いつか、会える日まで


 ある寺の墓地。
 かつて人が生きていたことを示す灰色の石の林が、細い雨に濡れてしっとりと色を深めている。
 その一画に、真新しい土饅頭がひとつあった。
 手前に崩れている灰は、弔いの時の線香のものだ。
 ここに眠る仏を慰める花も水も供えてなければ、戒名を示した卒塔婆一本立てていない、ただの盛り土だけの墓……。

 否、何も立てられないのだ。
 ここに眠る者の名が知れれば、掘り起こされて首を持ち去られ、晒し首にして辱められるのは必定。
 せめて確実に、晒すには相応しくない状態になるまでに土中で時間が過ぎてくれるまではここに誰が眠っているかを明らかにするわけにはいかない。

「……あの人の首は、板橋で晒されたあと、焼酎漬けにして京都に運ばれたそうだよ。 そこまでやるかねえ」

 だから、ここにあなたが居るなんて知ったら何するか分かったもんじゃない。
 そうなったことを知らせないままここに連れてくることになったのは悪かったと思うし、今ごろあの世とやらで会う事もできたんだろうけれど、文句があるなら近々そっちに行った時にまとめて聞くから、

「ここで暫く大人しくして、間違っても蓋を開けて出て来たり、化けて出て余計な事しないで下さいよ! こんな事になってまで釘をさしてからじゃなきゃ出かけられないこっちの身もたまには考えて下さい」

 土饅頭の前に断つ、洋装の青年……実は男装した女なのだが、背が高いのと腰に刀を差しているせいでパッと見ただけでは今流行りの洋装の軍人に見える。
 女の名は、五条 。縁あって新選組に身を置いている。
  もまた、かつて京の大路小路を震え上がらせた、新選組の関係者であると官軍に知れれば無事では済まない身だ。
 ここ、江戸はすでに官軍の支配地域になっている。
 新選組が京より引き上げて来て、甲州で敗北して以来、 はは江戸に留まっていた。
 本隊と合流せずに、顔を知っている人間に会うかもしれなに危険を犯してまで江戸に足を止めたのは、ある人とともに最後の時間を過ごすためだった。











 新選組一番組組長・沖田総司。

 かつては十組あった新選組の小隊の中で、局長・近藤の親衛隊ともいえる一番隊を率いた凄腕の剣客。
 戦う気力は衰えていないものの、労咳の病篤く、京を離れる頃には満足に床も上げられない体調になっていた。
 甲州での戦いに従軍も許されず、幕軍医師・松本良順ゆかりの植木屋に匿ってもらい、敷地内にある離れでひとり病を養っていた。
 新選組は負けを重ねて流転し、唯一の身内である姉も夫に従い庄内藩のほうに行かねばならなかったので、沖田は本当に独りで取り残されていた。
 誰よりも、近藤とともに戦いたいと思っているのに身体が自由にならない沖田を哀れんだ訳ではない。
 看取らねばいけない気がしたから、甲州で負けてきたあと新選組と合流せずにこちらへ来た。
 あの男たちは、タダでは負けない。転んだ所でまだまだ平気だ。

 だが、沖田が人生を賭した戦はもうじき決着がつく。
 剣に身も心も、魂さえも捧げ、誰よりも慕う近藤の力になりたい一心で真直ぐに生きてきた、人生という戦が。
 沖田が一生をかけたその戦の果てにどんな答えを出すのかを見届け、まだ戦い続ける者に沖田の意思を伝えるのが、自分の役目だと思った。

 かつては剣を軽々と振り、自分と喧嘩をする度に木刀だの竹刀だのを持ち出して振り回していた沖田の身は、すでに痩せ細り往時の面影はほとんどない。
 負けん気で見栄坊な性格と、悪戯っぽい目の光だけは相変わらずで、 が押し掛けて来てここに居残るんだと勝手に宣言した日は、京に居た頃のような口喧嘩になった。
 嫌味の応酬からはじまって、新選組を追いかけて行け、行かないの押し問答。
 ついには沖田が根負けし、堂々居座った。

 沖田の世話については、植木屋の女房と老婆がいたのでそれを多少手伝いつつ、主に沖田の話し相手をし、寝込みがちな日々の無聊を慰めた。
 やがて沖田も諦めたのか、話に乗るようになった。
 そうなってからは、沖田は幼い頃の話をしたり、逆にこちらの幼い頃の話を聞きたがるようになった。
 不思議と、京の話はあまり出ず、お互いを知らなかった、会うとさえ思っていなかった頃の話を重ねた。
 まるで、お互いが知らなかった時間を埋めあうかのように。
 穏やかな日々が続き、やがて、沖田は一日の大半を眠って過ごすようになり、目に見えて衰弱していった。
 食べ物は喉を通らず、粥とも呼べない重湯のようなものさえ身体が受け付けなくなり、もう数日もたないだろうという予感がしたころ。

「飲み込んで、納得したフリなんかして、死んでなんていかなくていいんですよ。 吐き出したいことがあるなら、この世で存分に言ってきゃいいんです。 閻魔様も仏様も、悟ってなさるから私たちみたいな凡夫の言う事なんて、聞き流しちゃうから」

 丸一日以上、昏睡の続く沖田の枕元で、 はそう語りかけた。
 話していても、沖田は自分が何故病になってしまったのか、何故自分でなければいけないのか、その手の愚痴を一切零さない。
 そのくせ、官軍が襲撃してきてもまだひとりふたりは斬れる力くらいはあるとうそぶくのだ。

「……文句も、伝えたい事も、何もかも、言ってくれて、いいんですよ」
「……うん」
「沖田さん?」

 呼び掛けが聞こえたのか、意識を取り戻した沖田は小さく答えてくれた。

「いいんだ…… ちゃんをを一人占めできたんだから、これってけっこう役得だしね、あっちで自慢する」
「そろそろ、見えましたかお迎えが」
「うん……最初は喧嘩しちゃったけどさ、居てくれて、ありがとね……」
「次に会うのは、地獄とやらですか?」
「お互い、極楽行けそうもないしね。 できるだけ河原のあたりでまってるよ」
「待たなくてけっこう、早めに成仏してください」
「うわ、酷いなぁ……」

 短い会話のあと、沖田はまた目を閉じて眠りに落ちていった。
 この後に及んでも愚痴ひとつ零さず、本音を見せない沖田に諦めの溜め息を零しつつも、枕元を離れずにいた。
 そしてこれが、最後の会話になった。
 沖田が死んだのは、植木屋の女房が『官軍がそこまで見回りに来ている』という知らせを持って来て、これはまずいと警戒のために外に出ていたときだ。
 いざとなったら、沖田を担いで避難する気で、どこまで接近しているのか確認しに行った。
 知らせの通りに、市中の警備らしい官軍の一団が、何ぞ困ったことはないか、押し込み強盗など来てないかと民家の門を誰何して回っていた。
 が、植木屋のある方まで来る様子がないことを見届けると、胸をなで下ろして植木屋へと戻った。
 そう長い時間出ていた訳ではないが、その間の事だったらしい。
 最初に発見したのは植木屋の老婆。
 いつもの通りに、枕元にある湯ざましの急須を交換しようとしに来て、異変に気付いたという。
 だが、一体何があってそういう状況になっていたのかはわからない。
 すでにひとりでろくに立ち上がる力も残されていない沖田が布団をはね除けて廊下に出て、そのままうつぶせに倒れていた。
 身体の下にはおびただしい量の血が流れており、ひと目でこれが死因なのだと知れた。
 左手には、鯉口を切った刀が握りしめられ、その指は植木屋の親父がかけつけてきて外そうとしても外せなかった。
  が戻ってきたのは、沖田の骸を廊下の血溜まりから起こして、衣服や身体を清めて布団に寝かしなおそうとしている時だった。
 覚悟はしていたが、廊下に広がったままの血に驚愕で息が止まるかと思った。

「沖田さん」
「気付いた時には、駄目だったよ」

 植木屋の親父が、鼻をすすり上げながら言い、呆然と立ちすくむ に沖田の手元を指差した。
  の喉元が、ひゅっと鳴った。
 信じられないものを見て、身体が震える。
 骸となってもなお、沖田が刀を握りしめて離さない事、刀の鯉口が切られていること……。
 蹌踉と骸の側に寄り、ひざまづいて鯉口を戻そうとしてやめた。

「……何を、斬ろうとしたんですか、沖田さん」

 真際に、沖田は何を見ていたのだろう。
 死神か、それとも己の未練か、後悔か、はたまた別の何かか。

 骨と皮ばかりになった手指を、 の手がそっと剥がそうとして、止まった。
 握り締められた指の僅かな隙間に、涙が落ちても緩まないそれは、沖田の最後の叫びのように思えてならなかった。
 嫌味や、皮肉や、本心を見せない笑顔の下にあった、裸の心。

「……どうしようもない馬鹿ね、全然納得なんかしてないくせに」

 気づかわしげに伸ばされた植木屋の女房の手が思わず止まるほど、 の目からは次々と涙が零れ落ち、かすかに温もりの残る沖田の拳に染みていった。










 新選組一番組長の首ともなれば、官軍にとっては墓を掘り返しても晒す価値がある。
 仏の身元がばれないように、葬式も読経もそこそこに済ませなければならなかった。
 世話になった植木屋には、心ばかりの礼金を渡し、仏の出所を黙っててくれるように念押しして、 自身は新選組を追い掛ける事に決めた。
 沖田には最後まで黙っていたが、近藤が刑死した今、土方が生き残りを率いて北へと転戦しているらしい。
 土方の所にも、おそらく近藤の事は伝わっているだろうし、その事で少なからず衝撃を受けている所に沖田の事を持っていくのは、傷口に塩を塗り付けるような真似かもしれない。
 だが、伝えなければならない。
 沖田の最期を。
 自分が病になった事も、最後まで近藤のために戦えなかった無念も。
 何もかも納得して悟ったように死んでいった訳ではないことを。
 彼の後悔も、無念も、もどかしさも、最期まで変わらなかった、近藤や土方、人生を共にした新選組への想いも。
 そして刀を持つ者として、沖田の無念を見届けた者として、近藤や沖田が行くはずだった場所へ行き、戦い抜かねばならない。
 官軍が破竹の勢いで旧幕府勢力を一掃しようと戦力を注ぎ込む中、逆賊として討伐される立場の新選組を追い掛けて行く事は、死にに行く事と大して変わらない。
 だが の目に迷いはなかった。
  の腰には、京の激動をともに戦い抜いてきた刀がある。だが当時と違うのは、下げ緒部分だ。
 沖田を葬る前に、自分の刀と沖田の刀の下げ緒を付け替えた。
 こんな事で彼の魂の慰めになるとは思えないが、これを見るたびに、沖田の無念を思い出し、命を惜しまず戦い抜く事ができるだろう。

「……じゃあ、沖田さん。 次は、地獄で」

 その時は、この世で言えなかった事、あれもこれもちゃんと言ってください。
 自分も、伝えそこねた言葉がありますから、と。
 そう囁き、土饅頭に視線を落して微笑むと、 は身を翻し、しっかりとした足取りで寺を出た。





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