特技は嫌がらせ
ナリは何だが、同じ女子の意見を求めたい、と訊ねてきたのはある日の午後の事。
つまりは、事情があるとはいえ屯所から自由に出す訳にはいかない彼女の気鬱を払うには、どうしたら良いものかということらしい。
「……鬼が桜色になった」
「うるっせえ! 案があるならさっさと出しやがれ!」
つまりは、あの陽のかけらが顕われたような少女が土方も遠からず好きな訳で。
どうでもよい相手に対して何かをしてやろうなどと使う頭があるならば、その分を隊のためになるようなことを考えるような奴だ、土方歳三という男は。
男にしては色白の役者のような頬を染めつつ「とっとと吐け」と詰め寄る土方に、
は「それならば」と一案を出した。
数日後。 千鶴の部屋のあたりが何かと騒がしい。
あのあたりは、もともと陽当たりは良いがいつもはこぢんまりと静かなたたずまいで、千鶴も騒がしくするのは苦手な方らしいので人がいないかのように静かな事のほうが多い。
祭りの喧噪のようではないが、複数の者の楽しげな笑いが風に乗って届いてくる。 男たちの声の中に、小鳥のような千鶴の笑い声も聞こえてきたから、きっと楽しんでいる……いや、遊ばれているのを開き直ってしまったのだろう。
あれだけ笑えば、自由に外に出られない気鬱も少しはどこかに飛んでいくだろう。
近藤も土方も、山南でさえ千鶴の部屋のほうに行ってしまっているので、小姓がわりの
はしばらく仕事がない。
先だって、山南に本を借りたのでそれでも読むかと、障子から差し込む光がある場所に文机を移動させ、そこに本を広げようとしたその時。
「やっぱり、ここにいた」
障子戸をカラリと開けて、沖田がひょっこりと顔を出した。
「イの一番にけしかけた人が来ないなんて、ちょっとずるいよ?」
「けしかけたとは人聞きが悪い。 ……私は『提案』しただけですけど」
それに乗るか乗らないかはそちらの責任でしょうと、
は書にかけた指を戻して、障子を開けたまま立っている沖田に膝を向け直す。
「用事があるなら、立ち話も何ですから、どうぞ」
用事がありそうだとわかったのは、沖田が小脇に着物を包むたとう紙でくるんだ荷物を持っていたからだ。
部屋に入った沖田は遠慮なく
の間合いの中に座る。お互い、ひと呼吸で抜刀し抜き打ちに首を狙える距離にズカズカと踏み込まれた
は、もちろん良い顔などしない。露骨に顔をしかめた。
その様子に沖田も嫌そうに眉を寄せる。
「あのさぁ、いい加減そういう反応、やめてくれない?」
「こちらの正当防衛を前にして、あんだけ斬るだの死人に口なしだの軽々しく言ってた人が間合いの内側にいて、誰がにこやかに笑えますか」
が新選組と知り合ったのは、彼等にとってのもう一つの部隊ともいえる白い髪の鬼たちに襲われた事にある。
京に来て浪士に絡まれ、不覚にも負った傷が疼いて眠れない夜、失礼は百も承知で夜中に医者を訊ねて熱さましなど処方してもらおうと歩いていたら、この夜中に何の用事あって物騒な市中を歩いているかと呼び止められたので、こういう訳でと説明した。
……その時は確かに普通の人間だったはずだ。
しかし、
の傷からしたたる血の匂いにあてられたのか、彼等は
の目の前で変貌した。
白い髪、赤い瞳の見た事もない何かに。 ただその表情は先程まで真面目に役目をこなしていた人間のそれではなく、狂った『鬼』としか言い様のないそれになり、血がどうのとわめいて刀を振り回してくるその勢いも到底正気とは思えなかった。
痛みも傷から来た熱も忘れるほど驚愕したが、それでも
は彼等を退けた。
その騒ぎを聞き付けてやってきた沖田他数名の幹部が現場に到着した時は、
は多少の怪我は負ったもののまだ生きて立っていた。
「……明らかにおかしいものに襲われて訳のひとつも説明しろと言いたいこちらに、散々好き放題言ってくれたじゃないですか。 あげくの果てには『見られたからには生かしちゃおけねぇ』とかふざけた意味合いの事を堂々と言い放ってくれたでしょう」
「根に持つなんて酷いな。 だからちゃんと筋をとおしてできる部分は説明したし、怪我が治るまで新選組で面倒見るって言ったじゃないですか。 それに、怪我をしていながらあれを片付けちゃうんだから剣の腕は相当のはずだし、同志にするのもやぶさかじゃないって」
「……千鶴ちゃんの様子はどう?」
これ以上その話をされるのも不愉快とばかりに、
は強引に話題を変えて来た。
打ち解けるにはまだまだ時間がかかりそうだなと瞳に諦観を滲ませつつ、沖田は様子を教えてやった。
仕方のないこととはいえ、男装で過ごすのは気が折れるものだろうから、たまには女の格好でもさせてすぐ近くの壬生寺くらいまで散歩を許してやったらどうだと提案したのだ。
もちろん、隊の事情もくんで『幹部の誰かと一緒に』という条件はつけたが。
その際、いろいろな柄の着物や帯でも持ち込んで一緒に選ぶなりすれば、若い娘にとってはそれだけでも楽しいはず。
着物や小間物なら、例の羽織の注文など隊で頼んでいる所があるだろうからそういう所を頼めば良いし、知り合いの女性でもいるならちょっと借りてくるなりすれば良いと勧めてみた。
沖田の話によると、じゃあ誰が連れていくかということになり、そこでまずちょっと話がこじれかけたが、それならそれぞれこれといった着物を暢達してきてそれを千鶴に選んでもらう事にして、その着物を持ってきた者が連れ出す事にしようということに話がまとまったとか。
「あれだけ笑い声が聞こえてくるなら、大失敗ってわけでもなさそうだし。 安心したわ」
「笑っちゃう所は、あの土方さんとか斉藤さんとかまでがきっちり用意してるあたりだよね。 根回しはしても、やることそのものには興味ないって言いそうなあの二人が」
「確かに……」
あの二人までもあの騒ぎの一端にいると思うと、自然に笑いが込み上げてきた。
目を細め、口元に手をやる
の姿に沖田も自然に笑みこぼれる。
「そうそう、用事だけど。 ……これ」
「何……?」
沖田は脇においていた、たとう紙の包みを押し出した。
「開いてみて」
促されてそれを開くと、そこには品のよい色合いの振り袖の着物があった。
振り袖の着物といっても普段の着るものだから絹織物のような高価な品ではないが、依りの綺麗な木綿糸を丁寧に織りあげた上質な生地は明らかに高級品だし、縫い目も細かく均一で腕の良いお針子が仕上げたものだと一目でわかる。
この騒ぎの中、こんな品をここに持ってくるということは。
「なるほどね、千鶴ちゃんに振られちゃったわけか……それは御愁傷様」
「違うよ、千鶴ちゃんにはちゃんと別のを用意したし。 これは君に」
「は?」
「今回の言い出しっぺの君が来たら、責任とって自分でも着てもらうつもりで別口で用意しといたの。 なのに君ったら来る気配もないからさ、こっちが持ってきたってわけ」
「……そう言う事ならよけいな気遣いをさせたと言う事だから詫びなけりゃいけないけれど………わかっていてやってるなら、是非とも一度じっくり話し合わないといけないわ」
は、これを着ることはできないと包みを元に戻して沖田のほうにおしやった。
「何で着れないの? まさか自分が女子だってこと忘れてるわけじゃ」
「………元服ずみの女子が振り袖なんて着れますか!」
サバ読みだの若作りだの言われるのはごめんだと、
は周囲に響かない程度に鋭い声で怒鳴った。
「元服って………ああ!」
沖田は言われてようやく思い至ったという感じでポンッと手を打つ。
「すっかり失念してた……いやぁ悪気はなかったんだけれど」
「……悪気があったらさすがの私も抜いてたわよ。 というか、お得意の嫌がらせじゃないでしょうね、本当に?」
「うわ酷い。 ほんとに僕のことどういう目で見てるのさ」
「普段の行いがモノを言ってんでしょう」
何をいまさら、と
は呆れ返った視線を向けて来る。沖田はさすがにバツが悪そうに目を逸らした。
そう、元服式は男のものだけと思われがちだが、女にもちゃんと存在する。ただ女の場合は男ほど格式ばっていない。
男の元服は、髪と名を改める。もともとは武士の風習だが、町人の男も適齢期になると髪型を改めて成人の証しとする所も多い。
一方女は、適齢期の結婚が元服がわりになってしまっていることがほとんどだが、その他に19才になるとそれまで『娘の着物』として着ていた振り袖を留め袖にし、髪型も娘の華やかなものから少々改める。
つまり振り袖は、遊女などの例外を除いて『未婚の若い娘』の着物だ。
「……でもほら女性って、若く見られることに関しては」
「沖田さん?」
その先を言うつもりなら、と視線で脅しをくれる
の様子に、沖田もとうとう諦めた。今回ばかりは分が悪い。
「……はぁ……そういうことなら仕方ないです。 今回は僕の失態ということで。 何というか、忘れて下さい」
「それも、千鶴ちゃんにもっていってあげれば喜ぶと思うわ」
「これは、あなたのために選んだものと色だからそれでは意味がないんです」
でなおしますよと、沖田はため息とともに包みを抱えて部屋を出た。
珍しくがっくりと肩を落とした沖田の様子に、
は彼が自分の間合いから出たのを確認してから声をかける。
……どうやら、今回は本当に、お得意の嫌がらせじみた悪戯ではなかったようだし。
「沖田さん」
「はぁ」
「……袖、詰めてもらってください。 そうすれば、着られますから」
沖田が振り返った時には、
はすでに興味を失ったとばかりに書物のほうに視線を落としていたので、細かい表情は読みとれなかった。
けどたしかに、障子ごしの柔らかい光を受けた肌はいつもよりもうっすらと赤味を増していた。
それを見た沖田は、予想外の失態に沈んでしまった心がフッと浮き立つのを感じた。
「うん。じゃあ数日中にね。 その時は女髪も結って見せてくれると嬉しいな」
気がむいたらね、という
の言葉を待たずに、沖田は足早に廊下を渡っていった。
遠ざかる足音を聞きながら、
は先程とは違った意味で笑みを零していた。
「……へんな人」
冗談に聞こえない冗談をさらりと言ったかと思えば、こちらを試すような嫌がらせじみた行いをしたり、言葉をかけたり。
そういって相手の戸惑いを楽しむようなひねくれた節のある付き合いづらい男とばかり思っていた。
けれど、今の子供のような素直な反応ときたらどうだろう。
鬼も逃げ出すような強い剣の使い手でありながら、存外かわいらしい所もあると
はそう受け止めた。
もっとも、素直でない物言いが続く限りは、こちらもそれなりにひねくれたままでいてやろうとは思っているが。そのほうが、お互い緊張感もあるしどことなく楽しい。
新選組に身を置くことは、退屈と殺伐とした日々を繰り返す事ばかりではないらしい。
これからなかなか面白い事になりそうだと、
はもう一度目を細めて一人微笑んだ。