本音のありかは酒の底? ---1---


「どうしたの、誰か怪我でもした?」
「あ、沖田さん」

 千鶴が盆に乗せた薬を運んでいると、部屋から出てきた沖田と視線があった。
 沖田は盆の上の湯のみからむわっと漂ってきた臭気に、う、と眉を寄せる。
 燗をつけた酒、ということはこの薬包は……。

「石田散薬?」
「はい。 私も父様の仕事柄、いろんなお薬を見たことがありますけれど……熱燗で飲むなんて、変わったお薬ですよね」
「変わった、というか怪しい薬だけどね。 で、怪我したの誰?」
さんなんです」

 沖田はおや、と目を見開いた。

「もしかして……今朝がた捕まえて帰って来た、あの浪士がらみ?」
「みたいです。 ほら、 さん、島田さんのお手伝いで張り込みに行ってたじゃないですか」

 数日前、千鶴は から菓子の包みを渡された。
 監察が張り込みに出てる先に手伝いに行くから、日持ちしない菓子を食べてしまってくれということだった。

「刀の使えないような狭い屋内で捕物になったそうなんですけれど、その時に、浪士と取っ組み合いになって強かに体を打ち付けちゃったみたいなんです。 思ったより酷かったみたいで、島田さんに背負われて帰ってきましたもの」
「あーー。  ちゃん、刀なしの組み打ちも相当やるからねえ……」

 何でも、取っ組み合いでもつれたまま、階段を転げ落ちたそうです……と、千鶴は言う。 沖田も顔を顰めた。聞いただけでも痛そうな状況だ。
  曰く、起きた直後は急には立てずに背負ってもらったが、浪士の体を下敷きにしてやったから芯まで響いていない、暫く休めば立てるようになる……ということだが、青い顔してそんな事を言われても説得力がまるでない。

「転んでもただでは済ませない所が ちゃんらしいっていえばらしいけど……」
「骨は折っていないみたいなんですけれど。 お薬を飲ませて一日休んで、痛みや腫れが酷くならないようなら大丈夫かと……」
「こんな怪しい薬よりさ、湿布作ってあげなよ……打ち付けたんなら、明日には多分あちこち痣だらけだよ」
「そ……そうですね。 でもお薬も飲んだほうが治り早いでしょうから、これもとどけてきます」

 早足で歩いていく千鶴の背を見送りながら、沖田は大丈夫かなあと溜め息をついた。





「あいったたたたた……」

 体中がギシギシ言っている。 古くなった雨戸か、錆びた蝶番を無理矢理動かしているような違和感が不快だ。
 階段から転げ落ちた拍子にぶつけたところが痣になるのは仕方が無いが、全身の筋肉や関節にも余計な負担がかかっていたらしい。
 袴をつけない楽な格好に着替えた は、情けなくも机に縋るような格好で身を起こしていた。
 机の上には、先程千鶴が持って来てくれた薬がある。
 一緒にある湯飲みからムワンと沸き上がる暖めた酒独特の臭気に、 は顔をしかめた。 
 これがあるだけで、薬が何であるか知れる。
 新選組名物・土方副長実家の家伝薬、『石田散薬』だ。 わざわざ多摩から取り寄せている、新選組の常備薬でもある。
 骨接ぎ、打ち身に大変よく効くだけでなく、様々な不快症状にも効き目があるいわゆる……いわゆる万能薬、らしい。
 沖田に言わせれば『怪しい薬だから信用しちゃダメ』だそうだが。
 沖田とは普段、意見の食い違いも多いが、この薬については全面的に同意できる。
 新選組に来たばかりのころ、腕に怪我をしていたので『石田散薬』を飲んでおけと言われた事がある。何でも、打ち身、くじきに一番効くが、外傷の治りも早くなるから……との事だった。
 一応飲んでみたが、何かの草を黒焼きにしたらしい粉薬は、苦いだけでなくどこか酒ッ気のような匂いがした。
 良薬口に苦し、の言葉があるが、それにしたって限度があるだろうというくらい酷い味のものを、さらに熱燗の酒で流し込むというとんでもない薬だった。
  の知る常識だと、普通は打ち身やくじきのある人間が酒なんか飲んだら、患部の炎症を酷くしてしまうはずだ。

「……誰がバカ正直に飲むもんか、舌が曲がるっ」

 あんなものを味わうのは一度で沢山だ。
 薬をとどけてくれた千鶴が、『湿布も作ってきますね』と部屋を出ていったのをは幸いだった。
 軋む体を何とか動かした は盆の上の薬包を開くと、机の端に飾ってある一輪挿しの花瓶から花を抜いて、その中に薬を捨てた。
 花は元通りに戻しておく。
 取りあえず、これで飲んだフリはできるだろう。 花瓶の水は動けるようになってからこっそり捨てればばれやしない。
 さて問題は酒のほうだが、これは窓の外にでも捨てるかと、湯飲みを片手に膝立ちになろうとした所で、障子の外に気配がした。

「五条。 怪我をしたと聞いたが、大丈夫か」
「あっ……ああ、た、たいしたことないよ! ……痛っ!?」
「失礼」

 ぶつけた腰がズキンと痛み、 は前屈みに机に掴まる格好で何とか体を支えた。
 一言断って入ってきたのは斎藤で、手には例の万能薬……『石田散薬』の包みがある。

「その有様で、何故大丈夫などと軽く見る」
「……いや、不覚を取った自分が情けないの半分って言いますか……」

 あいたた、と呻きながら、そろりそろりと酒の入った湯飲みを机の上に下ろす。
 斎藤は盆の上に薬包があり、湯のみの中身が酒なのに気付いて、もう薬は飲んだらしいと少し安堵して肩の力を抜いた。

「雪村が持ってきたのか?」
「は、はい……今、湿布を作ってきてくれるそうで。 薬のほうも、今飲んだ所……」

 なので心配無用です、と続けようとして、斎藤が中身の減っていない湯のみを見ている事に気付く。
 本当に飲んだのか? と疑っているらしいのを感じ取り、 は引き攣り笑顔で、

「薬の粉を口に入れて、さらにお酒の一気はさすがにできませんよ」
「確かに。 うっかりするとむせてしまうだろう」
「そうですそうです」

 実際は花瓶の中に捨てたのだが。
 斎藤はどういう訳か、『石田散薬』を本当に万能薬だと信じているフシがある。ここで飲んでいないなどと言ったら、わざわざ袋入りで持ってくるほどだ、飲むまで見張られてしまう。
 が、斎藤はどこまでも大真面目な顔で、

「土方さんは酒の量も薬のうちだと言っていた。 その量が処方されたのなら、全て飲むべきだろう」
「斎藤さん……普通打撲がある人間がお酒を飲まないと思いますけど。 薬のうちなら、一口飲めば充分かと」
「駄目だ。 薬は処方を守ってこそきちんと効き目が出るものだ。 早く治したいならきちんと飲め」

 せっかく誤魔化そうとしたのに、律儀に突っ込んでこないでほしい。
 さすが石田散薬信者……とは言えなかった。斎藤は心底から効き目を信じている目をしていたから。
 効能を信じているから、『ちゃんと飲むべきだ』と好意で勧めてくれている訳で……流石に無碍にできない。
 ここに沖田がいたら、何とか誤魔化してくれたかもしれないが、居ない者に期待しても仕方が無い。

「飲まなきゃ駄目ですかね……」
「土方さん並に酒に弱いなら考慮もするが、あんたは人並みには飲めたはずだろう。 燗がぬるくなったのなら暖めなおしてくるが?」

 きちんと飲むまで動きそうもない斎藤の様子に、 は諦めをつけた。
 いろいろあって、新選組屯所で、さらには幹部の前で油断して酒を飲むなどしたくはなかったのだが、ここは逃げられない。
  は燗酒の匂いを我慢するために、鼻をつまんで一気に湯のみの中身を喉に流し込んだ。










 
 沖田の懸念は見事に当たった。
 大丈夫かなぁ、の中には、 の身を真剣に心配するのと、石田散薬がまたも厄介事を巻き起こさないだろうなという心配が半分づつ入っていた。
 せめてどっちか半分で済めばいいなぁ、という淡い期待も空しく、 の部屋から妙な声が聞こえてきて、沖田はやれやれという溜め息をついた。
 石田散薬は、沖田に言わせれば厄介事を呼び寄せる薬だ。

「でも今の声……一君だよね?」
「沖田さん、今の声、聞こえました?」
「あ、千鶴ちゃん。 うん、あれ…… ちゃんじゃないよね?」
「何か、声がひっくり返ってた気がしますけど、 さんじゃないかと思います」

 障子を開けて の部屋のほうを伺って居た沖田の所に、別室で湿布薬にする薬草を練ってきた千鶴が近付いてきた。
 手当てに必要な道具を入れた盥の中に、包帯や晒し、薬を塗るへら、練った薬などが入っている。
 ツン、と薬臭い匂いがしたが、こっちのほうが断然薬らしいと沖田は思う。

「様子……見にいったほうがいいですよね?」
「そうだね」

 千鶴と沖田は、連れ立って の部屋のほうに向かった。
 半分開いた障子から、ひょいと顔だけだして中を覗き込む。

さ……きゃあ!?」
「ちょっと、何してるのさ!」

 室内を見て、千鶴は手にもった盥を落としそうになり、沖田は慌てて障子を開けて室内に入り、倒れた の下敷きになった斎藤の襟首を捕まえ、引っ張りだした。

「あ……ああ、総司か。 すまん……助かった」
「普通、上下逆じゃない? っていうか、何でこんなことになってんのさ」
「い、いや、誤解だ!」
「僕まだ何も言ってないけれど?」

 早くも険悪な雰囲気の漂いはじめる二人の横をすり抜けて、千鶴はうつ伏せに倒れた の側に駆け寄る。素早く首筋に指を当てて脈を図り、顔を覗き込む。
 脈が浅く、早い。それに何だか頬が上気して……息が、酒くさい。
 あれ、と思って机の上の湯飲みを見ると、カラになっている。 あれにはなみなみと熱燗の酒が入っていたはずだ。
  は、永倉たちのように水を干す勢いで飲む事はできないが、土方よりはずっと酒に強い。
 一気飲みでもしない限り、こうも劇的に酒が回るとは思えないのだが……。
 ……一気?

「確か さん、疲れてるから朝ご飯は少し眠った後でいいって言って、何もお腹に入ってないはず……」
「あーー。 すきっ腹にグッと一気に飲んじゃったの?」
「ご自身で思っていたよりもずっと疲れてて、急激にお酒が回っちゃったんじゃないでしょうか……」

 そうでなければ さんが、こんなに無防備に倒れちゃうなんてありえません、と千鶴は眉を寄せる。
 沖田もうさんくさげな口調で斎藤に質問する。

「この様子だと、一君が様子を見に来て、熱燗のほうも飲め、って迫ったんじゃないの?」
「いっ、いや。 すきっ腹だとは知らず……酒も石田散薬の薬のうちなのだから、ちゃんと飲めと」
「飲むまで動かない感じで見張ってたんじゃない?」
「……確かに、きちんと飲むかどうか見とどけようとはしたが」

 沖田と斎藤のやり取りをきいていて、普段穏やかな千鶴が、とてもとても疑い深い目を斎藤に向けた。

「斎藤さん……」
「雪村。 俺は適切と思われる行動を取っただけであって……」

 わいわいとやり取りをしているうちに、騒ぎが他の所まで聞こえたようだ。 騒々しい足音とともに、永倉・原田・藤堂の三人がやってきた。

「おいおいおい、何だぁこりゃあ!?」
「喧嘩なら庭でやれ……ん、違うのか?」
「あれっ、千鶴……それに も、なんで!?」

 言いたい事を言う三人に、沖田は騒がしくなったなぁ、と肩を落としながらも、『一君が ちゃんに無理矢理お酒飲ませて押し倒された』と非常に端的な説明をした。
 三人の生暖かい視線に、誤解だ、とあわてて釈明する斎藤をよそに、千鶴はうつ伏せに倒れたままの を起こそうとしてペチペチと頬を叩きながら声をかける。

さん、大丈夫ですか、 さん!」
「……んーー……」

 千鶴の声に反応した が、ゆっくりと目蓋を上げる。
 酒も過ぎたり、急激に大量に摂取すると心臓に悪い事を知っている千鶴は、意識が戻るようならまだ大丈夫そうだと、ホッと安堵の息をついた。
 が、安心するのはちょっとばかり早かった。
 むくり……と起き上がった は、半目のまま周囲を見渡す。
 常とは違うその雰囲気に、まず藤堂が疑問を口にした。

「…… 、もしかして酔ってる?」

 なんか目ぇ据わってますけど……と、思わず呟く声は妙な加減に引き攣っていた。











 何やら叫び声のようなものが聞こえた。

「……騒々しいな?」
「道場のほうの声ですかね?」

 副長室で話し合いの後、それぞれ書類を纏めていた土方と山南は、障子の隙間から聞こえてきた声に思わず顔を見合せていた。
 山南の疑問だが、道場稽古の時の声は、幹部の部屋のほうにはよほどの大騒ぎでも聞こえてはこない。
 なので土方は、また何かあったなと判断して、沈んだ溜め息を漏らすと書類を机の端に寄せて立ち上がった。

「では土方君。 羅刹の私はそろそろ『夜更かし』といえる時間なので、下がらせてもらいますよ」
「ああ……でもその前に、あの騒ぎの元の所に一緒に行っちゃあもらえねえか、山南さん」
「おや、君が下手に出ての頼みごととは珍しい」
「俺だけで行ったら、大爆発しそうな気がしてな」

 山南の言葉のトゲなど気にもならないほど、ここのところの仕事漬けで土方は参っていた。
 いろいろ溜まっている、とでも言えばいいのだろうか。
 それを察した山南は、いいでしょうと微笑んで土方とともに部屋を出た。
 どうやら、幹部たちが の部屋のあたりでギャアギャアと騒いでいるようだ。
 たちどまり、『あの馬鹿ども』と低い声を漏らす土方の肩を、山南が少し後ろから軽く叩いて、『まあまあ』と落ち着かせる。
 大股に歩き出した土方は、

「おいてめぇら! 非番なら外にでも行ってこい、騒々しいんだ……」

 よ、と締めるつもりの声は、見事に固まった。
 数歩遅れてきた山南は、土方の肩ごしに室内を覗き込んで、おや、と声を上げる。

 着物の袷も裾も乱した が、半ば畳の上に崩れかけた藤堂の上にぐったりと倒れ込み、周囲がそれを見て大騒ぎしている。

「ひ、土方さん! 山南さん! 助けてくれよーー!」

 藤堂が にのしかかられながら、現れた増援(?)に情けない声で助けを求める。
 斎藤はどういう訳か、襖のほうを向いて放心状態だ。

「やめなよ平助、せっかく面白い事になってきたのに」
「何が面白いだ馬鹿! おい五条、てめぇ大人しくしてろって言っといただろうが、けが人が何をしていやが……」

 土方の怒鳴り声に反応したのか、 が藤堂の肩のあたりから顔を上げて、ぼうっとした目で土方を見上げた。
 目はとろんと眠そうに潤み、肌は温かい血の色を透かしてほんのりと色付き、乱れた胸元の袷からは、すらりとした鎖骨や、晒で押さえた胸元がチラリと見えている。
 くつろいだ服装のため袴をつけていないから、裾も乱れてめくれあがり、片足が膝裏近くまで丸見えだ。

「あーー、だいじょうぶですよーー」

 にぱ、と普段は絶対見せないような童(こども)のような笑顔を向けて、ちっとも大丈夫でない様子で言う。
 石田散薬と熱燗か、と思い至った土方は、それではある程度仕方ないか……と、ちょっと頭に昇りかけた血が下がった。
 あれは熱燗で飲むと決まっているものだが、その酒で暫く参ってしまう者がいる事も承知していたから。
 沖田と原田の間を押し退けるようにして進み、藤堂の上から を引き剥がそうとして悪戦苦闘している千鶴の手を押し留め、土方は の襟に手をかけようとした。

「何が大丈夫だ、酔っぱらいめ」
「だいじょうぶですよーー、ひじかたさんのことも、だいすきですからーー」

 間延びした声とケラケラ、という笑い声。
  はコテン、と藤堂の上に伏せてしまう。

「か、勘弁してくれよ! 土方さんっ、固まってねえでこいつどかして……」
「平助君も、だいすきーー」
ーー! あああ、いいから上からどいてくれ!」

 俺、心臓がもたない、と藤堂は真っ赤になった顔のまま、片手で を押し退けようとしているのだが、ぐでんぐでんに力の抜けた体はけっこう重たく感じるもので、なかなか上手くいかない。

「ひーーじかーーたさん。 あーーあ、 ちゃんてば言う事が刺激的すぎて固まっちゃったよ、この人」

 沖田が声をかけても惚けている土方は、ここの所の仕事疲れで頭のほうも大分参っていたせいもあり、 の『だいすきです』という言葉の意味がまだ頭の芯に染みていなかった。

「土方さんは絡み酒ぎみだけどさ、 ちゃんの酒癖って、本音が出ちゃう質だったんだね」

 面白いよね、と沖田はニンマリと人の悪い笑みを浮かべていた。
  は、屯所で酒を……特に幹部たちの前では絶対に飲まない。
 島原の店など、酒が飲める場所でも深酒は決してしなかったので、今まで彼女の酒癖を知る者はいない。
 まさかこんな反応になるとは、誰が思っていただろう。

ちゃん。 僕のほうにもおいでよ」

 土方の隣に据わった沖田は、猫の子でも招くみたいにおいでおいで、手招きをした。
 沖田の仕種を見ていた は、藤堂の上からむっくり起き上がって膝立ちのままフラリと倒れるように沖田のほうに転がり込む。
 ようやく上からどいてもらえたものの、燃え尽きて(?)しまった藤堂は、畳の上に伸びてしまって、『しっかりして下さい!』と千鶴がペチペチ頬を叩いた。

「うそだろ、信じられねぇええ!」

 沖田の背後で頭をかかえた永倉の絶叫が響いた。
 普段の だったら、警戒しまくって、沖田に蹴りのひとつも入れている。

「平助や土方さんばっかり好きなんて言ってひどいな、 ちゃん。 僕の事はどうなの?」
「沖田さんも、好きですよぉ」

  が沖田にこんなことを言うなんて、酒の力は何と恐ろしいことか!
 ありえない。 雨でも降るのではなかろうか。

「……けど、雨にはなりそうにありませんねえ」

 まだ廊下のほうに居た山南は、軒下から青空を覗き見る。
 羅刹の目には眩しすぎる空には雲ひとつない。
 逆に暗雲渦巻く室内に、山南は面白そうに視線を戻した。


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