羅刹女 ---13---


 近藤は一度広島から戻ってきたが、また間をおかずに二度目の広島行きの途についた。
 今度の目的は、禁門の変における長州藩けの処分を正式に伝える事。
 先の詰問の報告を受けた幕府は長州藩の恭順の姿勢を認め、その処分をかなり軽いものにした。
 長州藩36万石のうち10万石を削減することに決め、処分決定を伝えるために幕府老中を全権大使として遣わし、新選組もまた彼等に同行して広島へと発った。

 この経緯を聞いた土方は『処分が甘い!!』と激怒したが、新選組は悲しいかな幕府の末端組織。
 それも不要とあればいつでも切り捨てられる、いわば傭兵的立場の集団だ。
 政治的立場において、新選組はまだまだ弱いと言わざるを得ない。
 それなりに戦力として認められてはいるものの、まだまだ幕府上層部の決定を覆すような発言力を持っている訳ではなかった。

 所が、藩政が恭順派から倒幕へと動き、さらに思想的に一枚岩となっていた長州藩は、『処分を受け入れなければ即刻大軍をもって征伐する』という幕府の脅しにも屈することなく、のらりくらりと事を躱し続けた。
 やれるものならやってみろとばかりの態度を見せつけられても、いまだに『徳川300年の威光』を翳して処分受け入れを勧めるばかりで一向に動かない幕府の態度に、今度は徳川に味方していた諸藩が『本当に幕府は大丈夫なのだろうか』という疑念を募らせはじめた。
 本当は長州一藩を潰すだけの力がないから、威光をタテにして脅すしかできないのではないかと囁かれても、それでも幕府は動かなかった。

 主家とはいえ幕府のあまりにふがいない態度に、近藤もまた激怒し無理矢理にでも長州に攻め入ってしまうべしと説いたが、近藤のような過激な発言をする者が陣中にいては問題になるとばかりに、帰京を命じられてしまう。
 今度の広島出張にも同行していた伊東は、長州のあまりにもかたくなな態度の裏に思い当たる節があったらしく、自分は近藤と違い穏健派であることを装い現地に残り、諸藩の者たちと論を交わし近藤より遅れて帰京した。

 結局今度の長州征伐は、大軍を展開しながらもいつまでたっても攻め込まなかった事から士気が緩み切ってしまう。
 そして、処分受け入れ返答の期限が切れ、長州藩対幕府軍の戦争が始まった。
 この戦争に対して、幕府側であるはずの薩摩藩が『これは幕府と長州の個人的な戦争である』という理由をつけて参戦を拒否。
 薩摩の力を得られなかった幕府軍は、大軍をもって長州に攻め込んだものの、高杉晋作率いる奇兵隊を始めとする、早くも洋式軍備を整え実行してきた士気軒昂な長州兵と相手に負けを重ね続けた。
 そして幕府軍は威光を盾に判断を読み誤ったツケを最悪の形で払う事になる。


 7月のある日、永倉が慌てた顔をして屯所に駆け込んできた。

「おいおいおい、皆、大変だ!」

 将軍家茂が逝去したという報に、屯所内は一時騒然とした。
 家茂はまだ21歳。あまりにも若すぎる、そして早すぎる逝去だった。
 そればかりではない、不安定に揺れ動く政治情勢の中、幕府側は精神的な大黒柱というべき人を失ってしまったのだ。
 永倉は展開中の長州征伐軍の事を心配したが、そうでなくとも長丁場で士気が下がる一方だった所に、大将である将軍家茂の訃報が届いたものだからもういけない。
 家茂の喪が発せられ、新選組には出動命令すら無いまま、そのまま休戦と相成った。
 徳川300年の威光と軍の強さを見せつけるどころか内部から崩壊するような不様を西国諸般の前に晒してくるという最悪の終り方になった。
 残ったのは、藩ひとつに対して幕府は何もすることができなかったという現実だけだ。
 このせいで、また長州を中心とする西国諸般の倒幕派が活気づいたと言っても過言ではない。

 時を同じくして、今だ京を追われたままの立場である倒幕派浪士たちがまたも京で活気づき始める。
 揺れ動く政治舞台とは別に、京の治安を守るという目的のため新選組もまた本来の市中巡察の仕事に日々働かなければならなかった。

 そんな日々の最中、三条大橋に立てられた幕府の制札が引っこ抜かれて鴨川に捨てられるという事件が起こった。
 それが一回だけならまだしも、立て直されても2度、3度と続いたから穏やかではない。

さん」

 裏で井戸から水を汲んでいた は、千鶴に声をかけられて作業の手を止めた。
 剣を扱う腕の力を萎えさせないための水汲みは壬生村にいた頃からほぼ日課になっていた。台所の水瓶を一杯にするだけでもいい鍛練になるものだ。

「制札の事、もう聞きました?」
「うん、何やら面倒な事になってきたみたいだね」

 千鶴に聞かれて、 も眉間に皺を寄せて聞いたと頷く。

「制札って何が書いてあったんでしょう? 私はそこまで行く事が滅多にないから分からなくて」
「禁門の変で御所に鉄砲弾打ち込んだような連中を匿ったら、匿ったほうも同罪になるからって書かれてたみたいだよ。 ……問題は、それを堂々と塗りつぶして引っこ抜いて捨ててるって所なんだけどね」

 こそこそしてる分にはまだいいが、開き直って堂々と幕府のおふれを無視して憚らないあたり、先の長州征伐の大敗北が倒幕派に与えた影響が大きいかということを意味している。

「そもそも幕府の権威がしっかりしていれば、誰も塗りつぶしてし捨てようなんて馬鹿な考え起こさないでしょ? 罰する事ができるもんならやってみやがれって態度が見え見えだよ」
「確かに、そうですね……」

 そこまで話をした所で、永倉が裏までやってきた。

「おーい五条。 土方さんがお呼びだぜ」
「うわぁ、嫌な予感」
「その予感、多分当たりだぜ。 おう悪いな千鶴ちゃん、こいつ借りてくぜ」

  は千鶴に残りの水汲みを頼み、永倉とともに副長室へと向かった。










 やはり新選組に制札警護の任が回って来た。
 犯行は人通りのない夜間ということで、もし犯人が来た場合に備えて、絶対に逃がさないように包囲網を敷きつつ隠れて見張る事になり、 もその包囲網の人員に加わるように命ぜられた。
 ……のだが。

「……はっくしゅんっ!!」

 数日は隊ごとに交代で張り番をするのに同行していたが、朝夕の冷え込みで風邪をひき……永倉の隊に同行した晩の仕事を終えてそのまま熱を出して寝込んでしまったのだ。
 土方には『弛んでる!』と怒鳴られるし、沖田には鬼の霍乱と笑われるしで良い事はない。
 まだ秋も半ばだというのに火鉢を引っぱり出して部屋を暖め、ひたすら寝ているしかない状況に は情けなさで泣きたくなった。
 とはいえ今日の晩も出動なので、それまでには意地でも熱を引っ込めてみせると思っていたが、今日の担当の原田に先手を打たれてしまった。
 病人を引っ張り出すほどなまくら揃いじゃねえから大人しく寝てろと念押しされてしまい、夜になってふらふらと出歩かないように千鶴を見張りに寄越してくる始末。
 ……さすがに、これでは逆らえない。
 観念して部屋で大人しく寝ていると、台所に行った千鶴と入れ代わりで、藤堂がやってきた。
 藤堂は起き上がろうとする を制して、枕元に座り込む。

「あー、起きなくていいって、そのままでいろよ! あーあ、顔真っ赤じゃないか、熱相当あるだろ」

 新八っつぁんは自分が無駄に頑丈に出来てるから他の人がへばっても中々気付かないんだよなとあきれ顔になる。

「……いえ、気の緩みが原因ですよ……母が生きていた子供の頃を除けば、怪我で床につくことはあっても風邪なんてひいたこともなかったのに」

 何だかんだで、ここには頼れる人が沢山いる、行方不明の身内の事を任せておいても悪いようにはならないと思ってしまった事が、気の緩みに繋がってしまったのだろうと は顔を顰める。
 土方の言う通り弛んでいた、恥ずかしい事だと熱のせいばかりでなく赤面する
 けれど藤堂は、それでいいじゃないかと笑った。

「何だかんだで、俺たちも力かしてもらったりしてるんだしさ。 そっちだって頼れる部分は頼ればいいだろ、問題ないって」
「けれど……」
「あー、こむずかしい事はナシな。 土方さんもあれで本気で怒ってる訳じゃねえから気にすんなよ。 総司のあれは限り無く本気で言ってるとは思うけどな!」

 これ見舞いと藤堂は手にしていたふろしき包みを枕元に置いた。
 どうやら、小振りの籠か何かをふろしきで包んできたらしい。

「最近あんまりメシ食ってねえだろ? 気が弛んだとかじゃなくて、そんなんだから身体が弱って寒さに負けちまうんだぜ。 卵もらってきたからさ、これで千鶴に滋養のあるもん作ってもらって食えば良くなるって。 ほんとに、メシ食う所だけは大喰らいで腐ってなけりゃ節操なく何でも食う新八っつぁんを見習ったほうがいいぜ」
「後半、凄い言い種だね」
「んにゃ、掛け値なしの事実だし」

 やり取りの後、それとこれは土方さんから、と藤堂はもう一つ包みを取り出した。
 枕元に置かれたそれを見て、 は『げ』と奇妙な声を上げる。
 新選組の常備薬にして土方家の家伝薬・石田散薬だった。
 効能は接骨や打ち身、捻挫 、筋肉痛 、更に 切り傷などに効く………そうだが、土方曰く『万能薬だ』そうなので、わざわざ寄越したのだろうか。
 これが、主成分である薬草を黒焼きにしてあるものだから、恐ろしく苦い、そしてマズい。
 端的に言えば飲めたもんではない。
 恨みがましそうに藤堂の顔を見上げると、藤堂も『うん、御愁傷様』と呟いて答えた。
 藤堂も額に怪我を負った折、切り傷にも効くからと飲まされた経験があるからだ。
  も新選組に来た当初、負っていた腕の傷の治療のために飲まされたが、あの味を思いだすだけでも舌が曲がりそうだ。

「けどさあ、飲まないとあの人拗ねるぜ」
「……こっそり火鉢の灰に混ぜときゃバレない気もするけど」

  のあんまりな言い様に、藤堂は大笑いしかけたが、ここが病人の枕元だということをすんでの所で思いだして口元を押さえる。
 しばし前屈みになって笑いの発作をどうにかやりすごした後、あまり長居するのも何だからと立ち上がろうとする。
 その動きを布団から少し手を出す事で止めて、 は藤堂の顔を見上げた。

「ちょっと起こしてくれない? あっちの部屋にもう一枚布団があるから、それを背中に入れて少し斜に」
「いいけどよ、辛くないか?」
「寝てばかりで身体をずっと伸ばしているのも背中や腰がしんどいから、ちょっとだけ」

 藤堂は言われた通り、襖の向こうの部屋に行って敷き布団をもう一枚もって来てくるくると丸めて高さを作ると、寝ている布団ごと の背中を起こし、出来た隙間に器用に丸めた布団を差し入れた。

「ありがとう」
「お……おう、お安いご用だぜ」

 抱き起こす格好になったせいで、違いの距離が近付いたことに改めて気付き、藤堂の口調はすこしぎこちないものになる。
 すぐ下にある の様子を見れば、僅かに乱れた単の襟元から鎖骨やしなやかな首筋が覗き、しかもそれが平素ではない薄い紅色に染まっているとあって非常に目の毒だった。
 計らずも顔に上がってしまった血を悟られないために、藤堂は平静を装って から身体を離す。

「平助君、何か、話があって来たんじゃない?」
「え……いやいや、単に見舞いだって」
「平助君てさ、嘘をつくときって右のほっぺだけちょっと引き攣るんだよね」

  の言葉に、藤堂は思わず自分の右頬を触っていた。 熱っぽい肌の色のまま、してやったりと微笑む の表情に気付いた時にはもう遅い。

「この〜〜……引っ掛けたな?」
「うん。 熱あるからって寝てばっかりもほんとヒマだし、これでも頭ははっきりしてるからちょっと話していかない?」

 関節はあちこち痛いので動くのは正直しんどいが、頭は熱のある割にはっきりしているのは本当だった。
 それに藤堂が部屋にやってきてこちらの状態を見た時に、意外そうに目を見開き、何か言いたそうに口元を動かしたのを見のがしてはいなかった。
 おそらく、見舞いも本当だろうが何か話したい事もあって来たのだろうことは察しがついた。
 けれどこちらの症状が見た目からして思ったより悪そうで、これは無理だと何も言わずに引き上げようとした。
 いいから座れ、と指先で畳をちょんと叩くと、藤堂は観念したように布団の脇に陣取った。

「前にもさ、ちょっと言ったろ……?」

 話しはじめた藤堂は、これから自分が話す内容が気になったのか、一度振り返って辺りに人の気配がないことを確認した。

「新選組の仕事は、これでいいのかって。 幕府は本当に攘夷を行って、この国を正しい状態に戻せるのかって。 そのために新選組のありかたは、このままで良いのかって」

 組の舵取りは近藤さんや土方さんの仕事だから、俺なんかがいちいち気にしてたって仕方ないのかもしれないけれど………と、藤堂は目を伏せた。

「正直、今の幕府にこの国を元に戻せる力がないことが、見えちまったっていうかさ……」

 こんな事、近藤さんに言える訳ねえし、他の幹部連中に愚痴ったとところでまともに取り合ってもらえねえだろうしという藤堂の言い分は、 にも分かる。
 近藤もさすがに幕府の弱体化を感じているだろうが、まだ屋台骨が揺らぐはずがないと信じて疑っていない。 だからこそ、同じ立場で幕府を守ろうとする会津公に従い、新選組はある意味末端の仕事ともいえる市中警護や要人護衛、危険人物の取り締まりを続けているのだ。
 けれど、仕事の格は日々下がってきている……と も思う。
 池田屋や禁門の変のような花々しい舞台がそう幾度も望めるものでもないが、立て札の警護とはあまりといえばあんまりだ。

「本当に、分からなくなってきたんだ。 目的が攘夷のための手段としての新選組なのか、それとも幕府に仕える事こそが目的で攘夷と国直しのほうが手段なのか」
「……」
「諾々と幕府に従う事が、この国にとって良い結果を招くのか」

 国を守る、それすなわち、ごく普通に畑を耕し、ものを作り、商売に励む……そういった人たちの当たり前の生活を守る事だと藤堂は言う。
 政治はそのための手段であって、ああでもないこうでもないと論ずることが目的ではないことは分かっている。
 だが今、その政治の舵取りをしている幕府が導びこうとしている先が、どうしても見えないから悩んでいる。

「この国の周りには、イギリス、ロシア、フランス、アメリカ、オランダ……いろんな国が来てるっていうけれどさ、そういう国の船や軍隊を港にいれちまった国がどうなってるか知ってるか? 隣の清国は、もともと国に住んでた人が家畜や犬畜生みたいに扱われて、阿片って人を駄目にする薬をばらまかれて、立ち直るための気力も挫かれちまったっていうぜ」

 このまま幕府の言う事を聞いていたら、いつかはそういった国々に踏み込まれ、今当たり前に暮らしている人たちが清国の人たちのような扱いを受けるのではないかという不安と恐怖がある。

「今は協力したり、武器を売ってくれたりしているさ。 けれど、真国みたいにならないって保証がどこにある? いつ豹変してこの国を食い物にするかわからない連中をとっとと追い出してやりたいのに、弱腰な対応ばっかりして、こないだなんてとうとう、長州一藩に手も足もでなかった幕府が本当に頼りになるのか……」

 新選組にいながら、もしかしたら長州や土佐のやり方が正しいのではないかと持ってはいけない疑念を抱いてしまいそうになる。

「それにさ、自分の国の女が……千鶴や みたいな女の子が一番あおりを食って酷い目にあわされるって分かってて、それを守れない男だらけの国なんて幻滅モンだろ?」
「平助君……」
「へへへ。 なんか話しちまったらちょっとここのつかえが取れたな」

 藤堂は胸を指さして照れくさそうに笑うと、無理をさせて悪かったなと の背中に入れた布団を外してもう一度横にならせた。
 そこで、もうひとり意外な人物が見舞いにあらわれた。

「あら、藤堂君じゃない」

 火鉢を焚いてもずっと閉め切りはよくないので、半分開け放してある障子に影が写ったかと思うと、足音を立てない優雅な仕種で伊東が姿を見せた。

「伊東先生」
「ああ、何をしてるの、そのままそのまま」

 藤堂よりも上の幹部の登場に、 は肘を立て再び起き上がろうとするが伊東にとめられてしまう。
 藤堂は自分の座って居た枕元の席をあける。

「ありがと、藤堂君。 あらあら、沖田君が鬼の霍乱とか言ってたけれど本当に調子が悪そうね」
「はぁ……風邪なんぞひいたことがなかったですから戸惑い半分で参ってる部分もありますけれど」

 っていうか、沖田さん何を吹聴してたんですかと は真顔で尋ねてしまう。
 伊東はあきれ顔になって、自分が「五条君の調子が悪いみたいだけれどどうしたのか」と聞いた時のやり取りを話してやった。
 それを聞いた は、石田散薬を飲んだ時よりも嫌そうな顔になって、

「……ったく、あの人は来ないでくれるのが一番の見舞いだ」
「まぁ、言い得て妙ね」

 沖田の性格上仕方ないのかもしれないが、枕元で延々と嫌味や下らない冗談を言われたのではたまらないだろうと伊東も表情を緩める。
 不覚にも実際そうなった場合の事が想像できてしまった藤堂は、今度こそ吹き出してしまい口元を押さえて前屈みになって笑っていた。

「まったく、私が純粋にお見舞いに行くだけだっていうのに、あの若造ときたら!『病の気弱に付入ろうとしたって、伊東さんじゃ鼻も引っ掛けてもらえませんよ?』ですって! 何て物言いかしら。 藤堂君、そこ笑う所じゃなくってよ」
「い、いやスンマセン、総司の奴ひでーや……」

 一度出てしまった笑いはなかなか引っ込まず、伊東に言われたからとて止まるものではない。

「まったくねえ、五条君は私達が上京して来た時から何かと気くばりしてくれてるんだもの、こういう時は心配にもなるってのに、あの根性悪ときたら」

 そこまで言って、伊東は口元を押さえた。

「私としたことが病人の枕元で不躾な事をしてしまったわね。 人の悪口など聞かせては病の毒だわ」

 そして、持参した包みを差し出した。

「私の蔵書の中から、あなたにも読みやすいだろう本を持ってきたわ。 とはいえ熱が下がるまでは無理して読みふけったりしちゃ駄目よ、熱が下がって回復してきたらにするのよ」

 伊東の見舞いに、藤堂は笑いを引っ込めてちょっと感心した風に包みを見た。
 さすが新選組文学師範、目の付け所が違う。

「……はい、楽しみにして一日も早く熱を引っ込めます」
「けど、無理はしないのよ」

 この後、文学師範としての仕事があるからと伊東は立ち去り、室内はまた と藤堂の二人だけになった。
 伊東の気配が遠のいてから、藤堂は眉を寄せ難しい顔をした。
 伊東に気に入られてるという事自体、土方たちは良い顔をするまい。 それは のような立場の人間にとって、非常に危ない事と言えた。
 伊東が沖田に の具合を尋ねた時、沖田が言ったあの言葉は、ただの嫌味ではない。限り無く本気の一言だ。
 しかも二重の意味を持っていると藤堂は見抜いて居た。

 伊東は近頃、新選組の……近藤が掲げる政治的立場のまま組を運営していくことを快く思っていない。
 時勢の変化についていけていない、いずれは存続も危うくなるのではないかという懸念を抱いている。
 それだけではない、伊東は自分なりの論を持ち、それに共感する人間を募り、派閥を作ろうとしている。
 それがいずれ正面から意見を闘わせる事になるだろう近藤との話し合いを前に、伊東の論に大勢が賛成するという数的な有利状況を作るためだ。
 そういう動きが土方に勘付かれない訳がない。
 今は表立って隊の為にならないような行動をしているわけではないから土方も何も言わずにいるようだが、藤堂はいずれ近藤・土方と伊東は正面からぶつかる事になるだろうと踏んでいた。
 下手をすれば隊を二つに分けての論争になる。

 沖田あたりはすでに土方から伊東の行動について愚痴られでもしたのかもしれないし、もともと伊東に対して良い感情を持っていないので嫌がらせの意味を強めて言ったには違い無いだろうが、

『病の気弱に付け入って自分の懐に引き込もうとしたって、 ちゃんはこちら側の人なんですから、伊東さんじゃ鼻もひっかけてもらえませんよ?』

 というふうに聞こえる。
  が伊東の最近の行動を知っているか、知っていたとしたらどう思うかまではわからない。
 だから、藤堂は精一杯の気持ちで忠告した。

「あのさ、 。 悪気は多分無いし、悪い人じゃないんだけれどさ、あんまり深入りはすんなよ」

 意味に気付いたらしい は、寝床の中からそっと微笑んだ。

「じゃ、千鶴に見つかると長居してるんじゃないかって怒られそうだからさ。 早く元気になれよ」

 部屋を出ていく藤堂に、 は布団から片手だけを出して見送りに代えた。
  の風邪は幸いにして2日ほどで高熱はおさまり、大事を取ってその後数日身体を休めて過ごしたあとに床を上げた。
  が寝込んでしまった夜に、制札警護に出ていた原田の隊が見事に賊どもをひっとらえた事で、見事な働きをした彼等に会津藩から恩賞が下される事になったのを聞いた時、 は『残念、稼ぎ損ねた』と軽口を叩いた。
 恩賞金を手にした原田は、あぶく銭なんてパーッと使っちまうに限ると言いだして、自分の出費で島原の遊廓で慰労の酒宴を開こうじゃないか、と言い出した。

「ああ、今日でしたっけ。 行ってらっしゃい」
「何言ってんの、君も来るんだよ。 千鶴ちゃんはもう向かってるから、はやく支度しなよ」

 夕方前、部屋にやってきた沖田にそう言われ、 はあまり乗り気しないまま支度をして島原へと向かった。












 宴もたけなわ、どんちゃん騒ぎ。
 他人の懐で飲む高い酒は美味いとばかりに、上機嫌で盃を重ねる藤堂の楽しげな横顔を眺め、 は先日自分に見せた憂い顔が嘘のようだと思った。

「親はなくても子は育つ、姉はなくとも弟は男になる……か」

 膳の上のものをつつきながら、 はいつぞや沖田と話した時に自分で言った言葉をもう一度呟いた。
 守られているばかりの子供から、自分の考えを持ち、視線を上げて前を見る。 立ち上がり、道なき道を切り開き、己の道を歩んでゆく。
 藤堂もまた、悩みつつも自分の道を模索している。
 もう数年も会っていない自分の弟もどこかで悩み、信念の元に道を切り開こうとしているのかもしれない。
 例の薬を作ったという千鶴の父の元で助手をしているというのが気になるが、それもまた、あの弟が自分の信念に基づいて選びとった道ならそれも仕方のないことなのかもしれないと、近頃は考えるようになっていた。

 子供から、男になろうとしているのなら、姉だから、心配だからという理由などでそれをとどめるべきではないのではないか、と。
 一度会う事が叶ったなら、あの子の意志をよくよく確かめてみよう……そう心に決め、穏やかな表情で箸を置くと、膳の上にあった銚子から手酌で自分の盃に酒を注いだ。
  のその様子を、隣の千鶴の所で話をしていた永倉が目にとめ、珍しいなと笑う。

「おっ、珍しいじゃねえか五条。 っつーか酒飲んでる所はじめて見る気がするぞ」

 永倉の言葉に、 はそうでしたかねと首を傾げた。

「そうだよ、屯所じゃ酒があっても飲んでるとこ見た事がねえ。 てっきり、駄目なもんだとばっかり思ってたぜ」

 まさか、これが奢りで高い酒だからかとからかう永倉に、 は違う違うと手をひらひらと振る。

「嫌いなんて事ぁない、普通に飲みますよ。 ただ、人前で酔っぱらいたくはないだけで」

 ましてや、下手を打てばいつ斬られるとも分からない状況のなか、酔っぱらって前後不覚になるなど絶対に出来なかった。
 けれど、前後不覚という事ならこの間の風邪でぶっ倒れている間、誰も刀をふりかざして首を狙ってこなかったのが意外といえば意外だった。
 それまでは、いかに都合が悪くならない間はお互い利用するような関係が保たれているとはいえ、公に出来ない秘密を知ってしまった身、いつ何時始末されてもおかしくないと日々思っていただけに。
 それでも普段であれば、例え殺しにこられようとも幹部のひとりくらいは道連れにできるくらいの腕はあると自負していたから、弱っている時を狙われない所か、藤堂や伊東の他にも見舞いに来る幹部がいたのだから驚きだった。
 自分は、弱っている所を多少見せていいくらいには受け入れられているのだろうかと……妙な感慨を覚えたものだ。

「何というんでしょうかね、少し飲みたい……酔ってみたい気分なんですよ」

 そういや千鶴ちゃんは飲まないのかと が彼女の膳に視線を向けると、永倉が酒は飲めないんだとよと肩を竦めた。

「そうか、飲めないなら飲めないって先に言っちまったほうが良いね、でないと無理強いする輩が出るから」

 気の入らない返事をした千鶴の横顔を見ると、どこか表情が浮かない。
 視線の先を追ってみると、理由はすぐに分かった。
 同じ事をした永倉も『ああ』と納得したように笑みを零した。

 さきほど座敷にやってきた君菊という遊女が上座のほうにいる土方にぴったりと寄り添って、美しい微笑みを向けて談笑している。
 土方も満更ではない様子で、君菊の酌を快く受け、嫌いだという酒を不機嫌になる様子もなく口にしているではないか。

「千鶴ちゃん」
「……あ。 は、はい、何でしょうか さん」
「大丈夫、もし私が男だったら千鶴ちゃんみたいなお嫁さんがいいと思うから。 永倉さんだってそうでしょう?」

 いきなり妙な話題を振られて目を白黒させていた千鶴だったが、すぐに意味を悟ってみるみる頬を染めてしまった。

「おう、もちろん……って。 五条、お前、酔いたい気分じゃなくて、もう酔っぱらってないか。 っていうか酔っぱらってるだろう」

 さては、飲みはするが強くはねえなと、半目になった永倉は の前で、この指何本に見える、と言うように節くれだった手を左右に振った。

「酔っぱらってなんかいませんよ」
「それ典型的な酔っ払いの台詞じゃねぇか……って、おいおい」

 ほんとうに、強くないらしい。
 永倉と千鶴の目の前でとろんと目を伏せたかと思うと、ふらりと身体がかしいで永倉の肩のほうへと倒れる。
  に倒れこまれた位ではびくともしない永倉の身体は余裕でそれを受け止めたが、ぶつかっても起きる気配のない様子に永倉も千鶴も苦笑する。

さん、疲れてたんですね」
「だなぁ。 病み上がりからこっち、すぐにいつも通りに仕事してたみてえだし」

 酌をしていた遊女のひとりが寝息を立てる の様子に気付いて、気をきかせてふたつ隣の部屋が空いているのでそこに床を延べてくれた。
 早々に寝入ってしまった はそこに放り込まれ、結局宴は数名の途中脱落を含みつつも朝まで続けられた。




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