◇◇◇◇◇
あの夜、千鶴は斎藤に助けられて天霧の手から逃れた後、屯所に駆け戻ろうとしているのを山崎が発見し、無事戻って来る事が出来た。
その際、千鶴はとんでもない情報を持って来た。
斎藤と少し話をし、別れ際彼がぼそりと言ったのは、『あれの弟が伊東に接触している、伊東の前で『姉』と言っていた』と。
内容に驚いて振り返ったが、斎藤はさっさと立ち去ってしまいそれ以上の事を聞き出す事はできなかったが、斎藤が新選組の事を気づかってくれるような事を言ってくれた事は、千鶴の中でささやかな希望になっていた。
志が違えば昨日の味方とて今日の道は分かれるものなのだと、手厳しい別れ方をしたけれど。
あの人たちは、やっぱりどこかでまだ新選組と繋がっているのではないかと。
鬼に不意打ちを喰らって倒された島田のほうも大事なく、多少の打ち身程度で済んだという。
も多少腹に違和感は残るが、翌日からすぐに隊務に復帰した。
そして、早速竹刀を握って道場に出ている。
千鶴はいろいろな意味で心配になって、そっと道場を覗きに行った。
壬生の屯所時代に作った建物を移築してきた道場は、隊士たちが毎日稽古に使い一日たりとて威勢の良い声が絶える日がない。
入り口の影から覗き込むと、丁度
が竹刀をふるっている所だった。
すでに数人ぶちのめされた後らしく、入り口近くの壁のあたりに転がっている者がいる。
道場の中は情けないだの目にもの見せてやれだの様々な声が飛び交っているが、それらの声は
に微塵の動揺すら与えていないようだった。
どうなるのだろう、とハラハラしながら千鶴が見守っていると、その肩に後ろからポンと手を置く人があった。
悲鳴をかろうじて飲み込んだ千鶴がおそるおそる後ろを振り向くと、そこには笑みを浮かべた沖田の姿があった。
「
ちゃんなら大丈夫そうだよ。 それより中を見るならもっといい所があるから、こっちにおいでよ」
沖田に案内されて道場の裏側に回る。
明かり取りのために高い位置に付けられている格子つきの横長窓があり、男の背丈のさらに半分近く高い位置にあるそこからでは、普通覗く事はできない。
どうするのかと思っていると、沖田は裏に生えている木の根元に転がっている木箱やら板やら壊れかけた竹刀立てやら縁のかけた壷やら、始末しないまま誰かが転がしたままにしてあるガラクタ類を動かすと、窓の下でササッと組上げ、たちまち二人が並んで窓を覗ける台を作ってしまった。
「これで見れるよ」
「もしかして、時々こっちから見てたんですか?」
初めてではないだろう手際のよさにそう思っただけだが当たりらしく、沖田はにんまりと笑って千鶴を手招きした。
そして台の上から手を差し伸べてのぼるのを手伝ってやる。
「僕たち剣術師範が見てる時と見てない時じゃ、動きや真剣さが違ったりするからね。 時々こっそりこっちに来ては様子を覗き見てたってわけ」
だから、隊士の皆には内緒にしておいてねと沖田は顔の前で人さし指を立てる。
沖田も手慣れたもので、千鶴が乗る部分には自分の場所よりも一段高くして、階段状に作ってある。
千鶴がそこへ乗り、僅かに足りない分を背伸びすると道場の中がよく見えた。
「沖田さん、ありがとうございます。 すごく良く見えます」
「どうしたしまして。 ほら、
ちゃんがやってるよ」
一対一の打ち合い、
は自分よりも大柄な男の打ち込みを尽く躱すか受け流して殺してしまっている。
沖田はその様子を見て、くすりと苦笑を漏らしていた。
「だめだあれ。 全然本気じゃない」
「ですよね……」
「ふうん、どうしてそう思うの?」
千鶴の呟きに、沖田はいじわるな問いかけを返した。 だが、千鶴は道場の中に目を向けたまま、
「あれ、真剣の時の動きじゃありません。 実際に刃物であんなことしたら……躱したとしても相手の刀が水平になって棍棒みたいに打たれるかもしれないし、受け流したら絶好の反撃の機会なのに、手元が刃筋を立てる動きをしてません」
「うん、よく見てる。 すごいよ」
沖田は千鶴の観察眼に、半ば本気で賞賛の言葉を贈った。
伊達に幹部たちの巡察に付き合ったりして実際の斬りあいを間近にしたり、幹部たちの稽古を眺めている訳ではなかったようだ。
それらの見取り稽古は相当千鶴の目を肥えさせていた。
「……何ていうか、
さんが相手の竹刀の芸に付き合ってるみたいな感じです」
「うん。 ほんと、千鶴ちゃんの言う通りだよ。 ああほら、やられた」
受け流しからの切り返しの間を計り、
はスッと懐に入り込むと足払いを喰らわせ、相手の姿勢が崩れた瞬間に体を押して転ばせてしまう。
そして手に持つ竹刀を勢いよく相手の首の横スレスレに突き立てた。
この時代の剣術は型通りに打ち込むばかりのものではない。 体術もあわせかなり何でもありだ。
「そもそも、何で
ちゃん相手に一対一でかかるかなあ。 数人で取り囲んじゃえばいいのに」
「ありなんですか? そういう稽古も」
「もちろんだよ。 多人数掛けは切り合いの時にも見てるでしょ? 逆に自分がそう言う状況におかれたらどう抜け出すか、こっちが追い詰める場合には、味方を巻き込まずいかに確実に相手をしとめるか。 闇雲に剣を振るってちゃ、勝てる相手にも勝てないからね」
沖田の言いたい事は、千鶴にもよくわかる。
実際の戦いにおいては、どんな状況におかれるか……ありとあらゆる場合を想定しなければならない。
「相手が確実に自分たちより強いのに、律儀に一対一で向かってるでしょ?
ちゃんが女の人知れちゃった上であれをやってるもんだから、
ちゃんも馬鹿馬鹿しくて本気なんて出せないわけ」
「あの……『女に負けては男がすたる、ましてや大人数でなんてかかれるか』というやつですか?」
「的外れもいいとこ……っていうか認めたくないんだろうね。 強いっていう事実の前に、男だ女だなんて関係ないのに。 ああ、またやられた」
「何人抜きしてるんでしょうね。 まだ余裕ありそうです」
「そりゃ、体力馬鹿の新八さんと木刀で散々打ち合いして『ああいい汗かいた』ですませる人だよ? あれくらい軽い軽い」
目の前の相手が強い事が何より問題なのであって、それを確実にしとめるためにはどうすれば良いかくらい分かってるはずなのに。
「一君がいれば任せるんだけれど……」
「沖田さん?」
「ううん、こっちの話。 そろそろ降りようか?」
「はい」
ここから時々幹部が見ている事を知られてはまずいので、踏み台作りのために使ったものはまた元通りに散らかしておく。
二人でがらくたを移動させながら、沖田は千鶴にちょっと聞きたい事があるんだけれどと話を切り出した。
「何ですか?」
「唐突だけどさ、女の人の幸せってさ、何だと思う?」
千鶴ちゃんの考えを聞かせて、と言われて、千鶴は思わず手を止めた。
「ええっと……お嫁に行って、可愛い赤ちゃんを産む事でしょうか」
「千鶴ちゃんはそれが幸せ?」
「……以前はそう思っていたんですけれど、最近少し疑問に思います」
だよねえ、と沖田も頷いた。 何せ、求婚相手があれだ。
いや、求婚ともいえない、あんなのはただの略奪だ。
「まるで、その事が全てのように言われてしまうと、私の血だけが必要なのであって、そこに幸せがついてくるかどうかは、二の次、三の次になる気がするんです」
「うん。 それって、すごく腹がたつよね」
まるで、千鶴ちゃんが千鶴ちゃんのまま、
ちゃんが
ちゃんのままじゃ、『そんなの正しい幸せじゃない』って勝手に周りが決めつけてるみたいだと沖田は言った。
女という性別だけで、型にはめようとする。
強い、という事実の前に男も女もないのと同じように、本当の幸せの前にもまた、男も女もない。正しい形もない。s そう沖田は思う。
「沖田さんは、今、幸せなんですか?」
「もちろん」
千鶴の問いに、沖田は自信を持って頷いた。
「この世で一番尊敬する人の剣になって生きる事ができる、こんな幸せなこと他にないもの」
「……そう言いきっちゃうのって、すごく沖田さんらしいです」
「千鶴ちゃん。 さっきの質問に戻るけれど、女の人の幸せって、何だと思う? 周りが決めたんじゃない、君自身が一番幸せになれる形」
沖田の問いかけに、千鶴はもう一度己の心に問いかける。
自分が、望む幸せの形を。
「『心から好きな人』の側で、一緒に生きていけたら素晴らしいと思います。 嬉しい事も辛い事も悲しい事も全部全部分け合っていけたら、どんなにいいでしょう。 ……お嫁さんになったり、子供が……っていうのは、それがあってこその幸せのひとつの形なのかと思います」
「うん」
沖田は、満足そうに微笑んだ。
「幸せなんて、性別で決まるものでもなければ、誰に決めてもらうわけじゃないもの。押し付けられたって迷惑なだけだよ」
「そうですね、そう思います」
「男だから、女だから、なんて些細な理由だよ。 僕はね、千鶴ちゃんも
ちゃんも今のままでいてほしいな」
よいしょ、と重たいガラクタを動かす沖田の背中を、千鶴はまじまじと見つめてしまった。
「周りの雑音や悪口なんて気にしないでさ。 二人とも今のままで、一番の幸せを探して手にしてほしいと思うよ」
男でも、女でも。
強さでも、幸せでも。
その本質は変わるものではないし、決して型どおりに押し付けられて決まるものではないと、沖田は言う。
千鶴が人とは違う生き物であること、それゆえに迷惑をかけてしまったと気に病んでいること、
もまた、一部の平隊士たちから掌を返したように『女の紛い物』と陰口を叩かれていることを知っている沖田なりの、精一杯の励ましともいえる言葉は酷く心に染みるものだった。
「沖田さん……ありがとう、ございます」
にもきっとこの言葉と想いを伝えよう。
そう思う千鶴の目元は、かすかにうるみを増していた。
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