羅刹女 ---11---


 巡察から戻って来た沖田が、気になる事を言っていた。
 何でも、千鶴とそっくりの少女に出会ったそうだ。
 しかもその子は、南雲薫と名乗っていったとか。
 何たる偶然、その子ならこの間の非番の時にたまたま不逞の輩に絡まれていたのを助けた子だと が言うと、沖田も今回も似たような状況になっていたのを助けたのだという。
 その時、新選組の沖田さん、と意味深な笑みを残していったそうだ。

 この頃、世間は将軍家茂の上洛の話でわいていた。
 それにともない新選組も将軍一行の出迎えと二条城までの警護の任を仰せつかり、花々しい大役に隊全体が大いに士気を上げ、いつでも出立できるように準備がすすめられていた。
 こういう時こそ幹部全員が揃って将軍を出迎えたかったと近藤はぼやいていたが、沖田と藤堂が体調不良を理由に屯所待機となった。

「って、千鶴ちゃんも参加するの?」
「はい、伝令役というか、使い走り程度ですけれど」

 すっかり二人の仕事となっている裏方での水汲みをしながら、千鶴と は話を弾ませていた。
 隊士や新選組で雇っている下働きの者を加えて100人以上の煮炊きに使う台所の水瓶は、いくら満たしておいても足りないということはない。
 とはいえ二人とも一日中この仕事ばかりをしているわけにもいかないから、朝や手の空いている時、または食事前と、必要に応じてやっていた。
 大きな水瓶にいくつも手桶で水を運ぶのはけっこう鍛練になるもので、千鶴も も剣を振るうために最低限の腕の力を保つには丁度良いと思っている。

「んー、あと二人で3往復もすればいいかな。 それにしたって千鶴ちゃん、万が一襲撃されたりしたら危なくないか?」

 いかに警護が厳重な将軍の行列とはいえ、銃で狙撃されたり、手薄な横合いから襲われたりする可能性がないわけではない。
 そうなった場合、襲撃側もこんな絶好の機会など滅多にないから死にものぐるいで向かってくるだろう。そういう敵のほうが、士気のない敵よりもよほど厄介だ。
 心配そうな顔をする に、千鶴は大丈夫ですと微笑んでみせた。

「皆さんの言うからには、普通の戦場に出るよりはよほど安全だそうです。 それに私は前線には出さないと仰っていましたし」

 その分、ついてくる気なら雑用でコキ使ってやるから覚悟しろとあの土方までが笑みを見せていたそうだ。
 あの土方が、と は思わず呟いてしまった。
 千鶴もその点同感だったらしく、笑って頷き返す。

「ええ、あの土方さんが、です」
「そうか。 じゃあ本当にあるていどは余裕のある戦場ってことなのかもな」

 じゃあこれが終ったら、千鶴の戦支度をしようということになり二人は水汲みを終らせるべく裏の井戸へと向かった。












◇◇◇◇◇












 街道から洛中への将軍上洛の行列の警護も無事終り、将軍一行は二条城へと入った。
 多摩の百姓の倅が将軍警護の大任を仰せつかるようになった……と、自分達がしてきたことは、戦ってきたことは間違いではなかったのだと近藤は感動しきりで、それは隊士たちも同様だった。
 新選組には、武士身分ではない者も多い。
 そういう者たちがいくら志があろうと、武士でもないのにおこがましいと鼻で笑われるのがオチなのが今までの世の中だった。
 しかし新選組は身分に関係なくそういった彼等を受け入れ、同志として扱ってくれた。
 最初の頃など壬生浪人、壬生狼と蔑まれ放題だったが、その新選組が御所の……ひいては天皇の警護を任され、そしてまた今回将軍の警護についてくれと名指しで依頼が来た。
 この間まで、畑を耕していた者が、そろばんを弾いていた者が、金づちを握っていた者が……等しく同じ場でこの栄光に浴し、名誉ある仕事についている。
 その感動と熱気が、二条城の門外で警護を続ける今も隊士たちの間に静かに満ちていて、かがり火に照らされた隊士たちの横顔もどこか誇らしげに輝いて見える。

「近藤さんよ、ここはビシッと気をひきしめといてくれよ? 大将がうわついてたんじゃあ示しがつかねぇからな」
「ああ、わかっているとも歳」

 新選組本陣で床几に腰掛けた近藤に言葉だけは厳しくも、土方の顔にも笑みが浮かんでいる。
 土方とて、元をただせば近藤とおなじ、農家の倅だ。
 血筋に頼らずここまできたという誇らしさが自然と微笑みに変わっていた。
 もちろん、ふたりともここで満足する気も終らせる気もない。目指す場所はもっと高みにあることもわかっている。

「新選組は、どこまでいけるかなあ歳」
「そりゃあ、あんたを大名にして」

 土方は、かがり火に浮かび上がる二条城の威容を見上げた。

「あそこにおられる、将軍様の御前で物が言えるようにするのさ。 まずはそこだ」
「まずはそこか。 なかなか高い『まず』だな」
「なぁに、柿だって高い枝になってるほうが旨そうに見えるもんだろう?」

 さてと、俺は他の所の見回りでもしてくるぜと、土方は袖を翻して近藤の元をはなれた。






「千鶴ちゃん悪い、手が空いてるようなら手伝って」
さん、どうかしたんですか?」
「この薪を、それぞれのかがり火の足下にひと束づつ置いとくんだ。 ほら、明るくなるまで夜通し火を点している訳だから」
「はい、わかりました」
「けっこう重いよ、無理しないで。 じゃあ私はあっちから回るから」

 千鶴と は、小荷駄の荷物の中から薪の束を持ち、それぞれのかがり火の所へ駆けていった。
 今回は二人とも雑用係として配置なので、色々と忙しい。
 細々としたことで忙しく働いていた、その時だ。
 不意に、背筋に氷でも入れられたような嫌な感触が肌を滑り落ちた。
 実際にそうされた訳ではないが、瞬時に肌身がすくみ上がるようなこれは……殺気。
 隠す気が全くない、むき出しのそれがすぐ近くにある。
 少し離れた場所で千鶴の助けを呼ぶ声がして、 は反射的にその方向へ駆け出していた。

「千鶴ちゃん!!」

 駆けながら抜刀し、千鶴を背に庇うように走り込む。
 千鶴は異様な風体の3人の男に睨まれており、その中のひとりには も見覚えがあった。

「……不知火!」
「あ? 禁門の時のおっかない姉ちゃんじゃないか」

 不知火の他の男ふたりが、知り合いか、と問いかける意味で視線を流してくるのに、不知火はまぁ知り合いっちゃあ知り合いと曖昧に答えを濁した。
 三人のうち、けだるい目をした男が値踏みするように睨めまわしてくるのに注意深く千鶴を背に庇いながら、小声で千鶴にこいつらと知り合いかどうか尋ねた。

「知らない人たちです。 けれど、私の事を同胞(はらから)だって……」
「同胞?」
「鬼の一族、と言ってました」

 鬼といわれて、 は訝しげに眉を寄せた。
 鬼というと、節分の時の追難の鬼や、物語に出て来る赤ら顔で額に角を生やし、海の向こうにいるという獣、虎の皮で作った腰巻き一丁を身につけて、鉄の棍棒を振り回す……そういったものしか想像できない。

「……この人たち、多分池田屋で沖田さんや平助君に酷い怪我を負わせたんです」
「こいつらがそうなのか?」

 その話は池田屋のあと何度か耳にしていたし、変わった風貌をしていたとも聞いていた。
 けだるい目をした男が、何を煩くやり取りしているというふうに、無造作に歩み寄ると立ちはだかる の肩ごしに千鶴を捕まえようと手を伸ばした。

「待ちな兄さん」
「邪魔するか、女」

 伸ばされた手が千鶴に触れる前に払い除け、 は男に刃を向けた。

「これは我ら一族の問題。 貴様には関係のないことだ、どけ」
「大ありだ。 目の前で知り合いがかどかわされそうになっているのを指をくわえて見てるほど、呑気な性格してないんでね」

 大体何だ、と は呆れの混じった目を男に向けた。

「女の子ひとりに野郎三人がかりたぁ、実に絵にならないね。 都合がどうあれ差し向いで口説く度胸も無いような奴は出直してきな!」

 何て口の悪さだと、不知火がピシャリと自分の額を叩く。
 
「あー、面倒だ。 そいつも一緒に連れてこうぜ」

 ちっと手荒にしてやりゃあ大人しくなるだろと、不知火が腰の銃に手をかけたその時、土方、斎藤、原田の三人が騒ぎに気付いて駆け付けて来た。

「何ごとだ!」
「人攫いだ」

 説明を求める土方に、 はこれ以上ないほど端的に答える。
  たちの様子と3人組の様子を見比べて、土方たちは何が起こったのか大体把握したようで、 と千鶴を庇うように後ろに下がらせると、男達との間に自分たちが入り壁のように阻む形を取る。

「ふん、田舎の犬は目端だけは利くと見える」

 犬呼ばわりされても動じることなく、土方は後ろに下がらせた千鶴のほうをチラリと見た。
 幕府も将軍も今はどうでも良いという敵は、土方の肩ごしに小柄な少女の姿を見ている。
 しかもこれは我々【鬼】の問題なのだから首を突っ込むなと一方的に告げてきた。
 鬼などと言われても、土方にはピンとこない。
 この3人は、長州・薩摩と繋がりのある者たちのはずだ。それがどうして、二条城に来ているだけでなく、こんな子供を狙いに来るのか分からなかった。
 将軍の首を取りに来たというならまだしも納得できただろうに。
 なので、率直に千鶴を狙う理由を聞いてみることにする。

「お前等は、何だってこんなガキに用がある」
「あれはお前たちには過ぎたものだ。 だから我々が連れ帰る」

 答えになっていない答えを返し、そこをどけと言わんばかりに男が一歩前に出る。
 土方が自分たちをその歩みと視線から阻むように動くのを見守りながら、 は袖にしがみついてくる千鶴の手をそっと撫でた。
 大丈夫だ、と。

「雪村君、五条君」

 音も気配もなく背後からかけられた声で、千鶴も もはじめてそこに山崎が来ている事に気付いた。
 千鶴を屯所まで逃がすという山崎の言葉に頷いた千鶴に、 も山崎がついていてくれるなら安心だと思い、三対三の睨み合いが出来上がっている場の均衡を崩すべく刀を抜こうとした。

「だめだ、五条君。 君もこちらへ来るんだ」
「何故?」
「あの男……たしか不知火だったか。 あんたにも視線を寄越している。 雪村君を攫う目的とは違うかもしれんが、あんたにも何かしら用があるのには間違いない」

 不知火が先程言った、面倒だから一緒に連れていってしまえという言葉を思い出し、 はちらりと不知火のほうに視線を流した。
 原田と睨み合う不知火は油断なく銃を構え、攻撃の隙を伺っている。
 それは残る2つの対峙も同じ事で、何かの切っ掛けがあれば一気に緊張の糸が切れ激しい戦いになる、そういう張り詰めた空気が辺りを支配していた。

「……万一あいつらが追い掛けてきたら、君が盾になって食い止めてくれ」
「そういうことか、承知」

 山崎が千鶴の手を引いて駆け出したとたん、不知火が凄まじい殺気を放ってきた。地を蹴り原田の横をすり抜け追い掛けようと動いたが、原田が何とか立ちふさがる形を取り追撃を阻む。

「あ、コラ! 何で女鬼だけじゃなくてお前まで逃げてんだよ、戻りやがれ!」

  だけは踏み止まると思っていた不知火は、彼女までスタコラと逃げ出したのを見てその背中に慌てた声をかけたが の足は止まらない。
 不知火から視線を外さずにいた原田は、実家に逃げた女房を追い掛ける旦那でももう少し気の利いた台詞を言うだろうよと、内心で苦笑していた。











◇◇◇◇◇











 屯所に駆け戻るなり、千鶴は誰か幹部の側に居るように指示し、 にも今夜屯所にはあまり兵力が残されていないからこのままここを守ってくれと言い残し、山崎は戦場へと戻っていった。
 追撃がなかったのは有難かったが、皆が無事に戻るまで油断は出来ない。

「……沖田さんの所にでも行くか。 何か出陣できなくて鬱憤たまってるようだし、もし襲ってくれば喜々として撃退してくれそうだしさ」

 息を整えた後も顔色を失っている千鶴の背をポンと叩いて歩くように促すと、二人して沖田の部屋へと向かった。
 沖田は部屋で刀の手入れをしている所で、戻ってきた二人を見るなり目を丸くしてその手を止めた。

「どうしたのさ、こんなに早く。 まさかヘマをして土方さんあたりに叩き返された?」
「そ、そういう訳とは違うと思うんですけれど……実は」

 池田屋が禁門の変で出くわした風変わりな連中がやってきて自分を同胞と呼び、理由も詳しく話さないまま攫っていこうとしたのだと千鶴は沖田に説明した。

「池田屋や禁門って……もしかして、妙にけだるい目をしたあいつ? 池田屋の二階にいた……」
「はい。 そうです」
「確か、風間千景とか言ったっけ。 くそっ、あいつが来るって分かってるんだったら何としてでも出陣するんだったよ」

 どうやら、千鶴に無遠慮に手を伸ばしてきたあの男、沖田と因縁のある相手らしい。

ちゃんにも確か話したよね。 池田屋で僕が胸に一撃食らって倒れちゃったって事と、細い腕で馬鹿みたいな力を出すのってどうかっていう話」

 ああ、あの話かと は頷いた。

「実はそいつがそうなんだよ。 ほんと、倍返しにしてやらなけ……りゃ……」

 ゴホン、と沖田は咳で語尾を掠れさせた。そのまま言葉は途切れ、苦しそうに顔を歪めて口元を押さえ何度も咳き込む。
 見かねた千鶴が立ち上がって、その背を摩ろうとしたその時、咳の音に妙に濡れた音が混じった。
 何だ今のは、と見ていた二人が首をかしげる間もなく、沖田の指の間からするりと赤い滴がこぼれ落ちる。

「沖田さん!」

 悲鳴じみた千鶴の声に、沖田は大丈夫だからと笑って応える。懐から手ぬぐいを取り出し、赤く染まった手と口元を拭い、何ごともなかったかのように背を伸ばす。

「大丈夫だよ。 咳のしすぎで喉が切れただけだから」

 沖田自身はそういうが、 の顔も青ざめていた。
 風邪に似た症状から始まり、なかなか治らない嫌な咳が続き、ついには血を吐いて衰弱していく……そんな病の事を、嫌というほど知って居たから。
 医術の心得のある千鶴の顔色はもはや青いを通り越して紙のようで、悲鳴の後の言葉が続かず唇を幽かに震わせていた。

「……二人とも、何大袈裟な顔してるのさ。 ほんとのほんとに……」
「沖田さん、近藤さんや土方さんにこのことを……」
「駄目だ!」

 千鶴がようやく出した言葉を、沖田は鋭い口調で止めた。

「駄目だ、それだけは」

 そんな事をしてみろ、ただじゃ済まさない。 言外にそう言っている視線に射すくめられ、千鶴は可哀想なくらい肩を震わせた。

「沖田さん……千鶴ちゃんも私も、確証もないのにそんな事を言うほど、口は軽くない。 だからその視線で人が殺せそうな殺気を引っ込めてくれ、誰かが駆け付けるかもしれないだろう」

 千鶴の背を、先程のようにポンと叩いて大丈夫だと言ってやり、 は沖田を睨み付けて苦言を呈した。
 殺気の欠片もないその視線に逆に、「どうだろうね」と続けるつもりだった言葉を封じられて、沖田は殺気を引っ込めて苦笑を漏らす。

「……ごめん。 でもお願い、本当に言わないで。 できれば、誰にも秘密にして」

 千鶴と がわかったと頷くのを見て、沖田はようやく肩の力を抜いた。

「何にせよ、口を漱がないと気持ち悪いだろう。 台所にいって水をもらってくるから、千鶴ちゃん、沖田さんを布団に押し込んでおいてくれ」
「は、はい」

 本当にたいしたことないのに二人がかりとは卑怯だと不満を訴える沖田に、千鶴は縋るような目で、 は呆れを含んだ眼差しで、黙らっしゃいと言い込める。
 千鶴が早速布団を引っ張り出すのを見て、 も台所へと向かった。
 自分の足下も危ういような闇の中だというのに、沖田の手からこぼれたひとすじの滴がやけに鮮やかに思い起こされて、 はそれを振払うように頭を振った。
 可能性はいくつかある。

 池田屋の時に、胸を酷く打たれたというから、その時に肋骨が折れるなり何なりして肺の腑に傷がつき、それが半端な養生だったせいで治る前に傷がまた開いてしまって血が溢れたとか。
 本当に咳のしすぎで喉が切れたと言う可能性もある。
 けれど、考えはどうしても、考えられる最悪のものに向かってしまう。

 労咳。

 人々に恐れられる、不治の病。
 罹れば治す術も助かる術もなく、数年のうちに肺をやられて徐々に衰弱し、挙げ句には血を吐いて死ぬ事になる。
 しかもこの病は人から人へと伝染する。
 一家のうちにひとり病人が出たと思ったら次々と感染し結局一家が労咳で全滅してしまったという話も珍しくはない。
 病がどこからやってくるのかわからず、しかも伝染するとなれば人の恐れ具合もまた格別で、病人だけを隔離するならまだしも、病人が出た家族ごと村八分にされたり、病死した者を荼毘に伏すだけでなく、病みついていた家まで燃やし浄める事もある。
  が暮らしていた郷でも、労咳患者は何人もいた。
 すでに長患いのあげく死を待つばかりの人もいたが、つまらない風邪にかかったと笑っていた人が突然血を吐き、医者から労咳だと宣言されたあと、あれよあれよという間に衰弱して死んでしまった人もいた。
 まだ存命だった母から、長患いして痩せ細っていた人が、あの体からどうやってというくらいの血を吐いて死んでしまったことを聞かされた時は、幼な心に伝染病や労咳の恐ろしさが刷り込まれ、しばらく恐くて眠れなくなったことさえあった。

 口を漱ぐ水を用意して沖田の部屋へ戻ると、沖田は以外にも千鶴を困らせる事なく大人しく布団に座って待っていた。

「……てっきり千鶴ちゃんを困らせてるもんとばっかり思ってましたよ」
「ひどいな、これでも一度麻疹で死にかけてるからね、悪くなったときの事についてはこりてるんだよ」

 そういえば、江戸でコロリ(コレラ)や麻疹が流行って大変だった時期がありましたねと千鶴も頷く。
 沖田はもってきてもらった水で口を漱ぐと、そうなんだよねと相打ちを打つ。

「コロリの時は大丈夫だったけれど、道場があったほうにも麻疹の流行が来ちゃってさ。 ほんとあのときは、死ぬかと思ったよ」
「父様もあの時は本当に大変そうでした……」
「江戸中の医者という医者がかり出されても、麻疹の勢いは止められなかったんだからね。 むしろ病人と接するお医者さんから倒れちゃうことも多々あったっていうしね」

  がいた郷は江戸と街道で繋がってはいたが郷そのものが街道から少し離れていたのでコロリと麻疹どちらの影響も受けていない。 江戸で大流行している話も、郷にやってくる商人が話してくれて知ったんだったなと思いだす。

「酷い有り様でさ。 江戸の通りという通りから人の姿が消えて、いつも誰かしらいる髪結い床や湯屋まで軒並み閉まってる。 人込みから逃げれば麻疹にもかからないだろうって、近在の郷へ逃げてくる人もいたくらい」

 ほんと、あんな目は二度と御免だから体力を戻すために大人しく寝るよと沖田は布団に潜り込んだ。

「けど、風間が乗り込んできたらちゃんと起こして」
「わかりました」

 沖田の事は、一晩様子を見ているという千鶴に任せて は部屋を後にした。
 こりているという話をしたときの表情からして本当のようだし、今夜くらいは大人しくしているだろう。
 自分も部屋に戻ろうと廊下を歩いていると、向こうから藤堂がやってきた。
 やはり風邪気味の体調不良ということで今回の将軍警護に参加しなかった藤堂も、どこかしら顔色が悪く見える。
 藤堂は の姿を見ると、沖田と同じように目を丸くした。

「あっれ、どうしたんだよ。 まさかもう仕事終ったとか?」
「いや、ちょっと訳ありなんだ」

 立ち話ってほど短く纏められないから、まぁ座ろうと、二人はそのまま中庭に面した縁側に腰掛けた。
 そして、池田屋や禁門の変で出会った風変わりな者たちが【鬼】を名乗って、千鶴を攫いに来た事を話すと、藤堂は酷く驚き、また憤った。

「何だよそれ! くっそ〜〜腹たつなぁ、俺がその場にいたら絶対ただじゃすまさなかったってのに!」

 本当に悔しそうに言うものだから、 は思わず苦笑してしまった。
 無理もない。千鶴を攫おうとした三人のうち、天霧という男に藤堂は池田屋の戦いの時に額を割られる大怪我を負わされ、早々に戦線離脱を強いられてしまったのだから。

「でもさ、何で千鶴を攫おうとしたわけ? おかしいじゃん、わざわざこんな時を狙って来るなんてさ」
「うーん……千鶴ちゃん、滅多にひとりでは屯所を出ないってこともあるだろうけれど、戦陣のような混乱した状況なら人ひとりいなくなっても気付くのがおくれる事が多いからじゃないかな。 巡察途中に攫っていくことも可能なんだろうけれど、その場合まわりが抵抗するだろうし攫うのに成功してもすぐさま連絡が入って追撃される」
「なるほど、言われてみりゃそうだよな」

 戦死者が出るような状況では、だれがどの程度の怪我をしたのか死亡したのか、いちいち確認などできない、していられない事のほうが多い。

「それよりも不思議なのはさ、千鶴は池田屋にも来たんだけれど……その時はあの連中、あいつのこと歯牙にもかけなかったんだぜ。 それが何だっていまさら重要人物扱いして攫っていこうとするかってことさ」

  はあの夜、屯所待機だったから千鶴と山崎が総長・山南の伝令を携えて出ていったあとの状況は人づてにしか聞いていない。
 藤堂に言われてみればその通りで、千鶴がわざわざ攫いに来るような重要人物なら、あの時点で彼等に顔が知られていないというのもおかしい。
 それにあの池田屋の混乱は、今回の将軍警護の時以上に人をひとり攫っていく好機だったはずだと藤堂は付け加えた。

「となると、だけれど……私の推測にすぎないけど、池田屋以後、千鶴ちゃんの血筋上の何かが判明したか、本人も知らない身の上があるんじゃないかって思うんですよ。 あの連中が【鬼】と名乗って、千鶴ちゃんを同胞と呼んだからには」
「鬼っつーとあれだよな。 節分の時に豆まいて追い払う、赤鬼・青鬼。 っかーっ、あんなのとあいつが同じに見えたら、それこそ冗談にしかならないじゃん!」

 藤堂の言う通りだ。
 あれらと千鶴が同じものにはどうしても見えない。 また、千鶴を攫いにきた彼等もだ。

「ただ……平助君。 この事は、必要以上に触れないでほしいんだ。千鶴ちゃん、酷く怯えていたから」
「無理もねぇよ。 いきなり道で野郎に絡まれたって女の子にしてみりゃ身の竦む思いだろうに、訳の分からない事言われて力づくで連れてかれそうになったら」

 もちろん、千鶴がそのことに触れるまでは必要以上のことは口にしないし、鬼が来ようが蛇が来ようがあいつの事はちゃんと守ってやると藤堂はドンと胸を叩いた。
 明るい表情が妙に頼もしく見えて、 もつられて笑みを零す。

「私も、女の子に無遠慮に手を伸ばすような輩にゃ容赦する気はないからね。 あいつらが来たら叩きのめしてやるけれど、平助君はまず風邪をなおしてよね。じゃないと途中でへばったら格好悪いでしょ」

 そう言うと、藤堂は何やらバツが悪そうに引き攣り笑顔で視線を逸らした。
 明後日の方向を向きながら、鼻の頭をポリポリとかいて、

「あ〜〜、あれ、実は嘘。 仮病」
「え?」
「何ていうかさ、将軍警護……今イチ気のりしなかったんだよ。 新選組は今までみたいな仕事を続けてて本当にいいのかなぁって疑問に思っちまってさ」
「今までの仕事?」

  は新選組が出来た当初の事を知らないだろうから、と前置いて、藤堂は説明してくれた。
 新選組の全身となる壬生浪士組が結成された当初は、公武合体による国内の情勢統一と、そうして国内の意志をまとめた上で幕府主導の攘夷断行における先駆けになるという思想があった。
 その頃、外国との不平等条約を次々と押し付けられたまま何もできないでいる幕府の態度を良しとせず、天皇主導で国の政治を行い、なおかつ外国勢力を打ち払うべしという尊王攘夷・勤王倒幕の思想を掲げる派閥の動きもまた激しく、『天誅』と称して幕府要人や思想の事なる者を闇討ちにするという事件が全国で相次いだ。
 その中心地であったのが京都で、当時は地元の者でもうっかり夜歩きをすれば難くせを付けられかねないくらいに天誅が横行していた。
 その彼等の動きを押さえるために京都守護職・会津藩の後ろ楯を得て壬生浪士組は働く事になった。

「普通の人が道も歩けないようなやりかたなんて、ほんと論外だからさ。 俺も最初はそういう仕事でも別にかまわなかったんだけれど」
「……最初は?」
「そ、最初は。 けれどここの所の幕府の弱腰具合はどうだよ。 江戸に行ってみりゃ、もうなるようにしかならないみたいな空気が町方にまで広がってる。上の弱腰はもう治らない、攘夷、攘夷も口ばかりだって皆何も言われなくても分かって来てるのさ」

 そうして京都に戻ってきてみれば、新選組は未だに大きな政治に関わる立場にもなれないままノミをつぶすように不逞浪士の取締りに日々を費やし、むしろそういうノミをかくれみのにして尊王攘夷派たちが徐々に力を蓄えつつあるのを肌で感じる。
 江戸と京都に、これほどの温度差があるのかというのが藤堂の感じた感想だったという。

「会津様のやり方に文句を言う気はないけれど、何だか……このままでいいのか、近藤さんは未だに将軍様と幕府を心から信じてるみたいだけれど、幕府は本当に攘夷を行って、この国を正しい状態に戻せるのかっていろいろ考えるようになっちまって」

 考えすぎなのかもしれないが、この考えがまとまらないうちは手足を動かしてもろくは働きが出来ない気がしたのだという。

はさ、そういうのはないの? 幕府が本当にこのままで良いのか、とかさ」

 思想の話を振られて、 は思わず目を丸くした。

「うーん……どちらの思想が正しい、どちらに力があるとかいうのはおいといて。 天皇が幕府に政治を委任してから数百年たってるんだから、今急に、この国難の時に急に政治の主導を天皇に戻したからといって、まともな舵取りができるのか、という疑問は前々から感じてたかな」

  自身に、どちらが正しい、こっちに肩入れするというような思想はない。

「だから、急に主権を戻すよりは自分たちの所に御座所を移してもらい、政治については代行しますから〜、じゃ、【長州幕府】ができるのと一緒じゃないか。 それがあんまりにもスジが通らない以上、止めるしかない、止めなけりゃ国が傾く。 そのかれらをまがりなりにも止められる力があるのが幕府なら一緒に働く。 私はその程度だよ」

 世には、芸者でも勤王派に肩入れして男顔負けに国事を論ずるような女もいるようだが、 は政治思想にそこまでのめり込めない。

「そっかぁ……やっぱり俺の考え過ぎかなぁ。 たしかにあれはやりすぎだって、俺も思ったけどさ」
「けど、この状態が長く続けば……諸外国がこの国を蹂躙するって事だけはわかるよ。 彼等は待ってる、この国が内乱で力を使い尽すのをね」
「ああ……」

 それだけはさけなくちゃいけないのにな、と藤堂は何か見えない不確かなものに手を伸ばすかのように、夜空に視線を向けた。

 政変で焼き尽された京の町の景色が、日本のあちこちにも広がるようになる。
 この国の舵がどこに行くかもわからず、身内にも様々な不安をかかえたまま、それでも夜明けは、確実に近付いてきていた。




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