知らず傾く
「こいつ、女か!」
暗がりの中でなお濃い闇の落ちる、京の小路。
背後から袖を絡め取られ、さらに喉元に刀を突き付けられた状態で、
はハァと溜め息をついた。
自分を人質にとって優位に立った(と思い込んでいる)気の毒な浪士にも、親兄弟や友人がいるんだろうなとは思いつつ、気の毒な事だと冥福を祈るしかできない。
何せ、小路の出口側に月の淡い光を背負って立つのは、新選組一番組長・沖田総司その人なのだから。
新選組の沖田といえば、泣く子も黙る人斬り鬼どもの中でも、際立った腕を持つと評判で、幕府に反目する藩の者が両手の指の数では足りないほど彼に斬られている。
そんな相手とまともに斬りあおうなど、愚の骨頂。
浪士は
を盾にとる体勢のままじりじりと後ずさり、逃げる機会を伺っていた。
「何、バレちゃってんのさ。 やる気ないでしょ」
沖田は右手に無造作に刀を持った状態で、数歩無造作に歩を進める。
「動くな! 動けば女を殺すぞ!!」
「どうぞ、殺せば?」
予想通りの沖田の答えに、
は「こういう奴だよ」と小さく呟いた。
の心情を知ってか知らずか、沖田はしゃあしゃあと浪士の行動を意味のない事だとこきおろした。
「大体ね、人質ってのは死ぬから意味があるんでしょ。 けどその人は殺した所で死なないから人質の意味なんてないよ」
「……」
そりゃ、タダで殺される気など微塵もないが、もうすこし言い方ってもんがあるだろと思う。
同じ隊服を着た仲間を盾にとっても動じない沖田の言い分に、浪士のほうが動揺し、
を拘束している手が少しだけ弛んだ。
「それにさ、そっちが殺してくれるなら厄介払いが出来て助かるしね? それなら僕もお礼に苦しまないように一撃で逝かせてあげるけど?」
ニヤリ、と。
背後の月明かりの影になっているのに、酷薄に歪む口元と、まったく笑っていない目の色が確と見えた気がした。
は背後で浪士が動じるのを力加減で感じ、それでも命綱として人質を離さないあたりが、沖田を噂だけでとらえて「まともな人」と見ている証拠だなと思っていた。
普通は、誰かを盾に取られ殺すぞと脅されたら、それが自分とは無関係な人でも躊躇うものだ。
自分を人質に取った事よりも、沖田に「まともな人としての躊躇い」を求めたのが彼の運の尽きだと瞑目する。
の『はぁ』、というひと呼吸の後、沖田の剣が閃いた。
小路なので刀を大きく振り回す事はできないだろうと踏んで浪士もここに逃げ込んだのだろうが、沖田の剣は斬よりも刺突を得意としている。今居るような細い路地でも刺突なら攻撃力が落ちない。
背後の浪士と
の身長差で出来た僅かな攻撃可能範囲に、
の体すれすれで突きを入れた。
目にも止まらなぬ迅さは浪士に人質を突き飛ばす隙を与えない。
逆に肩の骨を砕かれる形になって後ろにもんどりうって倒れる形になる。
「うわっ!」
「ちょっと何で君まで倒れるのさ! 邪魔だよ!」
沖田は文句を言うが、一緒に倒れなかったら喉に刀を突き付けられていたんだから後ろに倒れられたら喉元が斬れてしまうではないか!
そう言う前に、
はいっしょくたに倒れ込みざま、浪士の鳩尾に体重を乗せた肘鉄を落として抵抗力を奪っておく。
横倒しになった体のすれすれにまたも沖田の刀が突き下ろされる。
今度は浪士の心臓を正確に貫き、声も上げずに断末魔の痙攣を繰り返すだけとなった体から無造作に刃先を引き抜いた。
「あのねえ
ちゃん。 君は一応、剣の腕があるってことで僕たちと同じ仕事をしているんだから。邪魔になるくらいならさっさと」
「ちょっと沖田さん!これやばい!」
は沖田の言葉を遮って浪士の懐に手を突っ込み、一通の手紙を取り出した。
それは沖田が刀を刺したせいで大穴が空き、しかも血まみれという悲惨な有様だった。
「密書の運び屋、こいつでしょう! ああああ、読むに読めない事になってなきゃいいけど」
「うわ」
確かにやばい、文句の言い合いしてる場合ではないと沖田も笑顔を引き攣らせた。
情報を吐かせるはずの人間を殺したのは、緊急事態だから仕方ないとして、新選組の浮沈にも関わりかねない密書を台無しにしましたなんて鬼の副長に知られたら。
二人は思わず顔を見合せた。
「こういう状況を作ったのは
ちゃんで」
「密書があるってわかってて胸を刺したのは沖田さんですよね」
責任はどっちだ、とお互い問いかけようとしたが、舌戦を始める前に屯所にいるはずの土方の殺気がここまで届いたような気がした。
「証拠隠滅、ならびに二人でだんまり。 密書は血で滲む前にこっそり書き写してもっていく、でどうかな」
「乗った。 死体の始末は私がしますから、沖田さんは密書を写す手配を」
やると決まれば話は早い。
鬼副長の雷覚悟で現物をもって行くより、ちょっとしただんまりで事が穏便に運び、隊の雰囲気も悪くならないならそのほうが良い。
罵りあいながらも協力し、時には悪戯の共犯になる、
と沖田はいつのまにかそういう関係になっていた。
幸いにして密書の偽造はうまくゆき、提出して数日しても騒ぎになる様子もなかったので、沖田と
は廊下ですれ違いざま『にんまり』とした微笑みを交わした。
沖田から見て、
は『女の常識』から尽く外れていた。
普通女の武器は、懐に入る程度の懐剣か長刀と相場が決まっているのに、剣を使う。しかも、そのへんの道場で竹刀を振るっている男などよりよほど腕が良い。
道場での『棒振り』ではない、明らかに人を斬れるだけの実戦的な剣だ。
どこで身につけたのか、流派がどうのこうのとか、身分出自も定かではないとかは新選組において問題にならない。
また、沖田の価値観にとっても問題にならない。
純粋に剣の腕がたち、しかも強い。
近藤を裏切らない。
それで充分事足りた。
立場上、必要以上に歩み寄る事はしない微妙な関係も心地よい。
女性が持つ、まとわりつくような独特の雰囲気を持たない
の存在は、沖田にとっては『女』というよりも『剣を使う生き物同士』で、側にいて非常に気が楽だ。
何よりいいのは、
はいつでも斬られる覚悟を持っている。
本人も簡単に死ぬ気はないし、斬られそうになったら全力で抵抗もするだろうが、それだけの覚悟はいつも内にある、そういう目をしている。
潔く、己の生きざま、死にざまを見据えて覚悟を決めた目の色は、色恋に浮ついた目よりも見ていて楽しいし、お世辞抜きに綺麗なものだと思う。
組織の幹部としての立場を差し引いて考えて良いのなら、
は間違いなく沖田にとって『お気に入り』だ。
だから時々、構いたくなる。
警戒心をほどいた
は、変な所で抜けていたり、お人好しだったり、見かけによらず食いしん坊だったりと驚かされる所が多い。
千鶴とは違った意味で、ちょっかいをかけたくなってしまう。
「
ちゃん、干し柿食べない?」
大きくて甘いのあるよと、彼女の部屋に顔を出してみたが、もぬけの空だった。
干し柿は
の好物なので、普段だったら喜んで『じゃあお茶いれてくる』と返してくれるはずなのに。
とりとめのない話でもしようかと思っていたのに期待はずれだ。 せっかく、ふっくらした良い干し柿が手に入ったのに、ひとりで食べるのはつまらない。
は土方の小姓兼・遊撃任務が担当、欠員が出た隊の補充人員になったり、監察方の手伝いの仕事をしたり、時には近藤や土方の供でお偉いさんに会ったりと、けっこう多彩な仕事をしている。
複雑な仕事で屯所を空けているのではければ、明日には戻ってくるだろうと、沖田は開きかけていた干し柿の包みを元に戻した。
また、明日。
なのにその日の夕、
は思ってもいなかった姿で帰隊した。
戸板に乗せられ、大小の刀と右腕を無くし、胸をひと突きにされた物言わぬ姿で。
大小の刀を無くす事は、また死したといえど敵に奪われる事は、武士にとって最大の恥辱。
切腹を命じられてもおかしくない大失態だ。
新選組の隊士は、出自がどうあれ全員が名字帯刀を許される武士身分として扱われている。
も隊服を着て任務に出る事がある立場上、この最大の失態に対し何の罰もないというわけに行かない。
近藤と土方の下した判断は厳しいものだった。
新選組の隊士録に名を残さず、無縁仏として葬るという。
五条
という人間がここに居た事実を抹消する事で切腹の罰に代えるという扱いに、大反対したのが沖田だった。
普段であれば厄介事には関わりたくないという姿勢を露にするだろうに、近藤・土方を前に一歩も退かぬ勢いで
の死の扱いを正すように主張した。
「あの
ちゃんが、ただで殺されたりするもんか! 腕がないのだって、きっと戦い抜いて闘死するまで刀を離さなかったからだ!」
「致命傷は胸に一撃、後ろ傷でねえのはまだ良いとして、油断したまま鯉口も斬らずに殺られた可能性は捨てきれねえ」
もしそうなら、常在戦場の心得を忘れた士道不覚悟で罪はさらに重くなる。
その可能性に目をつぶり、土の下に葬ってやる手間をかけるだけでも有難いと思えと土方の言葉は容赦ない。
「傷が後ろ傷であってみろ。 墓に入れるなんて贅沢させねえ、河原に投げ捨てて終いにする所だ!」
「あんたって人は、
ちゃんを使うだけ使っておいて……!」
「あいつが此処にいるのは、そういう取り決めだ。 あいつは目的のために新選組の力を借り、あいつも自分の持つ力を俺たちに貸す。 道具として使われる事に異義はねえと納得していたぜ」
「……近藤さん!」
土方では話にならないと判断した沖田は、近藤に『本当にこんな無情な真似をしていいのか』と訴えた。
近藤だって、
には少なからず情をうつしていたはず。ならば少しは解してくれるのではないかと思ったが、近藤はそれとこれとは話は別だと痛ましげな面持ちで首を振った。
「総司。 経緯はどうあれ隊士として働いていた以上、五条君一人に情をかけては、先に死んだ同志が浮かばれん。この庭先で腹を切った者もいるのだからな」
の魂が浮かばれないとは思いながらも、これ以上無理を通そうとすれば近藤を困らせる事になる。
言いかけた言葉をぐっと飲み込み、沖田は拳を握りしめた。
「分かり、ました」
それから数日、
の事をなるべく考えないようにしながら黙々と隊務をこなした。
けれど足は何かの拍子に
の部屋へ行こうとする。
何度も彼女はもう居ないのだと自分の心に言い聞かせているのに、どこかで彼女が呼んでいるような感覚がある。
の部屋の荷物は、すでに処分されていた。
の荷物は多くない。
せめて形見が欲しいと泣く千鶴にさえ、形見の一つも残さず片付けてしまったというのだから徹底した罰だ。
その日沖田は呼ばれているような感覚に耐えかねて、行くまいとしていた
の部屋に足をむけた。
部屋にはすでに別の荷物が入っている。そこに彼女がいたことなど、最初からなかったかのように。
「……無念、なんてもんじゃないよね。 君なら墓穴から起き上がって、枕元に立つくらいしそうなものだけど」
鬼の集団に捕まっても、あれだけ往生際が悪く生き残ろうとしたのに、ここで諦めよく逝っちゃうなんてどういうこと、と今さら文句を言っても仕方が無い。
沖田は部屋の中に入ると、障子の近くに腰を下ろした。
視線を向けるのは、文机が置いてあった場所。
は文字の読み書きが苦手で、暇を見つけては手習いをしたり、本を読んで字を覚えようとしたりしていたので、よく文机の前に座っていた。
邪魔をするなとよく怒鳴られたが、結局は世間話をしにきた自分に付き合ってくれ、時にはお茶をいれてくれたり、剣の事に話が及ぶと実際にやったほうが早いとなって、庭に出て一緒に稽古したり型を見せあったりもした。
「……
ちゃん……」
自分の心は、いつの間にこんなにも彼女に傾いていたのだろう。
居なくなって、手の届かない場所にいってしまってはじめて、心の中の天秤にどれだけのものが乗っていたのかを思い知る。
という重りがなくなった心の天秤は、揺れに揺れて平行を保てないままだ。
呼べど答えぬ名の主は、すでに墓の下。
だが数日後、沖田の呼び掛けに応えるように、風が噂を運んできた。
河原に奇妙な人の腕が捨てられていたという。
それは女の腕なのに、手のひらに固い竹刀タコがいくつもできていて、固く握りしめた拳を無理矢理あけようとして果たせなかったのか、強ばった指を切り落としてあったという。
さらに噂を裏付けるように、一番組の隊士の一人が非番の折に浪士の会話を聞きつけてきた。
ひと休みしようと入っていた茶屋に、どこの藩かは一見ではわからないような浪士が数名入ってきた。
彼等の会話は、茶のみ話には相応しく無い内容だったので、同じ店先に居た者たちは少し顔をしかめたが、新選組もうわさ話程度で治安を乱したとして刀を抜く訳にもゆかない。
非番の時まで血なまぐさい話に関わりたくなかった隊士は、なるべく浪士たちに意識を向けないようにして茶を啜っていた。
だが、話は奇妙な方向に流れた。
浪士たちの知り合いが、先日新選組の隊士と斬り合いにおよび、戦利品として刀を得たというのだ。
優男だったが随分手強く、腕を斬り飛ばしてもまだもう片手で脇差しを抜こうとしたので慌てて胸をひと突きにしてようやく止めを刺した。
その腕と胸の他には大きな手傷は与えられなかったが、対峙したほうは逆にいくつも傷を負わされて暫く療養しなければならなくなったと。
「沖田組長?」
「ああごめん……で、そいつらそのままにして帰ってきたの?」
「まさか。 下手なりに追跡して、どこに戻るか確かめてきました。 そいつらに斬られたのって、五条でしょう。 あいつ、女みたいに細い腕だったから……」
戸板に乗せられて帰ってきた
の姿は、平隊士たちも大勢見ている。
河原に捨てられていた腕は女のものだというが、固くなった竹刀タコがあることを考えれば、『女のように細い』五条の腕としか考えられないのだと隊士は拳を握りしめていた。
最低限の情けとして、『男』として葬られたので、彼等は
が男だと信じているし、仲の良かった者たちは上の無情な扱いに反発し、せめて仇をとってやりたいと言っている。
生前、稽古をするたびに同志たちから筋肉のつかない腕だとか、あの細腕で木刀を軽々振り回しているのが信じられないとかよく話題にされていたのは沖田も知っている。
けれど、隊で処罰された者の敵討ちは『私闘』扱いになる。
「五条の刀も、あいつらの酒代にでもされたかと思うと腸が煮えくり返る思いですよ。 どこの浪士……いや藩士だろうと、罪状でっちあげてでも叩き斬って、墓の前に首を供えてやらなきゃ気がすみません」
「ああ、それいいね。 ……そうだよね。 五条君がタダでやられる訳ないもんね」
一応、
は男ということになっているので、沖田も隊士たちの前では
の事は名字で呼ぶ。
怒りを露にする隊士に、沖田も深く頷いた。
「顔と出入りする場所がわかったならお手柄だよ。 ねえ、その敵討ち、僕も一枚噛ませてもらっていいかな? もし土方さんたちが何か煩く言ってきたら、僕も連座して切腹で構わないからさ」
「組長!?」
「ね、お願い」
もの悲しい顔で、切腹すら厭わないからと言われて否と言えるはずがない。
河原に捨てられた腕は、すでに野良犬に持ち去られてしまったか、そのへんに埋められてしまっただろう。
ならばせめて、無念を晴らし、刀を取りかえして名誉を回復してやりたい。
その気持ちは、生前の
と仲の良かった者も、沖田も一緒だ。
「刀を取りかえして、新しくお墓を作ろうか。 きっとそこに、魂は戻ってくるよ」
無縁仏として、土饅頭の下に他の仏と一緒に埋められてしまった
の骸は、すでに土に還りかけているだろう。
けれど、その魂が無念のあまり彷徨うことのないように、いずれ地獄で会うだろうその時まで、そこに安らいでいてもらえるように、墓を建てて、そこに取りかえした刀を埋めよう。
そう沖田が提案すると、隊士たちもそれは良いと賛成してくれた。
沖田も笑って目を細め、
「まずは、五条君を殺した奴からだね。 同じように、腕を切り落として胸に風穴開けてから首をお供えにしよう」
そう言うと、隊士たちも目元に涙を滲ませながら頷いた。
敵討ちなどしても、死人はもう戻らない。
そんなことは分かっているが、生きている者の心はそう簡単に事実を受け入れられない。
敵討ち、という明確な目標が生まれた事で、激しく揺れていた沖田の心の天秤はようやく揺れがおさまりつつあった。
沖田としては、できれば自分だけで下手人を捕まえて、なます斬りにしてやりたい所だが、組長として隊士たちの想いも無碍には出来ない。
同じように、この胸に凝る想いも、ただ放っておくなんてことはできない。
せめて、彼女の刀とともに、この思いを葬る場所を。
また後でこの事について話し合おうと決めて、隊士たちが去ったあと、ひとり残された沖田は自分の掌を見つめる。
「知らなかったな、僕は………君のこと、とても好きだったんだね」
愛している、とは言えなかった。
すでに去ってしまった人に、どんな言葉をかけても空しい気がして。
生きているうちにその言葉を欠片ほども伝えられなかった自分自身が、みじめで。
だから……。
墓を、作ろうと思った。
どうせお互い、極楽なんぞに行けるはずもないから、地獄で会えるだろうその日まで、
の魂と自分の想いの、仮の宿として。
心の天秤が揺れた後に残ったのは、取りかえしのつかない現実と、彼岸へと隔てられても変わらない想い。
この想いを、いつか逝く日まで現世の土の下に埋めて、新選組の沖田として生きていく。
掌を見つめる。
だが、そこにはもう何もない。
掴みきれなかった命が、想いが、すり抜けていった後だ。
もう一度呟いた沖田の声音が、幽かに湿り気を帯びて震えた。
「本当に……君のこと……好きだったんだね」