羅刹女 ---17---


  不知火を待ち、動く。
 風間はそう言い、もう暫く自由にしていろと告げた。
 綱道の研究に携わる も、やらなければならない仕事があったのでそちらをこなしながら不知火を待つ日が続いた。
 その間、薫の仮宅に住まわせてもらっていたが、風間たちは薩摩藩邸のほうにも出入りしているようで、戻らない日もあった。
 日を重ねるにつれて、西を見る時が増えていた。
 長州の、方向を。

 その日も は、帰らない薫の留守を守るように家で過ごしながら、縁側で沈む夕日を眺めていた。
 柱に背をもたせかけて、ぼんやりと。

「……心、ここにあらずといった様子ですね」

 声を聞いて、 はぴょこんと背を起こした。
 裏のほうからゆっくりとした足取りで、鬼の天霧が近付いてきていた。

「誰かが来る気配に気付かないなんて、俺相当ボケッとしてたみたいですね」
「いや、私も足音を消していたからな」

 それ、いつもの事じゃないですかと が笑うと、天霧も穏やかに口元に笑みを佩いた。

「気に、なりますか」
「少し」

  がずっと西を見ている理由。
 先頃、兄とも慕う、高杉晋作の病状がいよいよ悪化したと、長州藩邸にいる知り合いから文が届いたのだ。
 変若水なら病を治すことも期待できるからといくら飲んでくれるように頼んでも、最後までそれを拒んだ人だ。
 自分が長州を離れる時には、すでに日常生活にも支障が出るくらいに弱ってきていた。
 死神に取り付かれた顔で精一杯に笑い、『お前の大切なものを取りかえしてこい』と送りだしてくれた。
 その人が、いま、死の床にいる。
 さすがに、心穏やかではいられない。
  の心情を察してか、天霧も西の方向を眺めた。

「大丈夫ですよ。 男鬼の足なら確実に間に合います」

 鬼の脚力は人間など比べ物にならない。
 数日前に出たのなら、もう長州も目の前のはずだ。

「……君も、帰りたかったでしょうに」
「俺を連れていたのでは、絶対に間に合わなくなりますから」

  は自嘲的な笑みを浮かべて自分の足を撫でた。 鬼よりもはるかに弱い人間の足では、不知火の速度に追いつけない。
 そして自分を連れていたのでは、不知火は絶対に一人で行こうとしないだろう事を分かっていたから、ひとりで行かせた。
 綱道から『必要があれば使え』と渡されていた、変若水を託して。
 死の床の、本当に瀬戸際であれば、あの時拒んだ延命を受け入れてくれるかもしれない……そんな淡い期待をかけて。

「けど俺、惨い事しちまったのかもしれません。 ……不知火さんに、あの人の死を見取らせるなんて」

 これについては、天霧も難しい顔をするしかなかった。
 鬼が人に心を寄せる事、珍しい事ではあるがあり得ない事ではない。
 だが人は、鬼に比べあまりにも弱く、脆く、あっけなく死んでしまう生き物だ。
 男であろうが女であろうが、心を添わせた相手との別離が堪え難いのは、心がある以上鬼も人も同じだ。

 人を好いても、心を通わせても、鬼は必ずといっていいほど取り残される。
 人の業を嫌うのに輪をかけて、その事実が人と鬼の距離をさらに遠くしていた。

「君は本当におかしな人間だ。 我々鬼を怖れないばかりか、その心まで心配する」
「……」
「不知火なら、大丈夫です。 我々はそう柔ではありませんよ」

 天霧は の側に寄ると、岩をも砕く拳を開いて、ポンと頭を撫でてやった。

「また。 俺そろそろ頭なでられるような年じゃないですって」
「良いではありませんか。 形は変わっても、こういったことが必要になる時が誰にだってあるのですから」

 例えば、男が女の膝枕をせがむのも似たようなものですよと天霧は妙な例えを上げた。

「……泣いておきなさい。 彼と親しかった不知火の前では泣こうにも泣けないでしょう」
「そんなことは……」
「ありますよ。 それにね、 君」

 天霧もまた、自分たちを恐れないどころか利用しようともしない、それでいて一丁前に心配までしてくるこの青年を気に入っている。

「もうこの世に居なくなってしまった人の人の事を悲しんで、泣くのも立派な弔いであり、死者への慰めでもあるのですよ」

 この青年に成し遂げなければならない大事な事があるのなら、いざというとき悲しい気持ちに押しながされてしまわないように。 そう願い、言葉を重ねた。
 天霧の言葉に納得したのか、 は無言で頷くと肩を落としたまま部屋へ入っていった。
 やはり、人前でというのは気恥ずかしいらしい。

「……鬼など、無力なものです」

 人より優れているなどと言われても、それは肉体的な強靱さ、生命力ばかり。
 力になりたいと思った相手が傷付いている時出来る事など、所詮たかが知れている。
 不知火もまた、己の無力さに直面することになるのだろう。
 荒れるかもしれないな、そう思うと、同じ痛みを少しでも共有してくれる が此処に居てくれる事は、まるで天の助けのようにも感じた。










◇◇◇◇◇











「うるせえ! こっちはそれを承知で使ってんだ、てめぇらの未熟を棚に上げた陳情なんぞ聞く耳持つと思うか! とっとと失せろ!」

 西本願寺の新選組屯所に、鬼の副長の怒声が響いた。
 副長室の屏風の後ろにこっそりと隠れた は、いたたまれないといった風に体を小さくしながら、息をひそめて大人しくしている。
 土方の怒声、何が原因かというと、新選組に起こったある噂だ。

 副長付き小姓兼遊撃手、五条 は『女』である。 ……と。
 女性が道場に通う事も増えたが、女が刀を握る事を汚れと考える男もこの時代多い。そして伊東のように、政事に関わる場所にいる事を嫌悪する者も普通に存在する。
 女であるなら、追放するか機密保持を考え出家させてしまうのが妥当ではないかとの声も上がった。

 だが、そんな噂を一喝したのが鬼副長の雷だ。
 それがどうした、一部の人間はとっくに承知だ、むしろてめえらみてえな馬鹿どもに変な手出しをされねぇように今まで男の形をさせといたんだと、組織第一の鬼副長が怒鳴ったものだから、平隊士たちは驚くと同時に、『五条は優遇されている』と妙な思い込みを植え付ける事になってしまった。

 人事を担当する土方の元を通り越して、局長にまで陳情が行ったが局長もまた『女であることを承知で使っているのだ』と言ったために、動揺は半分程度におさまったが……やはり、『女を組織においておくのはよろしくない、何とかしてくれ』との陳情がちらほらと舞い込む。
 その度に鬼の角が伸びているのだが、 のほうはいっそ地面にめり込みたいほど申し訳ない気持ちで一杯だった。
 そうでなくともここの所面倒が立続けに起きているのに、自分の事などで神経を使わせるなど……。

「……おう、そこに居るんだろ。 出てこい」
「はい……」

 屏風の陰からちらりと顔を出せば、土方は背を向けたまま廊下のほうを睨み据えている。
 その背中から尋常でないものがゆらゆらと発せられているように見えて、 は一瞬出ていくのをためらった。

「どこからバレたと思う。 その前にお前、バレるような行動してたか」
「してません!」

 何のために、のど仏が出てないのを隠せるように夏といわず冬といわず首に布巻いてると思ってんですかと は言う。
 一番危ない風呂だって、皆が寝静まってからか、部屋で体を拭くに留めているというのに。

「……祇園や島原の綺麗所の相手を断り続けてきた、そのスジでしょうかね」
「そりゃあねえだろ」

 手紙を貰おうが酒席で誘われようが、断り続けてきたせいで恨みを買って、あれは男じゃなくて女に違い無いと噂をたてられたのかと思ったが、ありえないと土方は否定した。
 振り返り、 の姿をしげしげと眺める。

「な、何ですか」
「手首やら足首やらの細さがちと気になるが、充分野郎に見えるよな。 上背もあるし声も低めだしヒゲの薄い優男か元は芝居の女形とでも言えばどうとでも誤魔化せる」
「……」
「加えて道場や巡察であれだけ暴れときゃ、間違っても『女』にゃ見えない、いや女だと思いたくないはずなのに……本人がうっかりしてねえとなると、さてどっからバレやがった」

 かなり凄い事を言われた気がするが、ここで突っ込みを入れるべきではないと はぐっと喉元まで出かけた言葉を飲み込んだ。

「ま、バレちまったモンはしょうがねえ。 暫く巡察からは外れてもらうが、道場じゃ好きなように暴れろ。 女だからどうのこうの言う奴がいたら叩きのめして構わん、俺が許す。 ついでに道場の外で仕掛けて来るような奴もやっちまっていいぞ」
「有難いお許しと尊敬するべき切り替えの早さですが、いいんですかね? そうでなくても女に叩きのめされたって相当落ち込んだり、その事で周囲にコケにされてる人もいるみたいですが」
「外見が優男で、中身が女だから何だってんだ。 見かけやら性別に先入観もってダマされて油断してかかるほうがよっぽど問題なんだよ。 お前だってあの鬼連中の事知ってるだろうが」
「あーー……」

 外見は細身ながら、人間離れした使い手の鬼たち。
 確かに外見からだけでは、そう強そうには見えない。

「……とにかく、だ。 バレちまったもんは仕方ねえんだよ、お前が気にすることじゃねえ。 それなりにやればすむことだ。 そんな事より」

 土方は、片手を上げて眉間の皺を解す仕種をした。

「伊東に幹部二人もひっこ抜かれてただでさえ手が足りねぇってのに、この上戦力切り離したりできるか。 追放しろとか尼寺に入れちまえなんていう戯言、聞く気は初からねぇんだよ」
「新選組の機密を知ってるんだから生かしておいたら利用されるかもしれない、女といえどもぶった斬れ、のほうがまだ説得力はありますね」
「そういうことだ そこまで言わずに刀が穢れるだの、女に負けた男の面子がどうのこうのを先に問題にしてる時点で甘ったれてんだよ。 甘ったれは早々に性根を叩き治しておかなきゃなぁ」

 土方の物騒な笑いを前にしたら、子供がひきつけ起こすんじゃなかろうかと は本気で思ってしまった。もちろん口には出さないが。
  の性別がどこからかばれ、噂になった事についてはどこが発生源かの調べはつけるという。
 隊士の間から自然発生的に出たものならまだいい。 花街から出たにしても問題はあるが、 が遊女に恨まれておけばいい事だし、その情報を新選組と敵対する組織が利用しようとしても『納得して使っているし、使い所は間違えていない』のだから大して痛くはない。
 裃を着せて二条城に連れて行った訳でもなければ、会津公にも会わせた事はない。
 はっきりと女人禁制の高野山でもあるまいに、あちこちから使える人材を集めている新選組が有用な人材を使って何が悪いと開き直る気満々でいた。
 出所によっては締め上げる必要もあるが。

「幸いウチの監察方は優秀だ。 噂の出所の調べがつくまではあまり出歩るかずにいろ」
「……はい、私も出所は気になります」
「そしてこっちも幸いにして机仕事がたんまり溜まってる。 出歩かない分こっちをやらせてやるから安心しとけ」
「はい……」

 土方が処理しなければならない書類の数は半端ではない。
 隊の雑務から大きな買い物になれば会計にも目を通さなければならないし、今回のような陳情もある。
 監察方からの報告への対応に加え、公務として会津藩から来る書状や諸藩や京の重要人物との会合との日程調整のための雑務など多岐に渡る。
 今は多少マシだが、まだ人員も少なめで監察方の人数も少なかった頃はそれらを捌くのももっと大変だった事だろう。

「俺は先に近藤さんと話をしてこなききゃならねえ案件があるから、お前は墨すっとけ。 多めにな」

 土方が出ていった後、 はもの入れの中から硯箱を出すと言われた通りに墨をすりはじめた。
 文机の上にある複数の手文庫、その中にたんまりと積み上げられた未決済書類の量を見ると、『多め』ではすまなさそうだと思いつつ。












 池田屋の頃を思いだすような蒸し暑い夏の晩、屯所に訪問者があった。
 お前も来い、と広間に呼び出され何だろうと首を傾げつつ向かうと、意外な人物が客として訪れていた。

「……お千ちゃん? どうしたのこんな遅くに」
さん! ええ、これからする話を、あなたにも聞いておいてもらいたかったので」

 以前、千鶴が斎藤の巡察に同行していたときに暴漢の手から助けたという少女だ。
 そういう事があったと千鶴に聞かされていたし、彼女自身何度か屯所までやってきて千鶴と話をしていったこともあった。
 その折り千鶴に紹介してもらい、彼女には自分が女だということも教えてあるがそれについては沈黙を保ってくれと頼んである。
 明るい笑顔を向けて来るお千と違い、千鶴は困惑顔、周囲の新選組幹部たちの表情も穏やかでない。
 お千は千鶴を迎えに来たのだという。それも急いで此処を離れるべきだと急かしてきた。
 わかるように説明しろと言う幹部たちに、お千は風間を知っているかと問いかける。

 風間たちが鬼と名乗っている事、そしてその鬼という存在が古来より日本に存在し、幕府や諸藩の要人はそれを知っていたことなど、お千の口からにわかには信じがたいような数々の事が明かされる。
 そして彼女自身もまた、京に古くから住む鬼の一族の当主なのだという。

 そして何よりも驚いたのは、千鶴が風間たちと同じ『鬼』であるということ。

 度々襲撃をかけてくる風間の目的は、千鶴を嫁にするのが目的であること。 より血の純粋な鬼同士で子を成す事で、より強い子孫を残すために。
 なるほど、それで得心がいったと は内心で呟いた。
 池田屋の時は、ぞんざいにあつかっておきながら……それどころか殺そうとまでしたくせに、その後は掌を返したように目的をもって攫いにくる。
 池田屋と二条城警護の間、そのどこかで千鶴が血筋の良い『鬼』だと判明し、子を産ませる『嫁』として利用するべく攫いにきた、というわけだ。
 連れていくだの時間が無いだの、新選組には女ひとり守る力がないと思ってるのかだの、喧々囂々の言い合いの中ひとり沈黙を守り、半分目を伏せていたが、皆の言葉が途切れた所で確認するようにお千に向かって訊ねた。

「……あちらにいるっていう千鶴ちゃんの父親……雪村綱道さんも、『鬼』に関わりがあると思っていいんだね? そして父親として、自分の娘を娶ってくれないかと風間とやらにもちかけた」
「そう言う事になると思います」

 結婚は、本人同士の意志の前に、その父親たちの意志で決まる。
 父親がいなければ、家でもっとも有力な男性か長老が取り決め、話をすすめる。
 田舎の農家や江戸の長家暮らしのような連中ならば、好いた惚れたでくっつく事もままあるが、身分が高く血筋が確かになるほど、恋愛結婚は許されないのが普通だ。
 結婚式で始めて新郎新婦が顔をあわせるなとどいうのもよくあることだ。
 千鶴の場合、父である綱道がこれと決めた男に嫁ぎなさいと決めたなら、好きも嫌いもないまま黙って従わなければならない立場だ。

「取りあえず連れて帰って済ませる事済ませてから事情を話そうってか。 あべこべもいいとこじゃねえか」

 呆れてものも言えねえと、原田が首を横に振る。
  はもうひとつ訊きたい事があると、質問を続けた。

「人間の結婚の形式と違うから問題になってるって可能性もあるけれど。 お千ちゃん、鬼の風習じゃ、大昔に流行った女奪って自分の家に攫ってくやりかたが普通なの?」
「さすがにそれは鬼にしても大昔の話です。 今はそう、人間とほとんど変わりませんよ」
「じゃあ、千鶴ちゃんが悪いわけじゃなくて、綱道さんが報せなかったのがあれなのと、風間のやり方が大問題な訳だ」
「もちろんよ! 訳も分からず嫌がる女の子を無理矢理に、それも男の勝手な事情で連れていこうなんて。 そういうのは普通、人さらいとか犯罪者って言うのよ」

 それは間違い無いなと、幹部一同の表情も僅かに緩む。
 
「だけどお千ちゃん。 鬼が種の存続の危機に瀕しているっていうなら、血筋の良い子が生まれる事は一族全体の利益として同じ鬼のお千ちゃんにとっても悪い話ってわけじゃないだろう? それなのに、何故千鶴ちゃんを守ろうというか、彼の目に届かない所に置こうとする?」

  の言う事は、確かにその通りだと幹部たちも揃ってお千に視線を向ける。
 男たちの視線に怯む様子もなく、お千は胸を張り、

「さっき言ったじゃない。 嫌がる女の子を無理矢理攫ってこうなんてやりかたが許せないのが一つ。 もう一つは、友達が困ってるから、私にできる事で助けたいだけよ」
「なるほど」

 そういうことなら、充分得心できると はにっこりと笑った。

「ただここも、鬼の一匹や二匹じゃびくともしない……というか、殺しても大人しく殺されてくれないような連中のたまり場だ。 千鶴ちゃんがあえてここに残りたいというなら、それでも構わないと私は思うけどね」

 その台詞の後、 は『お前も総司と同じで余計な言葉が増えてきやがった』と土方に横合いから拳骨を喰らった。
 お千は表情を引き締め、ここを出るか出ないかについて千鶴と二人で話し合いたいという。
 近藤は千鶴の意志を優先するし、たとえ二人きりになってもお千が千鶴を攫ってゆくようなことはしないだろうと鷹揚に笑っていたが、幹部たちはやはり両者ふたりづつで話をすべきだったのでは、と不安と緊張を露にしている。

 千鶴とお千が広間を出ていった後、お千の護衛・君菊は廊下に下がって控えていたが、ふと、 に視線をやる。
 その視線に気付いた は、どうしたのかと首を傾げた。

「……あの」

 廊下から控えめにかけられた声に、近藤が『何かな』と人好きのする笑顔で応える。

「五条さんと、少し話をさせてもらって良いでしょうか? そこの庭で、皆さんから見えるだけの距離は保ちます」
「ああ、わざわざそんなことしなくても! ちょっと庭に出てきますね」

 だからせめて見張りくらい手の届く範囲につけろと男たちは言いたかったが、 は裏の畑で大根抜いて来ますくらいの気安さで君菊とともに庭に出てしまった。

「君菊さん、話って?」
「ええ。千鶴ちゃんだけでなく、あなたにも鬼の手が迫っていることを知っておいてもらおうと」

 そして千鶴が自分たちと来る事を了承したのなら、是非自分にも一緒に来てもらいたいのだと君菊は言った。
 やはり、同族とはいえいきなり訳の分からない一団の中に入るよりは身近に親しい人がいた方が心の支えにもなるだろうからと。
 千鶴ちゃんがそう求めるなら、そして新選組の面々が『行ってこい』と言うならばそれも可能だが、別の理由でまたも首を傾げてしまった。

「……私は記憶にある限り、混じりっ気なしの人間のはずだけれど。 鬼の所に行ったりしたら、何かと問題おきないか?」
「きっと現状のほうが大問題になると思いますよ。 あなたは、不知火という西国の鬼に狙われているのですから」
「……はぁ?」

 小声だが、思わず素頓狂な声を出してしまった。 だが一応、身に覚えがないこともなかったので記憶を辿ってみたのだが……戦場で出会ったとか殺しあいになりかかったとか、そういうものしか出てこない。
 命を狙われているという意味で大問題なのかと君菊に問うと、そうではないと君菊は苦笑した。

「先程姫様も申しておりましたが、京での出来事は大体耳に入ってくるのです。 これは……古式ゆかしき鬼の風習とでも言いましょうか」

 君菊は片手を頬に当てて、困ったものだというように視線を横に流し、鬼の風習について話しだした。
 人間社会でもお伽話として出ている、鬼と人との関係。
 鬼が女を攫っていってしまいました、女の家族や強い武士が知恵や武器で立ち向かい、無事に鬼を退治して女を取り戻してきました……というものや、逆に返り討ちにあい、女も食われてしまいました……など、鬼の男が人の娘に懸想して、攫っていってしまう話。
 あれが実は昔からあるのだという。

 鬼と人は、生き物として様々な部分が違ってこそいるが、種としては近しい。
 両者の間に子を成す事ができるくらいに。
 姿形も心も似ていてる『人間』の女に懸想する鬼の男は昔から後を断たないのだと。
 だが、もう長い間鬼は人を避け、人は鬼を恐れてきた。
 相手の男が鬼と分かっていて、娘を嫁がせる親はいない。 それでも思い悩んだ挙げ句に、娘を攫ってでも沿い遂げようとする。
 そうして子を成して人の間にまぎれて暮らしていく者が多く出た事が、今日に至って種の存続の危機に繋がっている訳だが、やはり本気の好いた惚れたは掟でも縛れない。

「姫様や私の所に集まって来た情報を聞く限り、どうも不知火もそう言う目的であなたに目をつけているような気がしてならないのです」
「攫って行ってでも……って? 何て嬉しくない話だ……あれ?」

 ちょっとまった、と はひと呼吸おいた。

「話から察するに、不知火もけっこう血の濃い鬼じゃあないの? そういう奴がお伽話の真似なんかして、周囲がだまっているわけないんじゃ」
「もちろんです、事が露見した場合、大抵一族から追放されて後ろ楯を失います」

 寄る辺を無くした鬼が人間社会でその素性がばれないように暮らすのは何かと苦労する。
 なので綱道が最初から千鶴にそうと知らせず、人として育てたのは最初から知らせなければ人として周囲に溶け込むのに苦労をさせずにすむと思った、親心とも言えるだろう。
 だがそれだけに、鬼の誇りを持つ綱道はそうしなければ生きていけない事が非常な屈辱と感じた事だろう。娘の身を不憫と感じた事だろう。
 千鶴の言う、人のよい、そして周囲に慕われる医者としの顔の下で計り知れない苦悩を抱えていたに違い無い。

「そこまでの執着なのか、恋情なのかそれとも殺意なのか……そこまではわかりませんが、弟の 君と行動を共にしている不知火があなたに執着を見せ始めている事は確かなのです。 どうか気をつけてください」

 あなたに何かあったら、姫様も千鶴ちゃんもきっと悲しみますと君菊は目を伏せる。
 その様子は、主従の関係抜きに相手を心配する様子が滲み出ていた。

「わかった。 極力気をつけるよ」
「ええ」

 話が一段落した所で、ちょうどお千と千鶴も戻ってきたので、我々も上へ戻りましょうと君菊は視線で促した。

「一つ……聞いてもよろしいですか?」
「ん?」

 戻ろうと先に立った君菊が足を止めて、半分振り返ったので も足を止めた。
 君菊の口から出た質問は、計らずも彼女の主と同じものだった。

「先程から見ていますと、あなたは随分とこの場所から離れがたく感じているようですが……ここに誰か好いた殿方でもおありなのですか?」

 君菊の笑みが、悪戯っぽいものだったので もそれに応えるように笑みを零す。

「そうだね、いるよ」
「まぁ……それでは無理もないですね」

 二人の声は室内までは届かない。
 そんな女二人の笑みの意味が分からない男たちは、かなり複雑な顔で眺めていた。




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