暑気払い
「鍋底の 豆の気持ちが良く分かる 涼風恋しや 京の夏〜〜〜っと」
「暑苦しさ倍増の妙な歌を歌わないでくれる?」
縁側の日陰でだらしなく伸びきった沖田は、庭先に水を撒く
の妙な歌にぐったりとしながらも反応した。
京の夏はまさに鍋底で炒られるかのような酷い熱気で、風が湿気を運び去る江戸の夏とはまったく違う。
隊士たちの出身地はまちまちだが、その大半が東国出身だ。その誰もが京の夏ははじめてのことで、あまりの暑さと気候の違いに多くが夏負けして体調を崩している。
「……しかも音痴」
「ほっといてくれます?」
ぼそっと付け足した沖田の顔があまりにも憎たらしかったので、手桶の中身をぶっかけてやろうと思ったがちょうど水がなくなった所だった。
「そんなに暑いんだったら、井戸端で水をかぶるか行水でもしたらどうです?」
「……またすぐに、暑くなるじゃない」
「だったら、壬生村の川でもいって小魚でも掬って来てください。 嫌でも水浴びになりますし掬った魚は甘辛く煮付けて夏バテ用のおかずにしますから」
「……それは、ちょっといい案かも……」
夏バテには食って体力をつけて乗り切るのが一番なのだが、今回は腹下しの連中が多く栄養を取ろうにも食えるものは粥ばかりという者が多い。
これでは急の出動で役に立てないから何とかせねばらならないと幹部一同頭を悩ませていたところだが、腹を下しぎみで食欲がないのに無理に食わせるわけにもいかない。
けれど粥に添えるつくだ煮のようなものなら、無理なく食べられるし味の薄い粥をただ流し込むだけの味気なさも緩和されるのではないか?
「どのくらい、あればいいかな?」
「そう……ですねぇ、この手桶に一杯くらいあれば、皆で食べても数日はもつと思うけれど」
つくだ煮はもともとが保存食だし、辛い醤油で煮詰めれば食べ物が駄目になりやすい夏のまっさかりでも日陰に置けば数日程度なら余裕で持つ。
そして、川魚の稚魚は種類が何であれ大概食べられる。
「よし、そうと決まったら早速行こう」
「がんばってきてね」
「何言ってんのさ、僕だけでこんなにとれる訳ないじゃない。 君も行くの」
「え……?」
壬生村を流れる小川は村の貴重な水源であると同時に、子供たちの格好の遊び場だ。
しかし今日は子供たちの姿は見えず、貸しきり状態ときた。
大人の膝程度の深さの流れのゆるやかな場所には、子供の小指の半分もないような魚の稚魚が群れを成して泳いでいる。
何の魚かはわからないが、良い具合に取り放題だ。
「思ってるよりもいますね」
「これなら手桶一杯なんてすぐかな?」
沖田は脚絆を解いて襷がわりにして袖をからげ、袴や着物の裾をからげると川の水にざぶざぶと入る。
「草鞋、脱がないんですか沖田さん」
「草鞋ははいたままのほうが良いよ。 川底って意外と滑る事がおおいし川虫もいたりするから。 あ、紐はしっかりしめておかないとすっぽ抜けるよ」
なるほど、と思いつつ
は脱ぎかけていた履物をもとどおりに直す。
それから
は水の中では邪魔になる袴を膝を見せる高く上げ、袖も手持ちの紐でからげてしまう。
腕と足を晒したそんな姿を見て、沖田はニヤリと笑った。
「へーえ、仮にも若い娘さんがそんな格好してる所を見たら、近藤さんだったら腰を抜かすね」
この時代、婦人が身体の線を見せるような装いだって憚られるのに、他人に太ももを見せるなど恥ずかしくてできたものではない。
だが
も
で、沖田の視線をさらりと受け流し、
「あんまりジロジロ見ると見料取るわよ」
と笑顔で可愛く無い一言をピシャリと言って黙らせた。
「はいはい……じゃあ今夜のオカズのために、ひとつがんばってみるかな」
言うなり、沖田はざぶざぶと水の中へ入ってゆき手に持ったザルで小魚を浅瀬に追い込み、ザッとすくいあげた。
小魚は近付くなりパッと逃げてしまうというのに、浅瀬に追い込む手際などかなり手慣れたものだ。
その様子を見て居た
は少し感心してしまう。
「もしかして、慣れてるの?」
「そりゃあ、子供の頃は近所の子と似たようなことやったもの。 それに僕の家、いちおう武家ではあったけれどものすっっごい貧乏だったから、僕が取って来る小魚もけっこう上等なオカズだったんだよ」
子供の腕ではなかなか捕まらないけれど、たまに5〜6寸もあるような川魚がとれるとそれは大したご馳走だったという。
沖田はすくいあげた小魚を手桶に張った水の中に放して、さっそく次を狙っている。
先ほどまで暑さであんなにダレていたくせに、現金なものだ。
「ほら、はやく君もおいでよ。 浅瀬に追い込むから捕まえて」
「了解」
言われて
も川に入り、沖田が魚を追い込むのを浅瀬で待ち構える。 狙い違わずザッとすくい上げると、一度でかなりの量が捕まえられた。
同じ場所に留まると魚も警戒して近寄ってこなくなってしまうので、何度か場所を変えて同じことを繰り返すと、けっこう早く手桶の中は一杯になった。
「うわぁ、ある意味すごい眺めだねぇ……もう入らないかな?」
「……同感ね」
魚が多すぎて、手桶の中は陽の光にキラキラ光っている。
「沖田さん、もう少しなら入ると思う。 八木さんにもお裾分けしたいからあと1回やりません?」
「そうだね、些細な事だけど日頃のお礼に」
いい考えだと頷いて、沖田は弛んだ襷を一度かけなおした。
もそれに倣う。
もう二人とも着物といい髪といいびしょ濡れで、暑さの事など吹き飛んでいる。
屯所に帰るなり「てめぇら何をやっていた!」という鬼副長の雷が落ちそうだがそれも今さらというやつだ。
もう一度膝下まで水に入ると、追い込む場所を決めて沖田が水を蹴立てるようにして魚を散らし、浅瀬でジッと気配を殺して笊を沈めて構えていた
が小魚が追い立てられてきたところで得たりと笊をすくいあげる。
「それっ!」
「お見事!」
バシャン、と水しぶきを上げて笊を振るえば、中にはたんまりと銀色の小魚が入っている。 沖田は思わず手をたたいて
の腕前を誉めた。
夏の陽に水しぶきがきらめいて涼しげな景色の中に、勇ましく袖をと袴を捲り上げた
の姿は充分に目に楽しかったし、暑気払いになったのも今夜のオカズが増えるのもいいことだ。
笊からこぼれたイキのいい小魚が水しぶきと一緒に宙を舞い、数匹がポチャポチャと川に落ちる。
「!!」
綺麗だな、と眩しそうに目を細めていた沖田の目の前で、突然
がサッと顔色を変えた。
目を白黒させたかと思うと、驚く沖田をしり目に魚の跳ねる笊を草むらにほうり出し、慌てた仕種で腰の後ろに手をやる。
「どうしたの?」
「お、沖田さん! ちょっとあっち向いててください!」
珍しく顔を真っ赤にして切羽詰まった顔で言うものだから、沖田は思わず素直に水に漬かったまま
に背を向けた。
なので何をしているかは見えなかったが、帯を解いたらしい衣擦れの音と、バサッと布を振ったような音がしたから、一度着物を脱いだのだろう。
何か悪態をついているが、振り返ったら殺されるなとか思いながら、沖田は
がもういいと言うまで大人しく待った。
「……で、何があったの?」
「その……笊を振り上げた拍子に魚が跳ねて、首の所の襟から背中の中に……」
確かにかなり派手に立ち回る事になったから最初から襟をゆるめたりしてかなり動きやすい格好にしてはいたけれど。
何でこうも上手い事スポリと落ちるのかと思うくらい、つるりん、と滑り込んで着物の中でびちびち暴れるものだから、思わず狼狽してしまったという。
「なんだ、そういうことなら言えば僕が取ってあげたのに」
「恐ろしいこと言わないでくれますか」
「うわ、傷つくなあ」
医者でも恋人でもない相手に着物に手を突っ込まれるなんざご免だと露骨に嫌な顔をすれば、沖田のほうも肩を竦める。お互い悪意のない悪口なので剣呑な事にはならない。
「そろそろ帰る? 夕食までにこれを仕込まなければならないんでしょ」
「そうね、けっこう量もあるし……早めに仕込みましょうか」
「うん、楽しみにしてるよ」
二人して水から上がり、小魚で一杯になった手桶を持とうとする
を沖田は『重たいから自分が持つ』と止めて、彼女には笊の方を持ってもらい屯所へ向かう。
びしょぬれの凄い格好だが身体の熱は程よく抜けたしいい息抜きにもなった。
「ねぇ、あそこは村の子供たちの遊び場だからたびたび荒らすわけにはいかないけど、また行こうよ」
「そうですねぇ、今度は他の人も誘ってみます?」
「駄目、二人だけでいいよ。 いかついのがあんまり大勢で押し掛けたら、捕れるものも捕れなくなりそうだしね」
確かに、それは騒がしい事になるだろう。言いえて妙だと
は思わず笑ってしまう。
沖田からの悪く無い誘いに、
は機会があればまたと答えた。
「そうだ、沖田さん。 またの約束の代わりというのもなんですけど、ひとつ頼まれてほしいことが」
「ん、なに?」
「泥棒退治」
夕食も近付いてくる時間、新選組も使わせてもらっている八木家の台所から魚を濃く煮付ける旨そうな匂いが漂いはじめる。
今日の賄い当番の隊士と台所を預かる女たちの声が聞こえる中、沖田は夕方の涼風が心地よく吹き抜ける台所の裏口の前に刀を持って陣取っていた。
「……変な頼みだなぁと思っていたけれど、なるほどね」
料理を手伝う自分や千鶴は手がはなせなくなるだろうし、あれが相手では八木の女中たちや平隊士では強く言うこともできないだろう。
匂いにつられて腹の虫を押さえきれなくなったらしい者が数名、こちらへこそこそやってくる。目的は言わずと知れた、つまみ食いだ。
「それじゃ、夕食前の腹ごなしといこうかな」
これでまたの約束ができるならなかなか良い取引きだ。
暑いのも悪いことばかりではないなと思いながら、沖田は刀を鞘ごと剣帯からはずすと裏口にむかってコソコソとやってくる不届き者たちの撃退に向かった。