羅刹女 ---27---


 闇夜を切り裂き、明るい火花をまき散らしながら真っ赤な焼弾が飛来する。
 禍々しい流星のように次々と飛んで来るそれを見上げるたびにえもしれない恐怖が胸の内に起こるが、震えている暇などない。
 奉行所内に着弾するたびに火消しをしていくが、すでにいたちごっこだ。
 奉行所を外れて伏見市街に着弾した方は消す者もいないため、そのまま火事になる。
 夜といえども市街に火が広がるごとに、その炎に照らされて高台からは幕軍の動きが見えるようになってしまう。

「ちくしょうめ、またか! ……何でこんだけバカスカ打ち込まれて一度も人間に当たらないのかいっそ不思議だよ!」

 半分ヤケになりながら はそう叫ぶ。
 焼弾に水なり土なりぶっかけて火の粉を止めて温度を落としたら、取りあえず地面の上にほうり出すように指示してある。 土なら取りあえずは燃えない。
 その弾もごっそりたまってきたので、新選組にもこの弾が撃てる砲があるなら撃ちかえしてやりたい所だが、たった一門しか砲が無い上に、低地から高台に向かって撃っては効果半減だ。届かない弾のほうが多いだろう。
 この混乱に乗じて鬼が攻めてくる様子がない事だけは救いだったが、万一彼等のうち一人でも来たら相打ちに持ち込んででも止める覚悟でいた。
 鬼は来なかったが、来たのは薩長軍がこの奉行所を包囲しようとしているというもっと悪い知らせが来た。
 息せききらせてその知らせを持って来た山崎の言う所によると、包囲しようとしてる薩長軍の数は百人ほどだという。

「あちらさん、大砲も持って来ているのか。 これは包囲というよりも、正門をブチ破る一点突破で来る算段のようだね。 それともこちらの守りが手薄なのを知って百人でもいけると踏んでいるのか」
「だとしたら、随分なめられたものです」

 伏見奉行所の敷地はそれなりに広い。百人程度で包囲の形は取れないし、回りを取り囲む塀も背が高く頑丈なので、梯子をかけないことには容易によじ登る事はできない。

「百人をなだれ込ませて一気に制圧するつもりなら、やっぱり狙うは正面ですね。 他からは一気に入る事はできない。 それに入った所で長銃はひとりふたりじゃ大して恐くない」

 不知火の持つような拳銃で短距離から狙われたらそうも言ってられないが、銃身が長い銃というのは、よほど構える体を安定させて撃たないと照準がブレるし、弾の装填に時間がかかるものが多いので弾込めをしている間に刀で斬り付けられてお終いになってしまう。
 銃の恐さは、隊列を組んで一斉射撃し、豆つぶほどの銃弾が鋼の雨に変わった時だ。
 その威力の前には、人体など水の入った袋のようなもの、たちまちズタズタだ。
 今この時にも、決死の突撃をした永倉たちはその鋼の雨に晒されている所だというのに、こちらも怯んでなどいられない。

「何、二人ともそんなに深刻に構えなくても正門を攻めてくるとわかっていれば待ち構えてやればいいんだよ」
「井上組長?」

 こんな状況だというのにのんびりと言う井上に、山崎も も少し驚いた。
 大砲を持ってきて、正門のすぐ後ろに仕掛けなさいと井上が言う通り、両開きになる扉を少し開けただけで砲が見えるように配置する。
 大砲と門の開閉を操作する人数を置き、敵が門に近付いてきたら至近距離からぶっぱなしてくれようという作戦のようだ。

「すまないが、正面に出て薩長軍を引き付けるのは二人に頼む事になるよ。 私ではたちまちやられてしまいそうだからね」

 作戦を説明し、本当に申し訳なさそうに言う井上に、そういう仕事なら望む所ですと山崎も も笑ってみせる。
 もちろん、砲弾一発で済ます気はない。突撃してくるなら何度でもぶつけてやるつもりだ。
 オトリになる山崎や が門までうまく引き付ければ引き付けるほど、多くの薩長軍を巻き込める。

「火消しは一時的に小姓君たちに任せるとして、砲と門の側にいる他の六番組の面々は、塀の上から銃で山崎君たちの援護だ」

 井上の言葉に、六番組の面々は得たりと頷く。 は預かる五番組の面々に向かい、拝むように手をあわせた。

「悪い。 私の下になんぞ配置されちまったのが運のツキだと思って、一緒に囮と突撃やってくれ」

 嫌だと言う者など一人もいない。
 ここで逃げ出しては男が廃るというのもあるが、女とわかっている者が自分から白刀と鉄砲玉に身を晒しに行こうとしているのに男の自分たちがどうして退けようものか。
 男の面子丸つぶれ、後の世まで股ぐらの間に付いてるものはただの飾りに違いないと笑い者にされること必至だ。

 配置が決まればあとは動くのみ。
 幸い、敵が正面門前に布陣し鉄砲隊が並び終わる前に外に出る事が出来た。
 今は夜なので鉄砲など狙った所で当たるまいが、数を減らした方が良い。

「やぁやぁ、芋と団子がそろって歩いて来たぞ!」

 門前に出た は、わざとらしく大声で芝居じみた台詞を言い、薩長軍を挑発する。
 芋は薩摩の名産である甘蔗(さつま芋)、団子は長州藩主毛利家の家紋をもじって長州侍を蔑称する時に『団子侍』と言うのにちなんでだ。
  と一緒に門前にいる数名がこれまたわざとらしく手を翳してどこだどこだと探したり、妙な笑い方をするものだから挑発に乗った者たちが隊列も終わってないのに鉄砲を構え、刀を抜く。
 その様子を奉行所の中、塀の上に土のうやら箱やらを積んで伺っていた鉄砲隊が、スキを逃さず薩長軍に撃ちかける。

 鉄砲の発射される乾いた音が響くと同時に、挑発の間に周辺家屋にまぎれ五番隊の半数を率いて先回りしていた山崎が横合いから薩長軍に切り掛かる。
 相手鉄砲隊のほうで悲鳴が上がったのを見て、 も腰の刀を抜き放ち、残り半数を率いて正面から仕掛ける。

「闇夜の鉄砲なんざ恐くないぞ、潰せ潰せ、ついでにブン奪れ!!」

 これまたわざとらしく が叫んだ事で、新選組の狙いが銃砲だと言う事に気付いて奪われてなるものかと薩長軍は其れを守ろうとし、刀で斬りかかってくる。
 白兵での乱戦は新選組のお家芸、乱戦に持ち込んでしまえば銃身の長い銃はほぼ役立たずの棒切れだ。
 棒切れよりは刃物と思ったのか、ここの薩長軍の指揮官が無能なのか、鉄砲隊の半数だけでも下がらせて距離を置き、威嚇射撃の一つもすればいいものを、新選組に有利な状況のまま大乱戦となった。
 伏見奉行所の中から、パン、パン、パンと一定の間を置いて三発の銃声が響く。
 先に決めておいた井上との合図だ。
 それを耳にした は、片手を高々と挙げサッと振るう。
 新選組隊士たちは、斬り結んでいた相手を蹴り、あるいは刀で倒して素早く道の両側や周辺の民家の影へと転がり込んだ。
 奉行所では、三発の鉄砲の後ひとつ、ふたつと数をかぞえていた井上が決めていた機を見計らい、門を開けさせ、大声で命ずる。

「狙い正面中央、大砲撃てぃ!!」

 僅かに開けた門の隙間から、にゅっと砲身を出して先程まで乱戦まっただ中で敵味方入り乱れていた場所へ容赦なく大砲を撃ちかける。
 狙い違わず敵兵が団子状になっている所に直撃し、爆音が響く。
 夜陰の中でも人体が奇妙に千切れて吹っ飛び、血と悲鳴を含んだ煙りが舞い上がる。
 かなりの数が今の砲弾に巻き込まれ、薩長軍に奉行所と斬り込み隊、どちらを攻めるか判断のスキを与えるなとばかりに左右に避難していた五番隊が威嚇の大声とともに斬り掛かり、奉行所からも援護の銃弾が次々と飛ぶ。
 今度は奉行所の中でガシャンと何かを割る音がいくつも響いた。
 これもまた大砲を撃つぞと知らせる音なのだが、音を変えないと敵にも機を読まれてしまうために何種類か決めようという井上の案で音を変えてある。
 気付いた山崎と はいち、にと口の中で数を数えて、機を得たりと見るやまたもサッと手を挙げ振り下ろす。
 新選組の者たちが左右に散るその時を知っていたかのように、またも混戦中だった場所に大砲の弾が直撃し、悲鳴と断末魔の声が上がり血の雨が降り注いだ。
  たちのいる場所には、吹っ飛ばされた人体の欠片や血が降ってくるが、気になどしてはいられない。
 足下に散らばった肉や血で滑らないように注意しながら、新選組はまたも獲物に向かって白刀をふりかざす。
 援護があるとはいえ、たった20人程度で何倍もある敵陣に斬り込んで来る様は狂っているとしか見えなかったのだろう。
 次第に薩長兵の顔に恐怖が浮かび、一人、二人と逃げ出す者も表れた。
 戦場における恐怖は下位の兵ほど容易く伝染する。 こうなると用意には立てなおせない。

 斬り込みと大砲に数を減らされ、士気を挫かれ、主力の鉄砲隊を壊滅に追い込まれた薩長軍は伏見奉行所の門に辿り着く事すらできず、とうとう撤退していった。

「逃げやがったぞ、ざまあみやがれ!」
「思い知ったか、芋め!」

 池田屋の時よろしく、圧倒的な戦力差にも関わらず勝利をもぎ取った隊士たちの声は、勝鬨に変わる。
 えい、えい、おうと上がる勇ましい声を、 は血のしたたる刀を下げたまま聞いていた。
 
 奉行所からの砲撃で、薩長軍が持って来た大砲も壊れてしまったためにこれは持ち帰る事はできなかったが、累々と横たわる死体の中から使えそうな銃を拾い、兵が身に付けている弾丸入れを剥ぎ取る。
 死者からものを剥ぎ取るなど罰当たりな行為だが、新選組のみならず幕府軍はどこも旧式の銃砲しかない。数も足りない。 おまけに入手先のツテもない。
 こうして少しでも薩長軍の新式の銃が手に入れば、戦力にもなるし自国で開発ができるようになればいずれは後の戦力にもなる。 こうして浅ましい真似をすることも決して無駄ではない。
 一同は意気揚々と門の中に戻ったが、それから一刻もしないうちにまたも外が騒がしくなる。

「味方が戻ってきました! あれは、土方副長と原田さんです」

 見張り櫓の上からそう声がかかった。
 敵兵の追撃を受けている、しかも門の側からも十数人まわりこんで挟み撃ちにする様子だと知らされ、すぐに井上が鉄砲で援護の指揮を、 がまたも門から挟み撃ちを阻止するべく打って出た。
 何故夜だというのにこうもはっきり情勢が見えるかというと、周囲の伏見市街が火事になりはじめ、あちらこちらで火の手が上がりそれが広がりはじめているからだ。
 消火活動の甲斐あって奉行所はまだ無事だが、砲撃は一向に衰えない。
 やはり敵陣にたどりつくのは無理だったかと井上は首を降る。
  が挟み撃ちの兵を防ぎ、井上が鉄砲で援護射撃をしてくれたことで土方たちは何とか門の中に転がり込む事ができた。

 転がり込むなり皆地面につっぷし、へたり込んでしまう。
 土方でさえすぐには次の指示を出せない様子で大きく肩で息をしていた。

「お帰り、トシさん。 原田君。 皆もおつかれさま」

 自身も火薬の匂いや消火活動で飛んだ泥や埃、煤にまみれているというのに、井上の常と変わらぬ笑顔が、皆をやっと本陣にたどり着けたのだという気持ちにさせてくれた。

「源さん……こっちも大分ひどかったみたいだな」
「何、トシさんたちの方程じゃない、こっちに来たのは火事場泥棒みたいな連中だけだよ。 さあ皆、中に入ろうじゃないか。 こんな状況だが、白湯くらいじゃ用意できるよ」

 奉行所の中へ入り、けが人は手当てを受け、小姓たちが用意した白湯で腹の中から体をあたためるとようやく体の力と緊張が解けたというように、ほとんどの隊士はそこかしこの柱や壁にもたれて体を休めはじめた。
 そんな中でも幹部連中だけは元気だ。 というより気を抜いている余裕はない。
  も今夜だけで何人斬ったか判らない刀についた血と油を落としてすぐに広間に向かう。
 戦況は厳しく、数こそ多いが幕府軍は全体の統制が取れていない。
 装備も戦国時代さながらの旧式のままの隊が多く、薩長軍の遠距離からの銃での一撃を放っては離脱するという戦法の良い的にされ、いいように翻弄される状況のまま、あちこちの藩や諸隊が各個撃破されている状況だという。
 すでに幕府軍の多くは本陣のある淀城方面に向かって撤退を始めており、何とかふみとどまっている新選組や会津兵もこのままでは敵中で孤立する事になる。

 孤立することになる……が、まだ永倉、斎藤、そして山南たちが戻ってこない。
 彼等の戻りを待たずして伏見奉行所を離れる事はできない、だが篭城するにはあまりにもここは陣地として脆い。
 幹部一同が激しい焦躁に苛まれながらも今後の進退を話し合っていると、外が騒がしくなった。
 どうやら敵陣に突撃していった永倉と斎藤の隊が戻ってきたようだ。

「よっ。 ただいま」
「戻りました」

 広間に姿を見せた永倉と斎藤の煤と埃にまみれた体のそこかしこに、赤いものが散っていた。
 怪我をしたのかと心配する に、永倉は小さく首を降り、『味方の血だ』と答えた。

「援護してもらって情けねえんだが、どうやっても敵陣に辿り着く事はできなかった。 そのうち町が火事になっちまうしよ、火と兵で退路を断たれる前に戻ったんだ」

 敵の銃は装填も早く、頭数も揃っている。
 装填の合間を縫って突撃しようとしても果たせず、情けなくも逃げ帰ってきた上に味方を失ったという永倉の顔は悔しさに歪んでいた。

「いや、あの状況から戻ってきてくれただけでもお手柄だ。 ……ん?」
「何か、きな臭くねぇか?」

 土方と原田が鼻をひくつかせる。
 同時に、複数の砲弾が同時に着弾したのか耳を劈く轟音と足下が浮き上がるような揺れが一同を襲った。

「まずいな、様子をみてくる」

  が廊下に駆け出すと、外のほうから火消しを担当している者たちが駆け込んできた。その間にも、ドカンドカンと敵の砲弾は次々と着弾し、一発がとうとう のすぐ後ろの天井を突き破って炸裂した。

「五条さん!」
「平気だ」

 駆け寄った小姓の少年たちに助け起こされながら、 は転んだ拍子に強かに打ち付けた右の肩についた土埃を払った。
 砲撃の着弾が正確になってきている。

「もう駄目です、奉行所の周囲が皆火事になってしまってここだけをいくら消しても」

 少年の語尾にかぶさるように、またも近くに砲弾が凄まじい音とともに落ちた。落ちた部屋の障子も畳みも吹っ飛び、廊下へ跳ね出してくる。

「まずいな、敵さん炸裂弾も使ってきたか」

  は部屋の破壊のされようが焼弾のそれとは明らかに違うのに気付き、危機を悟る。
 炸裂弾は、砲弾の中に火薬と鉄弾を仕込んであるもので、外から導火線で着火して落とす場所への着弾時間を計りながら飛ばす手間はあるが、うまく炸裂すれば中の火薬が外側の鉄の包みと砲弾の中の鉄弾を凄まじい勢いで弾き飛ばし、周囲に絶大な被害を及ぼすという代物だ。
 今のも部屋の中に落ちてくれたから多少破壊された瓦礫が飛んで来る程度で済んだようなもので、廊下に落ちていたら揃ってやられていた。

「撤退の準備だ、土方副長も否とは言うまい! 君たちは外で働いている者たちをまとめておけ!」
「は、はい!」

 小姓たちが戻ってゆくのを確認し、 は後ろに落ちた焼弾が廊下を燻し始めているのを乗り越えて広間へと戻った。
 駆け込むと同時に現状を告げる。

「奉行所の回りは全部火事、高台からはこちらの様子が丸見えだ! 敵の着弾も正確になってきている、ここはもうもたない」

 廊下の煙りか、それとも他の場所からか、空気がさらにきな臭くなる。
 だが土方は、この状況においてもまだ撤退の命を出しかねていた。
 その理由がわかっていたので、 は背筋を正して自分のほうから言う。

「羅刹隊には、私が告げに行く」

 幹部一同の目が、 に集中した。
 声にこそ出さないが、危険だと言っている。
 ここまで来て危険もヘチマもあるかと思ったが、 は現状を言葉にした。

「どこに撤退するにしたって、指揮官になる幹部の手はまわせないはずだ。 けどこの状況で、羅刹隊の事情を知らない平隊士を向かわせる訳にはいかないし、かといって千鶴ちゃんを頼む訳にもいかない。 山崎さんも島田さんも、必要な戦力のはず、なら消去法で私が適任のはずだ」

  の言い分は正しい。
 羅刹の事を知らない平隊士は使えない、かといって小隊の指揮を取れる者は撤退するのにどうしても必要だ。
 この状況の中を、千鶴ひとりで駆けさせる訳にはいかない。 普通の伝令ならまだともかく、行く先は戦場で敵味方の血の匂いの中に置かれた羅刹の所だ。

「戦場だろうが火事場だろうが、一人ならどうとでもくぐり抜けられる! 羅刹隊は必ず撤退先に合流させてみせる、私に行かせてくれ!」

 山南や藤堂を失ってもいいのか、と言外に強い目で訴える に、土方はついに決断を下した。

「幕軍本陣のある淀城に撤退だ! 原田、永倉は隊を率いて退き口の確保、斎藤は負傷者の搬送を担当しろ。 それから源さん、武器弾薬に金子、敵に渡す訳にはいかねえものの始末を頼む。それと、千鶴の身柄も」

 永倉たちが勢いよく広間を出て行く中、こんな状況だというのに井上はゆったりと微笑み、土方に頷いてみせた。

「あいよ、任されました」

 変わらぬ笑顔を向けられて、土方はつい、己の眉間によった皺に指をやる。

「……悪い。 けど、このままじゃすまさねえ。 薩長の奴等、この借りは必ず返してやる、そのために今は退くんだ」

 土方が自分自身に言い聞かせるように言った言葉に、井上は深く頷き、

「恩は倍返し、恨みは十倍返しだったね、昔っからのトシさんが喧嘩のたびに言っていた」
「おうよ、このままで済ませてなるもんかよ」

 ぱし、と握った拳をもう片方の平手で叩き、土方は隊士をまとめるために広間を出ていった。

「さあ、急がなければね。 あんたも、必要以上の無茶をするんじゃないよ。 淀城で会おう」
「……はい」
「トシさんが十倍返しをするときの頭数には、あんたも入っているんだ。 必ず、戻っておいで」

 この状況の中でも優しい言葉をかけてくれる井上に、 は深く頭を下げる。

「では、行って参ります!」

 井上の視線に見送られて、 は伏見奉行所を走り出る。
 これが、井上との今生の別れになるとも知らず、羅刹隊が今も戦い続ける薩長陣地へ向かい燃え盛る伏見の町を駆けた。










◇◇◇◇◇











 火の粉が飛び、家屋の火が竜の舌さながらに踊り狂う伏見市街を走り抜け、羅刹隊の向かった龍雲寺砲台陣地へ。
 敵兵を避けながら迂回したために大分時間を食ってしまっている。
 寺の周囲の木立の闇に飛び込んでやっと一息つき、市街地を振り返れば燃え盛る伏見の町が、闇色の布地に炎で輝く模様を描いたかのような様相を呈していた。
 伏見奉行所もすでに炎に飲まれてしまっている。
 この様子を見れば羅刹隊も山南の判断で戦場を離脱しているかもしれないが、万が一ということもある。
 すでに龍雲寺からの砲声は止まり、時折鉄砲を撃つ乾いた音だけが聞こえるが、あれも威嚇射撃のように思えた。

「(血の、におい)」

 夜風に混じって、生々しい血の匂いが流れてきた。 風の強さと距離からして、龍雲寺からのものではない。
 もっと近くで戦闘があったに違いないと、匂いの元を辿る。
 すると、さほど歩かないうちにその正体に行き当たった。

「……羅刹隊?」

 地面に倒れていたのは、何と羅刹隊。
 多少敵兵もまざっているようだが、様子から察するにここで敵一団との遭遇戦になったはいいが、戦闘の物音で場所が割れ、味方ごと巻き込むような形で銃弾を浴びせかけられた……そんな様子だった。
 銀色の髪をした死体に近付き、そっと身をかがめる。
 木々の間から差し込む星明かりだけでは確認しづらいが、どうやら銃弾が致命傷のようだ。

「(……おかしい)」

 羅刹は、鉛玉の数発では死なない。 頭か心臓に直撃でもしない限り、人間のように簡単に倒れたりしない。
 だからこそ、山南はこちらを数の少ない羅刹隊のみで引き受けたはずだ。
 だがこの羅刹は、明らかに違う。
 心臓、頭以外の場所に銃弾を浴び、なおかつ傷が塞がっていない。着物は先程まで流れ出ていただろう血で染まり、冬の寒さに凍り付きかけている。
 倒れている羅刹の数から見るに、ほぼ総崩れ状態だ。
 ここで一体何があったのかと身を強ばらせている の後ろで、小さな足音がした。

「……味方か?」
「藤堂さ……いや、平助君」

 平素のようにそう呼ぶ声で た来たのだと知った藤堂は、身をよせていた木陰からそっと半身を出すと、そこは危ないからこっちへ来いと手招きした。
 戦場となった場所から少し離れた、闇の一層濃い場所で、数人の羅刹隊士が冷たい地面に倒れて呻いている。
 山南がそこで加減を見ていたが、横顔の表情からしてどうも思わしくないようだった。

「五条君ですか?」
「はい。 新選組本隊からの伝令で来ました」

 すでに伏見における幕府軍主力・会津・桑名の藩兵は壊滅、僅かな生き残りは本陣である淀城に向かって移動を始めていること。
 新選組もまた、永倉たちの隊が敵本陣への斬り込みに失敗し退却、伏見奉行所もまた敵の砲撃に陥落し、火事と敵兵の包囲で退くに退けなくなる前に脱出し、淀城へ向かった事を伝える。

「羅刹隊も、この龍雲寺砲陣地の攻略は諦め、淀城にて合流をはかってほしいとの事です」
「わかりました」

 山南の事だ、土方の采配に嫌味のひとつも言われるかと思った は、意外そうに目を丸くした。

「大口を叩いて出てきておいて情けないですが、我ら羅刹隊もすでにここを奪い取るだけの力を失っています。 本隊も撤退したとなれば、ここは夜があけるまえに少しでも淀城に近付いておくのが得策でしょう」

 我々の失態よりも永倉君たちが失敗した事のほうが驚きですと、山南は肩を落とした。
 それに、本隊に合流し急ぎ伝えなければならない事があるという。

「五条君、申し訳ありませんが血を少し分けていただけませんか」
「……え?」

 藤堂が止めろと言いかけたが、山南は手早く先程の戦場の惨状が何をもってああなったのか説明した。
 敵方は羅刹の回復力を封じる手段を使ってきたと聞かされて、 はそんな馬鹿なと思わず零していた。
 山南は懐に手を入れて、何かを取り出す。
 僅かな星明かりに煌めくそれは、小さな銀色の粒……良く見ると、銀色の銃弾だった。

「銀の弾丸です。 私もはじめて知った事ですが、羅刹の回復力は銀で傷つけられると発揮できないようなのです。 ここにいる数人は運良く傷が浅く、体に残った弾丸を抉り出す事ができましたが」

 傷は一向に塞がる様子もありません、と山南は表情を厳しくした。
 肉に食い込んだ銃弾をえぐり出すなど大変な苦痛を伴う。 だがそうしなければ彼等もまた死体になっていただろう。

「彼等はこのままでは歩けませんし、かついで行くにも手が足りません。 ですが羅刹は幸いにして血を口にすれば多少なりとも体力が回復します。 同じ羅刹の血を飲んでもあまり効き目がないですし、体温が残るほど温かい血のほうが効きが良いのです。 ですから、すみませんが」
「わかりました」

  の決断は早い。
 どのみち自分の足で歩いてくれない限りこの戦場から離脱は無理だ。
 死んでしまった者はもう置き去りにするしかないが、彼等はまだ何とかなる。
 近くの常緑樹から葉っぱを数枚失敬し、傷をつけても剣を振るうのにあまり難のない左腕の内側に素早く自分の脇差しの刃を当て滑らせて、半寸ほどの傷を作る。
 木の葉を軽く曲げて猪口がわりに血を受け止め、それを山南と藤堂に手伝ってもらって負傷した羅刹隊士の口に含ませた。
 少量だったが、それなりに効果はあったようで、山南が倒れていた者たちに現状を説明し戦場を離脱することを告げると羅刹隊士たちはそれぞれ立ち上がる。
 山南が先頭に立ち、移動が始まった。
  と藤堂は負傷者の背後を守る形で殿につく。

、これ」

 隣を一緒に歩く藤堂の手から差し出された手ぬぐいに、 は思わず首を傾げた。

「傷、押さえておけよ」
「大丈夫だよ、ほんの小さな傷だし」
「小さくたって女の肌の傷なんだぞ、気をつかいすぎってことはないだろう」

 藤堂に袖を引っ張られて足を止められ、手当てをしろと言う藤堂の真剣な眼差しに負け、 は観念して袖を捲りあげた。
 ほんの浅い、僅かな切り傷。
 それを見た藤堂は、まるで肉の飛び散った銃創でも見たような顔になりつつ、二つ折りにした手ぬぐいを強めに巻き付け、止血帯とした。

「……ありがとう」
「おう」

 少し隊から離れた二人は、急ぎ足で後をおいかける。
 藤堂にしてみれば複雑な心境だった。
 生き残った羅刹たちに歩く力を取り戻させるために必要な処置だったとしても、それを言い出したした山南にも、躊躇いもなく血を差し出した にも、どちらにも心が痛むものを感じる。

「頼むから、あんまり無茶すんなよ」

 心配そうな藤堂の言葉に、 は曖昧な笑みで答えるしかなかった。




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