輪違屋表。
壬生屯所から島原は近かった、歩いて30分ほど……との事だったので、地元に帰ってから実際に歩いて30分の距離というのを計ってみました。
 予想以上に近い感覚でした。
 これなら大人の男の足ならもう少しかかる時間は短かった事でしょう。

 ……そら頻繁に通うわな。
 島原大門。
 島原には門が二つあったそうですが、もう一つは度重なる輪禍で壊れてしまったそうで……残念です。
 島原、と呼ばれる地区に入ってみて、驚いたのはその範囲の狭さでした。
 田舎住まいで、郊外型の駐車場のだだっ広いショッピングモールを歩き慣れていると、あれ、ショッピングモールのほうが普通に広いんじゃないか……?って思ってしまうほどに。
 実際はそんなことないのでしょうが、大門から真直ぐ歩き、もう一つの門へ抜ける曲り角をぬけて島原住吉神社の前を通って、『あっれー……』と思いましたもの。
 この狭い町内で騒ぎなんか起こしたらさぞや広がるのも早かった事だろうと思います。
島原大門。
 それに、今でこそ周囲は市街地ですが、幕末当時は周囲は思いっきり田んぼに畑。
 夜になると、町全体の灯りが闇の中にほんのり浮かび上がって、それは美しい景色だったんだろうなと想像できます。
 ……帰り道に、真っ暗な田んぼの中で襲ったり襲われたり、なーんて事もあったでしょうけど。
 輪違屋の前を通り、角屋へ。
 時間の関係で二階の見学はできなかったのですが、中の建物部分は写真撮影可ということで写真とりまくりました。

 が、ここで前に立ち寄った映画村で調子に乗って写真をとりまくった結果、デジカメのバッテリーがやばいことに。 仕方なくバッテリーを食うフラッシュをたかずに撮影しました……写真が暗くてお見苦しい所もありますが御容赦下さい。
 まず通されたのが勝手場。
 これがまあ広いこと! 配膳場も広くて、今でもカーテンやらで仕切れば普通に暮らせそうです。
 建築基準法に引っ掛かるということで、配膳場に柱を足してあるそうですが、昔はこれもなかったのでもっと広く感じた事でしょう。
 勝手場の入り口のすぐそばには井戸もあり、水の便もよさそうです。 昔はこの土間に、食材やら煮炊きに使う薪炭なんかも積んであったのかなあ、と。
 今でもちゃんと、荒神様(台所の神様)がお祀りしてありました。
 
 勝手場で驚いたのは、ちゃんと冷蔵設備があったことです。
 バッテリー切れで撮影できなかったので、後で絵にしますが、地面を掘り下げて石室を作ってその中に色々保存していたそうです。
手前に見えるのが井戸、その奥の石が流し。
竈の裏側から。
流しの横に見えるのは臼、
その上の棚に見えるのは桶などの容れ物類です。
どれも年季が入ってます。
ずらっと並んだ竈。
 関東と関西では竈の作りが違います。
 角屋はもちろん関西型。
勝手場から上がって配膳場の中央あたりから奥の階段を撮影。
 この階段、下が収納になってます。
 勝手場からぐるっと回って、正面入り口。
 ここで振返ると、正面入り口の暖簾などがあります。
 ここで刀を預けて上がった……はずなんですけれど、新選組やその他あの頃の血の気の多い面々、素直に刀を預けてたのかどうか、非常に気にかかる所です。

こういう所だと、素手で喧嘩が強いと有利だなあ……。


奥に見えるのが刀箪笥。
浅い引き出しの中に、刀をかける
出っ張りが並んでいます。
 刀を預ける、が大刀だけであったなら、脇差は持ち込めるんですよね……。どうだったんだろう。
 漫画では、遊廓で(こちらも刀持ち込みお断り・入り口で御預かり)痴情のもつれの果てに刃物(短刀や長脇差)が出てくる、なんて表現があるから、大刀のみ預かっていたのかも。
 廊下をぬけて、網代の間へ。
 判りづらいですが、天井が網代……籠を編んだような作りになっていて、これが部屋の名の由来だそうです。
 フラッシュたいてないので暗いです。
 部屋全体がすすけているのは、昔は証明に煤の出る蝋燭や油を使っていたので、そのせいで色が染み込んでしまったのだとか。


 室内に入って思った事は、思ったよりも明るい、ということでした。
 写真には暗いんですけれど、灯り障子や庭側から入る光量が豊かで、日中なら読み書きにもまったく問題ない感じです。
 また、風通しも抜群。
 私が行ったのはちょうど良い季節でしたが、これなら夏場もさほど蒸れたりはしないのではないかと。


 建物の中を歩いていて思ったのですが、1階の宴会部屋同士が、ある程度離れているんです。 これは他の部屋の宴会の騒音が聞こえないようになどの気づかいの形なのかも。
 襖を開けたら、隣で敵対勢力の皆様が宴会していてはち合わせ、なーんてのも面白いですけれど。
 
網代の間、奥から。
廊下の外に、庭が見えます。
苔むしていていい景色でした。
ていうか実際あったんでしょうね、どこそこの店にあの勢力の者たちがよく出入りしている、客を装って入り込み、酔いつぶれた所を襲撃、一網打尽にする計画、なんてこと。
 お店側はほんといい迷惑だった事でしょう。
 見学者立ち入り禁止の小部屋もありましたが、こちらは従業員が仕事に使ったり、少人数の客が使ったりしたのかもしれません。

 奥(写真では手前側)に行くと、新選組が局長・芹沢鴨を斬る前に宴会を張ったという、松の間へと続きます。


 島原は写真が多いので前後編に分けます。
宴会場に比べるとこぢんまりとした控えの間。


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