羅刹女 ---2---
最悪の一夜としか言い様のない一夜があけた。
しかも危機は去ってはいない。昨夜の男たちの事情如何によってはこのまま殺されるかも知れないと言う状況だ。
昨夜は新選組屯所という場所に連れてこられ、抵抗が予測されるからと縛り上げられ土蔵に放り込まれた。
お情けで腕の傷は手当してもらえたし、詮議の前に凍死でもされたらかなわないという意味合いだろうが、綿入れの着物とどてらを貸してもらえたが、生かすにしろ殺すにしろとっととしてくれというのが正直な所だった。
冷えきった土蔵の空気の中で目を覚ました
は、高いところにある窓から差し込む陽の光の色で大体の時間を読み取っていた。
そろそろか、と思っていると土蔵の鍵が外側から開く音がし、少し軋む音を立てて扉が開けられた。
「起きているか?」
「起きている」
短い問掛けに、
もそう返した。
やってきたのは昨夜もいた男のひとりだ。確か屯所に戻ってきたあたりで、斉藤と呼ばれていた。
「お前の処遇を決める。 広間まで来てもらおう」
斉藤はそう言うと、走れないように
の足を短く繋いでいた縄を外した。
土蔵を出ると、眩しい朝の光が目に痛かった。光に目が慣れると屯所の中には多数の人の気配を感じる。新選組とはそれなりに賑やかな所らしいと
は少し周囲を見回した。
斉藤は
の後ろについて、そこを曲がれなどと指示をしながら歩いている。後ろについているのは、逃げ出そうとしたら背中から一刀のもとに斬り捨てる気なのだろう。
やはり警戒されまくっているなと、
は軽く空を見上げた。
「そこを上がれ」
指示されて縁側に上がり、さらに言われたほうにゆくと広い部屋に出た。
風格のある厳つい男が奥にひとり、その周辺に数人の男たちが思い思いに座っている。
「連れてきました」
「おお、御苦労だったな」
斉藤の言葉に奥に座っていた男がねぎらいの言葉をかけた。 斉藤はそのまま一歩下がって廊下に座る。
その様子に
は心底嫌そうな顔をした。
要は逃げ出したときのための用心をしているわけだから。
座っている男たちの中には、昨夜の顔ぶれの他にも数人いる。
「……また細っこい奴だな。 あいつらを片付けたんだからどんな剛の者かと思ったんだけどな」
「しかも片腕怪我してるって? 普通じゃねぇよそれ」
「でもまあ、前のと違って危ないよな、それだけ腕がたつってことならさ」
昨夜いなかった3人がそう好き勝手言う中、昨夜いた方の二人対照的で、一人は苦虫噛み潰したような仏頂面、もう一人は事をおもしろがってるのが明白な人の悪い笑みを浮かべていた。
「まぁ、君もそうつっ立っていないで座りたまえ。 私はここの責任者の近藤勇という。 君の名前を聞かせてくれないか?」
「
。 五条
」
奥の男ににこやかに言われて、
は名乗った後しぶしぶといった風情でその場に座った。とはいえ、手は身体の前でしっかり縛られているので袴の裾を直す事もできない。
すると、よけいな事は極力省きたいとばかりに奥の男の隣に座っていた仏頂面が言った。
「五条とやら、お前の選択肢は二つだ。 この場で斬られるか、このまま新選組に入るか」
新撰組に入るってぇなら、昨夜見ちまった事とやっちまった事は一応不問にしてやるといわれ、
もさすがに言い返した。
「そっちの手の者が勝手に喧嘩売ってきて、こっちは命の危険を感じたから撃退しただけだってのに、事情も言わずにそんな話があるか」
「あ〜……それについちゃ、そっちの言い分もありかと思うんだがよ。 これがこっちとしても最大限の譲歩なんだよ」
「……見られたく、ないものだったって訳か」
馬鹿らしい、と
は吐き捨てる。
「そっちの事情なんか知るか」
「それでも、あなたもウチの者に声をかけられるような行いをしていたということでしょう? 新撰組はこれでも洛中の警備が任務なんですよ」
それまで口を開かなかった男が、穏やかな口調でそう話し掛けてきた。
どこか毒気を抜かれるような声音の上に、舶来ものとおぼしき珍しい眼鏡の奥でにっこりと微笑む目に、こちらも釣られそうになってしまう。
「そこでお聞きしたいのですが、あなたは昨夜どうして物騒な夜の洛中を歩いていたのですか? 辻切り物盗りが横行しているのですから、危険だと知らない訳ではないでしょう」
「昼間長州浪人とかいう奴と喧嘩して斬られた傷が疼いてどうしようもなかったから、医者を訪ねようとした」
それが、この腕の傷だと軽く両手をかかげてみせる。
正直、昨夜無理に暴れたせいで傷のなおりはいっそう良くない。こうしている今も疼きが止まらないくらいだ。
「その浪人はどうしました?」
「人の財布と腰のものを巻き上げようとしてきたから、少し手荒に撃退して裏路地に蹴込んでおいた」
本当の事なので正直に答える。
「浪人者と喧嘩をしに京まできたわけではないでしょう。 何か目的がおありで?」
「……家出した、弟を探しに。 飛び出す前に名をあげるなら京だとか言っていたから……って」
そこまで話して、
は乗せられた事に気づいた。
「……誘導尋問てやつか。 上手いことを」
「いえいえ、ほめられるような事ではありませんよ。 けれどあなたが今現在我々に害を成す勢力に属している訳ではなさそうなことはわかりましたよ」
乗せられた事もあり、
も観念したようなため息をついた。
「ついでにもうひとつお聞きしますが、あなたは今どこかお世話になっている所などありますか?」
「ない。 京阪に身内も知り合いもないから、旅籠に逗留して探す気でいた」
他に目的も話すような事情もないと言うと、
は再び口を閉ざす。
「この人、確かに腕はたつし今は無害かもしれないけれど、今後もそのままとは限らないでしょ。 新撰組に入るのも嫌なようだし、面倒だからこの場で斬っちゃいましょうよ」
本当だったら、昨夜片付いちゃっていたはずなんだから、とにやけ面の男がやけに明るい声で言うものだから、せっかく閉ざした口元が引きつる。
「物騒な事を軽く言ってんじゃねぇ。 ……とにかく、考える時間くらいはやる。 部屋を貸してやるからそこでメシでも食って一服してからもういっぺん考えろ」
仏頂面がそう言うと、廊下に座っていた斉藤がこっちへ来いと言ったので、立ち上がって促されるままに廊下に出た。
背後にうっすらとした殺気を感じたが、斉藤のものではない。さきほどのにやけ面の男のそれだろうが、そう思うとひどく不愉快な気分になった。
「……抵抗せぬなら、手をほどいてやる」
食事をするにも不便だろう、と斉藤は手を伸ばしてきた。
それが
の答えを聞く前だったから、
のほうが首をかしげてしまう。
「……私は刀相手の徒手もけっこうやるほうだと自負してるんだが……」
「心配いらん。 昨夜やさっき沖田さんの挑発に目くじら立てるような者だったら俺もこんな事はしない」
それに、そういう者は徒手がどうのと自己申告などしないと言われて、
は思わず斉藤から目をそらした。
「気づいていない者もいたが、あんたは女だろう?」
「い、いや……」
「事情は聞かないが、女の身で刀を振うには何かと苦労もあるだろう。 あんたがその腕を純粋に活かす気があるなら、ここは悪くない場所だ」
手首の縄目を脇差しの刃で斬る。斬った縄を持って斉藤は部屋を出ていった。
貸し与えられた部屋は、明るい陽のさす庭が見えるこぢんまりとした一室で、隣室とは襖で隔てられている。
今のところは逃げるつもりはなかったので、縁側で陽があたっている部分に出て昨夜すっかり冷えきってしまった身体をあたためる事にした。
ほどよい小春日和の陽を暫く浴びていると、固くなっていた心まで解けてゆくようだった。
落ち着くと、少しは昨夜の出来事と先程の選択肢をゆっくり考える余裕が出てきた。
昨夜の銀色頭の者たちと、その奇行はこの新撰組という組織にとって知られても見られてもいけないもの、であったらしい。
さらに云うなら、それを前にしたらまず助からないというか殺されてしまうのが普通ということだろう。だから扱いに困っている。
そうなると、斬ってしまうか組織のうちに取り込むか……というのは、なるほど最大限の譲歩にはちがいない。
死人に口なしという至言があるのに、それを実行せずに一応選択肢を提示するあたり、誠意のある対応と言っていいかもしれない。
このまま放逐するのは論外なのだろう。けれど組織のうちに取り込んでしまえば、一応監視はできるし、意に反すれば処断もできる。
けれど組織に属してしまえば弟を探す目的はそれだけおくれる。この物騒な場所でそれを一日日伸ばしすればそれだけ身の危険も増える。
「我ながら下手を打ったもんだ……」
が己の不覚を思いきり悔いている時、まだ彼女の処遇について決めかねている広間の方でもこの状況をどうするか頭を悩ませていた。
「……ったく、誰か女難の相でも背負ってんじゃねぇだろな」
仏頂面……土方の言葉に、数人が『え』と目を丸くする。 その意味にはまさかまたかという意味が多分に含まれていた。
酷薄な笑いを絶やさなかった男、沖田が土方に向って面白そうにケラケラと笑いながら手を振る。
「いやだなあ、土方さんの他にそんなの背負ってる人がいるもんか! 他は女のほうが寄り付かないでしょ」
聞き捨てならなないが真っ向から否定もできない……といった感じて、他の面々は微妙な顔をしてしまう。
笑いがとまらない様子の沖田に、近藤が戸惑いがちに問いかけた。
「しかし総司よ。 本当に彼女があれを為留めたというのか? 雪村君のように護身程度の剣術ではないと、何故言い切れる?」
「実際剣筋を見たわけじゃないけれど、並大抵の腕であれの相手をしようものなら、切り刻まれておしまいですよ。 それに羅刹の死体を見たけど、恐ろしく躊躇いがない。ぐちゃぐちゃになっちゃった分は判別できなかったけれど、取りあえずここを攻撃すれば確実に動かなくなるっていう所をちゃんと抑えてるんです」
正面から相対した場合、よほど腕の差がない限り急所を狙って一撃で、というのは難しい。
近藤もそれを知っていたから、難しい顔をして唸ってしまう。
「とにかく僕は、殺しちゃったほうが良いと思うけど。 千鶴ちゃんみたいにちゃんとした知り合いを頼ってきた訳じゃないし、弟を探してるって話だってどこまで本当やら。 すくなくともあれが僕たちの敵に回ったら面倒ですからね、そういうのは先に片付けておくに限りますよ」
「お前はそう、何でもかんでも殺すで片付けるんじゃねぇよ。 確かに見られちゃまずいものを見られはしたが、あいつに敵意も害意もないってんならこちらも最大限の譲歩をすべきだろう」
「何だ、土方さんらしくもない。 けっこう美人さんだったし、やっぱりほだされちゃったんですか?」
ふざけるなと一喝されてようやく沖田は黙った。それでも土方に向かってペロリと舌を出すのは忘れないが。
「永倉君、原田君、藤堂君。 君たちはどう思う?」
近藤は、3人集まって座っている面々に声をかけた。
最初に声をかけられた男……永倉が、殺すのは正直もったいないと意見する。
「羅刹どもを片付けたってぇんなら、ウチの平隊士じゃ相手にもならねぇかもな。 そういう奴を殺ちまうのは惜しい。 何とかしてこっちに引き込めないかと思うぜ。 それに女だってぇならやっぱり殺すのは忍びないだろ」
新選組の戦力および人材は、決して豊富とはいえない。
会津藩が後ろ楯にあるとはいえ、いつ切り捨てられてもおかしく無い上に、京での評判もはなはだよろしくない組織に好んで入ろうとする者は少数だ。
正直、腕の立つ人間は喉から手が出るほど欲しい。
「だな。 俺もその意見に賛成。 殺すかどうかは隊に取り込んで何か不始末をした時でいいだろう。 間者の可能性もないわけじゃないしな」
頼れる知己すらなしにこの時期の京に出て来るのがどれだけ怪しいか、そこは警戒すべきだと原田は主張した。
原田につづいて、藤堂が意見する。
「そりゃ、千鶴みてーには扱うわけにいかないかもしれないけどさ。俺やだぜ、女を斬るの。 ほんとに何とかならねぇ訳?」
何とかしたいのはやまやまなんだよと、土方は深いため息をつく。
「殺したくないという意見が多いようですが、彼女の目的が本当だとして新選組に入ってしまえば行動を大幅に制限されることになります。それを嫌ってガンとして拒むかもしれませんよ?」
京がどう言う状況か分かって出て来るくらいなら、何が何でも弟を探し出すくらいの決意を固めているかもしれない。
「だったら話は早いよね、こっちはお上の都合もあるんだしそれは後ろ楯もないような人ひとりの命よりよっぽど守らなきゃなりませんから」
「ええ、不本意ながらそういう事になるでしょうね。 こちらも譲歩しているのですから」
味方は山南さんだけですよと、沖田は眼鏡の男の隣にちょんと座った。
そこへ、斉藤が戻って来た。
「おう斉藤。 お前にもきいとくが、あいつを殺すか否か?」
「俺は基本的に隊の決定に従いますが、あいつがあくまでも隊に入るを拒むならやむなしといった所でしょう」
さすが斉藤さん、話が分かると沖田は手を叩く。
あと意見を聞いていないのがもうひとり。助勤の井上源三郎だ。
「源さんは多分、殺さないと言うと思うぜ。 俺と近藤さんを抜きにしてもこれで4対3だ」
剣の腕はここにいる面々から見れば数段落ちるが、隊きっての律儀かつ温厚者、人徳者と平隊士から絶大な信頼を得ているのが井上だ。
他の幹部が言えば角がたつことも、井上の口から出れば丸くおさまるのだから人柄としか言い様がない。
「その源さんだが、どうしてる?」
土方のこの質問には、斉藤が答えた。
「俺と入れ代わりで、あいつに飯を運んできました」
幹部みずからやらなくても良いようなことを率先してやる、そういう人だ。
井上の事だ、ただ飯をおいてくるだけでな済ますまい。
そう信じて、土方は最終的な判断をもう少し待つ事にした。
昨夜の冷え込みが嘘のような小春日和だ。
縁側に降り注ぐ陽を浴びていると気持よく、これが遠く離れた故郷にある家の縁側ならどれほど良いだろうと
は思う。
柱によりかかって座り、足をプラプラさせながら綺麗な空を見上げていると、横合いから近付いてくる気配があり、そちらに顔を向けた。
「お前さんが五条君だね、邪魔するよ」
ニコリと笑う笑顔が小春日和の日差しにも負けないほど優しい、壮年の男だった。
腰に脇差しをさしていたが、広場にいた連中のように剣呑な気配が微塵もないせいか、あっさりと間合いに入られても不快感を感じない。
「昨夜から何も口にしていないだろう、まぁ食べなさい」
そう言って、手にしていた盆を横に置く。
盆の上には、にぎり飯が二つと香の物、ほかほかと湯気をたてる味噌汁と熱い茶まであった。
捕虜相手にこんな上等な飯を出す所だったのかここは、という思いで
がそれをまじまじと見ていると、男は笑みをさらに深めて、毒など入っていないからと言った。
「……いただきます」
そう言って、
はにぎり飯を手にするとパクリとかぶりついた。
緊張であまり感じていなかったが、身体も腹も正直でひと口食べ物を口にすると味噌汁も香の物も次々平らげてしまった。
よく考えたら、怪我をしたのが昨日の昼ごろ、白昼堂々けんかを吹っかけてきてくれた阿呆どものおかげで昼食の時間を逃し、夕方にはすでに少し熱っぽかったのでものを食べる気にもならず水ばかり飲んでいた事を思いだす。
半日以上ろくに何も口にしていないとなればそれは腹も減っているわけだと、
は適度に温くなった茶を半分飲み干した所でそう思う。
ひと口食べてから茶を飲むまでのその間、壮年の男はニコニコと笑いながら様子を見守っていて、脇差しに手をかける様子など微塵もなかった。
なので
も、がつがつ食べた不作法を詫びて、捕虜の身にもきちんと食事を与えてくれた事にきちんと姿勢を正して礼を述べた。
その様子に男は感心したようで、ウンウンと頷く。
「いやあ、いまどき感心な礼儀正しさだ。 まったくウチの不作法者どもにツメの垢でも煎じて飲ませてやりたいねぇ」
ウチの連中とは、広間にいたあの面々の事だろうかと思う。
確かに、いかにも無頼といった感じの連中だった。
「広間でひと悶着あったそうだけれど、ここに残るか、それとも斬られるか選べと言われてるんだって?」
「はぁ。 ……どっちも論外なんですよ、困ったことに」
ここまで話をして、お互いきちんと名乗っていないことに気付く。
男のほうが先に名乗り、自分は井上源三郎、副長助勤をつとめており、広場にいた行儀の悪い連中と同じ道場の出身なのだと言った。
も簡単に自己紹介をすませ、新選組に入れないのは自分が行方不明の身内を探しに来ているからだと説明した。
「新選組の評判は町でも聞いています。 何でも、幕府おかかえの警邏組織だとか。 こちらは勤王派の世話になる気も毛頭ありませんが、組織に入ってしまうと自由に出歩く訳にもいかなくなります」
一日も早く、家出した弟を見つけだし、何て馬鹿をやらかしたんだと尻をひっぱたいた上で故郷に連れ戻す、それが目的である以上、行動を制限されるような場所にいるのは好ましくない。
「大袈裟ではありますが、最後の身内です。 身内の欲目でしょうが頭がいい……けれどこの京で頭が良いだけでは絶対に名は上げられないし生きられない。 ここに来て十日もたたないうちに私はそれを肌で実感しました。 それだけに、余計な所に留まっている時間などないのです」
そう話す表情の端々に焦りの色が見えたが、井上は黙ってそれを聞き、その上で提案した。
「では……こういうのはどうだろう? 先程他の連中からちらりと話を聞いたが、君は剣が随分と達者なようじゃないか」
「あ、はい……。 少なくともそのへんの十束ひとからげ共よりは」
少なくとも昨日の昼間会ったような浪人者、あのへんよりはかなり、いや数段マシな自負はある。
「実の所新選組はね、腕の立つ人は喉から手が出るほど欲しい。 それこそ他の組織に取られるくらいなら殺してでも行かせたくないと思いつめる程度にはね」
「随分、切羽詰まっていると?」
「昨今、物騒だからねぇ。 刀の鯉口のゆるい連中が大手を振ってのし歩いていて危ない事を考えているのだから本当に始末に負えない」
平隊士の諸君も頑張ってくれてはいるが、水際だった腕の持ち主というのは少ないし、生半可な腕で仕事の市中巡察に出て、逆に不逞浪士に斬られてしまうこともある。
「もっと大々的に人を募集したいところなのだけれど、組の評判ていうやつが、ちょっと過去のイザコザがあって悪名のほうが響いてしまっていてね。募集しても人がこないんだよ。 ああ、今はすっかりまともな組織になっているよ、保証する」
井上の言葉が本当であることは
にもわかった。
何せ噂に聡い京雀たちの口から聞く新選組の前身、『壬生浪人』の評判は最低も良い所だ。噂半分にしてもどちらが不逞の者かわからなかった。
「なのでこうしたらどうだろうか。 君は、新選組に君の腕前を売る。新選組は、不逞浪士の居所を突き止める探索をもって、君のたずね人を探し出す」
つまりは取引きだが、新選組の監察部……探索なども司る者たちは、下手な忍よりも優秀だと井上は太鼓判を押す。
何せ、厳重に身を隠している浪士たちの潜伏先を次々洗い出し、捕縛するに至っている。
「そういう事なら悪い話ではないと思う」
「だろう? 我々は戦力を得る、君はひとりでは出来ないような広い探索の目を得る。 どちらも損はしないよ」
この話を隊を取り仕切る局長、副長、総長の3人に話せばきっと首を縦にふるはずだと井上の言に、
は暫し考える様子を見せた。
思案を始めた
の横で井上は微笑むと、その邪魔をしないように盆を持つと足音をさせずに場を離れた。
がハッと顔を上げたのは、暫くして斉藤が横に立っている気配に気付いた時だった。
「……あれ、井上さんは」
「広間にいる。 考えはまとまったか?」
余計な事は言わず、端的に用件だけ告げる斉藤の手には、細い縄がある。
が広場で拒否の意志を示した時に抵抗が最小限で済むように、手の自由くらいは制限していくつもりだったのだろう。
「縄はいらない」
の目がすでに何かを決めた意志を持っている事を見て取った斉藤は、静かに微笑むと縄を袂に仕舞いこんだ。
再び広間に連れてこられた後、あっさりと新選組入りを承諾した
の様子に、幹部一同の目は同席していた井上の元へ向けられた。
一体どう言う手妻を使って口説き落としたのかと問いかけるその視線に、井上はにっこりと笑う事で答えた。
の人探しに新選組の監察部が人手を割く事については井上の助言に従い
自らが自分の入隊と引き換えにどうにかしてくれないかと交渉した。
土方は良い顔をしなかったが、ここで味方してくれたのは先ほど剣呑な殺気を飛ばして挑発してきた男だった。
「そう難しく考えなくても良いんじゃないですか? この人を手元に置いておけるなら安い買い物だと思うけど。 君だってそう持ちかけるからには、手がかりの一つもないわけじゃないんでしょ?」
「もちろん。 人相書きくらいはもっている」
は少し血に汚れてしまったが丁寧に折り畳まれた紙を懐から取り出して広げてみせる。
墨の線に薄墨で立体感を持たせた、写実的な人相書だ。
「へぇ、そのへんの立て札に張ってあるのよりずっと上手だ。 それに、似てるんだね」
「郷里に、一度見た面は絶対に忘れないっていう芸のある奴がいる。 絵が達者だからこちらに来るにあたって描いてもらったんだ」
もう一度、大事に折り畳んで懐に戻す。
「土方さんもそういう難しい顔しないで。 ひとり探すのも、ふたり探すのも一緒でしょ、それに相手は京阪にいるらしいってことがわかってるんだから」
「とはいえ、そいつが長州などの勢力に属してるようなことになったらどうする気だ。 こっちだって見のがす事はできねぇだろ」
「そこはそれ。 手にあまるようなら斬っちゃうかもしれないけど、少なくとも死体は姉さんの手に戻せるよ」
ケロリとした笑顔でとんでもないことを言う。それでは意味がないんだが、と
はあえて言葉にはしなかった。
「歳、お互い悪い話ではないならそう渋い顔をするな。 では五条君、我々の同士として働いてくれるのだね?」
近藤が念を押すように言ってきたので、
はしっかりと頷いた。
「ただし、弟を探すのに手を貸していただく事。 その条件を飲んでもらえるなら、思想は関係ありません。『新選組』という組織のために微力ながら力を尽す事を誓います」
「では、弟くんがみつかった後はどうするね?」
続く近藤の問いかけに、
はちょっと目許をゆるませ微笑むと、
「さあ。 その時はどうなっていることやら。 取りあえず家出なんかした理由を聞いて、散々心配させた分、尻をひっぱたいて……それからじっくり話し合ってきめる事にします」
「うむ。 情勢不安定の折だ、無事でいてくれると良いがどう転がるかもわからん。 その時に決めるのが一番良いだろう」
ならば決まりだと、近藤はにっこりと笑った。
その後、入隊を誓う誓紙が運んでこられ、
はその場で誓紙に署名した。
の配置については、いかに剣が達者とはいえ男所帯の隊士部屋にいれるわけにもいかず、急遽幹部たちの布団部屋として使っていた四畳半の一室を開けてそこに起居する事とし、暫く、少なくとも腕の怪我が治るまでは幹部付きの小姓---雑務係および世話役---として働く事となった。
怪我がなおったあと改めて腕前を見て、どういう配置にするか決めると隊内の人事を取り仕切る土方は言った。
それから、男所帯の風紀が乱れる事もあるから男装を通すようにとも言われたが、これについては何も問題はない。
手のあいている幹部とともに、町の宿屋に置きっぱなしの荷物を引き取りに行った帰りに医者にも寄り、傷を診てもらう。
どうして放置したと散々叱られ、これ以上傷が変なふうに動いて変型する前にと洗って縫合する羽目になりかなり痛い思いをしたが、傷そのものの範囲は広くとも筋や骨には達していないので完治すれば問題なく剣も持てるようになると言われたのは救いだった。
屯所に戻り与えられた部屋に落ち着くと、先ずは荷物の整理をした。
とはいえ、旅行用品と着替えしかないが。
荷物を借りてきた行李に移し、これまた借り物の文机の位置を直す。
「……さて、これからどうなる事やら」
のつぶやきに答える声はない。
ただ穏やかな日射しだけが、これから始まる日々の嵐の前の静けさのように枯れ庭を染めていた。