夢か、現か


 隊士慰労のために島原で行われた宴席の最中、 はたった数杯小さな盃を重ねただけで酔いが廻ってしまい、たちまち眠りに落ちてしまった。
 隣の永倉の肩にもたれて、すぅと小さな寝息を立てる の様子に気をきかせ、酌をしていた遊女の一人が近付いてきてそっとその背を支えた。

「随分疲れとったんどすな。今、お部屋を用意しますよって」
「ああ、手をかけさせてすまないな。 おい、五条起きろ」
「……ん? ああ、寝こけてた……」

 この部屋にいるのは幹部連中と千鶴だけだから、寝こけた所で構わないが疲れているようなら別室で静かに寝かせてやるほうが良いだろう。
 ふたつ隣の六畳間があいているのでそこで寝ていろということになり、 は中座する無礼を一言詫びてから宴会場をはなれて床を延べてもらった部屋へと向かった。
 屯所のせんべい布団とは比べものにならないフカフカで立派な布団が用意してあり、傍らには行灯があり柔らかい光で室内を照らしている。
 正面の違い棚の上には小さな香炉が置かれ、気分を落ち着かせるしっとりとした香りがそこから僅かにこぼれていた。
 隊務の疲れに重なって男所帯で気を使わなければならなかった事も多々あり、正直寝不足ぎみだった はこの際有難く眠らせてもらうことにした。
 袴の帯を解き、不作法は承知で布団の横に投げる。 剣だけは何があるかわからないので鯉口をゆるめたまま抱いて布団に入った。
 柔らかく温かい布団に包まれると酒の酔いも手伝って睡魔の訪れは急速で、かかえこんだ鞘の冷たさなどすぐに気にならなくなりそのまま眠りに落ちていった。




 宴もたけなわとなっている場を抜け出し、沖田は廊下に出た。
 
ちゃん? 起きて……ないよね」

  が寝ている部屋の襖をそっと開け、すべり込むように入ると音をたてないように気を付けながら後ろ手に襖を閉めた。
  は布団にすっぽり潜り込んで寝ている。
 足音を殺して近寄ると、枕元にそっとかがみこんで寝顔を覗いてみた。

「……へぇ」

 意外だ、と小さく声を出す。
 日頃から、間合いに入るだけでも嫌な顔をされるものだからこんなに近付いてまじまじと顔を見た事などない。しかも大概最初は仏頂面なものだから、そこから警戒を緩めるまでがまた大変だったりする。
 最初から、こうも無防備な顔を見れたことはない。
 行灯の淡い光に照らされた肌は肌理細やかで、頬や額に散る黒髪が妙に艶かしい。
 紅を塗らずとも薄く色付いた唇はうっすらと開かれて淡い息を紡いでいる。
 長めのまつげに縁取られた目許は酒のせいか桜色に染まっていて、化粧っけがまるでない顔に微妙な色合いを添えていた。
 こうして見ると、やはり男とは何もかも違う。

「……」
「? なに?」

  は夢でも見ているのか、幽かな声で寝言を漏らした。 沖田はそっと耳をよせ、それを聞き取ろうとする。

「ふぅん?」

 沖田はいたずらっぽく口元を歪める。 が呟いたのは行方不明になっている彼女の弟の名だった。
 同時にちょっとした悪戯を思い付き、いつだったか が弟の事を話してくれた時の事を思いだしながら、もう一度身を屈めて耳もとに囁きかけた。

「……姉ちゃん」
「んー……」
「ただいま、姉ちゃん」

 少し甘えた口調でそう語りかけると、 の目許がふっと弛んだ。まだ酒の力が彼女を幸福な夢の中に留めているのか、側に沖田がいることにも気付かないままだ。

「ほら、刀なんか抱いて寝てると危ないよ」

 布団の中からちらりと覗く柄を見て、沖田は中に手を入れると の手からそれをはがそうとした。
 こんな場でも襲撃を気にして抱いて寝るほどの刀に触られたらさすがに飛び起きるだろうと思いきや、存外素直に刀は手を離れる。
 布団の中からそれを出した沖田は鯉口をきちんとしめなおし、身体を伸ばして枕元におく。

「……んー……一緒に寝るなら入りなさい……」
「え?」

 布団に手を突っ込んだのを誤解されたのだろうか、弟が枕元にいると思っているらしい は片腕をぱたんと動かして布団を半分あけると、自分はもそもそと身体を動かして場所を取る。
 そしてそのまままたスースーと寝息をたてはじめる。
 夢うつつの は、自分を弟が帰ってきたものと誤解していて、弟に向かって『一緒に寝るなら入れ』と言っているわけで……。
 沖田は柄にもなく少し考えてしまった。
 仲の良い姉弟だったとは聞いていたけれど、これはないだろうと思ってしまった。
 いや、家それぞれなのかもしれないが、自分も姉を持つ末っ子だがよほど小さい時をのぞいて一緒に寝てもらったことなどない。
 それ以前に姉はしつけに厳しい人だったし九つの年には近藤の道場に内弟子として出されたから、思いっきり甘えられた記憶も少ない。
 姉も母も、とても自分の事を可愛がってくれたと思うけれど……さすがにこういうことはなかった。
 悪戯した以上仕方ないが、『弟』ならこんなに近くにいても警戒もしないというのも、普段警戒されまくりの身としては何やら複雑だ。

 けれどこれは、いわゆる『据え膳』というやつではなかろうか。
 沖田は暫く考えた後、乱れた布団に手をやり、そっと の身体にかけなおした。

「風邪ひくよ、姉ちゃん」
「……」
「ごめんね。 ……けど、必ず帰ってくるから、心配しないで」

 大好きだよ、とつぶやいて。
 少し乱れて額にかかる前髪を指でそっと整えてやり、そのまま柔らかい曲線を描く頬に触れた。
 音を立てないように立ち上がり、はいってきたときと同じように気配を殺して廊下に出ると、後ろ手に襖を閉めた。
 暗い廊下に出ると、沖田はホウッとため息をついて天井を見上げる。

「ああ……何やってるんだろうな、僕は」

 これ以上ないくらいの好機を自分からフイにして。 あのまま布団に滑り込んで、柔らかそうな身体を抱いて眠るだけでもきっと天にも昇るような幸せに浸れただろうに。
 なぜそうしなかったのか、自分の心がわからない。
 彼女の弟がうらやましかったとか、そういう訳では決してない。
 むしろ、 が幸福な夢の中にいるなら暫くそのままにしておいてやりたくなった、というのが一番近いかもしれない。
 自分の悪戯が切っ掛けで、夢の神が彼女にそういう夢を運んでくれたのなら恨む筋ではないし、あの幸せそうな寝顔を壊すのも気が引ける。

 据え膳と思うなら頂戴してしまえば良いものを、そうしなかったのは自分がそれだけ彼女に傾倒している証拠だなと、沖田は諦めをつけて腹を括る事にした。

「次は前後不覚じゃないときに、『男』として誘ってよね。  ちゃん」

 その時は君も、『姉ちゃん』じゃない顔で。
 そう願って沖田は、まだ騒ぎの続く宴会場へと戻っていった。




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