八木邸入り口より門を見る。門の向こうが母屋。
右手に見えるのが新選組グッズを売る土産物屋。昔はここが離れだったそうです。
↑門の裏 入って数歩で振り向いた位置。
 幕末はど田舎だったという壬生村周辺は、ビルやら住宅やらが立ち並ぶ立派な都会になっていました。
 家の形が、自分が済んでる地域と違うのにカルチャーショックをうけつつ(笑)、屯所前の道に。
 
勝手場出口のあたりから振り向く。
門から数十歩程度。
車のすれ違い、どうするんだろうという疑問を抱きつつ、幕末から変わらぬ道幅の道路を歩きます。
 幕末はど田舎だったという壬生村周辺は、ビルやら住宅やらが立ち並ぶ立派な都会になっていました。
 家の形が、自分が済んでる地域と違うのにカルチャーショックをうけつつ(笑)、屯所前の道に。
 車のすれ違い、どうするんだろうという疑問を抱きつつ、幕末から変わらぬ道幅の道路を歩きます。

 玄関から入ると、4畳程度の間の天井から、捕物武器が吊ってありました。 物騒だったんだろうなあ、当時。
 そして入って草々に違和感が……。
 天井が、低く感じるんです。現代の建築に比べて、10センチ、いやそれ以上に低いような?
右手に見える靴のある場所が、表玄関。天井から捕物用の武器が吊ってありました。
 一緒に見学していた男の人たちは、鴨居に頭ぶつけそうになっていました。
 幕末期の男性の平均身長は155センチ程度だといいます。私も丁度、それくらいの身長なので、鴨居の下で頭の上に握りこぶしをのっけてみました。
 ……けっこう、上の空きに余裕ないです。
 これでは、ちょっと背の高い人なら、当時でも髷が引っ掛かったりしたのでは。
 こんな所で刀を振り回したら、ガッツリ食い込むのも頷けます。

 玄関を入ると、2間続けて開け放たれた部屋の向こうに、苔むした庭が見えます。
 風通しは抜群です。
 室内の薄暗さのむこうに、光の差し込む庭が見えるのは、何ともいえない風情がありました。

 玄関の間から入ってまっすぐ、次の六畳間を抜けて、8畳間(10畳かも。うろおぼえ)には床の間つきの奥の間があり、ここに資料写真で時々見かける近藤の木彫り像がありました。
 芹沢鴨は、ここにお梅さんと寝ていた所を襲われた、と案内の方が説明して下さいました。

 廊下に出て、中庭を眺めます。
 ここで武器を振り回すのはちょっと無理。 ざっと見、3坪か、もう少し大きい程度の広さに見えました。
 奥の間を出て、右手と庭を挟んで斜左前にも何か部屋などがありましたが、ちょっとうろ覚えです、すみません。多分どっちか、水場かトイレでは。
 奥の間を出た所の縁側なんですが、ここもやっぱり何か、幅が狭いような……? 当時の体格に合わせて作ってあるのかしらんと、首を傾げてました。
 左に曲がってすぐの所に、別の部屋があり、縁側に面した位置に文机が置いてありました。
 何でこんなジャマな位置にあるかって、光の入る位置だからなんですよね。
 この部屋と縁側の境目の鴨居に、芹沢暗殺の時に誰かが振り上げて食い込んだという刀の傷が残ってました。 机は、芹沢がけつまづいたというそれです。
 これにつまづいて倒れた所をメッタ刺し……。
 さぞやお掃除が大変だったろうと思うと同時に、当時の資料、『芹沢が殺された部屋の隣で、八木家の子供たちが寝ていた』という記述を思い出し、隣の部屋の近さに背筋がゾッとなりました。
 子供がくーくー寝ている、数歩の距離の向こうで、修羅場ですよ。
 子供たちが寝て居た部屋からは、二階に上がったり勝手場に降りたりすることもでき、逃走経路として勝手場を使ったのなら、血まみれの刀ひっさげた連中が、子供の寝てる横を通っていったわけで……子供の一人が足を切った、というのも、誰かの刀が逃げる際に当たったとしか。
 暗闇の中、子供の身体を蹴飛ばしたりつまづいたりしたら……怖い想像ばかり出てきます。

 子供たちが寝て居た部屋には提灯箪笥があり、部屋の横には二階へと続く階段がありました。
 小説の中とかで表現していると忘れがちですけれど、二階もあるんですよね。
 さらにこの部屋からは勝手場へとおりる事ができます。
 階段と反対側の側面に、勝手場に続く戸があり、覗いてみると、縦長に広い土間に、複数の竈や大きな流し台などがあり、かなり広いスペースでした。



外側から見た、勝手場の扉です。
 撮影している位置から左手には、現在住まわれている方の住居に続く門があります。
 松の向こうが2階窓。 昔は内側に障子が張られていたのでしょう。
 下の庭から、おーいと声をかければ余裕で聞こえそうです。
 こちらの写真は、門のすぐ外、右手側から、建物の側面に回り込む感じの写真です。
 けっこう、奥行きあります。
同じ壁面を、今度は奥側から撮影。 この写真の左側が離れになります。
道幅は男性なら二人が並んで通れる感じ。三人だときついかも。
 
 内部を見学していた思ったのですが、全体的に、ものすごく風通しが良いんです。
 隙間風とか、そういう意味じゃなくて、外からの風をぶわっと取り入れる感じ。
 昔の日本家屋は、冬よりも夏の暑さに対応して作られていると聞いています。 冬は重ね着すればどうにかなるが、夏の暑さはどうにもならないからと。
 京の夏も、それはそれは暑かった事でしょう。
 
 ……それにしても、これだけ風通しが良い中、通り側は戸締まりするとしても、庭に面した側などをスパーンと開け放して寝ていたりしたら。
 ヤブ蚊、入り放題だったのでは。
 こちらの写真は、八木邸の門を出た所から、前川邸の門がある通りに向かう角を見たものです。
 距離にして、ほんの2、30歩。
 想像していたよりもずっと近いです。
 奥に見える青い自動販売機の所が、前川邸門前の通りと交わる交差点になります。

 しかしこの距離、想像以上にお隣さんでした。
 これなら、分宿していても何の問題もなかったかと。
 あ、あと、八木邸に併設しているショップでいただいた、薄茶と屯所餅、おいしゅうございました。
 餅を食べながら、フと気付いた事がひとつ。
 モチがやけに柔らかくないか……?
 私は関東文化圏に住んでいるのですが、餅菓子大好きなもんで、桜餅や柏餅が出ると良く食べてます。
 地元で食べるよりも明らかにモチ部分が柔らかいのです。
 変だなあと思って、滞在中や帰りに京都周辺から出るまでの間に、いくつか餅菓子を食べてみたんです。
 大福も柏餅も、モチ部分がみょーーーーんと柔らかい……!
 これもある意味カルチャーショックでした。 鶴の子餅で食べ比べておかなかったのが悔やまれます。
 私が食べたものだけがやけに柔らかかっただけか、それとも関東と上方ではモチの柔らかさが違うのか、ちょっと疑問が残りました。


 前川邸角。 右手に見えるのが交差点の部分です。
 分宿している隊士たちを呼びあつめるのに、あそこに立って、拍子木を打ち鳴らしたそうです。
 拍子木って、時代劇の『火の用心』で夜回りをしてる人や、歌舞伎の幕をあける時に打つ、あれです。
 強い力で叩くと、かなり響きます。
 八木邸と前川邸の距離から考えると、交差点の位置から打てば普通に聞こえたのでは。
 屋内にいたり、爆睡していたらどうかと思いますが、それは誰かしら『召集だぞ!』と声をかけたことでしょう。
前川邸門前。
 入った所にある前庭もけっこう広いです。
前庭を門と対角線の位置から撮影。
左手側に新選組グッズを売るショップの入り口があります。
前庭部分、けっこう広いので、ここに隊士相手の商売人や、物売りとかも来て荷物を広げていたのでは。


門に張られていた見取り図。 抜け穴があったとは。
前川邸は、個人所有のために中の見学はできません。 撮影した日は、ショップがお休みの日のため、前庭には何も出ていない状態です。
 裏口から八木邸と行き来していたとありますが、歩幅で図ってみると、八木邸の入り口からはほんとにはす向かい程度でした。
 見取り図を見て、抜け穴があると知ったのですが、見取り図からすると、長くても穴の全長は10メートルくらいかな、と。
 しかし、隣の八木邸内に繋げるならともかく、一般人も通るような通りに繋げて大丈夫だったのか……?


その2 壬生寺へ