り込んだ。
は、山崎の容態を尋ねようとして島田の表情を見たが、その沈んだ表情を見ただけで鉄砲傷が軽くはない、むしろ命に関わる重傷であった事を察する。
一人では起き上がる事のできない山崎は、複雑な顔をする枕元の二人の顔を交互に見比べて、安心したように微笑んだ。
「山崎さん……何、縁起でもない顔してるんですか」
「遺言なんてあっても聞きませんからね」
とがめるような島田や
の物言いも、妙に耳に心地よい。
島田や
にしてみれば、まるで後事を託すようなすべてを悟った笑みを向けられてはたまったものではないのだが。
「副長たちや、組長方は、無事だろうか……?」
いつここに運びこまれたかも判らないほど朦朧としていたから、淀城城下に撤退してからの戦況はわからない。
だが、厳しい状況にあった幕府軍が撤退したかもしれないということは察しがついていた。
一時撤退して、軍と指揮系統を立て直すだけの時間を稼がなければどうにもならない。
「土方さんならピンッピンしてる。さっきこの目で見てきたから本当よ、あの人鉄砲玉とも死神ともとことん相性が悪いみたい」
「よかった……」
「組長たちも、井上さんの他はみんな無事。 悪運強いわ」
「君もな」
そうか、井上組長が……と山崎はつぶやいた。
伏見奉行所以降、井上の姿が見えなかったからもしや、と思っていたが最悪の結果だったらしい。
新選組の良心であり、故郷を同じくする創立以来の同志を失った近藤や土方の胸中を慮ると、自分の傷の痛みなどまだ軽いように感じた。
そして戦死した井上や同志たちには申し訳ないと心の底から思いつつも、別の思いもあった。
彼等の死を盾にし、踏み越える形になってしまった新選組が全滅せずに本当によかったと思う。
山崎は傷を押さえていた右手を外し、自分の右横に座る形の
の手元にそっと触れた。
袖口から覗く包帯が痛々しい。
どんな形でも、皆と合流できてよかった。戻ってきてくれてよかった。
彼女の帰ってくる場所が無くならなくてよかった。
様々な安堵の思いが溢れて、山崎は目を細めて
の顔を見た。
「……おかえり」
短い山崎の一言に、
は心の底から驚いた表情になって彼の顔を見つめ返した。
山崎は、変わらずうっすらと微笑んでいる。
触れて来る手は、傷から回った熱のせいか、汗ばんで熱い。
「……はい、ただいまです」
何やら間抜けな答えかたになってしまったと思いつつも、もう片手で上からも山崎の手を握る。
「ただいま、です」
泣き笑いをするような表情になりつつ、どこかいとけない口調で
は繰り返す。
見た事もないような彼女の様子に、山崎は眩しいものを見るように目を細めた。