◇◇◇◇◇
虎も蹴り殺しかねない暴れ馬と実の弟に酷評された姉はどうしているかというと、鬼の巣でそれなりにやっていた。
もっとも、弟の悪戯(?)のお陰で自分の性別がばれて、隊内に余計な動揺を振りまいた挙げ句、ただでさえ隊士の大幅な離脱で仕事が増えて忙殺されている幹部たちによけいな手間をかけることになってしまった事については申し訳なく思い、体で返すとばかりにこちらもがむしゃらに働いていた。
女が国事に関わり刀を持つ隊に居る事を黙認する事など堪え難い、まして共に働く事など出来はしないと意見され脱走者を作る元にまでなってしまい、正直胃に来ている部分もあるが。
国事の為に奔走し、武士の魂たる刀を差してよいのは『男』だけ、『女』という下賤な生き物には相応しくないと考える者は他にもいる。
ただ局長・副長が必要以上に騒ぐことなかれと命じ、また
にも『手に余るような事をする輩がいれば実力で黙らせろ』という許しがあることもあって今の所は陰口を叩かれる程度でおさまっている。
女が、女だから、と口にする輩など気にするなと何度も声をかけ気づかってくれるのは原田で、時にはきっぱりと陰口を叩く輩を諌めてくれることさえあった。
彼曰く、
「女がいなきゃ力の半分も出せねぇのが男って生き物なのに、何を寝ぼけた事をほざきやがる」
ということだ。
男が表舞台に立てるのは、それを支えてくれる女たちが居てこそだし、帰る場所、安らげる場所に誰がいるのかを思いだす事もできない馬鹿どもなど放っておけと原田はきっぱり言ってくれていた。
「女にゃ、男には逆立ちしてでも持てねぇ大きな力がある。 ……その力の使い方なんぞ人それぞれだろ? お前はお前にとって、最適な方法を選んだだけじゃないか」
刀、剣術という形になってそこにあるからといって、何を周囲に憚る事がある、と。
原田の言葉や千鶴が教えてくれた沖田の気づかいも嬉しかったが、今まで仲の良かった隊士たちまでどこか遠慮したような態度を取るのは少し辛かった。
土方は、千鶴がもたらした情報から
が女だという噂を流したのが伊東、さらなる調べで出所が
の弟で伊東と接触していると判明した時は淡々とした無表情で『そうか』とだけ呟いていた。
……その無表情こそが恐ろしいのだが。
監察からの知らせを受けた時にその場にいたのは原田と井上、原田はその様子を後に真夏に背筋が寒くなったと語った。
井上の『歳さん、ほどほどにね』という穏やかな微笑みがなければ、絶対あの場の空気が凍り付いていただろうとも。
千鶴と
は報告の場には居合わせなかったが、その直後の土方の姿は廊下で見かけており、後ろから声をかけようとしたら『悪い事は言わないから今日は何も話し掛けないほうがいい』と原田に止められたくらいだ。
「有無をいわさず三枚卸しにしたりしなきゃいいけど。 兼定を研ぎに出してたみたいだしねえ」
そしてその土方の様子に、沖田までもが愚弟の身の心配をする始末。
の胃痛は悪くなる一方だった。
そんな状況だから、余計な噂を立てられたりしないよう、また隊士たちとの摩擦を避けるべく、
はなるべく幹部たちの小姓役と机仕事に徹していた。
その日も胃のあたりを軽く押さえつつ、細々とした仕事をこなしていると、門前が騒がしくなり、その騒ぎが屯所の中のほうにもやってきた。
何かあったかと思い思わず腰の刀を確かめてしまう。
やがて幹部たちの部屋があるほうに威勢のよい近藤の声と足音が近付いてきて、その声音から急な出陣や斬り込みとかではなさそうだと判断した
は刀から手を放した。
「五条君、いるかね?」
「はい、ここに」
おかえりなさいませ、との言葉と同時に近藤の顔を見上げたが、何ともいえない上機嫌だ。
「早速ですまんが、宴の手配をしてくれ。 上等な酒を何樽か、おおそうだ、飲めない奴もいるから酒ばかりでなく菓子と仕出しの手配も頼む!」
「屯所で宴会ですか?」
珍しい、と
が言うと、かなり良い事があったと見える近藤はにこにこしながら頷いた。
近藤の手から受け取った羽織を衣紋掛けに一旦掛け、何があったのかと問いかけてみれば、その答えは想像よりもはるかに凄いものだった。
「幕臣にお取り立て……ですか!?」
「うむ! ようやくこの日を迎えられたのだ、これを祝わずして何とするかだ! ああ、隊士諸君に正式に発表せねばならんから、五条君、そちらの差配は任せたぞ」
「……はい……」
さすがに驚いた。
近藤が一旦部屋を出たのと入れ代わる形で、近藤に従い屯所を出ていた土方が戻ってきた。
「やれやれ、ガキみてぇにはしゃいじまって」
もう聞いたか? と視線で問いかけてくる土方に、
も聞いた、と無言の頷きを返した。
「ようやっと、とっかかりを掴んだって所だな」
今回の一件に関して、近藤と土方の受け止め方はずいぶん違うようだ。 近藤はまさしく大魚を取ったような喜びようだが、土方は魚を取るための下準備をひとつ終えた、そのくらいに違う。
「……ま、今日くらいははしゃいでも仕方ねえ、大目に見る事にするか」
暑い盛りに正装は息苦しくてかなわねえ、と土方はさっさと羽織を脱いで衣紋掛けに掛け、袴を脱いで帯を解きにかかる。
その間に部屋から普段の着物を持ってきてやり、土方が着替えている間は屏風の影に入って、脱いだ正装をひろげて風に当てる準備をしていた。
「土方さん、お取り立てといっても具体的にはどの程度の格なんですか?」
「ああ、聞いて驚け。 近藤さんは直参『御目見得以上』だ」
「ええっ!!?」
思わず素頓狂な声が出るくらい驚いた。
武家の格には『将軍に拝謁できるかできないか』で天と地との格式の差があると言っていい。
それを考えると近藤の扱いは、『旗本』と同じだ。
「普通考えられねえよな。 貧乏道場の跡取りにすぎなかった男が、将軍様と同じ部屋で話が出来る立場になったんだぜ」
しかも蔵米300俵取りだと聞いて
は危うく屏風を倒しそうになった。
昨今300俵といったらとんでもない高給取りである。
「で、平隊士連中にも十人扶持がもらえる事になった。 で、お前もその中に入ってるんだが」
「まともに払える訳ないでしょうが!」
「だよな。 だから新選組で預かってこっちから現金換算して払うつもりではいるが、万一お前に夫ができればそいつが十人扶持になるわけで」
「恐ろしい冗談はよしてください」
屏風の影で頭を抱える。
そう、この時代女子に武士の録を受け取ったり、財産および家督相続権はない。
なので
も女と隊内にばれてしまった以上、碌が下る事になってもまともな受け取りなど出来ず、単に『夫となった男、もしくは家督を継いだ家族や養子に十人扶持を持たせる権利』を持つだけになってしまう。
「我が身の事ながら胃が痛くなってきましたよ……」
「気をつけろよ、嫁になってくれなんて言い出す輩が出ないとは限らないからな」
冗談めかした土方の言葉だったが、正直洒落になっていない。
とにもかくにも、会津藩お預かりという不安定な身分から歴とした幕府の部隊として認められた事だし、また何かと忙しく、また周囲が騒がしくなるから心しておけと言われたが、
は衣服を衣紋掛けに吊るし終えると『はぁ』と気のない返事をして、近藤に頼まれた宴会準備のために賄方たちのいる裏へと向かった。
やっぱりというか、幕臣取り立てについて騒動は起こった。
幕府と会津、二君に仕えるのは武士の道にあらずと言い出す者が出て、会津藩の仲介で見解の相違について話し合いの席をもうけて意見を交わす事になった。
近藤は幕臣として取りたててもらえたのに、どうしてそれが二君に仕える事になるのか、全ての武士が仕えるべきは将軍、将軍の下に会津、会津の下に我々と命令系統もはっきりしているのに何故……と心底不思議がっていたが。
こういう時に頼りになるのは、見かけによらず政治に明るい永倉だ。
千鶴に部屋でお茶にしないかと誘われた
は、非番だった永倉も一緒に誘ってお邪魔していた。
「つまりだな。 俺たちは今まで会津にひとかたならぬ世話になってきた。 窮状を救ってくれた上、給料も支払ってくれる。 さらに度重なる醜聞やら何やらにも目をつぶってくれた上に何かあれば幕府との仲立ちまでしてくれた、それこそ足を向けては寝られない大恩人だ」
会津藩の後ろ楯を得られなければ、新選組は成立すら危なかった所だった。大恩ある『君』に仕える、これは武士として当然でもある。
だがすべての武士が忠義を誓うのは徳川将軍でもある。 武士はその全員が徳川の家臣であり、将軍こそが『君』でもある。
今までは、会津藩お預かりという一種曖昧な立場であったから良かった。
新選組は勢力も幕府よりの発言力もあるが、正式に幕臣ではなかった。
「ここで鍵になるのが、『会津からも幕府からも給料が出ることになった』って事なんだ。 悪く言えば給料の二重取りだな」
酒も飲むが甘いものも嫌いではない永倉は、お茶請けのぼうろ菓子をひとつ齧る。
「幕府に仕えて給料を貰いながら、さらに会津にも仕えて給料をもらうのが問題なんだって考えると分かりやすい。 身もフタもねえが、どっちから給料もらうかはっきりしろ、って事なのさ」
本当に身もフタもない。
千鶴は永倉の湯のみに新しい茶を注いだ。
「今、会津様の所で、納得いかないからって脱退を申し出た人たちと近藤さんたちが話し合いを行っている所ですよね」
「ああ、脱退したいって申し出た連中は、侍は二君にまみえずを主張しちゃいるが、新選組にも局中法度があるからなぁ……局を脱するを許さず、っていう」
「脱退してその後で下手に別の組織に入られてしまったら、内部の情報が流れてしまいますものね」
「そういうこと。 おそらく、揉めるぜ」
さらに新選組は今まで身分出自はもとより、様々な主義思想の者でも関係なく受け入れる所があったが、完全に幕臣となってしまうとどうしても考えが合わない、という連中も出てくる。
新選組は良くも悪くも立場の『曖昧さ』が魅力だったといえる。
中には、幕臣になりたくて新選組に入った者もいるだろうが、そうでない者もいるということだ。
「何だかんだ言って、侍の身分は魅力的だし、録が出るとなりゃあなおさらだ。 多くの奴らは喜んでいるから、まぁ現状これでかまわねえとは思うがな」
永倉はそう言ったが、どこか含むものがあるということは千鶴にも
にも分かった。
後日聞いてみれば、この時の話し合いは両者の意見はどこまでも平行線、物別れに終わり……決着をつけるためにとうとう刃物まで出たという。
結果羅刹隊に新たな人員が加わったというのだから、どういう決着の付け方をしたのか想像に難くなかった。
新選組では幕臣取り立ての他にさらに大きな動きがあり、七月半ば、新築の屯所に引っ越す事になった。
これが、間借りしている西本願寺が敷地も建物の費用も全面的にもってくれている。
もう駄目だ、出ていってくれと西本願寺側の我慢の限界が来たのが先日の鬼の襲撃騒動だが、前々から敷地内でものものしい訓練をするわ、小銃や大砲はぶっぱなすわ、殺生を嫌う寺の境内で刃物をぎらつかせるわ、隊士の処断で切腹させたりするわ、不逞浪士を捉えてきては責め問いを行うわ……もう数えきれないほど寺の境内に相応しくないことをやらかしている。
そうでなくとも西本願寺は勤王寄りの寺なので、様々な方面から早く新選組を追い出せとせっつかれていたらしい。
屯所を全額負担で新築してでも出ていってもらいたいくらいには、イザコザが絶えなかった。
その新しい屯所は不動堂村にあり近藤の休息所に隣接して建てられていた。
も普請中に視察に出かけた近藤や土方に小姓として付き従い見に行った事があるが、大名屋敷か何かかと見まごうくらい立派なものだった。
引っ越しは滞りなく終わり、数日後からは通常の隊務に戻る。
この頃、新選組から分離した伊東ら御陵衛士一派も高台寺月心院への移転を終えており、活発に諸方と連絡を取り活動していた。
月心院に、近頃すっかり馴染みとなった客が現れる。
伊東との話をすませた後、隊士たちと縁側で和やかに談笑するその青年の姿は、新選組にいまだ居る彼の姉の姿に良く似ていて、
と仲の悪くなかった伊東派の面々は親しみを感じるのか何かと弟のほうにも話かけていた。
弟の
は人当たりも良く、話上手なために伊東も気に入り、隊士たちも仕事ではなくとも遊びに来いと誘うようになった。
「そろそろお暇しますね。 ここに来るとつい時間を忘れてしまっていけない」
そう言ってにこやかに座を辞し、
は廊下を歩いて玄関の方へと向かう。
途中、藤堂ともすれ違いにこやかにお辞儀をしてから出ていった。
その背を見送る形になった藤堂は、彼がここに出入りしている事に強い不安を覚えていたが、それを口にしないままでいた。
新選組や
に、何か不利益が降り掛かる気がする。
「藤堂君、戻ってきていたか。 伊東先生が集まるように仰せだ」
「あーはい! 今行きます」
奥から呼ぶ声に答え、足を速める。
自分で決めて袂を分かった事ながら、事あるごとについつい新選組の事を考えてしまう自分を軽く嫌悪しながらも、藤堂は御陵衛士としての仕事を全うするべく、同志の元へと向かった。
前へ / 薄桜鬼・トップに戻る / 次へ