◇◇◇◇◇
九月に隊士募集ために江戸下りをしていた土方が、十一月のはじめ、京都に戻ってきた。
大津宿まで出迎えに出た隊士たちと一緒に戻ってきたはいいが、戻ってくるなり大忙しだ。
侍の元締めである徳川将軍が、政権を朝廷に返上してしまった。
この『大政奉還』により、迷走していた日本という国の舵は大きく動く。
末端の町民まではさほど影響は出ていないが、政治の表舞台では上を下への大騒ぎになっていた。
そして、新選組不動堂村屯所の広間でも。
幹部一同が集まる中、お前等も来いと呼ばれたので千鶴と
も出席していた。
「は? 暗殺? その上新選組に嫌疑ぃ?」
坂本竜馬暗殺。
その名を聞いた時に、
は『確か土佐藩の藩士で、幕府と朝廷を一本化して政権の在り処をはっきりさせて、さらにこの国の舵取りを有力諸藩の代表による合議によって決める【議会】とかいう新しいやりかたを提案した人物』だったかなと思いだしていた。
いままでのようにお上がすでに決めた事を下知するのとは違い、議会では多数決という方法でより多くの意見……ひいては民の意見を反映させた政治が出来るのだという。
何にせよ変わったやり方だと思う。
『船頭多くして船、陸に上がる』の例えのように、物事を決める頭がいくつもあったのでは逆に大変なのではないかと思ってしまう。
所が国際的にはすでに一般的な政治形態であり、日本国のようにひとりの独裁者が決定権を握るのはむしろ国に不利益をもたらす、と考えられる節もあるというから驚きだ。
「坂本暗殺……って、一時期はあちこちの勢力が『何としても捕縛しろ!』って血眼になっていましたけれど、政治的な判断から新選組じゃあ手出しするなって言われていた人物ですよね? 誰かうっかり殺っちゃいました?」
と言って、
は傍らにいた沖田に視線を流す。視線に気付いた沖田はいやいや違う、と手を左右に振ってみせた。
「僕じゃあないよ。 ここの所屯所から出してもらえない日のほうが多いし」
「……夜中こっそり抜け出したりとか、してませんよね?」
「してないって。 何でまっ先に僕を疑うのさ」
「自分の胸と腹に聞いて下さい。 日頃の行いが行いでしょう」
取りあえず違う、と本人の確認が取れた所で、井上の口から『坂本を暗殺したのは新選組の仕業、しかも実行犯は原田だ』という話を聞かされ、皆の視線が一気に原田に集まった。
原田だと断定した証拠というのが、坂本のいた部屋に入ってきた暗殺者は顔を隠していたものの、ひと太刀為損じた時に『こなくそ』という伊予弁を口走ったのと、現場に鞘が落ちていたのが証拠になったらしい。
その鞘というのが新選組の原田の持ち物であり、原田の出身地が伊代松山、とっさの場合に言葉にお国なまりがでるのはごく自然な事だから、という話だ。
「俺の鞘はここにあるのに、証拠もなにもないだろう」
そう原田は主張するが、世間がそう見てくれるかどうかはまた別問題だ。
この件に関して世間の噂の広がりが異様に早いのも気になった。 もともと坂本という人物は敵の多い人だったが、個人的な怨恨があった紀州の三浦休太郎が新選組に依頼して殺させた、というのがもっとも有力な説として世間に広まっている。
この件について事情を聞かせろという問い合わせも来ている。
幹部たちの意見は『言い掛かりだろう』という事だったが、
もそれに賛成だった。
大体、原田の鞘はここにあるし、新選組幹部が動いた事なら他の幹部たちが知らない訳がなかろうし、坂本ほどの重要人物を暗殺するなら局長から何かしら話があるだろう。
「……暗殺者がその場にあからさまな証拠を残すもんですかね。 芝居くさすぎますよ」
がそう言うと、幹部一同も頷く。
「
ちゃんの意見に大凡は賛成。 山南さんが勝手に動いたなら別だけれど」
沖田の言葉に、皆が静まり返った。
夜の巡察は羅刹隊が主力となっているが、最近のやりかたは度を過ぎていると原田は言った。千鶴も何かを思いだしてか、自分の肩を抱いて寒気を押さえるような様子だ。
も近ごろ羅刹隊の部屋のほうに用事があって山南と顔をあわせた時にも思っていたが、あれは……。
「なんていうかこう、お腹がすいてるときに美味しそうなもの見る目で見られた気がした」
の発言に苦笑いで返したのは永倉で、
「その例え、冗談になってねえぞ……。 俺らで気をつけるしかねえよな、羅刹隊の存在を表に出す訳にはいかねえんだ」
そこまで話をした所で、廊下のほうで二人分の足音が近付いてきて、カラリと障子が開いた。
遅れていた近藤と土方が広間にやってきたが、二人とも難しい顔をしている。
「……その件についてだが」
その声に続いて、もう一つ足音が近付いてくる。 入ってきた足音の主の姿に、先に広間に集まっていた一同は思わず目を見開いていた。
「斎藤!? ……何でここにいんだよ!?」
永倉の素頓狂な声。千鶴も
も思わず目を擦る。消えない、ということは幻ではない。
「おや、斎藤君じゃないか、久しぶりだねえ。 御陵衛士のほうはどうしたんだい?」
のんびりとした井上の一言に、その場の誰もが『井上さん、あんた大物だ』と思った事だろう。
けれど斎藤は井上の変わらぬ態度が嬉しいのか、彼に視線をむけると口元をわずかに微笑ませて軽く頭を下げた。
「そ、そうじゃなくて井上さん! 交流禁止の御陵衛士の人がいるなんて、土方さんが許す訳――」
千鶴の言葉に、幹部達の目が『そうだそうだ』と言う。
だが土方はごちゃごちゃうるせえと一喝すると、本日付けで斎藤は新選組に復帰するのだと告げた。
またも皆の目が見開かれる。
それは、自分たち的には嬉しい便りだが、それでは御陵衛士というか、伊東派の立場がないのではないか。
だがその疑問には斎藤自身が答えた。
「まず、そこから訂正を。 ……俺は元々、伊東派ではない」
「斎藤君はな、トシの命を受けて間者として伊東派に混じっていたんだよ」
近藤の言葉を受けて、ようやく一同の頭に事情が染みた。
敵を騙すにはまず味方からとはよく言ったものだが、人が悪い、胆が冷えたと胸をなで下ろす者もいる。
お互いの約定を破ったとなれば、伊東派がまたも面倒な難くせをつけてくることは目に見えているから。
一安心したのもつかの間、斎藤がもたらした伊東派の動きは、新選組に対して明らかな敵対行動をしているという穏やかでないものだった。
「あんたの弟が伊東の元に頻繁に出入りしては、薩摩だけでなく長州との話も取り持つようにしている。 さらに、あんたの性別を伊東にわざとばらして新選組を動揺させる材料の一つにしろといったのもそうだ」
「…………」
「それだけじゃあない。 坂本暗殺の噂が広がるのが早すぎると思っていたら、
といったか、あんたの弟……御陵衛士の連中に策としてあらかじめ人を雇ってあちこちに話が広まるように各所に準備しておけと提案している。 諸藩の間だけではない、市中にも噂を吹く者を配置して、新選組の悪評が広範囲に広まるように仕掛けていたというから手の込んだ事だ」
これはもう、イタズラ小僧のやらかす範囲の事ではない。
あれにはあれの考えあっての事だろうと思っていた
だったが、思わず感じた目眩にガラにもなく後ろにブッ倒れそうになった。
「綱道さんだけじゃなくって藩の上役に繋がる人脈もあるのか。 しかも、鬼とも何かしら関わりがあるようだしね。 弟クン、もしかして意外と重要人物なのかもよ?」
追い討ちをかける沖田の言葉を受けて、
がちらりと土方のほうに視線をやれば、しっかりと額に青筋が浮かんでいる。
すでに尻を叩くで済ませる気がないのは明らかだ。
これは前に沖田が言ったように、本気で三枚卸しにされるかもしれないなと思いつつ、
は土方の次の言葉を待った。
「……伊東の野郎が新選組潰しと幕府失墜のために手段を選ばない事はよーくわかっただろう。 それに羅刹隊の存在も公表しようとしてやがんだ。 ……そのために薩摩と手を組んだって話もあるな」
人道的とはいえない羅刹の存在が明るみに出て、幕府お抱えの新選組が関わっていたなんて知れたら。
新選組は間違い無く罪に問われ、幕府にも大打撃が行くだろう。
それが想像できたのか、一同の表情は硬い。
「そして、より差し迫った問題がもう一つ。 伊東派は新選組局長暗殺計画を練っている」
そこまでやるか、との疑問が
の頭に浮かんだが、どうやら本気らしい。
一同の驚愕の中沈黙を守る近藤は、取りあえず土方の話を聞いてくれというかのように、彼に視線を向けた。
◇◇◇◇◇
市中、南雲薫の仮宅。
ここは、藩邸にいないときの鬼たちの集合場所のようになっている。
そこに
が血相変えて駆け込んできた。
「すいません勝手に上がりますっ! 天霧さんこっちにいますかっ!?」
どたばたと廊下を走るものだから、気付いて出てきた不知火が声をかける間もない。
「何だってんだあいつ……」
よほどの事がないかぎりノホホンとした態度を崩さないあいつがああも慌てるなんて珍しい、しかも天霧に用事かと、不知火は妙な事もあるもんだと首を傾げた。
裏庭にいた天霧は、つんのめりかねない勢いでやってきた
を見て天霧は何ごとかと目を丸くした。
「どうしたのです、
君」
手慰みに生け垣の手入れをしていた天霧は植木鋏を手から外して、
に向き直る。
全力で駆けてきたのか、はぁはぁと肩で息をする
の様子に、
「薩摩か長州の藩邸にどこぞの勢力が襲撃でもかけてきましたか……?」
「違うんです。 天霧さんがくれたあの血……」
そこまで言って、パッと口を押さえて周囲に人がいないかどうかきょろきょろと確かめる。
「大丈夫ですよ、気配はありません」
「なら、大丈夫ですね……大変な事が分かったんです。 結論から言えば、『変若水は『鬼』すら羅刹に変える』猛毒です」
「何ですって?」
現時点で、鬼が羅刹よりも格上の存在である以上、そんなことはあり得ない。 あり得ないからこそ、綱道も羅刹を鬼以上の存在にしようと躍起になって研究開発を続けている。
そう、思っていた。
「まさか俺も、変若水が『鬼』の血すら侵食するとは思っていませんでした。 あれは、もしかしたらありとあらゆる生命を蝕むものじゃないかって」
「生命を、蝕む?」
「ええ。 あり得ないとは思いますが絶対に飲んだりしないで下さいよ!」
それだけははあり得ない、そう天霧は断言した。
「詳しく聞かせて下さい。 変若水が鬼の血、あらゆる命すら蝕むとは、一体どういう影響が出るのか」
は頷き、数日前に起こった偶然から導き出した恐るべき結果を語りだした。
「俺が、変若水の毒性の強弱を調べるために植物を使っていた事は知っていますよね。 寒くなるにつれて使える花や顕著な反応を示してくれそうな植物も少なくなるから、こうした生け垣に使うような冬でも緑を保つ植物の葉や枝をすり潰して実験に使っていたんです」
これも、花や苗に水分として吸わせるよりも反応が早く出る方法だと分かり、重宝していた。
緑の葉を擂り鉢ですり潰したものに、各地の水で希釈した変若水を落とす。
同じように、各地の水で希釈した鬼の血を落とす。
変若水は切り花で試した時のように一時活性化し、すり潰したにも関わらず元の緑の枝葉の形に戻ろうとしたが、それも一時だけの事で、時間を置くと白い灰のように変化してしまう。
それも、鋏で切り刻むよりすり潰したほうが反応も顕著だが灰になる時間も早かった。
鬼の血を変若水と同じ条件の希釈で薄めて、すりつぶした植物に落としてみても変化は見られなかった。 なのでこれは鬼の血に変若水のような効果は期待できないという事でもあった。
「天霧さんからもらった血が、いつまでたっても腐らないってのには驚きましたけれど。 試しに俺の血も同量取って同条件で保存してみる事もやったんですけれど、俺の血のほうはあっさり駄目になりましたからね」
そのことからも、鬼の血には確かに人の血や変若水にはない何らかの生命力のようなものを感じるのだが、それは今回の話とは別だ。
「そういった条件で実験をしていたんですが、すり潰した植物に変若水を加えたものの中に、うっかり間違えて鬼の血を……天霧さんの血を薄めたものを入れてしまったんです」
「ほう?」
「あ、まずい! と思った時には反応が出てました。 変若水を与えた植物は再生こそしますがやがて灰になりますが、血を与えると一時活性化して灰になるまでの時間を伸ばせます。 それについては俺の血でも試したんですけれど、天霧さんの血でも俺の血と同じように……変若水に食われてしまったんです。そしてそのまま灰になりました」
変若水に食われる、とはまた穏やかな表現ではないと天霧は顔を顰めた。
「鬼の血に、変若水の毒をどうこうする事ができるなら、人の血とは違った反応が出てしかるべきです。 それを踏まえて、別の実験も試してみました」
掌ほどに切った半紙に、植物を擦りつぶしたものからとった汁を薄めて染み込ませ、片方の端に天霧の血をそのまま塗り、もう片方に変若水の原液を塗る。
するとどうだろう、濃い変若水は紙に染み込んだ草汁からでも何とか原形を取り戻そうとして反応し、紙の色を変えていった。
そのまま天霧の血がぬってある方にまで変色は広がり、天霧の血を飲み込むようにして変色しつくすとやがて効能を失い、紙はぼろぼろに崩れ落ちた。
もちろん、まさかと思い自分の血でも試し、台所で鼠を捕まえてその血でも試してみたが、同じ結果が出た。
変若水は植物も、人も、動物も鬼の血すらも蝕んで灰にする。 一時、驚異的な力を与える代わりに。
性質があえば、植物ですら吸血植物にするような洒落にならない効果付きで、だ。
「この事、もちろん綱道さんには言ってません。 何か間違いがあってからじゃ遅いから、とにかく急いでこっちに知らせに来ました」
「そうですか、よく知らせてくれました」
「天霧さん、前に鬼は、人間と交わる事ができるけれど、そうして生まれて人との間に代を重ねた子は鬼としての力は徐々に弱まるっていいましたよね。 中には鬼としての力を自ら発現する事もできない、そういった子もいるって」
「ええ、それで今我々は種の保存の危機に面しているわけですから」
「鬼の間に、変若水が広がったらそれこそ大変な事になると思います。 薄めた植物の汁でさえ反応を示すなら、薄まった血に反応しない道理がどこにあるでしょう。 鬼としての力を目覚めさせるための切っ掛けとして使われたりしたら」
その可能性は、天霧にも想像できなかった事らしい。
それは確かに冗談ではすまない、と天霧は唸る。
「日光に弱く、血をすする衝動を完全に消す事ができれば、血の薄まった鬼の一族を救う特効薬になるかもしれません。 そればかりでなく、本来神々が持つとされる本当の意味での『変若水』になるかもしれません。 けど、現状それを実現するのは不可能です」
たとえ消す事ができても、そのかわりに副作用がついてまわわるのが常、綱道の言うように利点ばかりでは決してない事を考えると、手酷いしっぺ返しがついてくるものにしかならない気がすると、
は頭を左右に振った。
「鬼の血が濃いっていう天霧さんの血でさえそういう事が起こり得るなら……」
「なるほど、君の危惧していることはわかりました。 しかしこうなると、風間様や不知火、それに南雲君にも黙っているわけにはいかなくなってきましたね」
幸い、今夜全員がここに集まる事だしその時に話そうと言う事になった。
「仕方ありませんね。 ……え? 南雲……って薫さん? 彼女も鬼だったんですか?」
不知火は、黙っていて悪かったと前おいて頷いた。
ついでに付け加えるなら、彼女ではなく『彼』だとも。
「ええっ!? 男ぉ!?」
「訳あって女性の形をしていたのですが、人それぞれですし訳については言わずにおきましょう」
「すげえ美人さん、て思っちゃった俺の立場って……」
俺の目、変なところで節穴かとがっくり肩を落とす
の肩を、気を落とすなと天霧はポンと叩いた。
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