◇◇◇◇◇
御陵衛士たちが善立寺に居を移して暫くした頃、長州藩関係者だという一人の青年が伊東の元を訪れた。
何物かと様子を見に出た御陵衛士のひとりが青年の顔を見るなり目を丸くして伊東に報告に上がる。
自室で薩摩藩邸にいる者への手紙をしたためていた伊東は、報告を受けてこちらも驚き、すぐに通せと命じた。
伊東が客間に赴くと、すでに青年は服装を正して下座に座っており、客の礼儀を守って主人の足音が聞こえてきた時から平伏していた。
「顔を上げてちょうだい」
「はい」
まったく滞りのない流れるような所作で、青年は平伏していた顔を上げ、背筋を正した。
その顔を見た伊東は、この目で見るまで信じられなかったが、確かによく知る顔だった。
「尊王の志高き伊東先生にお目通り叶いました事、まこと有難く存じ上げます」
だが、知った声よりは低く、落ち着いた声音。
「私は新選組の五条の実弟、五条
でございます」
弟と聞いて似ている事を少し得心した伊東は、肩の力を抜いた。
「驚いたわ、あの子に弟がいたなんて。 あなたのお兄さんには、私達京都に来た頃からなにかと世話を焼いてもらっていたのよ。 できればこちらにつれてきたかったんだけれど……」
惜しい事をしたわ、と伊東はため息をつく。
「……それで? まずお兄さんが新選組、弟のあなたが長州藩がらみって所で穏やかじゃないわね。 わざわざこの伊東に会いに来るような用事があったのかしら?」
「お察しの通り、藩の用事ではございません。 ……極めて私的な……ですが伊東先生の他におすがりする相手もいないと思い悩んでの事でございます」
「まあ」
声音を落とし、沈痛な面持ちで再び手を畳みにつく青年。
「どうか、お願いでございます。 私の姉を……新選組にいる五条
を、あの場所から引き離したいのです。 手をお貸しいただけないでしょうか」
「……何ですって?」
伊東は形のよい眉を寄せる。今、目の前にいる青年はさらりと変なことを言わなかっただろうか?
「姉、といわなかった?」
「はい。
は血を分けたたったひとりの姉です。 訳あって少女の頃より男装をしなければなりませんでしたが、れっきとした女性です」
「ちょ、ちょっとお待ちなさい? では何、あなたのお姉さんはもう何年も前から……あの男というか獣まみれの屯所で生活していたの?」
「……私もこちらに出てきて事実を知り驚きました。 何の縁あって新選組に関わる事になったのかまではわかりませんが、ずっと男の形のまま、あそこに居たとしか」
伊東は声もなかった。
中性的な青年とばかり思っていたし、他のごつい隊士たちと違って見栄えが良いので、武家小姓としては最適だし、本人はいやがっていたがいずれ小姓の正装である振り袖も着せてみたいと思っていた。
伊東の驚愕を読み取ったのか、顔を上げた青年はちょっと照れた様子で、顔の下半分を押える。
「……あの、これは本人に聞かれたら殴られそうなんですが……普通の女性にしては大柄……というか小柄な男並みには背丈があって、声も女性にしては低めで、剣を使わせたらそのへんの下手くそなんて片手で十束一絡げにあしらうような感じで、性格もなんていうか、女性らしいたおやかさがまるで無し」
尽く当たっている。
「というか、あれに剣で負けた相手に『実は女なんですよ』と言った所で信じたりしません、二重の意味で」
男として見るなら小柄、いかにも腕っぷしが弱そうに見える相手に剣の実力で叩きのめされました……だけでも相当恥ずかしい事なのに、それが実は女でした何てことになったら、男の面子は丸つぶれだ。
潰れるどころか跡形も残らない。
武芸を嗜む男が女に力負けするなど、あってはならない所か『ありえない』事なのだから。
この御時世なので、武芸を学ぶ女性がいないわけではないが、それでも少数派だし、日頃は女の形をしているのが普通だ。
そういう女丈夫がいる道場で学ぶ男は大変で、彼女に正面から勝てないような男はそれだけで周囲から『未熟者』の目で見られてしまう。
女の腕のほうが確かで、男が本当の『未熟者』であっても、男の面子というものはその一言では片付かないものだ。
「……確かに強いですし、半端な男なんてあれを襲った所で返り討ちにされるのが精々でしょうから、『そのへん』は心配していなんですが」
そのへんとは、姉の貞操の事だろうか。
伊東も
の剣を道場で見た事があるが、剣術と体術を組み合わせた戦いぶりは実際強かったし、沖田・永倉といった剣術師範たちとも普通に渡り合っていた。
確かに下手な男では、よほど念入りに罠にかけるか押し倒しでもしない限り痛い目にあいそうだ。
「このまま新選組にいたら、どうなるかくらいは私にも読めます。 尊王の風ますます激しい中、あそこに居続ければ待っているのは身の破滅。 それに新選組も、今やただの剣術集団とはいえません、政治に関わるひとつの団体です。姉とて思想と無関係ではいられますまい」
「……確かに、女性が国事に関わる事自体が、よろしくない事ではあるわね」
女は政治の事など考えるな、というのはこの時代普通の発想だ。
男のほうでも、言わないし聞かせないのが普通だが、昨今国事に陰ながら関わる女性もいないことはない。
しかし勤王の志士たち陰ながら支援する芸者衆や、宿屋の女将、隠れ家を提供する商家など、形は様々だがそういった人達の協力で政治活動がやりやすくなっているのも事実だった。
無視はできないが、少なくとも表だって女が政事に口を出すものではない。
伊東は手にしていた扇を一旦開き、パチンと閉じた。
あれの弟と名乗った青年の言う事が本当なら、自分の目もうまいこと騙されていたものだと思うが、今はそれよりも新選組の者たちの泣きどころを新たに掴む事ができた、そう思った。
あれを側に置いている近藤・土方などの幹部たちがそうと知らないはずもない。 知っていたのならそれはそれで問題だし、知らずに使っていたのならそれも大いに問題だ。
少なからず、新選組に揺さぶりをかけるネタになる。
「あなたの言い分は分かったわ。 それで……この伊東と取引きが出来る材料を何か持ってきているのかしら?」
「まずはひとつ……姉の素性、先生のお立場なりに自由にお使い下さい。 それともうひとつ……変若水、というものを御存知でしょうか」
そのものずばりを切り出してくる青年の大胆さに多少驚いたが、顔には出さずに得意の和歌の知識の中からさしあたりのない答えをまず返してみる。
「万葉集の中に見られる、ツクヨミノミコトが持つという人間を若返らせると言われる霊薬の事ね。 そこから解釈して、ありとあらゆる病や苦しみを取り除く万能薬と言われる事もあるわ」
だが、新選組で扱われていた、それは違う。
青年の表情から、こんな当たり障りのない返答を期待しているのではない事を読み取っていた伊東は、意味深に口元を扇で覆うと、周囲を憚るかのように声を一段低く押さえた。
「……ただ昨今の変若水とやらは、随分毒々しい赤色をしているようだけれど」
「御存知でしたか」
「それくらいはね。 ……で? 古い情報では取引き価値はなくてよ?」
「……薩摩・長州でも変若水の研究開発は進んでおります。 例えば……新選組の『羅刹』たちを無力化し、大幅に戦力を減らせる方法がある、またはこちらに戦力として新開発の『羅刹』をお貸しすると言ったら、いかがでしょう?」
「……あの非道な研究を、尊王の志を持つ者たちがしているというの?」
「非道ではありますが、効果的です」
「駄目ね、お話にならないわ。 あんなものに頼ってこの国をどうにかしようなんて、間違っていてよ。 この伊東を見くびってもらっては困るわね」
斬り付けられてもすぐに傷が塞がり、人間に数倍する腕力体力を発揮して敵をなぎ倒す兵士……それらが集団で向かってきたらどうなるか、想像はつく。
だが伊東は直感的に感じていた。
人道的に許せないというだけではない。 戦争において、『人道』などというものは勝利のためには二の次、三の次に回される事など当り前だ。
変若水に頼ってこの国を守ったとて、その先がどうなるのか……あれが安易に頼ってはいけないものであること、この国に破滅を呼び込むものであることは分かる。
勘としか言えないものであるが、変若水に頼っても、百年先の未来は守れない。 そう確信している。
「……変若水の研究を進めよと命じたのは、長州でも身分の高いお方。 私はその研究開発を任された一員です。 伊東先生は薩摩の方々とはご昵懇の間柄であるようですが、長州の方々とも膝を交えてみたいとお望みなら……」
「最初からそう言えばいいのよ」
「恐れいります」
伊東とてもちろん薩摩・長州・土佐の要人たちと会談を重ねているが、この青年が自分が会える人物の他に人脈を持っているというなら、それを利用させてもらうのは悪くない。
政治において、人脈は力であり武器だ。
様々な人脈からもたらされる情報は時に刀や鉄砲玉よりもよほど強力な力を持つのだ。
伊東はそれを充分承知していた。
「女性というのは驚いたけれど……私もね、あの子の顔が見れなくなったのは少し寂しいと思っていた所なの。 そうね、あなたも今後は時々遊びに来てちょうだい」
「ありがとうございます」
変若水という餌につられなかったのは意外だったが、手ごたえ十分……そう感じた
は、最初のように伊東に向かって深々と頭を下げた。
伊東の所を辞した足で、
は南雲薫の仮宅へと向かった。
生憎薫は留守にしていたが、風間と天霧は来ているようだった。
表玄関からは上がらず裏へと回り、井戸から水を汲み上げ柄杓でゴクゴクと飲み干した。
「さて、どうなるか……」
伊東と新選組幹部たちの思想の違いが激しく、仲も悪いという情報は事前に掴んでいた。
表面的には友好的な関係を保っているようだが、水面下ではどうやって相手を潰してやろうか策を練っている……その様子は少し調べをつけただけで手に取るようにわかった。
どうにかして新選組の弱味を多く握りたいと思っている伊東に、姉の事をほのめかせば、絶対に利用するはず。
近々、噂が流れるだろう。
新選組の中に女が混じっていると。
それは隊の中で少なからず問題になり、争議になるはずだ。
問題が大きくなれば、新選組としては姉個人よりも隊を存続させることを優先するだろう。
……姉があそこから出てこられない、出てきたくないというのなら、出てこざるを得ない状況を作ってしまえば良いのだ。
新選組を離れてくれさえすれば、後はなんとかなる。
「そこにいるのは、
か?」
「風間さんですか?」
あなたが自分で裏のほうに来るなんて珍しい、と呟きながら、
は台所の中に入り、風間が求める茶を作ってやった。
「どうぞ」
盆に乗せた茶を礼もいわずにさも当然というふうに受け取りながらも、立ち去ろうとはしない風間の態度を、『何か聞きたい事があるんだな』と解釈した
は、一度だした茶葉で自分の分の茶を入れながら口を開いた。
「綱道さんは、諦めてはいませんよ」
良い血筋は残らず滅ぼされたという東の鬼族、その栄華を取り戻すために変若水を利用するのだと、そう助手の
に零した事があった。
綱道もまた、鬼だ。
だがその血は、純血の鬼たちに遠く及ばない、代を重ねて薄れたものでしかなかった。
「娘さんが……自分が本来何であるかも知らせてやることができずに、人の間で人として育てなければ生きていけなかった、その事が悔しくてならないと。 鬼として誇るべき血筋も親兄弟も故郷も幸福さえも、なにもかも奪われたままに、親としてどうしてしておけるかって」
「それだけなら、良いのだがな……」
理由はともかく、まだ鬼として道を踏み外していないのなら放っておいても良い。
鬼でありながら、まがいものの鬼である『羅刹』を作る行為に協力している事は許されざる罪ではあるが、それが本当に東の鬼族を再興させる目的なのであれば、ある程度は西の鬼族も目をつぶるだろう。
「
」
「はい?」
「不知火は止めろと言っているようだが……貴様の意志だというならあれの研究に関わるのは構わん。 だが、自らあれを口にするような愚かな真似だけはするな」
「……」
「阿片を売る者は、自らは阿片を使ったりしないものだ。 理由はお前なら分かるだろう」
「……はい」
それだけ言って背を向けた風間に、軽く一礼する。
足音が遠ざかるのを待って、自分のために入れた茶を口にした。
人間よりも古く、この国に住み暮らしていたという『鬼』。
がその存在を知ったのは長州に行ってからだ。
ある破天荒な男の隣にいた、いっそう手に負えない男……それが不知火だった。
鬼というのが、天を衝くような背丈に全身赤かったり青かったりして毛むくじゃら、虎の毛皮の腰巻きに柱ほどもあるような鉄の棍棒を武器として振り回す……そういう印象しかなかっただけに、不知火が古の『鬼』なのだと知った時はそれは驚いた。
驚きはしたが、恐れは感じなかった。
が人よりも遥かに体力、生命力が強靱で、人間の頭など柔い瓜でも割るかのように破壊できる力を持つその存在を怖れなかったのは……多分、姉・
の影響が大きい。
何せか弱い女が男を平気で打ち負かす、そういった状況を普通に見てきたから、常識として考えて『ありえない』事なんてただの思い込みか幻だ、という考えがしっかりと頭に染み付いていたといえる。
人をいつでも殺せる手に負えない生き物がそこにいながら恐れずに、そういう生き物がいる、という認識であっさりと受け入れてしまった
を、不知火は妙に気に入ってくれた。
不知火は、鬼でありながら人が好きな変わり者なんだと、兄とも慕う男が言った。
『人間なんて弱くて脆くてあっさり死んじまうくせに、我と欲だけは他の生き物を虐げずにはいられないほど強い、嫌な生き物だ』、などと酷評するが、あれは言ってる事と心の内は別物だからと笑って話してくれた。
そして、その男はこうも言った。
---鬼の悲劇はな、人を好いてしまう心があって、体も人と交わる事が出来るほど近かった事だ。 心さえも、交わる事を望んでしまう欲があったことだ---
と。
そのせいで、今や種として存続の危機に立たされ、血の濃い鬼は優先してその血筋を守らねばならない。
同じ好いたでも、人と犬猫ほど両者が掛け離れていれば、悲劇も起こらなかったろうに、と
は思う。
そして、もう一つの悲劇は、
---隣人ともいえる人間が、自分たちより強い生き物を認めたくない、そういう不治の病を抱えていたことだ。 自分たち人間よりも、生き物として強い鬼……そういう存在を恐れずに同居できるほど、奇特な人間はそうそういない---
人間が数を増やし、この国と土地の支配権取り、『権力』というものを得た後は病気はさらに悪化した。
自分たちよりも強い力を持つ鬼が、自分たちを支配しようとしていると勝手に思い込み、排斥した。
鬼の側にそのようなつもりが一切ないと言っても絶対に信じる事はない。
人が持つ業とでもいうのか、『自分たちより強い生き物を認めたくない』病は同じ人間の間にも向けられる。 そういう人間の性質を、鬼たちは心底軽蔑している。
先程の風間もそうだ。
彼は不知火以上に人間というものを疎んじ、軽蔑する態度が露骨だ。
はじめは『鬼』という種族が人よりも優良な種であると驕っているのかと思ったが、そうではないと薄々分かる。
彼は『鬼』という種に生まれた事を誇りに思っているし、大事に思っている。
それゆえに、人間と人間の欲にかかわり合いたくないだけなのだ。
だから人の欲ゆえに故郷ごと滅ぼされたという東の鬼の一族を案じて(そのように見えなくとも)、綱道が少々過激な行動に走るのを監視しつつも黙認の状況にあるし、彼の娘の事も気にかけている。
そして鬼たちは、『自分たちより強い生き物を認めたくない』病にかかっていない人間に対しては、種の違いを超えて(形はどうあれ)親愛の情を示す事がある。
兄と慕ったあの人も、その病にはかかっていなかった。
けれど、それとは別の死病に犯され命を削って闘い続けた。
---
よ、男でも女でも人を好いた惚れたというのはな、家の都合や血筋で決まるものじゃあない。 その人の心に住めるか、住まわせてもらえるか……そういう、事なのさ---
激すぎるほど激しく生きた人間は、『鬼』の不知火の心にいつしか住んでいた。
風間も、綱道の娘の心に自分の住める間があるかを確かめようと、何かと手を変え品を変え挑んでいる最中らしい。
綱道の娘も、姉と同じ新選組にいるのだったな……と、
はほどよく覚めてきた茶を持ち、土間と床の上がり口に向かうとそこに腰掛けた。
挑むにしても周りが狼だらけでは大変だろうなと、少し風間の苦労を思ってしまう。 しかも不知火曰く、今の所『ありゃあ見事なくらいに脈ナシ』らしいので前途は多難そうだ。
態度はアレだが根は悪い人ではないから、いずれその女性の心にも住めるのではないかとは思った所で、もしやと感じる。
姉の心にもまた、離れていた間に誰かが住むようになったのではないか?
そしてその住人は、新選組の中にいてその人ゆえに出てこないのではないだろうか。
不知火の心に住んでいたあの人がいなくなって、不知火が長州のために闘う理由を失ったように……変若水の他に姉があそこを離れられない理由はそれではないのか。
風間の相手にも言える事だが、だとしたら色々と事はややこしい。
「……状況、予想以上に厄介だったとか?」
政治的状況に加えて好いた惚れたのしがらみがあるとなると、伊東を焚き付けたのはちょっと早計だったかなと、視線を明後日の方向に泳がせた。
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