羅刹女 ---14---


  が遊廓の一室で目を覚ました時、時刻はすでに夜半を過ぎていた。
 朝まで居続けるつもり襖を隔てて満々の連中の騒ぎ声がまだ続いている。

「……さすがに久しぶりに飲むと酔いが回るのが早い」

 ため息をつきながらも、 は布団の上に起き上がり寝乱れた髪と襟元を直す。

「目がさめたか?」
「!!」

 部屋の隅の暗がりから声がして、 はびくりと肩を弾ませた。

「斎藤さん……」

 そこにいるのが見知った相手であることに安心すると同時に、寝こけてしまい気配すら感じとれなかったことを恥じる。
 僅かな表情の変化を感じたのか、斎藤は膝を立てて座り込んで刀を抱いた姿勢のまま穏やかに微笑んだ。

「そんな顔をする必要はない。 今のあんたに向かって刀を抜く必要はないからな」

 味方の気配に安堵こそすれ、気付かない事を恥じる事などまったくない。
 むしろ、己の気配に目を覚まさず、安心して眠っていてくれた事のほうが嬉しいという斎藤の言葉に、 はわずかに頬を染めた。

「……だが、今から聞く事の返答次第では、あんたを斬らなければならん」

 睦言のようなやりとりの後に出て来た穏やかでない言葉に、 は布団の上で目を見開いた。
 斎藤は今は刀の間合いを保っているが、彼の腕前なら一足で間合いを詰めて、狭い室内だろうと得意の抜刀術を放ってくるだろう。
 逃げ場のないここでは、一刀で致命傷になることは免れない。

「……少なくとも斬られるような事をした覚えがない。 説明してくれますか」
「ああ」

 斎藤も、説明もせずに斬るつもりなどない。
 そして、先程宴席で原田が言った事をかいつまんで話した。
 原田が制札の警護に出ていた夜、事は起こった。
 土佐藩士八名が新選組が闇のなかに包囲網を敷いているとは知らず、のこのこと近付いてきて制札を引っこ抜いた所で、確たる現場を押さえたりと包囲の面々が飛び出した。
 新選組数十名に対して、相手は八人。 やすやすと取り押さえて捕縛……にはるはずだったのだが、問題が起こった。
 ここまで説明した斎藤は、ひと呼吸おいてから、

「原田さん曰く、雪村と、あんたに似た者の乱入で包囲網を崩されて、一度は捕縛していた者を逃がす不手際を踏んでしまった……ということだ」
「なっ……!?」
「雪村に似た者については、沖田さんに心当たりがあるそうだ。 それで確かめたいのだが……あんた、あの夜に外出したりはしていないだろうな?」

 暗がりだったし、似た顔だからもしや……ということもありうるが、本人にまず確かめない事には分からない。
 あまりの事に声を失っていた は、大きく息を吸い込んで『まさか!』と吐き出した。

「あの夜、私は風邪をひいて高熱を出して寝込んでいる真っ最中だった。 節々が軋んで、厠に行くのも難儀するような状態で寒い夜に出歩けるものか」

 それに千鶴ちゃんを疑うのなら、あの子は私の身を案じてその日は夜遅くまで看病してくれていたんだからその時間までは証言できるし、それにあの子が夜中に独りで屯所を抜け出すようなこと、するはずがないと半ば憤慨し肩を強ばらせる。

「それでも私を疑うのなら、土方さんに聞いてみればいい。 あの人が夜に様子を見にきてくれている」
「そうか。 ……疑って悪かった」
「分かってもらえりゃいいけれど……参ったな」

 この面に似ているとなると、親に隠し子でもない限り覚えがあるのは一人だけだと、 は片手で顔を覆った。

「……京に来ているのか」
「あんたの弟か」
「私の知らない兄弟がいるのでなければ、まず家出した愚弟でしょう」

 千鶴の父の元にいるとは聞いていたが、西からこちらへ出てきたようだ。
 しかも、しっかりと倒幕派に加担しているらしい。
 その上、先日暴漢の手から助けた娘……あの時も千鶴によく似ていると思った少女、薫の事だろう。彼女までも、倒幕派がらみかもしれないとは。

「あの夜乱入したのが、雪村やあんたじゃなければそれでいい。 それに土方さんならこう言うだろう、『良かったじゃねぇか、これで堂々と捕縛する理由が出来たってもんだ』とな」
「……」
「これで探索方も堂々と戦力を投入できる。 もうすぐ再会できるだろう」

 探索方が行ってくれている弟の捜索は、あくまでも隊にとって重要な仕事を優先でいわば片手間のようなものだ。
 居候的立場の者の私事にすぎない個人的な捜索願いを打ち切らずに続けてもらえるだけでも有難いと思っていたし、先日はついに居所も分かった。
 それだけでも充分すぎると思っていたから、事が急展開を迎えそうな今になって少しだけ不安になる。

 書き置き一枚残して出ていったのは、男として己の力を試したかった、道を切り開いてゆきたかったのだろうということ、近頃それが少し理解できるようになってしまっていた。
 京都まで追い掛けてきた当初は、『心配させるな!』と叱りつける気満々だったが、新選組で自らの力で居場所を作り上げ、道を切り開いてゆく男たちの背中を見るにつけ、自分の弟もひとりの『男』なのだということを意識するようになっていた。

 近藤や土方の背中、沖田の話や、年の近い少年とばかり思っていた藤堂が様々な事に悩み道を見定めようとしている姿は、 の心を揺らすに充分で、今は弟に再会することが出来てもいきなり叱るのではなく、純粋に無事を確かめたいだけだという気持ちが強くなっている。

「斎藤さん。 土方さんに、この話は」
「あんたの身が潔白だと言う事も含めて、明日屯所に戻ってから話すつもりだ」
「明日?」

 早い仕事を心掛ける斎藤にしては、明日まで保留するなど珍しい……と思いつつ首をかしげると、斎藤は珍しく目元に笑みの表情を佩き、

「ここは遊廓。 聞くのは野暮というものだ」
「……あ。 ああ、そういうことか」

 大輪の菊花とよろしくやってる最中か、と は目を伏せ、口元を押さえる。
 錦絵から抜け出してきたような美貌の土方は、とにかくモテる。
 あんた京阪の遊廓に何人馴染みの女がいるんだと言いたくなるし、女の側の惚れ込みようといったら、もてない男にしてみれば後ろから刺してやりたくなるような熱烈っぷりだ。
 冗談なのかただのお茶目なのか、綺麗所が『歳さま恋しや』で送った艶文をまとめて故郷に送るということもやっているようだ。

「そりゃ確かに、野暮をするもんじゃない」
「そういう事だ。 そういうあんたは敵娼(あいかた)はいらんのか?」
「……あのですね。 酔ってますか、斎藤さん」

 少し、と口角をあげる斎藤の様子に、 も『こりゃあ駄目だ』と肩を竦める。
 先程真面目な話をしていたし、返答次第では斬ると言うからには手元が狂うほど飲んではおるまいが、明らかにいつもより調子が上がっている様子だ。

「屯所に帰ります」
「ならば同道しよう」

 朝まで飲み明かす連中を置いて、斎藤と は夜半過ぎに遊廓を発った。












 朝帰りの土方を出迎えた沖田は、廊下で二、三言葉を交わしたあとニヤニヤとした視線を九つも年上の兄分に向けた。
 そして挑発するような台詞を吐く。

「ふぅーん、土方さんもいい度胸だよね」
「うるせぇ! 調子がいいんなら……」

 そこへ、朝の支度を済ませたらしい と千鶴が連れ立ってやってきた。 二人で手分けして、幹部の分の朝餉膳を運んでいる。

「おはようございます、土方さん、沖田さん」
「うん、おはよう」

 土方の身体の影からひょいと顔を出して、沖田はとろける笑顔を二人に向ける。
 沖田は千鶴の持つ鉄鍋に『おや』と目をとめた。

「今日の朝餉はお粥?」
「いいえ、永倉さんたちだけです。 一晩中お酒を飲んでたんじゃ、胃も荒れてるでしょうから」

 もしかしたら二日酔いで朝から沢山食べられないかもしれませんしと、千鶴は医者の娘らしい気遣いを見せる。

「優しいなあ、千鶴ちゃんは。 でも心配いらないよ、あの人たち、鉄を飲み込んだって問題なさそうなお腹してるんだから」

 それについては言えてるぜと、土方は沖田の言い分に内心でこっそりと同意していた。

「おう、五条」
「何でしょう?」

 首だけで振り返った土方は、五段重ねにした膳の影からひょいと顔を出した と視線をあわせる。

「朝飯が終わったら、お前、俺の部屋へ来い、話がある」
「はい」

 じゃあ、いつまでも油を売っていると膳のものがさめてしまうのでと、千鶴と は二人の脇を抜けて別室へと向かっていった。
 その背中を見送りつつ、沖田は土方にもう一度視線を向ける。

「ふたりとも……気付いてないと思います? 白粉と香の匂いをぷんぷんさせて帰ってくるなんて、もてる男は辛いですよね」

 土方は沖田の頭を拳骨でブン殴り、土方は大股で自室へと戻っていった。
 朝餉の配膳を済ませ、下げた膳を裏に運んだあと、 は言われた通りに副長室へと向かった。
 話というのはやはり、制札警護の夜に邪魔をした者たちの話だった。

「……制札の意味がわからねぇってほど馬鹿じゃねぇんだろ、お前の弟ってのはよ」
「……」

 上座に座った土方の前で、赤面しきりの
 すでに斎藤の口から大体の事は説明されているようだった。

「でもまぁこれで、堂々と捕縛する理由ってのが出来たってもんだ。 お前と同じ顔がうろついてるのを見かけたら問答無用で屯所までしょっ引く。 それでいいな」

 良いも悪いもない。
 どうかよろしくお願いします、と頭を下げ、 は今度の事を少し話し合ってから副長室を出た。
  が出ていった後、土方は難しい顔をして腕を組んだ。

「あいつに免じて、よほどの事がなけりゃあ助けてやりてぇが、難しいかもなぁ……」

 と、本人の前では言えなかった事を呟く。
 何やかやで、女の身ながら はよく働いてくれているし、その分情が移っていないといえば嘘になる。
 だが彼女の弟が綱道に関わっている時点で、『よほどのこと』に引っ掛かっている可能性は大だ。

「探索方としては理由も出来た事ですし、探索の手を強めてゆきますが……捕縛後、どうするおつもりです? 綱道さんの居場所の手かがりにはなるでしょうが、まさか『変若水』に関わっていたとあれば見のがす訳にはいきませんし……」

 山崎も眉を寄せて難しい顔をしている。

「考えられる最悪の事態は、捕らえたは良いとして五条君が弟を庇った場合です。 その場合は……」
「斬る、しかあるまいよ。弟ごとな」

 たかが二人のために、幕府の意向を無視し、新選組の機密を世に放つような危険を犯す訳にはいかない。
 そうなると、事情が事情だけに……せめてふたりしてねんごろに弔ってやるしかできねえ、と土方は憂鬱なため息をついた。










◇◇◇◇◇










 年があけて慶応三年。
 年末には孝明天皇が崩御するという政治的に大きな動きがあったものの、新選組ではしっかりとモチつきをして正月支度を行い、除夜の鐘を聞いて年明けを迎えた。
 火鉢の前でまったりと過ごせる、平穏な三が日が過ぎたと思った、そのとたん。
  は局長室に呼び出された。

「五条、参りました」
「うむ、入りたまえ」

 廊下に座った状態で障子を引くと、上座のほうに近藤が大いに困った様子で、さらにそこから少し下がる位置で土方が、こちらは今にも額から角を生やしそうな形相で座っていた。
 部屋にいたのが土方だけなら、逃げ出していたかもしれない……それほどの物騒な空気が室内に満ちていた。
 障子を開けっ放しにして冷たい空気をいつまでも室内に入れるのも何なので、後ろ手に障子を閉めたあと略式ながらも礼儀正しく頭をさげて伏し、近藤の言葉を待った。

「五条君……三が日が開けてそうそうですまないんだが、ちと使いを頼まれてほしいんだよ」
「使い……ですか?」

 思わず顔を上げたが、上座の二人はとがめることはしなかった。

「その使い先というのが、島原の角屋なんだがね……困った事に、一日から流連(いつづけ)している連中を呼び戻してきてほしい」
「は、はあ……」

 新選組は特別な理由が無い限り、幹部であれ非番の日以外の外泊厳禁だ。
 堂々と外泊がしたかったら、伍長以上の立場で許される『休息所』という別宅を屯所に通ってこられる場所に持ち、さらに家守となる者を置くのが条件となる。
 実際近藤は休息所を持ち、そちらに泊まる夜もあるし、休息所が特別な会談の場として使われる事もある。
 休息所を持たない限り、幹部でもない限り野郎だらけのむさくるしい屯所で合同生活を余儀無くされるため、腕を上げて昇格して、何としてでもこんな屯所出ていってやるとばかりに気張る平隊士も増えているため、この制度は隊士の士気と腕の向上にかなりの効果を上げていたりするのだが。

 この三が日、日頃息つく暇もない平隊士たちを休ませようということで、組長と幹部、平隊士も最低限の人員のみを残して残りは全員に非番を与えるという太っ腹な処置を取っていた。
 休みを貰った者は大いに喜び、すぐ近くの大坂や京都近郊が出身地の者たちなどは一旦家に帰ったりもしているし、屯所に残らざるも得ない者たちも日頃巡察ではゆけないような場所に繰出したりと、それぞれのんびりと過ごしている。

 非番なら流連をした所で、普段めったにできない事だし楽しんでくるのも良いだろう。
 流連をするような客はちゃんと金さえ払うなら、よほど妙な客でも無い限り遊廓でも無碍に扱うようなことはしないものだ。
 けれど、近藤や土方がこんな顔をしている……ということは。

「いいからとっとと行って馬鹿どもを呼び戻して来い! てめぇが行きゃあ伊東もちったあ素直に言う事聞くだろ」
「伊東参謀が流連ですか!?」

 意外な名前が出てきたことにびっくり仰天、とてもそんなことをするようには見えなかったから、思わず声が大きくなってしまった。
 とっとと行けと半ば怒鳴った土方は、さらに渋い顔をして、

「野郎だけじゃねぇ、永倉と斎藤もだ! いいかぁ、てめぇもあっちに巻き込まれたり手ぶらで帰ってきたりしてみやがれ。 あいつらと一緒に切腹させてやるからな!」

 永倉はともかく斎藤もというのには、もう開いた口が塞がらない。
 土方の剣幕に近藤のほうが慌ててしまい、土方が肩をいからせるのをまぁまぁと肩を押さえるような仕種をする。
  もぐずぐずしていたらそれこそたたっ斬られそうだったので、退出の挨拶もそこそこに逃げるように部屋を転がり出た。

「(土方さん、私なら伊東参謀が……って言ってたってことは、伊東さんと親しく話をしたりしてるの、ばれてるんだな)」

 やはり見る所は見ている……そう思いつつ、冬羽織りも羽織らず通りを駆けて角屋の玄関先で事情を説明し、流連で宴会が行われている座敷に通してもらう。
 『近藤さんが『仕事が進まない』と困っているから戻ってきてくれ』と、土方のツノの事などおくびにも出さないまま伊東たちに頭を下げ、屯所に戻ってもらう事に成功した。
 彼等が屯所に戻ってからの土方の剣幕ときたらそれは凄まじく、一度は、

「大幹部と組長が二人もそれで隊士どもに示しがつくか! 責任とって並んで腹を切りやがれ!!」

 と、怒号がかなり距離をおいた場所まで聞こえてくるほどだった。
 今頃、土方の怒りの事など匂わせもせず、大丈夫だからと穏便に連れ帰ってきた事で『だましたな!』と大層恨まれているに違いないが、あの雷のとばっちりを食うくらいなら頭のひとつふたつ下げるなんて安いもんだ……と本気で は思っていた。

「……伊東さん、永倉さん、斎藤さん。 あなた方の尊い犠牲は忘れません」

 切腹になっても線香くらいはあげますからと、 は雷の落ちた局長室のほうにむかって手を合わせていた。
 この御時世に、参謀と組長二人を処分するのは動揺を招くし、正月の松も取れないうちから身内の血を流すのもいかがなものかという近藤の取りなしで、三人のは切腹は免れ数日間見張り付きの重謹慎で片付いた。
 新選組の局長は近藤だが、隊士の誰をどう使い、配置するかの人事権は土方にある。
 土方にしてみれば見せしめの意味も含めてそれこそ腹を切らせたかったのだが、渋々近藤の意見を飲む形となった。
 新年早々の不祥事に不機嫌絶頂の土方の目をくぐりぬけ、 は永倉が謹慎させられている部屋にそっと近付き、見張りの隊士に『季節が季節だからどてらと湯たんぽを差し入れに来たからちょっと通してくれ』と頼み込んで部屋に入れてもらった。

 謹慎というと、一室に閉じ込められて用便に行く他は廊下も歩かせてもらえない、その便所に行くにも見張りがつくような重い処置だが、永倉は部屋で大人しくしているようだった。
 土方の雷がそうとう堪えたのかと思えばそうでないらしく、 の気遣いを笑顔で受け取ったあと、外の見張りに聞こえないようにそっと声をひそめて質問してきた。

「伊東の謹慎で不満を唱えてる奴ぁ、どれくらいいるかね?」
「え……? それは、伊東参謀について江戸からついてきた人たちを筆頭に、けっこうな数が」
「そうか……こりゃ近々何かあるかもなあ」

 さすがに少し冷えるなと永倉はどてらを着込み、あぐらをかいた膝の上に湯たんぽを抱え込む。

「いや、伊東の野郎と主に話し込んでいたのは俺なんだけどさ。 野郎、佐幕派の新選組で堂々と尊王論をぶってるだけあって、弁は立つし時勢もわきまえてる、が、男ってのは、武士ってのはそれだけじゃ片付かないもんだ」

 謹慎中とは思えない明るい笑顔でニッと笑う永倉。
 永倉はこう見えて、政治にも世情の動きにも明るい。 先日も、幕府の弱体化が露見した長州征伐の後に起こるだろう西国諸藩の様々な動きを、かなり精確に予想しそれがほぼ外れていない。
 沖田などは『筋肉だるまの剣術バカ』などと冗談で言ったりもするが、この人を知れば知るほど間違ってもそうは言えないと分かってくる。

「土方さんどうしてる」
「……」

 永倉の問いに、 は無言で、両手の人さし指を立てて額の前で角の形を作ってみせた。
 それを見た永倉は笑顔を引き攣らせ『う……』とカエルの潰れたような声を出す。

「いやまさか、伊東ごと切腹しやがれとか迫られる事になるとは思わなかったけどな。 ……お前さんもあれ、本気だったと思うか?」

 まさか俺と斎藤を巻き添えにしてでも、伊東の野郎を片付けちまおうとした訳じゃあねえよなあと、穏やかでない台詞を吐く永倉。
  もまさか本気じゃないだろうと笑い飛ばすには確証がないものだから、曖昧な笑みを返すしかない。
 小声とはいえ重謹慎の者の所でいつまでも話し込む訳にもいかないので、陽が落ちる前にでも湯たんぽの湯を入れ替えに来るからと言って、 は部屋を出た。

「五条さん、永倉先生と何を話していたんですか?」
「ああ、これで少しは懲りただろとからかいに来ただけさ。 それと、腹へって仕方ないから握り飯もってきてくれなんて言うもんだから、駄目にきまってるでしょうってちょっと言い合いにな」

 見張りの隊士に聞かれたので、中での会話を曖昧に誤魔化し、 は隊務につくべく部屋を離れた。










 幸いにして永倉たちの謹慎は数日で解かれ、通常の隊務に戻る事ができた。
 正月の松も取れ、一月もなかばをすぎて世間にも普段の生活がすっかり戻ってきた頃、伊東は隊士募集のために西国へと出張していった。
 近藤などは『兵は東国に限る』という主張があるのだが、伊東曰くこれからは広く世間から人材を求めるべき、そのためには江戸方面ばかりでなく西国からも才能と様々な人材を引き入れるべきだという正論を立てて出かけていった。

 新選組でも江戸から以来の面々は、『もう帰ってこなくていいぞ』みたいな雰囲気を濃厚に漂わせていたが、伊東と同門の藤堂だけは心配そうに出かけてゆく伊東の見送りに出た。
 藤堂は不安な気持ちを吐き出してしまいたい事があると、 の部屋に転がり込む事が多くなっていた。
 江戸以来の仲間や幹部たちにはどうしても話す事も愚痴る事もできない事でも、立場的にも思想的にも中立に近い になら話す事ができる。
  が非番だと聞いた藤堂は、夜の巡察までの間ちょっと邪魔させてもらおうと彼女の部屋を訪れていた。

「何だかんだで元気だよなー、伊東さん。 知ってるか、あの人国事に奔走するあまり嫁さんを離縁してるんだぜ」
「えっ!?」

 あの性格のあの人に嫁さんがいたのかと は目を丸くしてしまう。
 想像を上回る反応が帰って来たものだから、藤堂もにやりと笑ってしまった。

「俺、あの人と同門だからさ。 何度か家に招いてもらった時に会ってるんだけれど……どうやりゃあの人とあの嫁さんがくっつくんだって首ひねっちまうくらいの美人でさ、あの伊東さんがベッタベタに惚れてたんだぜ、その頃」

 さらに信じられない発言に、 はもう開いた口が塞がらない。
 何年か前、伊東、土方、藤堂の、そして斎藤で江戸まで隊士募集に出た時も、一度伊東の家に招かれて奥方とも対面したのだが、土方などは今の と同じような顔をして、伊東と美人の奥方のあまりの睦ましさに、

「縁結びの神さんと弁天さんがそろって仕事を間違えたとしか思えねぇ」

 と、しみじみ漏らしていたくらいだ。
 藤堂は火鉢の淵に腕をかけて、顔をあげて天井を見上げる。
 そこにはないものを見すかしているかのように。

「その嫁さん……おウメさんて言うんだけれどさ、去年の秋に伊東さんにおウメさんから手紙が届いたんだよ。 それを見た伊東さん、大慌てで江戸に帰っていったんだけれど」
「ああ……そんなことあったね」

 伊東が局長室に駆け込むなり、供もなにもいらないから少しの間江戸に行かせてくれと頼み込み、あわてて発っていったことがあった。

「その手紙ってのがさ、おウメさんが『実家の母上が重い病です』って知らせてきたものだったんだ」

 近藤も、さすがの土方も、この時ばかりはこっちは気にせずとっとと行けとばかりに行かせたのだが、京都から江戸までは男の足でどんなに急いでも十日はかかる旅になる。
 大名飛脚のように馬を飛ばせば3日で駆け抜ける事も不可能ではないが、そんな旅は望めない。
 十日の間に病状が変わりでもしたら、最悪着いた所で会えるのは冷たい墓石、なんてことにもなりかねない。
 道中気が気ではなかっただろう。

「ところが実家の母上はピンピンしてる。 何故っておウメさんが『もういつ命を落とすかもわからないような危ない事は止めてほしくて、実家の母上が病気だって嘘をついた手紙を出した』っていうんだ」
「へえ……」

 この話を、藤堂は先日伊東と話している時に教えてもらったという。
 その時伊東は、美しかろうがなんだろうが、夫の仕事の何たるかを理解できないようでは妻とはいえないと憤慨していた。
 罪のない嘘までなら可愛いが、考をもって仕えるべき母を引き合いに出してまで嘘をついて夫を騙し、まして日本国が傾こうとしている時、国事に奔走するのはもうやめてくれと言うとは何ごとだと憤慨した伊東は、そのまま妻を離縁し京へ戻ってきた。

「すごいことするね……」
「だろ? でも伊東さんの気持ちちょっと分かるよ。 おウメさんの心配も尤もだけれどさ、今国を守るために気張らないでいつ気張るんだ、ってね」
「私は勝手な言い分とも思いますけれどね」

 当世、男は女子供に国事の事など話さない、関わらせないものだ。
 そのくせ自分のやっていることを理解しろ、黙ってみていろ、ヘマをしたときは妻なのだから一蓮托生、夫を生かすために身を犠牲にするのは当然と思え、ではいささか都合がよろしすぎないか。
 そう藤堂に語り、 は自分も火鉢の淵に腕をかけた。

「天下国家の大事を語るような人だからこそ、その国に根を張り自分を支えてくれる人の不安のひとつやふたつ、解消してやれないで何を語るか、って私は思うけれどね」
も言うなぁ……」
「……女は子を産むための道具でも男のための踏み台でもないぞ、ったく……」
「言っとくけどさ、俺はそんなふうには思ってないからな?」

 誤解はするなよと、ひとつの火鉢を共有した事で接近した顔をさらに少し近付ける。

「じゃあ、どう思ってるの?」
「そうだな、大好きな人が生きるこの国そのもの大事に思うのも変わらないから、きっとどっちも守れる道を探すよ。 それに嫁さんもらうなら、ただ黙って家を守ってくれているだけの人よりも、いろんな事を一緒にしたり悩んだり、嬉しく思ったりできる……そんな人がいいな」

 男って基本馬鹿だから、大好きな女の子が出来てその子が自分と一緒に笑ったり泣いたり喜んだりしてくれるのって、すごく嬉しく思うし、よけいに守ってやりたくなるんだよなぁと、藤堂はまだ見ぬその相手を想うかのように目を細めて視線を落とし、火鉢の中に燃える墨を火箸でちょいと突いた。

 伊東の急な東帰と妻の嘘から出た離婚騒動は、近藤や土方の耳にも入っていた。
 というか、帰ってきて私的な事で隊を騒がせた詫びを述べた伊東が自ら事情を話したのだ。

『憂いもなくなった今後は新選組と天下国家のためになお一層働く所存』

 と言ってはいたが、これについて近藤は、そんなことを言っても細君の事はともかく、老いた母上に事は心配させては考の道にもとるから、せめてこちらから文なりとも差し上げるようにと言いさとし、伊東も近藤の気づかいに感服した様子で頭を下げていた。
 所が鬼の副長の反応はさすがにひと味違うというか、伊東の離婚の顛末を聞いて、

「良かったじゃねぇか。 これで野郎をぶった斬っても美人がひとり髪を落とすような事にならねぇで済む。 あれだけの器量良しなら引く手数多だろうさ」

 武家の女の多くは、嫁した夫が死ぬと髪を落とし、出家して尼となり、世俗から離れ余生を夫の菩提を弔うために費やすのが普通だった。
 それすなわち夫の死に殉じて『世間的に』死ぬ事を意味していた。
 もちろん伊東本人の前では言わないが、伊東の為に人生棒に振らせずに済んだんだから、めでたいめでたいと妙に上機嫌なのだから恐い。

  も後日、この土方の反応を沖田から笑い話の一環として聞かされたが、素直に笑う事は出来なかった。
 そして、ぶった斬るというのも笑い話で済まないような方向に事が進みつつあった。




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