羅刹女 ---1---


「失礼、そこな御仁。 この夜分に如何様あって物騒な通りを歩かれている?」

 背後からかけられた穏やかな声に振り向くと、夜目にもあざやかな浅葱の羽織を羽織った数人の男がゆっくりと歩いてきていた。

「当方は、京都守護職御預、新選組。 この洛中の警護の一端を任されておる。 障りなくば、藩と姓名をお聞かせ願えぬか?」

 違いの剣の間合いを保っての礼儀正しい問いかけに、呼び止められた男は微笑んで一礼した。

「甲州より参りました、五条と申す者です。 京には身内を探すため……」

 このような人相の者を、と懐から似顔絵を描いてある紙を取り出して、突然顔をしかめて手を止める。
 紙が、はらりと落ちた。

「どうされた?」
「失礼。 昼間攘夷派とかいう者たちに物取りまがいの事をされまして。 少々手荒く撃退しましたが、少し腕を斬られた時に巻いた包帯が弛んでいたようです」

 事実、包帯の結び目がほどけてしまい、下げたそで口から赤いものが滲んだ包帯がはらりとこぼれ落ちた。

「これは、お見苦しい所を。 実はあまりに疼くので、宿の者に医者の家を聞いて夜分なれどちょっと診てもらえまいかとたずね……」

 実際、包帯を巻いた若い浪人の顔色は芳しくなかった。今が夜でなければそれがはっきりとわかっただろう。
 着物から出た腕に、ツッと赤いものがひとすじ垂れる。
 それが指先をつたって地面に落ちるよりも早く、若い浪人は大きく後ろに飛び退っていた。

「な……!?」

 顔を上げた浪人は思わず目を見開いた。
 先程まで自分を穏やかに誰何していた数人の容姿が、明らかに変わってゆく。
 髪は黒から雪のような銀色に変わり、瞳が熟れすぎの柘榴の粒のように赤く染まってゆく。
 容姿だけではない、周囲の気配もがらりと変わる。
 この真冬の空気にも負けないほど、刺々しく肌に刺さりなおかつ喉元を締め上げるかのような圧迫感……。
 明らかに、『殺気』だ。
 目の前の男たちの口元が禍々しく笑みの形を刻むと同時に、浪人は腰に差してある脇差しを抜いていた。

「血……」

 羽織りの男達は、僅かに漂う鉄錆の匂いに惹き付けられるかのように、ゆらりと身体を前だおしにしながら数歩距離を詰めてきた。
 浪人はそれでも慎重に相手の出方を伺っていたが、羽織りの男たちが腰の剣を抜くに至って、スッと胸の前に脇差しを構えなおす。
 この殺気で剣を抜いたなら、それは殺すと宣言しているのと同じ事だ。

「血を、ヨコセェェェっ!!」

 裏返った絶叫と同時に浅葱の羽織りが翻り、身体ごとぶつかるような突きが繰出された。
 浪人は身体の中心をまともに狙ってきたその一撃を、横へ跳ね飛んで交わした。動きざまさっと身体を半回転させ、勢いあまってすれ違う羽織りの背中を思いきり蹴り飛ばす。
 そうして前につんのめった相手が起き上がるまでの時間を稼いだ間に、もうひとり大上段に振りかぶってきた相手の懐に飛び込んで、両腕の間合いの中に一気に入ると逆手にかまえた脇差しを背中に突き抜けんばかりの勢いで胸元に叩き込む。

「ゲッ!?」

 異様な声とともに男の身体が大きく震えたが、浪人は気にしたそぶりもなくドンと肩をぶつけその勢いで突き刺した脇差しを引き抜く。
 相手が剣を取り落とし仰向けに大きくのけぞって倒れたのを確かめると、先程けり飛ばした一人が体勢を整えてきたのでそちらに向き直る。
 だがここからが異様だった。
 構えも何もなしに、子供が喧嘩で棒切れでも振り回すかのように凄まじい勢いで刀を振るってきた。
 最初の2太刀を避けた浪人はこれ以上振りまわさせては危険と、手近な小道に飛び込んで相手が無闇に切り掛かってくるのを封じた。
 驚きだったのは、振り回した刀が建物の角の柱にぶつかった時、ありえないほど深く食い込んだことだ。
 そしてそれを柔らかい土から草を引き抜くかのように軽々と羽織の男が抜いていたということ。
 あれだけ勢いよく食い込めば、柱が刀身を食い締めてしまいやすやすとは抜けるはずがないというのに。
 どこか酔ったような足取りで、狂気の笑いを浮かべたまま迫ってくる相手を前に、浪人は一度深呼吸をするとくるりと背中を向けて細い路地の反対側へと走り出した。
 俊足にはちょっと自信がある。相手に追い付かれずに走り抜けたら相手がここから飛び出しざまに一撃くれてやると算段したが、その算段はあっけなく外された。
 クルっと背を向けて走り出して十歩もいかないうちに、羽織の男は背後に迫ってきた。
 ありえないほどの速度と凄まじいまでの殺気が肉迫してきた時、浪人はそのまま背中から斬られるような事はせず、大きく振り回せないからと高く刀を頭上にかかげたためにがら空きになった胴体に、くるっと身体をひねって振り向きざま先程と同じように心臓の位置に加減のない一撃を叩き込んだ。
 悲鳴とともにもんどりうって倒れる相手から脇差しを引き抜いた拍子に返り血を浴びてしまい、顔をしかめる。
 地面に倒れて断末魔の痙攣を繰り返す羽織りの男の元から数歩慎重に後ずさると、浪人はすぐさま死体を飛び越えて路地に入って来た側に駆ける。
 あとひとり、いたはずだ。
 知恵が廻るなら仲間を呼ぶか、先に逃げ道を塞ぐはず。
 逆に入ってきた側からなだれ込むような事はしないはずだ。
 小道を飛び出したはいいが、そこで見たものは異様きわまりない光景だった。
 そこには、先程倒した一人が転がっている。
 その骸を、仲間と思しき浅葱羽織……これも頭は銀色で目は赤いが、手にした刀を振り上げてメッタメタに切り刻んでは爆ぜた肉から飛び散った血を手で掬い、口元へ運んで舐め取っているという、鬼も目を背けるような惨い様が繰り広げられていた。
 仲間の死体を切り刻んでいるほうは、これも笑いを浮かべたまま異様な声を零し、すっかり血の臭いと味に酔っている風情だ。
 どうみても、正気ではない。
 浪人が動きを止めていたのは呼吸にして数回の間だが、その間にゆらりと顔をあげた浅葱羽織と目があった。

「……お前の血も、飲ませろ……」
「お断りだ!」

 身体にまとわりつく異様な気を振払うように鋭く叫び、刀を振り回してこようとする残り一人の動きが本格的になる前に身体を低くして地面を蹴り、間合いをつめるとツバメが地面すれすれを飛ぶかのような俊敏さと動きの伸びで、斜下から切り上げる。
 狙い違わず羽織の男の太ももをざっくりと斬りさく。
 止血不可能な致命傷の手ごたえをしっかりと感じた浪人は、これならおいかけてこれまいとそのまますれ違いざまに走り抜けようとした。

「!!」

 が、走り抜けるよりも早く斬ったはずの足が動いて、膝蹴りを繰出してきた。
 驚愕のあまり対応ができず、まともにくらってしまう。
 それが、暴れ馬にはねとばされでもしたような凄まじい蹴りで浪人はあっけなく弾き飛ばされ道の脇に積み上げられていた防火用水の桶背中から激突した。
 地面に直接叩き付けられるよりも桶の山が衝撃を和らげてくれたのか、呼吸ができなくなるような不様にはならなかったが起き上がろうとした時には血でまだらになった羽織が目の前に迫って居た。
 手に触れた桶を思いきり顔に向かって投げ付ける。
 羽織りの男はそれを払うために両手で突き下ろそうとしていた刀にそえた片手を離して桶を弾いた。
 ほんの数瞬の余裕だったがそれで充分、浪人はすぐさま跳ね起き足さばきを生かして男の脇に立ち、片足を軸に背後に廻り込むと自分より背の高い相手の頚椎に向かって脇差しを振るった。

 さすがにここを絶たれては動けまいとの想像どおり、男は糸のきれた操り人形さながらにばたりと前に倒れた。
 待ってみたが、起き上がって来る気配はない。
 ようやく危機を脱する事ができたかと、浪人は胸いっぱいに吸い込んだ空気を思いきり吐き出した。
 後ろによろめいて、建物の壁に背中を預けると、そのままへたり込んでしまいたい気にかられたがここにいつまでもとどまるのは得策ではない。
 身の危険を感じたとはいえ人(?)を斬ってしまったのだし、浅葱羽織の仲間が他にいるとしたら厄介だ。

 落とした似顔絵が奇跡的に血にまみれることがなく道ばたに落ちていたのを拾い上げ懐に入れると、浪人は惨状に背を向けて足早に歩み去ろうとした。

「おっと、どこに行く気?」

 今まで気配もなかった物陰から、すっと出て来た人がいる。すでに抜刀し、余裕のある足取りで数歩近付いてくると身体を正面に向けて立ちはだかった。
 対する浪人は一歩後ずさる。
 これはまずい、と刀を持った者の本能が訴えていた。目の前の相手からは殺気もなにも感じられないが、先程まで相対していた白い髪の3人よりもよほど厄介な何かを感じる。
 しかも、同じ浅葱羽織ときた。

「悲鳴がしたから、こっちだろうって思ったんだけれど。 悲鳴の主が違ったとはね、ちょっと残念かな」

 当てがはずれたというふうにあっけらかんというものだから、浪人もさすがに良い顔はできなかった。

「手間が省けたとでも? それじゃあ明日から新選組ってぇのは頭も格好も奇妙きてれつな奴がいる上に訳も聞かずに人を斬る、ってそこいらじゅうに吹聴してやる」

 浪人が吐き捨てるように言った時、ちょうど退路を塞ぐ位置にもうひとつ気配が現れた。

「そういう穏やかじゃねぇ話を吹聴してもらっちゃ、少々困る事になるんでな。 動くなよ、問答無用で斬られたくなけりゃあな」

 背後からの感情を感じさせないひやりとした声に、相手がすでに刀を抜いていることを知る。
 警戒を緩めずにじっと様子をうかがっていると、目の前のほうの男が足元に転がっている死体の片方−−原形をとどめているほうに近寄り、その傷をしげしげと検分しはじめた。

「すごい斬り口だね。 太ももってこれだけざっくりやっちゃうと止血不可能で失血死は確実、首もすごいな、腕のいい首きり役人の仕事みたいだ」

 ヤな例えをするなとよほど言ってやりたかったが、傷を検分しているその様子が心底感心しているといった様子なものだから、文句を言うのもアホらしくなってしまう。
 はぁっとため息ひとつついて、浪人は脇差しを鞘に戻した。

「……あんたたち、このしろがね頭のお仲間だっていうんならとっとと持って帰ってくれ。 ……こちとら具合が悪くて医者に行こうって時にいきなりからまれて迷惑してるんだ」
「ああ、始末はするから心配するな。 で、お前もちょっとウチの屯所に同道してもらおうか」
「あんたら、評判の新選組だろう。 取り締まりはけっこうだが浪人者なら問答無用か」
「理由くらいは聞いてやりたいが、良くも悪くもこいつらを片付けるなんて、普通じゃねぇんだよ。 その普通じゃねぇのを野放しにしておくわけにはいかねえんでな、少々手荒な真似をしてでも来てもらうぞ」

 京雀の口が言うには、新選組の評判はすこぶるよろしくない。
 怪しきは斬れ、怪しくなくても難くせを付けて襲い掛かってきかねない狂った狼の群れ……壬生狼と影口をたたかれることしきりだ。
 その評判を頭から信じていた訳ではないが、京雀の言うことも、たまにはあたっているもんだと浪人は舌打ちをしてもういちど脇差しの柄に手をかけた。
 死体の検分をしていた男が、実に面白そうに笑みを浮かべる。その笑みは酷く酷薄で、血の臭いにあてられたようにどこか歪んでいた。

「いいね、抵抗する気満々? こっちとしてはその方が面倒がなくて助かるよ、さ、やろうか」
「やめねぇか。 巻き込まれただけだってぇなら事情くらいはきいて譲歩できるんならするのが筋だろうが。 ……お前も抜いたりするなよ、理由があるならこの場で殺しはしないが抵抗出来ないようにして屯所に連れてくことになるぞ」

 背後の男の苦々しい声に、前で進路を塞ぐ男はおもちゃを取り上げられた子供のように拗ねた顔をする。

「抵抗が無駄とわかれば、大人しくするか?」

 それでもピリピリとしていた空気の中に割り込んだのは、三人目の男の声。
 浅葱羽織をまとい、首元に襟巻きをまいた前の二人にくらべて小柄な男だ。

「そこのあんた。 俺たちも刀一本で、あんたが『しろがね頭』と呼んだ連中を斬れるだけの腕はある。 そういうのを3人相手にして、抵抗するか大人しく同道するか、よく考えろ」

 淡々と言われて、確かにそうだがと考えてしまう。

「……わかった」

 ココは一旦、諦めるしかない。
 そうして浪人は脇差しから手を離した。

「刀を」
「……」

 襟巻きの男が手を出してきたので、剣帯から大刀と脇差しを外してその手に渡す。
 武装解除に応じた事で、背後に立っていた男もようやく刀をおさめた。

「……お前、名前は」
「五条。 五条
「そうか。 ついてこい」
 
 殺す事になったとしても、墓に名前くらいは刻んでくれるつもりで聞いたのだろうか。
 身を翻し、先頭に立って歩いてゆく背中について歩きながら、浪人は熱をもちはじめた腕の傷を着物の上からそっと抑えた。




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