羅刹女 ---15---


 ---御存知より。---

 門番の隊士がからかい混じりに持って来てくれた手紙に添えられた差出人の名に、 は『はてな』と首をかしげる。
 それこそどこの御存知だ、という意味だったが、門番の隊士は の様子を見て呵々と大笑いしていた。

「お前なあ、そろそろモテない連中に刺されるぞ」
「艶書の量で刺されるなら土方副長のほうが先だろう」
「いやあ、鬼を刺す度胸がある奴はなかなか居ないと思うから、お前が先だとみたね」

 じゃあ俺は戻るよという門番の背中を見送って、 はもう一度手紙に視線を落とした。
 御存知より、とは差出人を知られたくない場合によく使われる方法で、名のぼかしとともによく使われる手法でもある。
 前に不知火が『白縫(しらぬい)物語』登場人物に自分の名をかけて、『若菜』の名で手紙を寄越してきた事があるが、その時も『優男の五条に妓からの艶書がきやがった』と散々囃されたものだ。

 実は は、これでけっこう女性からもてる。
 顔だちは平隊士からも『美男だ』と言われた原田などにくらべれば十人並みの上、すらりと背が高く、腰に両刀、髷も結わずに豊かな黒髪を首の後ろでひとまとめに括っただけの姿はいかにも無頼の浪人といった風情。
 だが着るものをこざっぱりと洗い清潔な装いをし、顔にも不精な鬚を残さず(というか生えないのだが)、所作もピンと背筋を伸ばしてスキが少ない。
 新選組が不逞浪士と呼ぶような横柄な態度や粗暴な真似をしないのはもちろんだが、声も野太かったり低すぎて威嚇するような所がない(元が女なので当たり前だ)。

 名前が女名前なのはどうしてか?と問われれば、幼い頃は身体が弱く、生まれた性別と逆の名をつけて逆の性別として育てれば、死神が連れて行く相手と分からずに見のがしてもらえる、丈夫に育つ子になるという話を親が信じて、そう育ててくれたのだ、と説明している。

 実際は女性からもてても非常に困るし、中には随分と積極的な女性もいて、迫りに迫られ危機一髪……という状況もあったりした。
 そこで、『いっそマジもんの衆道者だって噂立ててしまうか』とまで思いきった行動に出ようとした事もあったのだが、これは幹部が口をそろえて『止めろ!』と止めにかかったことで未遂に終わっている。
 結果、いまだに女性からの艶文が来る、あまりに熱烈なのは何とかお断りする……という悪循環に陥っているわけだが、『御存知より』と来られたのでは中を確認しないわけにもゆかない。

「はぁ……果たし状でも送りつけられたほうがまだ気が軽いなんて言ったらそれこそ刺されそうだ」

 自室の前の縁側に腰掛けて、手紙の封を開く。
 そこにあった意外な名前に驚いた は、周囲に誰もいない事を思わずきょろきょろと確認し、急いで手紙を畳むと懐に押し込んだ。
 そのまま監察部屋に飛び込み、運良く書類仕事で部屋に居た山崎に、手紙を見せて事情を話す。

「先日沖田さんと雪村君もその女性に会ったと言っていたな」
「私もそれを聞いています。 それに以前、薫さんを暴漢の手から助けた時に家に招いてもらった事があるんですよ」

 それは初耳、と山崎は持ったままだった筆を硯の脇に置いた。

「その時はまさか倒幕派がらみだなんて思いもしなかった頃の事なんですが……こっちも新選組の者だって名乗ってきちゃったんです。 あちらさん、沖田さんと千鶴ちゃんに関わった後に私に呼び出しかけてくるなんて、いかにも何かありそうで」
「確かにそうだな。 沖田さんと接触した時には三条の事に関わりがあるなら斬る、斬らないの問答になってひと悶あったというのに。 ……南雲薫、だったか」
「ええ」
「その女、倒幕派連中の間の連絡役をしていたり、それなりの立場にあるのかもしれんな。 この事、局長や副長には話したか?」
「まだなんです。 行くにしても何かありそうだから、尾行を頼めないかとここに先にきちゃったもので」

 手紙を畳の上に広げたまま、膝の上に固く握った拳を置いている の様子に、山崎は彼女が緊張していることを見て取り、安心させるかのように微笑んだ。

「君らしくもない、随分慌てていたようだな。 尾行を引き受けるのは構わんが、何かあってから俺が屯所に駆け戻って判断を仰いでいたのでは二度手間だろう」
「あ」

 そうか、と は片手の拳を解いて口元に当てた。

「訳ありの美女から文をもらうとは男冥利に尽きるというものだが、のこのこ行ったら毒蛇の巣だったではたまらんだろう?」
「名利に尽きる、ってそりゃそうですが、中身が中身なんですよ」
「なに、あちらさんからみれば男に見える」
「からかってるでしょう、山崎さん」

 おやばれたか、と肩をすくめる山崎。
 とにかく上に判断を仰いでから動こうと言うことになり、山崎と は連れ立って局長室へと向かった。











 屯所を出た は、途中菓子屋にたちよって手みやげの菓子折りを求め、以前案内された薫の家へと向かった。
 もっとも自宅ではなく、知り合いの商人の別宅を借りているだけだと言うが、手紙にはそこに来てくれと印されていた。
 庭掃除をしていた老爺に面会を求めると快く中に通してもらえた。
 大刀を老爺に預け、客間に通されるとそこには美しく装った薫が待っていた。

「五条様……まさかおいでいただけるとは思いませんでした。 あの、不躾に文など送ってしまったこと、どうかお許し下さいませ」

 つ、と丁寧に指をついて頭を下げようとする薫を慌てて止める。

「どうかそこまでに。 客が女主人に頭を下げさせてしまったのでは格好がつきません」
「まあ……お優しい方ですのね」

 お言葉に甘えて、と姿勢を正した薫は、動いた事で乱れた振り袖の袖位置を綺麗に直す。
 無骨者揃いの屯所では絶対にお目にかかる事の出来ない女性らしい所作に、同性ながら も綺麗なものだと感心してしまう。
 老爺が茶と菓子を運んできてくれるのを待って、 は今日の呼び出しはどういう目的あってかと尋ねてみた。
 何せ手紙には、『先日の一件についてあらためて礼がしたいので、一度会ってくれないか』としか印されていなかった。
 先日の一件というのは暴漢に絡まれた時の事だろうし、それについては本当に行きがかりで、こちらのほうがお節介で手を出したのだから、あらためて礼に招かれるほどの事はしていないと思っている。

「あの一件の事でしたら、あらためて礼をなどと言われると返って照れてしまいます。 どうしてもと言うのでしたら」
「言うのでしたら?」
「今度、琴でも聞かせてください」

 あれから何度かこの界隈を通ったのだが、琴の音が聞こえて来た事があった。
 思わず立ち止まり、弾いているのは薫だろうか……と、暫しその音に耳を傾けていた事があるのだと話すと、薫は目を見開き、少し頬を赤らめた。

「立ち止まるくらいでしたら、入ってきて下さればよかったのに。 でも……拙い手を聞かれてしまったのは恥ずかしゅうございます」
「いえいえ、私は風流にはとんと縁のない無骨者ですが、あの琴の音はとても情感溢れる素晴らしいものでした。 お嫌でなかったら、是非今度聞かせて下さい」
「もう……五条様は口がお上手ですのね。 さぞや島原あたりでは……」

 ちらりと睨めつけられるような視線を向けられて、今度は のほうが頬を染める。
 そして、そんなやり取りを襖の陰から覗いている者たちがいた。
 開け放たれた障子の向こうに庭が見え、明るい光が降り注ぐ客間の襖ひとつへだてた隣室では、灯りもなく窓も閉め切っているため、襖の上のほうにある欄間から漏れる光だけの薄暗い空間になっていた。
 薄暗い部屋の中には、男が二人。
 一人は、不知火。
 気配を消したまま壁によりかかって座り、隣から聞こえて来る会話に辟易とした表情をして首を振る。その意味は、『まったくどっちもよくやるぜ』だ。
 実際、薫の振り袖が扮装ということは知っているし、薫の前に座る五条も形はあれだが実際女ということを知っている。
 なので、襖ひとつむこうのやり取りはあべこべの茶番劇か、狐と狸の化かしあいにしか見えないのだ。
 呆れ返る不知火をよそに、襖にわずかな隙間を開け、そこに張り付くようにして息も気配もひそめている青年がひとり。
 体格こそ違うが、顔だちが薫と会話している『五条』という青年によく似ている。

 不知火は音もなく立ち上がると、石にでもなってしまったかのように動かない彼の方をポンと叩いて、視線だけで『裏に行くぞ』と促した。
 青年も襖から離れて、身につけた着物の衣ずれひとつおこさない所作で立ち上がり、部屋を出る。
 二人は台所のある裏に出て、ようやく一息ついた。

「……間違い、ねぇか?」
「間違うわけないよ、姉ちゃんだ」

 田舎で帰りを待っていてくれているはずの人が、何で日本一危ない場所に、それもよりにもよって人斬りの巣に!
 思わず座り込み頭を抱える青年の前で、不知火も心底同情するよとため息をついた。

「男装は元からだけれど、村の庄屋のおっちゃんが婿の一人も引っ張って身を落ち着けたかなぁって思ってたのに……」
「予想は斜め上方向に大外れってとこだな、御愁傷さん」

 青年はしゃがんだ格好のまま、懐に手を入れて銀色の簪を取り出した。
 数年前、今は禁門の変と呼ばれる事件のあとに、不知火が持ち帰って来たものだ。 これを見たときは本当に驚いた。
 自分たち姉弟が幼い時に他界した母。
 父の手でほとんど始末されてしまった母の遺品のうち、自分がこっそり隠しておいて、姉が15になった年にこの手で渡したものだ。
 その頃にはすっかり男装も板についていた姉が、母を忍ぶよすがが出てきたことにとても喜び、かつて遺品を処分した父をはばかり身につけることはしなかったものの、簪をずっと大事に持ち続けていた。
 男の形こそしていたが、自分にとっては幼すぎて覚えていない母よりもよほど母らしい人だった。
 優しい笑みも、木刀をを取った時の毅然とした姿も両方大好きで、誰よりも身近で誰よりも好きな人だった。

 大好きな人だからこそ、いつまでもその人に守られる存在でいたくはなくて、書き置き一枚残して家を出た。
 父の望むように、剣で身を立てるには難があったが……それ以外で天が与えてくれた才で身を立て、母と姉に恥じぬ立派な男になる決意を立て、京都に向かった。
 そこで縁あって長州へ身を寄せる事となり、不知火や雪村綱道と知り合った。

 不知火から新選組とかい浪人集団の中に混じって姉が刀を振るっていると知らされても、まさかそんな事が……と思ううちに、身を寄せていた長州藩で大きな政権交代と内乱が起こり、今日まで自分の目で確かめに来る事が叶わなかった。
 京に来ても新選組屯所に正面から乗り込む訳にはいかないから、薩摩・長州の関係者の所に身を寄せて接触をはかる機会を伺っている中で、三条通りの事件が起こり、夜な夜な新選組が警備につくというので遠巻きに様子を伺い、姉の顔がないか確かめようとした。
 結局見つからず、やはり噂にすぎなかったのかと思いもしたが、薩摩藩関係者の南雲薫が一度接触した事があるといい、名前を使って呼び出す協力をしてくれることになった。
 そうして呼び出されてきた相手は、人違いなどではなくやはり実の姉その人だった。

「で、どうすんだお前。 姉さんをこのまま人斬りの巣においとく気か? さらっちまうなら手伝うぜ」

 人斬りの巣といえども、俺にかかりゃあどういう事はねえと、にんまりと笑う不知火。
 幸い今なら絶好の機会だ。

「……もちろん、このまま新選組とやらに置いといて良いとは思わないよ。 けど、今はだめだ」
「何故だ?」
「新選組に長州や薩摩藩邸に切り込む理由を与えてしまうよ」

 先だって、薫が新選組一番隊組長とかいうのともめた。 その時に、三条の時に土佐藩士たちの逃亡の手助けをしたのではないか、と詰問されたそうだ。
 誤魔化して場をのがれたそうだが、薫と一緒に行動していた自分もあの夜、うっかり顔を目撃されている。

「さんざん似てるって言われてるこの顔がうろついてた訳ですから。 まさかや万が一を警戒して、姉ちゃんの身辺に見張りがつけられている可能性は高い。 もし隊の中でそれなりの立場にいるとしても、姑くは用心をするはずだから」

  は、顔のせいで三条の事件の時にあの場にいたのではないかくらい言われているはずだ。
 本人がそれを否定しても、周囲がそう見ない場合もある。
 仮に見張りがついていたと考えて、ここで姉が姿を消したりしたら新選組に注進が走り、「やはり疑わしい、あの事件の夜の事をもういちど洗い直せ」という流れになる。
 そうすれば、薫の立場や自分が長州藩に身をよせていることも発覚、顔が似ている事を理由に多少むりなこじつけをしてでも人相をあらためるために引き渡し要求をしてくるはずだ。

「薫さんに似ている人も、新選組にいるそうですしね」
「考え過ぎじゃねぇのか?」
「考え過ぎであってほしいけれど、とにかく今はだめだよ、不知火さん。 姉ちゃんだって馬鹿じゃないんだから、危ない場所だってわかれば何とかして逃げ出そうとするはずだもの。 それなのに逃げない、出ていかないのは何故かを確かめてからじゃないとこっちにも類が及ぶ」

 今、些細な事といえども薩摩・長州・土佐の内状に、幕府が付け入るスキを与えてはならない。 その事は不知火も同意した。

「わかった。 じゃあどうする? 何とかして姉さんと一度話をしてみたほうが良くないか。 それとも今、事情とやらを聞いておくか?」
「う……。 今顔だしたりしたら、俺、無事じゃあすまないと思うんだけど」
「あー、そりゃまずい」
「何とかこう、一幕おかないと! 今のこのこ出てったりしたら最悪ぶった斬られそうだよ、怒るとそりゃあ恐いんだから」

 とにかくこの場ではまずいから勘弁してよと震え上がる青年の体格はすでに姉よりも大きい。
 そんな男が情けなく腕の鳥肌を撫でているのを見て、確かにおっかない姉ちゃんだからなと不知火は苦笑した。

「それでよ、拓人」
「……何です?」

 不知火は、彼を知る人が聞いたら耳を疑いたくなるような穏やかな声音で青年の名を呼んだ。

「お前、姉さんと話をつけたら、二人で戦列を離れて姑くどこかに身を隠せ。 薩長だろうが、新選組だろうが手の届かない場所くらい用意してやる」
「不知火さん……」

 ずっとしゃがみこんだままの青年の頭を軽く撫で、不知火は空を……長州の方向を見上げた。

「お前が変若水作りにやっきになる理由は、もう……ねえんだからよ」

 その言葉の意味を悟り、青年……五条拓人も不知火と同じ空を見上げる。
 手の届かない場所に遠のいてしまったその理由を思い、拓人は立ち上がるとそっと瞑目した。










  は女の住まいに夜まで居座るようなことはせず、夕鴉が鳴く前には丁寧に招いてくれた事への礼を述べて薫の家を後にしていた。
 そのまま真直ぐ西本願寺屯所に戻り、尾行を引き受けてくれた山崎とともに局長室へ向かったが生憎留守で、土方の所へ報告に上がる。

「何も起こらなかった、だと?」

 夕餉を早めに済ませ入浴もすませてしまったらしい土方は、珍しく袴をつけない格好で二人を迎え、報告を受けていた。
 手遊びしていた扇子を片手でパチンと閉めて先を に向ける。

「お前なあ、そこまでやったんなら誑し込んで何か聞き出すくらいしてこい」
「……怒りますよ」

 睨み合う土方と の横で、山崎は『二人とも冗談なのか本気なのか、このごろ良くわからんなと』呟く。
 もちろん声にすることはなかったが、鬼の副長相手に平気で睨み合ができる の度胸と神経の太さはたいしたものだと思う。
  よりもよっぽど体格の良い男の隊士でさえ、土方の目に睨まれればすくみ上がるというのに。

「……で? 結局その薫って女は、本当に前にこいつに助けられた礼を言いたかったのと、先だっての三条の疑いについて話しただけだってのか」
「ええ。 いきなり屯所に行って申し開きなんてしようものなら、話を聞くよりいきなり倉込めにされそうだからって」
「……」
「けれど町を歩いている隊士に声をかけても先日の事があるから同じ事になりそうで、前に隊士と名乗った私なら話が通じそうだと踏んで呼び出したって事ですよ」

 実際にそれ以上の事はなく、薫の訴えはあのあたりなど本当に昼であれば誰でも通るし、かといって夜はまたも物騒な者たちが横行しているし、何よりも若い娘の夜歩きなど危険この上ない。
 夜中、島原でもないのに振り袖を着るような若い娘が歩いているのを見たなんて、実際誰に言っても信じてもらえないだろう。

  を尾行し、そのまま薫宅の床下に忍び込んだ山崎の報告も同じものだった。
 本当にそれ以上の事はなく、薫も家の者も、忍び込んだ自分の気配に気付く様子もない。
 薩長の連絡役かもしれない、または関係者かもしれないという疑念は拭い着れないが、少なくともあの夜に三条で切り合いになった土佐藩士たちを逃がした疑いについてはひとまず置いてよいのではないかと山崎は報告する。

「……わかった、この件に関してはひとまず預かる。 今後必要以上に騒がねぇように他の奴等にも話を通すとしよう。 何かあってもこちらを警戒されたままじゃ、逃げられて終いだからな」
「御意」
「了解です」

 土方の言葉に了承の意を返して、山崎と は軽く頭を下げた。










◇◇◇◇◇










 その夜、夜半も過ぎて丑三つ時に差し掛かろうかという頃。
 千鶴の部屋で大変な騒ぎが起こった。
 例の羅刹隊に組み込まれた隊士の一人がついに正気を失いふらふらと屯所の表に出てしまい、千鶴の部屋に入り込んでしまったというのだ。
 千鶴は羅刹に斬り付けられて怪我をしたが、土方を始めとする幹部数人が駆け付け、大事に至る前に事はおさまったかに見えた。

「……こっちにも何かあるんじゃないかって思ったけれど、何もなかったみたいだね」
「何ですか、そのちょっと残念そうな反応は」

 廊下で呑気そうに笑う沖田に、 は部屋の中の屏風の陰から頭だけ出して険悪な視線を向けた。
 寝巻きがわりの襦袢一枚の格好だったので、晒しだけ急ぎ胸元に巻き付けて襟を整え、剣帯を腰につけて両刀をぶち込む。
 急ぎ部屋を出ようとする に沖田はどこへ行くのかと声をかけた。

「今から表に駆け付けても遅いよ?」
「そっちじゃあない、裏だ。 頭のおかしくなった羅刹がひとりだけとは限らないだろう?」

 他にいないにこしたことはないが、もし表に出られてこれ以上の騒ぎになったら目もあてられないと吐き捨てる に、沖田は少し目を見開く。
 出会った時から、並の度胸の据わり具合ではないと思っていたが近頃とみに凄くなっている。
 最初彼女が『しろがね頭』と呼んだ羅刹たちだが、普通ならあの狂った視線に睨まれたりしたら身がすくみ上がって足など動かないだろうに、微塵も恐れないどころか再びその前に身を晒す事さえ躊躇わない。
 大股で廊下を歩いていってしまう の後を、沖田も同じく大股で追い掛けた。

「待ってよ、僕もお供するよ」
「……どさくさにまぎれてこっちを斬る気じゃないでしょうね」
「信用ないなぁ」

 足手纏いになるくらいなら、邪魔にならないように斬っちゃうけど優先順位くらいわかってるよと、嫌味にもまったく悪びれない沖田に視線を向ける事もなく、 は羅刹たちの寝所となっている一画へと足を向けた。

 表の隊士たちが起居する場からは離れたひっそりとした一画、その裏側には小さな裏庭がある。
 昼間でも陽があまり当たらない陰がちな場所なのだが、夜になると降り注ぐ月光がまるで墨絵のように濃淡をくっきりと浮かび上がらせる。
 塀を隔てて通りに面した此処は山南曰く、『羅刹的に絶好の憩いの場』なのだそうだ。
 しっとりとした土や苔の漂わせる日陰の匂いと、月明かりに映える景色が何ともいえない、そうだ。
 羅刹の中に庭作りが趣味の隊士でもいるのだろうか、大きな陶器の水盆まで持ち込まれており、どこからか折ってきたらしい小振りな桜の枝の切り口が浸してある。

「……よかった、何ごともないみたい」

 ほ、と胸をなで下ろす
 寝所の中は静かだ。
 羅刹隊は主に夜間の巡察に出るから、数人の非番隊士を除いて今の時間は出払っていてもおかしくない。
 今夜も数人残っていたようだが、がらんとした寝所の中には、端に積み上がれられた布団と途中のまま放置された将棋板がある。
 非番の者同士、将棋でもさして楽しんでいたのだろうか。

「あれ、戻ってないな……どこに行ったんだろ」

 一人の羅刹隊士が、ぼりぼりと頭をかきながら廊下を歩いてこちらにやってきた。
 庭と寝所の間の廊下に佇む沖田と を見てぎょっとし、歩みを止めるがその反応に沖田は気を悪くした様子もなく『今晩輪』とにこやかに挨拶した。
 少なからず何かヘマをやらかして切腹かそれとも『薬』を飲むか……を迫られた羅刹たちにとって、局長の親衛隊ともいえる一番隊を預かる沖田の存在はある意味恐怖だ。
 羅刹といえども余裕で斬れる腕の持ち主だけに、彼がここに来ているということは何か二度も殺されなければならないような失態を犯したのかと、思わず痛くもない腹を探らなければならないほど、その羅刹隊士隊士はうろたえた。

「ごめんごめん。 おどかすつもりはなかったんだけどさ。 ねえ、今夜『こっち』で非番なのって誰?」
「……え? 俺と、もうひとり……あと山南さんですが」
「へえ、山南さんもだったの。 もう一人はどこにいったのかな」

 それが、と羅刹隊士は後ろを振りかえる。

「俺と将棋をさしていたんですが、ちょっと気分が悪いから厠に行ってくるとか言ったまま戻らないんで、心配になって見てきたとこなんです。 けど、厠にはいないし、こっちに戻ってきて入れ違いになったのかと思ったんですが」

 戻ってないんですよね……と首をかしげる。

「気分が悪い? どんなふうに?」
「何やら喉やら腹やらがむずむずするといった風に押さえてましたが。 起きた時に食った飯の豆腐がちょっと古かった気がするなんて言ってましたから、あいつ中ったのかも」

 同じもの食った俺はこの通りピンピンしてるから腹が弱ってたのかもしれません、と羅刹隊士は顎を撫でた。
 そう、超人的な力を持つ羅刹といえども、飯も食えば眠りもするし、厠にも行けば体調だって崩す。
 多少の特異体質の他は人間と何ら変わらない。
 なので食いものに中った所で不思議はないのだが、沖田は話を聞いて『ふぅん』と目を細めた。

 ……たぶん、その厠にいったまま戻らないというのが表で騒ぎを起こした隊士だ。

「そう、大変だね。 山南さんも非番ならちょっと話がしたいんだけれど、どこかな」
「それが、山南さんの姿も見えないんですよ。 今までどこかに行くときは必ず誰かに声をかけていたんですけど」
「何か急の用事でもあったのかもよ。 じゃあ、少し待たせてくれるかなあ、何ならもう一人が戻るまで僕が将棋の相手するよ」

 山南さんほどじゃないけれどけっこう強いよと笑う沖田。 恐縮する羅刹隊士の背中をまぁまぁと押して部屋に入らせ、もう一度廊下に出ると に小さく声をかけた。

「こっちは暫く僕が見てるからさ。 君、一旦戻って袴つけてきなよ」
「ああ、そうですね」
「僕は目に楽しいんだけれど、大立ち回りで裾が割れたりしたら見えちゃうしね」

 ズケズケと何を言うんだこの人は、と思ったが、沖田の言うとおり緊急でないのなら身支度を整えてきたほうが良い。
 何せ、幹部の他には性別を隠して屯所に居させてもらっている身だ。
 女と分かったら何かと面倒な事になる。
 一旦部屋に戻り、いつもの着物と袴を身につけて、どうせ表に戻ったのだからと台所に寄り道をし、スルメと酒を裏への差し入れ用に頂戴してから裏へまた足を向ける。
 表の騒ぎは他の幹部たちがどうにかするだろから、今夜は沖田と二人で自主的に裏を見張っていればこれ以上何も起こらないだろう、とこの時はタカをくくっていた。
 油断して足音も殺さないまま、ほてほてと呑気に廊下を歩き、羅刹隊の寝所の近く、庭が見える所まで来た時、月光が差し込む庭に誰かいるのに気がついた。

「……ッ! 駄目だ、こっちに来るな!!」

 沖田の鋭い叫びと、直後に漂ってきたむわりとした生臭い匂い。
 流したばかりの血と臓物の混ざった匂いに、ただ事ではないと知り、片手に持っていた酒瓶を放りだし廊下から飛び下りて駆け出す。

「……来るなって言ったのに、何故来るのさ」

 沖田の舌打ちなど耳に入っていなかった。 彼の足下に転がる、先程まで普通に会話していた羅刹隊士の無惨な姿も。
  の目にうつったのは、沖田の肩ごしに月光に照らされた自分と良く似た顔。

「姉ちゃん」

 最後に聞いた時よりも、音が下がって男らしくなった声に、身体が震える。

「久しぶり!」

 目の前でにこっと笑う顔に向かい、沖田は心底忌々しいと言う様子で二度目の舌打ちをすると抜いた刃の切っ先を向けた。




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