羅刹女 ---19---


 京・長州藩邸。
 藩邸といっても、昔からの藩邸は先の蛤御門の時に焼けてしまったから、市内に借宅してそこを皆が藩邸と呼び習わしているだけの場所だが、昨今政情が不安定の京における長州人の拠点の一つとして機能していた。
 五条 は、そこで雪村綱道からの手紙を受け取り、その文面を広げたまま難しい顔をしていた。
 元は長州人でもなければ出自すら定かではない人間が出入りするのを嫌う者もいたが、かの高杉の奇兵隊に参加していたこと、また長州・薩摩が手を組んで極秘にすすめているある計画の関係者として、なかなか重要な立場にある。

「(成功したのか……)」

  は立ち上がると、手紙を持ち裏へ回り、竈の火で手紙を完全に灰にしてしまった。
 まだこの情報は世間に曝せない。

「よぉ、こっちだったか」
「うわ、不知火さん」

 背後から突然かけられた声に、跳ね上がった心臓を上から押さえて振り返る。

「おどかさないで下さいよ。 あんまり神経太いほうじゃないんですから」
「何言ってんだ、注連縄みたいに極太じゃねぇか」

 にやりと笑った不知火だったが、直後バツが悪そうに眉を下げた。

「悪ぃ、俺のほうは失敗しちまった」
「ありゃ」
「鬼より恐いな、お前の姉さん。 二太刀も入れられたぞ。 もっとも一発は捕まえるために俺が当たりに行ったんだが予想よりもかなりザックリ入ったな」

 と不知火が笑うと は驚きに目を見開き、ついで常の飄々とした様子を捨てて、きつい目で不知火を睨みつけた。
 豹変した の様子に、不知火はバツの悪そうな笑いを浮かべたまま一歩後ずさる。

「また、無茶しましたね! 鬼だろうが何だろうが、斬られりゃ血も出るし痛みだって感じるんでしょう! いくら人間よりも強靱で傷のなおりが早いからって、やって良い事と悪い事がありますよ!」
「お、おいおい、そう殺気立つなって! いやその何だ、有効な戦法だからだな……」
「確かに姉ちゃんをあそこから連れ出そうとは思いますが、そのために不知火さんがいちいち斬られてたんじゃたまりません!」

 有効も無効もあるか、斬られて痛いのは人も鬼も同じだと凄い剣幕の に、とうとう不知火も折れてなだめにかかった。

「悪かった! 悪かったよ! あーもう、次は無茶しねえからそう目を釣り上げるな!」

 人間がいくら怒った所で、小動物が毛を逆立ててる程度にしか普段は感じないのだが、あの男と の怒りにはどうも弱い。
 毒されてる、けど悪くねぇなと不知火はそっと心の中で呟いた。

「斬られりゃ痛い、病になれば苦しい。 そうだよな、どうも忘れがちになっちまう」
「そうですよ。 不知火さんはあんだけ俺たちに無茶するなって言っときながら、自分ばかり」

 生き物としてそもそもが違うのだから、ずるいとは言わないが、心配くらいさせろと は表情を歪めた。

「悪かったよ……」

 本当に心の底から、不知火はその言葉を口にした。
 病の身で無茶ばかりする男を間近に見て来て、加減が利かなくなっていたのか、それともどこまでが無茶になるのか感覚が麻痺していたのか。
 大事な人が傷付けば、苦しんでいれば、同じように自分も苦しいのだということが今さらながら身に染みる。
 不知火は庭の見える縁側に を誘った。
 庇で夏の日射しが丁度良い加減に遮られて涼風が通る、居心地のよい場所だ。
 不知火は冷たい廊下に腕を枕に長々と寝転がってしまう。  もそれに倣おうかとしたが、柱を背にして姿勢を崩すだけに留めた。

「俺はな。 あいつとお前のためなら、いくらこの体が傷ついても構やしねえって本気で思った。 その点、鬼でよかったと……おい、また目が釣り上がってるぞ」
「……」
「そういう目をすると姉さんそっくりだな。 そう怒るなよ、ちゃんと『思ってた』って過去形だろうが」

 笑いかけ、そのまま不知火は目を閉じる。目蓋の裏に何かを見るかのように。

「大事な奴が痛くて苦しいのが、泣いているのが堪え難いのは……鬼も人も同じなんだな……」

 そこで不知火は一旦言葉を切り、あのなと前おいた。

「……あいつの最後の息を、見守る事ができたよ」

 静かな声音に、 のほうの心臓がひやりとして呼吸が止まる。
 間に合ったのは良いが、やはり延命は受け入れてもらえなかったのか。

「預かったものは、燃やしてきた。 それでよかったろ?」
「……はい」

 これでめでたく、おまえがあんな研究に関わる必要もなくなったわなと、不知火の表情はどこか晴れ晴れとしていた。
 だが は、その表情の中の僅かな虚しさの種を見のがしはしなかった。

「……あの研究から手を引くわけにはいかなくなりました。 どうやら綱道さんは何かを掴んでしまったようですから」
「あ?」
「不知火さん。 この国に古来から住むあなたたち鬼と、西洋の鬼の決定的な違い……綱道さんはそれを羅刹の『欠点』として捉えたようですけれど」
「おいこら 。 また何かしら手に負えねえイタズラしでかそうとしてるのか?」

 不知火は長々と横たえていた体をむくりと起こすと、剣呑な視線を に向けた。
  は怯む事なく不知火の視線を正面から受け止め、

「人と鬼が違う種であるように、鬼と羅刹も違う生き物だ。 あなたたちの言う『紛い物』なんて段階じゃなくて、そう……例えるなら、人と四つ足の獣たちくらいに何かが掛け離れてる」

 あんなものと一緒にするなと不知火は毒づいた。

「何度も言っただろうが。 俺たち鬼は、望んで人を食ったりしようと思った事はご先祖様にかけて一度もねえ。 血をすするなんて論外だ」

 ついでに言うなら、鬼が人を食うとか何とか人間の間に出回ってるのもいい加減な作り話だと。
 ですよね、と は頷く。

「綱道さん、どうも羅刹は『鬼』よりも『人』よりも上の生き物にしなきゃならないって思ってるみたいで。 放っておくととんでもない方向にスッとんで行きそうだからもうちょっと見てます」
「勘か?」
「ええ……嫌な予感がするんです。 あの人が聞いたらそれこそ怒髪天衝いて怒りそうな事になりそうな」

 だからまだちょっと目が離せない、そう は首を振る。

「……分かった。 ならまだ止めねえが、あんまり度が過ぎるようなら今度は姉さんにチクるぞ」
「!!」
「顔を見に行く口実にもなるしな」

 それだけはやめてくれと言うような情けない顔になった を見て、不知火はケラケラとおかしそうに笑った。
 が、不知火が妙なことを言ったことに気付いて、 は少し首をかしげる。
 もしかして、という表情を向けると不知火も軽い笑いをおさめて、体を起こしあぐらをかいて廊下に座る。

「俺は悪くないと思うぜ、ああいうの」
「……!!?」

 まさしく絶句、言葉も出てこなかった。 つまり、そういう訳なのかと視線だけで問いかけると不知火も視線を絡ませてくる。
 以前不知火が言っていた。
 鬼が人のために動くのは、義理でも忠義なんてもののためではない。
 風間や天霧の里が動いているのも、かつて先祖が受けた恩義を返すためであって、人間の言う所の『主に仕え、忠義を尽す事が人の道』という感覚は鬼には薄い。
 主人というよりは種族全体への忠誠、愛情、義務……そういったもののほうが強い。
 そんな感覚だから、鬼が人のために動くのは、いつの世でも憎しみか、好いたか惚れただけなのだと。
 そして不知火は、種の違いを超えて高杉という男の生きざまに惚れ抜いていた。
  は深呼吸し、跳ね上がりそうになる心臓をどうにかなだめて慎重に不知火に問いかけた。

「……人間の恋人なんて作ったら、マズいんじゃなかったんですか不知火さんの家」
「ああ、ひょっとすると勘当モンだろうな。 爺さんに親父におふくろ、おふくろはまだ現役でがんばってくれてるんだけれど男兄弟が増える一方、血統を守ってくれる姉妹がまだ生まれねぇときた」

 風間の所ほどじゃないが、俺の家も大概血が濃いからなと不知火は頷く。
 そう、鬼は人間ほど子が生まれやすい訳でもなければ、生まれてくる男女の比率に結構な偏りがある。
 だから血の薄くなった今、血統を守ってくれる血の濃い女鬼はことさら貴重な存在になっていた。
 もともと人の野心に手を貸す事を嫌う鬼たちが人の側に居続ける事は珍しい。
 その点不知火はかなりの変わり者で、一族からも相当苦い目で見られていた事だろう。
 今まで肩入れしている相手が男だったから何も言われずにいたようなもので、これが女相手となると話が大分違ってくるのではなかろうか。

「あれは……我が姉ながらやめといたほうが良いかと思うんですけど……じゃじゃ馬、いえ暴れ馬、虎も蹴り殺しかねないっていうか」
「おお、いいねえじゃじゃ馬馴らし」

 さっき自分で鬼より恐いって言ってたじゃないですかと は軽く青ざめた。
 不知火の表情からはどこまで冗談なのかさっぱり読めず、がくーーっと肩を落とす。
 爆弾発言をかました不知火は、妙にうなだれてしまった の肩をポンとたたいて、まずはあのまがい物の巣から連れ出してから話し合うなり喧嘩だと笑ってみせた。

 タチの悪い冗談であってくれれば良いと思いつつも、 は不知火が先程見せた一抹の空しさが気になった。
 あの男が居なくなって、不知火の心に出来た隙間に姉の存在が入り込んだのか、それとももっと前から彼の心に住むようになっていたのか。
 そのことが少しだけ気掛かりだった。













◇◇◇◇◇













 虎も蹴り殺しかねない暴れ馬と実の弟に酷評された姉はどうしているかというと、鬼の巣でそれなりにやっていた。
 もっとも、弟の悪戯(?)のお陰で自分の性別がばれて、隊内に余計な動揺を振りまいた挙げ句、ただでさえ隊士の大幅な離脱で仕事が増えて忙殺されている幹部たちによけいな手間をかけることになってしまった事については申し訳なく思い、体で返すとばかりにこちらもがむしゃらに働いていた。

 女が国事に関わり刀を持つ隊に居る事を黙認する事など堪え難い、まして共に働く事など出来はしないと意見され脱走者を作る元にまでなってしまい、正直胃に来ている部分もあるが。
 国事の為に奔走し、武士の魂たる刀を差してよいのは『男』だけ、『女』という下賤な生き物には相応しくないと考える者は他にもいる。
 ただ局長・副長が必要以上に騒ぐことなかれと命じ、また にも『手に余るような事をする輩がいれば実力で黙らせろ』という許しがあることもあって今の所は陰口を叩かれる程度でおさまっている。

 女が、女だから、と口にする輩など気にするなと何度も声をかけ気づかってくれるのは原田で、時にはきっぱりと陰口を叩く輩を諌めてくれることさえあった。
 彼曰く、

「女がいなきゃ力の半分も出せねぇのが男って生き物なのに、何を寝ぼけた事をほざきやがる」

 ということだ。
 男が表舞台に立てるのは、それを支えてくれる女たちが居てこそだし、帰る場所、安らげる場所に誰がいるのかを思いだす事もできない馬鹿どもなど放っておけと原田はきっぱり言ってくれていた。

「女にゃ、男には逆立ちしてでも持てねぇ大きな力がある。 ……その力の使い方なんぞ人それぞれだろ? お前はお前にとって、最適な方法を選んだだけじゃないか」

 刀、剣術という形になってそこにあるからといって、何を周囲に憚る事がある、と。
 原田の言葉や千鶴が教えてくれた沖田の気づかいも嬉しかったが、今まで仲の良かった隊士たちまでどこか遠慮したような態度を取るのは少し辛かった。
 土方は、千鶴がもたらした情報から が女だという噂を流したのが伊東、さらなる調べで出所が の弟で伊東と接触していると判明した時は淡々とした無表情で『そうか』とだけ呟いていた。

 ……その無表情こそが恐ろしいのだが。
 監察からの知らせを受けた時にその場にいたのは原田と井上、原田はその様子を後に真夏に背筋が寒くなったと語った。
 井上の『歳さん、ほどほどにね』という穏やかな微笑みがなければ、絶対あの場の空気が凍り付いていただろうとも。
 千鶴と は報告の場には居合わせなかったが、その直後の土方の姿は廊下で見かけており、後ろから声をかけようとしたら『悪い事は言わないから今日は何も話し掛けないほうがいい』と原田に止められたくらいだ。

「有無をいわさず三枚卸しにしたりしなきゃいいけど。 兼定を研ぎに出してたみたいだしねえ」

 そしてその土方の様子に、沖田までもが愚弟の身の心配をする始末。
  の胃痛は悪くなる一方だった。

 そんな状況だから、余計な噂を立てられたりしないよう、また隊士たちとの摩擦を避けるべく、 はなるべく幹部たちの小姓役と机仕事に徹していた。
 その日も胃のあたりを軽く押さえつつ、細々とした仕事をこなしていると、門前が騒がしくなり、その騒ぎが屯所の中のほうにもやってきた。
 何かあったかと思い思わず腰の刀を確かめてしまう。
 やがて幹部たちの部屋があるほうに威勢のよい近藤の声と足音が近付いてきて、その声音から急な出陣や斬り込みとかではなさそうだと判断した は刀から手を放した。

「五条君、いるかね?」
「はい、ここに」

 おかえりなさいませ、との言葉と同時に近藤の顔を見上げたが、何ともいえない上機嫌だ。

「早速ですまんが、宴の手配をしてくれ。 上等な酒を何樽か、おおそうだ、飲めない奴もいるから酒ばかりでなく菓子と仕出しの手配も頼む!」
「屯所で宴会ですか?」

 珍しい、と が言うと、かなり良い事があったと見える近藤はにこにこしながら頷いた。
 近藤の手から受け取った羽織を衣紋掛けに一旦掛け、何があったのかと問いかけてみれば、その答えは想像よりもはるかに凄いものだった。

「幕臣にお取り立て……ですか!?」
「うむ! ようやくこの日を迎えられたのだ、これを祝わずして何とするかだ! ああ、隊士諸君に正式に発表せねばならんから、五条君、そちらの差配は任せたぞ」
「……はい……」

 さすがに驚いた。
 近藤が一旦部屋を出たのと入れ代わる形で、近藤に従い屯所を出ていた土方が戻ってきた。

「やれやれ、ガキみてぇにはしゃいじまって」

 もう聞いたか? と視線で問いかけてくる土方に、 も聞いた、と無言の頷きを返した。

「ようやっと、とっかかりを掴んだって所だな」

 今回の一件に関して、近藤と土方の受け止め方はずいぶん違うようだ。 近藤はまさしく大魚を取ったような喜びようだが、土方は魚を取るための下準備をひとつ終えた、そのくらいに違う。

「……ま、今日くらいははしゃいでも仕方ねえ、大目に見る事にするか」

 暑い盛りに正装は息苦しくてかなわねえ、と土方はさっさと羽織を脱いで衣紋掛けに掛け、袴を脱いで帯を解きにかかる。
 その間に部屋から普段の着物を持ってきてやり、土方が着替えている間は屏風の影に入って、脱いだ正装をひろげて風に当てる準備をしていた。

「土方さん、お取り立てといっても具体的にはどの程度の格なんですか?」
「ああ、聞いて驚け。 近藤さんは直参『御目見得以上』だ」
「ええっ!!?」

 思わず素頓狂な声が出るくらい驚いた。
 武家の格には『将軍に拝謁できるかできないか』で天と地との格式の差があると言っていい。
 それを考えると近藤の扱いは、『旗本』と同じだ。

「普通考えられねえよな。 貧乏道場の跡取りにすぎなかった男が、将軍様と同じ部屋で話が出来る立場になったんだぜ」

 しかも蔵米300俵取りだと聞いて は危うく屏風を倒しそうになった。
 昨今300俵といったらとんでもない高給取りである。

「で、平隊士連中にも十人扶持がもらえる事になった。 で、お前もその中に入ってるんだが」
「まともに払える訳ないでしょうが!」
「だよな。 だから新選組で預かってこっちから現金換算して払うつもりではいるが、万一お前に夫ができればそいつが十人扶持になるわけで」
「恐ろしい冗談はよしてください」

 屏風の影で頭を抱える。
 そう、この時代女子に武士の録を受け取ったり、財産および家督相続権はない。
 なので も女と隊内にばれてしまった以上、碌が下る事になってもまともな受け取りなど出来ず、単に『夫となった男、もしくは家督を継いだ家族や養子に十人扶持を持たせる権利』を持つだけになってしまう。

「我が身の事ながら胃が痛くなってきましたよ……」
「気をつけろよ、嫁になってくれなんて言い出す輩が出ないとは限らないからな」

 冗談めかした土方の言葉だったが、正直洒落になっていない。
 とにもかくにも、会津藩お預かりという不安定な身分から歴とした幕府の部隊として認められた事だし、また何かと忙しく、また周囲が騒がしくなるから心しておけと言われたが、 は衣服を衣紋掛けに吊るし終えると『はぁ』と気のない返事をして、近藤に頼まれた宴会準備のために賄方たちのいる裏へと向かった。









 やっぱりというか、幕臣取り立てについて騒動は起こった。
 幕府と会津、二君に仕えるのは武士の道にあらずと言い出す者が出て、会津藩の仲介で見解の相違について話し合いの席をもうけて意見を交わす事になった。
 近藤は幕臣として取りたててもらえたのに、どうしてそれが二君に仕える事になるのか、全ての武士が仕えるべきは将軍、将軍の下に会津、会津の下に我々と命令系統もはっきりしているのに何故……と心底不思議がっていたが。
 こういう時に頼りになるのは、見かけによらず政治に明るい永倉だ。
 千鶴に部屋でお茶にしないかと誘われた は、非番だった永倉も一緒に誘ってお邪魔していた。

「つまりだな。 俺たちは今まで会津にひとかたならぬ世話になってきた。 窮状を救ってくれた上、給料も支払ってくれる。 さらに度重なる醜聞やら何やらにも目をつぶってくれた上に何かあれば幕府との仲立ちまでしてくれた、それこそ足を向けては寝られない大恩人だ」

 会津藩の後ろ楯を得られなければ、新選組は成立すら危なかった所だった。大恩ある『君』に仕える、これは武士として当然でもある。
 だがすべての武士が忠義を誓うのは徳川将軍でもある。 武士はその全員が徳川の家臣であり、将軍こそが『君』でもある。
 今までは、会津藩お預かりという一種曖昧な立場であったから良かった。
 新選組は勢力も幕府よりの発言力もあるが、正式に幕臣ではなかった。
 

「ここで鍵になるのが、『会津からも幕府からも給料が出ることになった』って事なんだ。 悪く言えば給料の二重取りだな」

 酒も飲むが甘いものも嫌いではない永倉は、お茶請けのぼうろ菓子をひとつ齧る。

「幕府に仕えて給料を貰いながら、さらに会津にも仕えて給料をもらうのが問題なんだって考えると分かりやすい。 身もフタもねえが、どっちから給料もらうかはっきりしろ、って事なのさ」

 本当に身もフタもない。
 千鶴は永倉の湯のみに新しい茶を注いだ。

「今、会津様の所で、納得いかないからって脱退を申し出た人たちと近藤さんたちが話し合いを行っている所ですよね」
「ああ、脱退したいって申し出た連中は、侍は二君にまみえずを主張しちゃいるが、新選組にも局中法度があるからなぁ……局を脱するを許さず、っていう」
「脱退してその後で下手に別の組織に入られてしまったら、内部の情報が流れてしまいますものね」
「そういうこと。 おそらく、揉めるぜ」

 さらに新選組は今まで身分出自はもとより、様々な主義思想の者でも関係なく受け入れる所があったが、完全に幕臣となってしまうとどうしても考えが合わない、という連中も出てくる。
 新選組は良くも悪くも立場の『曖昧さ』が魅力だったといえる。
 中には、幕臣になりたくて新選組に入った者もいるだろうが、そうでない者もいるということだ。

「何だかんだ言って、侍の身分は魅力的だし、録が出るとなりゃあなおさらだ。 多くの奴らは喜んでいるから、まぁ現状これでかまわねえとは思うがな」

 永倉はそう言ったが、どこか含むものがあるということは千鶴にも にも分かった。
 後日聞いてみれば、この時の話し合いは両者の意見はどこまでも平行線、物別れに終わり……決着をつけるためにとうとう刃物まで出たという。
 結果羅刹隊に新たな人員が加わったというのだから、どういう決着の付け方をしたのか想像に難くなかった。

 新選組では幕臣取り立ての他にさらに大きな動きがあり、七月半ば、新築の屯所に引っ越す事になった。
 これが、間借りしている西本願寺が敷地も建物の費用も全面的にもってくれている。
 もう駄目だ、出ていってくれと西本願寺側の我慢の限界が来たのが先日の鬼の襲撃騒動だが、前々から敷地内でものものしい訓練をするわ、小銃や大砲はぶっぱなすわ、殺生を嫌う寺の境内で刃物をぎらつかせるわ、隊士の処断で切腹させたりするわ、不逞浪士を捉えてきては責め問いを行うわ……もう数えきれないほど寺の境内に相応しくないことをやらかしている。
 そうでなくとも西本願寺は勤王寄りの寺なので、様々な方面から早く新選組を追い出せとせっつかれていたらしい。
 屯所を全額負担で新築してでも出ていってもらいたいくらいには、イザコザが絶えなかった。

 その新しい屯所は不動堂村にあり近藤の休息所に隣接して建てられていた。
  も普請中に視察に出かけた近藤や土方に小姓として付き従い見に行った事があるが、大名屋敷か何かかと見まごうくらい立派なものだった。

 引っ越しは滞りなく終わり、数日後からは通常の隊務に戻る。
 この頃、新選組から分離した伊東ら御陵衛士一派も高台寺月心院への移転を終えており、活発に諸方と連絡を取り活動していた。

 月心院に、近頃すっかり馴染みとなった客が現れる。
 伊東との話をすませた後、隊士たちと縁側で和やかに談笑するその青年の姿は、新選組にいまだ居る彼の姉の姿に良く似ていて、 と仲の悪くなかった伊東派の面々は親しみを感じるのか何かと弟のほうにも話かけていた。
 弟の は人当たりも良く、話上手なために伊東も気に入り、隊士たちも仕事ではなくとも遊びに来いと誘うようになった。

「そろそろお暇しますね。 ここに来るとつい時間を忘れてしまっていけない」

 そう言ってにこやかに座を辞し、 は廊下を歩いて玄関の方へと向かう。
 途中、藤堂ともすれ違いにこやかにお辞儀をしてから出ていった。
 その背を見送る形になった藤堂は、彼がここに出入りしている事に強い不安を覚えていたが、それを口にしないままでいた。
 新選組や に、何か不利益が降り掛かる気がする。

「藤堂君、戻ってきていたか。 伊東先生が集まるように仰せだ」
「あーはい! 今行きます」

 奥から呼ぶ声に答え、足を速める。
 自分で決めて袂を分かった事ながら、事あるごとについつい新選組の事を考えてしまう自分を軽く嫌悪しながらも、藤堂は御陵衛士としての仕事を全うするべく、同志の元へと向かった。




 前へ / 薄桜鬼・トップに戻る / 次へ