羅刹女 ---22---


 油小路の一件から、二日目の夜。
 弟はまだどうやら生きているらしい。
  も意識を取り戻したあと松本の診察を受け、二、三日は安静にとのお達しを受けてしまったので大人しくしている。
 あれから頭痛はすっかり抜けたのだが、良いというまで幹部の部屋のあるあたりから出てくるなと言われてしまって、手持ち無沙汰な時間を過ごしている。

 沖田は無理が祟って到底床を上げられない状況で、もうすこしマシになるまで見舞いも受け付けてもらえそうにない。
 あれは自分のせいではないと言われたが、やはりどうしてもあの時どうしてあんなふうに動いたのか、聞いておきたい事もあった。

「五条君、入っても良いかね?」
「あ、はい」

 閉めた障子の外から聞こえてきたのは、局長・近藤の声だ。
 袴をつけない着流しの上からどてらを着込むだけという締まりのない格好をしていた は、こんな格好をみせて申し訳ないと一言詫びてから、近藤の火鉢の側を勧めた。

「いやあ、すまんな。 所で、体調のほうはどうだ?」

 訳のわからない薬をかがされて意識を失ったと聞かされたから、随分心配したと言われて、 はもう大丈夫だからと頷いてみせた。
 頭痛も手足のだるさも妙な痺れも抜けたので、明日には床をあげて隊務に復帰しようと思うというと、近藤はそれなんだがなぁと苦笑を見せた。

「すまないが、良いというまでちょっと休んでいてくれないかな? 実は君の弟君の詮議の件で山南さんが一計を案じてね……」
「え?」
「ああ、痛めつけたりはしていないから安心してくれ。 まっ先に手を出しそうな新八や左之助も、君に良く似た顔をみてるとどうも手出しをしづらいらしくてなあ」
「多少変型させるくらいじゃ構いませんよ?」

 度のすぎた悪戯の責任くらいはとらせて構わないと が言うと、近藤は呵々と笑った。

「山南さんが一計を案じたって、一体何をしてるんです? そちらのほうがよほど不安なのですけれど」
「それがだなあ……」

  が意識を失っている間にどういうことになっていたのか、近藤はかいつまんで教えてくれた。









◇◇◇◇◇









 捕らえられた五条 の詮議は、彼が変若水の研究者で、新選組が行方を追って居る雪村綱道の助手をつとめているということもあり、新選組側の研究者でもある山南が動けるようになる時間を待って行われた。
 廊下から幹部隊士が見下ろす中、厳重に縛り上げられたまま庭土の上に転がされても、 は微塵も動じていなかった。
 名前の他は一つも情報なんて喋るものかとそっぽを向いていた だったが、何でもいい、父の事を教えてくれと縋る千鶴の様子には少し気の毒になり、差し障りのない事だけは教えてやった。

「西国諸藩でも羅刹の研究をしていたのは本当だし、それを引っ張っていたのは綱道さんだけどね。 変若水と羅刹の研究は中止するお達しが出てるよ。 だから君のお父さんも、遠からずあの研究を続けなくても良いようになる」
「……じゃあ何で父は新選組を出ていったんでしょう」
「俺が綱道さんに聞いた所によると、あんまりにも非人道的な研究の上、お上の命令だからって何の躊躇いもなく人体実験に踏み切る連中の所にいるのが嫌になって逃げだしたそうだよ。 幕府と敵対する長州をはじめとする西国諸藩に幕府がこんな酷い事してますよって情報を流そうとしたんだけれど」

 綱道の情報と研究、そして技術を重用視した西国諸藩は、幕府とは違った『羅刹』の有効運用をするという条件で綱道に研究費と施設を与えて独自の研究開発を押し進める事にしてしまった。
 西国は、外国との取引きもあるしもともと外来の薬だという変若水について外国人から直接情報を得られる機会も多い。

「……最初は西洋の医薬品に代わる傷の特効薬に出来ないかとか、不治の病を治せないかとか研究したり、軍隊で瀕死の重傷を負った人を生かさなきゃならない時にやむなく使われてたんだ。 本当だよ」

 嘘ではなかった。
  はその頃助手に入ったのだから。

「……父は、強制されてやっていた訳ではないのですか……?」
「幕府の裏事情流そうとして、逆に研究しろって命じられたんだから半ば強制みたいなもんだけれどね。 ……それでも、兵器を作るような使い方でない道を模索できるほうが良いって言ってた。 研究の内容が内容なのと、事情があるから君を迎えにいけないのが本当に気になってたみたいだけれど」

 自分には江戸に置いて来た娘がいる、今頃どうしているだろうか、この御時世に娘が長い事独り暮しなどどれほど不安にさせていることだろうかと、話す時、綱道は心を痛めて深いため息を吐いていた。

「俺が教えられる事は多くないけれど、娘の君を心配していたってのは本当だよ」

 こんな状況だというのに、 によく似た顔が目の前で微笑むと妙な安心感を覚えてしまう。
 千鶴はうっすらと目元に滲んで来たものを拭う。

「もういいだろう、下がれ、雪村。 今度は俺たちが聞く番だ」
「……はい」

 まったく温度を感じさせない土方の声が一段高い縁側の上から響く。
 どっしりと座った近藤の少し後ろで両側を固めるように土方と山南が立っている。

「……姉さんの助けは期待すんなよ。 それと百たたき程度で済むと思うんじゃねぇぞこのクソガキ」
「いくつか質問させてもらいましょうか。先程の雪村君との会話から、あなたが綱道さんの所で変若水の研究助手をしていたということはわかりました。 ではその助手だったという事実を証明する方法はありますか?」

 妙な事を聞くもんだ、と は首を傾げた。
 視線を動かすと、庭に寒い時期に花をつける山茶花の木があることに気付いた。

「あの山茶花の緑の葉っぱ、擂り鉢ですり潰して変若水一滴垂らしてみろよ。 元の葉っぱに戻ろうとするよ。 使ってる変若水の毒性の強さによっちゃ白い灰みたいになるけど」
「そうですか、かなり立ち入った研究をしているようですね。 ではもうひとつ、こちらの羅刹の正気を一瞬にして飛ばしたものの正体ですが」
「教える義理なんかないね」

 穏やかに質問をする山南の横で、土方のこめかみにハッキリと青筋が浮かんだ。
 何というか、ここに来た頃のふてふてしい の様子とそっくりで、当時を思いだすと憎たらしいが、あの女の事を色々と知った今は妙に可愛らしく思えるやら。

「では質問を変えよう。 君は五条 君、我々が身柄を預かっている五条 君の実の弟、間違いないな?」

 正面に座った局長・近藤勇の言葉に、その通りだと は頷いた。

「新選組に姉が居ると知り、身柄をとりかえすために鬼が起こした騒動にまぎれて侵入してきたが、総司にやられて気絶してしまった」
「その通りですよ」
「無茶をしたもんだなあ。 正面から用件を言って訊ねてきてくれれば、我々とて話がわからんわけではないのだからいきなり捕まえたりはせんかったぞ。 たとえ君が敵対する長州に属する身であってもだ。 家族に会う会わないくらいの融通くらいはどうとでもなる」

 困った事をしてくれたなあ、という表情の近藤の前で、 は心の底から『どうだか』と思い、その思いを顔に出していた。

「君は置き手紙一枚残して、故郷を飛び出したそうじゃないか。 姉さんは君を心配して京まで追い掛けてきて我々と出会った。 そして、剣の腕前を我々に貸してもらう代わりに、我々は頼る者もない京や西での君の行方を探すのを手伝う、そういう事になっていたのだよ」

 そういう交換条件の元働いてもらっていた事情を知らないで、こんな所に置いておけないと乗り込んできたのだろうと言われてしまってはさすがに返す言葉もない。

「新選組の屯所に忍びこんででも姉さんを助けなければという勇気と度胸は認めるが、こちらも君が裏でやってくれた事でかなり迷惑を被っておる。 それについての詮議は容赦せぬぞ」
「フン、何聞かれたって答える事なんかあるもんか」

 あかんべー、と憎たらしく舌を出す の様子に、今まで黙って様子を見守っていた永倉がキレた。
 つかつかと の所に歩み寄ると、片腕で胸ぐらをぐいと掴みあげる。

「……っ、ちくしょう、殴りづれえ顔してやがるな!」

 吐き捨てると同時に、縛りあげられて抵抗できない体を引きずり立たせ、思いきり地面に叩き付けた。
 一旦跳ね、芋虫のように転がった の鼻先の地面にドスリと槍の切っ先が突き刺さる。
 視線だけで見上げてみれば、冷めた表情の原田が見下ろしていた。

「姉さんを守りたい気持ちは分からんじゃないがな。 度がすぎりゃあ何だってよくねえ。 あいつが今どういう状態になっているかわかってんだろうな」

 原田は、 がどれだけ弟を心配して気落ちしていたかよく知っている。
 もう随分さがしていた弟とようやくまともに話ができる機会だってのに、彼女がここに居ない理由。

「……いまだに意識がもどらねえ。 松本先生曰く、てめぇが使った妙な薬は、使い方をあやまれば息ができなくなっちまうような劇薬だっていうじゃねえか」

 それをよくも、大事な姉さんに使えたもんだなと原田は怒っている。
 倒れた背後から、首筋にひやりと刃が当たる。
 斎藤がいつのまにか近付いて抜刀し、月光にぎらつく目で を見下ろしていた。

「彼女が今まで新選組に見せてくれた誠意にかけて、こちらも動くまでだ」

 黄泉路も独りでは寂しかろうし、あれだけ心配し探していた弟が道連れとなれば多少は喜んでくれるかもなと、斎藤の口調はどこまでも本気だ。

「雪村君、君は中に入っていなさい。 皆、ほどほどにとは言わないが、あまり感情的にならんようにね」

 井上が、ハラハラと様子を見守っていた千鶴の肩を抱くようにして室内に入っていく。 大丈夫だからと井上は言うが、千鶴の目にはどう見ても大丈夫な様子には見えなかった。
 集まった面々の中ではもっとも穏便な井上まで、『ほどほどにとは言わないが』などと言うようではこれからどうなることやら。
 庭に面した所にいる幹部たちとは別に、少し廊下の奥に下がった場所で様子を見守っていた山崎は、そういえば はどうしているだろうと気になりそっとその場を離れた。
 見つけた直後は、それこそ揺すっても叩いても大声で呼んでも目を覚まさず、肝が冷えた。
 松本医師曰く、眠っているのは薬によるものだから呼吸がおかしくならない限り温かくして安静にさせておけとの事だったが、そろそろ意識を取り戻していないだろうか。
 詮議のほうは任せても大丈夫そうだったので、 の部屋で暫く様子をみていると折よく意識を取り戻してくれた。
 一通り世話をやいたあと、詮議の続いている庭に戻ろうとすると山南が一旦こちらの様子を見にきたようで、廊下で行き会った。

「五条君の様子はどうです?」
「山南総長。 はい、意識は戻りました。 頭痛や吐き気などの後遺症が酷いようなのでもう一度寝かせましたが」
「まだ、動かせる状態ではなさそうですね」
「というか、動けぬでしょう」

 それよりも詮議が行われていると知った状況でよくもう一度寝直しましたねと怪訝な表情をする山南に、山崎も同意の意味で頷きを返す。
 少し前だったら、頭が痛かろうが吐き気がしようがそんなもの気力でねじ伏せて、刀をひっつかみ突撃してきそうなものだが。
 そう言うと、山崎もその様子が目に浮かぶのかため息ひとつついていた。

「しかも軽く締め上げてしまって構わないと言っていますからね。 新選組における『軽く』の程度を知らない訳ではないでしょうに」
「何といいましょうか、まぁ……彼女も丸くなったと評するべきでしょうか」

 それとも我々もその程度には信用されているという事でしょうかと、山南は好意的に受け取っておく事にした。

「それよりも、総長。 詮議のほうは大丈夫なのでしょうか。 彼がそれなりに重要な立場にあり、変若水の関係者だとすれば誰かが奪還に来てもおかしくないのですが」
「ええ、なので早急に有益な情報を吐かせてしまいたいのですが、あの姉上の信頼の手前、あまり荒っぽい事もできないとなりますと……」

 そこまで言って、何か一計を案じたらしい。
 ふむ、と一つこぼして顎をひとなですると、山南は山崎にちょっと耳を貸すように言った。
 囁かれたその内容を聞いて、山崎はもともと細めがちな目を思いきり丸くして驚いてしまう。

「局長や副長、斎藤さんはとっさに合わせてくれそうですが、永倉さんたちは本気にするんじゃないでしょうか?」
「ええ、皆少なくとも様子を見にくるだろうと思いますから、あなたがここで止めて事情を説明して下さい、そしてちょっとフリを合わせてくれと」
「……まぁ確かに有益でしょうが、五条君が聞いたら仰天しそうですな」
「なのでぐっすり寝てるうちに話をすすめてしまいましょう。 ではよろしく頼みましたよ」

 大丈夫そうなら枕元を騒がせる事はない、善は急げと山南は審議の場に戻っていった。





 詮議の場に戻った山南は、元の位置に座りなおし幹部の面々の顔を見回した。
 そして、いつもよりもさらに一段落とした声で、だがはっきりと告げる。

「……お別れがしたい人がいれば、今のうちに顔を見てきなさい」

 その場の空気が驚愕に凍り付く。 山南の言う事をまっさきに理解した土方が、まさか、と喘ぐような声を漏らす。
 山南は土方にちらりと視線を流し、頷いてみせた。

「皆が戻るまで、この場は私が預かります。 何、私は羅刹ですからね、今ここで鬼に殴り込みをかけられてもそれなりに時間は稼げますから安心して行ってらっしゃい」

 目の前に居並ぶ幹部たちが慌てた様子でばたばたと奥に去ってしまうのを見て、 のほうが驚いた。
 たかだか身柄を預かっていただけの女ひとりに、何という反応をするのだろうかと。
 山南は のほうを見て、軽蔑のまじった声をかける。

「愚かな事をしましたね。 君が使ったあの薬は、確かに彼女の戦闘能力を削ぐには有効でしょうが、度がすぎれば呼吸が麻痺し、重篤な場合になれば意識のないうちに心臓すら止めてしまう恐ろしい症状を引き起こすものだそうです」

 そのへんの男など十束ひとからげにあしらう剣の腕をもつ彼女を手っ取り早く無力化するためだろうが、使用量を明らかに間違えた結果、意識が戻らないまま呼吸も心臓も止まってしまいましたよと淡々と告げる。

「私が見に行った時にはすでに息をしていませんでした。 変若水が死者には効かない事は君も知っているでしょうがね」
「そ……んな……」

 馬鹿なといいたいのだろが、これは事実だと。
 そしてもうひとつの事実が見えるかと、山南は問いかけた。
 隊士がひとり死んだくらいで、幹部がガタガタと騒ぎ立てる事などない。むしろ仲間でさえ落ち度があれば容赦なく切腹させ、修羅場となればまっ先に死ねと突撃を命じるような場所だ。

「出会いの形はどうあれ、ここで働く事を選んだのは他でもない、君の姉上自身です」
「ふざけるな、俺が新選組の評判を知らないとでも思ってるのか! 変若水で人道にもとる実験をしてただけじゃない、命令とあれば善悪など関係なしに人を斬る、そんな場所で姉ちゃんに人斬りをさせなかったとでも言う気か!」
「おやおや、善悪を持ち出しますか? 立場によって変わるそんな曖昧なものを持ち出されても説得力はありませんね」

 西国諸藩にとって、幕府のすることが正義でないように我々にも君たちは邪魔者、幕府にとっての『悪』でしかないと山南は言い切った。

「今、幹部たちが顔色を変えたのを見たでしょう。 君の姉上はここで働く間に彼等の信頼を勝ち得たのです。 むろん、人も斬りました。斬られて怪我を負う事もありました。 それ以上に逃げる機会など何度もありました」

 人手の少ない巡察の時、状況が混乱して当たり前の出陣時、隊士募集のために江戸へいかないかと勧められた時、時々あった大坂出張……。
 下手な追っ手をかけた所で姉上の腕なら切り伏せて逃げる事だって可能でしたから、そうならずによかったと思いますよと山南は少しだけ微笑む。

「五条君は…… 君は、逃げませんでした。 君の事を心から心配しつつも、我々も裏切らなかった。 その結果が、あれですよ」

 それに、さきほど君に手荒な事をした連中、本気で怒っていたでしょうと付け加える。

「あなたが姉上を心配して、新選組になど置いておけるかと思った気持ちも分かります。 何といいますか、京の人に受けは悪いし、にっこり笑って人を斬るとかいう悪評もありますし、男所帯の上にけだものとばけものの巣窟ですからね、そこの所は否定しません」
「……」
「姉上のここでの立場も考えずに仕掛けてきたのはそちらの落ち度です。 居づらくなれば自然に出てくるだろうと思って噂を流したりもしたんでしょうが」

 ばれてたか、と は内心で舌を出す。
 そこまで話した所で、土方と斎藤だけが場に戻ってきた。
 不機嫌むき出しの表情で土方がどっかりと座ったので、山南が近藤や他の連中はどうしたのだと問いかける。

「……今こいつの面見たら、到底手加減なんか出来そうもねぇから、せめて枕元にいるとよ」
「そうでしたか。 雪村君はどうしています?」
「あいつに懐いてたからな。 大泣きしちまってそれどころじゃねぇよ」

 土方は縛られたままの を睨み据え、膝の上で握りしめた拳を震わせる。

「……この場でブチ殺してやりてぇが、ずっと弟を心配してたあいつへのせめてもの供養だ。 こっちの質問に素直に答えるってぇなら、骸は引き渡してやる」

 ただし、と土方は語調を強める。

 おかしな真似したり下手な嘘つきやがったら、なます斬りにして河原に捨ててやる、楽に死ねるとも姉ちゃんと同じ墓へ入れるとも思うんじゃねぇぞと底冷えのする声で脅しをかけた。






 ……で、実際はというと。
 山南の『お別れをしてこい』との一言にあわてて奥に行ったものの、待っていた山崎の説明を受けて、その作戦に乗る事にした。

「山南総長曰く、情報を得るコツは相手の精神を屈服させる事、そして心を折る方法は、何も殴る蹴るで肉体的に痛めつけるだけではない、だそうです」

 山崎はそう言う。
 確かにこの場合有効な作戦だろうが、あの人やっぱり敵に回したくねぇなとそれぞれ複雑な顔になってしまった。

「……で、 はちゃんと生きてるんだよな? 変若水飲む必要もなけりゃ、ちゃんと元気になるんだよな!?」

 詮議の場からここに来るまで黙ったままだった藤堂の剣幕を柔らかく受け止め、山崎は微笑んでみせた。

「薬が抜ければ、ちゃんと元通りだ。 心配いらない」
「よかったぁ〜〜……」

 藤堂の安堵しきった声は、そのまま皆の気持ちでもあった。
 安堵のあまりへたん、と床に座りこんでしまった藤堂の背を、しゃがみこんだ近藤が撫でてやる。こちらも良かった良かったと笑み崩れている。
 永倉も原田も驚かすんじゃねぇと笑顔になっているし、土方、斎藤も硬かった表情を緩めている。

「源さんと雪村にも伝えてこよう」

 あの話が聞こえていたらきっと驚いているだろうし、事情も話しておかねばと斎藤は二人のいる別室へと向かう。
 それからここからが重要なのだがと念押しして、山崎は山南の作戦の仕上げを話した。
  を死んだことにして弟を騙す以上、そのことを少しでも顔に出してしまいそうな者は詮議の席に戻らずこのまま奥にいてくれと言う。相手に嘘を悟られてしまってはどうにもならないからだ。
 そして にも、あと数日は幹部の部屋のあるあたりから出ないでおいてもらう。こちらには目をさましたらまた誰かが作戦の事情を説明すれば良い。
 そしらぬ振りを通す自信のない人、といわれて、近藤、永倉、原田、藤堂がバツの悪そうな笑みとともに手を挙げた。

「無理。 だって嬉しいから」

 千鶴が、俺のこと羅刹になっちまっても生きていてくれて嬉しいって言った気持ちが今ならわかると藤堂は目元を緩ませる。
 斎藤が井上と千鶴を連れて戻って来たので同じように説明すると、井上と千鶴も『きっと顔に出てしまう』と表に出ない事にすると言った。
 自分たちは大丈夫だ、という土方と斎藤は詮議の場に戻る事にし、残る面々は別の仕事をしたり、沖田や が目覚めたら相手をしようと奥に引っ込んで顔を出さない事にした。










◇◇◇◇◇











 大体こんな状況なのだと近藤から説明を受けて、 は小さく吹き出してしまった。
 さすが山南、やることがえげつない。
 だが的確に状況を利用している。
 敵に回したくない人という感想は も同じだった。

「君はとっくに骸になって、この冬場の事だが痛まないように陽のささない所に安置してあるという事になっているんだ。 だからもう暫く出歩かずに辛抱してほしい」
「わかりました。 弟の様子はどうです? 鬼連中が取り戻しに来たりしてませんか?」

 あの馬鹿、不知火とかいう鬼ともかかわり合いがあるようだしと言うと、今の所その動きはないと近藤は教えてくれた。

君は、さすがに見ていて気の毒なくらいに落ち込んでいるよ。 しかし鬼の起こした混乱に乗じて新選組の屯所に忍び込んで姉上を担ぎだそうという行動力は凄いものがあるなあ」
「昔から、思いきった事をする時がありましたから」

 身内の欲目ではないが、妙に頭が良いから常人では考え付かないような突拍子もないことをやらかすし、人に理解されない紙一重な行動になってしまう事もあったなと嘆息する。

「山南さんの精神的な揺さぶりが相当効いたのだろうな。 桝屋の時のような事をしないですんだのはこちらとしても良かった」

 新八など、殴りづらい面で困ると困惑していたと言われてしまい、 は思わず自分の顔を撫でてしまった。
 どうやら尋問は順調に進んでいるようだ。

「しかし君の弟君はすごいな。 変若水の研究もさることながら、彼のもっていた情報から、鬼と西の国の関わりや彼等が雪村君を狙う理由、綱道さんがあちらで何を作り何をしようとしているか……そういったものの因果関係が大分見えてきたよ」

 中でも羅刹の吸血衝動が出る発作を押さえる薬の精製法は有益で、運良く松本医師のもとに材料がすべてあったので、さっそく精製してもらったと近藤は頷いた。
 逆に羅刹の狂気を促す薬も作れるようだったが、こちらの精製方法は頑として喋らない。ただしこれは綱道も知らない自分だけの調合なので、綱道に教える気はないと言っているという。

「近藤さん、気になっていたんですけれど……やっぱり鬼どもが千鶴ちゃんを嫁にしようと狙って来る理由って」
「ああ、やはり綱道さんが許可したそうだ。 綱道さんも鬼の血族だと言う事は今回知って驚いたが、もともと娘の嫁ぎ先として西の国の鬼たちで血の濃い者を……と考えていたらしい。 そうなるに至るにはもう一つ理由があってだな」

 これも君には知っておいて貰った方が良いだろうと、近藤は手にいていた湯飲みを置いて真剣な面持ちになる。
 以前千姫と名乗る鬼の娘が言っていたが、幕府や諸藩の上位の者は鬼の存在を知っており、日本国をいくつかの地方に分けて鬼の集落があるという。
 大別すると、九州、四国、西日本、京都周辺、関東、東北方面。
 人間で言うなら、天皇家に当たるような家柄の良さを誇るのが京・八瀬の里の千姫の家で、風間家は九州方面で勢力がある家柄なのだという。

「もともと鬼族は人と関わらず静かに暮す事を望むものらしい。 だが今回、人間側も人外の戦闘力を持つ彼等の力を借りたいと考えた」

 それで薩摩は、薩摩藩の先祖にあたる者たちが、時の権力者から迫害されていた九州の鬼族をかくまった恩を盾に協力を要請し、九州、四国、西日本の鬼族はそれに応え、京都から西の鬼は風間家の主導で今回の倒幕の戦に限り人間に手を貸す事で話がまとまったのだという。
 西国の人間たちは、京都、関東、東北の鬼にも連絡を取った。
 だが、京、江戸の鬼たちはそれを拒否。 東北の鬼たちも同じだった。

「……東北を中心とする鬼は、雪村家を中心にまとまっていたそうだ」
「雪村!?」
「うむ。どうやら、鬼族の間では東の雪村家が絶えた事は有名な話だったらしい。 しかもその滅んだ理由というのがなあ」

 鬼たちが静かに暮す山里に、人間たちの兵が大量に攻め込んだせいなのだという。
 それも、倒幕への戦に参戦するのを拒んだという理由で。
 協力しないとこうなるという見せしめの意味もあったのだろうが、結果は逆で、江戸〜東北の鬼族はさらに散り散りに姿を隠してしまった。
 もともと東の鬼族は西の鬼族以上に人間に関わる事を嫌うというから、無理からぬ結果だったのかもしれないという。

「……暇な連中ですね、九州から東北に、山里ひとつ潰すためだけに兵を送り込みますか」
「逆を言えば、東北の鬼たちが幕府側につくのを恐れていたともとれるだろう。 幕府上位の者たちが鬼の存在を知っていたのなら、戦の際に自分たちがしたように鬼の戦力を持ち出してくる可能性を西国が考えないはずもない」
「そう、ですね……」

 いかに人との関わりを嫌っているといっても、幕府や諸藩上位の者がそれを知っていて放置しているということは、彼等の存在を『見のがしてやっている』いるに他ならない。
 鬼族は自分たちより戦闘力は高いが絶対数は少ない。
 圧倒的兵力を持って攻めれば勝てない相手ではないことを知っているから放置して、人間に害が出ない限り生きる事を『許して』やるが、何かの時に協力を拒んだり人間の不利になるような事をしたら容赦しない。
 そういう態度が透けてみえるようだった。
 風間たちは、くだらない生き物と徹頭徹尾人間を卑下していた。
 過去に何かあった事も考えられるが、これでは鬼が人間を嫌っても仕方が無いのではないだろうか。

「綱道さんは、雪村の里が滅ぼされた際に、燃え落ちる里からまだ幼かった雪村君を連れてかろうじて脱出し、鬼であることを隠して人間社会に紛れ込んで生き延びたらしい」
「……」
「まだ雪村君には言っていないが、綱道さんは彼女の血の繋がった父ではないそうだ。 だが彼女を育てた者としては、後ろ楯を無くしてしまった娘の将来を案じる気持ちが強かったのだろうな。 ……同じように娘を持つ父として気持ちが分からんでもないから困ってしまう」

 近藤は、江戸にれっきとした妻子のある身だ。
 そして娘はまだ幼い。
 父親としては、娘をやるのは後ろ楯も家柄もしっかりとした男でなければいかんと切に思うし、そこは綱道も一緒だったのだろう。

「だからって納得して千鶴ちゃんを引き渡すなんてことしませんよね?」
「まさか! 確かに綱道さんの気持ちはわからんでもないが、あんなふうに奪いに来るような男では論外だろう」

 確かに父親どうし納得すれば縁談は進むのが普通だが、自分が雪村君の父ならあんな男はお断りだと近藤は本気で憤慨している。

「失礼しました。 私が千鶴ちゃんの母親でも、あんな自分の都合で押してくるばかりの男は願い下げです」
「そうだろうとも」

 奪い取ってむりやり言う事を聞かせてから、こういう訳で嫁になれなどと言うのは本末転倒、悪印象も甚だしい。
 追い返すだけじゃ飽き足らず、本当だったら塩でも撒いてやりたい所だ。

「綱道さんには悪いが、雪村君が嫌だというなら新選組の名にかけて、彼女を鬼どもの手に渡すようなことはせん」
「……そうですね。 弟の言うように、あちらで変若水の研究が中止されたのなら綱道さんがあちらに留まる理由もありません。 いずれちゃんと話し合いを持てる機会も巡ってくるでしょう」
「うむ。 まあ問題は、これだけの重要機密を握っている綱道さんを、あちらが簡単に手放すか、手放すくらいなら殺してしまえと出ないかだが……」
「そこは、なるようにしかなりませんよ」

 その通りだな、と近藤は頷いた。
 新選組での変若水の研究は今後どうなるのかと近藤に聞くと、それはまだ山南と話し合って決める、そういう段階のようだ。
 近々大きな戦が起こりそうな気配もあるし、先頃新隊士の募集もしたがまだ新選組の兵として使うには練度も足りない。 それら様々な問題を踏まえて今後を考えなければならないと近藤は難しい顔になって腕組みをした。

「それと、君の今後についてなのだが」
「私、ですか?」

 新選組に留まる気満々だった は、思わず自分を指さして妙な声を出しまっていた。
 たしかに此処に来た当初の目的、『行方不明の弟を探し出す』という目的はこれで一応達せられた事になる。
 君なら隊を抜けても機密を漏らすようなことはしないと信じられるし、今は死んだ事にされているがそのうち実は生きてましたとやるから、その時に弟を連れて郷里に帰る選択をしても構わないと近藤は微笑んだ。

「郷里に待つ人がおらずとも、やはり姉弟二人、穏やかに暮す時間はなにものにも変えがたいだろう?」
「ええ、あの頃を思うと今ここにいるのがまるで夢のようです。 ……弟もそれだけは同じ想いでしょう」

 街道から外れた寒村の貧乏家。そこでの生活が懐かしく思いだされて、 は目を細めた。

「私はここで新選組を『一ぬけた』をする気はないのですけれど……そうですね、まずは弟に家出の理由を聞いてみます。 事情も聞かずに引きずっていったのでは風間と同じですからね」
「なるほど、確かにそうだな」

 では、あと数日窮屈な思いをさせることになるが我慢してくれと言い、近藤は仕事へと戻っていった。
 ひとりになってから、 は近藤の言ったことを考える。
 確かに、弟が見つかった今、自分がここに留まる理由はなくなる。

 どうしたものかと思案する中で、これから確実に戦になるであろう現状と、貧しいながらも落ち着いた故郷の生活を心の中で天秤に乗せてみる。
 賢いやりかたなら、ここで『一抜けた』をして、暫く幕府にも西国方にも見つからない所に姿を隠し、いずれ故郷に戻るのが良いのだろう。
 そうすればまず命を落とすような事はない。

 だがそれが、本当に賢いやり方なのか。
 揺れる心の天秤の行方を慎重に確かめるべく、 は独り思案の中に入り込んでいった。




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