間合いの内、心の内
壬生屯所。
幹部の部屋のあるあたりに面した庭先で、沖田と
はお互いの剣術談義に花を咲かせていた。
その話の中で、普段の稽古に竹刀を使うか木刀を使うかという事におよび、沖田も
も木刀派という事で話があうと、沖田が天然理心流で普段使っている稽古用の木刀があるからちょっと振ってみないかと、自室まで取りに行った。
「うわっ」
天然理心流で使っている木刀を実際に持たせてもらい、
は驚きの声を上げる。
恐ろしく重い。
おまけに握りが太く、勢いを付けて振れば、半端な握力ではすっぽ抜けるか取り落としてしまう。
木刀を手に持ち、腰を落とし、いくつかゆっくりと型をなぞってみたが、たちまち掌と手首が痺れてきた。
「これは駄目だ、降参」
は素直に認め、縁側で一連の様子を面白そうに眺めていた沖田に返した。
「そりゃあね。 そもそも女の人の掌に合う握りに作ってないもん。 重さだって普通の木刀の三倍だしさ」
三倍と聞いて、
は何とも言えない声を上げた。
沖田は庭に出ると、さきほど
がやったように木刀を持って、いくつか型をなぞる。
動きは身体の隅々までまったく澱みなく、重たい木刀を支える手のひらも手首も微塵もぶれない。
「うーん、流石」
「今でこそこれもできるけどさ、入門したての頃からこれ使って稽古してたから、あの当時はきつかったなあ」
「入門って、確か前に九歳の頃って言ってませんでしたっけ?」
「そう。 当時からしてみれば、十回振るのもやっとだったよ」
若年用の木刀ももちろんあるにはあったんだけれど、早く強くなりたくてこっちでも練習していたという沖田。
数えで九歳の子供の腕には先程の重さは、相当きつかっただろう。
よく筋を壊さなかったものだと感心すると、沖田は木刀を片手に抱えてもう片方の手で腕を摩った。
「もちろん、振るほうの稽古じゃ身体にあわせたものを使ってたけれど、一日でも早く力をつけたかったから、型稽古じゃこっちだったんだ。 さすがに、子供の腕でこれを振り回したらすっぽ抜けるし下手をすれば筋を壊しちゃうしね」
「確かに子供の頃からこれじゃ、腕力も体幹も強くなりますよね。 もう一度、貸してくれます?」
「うん、いいよ」
もう一度木刀を受け取って、子供の頃の沖田がしていたように、自分も重たい木刀で型をなぞってみた。
だが
のつかう剣術では天然理心流にはない重心移動の妙があるために、重すぎる木刀を持つとどうしても身体の均衡がそちらに引きずられてしまう。
「はぁ、やっぱり駄目です。 私の型と筋力じゃ重さに振り回されちゃう」
木刀を沖田に返すと、自分の木刀を手にしてもう一度型をなぞる。
しなやかで流麗、伸びやかな動きはどこか舞いを見ているようで、沖田は思わず感心して笑みを零した。
型でこそ動きが美しいが、
の剣は間合いがひどく読みづらい。
各所に独自の重心移動や足をすべらしたり回転する動きを取り入れ、相手の攻撃の調子を外して一瞬の勝機をものにする。
すでに
とは道場で何度か手合わせをしたが、ひやりとさせられた回数は片手の指を優に越えている。
「うーん……ねえ、それって僕にもできるかな? その体さばきと重心移動」
「……他の流派の技まぜて怒られないんだったら、やってみます?」
「いいの?」
まさかそう言ってもらえるとは思わなかったので、沖田は子供のように顔を輝かせた。
もちろん、他流の技を習うのはあまり褒められた事ではないが、事、剣術に関してならどんな事でも吸収したい。
「
ちゃんこそいいの? 自分の流派の技をそう簡単に教えちゃって」
流派を継承する人とかいたら、怒られたりしないか、下手をすれば破門になったりしないかと少し心配になり、沖田はそう聞いてみた。
すると
は、あっけらかんとした表情で笑いながらヒラヒラと手を振り、
「父が行方不明の上に私や弟の他に教える者もいなかったんですから、今は私が宗家みたいなものだからいいんですって」
どうせ私の代で失伝だろうし、今のうちに技を盗むなら盗んでおかないとソンしますよと、理にかなってるんだかかなっていないんだかわからないことを言う。
けれど、他の流派の技を宗家直々に教えてもらえる機会などそうそうない。
この機を逃す手はないと、沖田は
の言う通り、基礎だという足運びをまずはやってみることにした。
「そう、腰を少し落として、膝は常に緩めて……緩めすぎ、軽くでいいですよ」
「ん……こう?」
「そうそう。 そうしたら次は、すり足できき手側の足を前に出しながら、逆の足を引いて、体全体の向きは斜に。 相手が正面に見えるとして、ここ、肩の側面を見せるような形で止めて、前に出した足を、足の大きさの半分だけ引く」
「ここまでは抜刀術の構えに似てるね」
「そうなんです。 けど抜刀術は重心が中央から前傾よりですけれど、私の場合はここで後に来た足に重心かけるんです」
やってみて、と言われて、沖田は重心を後ろ足に移した。
とたん、後ろに引いた足の腿にグッと負担が来る。
「うわっ、けっこう足に来るね」
「でしょう。 腕の力に頼る、上半身の動きを重視する流派だと足腰への負担はさほどでもないんですけれど」
ついでにこの構え、相手から見ると腰が引けたように見えるので相手を懐に誘い込む効果もある。
そう聞くと、沖田は自分の今の姿勢を見てなるほどと頷いた。
「なるほど、逃げ腰に見える」
「動きはここからです。 同じ所からやるから先ずは見てて」
は沖田と並ぶ形で後ろ重心の構えを取ると、重心の足を軽く力を入れて腰全体を水平に滑らせつつ、先程半分引いた足をスッと『足ひとつ分』前へ出す。
その動きをしながら、下段の位置にあった木刀を、胸と水平の高さにまで斬り上げの形を取り、腕を振る勢いと木刀の重さに引っ張られるような形でかなりの前傾姿勢を取った。
そこから、また腰全体を水平移動させて、元の構えに戻す。
「コツは、後ろ重心の足を蹴るのと腰骨の移動、前足への重心移動を『ポン』と一呼吸でやることです。 そうすることで上半身が自然に傾きますから」
「こうかな? うわっ、とっとっ!」
と同じように動きをまねしたつもりが、予想よりも遥かに上半身が勢い良く前傾姿勢に引っ張られてしまい、沖田は思わずたたらを踏んで前につんのめっていた。
あれ、という顔をする沖田に、
は笑って、「後ろ重心の足を強く蹴りすぎ」と教えてやった。
「個人の体格によって、後ろを踏み出す時の力加減が変わるんです。 だから、私と同じ力で踏み出しても沖田さんでは威力不足になるし、強く踏出しすぎても今みたいに自分の筋肉や武器の重さに振り回わされて今みたいになるの。 だから、自分の重心移動の位置と加減を掴むまで、またそれらの動きを支える膝のバネと腿の筋肉が柔軟になるまで、この基礎の動きと重心の妙の取りかたをひたすら繰り返すんです」
そうすると、こうなる、と
はもう一度沖田の前で正面正眼の構えから斜の構えから後ろ重心、切り上げの動きに繋げ、両手持ちにかえつつ刃筋を変えて軽く持ち上げたあとスッと打ち下ろして地面すれすれで止め、振り下げた勢いで前傾しながらまたも刃筋を変えて軽く右に手首と体をひねり、木刀を勢いよく切り上げながら後ろ足を大きく前に運ぶ。
上まで切り上げた後は手の中で刃を下向きに戻しながら正眼の位置に剣を直し、軽く腰を落とし膝を緩める基本の姿勢を取る。
この時、最初構えた肩とは逆が相手の側を向き、後ろに引いた重心足も逆になっている。
全体的に体を伸ばしているので大振りになり防御が甘くなりがちだが、そこは振りを早くすることで付け入れられるスキを少なくしている。
は今、見本として見せるためにゆっくりとした動きでやってくれたが、実際の速度でつなげるとこんなものではないはずだ。
「下半身に相当負担があるんだね、これって……っと!」
「ああ、最初はゆっくりでも転んでもいいから自分がどこまでの前傾姿勢を保てるか、加減を確かめて下さい」
は沖田の横に立ち、言われた通りの動きをしようとするが、なかなか腰骨を中心とする重心移動がうまくゆかずに前につんのめりそうになる沖田の動きを支えた。
が教えたのは本当に基礎だけだったが、沖田は酷く真剣な目をしていて、余す事なく技を吸収しようとしている。
何度か加減を見て重心移動をかけて、自分の目方にあわせた力加減を見極めようとするが、習い覚えた流派の癖はそう抜けるものではないから苦労していた。
「どう、かな、五条師範。 確かに理心流の木刀でやるときっついけど、少しは、見れる、ようになってきた……?」
「沖田さんでもこの重さでやるときついか……」
それでも今までやったことのない動きが新鮮で面白いと言うふうに口元に笑みを佩き、視線は切り上げの動きの勢いと重心移動に振り回されそうになる木刀の切っ先を鋭く見つめる。
「さすが理心流の師範代、飲み込みが早いですよ。 じゃあもうひとつ」
確実に止められますか? と
は沖田が前に踏み込む時にあわせて、すっと彼の正面にまわりこんだ。
沖田が下手を打てば、木刀に強かに打たれる位置に。
「あぶなっ……」
まさかそう来ると思っていなかった沖田は、慣れない動きに加減をあやまり、切り上げる腕を振り抜いてしまった。
この動きは予測していたので、
もさすがにこれには動じない。
体の側面に木刀を縦に構えてもう片手で支え盾にして受け止め、柔らかく緩めた膝や肘のバネを使って体全体で斬り上げの動きの威力を殺す。
だが、普通の三倍あるという木刀の重みに振り回された沖田の足元がずるりとすべり、体全体で
のほうに倒れてきた。
「!!」
「
ちゃん、どいて――」
倒れる沖田の下敷きになる形で地面に押し倒された
は、背中を打ち付けた拍子に妙な声を上げてしまった。
体の下でカエルが潰れるような声を聞いた沖田は、あわてて木刀を持っていない手を突っ張るようにして起き上がる。
「ごめん、大丈夫!?」
「鼻、打った……」
下敷きにされた拍子に、沖田の胸板で打ってしまった。
も木刀を持たない手で涙目で自分の鼻をさする。
体格の良い自分のほうが完全に被いかぶさる形で下敷きにしてしまったことをさすがに申し訳なく思いつつ、沖田は
の手をどけて、打ったと言う場所の加減を見た。
多少赤くなってはいるけれど、これなら張れたりすることもない。
「ああ、よかった。 これなら嘗めておけば治るよ」
言うなり、沖田は体半分まだ被いかぶさったままの姿勢で上半身を、顔を近付け、舌先で
の鼻の頭をぺろりと嘗めた。
「念のため後で冷やしておいてもいいかな……って、
ちゃん?」
「沖田さん……今自分がどれだけとんでもないことしたか自覚してないでしょう……」
鼻だけでなく頬も染めつつ、
は体をずらして沖田の下から抜け出る。
自分も起き上がり、土の上に直接あぐらをかいて座った沖田は、立ち上がる動作をする
の顔を不思議そうに見つめていた。
剣術の稽古に怪我はつきもの、いちいち大袈裟な手当てなど不要だし、手当てが必用になる程の怪我の見極めも出来ていると思ったが、何か悪かっただろうか。
「ああ、ほんとにごめん。 背中が土だらけだよ、髪も」
沖田は立ち上がり、
の背後に立つと背についた土を手のひらで払い落とす。
「……お尻は自分でやります。 沖田さんて、こと剣術に関しては物凄く真面目で真剣ですよね」
「そりゃあそうだよ。 剣は、敵を殺すだけじゃなくて、僕を生かしも殺しもするし、大事で大好きな人たちの生死に関わって来る事もあるんだから」
けど、それだけじゃないと沖田は木刀を持つ手を撫でる。
「極めようと思っても、どこまでも果てがないんだよ。 それが面白いし自分が剣の高みのどこまでゆけるのか、力の限りを尽したくなるじゃない」
流派が違うだけでもこんなに体さばきが違うし、そこから自分とは違う形の強さが出てくるし、本当に果てがなくて、日々驚かされる事ばかりでこんなに鍛えがいがあり面白いものなんてそうそうない。
そう語る沖田に、
は淡く微笑み頷いた。
「
ちゃんだってさ、何だかんだ言って剣術、好きでしょ?」
「まあ、嫌いではないですね」
思わず苦笑する。
始めた切っ掛けが何であれ、どんなに女らしくなかろうが、阿婆擦れだのじゃじゃ馬だの、果ては女が持つと刀が汚れるなどと言われても、剣術を捨てるなどありえない、そう断言できるくらいには好きだ。
「大好きだって顔に書いてあるよ。 僕と同じだね」
「む」
思わず自分の頬を触る微笑ましい仕種に、沖田も思わず笑みを零す。
「ね、またこういうのやろうよ。 まだ続けたいんだけれど仕事もあるし、足がけっこう疲れちゃった」
「明日は、筋肉痛ですよ。 覚悟しといて下さいね。 けど、またやるのは是非」
「うわあ、念入りに解しておかなきゃ」
今度は理心流も少し教えて下さいね沖田師範、と
が笑うと、沖田は常の皮肉っぽさがないとろけるような笑みとともに頷いた。
やはり、共通の話題があり、好きなものが同じというのは良いものだ。
そこまで決めた時にちょうど、奥の局長室のほうから「そこに総司はいるか」と近藤の呼ぶ声がしたので、沖田はじゃあ、と話を切り上げてそちらへ向かっていった。
廊下に上がり、局長室へ向かいながら沖田は足下が弾みそうになるのを押さえるの苦労してしまった。
今日は良い事だらけだ。
常にないほど話せたし、同じ剣術の事が好きで始終なごやかに笑いあえたし、直に教えてもらうこともできたし、倒れたはずみとはいえあんなに近付いてしまったのに腹も立てられなかったし、次の約束まで取付けた。
「(間合いにも、入らせてくれた)」
それも含めて、今日だけで何歩も心が近付いた気がする。
が新選組で働く事になって暫くなど、自分が間合いに近付くだけでも心底嫌そうな顔をされたというのに。
今日の良い事を指折り数えたら片手では利かないその嬉しさが、局長室に入っても顔に出てしまっていたらしい。
沖田が座る気配を感じて文机に向かっていた体の向きを変えた近藤は、珍しくて良いものを見つけた時のようにパッと表情を明るくする。
「おお、総司。 やけに上機嫌だな、何か良い事があったのか?」
「はい、とても」
「何があったんだ? 教えてくれ」
「うーん……近藤さんなら……いえ、やっぱり今日の良い事は僕だけでひとりじめさせてもらいます」
「なに、ひとりじめとは聞き捨てならんな。 少しくらい良いだろう、気になるじゃないか」
「こればっかりは駄目ですよ」
暫く、近藤と沖田は教えろ、いや駄目だの問答を楽しげに繰り返していた。