羅刹女 ---26---


 撃たれた傷が命にこそ別状はなかったものの、伏見で治療しきれる怪我ではないと判断された近藤と、京都から後発し伏見で合流したものの病が重い沖田は、松本医師の居る大坂城に移される事になった。
 この大事な時に、局長とその親衛隊ともいえる一番組の組長を欠いてしまい、新選組は士気が落ちている。

「こんな時に……」

 と言いたいのは誰もが一緒だ。 もしその狙撃犯を見つけたら八つ裂きにしなければ気がすまないのも。
 今まで何度か近藤が出張などで長期の留守をすることがあったが、彼のいない新選組は雰囲気からして丸ごと違う。
 それが今回は、有事を前にしての士気と隊士たちの覚悟の揺らぎという形で如実に顕われていた。
 この状況だけに、さすがに千鶴だけでも大坂城に移そうと、何人かが説得にあたったらしいが、彼女は頑としてここで皆の役に立ちたいのだと言い張り、 もまたそれを支持した。

 年があけて慶応四年、正月一日。
 新年を言祝ぐような雰囲気ではなく、伏見奉行所だけでなく幕府軍駐屯地はどこもギスギスとした雰囲気が外からでもわかるほど緊迫していた。
 そしてこの状況の中、監察の山崎と小姓の も、助勤職に移動していた。
 新選組はかつていた組長(小隊長)の半数を欠き、現場の指揮官が足りない。
 ましてや、昨年秋あたりから兵員増強を乞われて隊士として慎重な選別をするだけの余裕もないまま寄せ集めるようにして引き入れた面々も多い。
 組織としての練兵具合の質はガタ落ちもいいところだ。
 今の新選組は決して『精鋭部隊』と言えないのも、近藤から全権を任されて隊を預かる土方の頭を悩ませていた。

 餅を焼いて食べる余裕もない一日が過ぎて、二日深夜。
  は巡回任務の為、隊士数名を率いて奉行所まわりに異常がないか確認してきたあと、そのまま自室のある一画と向かった。
 新選組の現在の人数は百人程。 そのうち四割は伏見で増員した、文字どおりの寄せ集めだ。
 状況が緊迫するにつれ、その百人ですらちらほらと減っていく。
 今や『隊を脱するを許さず』の局中法度は完全に有名無実の法度になっていた。
 この状況下でいちいち脱走者に追っ手をかける余裕もない。
 戦う意思のない奴は邪魔だ、放っておけと幹部たちは言っているが、女の指揮下に入るなど堪え難いという理由で去って行く者もいる。そしてそれを堂々と『これは脱走ではない、誇りの問題だ』とうそぶくものだから、 ももう苦笑するしかなくなっている。
 冬の乾いた空気に飛ばされた土埃を浴びて薄汚れた顔や首筋を井戸端で濡らした手ぬぐいで拭って、 は部屋に入らないまま縁側に腰掛けた。

「風邪をひきますよ、 さん」
「……千鶴ちゃん。 そっちこそ寝れる時に寝ておかないと」
「はい。 ですから部屋を暖めておきました」

 騒がしいと少し不安になりますし、今日は一緒の部屋で寝ましょうという千鶴に、 はかなわないなぁといった様子で微笑みを返す。

「雑用や幹部の皆さんのお世話なら、新しく入った皆さんが頑張ってくれています。 だから私も少し休ませてもらうことにしました」
「そうか……あの子たち逃げてないのか」

 例え実際に修羅場に出た事がなくとも、変な理屈立てて出てった野郎どもよりもよほど芯が据わっていると はうっすらと微笑む。
 あの子たちというのは、去年の秋から今回の伏見の募集にかけて加わって来た者たちの中でも特に若年の者たちだ。
 数え年で十二や十三という子供をいきなり戦闘配備につけるほどここの連中も鬼ではないが、隊士を選ぶだけの余裕があったころなら彼等のような若すぎる者たちを引き入れはしなかっただろう。
 とにかく上の指示に従って頭数をそろえなければならなかった結果だ。
 彼等も後方に配置去れた時に、自分たちも剣を振るって戦う事をお許し下さいと必死に訴えたが許可されず、またもここで が引っ張りだされた。
 もう知ってると思うが『女』のこれ相手から一本取れたらついてきてよろしい、と仏頂面で土方が言うものだから、負けてなるものかと少年たちは遮二無二かかってきた。
 中には鋭い太刀筋の者もいたが、いかにも道場剣術という感が抜け着れず、持たされた刃引きした刀で竹刀と同じような戦い方をするのだからいっそ微笑ましかった。
  から一本取れるはずもなく全員が打ちのめされ、近藤や土方に分かったかと言い諭されて、少年たちはしぶしぶと小姓役として後方任務についた。

 そんな彼等を取りまとめているのは、他でもない、千鶴だ。
 もう長い事幹部たちの身の回りの世話をつとめ、裏方仕事にも慣れている千鶴。
 その持ち前の明るさや人の良さに、ギスギスした雰囲気の大人たちの中で少年たちも警戒心や緊張が薄らぐのか、少年たちもよくなついていた。
 裏方、雑用といえども役にたちたいという少年たちの必死の気持ちがよくわかる千鶴も、こまごまと彼等の面倒を見る。
 実質千鶴や彼等がいるから、裏方は彼等と小荷駄にほぼすべてを任せて、戦える者は全員が前線に出られるようなものだ。

 そして少年たちは、 に負けたのが世程悔しいのか、暇を見つけては『もうひと勝負!』と挑んできたりする。
  も付き合いが良いものだから、やれるもんならやってみろとばかりに勝負を受ける。
 少年たちの元気の良い声が僅かながら屯所のギスギスした雰囲気を癒すのか、見かけた者が『お前等私闘は切腹だぞ』や『負けそうなら加勢するぞ』と笑顔とともにからかいまじりの声をかけられたりもするようになった。

「ん?……もしかして、また振るい落としに使われてるかね、私」
「……ああ、そういうことですか! でも助勤ってことは頼りにしてるのも事実だと思います」
「性格歪んでやがるな鬼副長め」

 女の指揮が嫌だなんぞといって逃げ出すような輩は子供等よりも根性が足りん、どうせ戦場で役には立たないからとっとと出ていけと言う事のようだ。

「こりゃ、子供等に一度も勝たせないまま討ち死になんぞしたら恨まれそうだ」
「そうですよ、ですからどんな激しい戦になっても、絶対に戻ってきてください」

 私はここにいて、皆さんのためにできる事を精一杯しながら待っていますから。
 そう言って穏やかな笑顔を浮かべる千鶴の表情を、 はまじまじと見つめてしまった。
 戻る所、守るべき場所にこんな柔らかな微笑みがあったのでは、おちおち負けてなどいられない。 そう思わせる不思議な微笑だった。

「……ほんと、参ったなぁ……」
さん?」

 あらためて自覚させられる。
 近藤には悪いが、顔も見た事のない将軍や幕府の権威などを守るよりも、こうして側で、必ず戻ってこいと力付けてくれる存在こそ、自分が守りたいものなのだと。
 手を伸ばして触れるもの、届くもの……自分の刀はそういった者たちのためにあるほうがより相応いのだろう。
 そう思わせてくれる千鶴の存在に、柔らかい強さに敬意に近い憧れすら感じる。

「ねえ、千鶴ちゃん」
「はい?」
「聞いておいてほしいことがあるんだけれど」
「遺言なら聞きませんよ」

 叱る表情になる千鶴に、違う違う、と はあわてて手を振って否定する。
 聞いておいてほしいのは、自分がこれからやりたいことや他愛のない夢、そういった事なのだと言うと、そういう事ならいくらでも、と千鶴もにっこり笑った。

「そうだなあ、落ち着いたら取りあえず故郷に戻って、放置しっぱなしの家を何とかしなきゃな。 菜園も酷い事になってるだろうから片付けて……。 江戸にも一度本格的に遊びに行ってみたいな、面白そうだから、男装と女装で写真撮るのもやってみたい。 あと、料理はともかく針仕事はてんで駄目だから、いちどじっくり覚える時間を取りたいなあ。 それといずれはどこか景色と空気や水の綺麗な場所で静かに暮したいよ」
「お針でしたら、私が教えられますよ」

 こう見えても、仕立ての腕はなかなかです、という千鶴に、 はそういえばよく隊士たちの繕いものなどを自主的にやっていたなと思いだした。
 ぼろぼろになりやすい稽古着の袖などに刺し子を入れて丈夫にしたり、なおしてもらった袴の裾の縫い目が二重にしてあって、激しい動きを繰り返しても簡単にほつれたりしないようにしてあったりと、細かい気遣いも加えていた。
 そういえば、今着ている小袖も千鶴に襟を直してもらったものだ。

「じゃあ、教えてもらえる? 私じゃ何を縫っても雑巾が関の山でさあ」
「ふふっ……」
「千鶴ちゃんは、落ち着いたらやってみたい事とかある?」
「そうですね、このまま新選組の皆さんと一緒にいるにせよ居ないにせよ、一度本格的に医術を学んでみたいと思っているんです」

 この時代、女医というのは珍しい。
 『中条流』という必要ではあるがあまり褒められた部類ではない分野にこそ集中しているが、本格的に学ぶとなると女の身ではなかなか難しいものだ。

「将来、心から好きになった人の側に居たいのはもちろんですけれど、好きな人に甘えてばかりでも負担になると思うんです。 私がしっかり身をたてられる何かを持ってこそ、隣に居る人も思いきった事ができるようになると思うんです」

 だから、まだまだ頑張りますし、この戦で死ぬ気は微塵もありませんと千鶴は朗らかだ。
 戦争になるのは恐いが、大好きな人たちのために今できる事をしなければ、将来の夢もまた意味のないものだという千鶴に、 も深く頷いた。

「そうだね、夢もやりたい事もあるんだし、おちおち死んじゃいられないか」
「はい。 ですから、今自分が居る場所向かう場所で、できる事を精一杯やりましょう。 今まで、新選組の皆がそうしてきたように」

 本格的に冷えてきたので、二人で温かい室内に入り、しっかりと休む事にした。










 三日。

「あちらさん、せめて正月の松飾りが取れるくらいまでは大人しくしててくれないもんかねぇ」

 見回りの仕事を終えて休憩がてら、台所の方で握り飯をほおばっていた は、土間と板の間の段差の所に腰掛けてそう呟いた。
 裏口から差し込む光をぼんやりと眺めていたが、背中側にある板の間と廊下を隔てる扉のあたりに複数の気配を感じた。
 気付いたがそしらぬフリでにぎりめしの最後の一口を飲み込み、茶で口の中をうるおす。

「スキありーーー!」

 とん、と湯飲みを脇に置いた瞬間に、背後の気配の主が一気に間合いをつめて飛びかかってくる。
  は背後も見ずにひょいと立ち上がり、竹刀が空気を切った瞬間半歩右に移動しつつ左足だけで一歩前に出、その動きの最中に脇差しを抜くと、踏み出した左足を軸に体を勢い良く半回転させ、背後の襲撃者にピタリと刃を突き付けた。
 流れるようなその動きの中でさえ、万が一にも相手を斬ってしまわないように手のうちで刃の向きを変えてつきつける側を峰にしておく余裕もある。

「残念でした、と。 複数でかかってくるとか表と裏で挟み撃ちにするとかしなさいって。 卑怯なんて言わないよ」

 竹刀を振り下ろした格好のまま、また一本取れなかったと悔しさに頬を染めるのは、幹部の小姓を任されている少年たちのひとりだ。 もうひとりが、ああ惜しかったというふうに戸の所で肩を落としていた。
 おそらくは、無防備にしているのを見つけたから、誰が襲い掛かるかくじ引きでもしてやってきたのだろう。
  も、仕事中と睡眠時間の他は自由に竹刀で打ちかかって来てよし、一本取れたら前線で戦えるように上に掛け合ってみると彼等に言ってあるので、仕掛ける方もやる気が増している。
 竹刀でさえ一本取れないようでは前線に出しても死ぬだけなので、 もけっこう本気だ。

「……仕事終わってるのがいたらつれといで。 勝手口の裏が空いてるからちと腹ごなしでもしよう。 ついでに私の分の竹刀も一本持って来てくれないか」

 そう言うと、悔しそうだった少年たちはたちまち機嫌を直してさっきとは別の意味で頬を紅潮させ、すぐに参りますとぱたぱたと足音をさせて廊下を駆け戻っていった。

 仕事が終わっている数人が竹刀を携え、襷がけまでして気合い入れてやってきた。
 もう彼等も分かっているが、 は道場でやるような型にはまった稽古はしない。大体が屯所を戦場に見立てての追いかけっこ形式だ。
 今日も勝手口から始まって、あちこち走り回る。

「精が出るな」
「あ、お帰りなさい原田さん」
「ほどほどで切り上げて広間に来いよ、会議がある」

 門前で、見回り帰りの原田と行き会った。
 走っていた所を少しだけ立ち回り、短いやり取りを交わす。
 後ろから、待て待てと少年たちが追い掛けてきた。
 その様子を見て、原田は悪戯心を起こしたのか、ちらりと に目配せする。
 自分もちょっと混ぜろと言っているのが分かって、 は小さく頷くと原田から少し距離を取って背の高い植木を背中に取った。
 追い付いてきた少年たちは を取り囲み、竹刀を向ける。

「五条助勤に加勢するぜ。 さあどうするお前たち?」

 突然後ろからかけられた声と、つきつけられた槍の穂先に少年たちがギョっと目を見開いた。
 十番組組長の原田が悪戯っぽく笑い、じりじりと距離を詰めて来るではないか。

「こんなのアリか、ずるいじゃないかってのは言いっこなしだぜ。 戦場じゃいつどこで横やり増援が来るかわからねぇんだからな」
「さてと、どう判断するかしらね? 4人掛かりでひとりを確実にしとめるか、それとも別の手段を取るか……?」

 少年たちが状況の変化に戸惑い、おろおろと視線を交わしているうちに原田が後ろでにんまりと笑った。

「判断が遅い!」

 くるりと槍を一回転させ、柄のほうで二人の少年たちの手元を叩き、竹刀を落とす。
  も背後のほうに回った二人の間に目にも止まらぬ速度で踏み込み、片方の小手に打ち込んだかと思うと返す動きで体を回転させながらもうひとりの胴を薙ぎ払う。

「勝負あった、と。 お前たち、そろそろ普通の仕掛け方やめてみな。 足かけ蹴飛ばし何でもアリで上等だ」

 実際の修羅場はそれ以上に何でもアリだからなと、原田は少年たちそう声をかけて建物の中へと入っていった。

「会議だっていうから、今日はここまでな。 またいつでも掛かってきな」

 それぞれ地面にしりもちをついたり撃たれた場所を押さえる少年たちをその場に残して、 も建物の中へと向かった。

「原田さん」

 廊下の途中で原田に追い付いて、隣に並ぶ。
 原田は足を止めて、難しい顔でひとつ頷いた。

「子供らも、気付いてるな……」
「ええ、今日は朝から戦支度で忙しいし、隣の会津陣営もいつも以上に殺気立ってる」

 不安を紛らわすかのように、いかにも調子が上がった様子で追い掛けてきた様子から、子供らもそう見えなくてもピリピリしているのだと察する。
 実際、今日は朝から戦支度が進められている。 隊士たちは永倉の指示で武具を揃えたり銃砲の準備をしたりと忙しく、子供たちも裏方の準備を手伝っていたはずだ。
 だが、子供たちにできる事は限られている。
 かといって大人たちの邪魔にならないように部屋に閉じこもっているだけも辛かったのだろう。

「見回りの時に会津兵に聞いたんですけれど、大坂の幕府軍がこちらへ進軍してきてるんですって?」
「ああ。 そいつは俺もあっちに行った時に聞いたけれど、何でも随分な大軍らしいぞ」

 逆に、薩長連合軍の数は、多く見積もっても五千程度、幕府側は大体その三倍は集まりそうだということだ。

「数にびびって引っ込んでくれますかねえ」
「引っ込まなけば頭がおかしいだろう。 小規模の切り合いなら自分の腕ひとつで三対一だろうが切り返せるが、軍隊相手じゃそうもいかねえ」

 とはいえ頭のネジ飛んだ連中だからなと が辟易した表情をみせれば、原田も苦笑する。
 そして、 の背をポンと叩いた。

「どうせ戦になるだろうが、お前はあんまり前線に出たりすんなよ。 やっぱりお前は、さっきみたいに子供たちと笑ってるのがよく似合ってる」
「原田さん」
「理由はどうあれ、男がいながら女を前線に出しちまうなんて情けねぇしなあ。 まして今回は、市中巡察の時みたいに腕一つで切り抜けられる戦場じゃねえ」
「……随分前にも、同じようなことを言われたような気がします」

 でもそれでは、土方さんが私を助勤に移動させた意味がないのではと が言うと、原田は分かってないなというふうに首を横に振った。

「あの人にとっても苦渋の選択だったと思うぜ。 かといって今は戦える奴は一人でも無駄にできねえ。 けどまぁ、俺たちがお前に出番が回る前に全部片付けてやるからよ」

 大船に乗ったつもりでいろやと、原田は の背をもう一度背をポンと叩く。
 始まればそんなことも言ってられない厳しい戦況になるだろうに、そう言ってくれる原田の気づかいが嬉しくて、 は思わず片手で胸元を−−ちょうど原田が叩いた背の裏側あたりの部分を押さえて目を細める。

「ええ、じゃあお言葉に甘えて楽させて−−」

  の語尾に重なるように、地を揺るがす轟音が響き渡り、建物がビリビリと振動した。

「何だ、砲声か!?」
「まさか、始まった!?」

 屯所の中が一気に騒がしくなる。 広間の障子が勢い良く開いて、永倉が飛び出してきた。
 続けて、斎藤、山崎、井上、土方と次々に幹部たちが駆け出してくる。

「お前等! ちょうどよかった、隊士どもに戦支度を急がせる、手伝え!」

 後に戊辰の役と呼ばれる戦、その趨勢を決定する鳥羽・伏見の戦いの幕は、一発の砲声によって切って落とされた。










◇◇◇◇◇











 戦況は幕府軍にとって不利、いや圧倒的に分が悪かった。
 人数が遥かに少ない薩長連合軍だったが、軍隊としての練度は並でなく、また装備している銃砲の火力も半端ではない。
 大砲・鉄砲の射程は恐ろしく長く、命中率も良い上に、鉄砲に至っては連発の利く最新式だ。
 装備も幕府軍の戦国武将さながらの重装備に比べて、洋装で統一した薩長軍は身軽で、幕軍が銃撃の合間に切り掛かろうとしても素早く撤退し、また刀の届かない離れた位置から銃撃を仕掛けて来る。
 重装歩兵が主力の幕府軍は、追い縋る間にも次々と銃弾に貫かれ倒れてゆく。
 新選組の陣取る伏見奉行所にも、隣の高台にある龍雲寺の薩摩軍陣地と、本陣・御香宮からひっきりなしに砲弾が飛んで来て、建物を破壊し地面を抉る。
 伏見市街にも次々と砲弾が着弾し、建物にも火がつく。

 大砲がただの鉄の玉を飛ばしてくるだけなら被害はさほどではないのだが、中に火薬を詰め込む炸裂弾、火で赤々と熱してある焼弾も打ち込まれてくるからたまらない。
 炸裂弾は周囲に破片が飛び散って被害を拡大させ、焼弾は破壊力が強いだけでなく火花をまき散らし、水をかけた程度では簡単に熱は取れない。燃えやすいものの上にでも落ちたら即・火事だ。

「火を消すんだ! 水がなければ砂でも土でも被せろ!」

 屯所に残った幹部として指揮を取る井上の声が響く。 屯所固めとして残った五・六番隊の隊士だけでは手が足りず、屯所に残った少年たちも必死に駆け回り火を消し止めて回っている。
 陽が落ちた時に火事になっていれば、高台にある敵陣から奉行所の場所がまるわかりになってしまうだけでなく、炎に照らし出される格好でこちらの行動もいちいち筒抜けになってしまうだろう。

「龍雲寺からの砲撃がやまないな……皆、たどり着けなかったか」

 本陣までは距離もあり敵兵の配置も厚い。 せめて高台から好き放題に打ち込まれる状況だけでも止め、ついでに大砲ぶんどって来てくれようと出ていった土方率いる主力は、まだ戻ってこないばかりか砲撃も止まない。
 この時間になっても駄目だということは、失敗したし被害も相当出たなと、井上を手伝っている は彼と同じ方向を見上げる。

「うわっ、また焼弾か!」
「あちらさんも、陽が落ちる前に火事にする気満々だね」

 ほどなくして焼弾が着弾し、建物のどこかにぶつかったらしく雷が至近距離に落ちたような激しい炸裂音が響いた。
 耳を劈く音にも慣れてしまい、顔をしかめるよりも早く を含め数人が手に持った桶やら土の入った袋やらを持って音のした方向へ駆け出す。
 その時、見張り櫓の上に居た隊士が出撃していた土方たちが戻ってきたと大声で知らせてくれた。
 それと同時に、薩摩兵らしき一団が彼等を戻らせまいと進路に向かっていることも。
 さらには、伏見奉行所の門前にも薩摩兵が移動してきている。
 どちらも出撃隊の帰還を阻み、門前を占拠するつもりらしい。

「五番隊、屯所門前に来ようとしてる一隊をたたっ斬りに行くぞ! 副長たちの帰還を邪魔させるな」

  を戦闘に、五番隊十数名が屯所の門を飛び出した。
 五番隊はかつて武田が率いていた隊だが、今は武田が死に隊長不在となり、普段は井上が六番隊と一緒に率いているのだがここでは が預かる事となった。
 正面から行ったのでは相手は銃を持っているので近付く前に蜂の巣にされてしまう。五番隊は薩摩兵の進路の脇の民家の影に入り待ち伏せ、近付いてきた所を横合いから一気に切り掛かった。
 接近戦に持ち込めば新選組のほうが圧倒的に強い。
 薩長の兵は皆銃撃戦を前提としての軽装なので、近付いてしまえば斬り放題だ。
  率いる五番隊はたちまちにして自分たちの倍以上の人数を斬り伏せ撤退させ、そのまま今頃帰還を阻んでいる隊と接触しているだろう出撃部隊への援護に回った。
 駆け付けた時、伏見奉行所に続く道を塞ぐ形で土方を戦闘とした出撃部隊と、数十名の薩摩兵が交戦状態に入っていた。

「副長! 無事ですか!」
「五条!?」

 薩摩兵を挟み撃ちにする形で出撃部隊と合流した五番隊は、銃を使わせてなるものかと薩摩兵の背後から切り掛かる。
 新選組の出撃部隊は負傷者も多く、出撃した時よりも随分数も減っている。
 実質斬りあいができそうなのは今居る半数にも満たないボロボロの状態だ。

「負傷者を先に行かせろ! 奉行所は無事なんだろうな!」
「何とか雨風しのげる程度には!」

 土方の声に、 も大声で答える。
 実際は屋根は砲弾で穴だらけ、庭はボコボコ、随分風通しがよくなり冬場の暮らしには向かなくなっているのだが。
 無事な隊士達に守られるようにして後ろについていたけが人と、彼等を庇う数名が薩摩兵の脇をすりぬけて奉行所に戻ろうとする。
 もちろんそんな動きを許すかとばかりに薩摩兵が彼等を阻み死体に変えようとするが、五番組が背後からそれを阻み行かせない。
 怪我人たちは次々脇をすり抜けて奉行所に達し、まだ動ける出撃組と合流した五番組も薩摩兵に鉄砲を使う暇を与えず押し包んで斬り伏せ、後をおいかけた。

 中にいた井上が門を開けて皆を引き入れ、全員が入った所で急ぎ門を閉めて頑丈な閂をかける。
 その直後、またも焼弾が飛んで来て物置きのある辺りに落ちたが、出撃した者たちにしてみれば自分たちの拠点の門の中に入れたという安堵のほうが大きい。何とか戻ってこれたと、門の中に入ったとたんにへたり込んでしまった者たちもいた。
 土方をはじめ幹部たちは、散々砲弾を打ち込まれた奉行所の惨状に低いうめきを漏らしたが、命からがら戻って来た隊士たちに、まとめて砲弾に吹っ飛ばされないように、闇が降りてむこうの狙いがつかなくなるまで分散して身を隠していろと指示した。

「……おかえり、トシさん」
「すまねえ、源さん。 土産は、なしだ」

 本当なら大砲の一台でもブン取ってきたかったが、龍雲寺陣地に近付く事すらままならなかったという。

「広間の屋根はまだ無事だから、そっちへ入ってくれ。 隊士の諸君も、それぞれ屋根のある所を探して休んでいるといい」

 幹部たちも、隊士たちの前ではまだ立っていられたが広間に入るなりそれぞれ床に転がったり壁を背に座り込んだりと疲労困憊の様子を隠せなくなった。
 小姓たちがぱたぱたと足音をさせながらやってくる。
  は広間の障子を開けて顔を出し、彼等に『何か飲むものと盥や鍋に水、あと手ぬぐい持ってきて』と指示を出した。
 本当なら湯で血や泥、煤にまみれた顔だけでも拭わせてやりたいのだが、大きな火を焚いていられる状態ではない。
 冬場の冷たい水でこびりついたものを拭うのは辛かろうが、酷い戦場から戻ってきた男たちからはそれを気にするだけの余裕は失せていた。
 それでも土方は男たちを見回し、きっぱりと言った。

「闇を待つ。 あの砲撃を止めさせなきゃ勝ち目はねぇ」

 高台からこちらの本陣にも突撃隊にも好き放題打ち込まれ、刀をふりかざして斬り込む前に薙ぎ倒される。
 ともに斬り込んでいった会津兵たちも重装備で坂をかけあがるのをいい的にされ、次々と鉄砲の餌食になる。
 勇猛な会津兵が味方の死体を乗りこえて突撃を敢行しようとしても、薩摩の使っている銃は元込め式で連発が利くので、その暇すら与えてくれない。
 だが、鉄砲も大砲も照準を付けるのは人間だ。
 ならば闇がおりれば周囲は見えなくなる。鉄砲の命中率も落ちる。そこに賭けるしかない。
 負傷兵の数が多く、龍雲寺と御香宮に分散させることはできない。 なので森に囲まれ少数の兵なら身をひそめて接近しやすい龍雲寺陣地のほうは、羅刹隊に任せる事になった。
 彼等であれば銃弾の一発や二発では倒れないし、夜間ともなればそれぞれが普通の人間の数倍もの力を発揮する。

 出陣を乞われた山南は、得たりと頷いて穏やかな表情の中、目だけに底冷えのする狂気じみた光を宿らせる。

「薩長の者たちが夜が来るごとに我ら羅刹隊の恐怖に怯えるよう、心胆寒からしめてやりましょう」
「じゃあ、突撃のほうは俺に任せてもらおうかい」

 敵陣にまっ先に突っ込む突撃隊の先頭は、永倉が志願した。 彼は、病が重く大坂で療養中の沖田に代わり一番組もあわせて率いている。

 さらに土方は指示を出し、一番〜四番隊を突撃隊、五、六、番隊を屯所の守り、七〜十番隊を銃や敵陣脇からの挑発攻撃など突撃隊援護に回した。
 やがて闇が降りて、銃声も砲撃も一旦止む。

「動ける者を集めろ、打って出る!」

 めちゃくちゃになった庭に集まった隊士たちに、闇に乗じて敵陣まで辿りつければこちらに利がある、斬って斬って斬りまくれと激を飛ばす土方。
 未だ士気衰えぬ新選組の面々は、意気揚々と奉行所から出陣していった。

「では、私たちも行って参ります。 五条君、源さんと一緒に留守を頼みますよ」
「銃や大砲ぶん取って来るとかしなくていいですから、無事に帰って来て下さいよ」

 裏口から出陣する山南たち羅刹隊を見送る はそう声をかけると、それが冗談に聞こえたのか、山南は小さく声を立てて笑い、腰の刀の柄をポンと叩いた。

「大丈夫、我々を何だと思っているんですか? 不死身の羅刹ですよ」
「……行ってらっしゃい」

 闇にするりと溶け込むように消えていく羅刹隊十数名の背を見送り、 は不安の混じったため息を零した。
 ……何か嫌な予感がする。
 予感はするが、守備を任されたからにはきっちり働かなくては。 出撃していった者たちの戻る場所を無くしてしまう訳にはいかないのだから。
 奉行所内には身動きが取れない負傷者もいる。彼等だって守らなければならない。
 まずは消火用の水や土を用意するべく、 は奉行所の中に取って返した。




 前へ / 薄桜鬼・トップに戻る / 次へ