手あぶり猫の悲劇---土方---
「てめぇ総司、そいつをこっちに渡しゃあがれ!」
「あはははは、嫌ですよーーだ! こんな面白いもの、広間の上座にでも張り出さなきゃ! きっとよく見えると思うなあ!」
「この野郎!!」
副長室の周りがドタンバタンと騒がしい。
勝手場のほうに向かって庭を通り抜けようとしていた井上は、聞こえてきた罵声に思わず目を細めた。
騒ぎの原因は、土方が趣味にしている俳句だろう。
時々仕事の合間の息抜きに一句ひねっているようだが、井上に言わせると部屋に籠りっぱなしで四季の風物にも触れなければ良い句が出来ようはずもない。
だから、沖田が構ってくれとばかりに副長室に入り込んで、下手な俳句を見てはこき下ろして騒ぎになるのも、土方を表に引っ張り出すいい理由になると思っていた。
「トシさんも、ああも隠さなければいいのにねえ。 ムキになって隠すから総司も面白がるんだよ」
見ている分には面白いから、教えてやらないが。
井上はもう慣れたものなので、ニコニコしながら手にした荷物を勝手場にとどけるべく足を進めた。
建物のほうでも、ぎゃあぎゃあ喧しい中に、ドタバタと駆け回る遠慮のない足音が混じる。
ガシャーン……
「ん? おやおや、トシさんが湯のみでも投げたかな」
いつもは追いかけっこになって、腰の物を振り回すまではいっても、物を投げるまではいかないのにねぇ……と、井上は世間から見るとちょっと段階がズレている心配をする。
まあ、オオゴトにはならないだろう、とそれ以上は気にしないことにして、井上は場を離れた。
副長室のほうでは、実はオオゴトになっていた。
土方の至福の趣味の時間に、『暇だから構って下さい』と招かれざる闖入者が来たのはいつも通り。
集中してるんだから帰れと追い返そうとしても、勝手に居座って、失敗しや考え中の句が書かれた反古紙を読みあさってはゲラゲラ笑い出したのもいつも通り。
無視だ無視、と土方は畳に寝転がって句をこき下ろすのに熱心な沖田の存在を意識の端に追いやった。
居ない事にされれば、当然沖田は面白くない。
どうやってちょっかい出してやろうかと思案して、やっぱり大勢の意見を求める事は大切だから広間に張り出しますかと反古紙を集め出したら、さすがの土方も青くなった。
……句がへたくそなのは、詠んでいる本人も充分に自覚している。
沖田に言わせればだから面白いのだが、土方にしてみればこれを他人に見られるなどたまったものではない。
返せ返さないで取り合いの追いかけっこが始まった。
反古紙を抱えてひらりと避ける沖田、追いう土方。
廊下を走り隣室から襖を抜けてまた副長室へ。
そんな中、土方の足が畳の上に置いてあったものを引っ掛けた。
そう……寒いからと、
の所から借りてきた、手あぶり猫が。
土方の足に蹴られた猫は、クルクル回転しながら畳みの上をすっとび、文机のカドに当たって哀れ木っ端みじん。
割れた拍子に中の火のついた炭が宙に跳ねて、沖田が胸に抱える紙束の間にスポンと入り、たちまち火がつく。
「うわっ!」
「馬鹿!」
土方はとっさに机の上に置きっぱなしだった冷めきった茶をぶっかけて、火事になる前に事無きを得た。
「あーーあ……知らないっと」
「俺が知ったことか。 火事にならなくて良かったじゃねぇか。それより総司、その反古紙おいてけ!」
コゲ目がついた上に濡れてヨレヨレ、もう使えねえぞと土方は勝ち誇って言う。
怪我の功名だが、句を他人に見られずに住むのだからツイている。
「べーつにーー? 土方さんの下手な句なんて、見せられなくなっちゃったんならそれでもいいんですけど。 まずいんじゃないですか、それ」
沖田は抱えていた紙束を畳の上に落として、文机の足下に散らばった灰と陶器の残骸を指さす。
「
ちゃんのお気に入り。 大事にしてたみたいなのに、可哀想だなあ」
指摘されて、土方の顔からサーーッと血の気がひいていった。
そうだ、これは
のお気に入り。
彼女は今日は日中外に出るから、その間だけ貸してもらっていたのだ。
道具屋で目があっちゃって、ひと目惚れして連れ帰った……などと、日頃は道具は使えればそれでいいと言う
にしては珍しく衝動買いしてきたほどの品だ。
それが、焼き継ぎもきかないほど粉々に……。
「こっ……これは、お前が馬鹿やって暴れたからだろうが!」
「そんなことないですよ、僕ちゃんと避けてたし? 我を忘れて蹴り飛ばしたの、土方さんの足じゃないですか」
避けてたかどうかか、当たらなかったのが偶然かなどわからないが、見事なまでの責任丸投げ。
しかしトドメをさしてしまったのは土方の足なのだという事実は否めない。
「土方さんが
ちゃんに嫌われる所考えると、俳句まで晒すのは可哀想だからこれ以上は勘弁してあげますけど。 どういう言い訳したかあとで教えてくださいね」
どうしよう……と半ば固まる土方を後に、沖田は楽しげな足取りで副長室を後にした。
沖田がいなくなってからも、土方は必死に言い訳を考えていた。
立場上、こちらが上だから露骨に怒ったりはされないだろうが、しらばっくれたりしたら間違い無く軽蔑される。
の冷めた視線を想像して背筋が震えた。
そればかりは堪え難い。
破片をあつめて風呂敷に包み、どう謝ったものかと必死に思案するものの、良い考えが浮かばない。
これが色町の妓なら、いくらでもあやす方法など思い付く。
なのに身近にいる女一人の機嫌の取り方がわからないことに、土方自身も驚いた。
「謝るのは当然としても、メシでもおごるか? 何か欲しいもんでも代わりに……いやいや、物にこだわらない奴のお気に入りを壊したからにゃ並の物じゃ収まらねえよな……」
ぶつぶつと言いながら、風呂敷包みを抱えて
の部屋へ行き、机の上に置いておく。
……彼女が戻ってくるまでに、何とか打開策を考えなければ!
土方は、句作の事など頭から吹っ飛んだ様子で、次の行動に移った。
「……という訳なんだ、重ね重ねすまん。 誓って言うが悪気はなかった」
乱れた足音の正体、それは土方だった。
部屋で風呂敷を抱えている
を見た時の土方の顔は、見事なまでに引き攣っていた。
差し向いで座り、とにかく自分がやった、すまんと謝ってから、状況を説明する。
風呂敷包みを膝に乗せた
は、はぁ、と沈んだ溜め息を零した。
「……そんな理由で粉々にされたんですか……大きい子供ですか二人とも」
子供がケンカした拍子にツボ割ったり家具に頭ぶつけたりするのと一緒じゃないですか、二人とも身体が大きい分始末に負えないんだからと嫌みを言われても土方は言い返せない。
切っ掛けはともかく、内容が大人気ない喧嘩をしている自覚は充分にあったからだ。
「理由はどうあれ割れちゃったもんは仕方がありません。 これ以上気にしないで下さい」
「い、いや、それじゃあ俺の気持ちというか、踏ん切りが……」
つかない、といいかけて、土方はまたもグッと言葉につまった。
……やっぱり、こちらの立場が上だから露骨に感情を出しはしないが、怒っている。
これが色町の妓なら、詫びといっちゃあ何だが、何か欲しいものあったら買ってやる、と続けられるのだが、
相手だとそうはいかない。
そんな手段に出たら、返って呆れられてしまうだろう。
「と、取りあえず……だな。 何か代わりになるもんはないかと思って急いで探したんだがこんなもんしかなかった」
話を打ち切られないように、上ずった声ながらも無理矢理会話を続け、土方は背後に隠していた包みをズイッと前に押し出す。
「猫の中に入ってた小さい火鉢は無事だったからよ……」
土方がもってきた包みの中からは、浅い植木鉢を二個重ねて、継ぎ目を障子紙で繋いだ妙なものが出てきた。
貼った障子紙がちょうど蝶番の役割をして、上がフタになり開閉できるようになっている。
何だこりゃ、という表情をありありと浮かべている
に、土方は引け腰になりながら早口で説明する。
「あ、いや、最初、ツボか何かのほうがいいかと思ったんだが、空気穴ないと中の炭が消えちまうだろ? 不格好だが取りあえずこれで我慢してくれ、同じモンは無理でも何とか似たの探すから……」
それで、勘弁してくれ……と、土方は沙汰を待つ罪人のように肩を落とした。
は、ふぅと先程とは重さの違う溜め息をつく。
「……非番の日、1日でいいから合わせてください」
「……あ?」
「ここまでされて許さないなんて言ったんじゃ、私が悪者ですよ」
先程まで、怒りのあまり無表情になりかけていた
の顔は、やれやれと言った風に綻んでいた。
どうやら、事情を汲んで許してもらえたらしい。
「なるべく早く。 猫を見つけた道具屋に一緒に行って、もう一度探してもらえますか? 同じのは無理でも、ああいうお茶目なものを店先に出すご主人なら、入手先を教えてもらえるかもしれない」
「お、おう。 けど非番をあわせようにも俺ぁ仕事が立て込んで……」
そう簡単には無理だ、と言おうとしたら、
はニッコリと微笑み、
「出来ない、なんて言いませんよね? それまでこれ使ってますから」
「ぐっ……」
笑顔で、植木鉢を膝に抱き寄せられては『無理』とは言えない。
全面降伏の意味で、土方は再び肩を落とした。
「ああ、わかった。 わかったよ……」
「じゃあ楽しみにしていますね」
息抜きの一刻の休憩時間を設けるのはともかく、丸一日の日程を調整するとなると結構大変なのだが、今ばかりは逆らえない。
何とかする、と約束して土方は
の部屋を離れた。
でもまあ、考え方を変えれば役得なのかもしれない。
「……一日、一人占めできるって事じゃあねえか」
まさしく怪我の功名だ。 仕事がらみの日程の調整は大変だが、少し無理をすれば何とかなる。
そうだ、沖田に押し付けられるものは片っ端から押し付けよう。
あいつも幹部なんだし、斬りあいの現場に出るばかりが仕事ではないと教えておくのもいいかもしれない。
手を抜けば、近藤にも迷惑がかかると脅しつければ逃げられはしないだろう。
「よし、ちっとばかし気合いいれるか」
土方は、コキリと首を鳴らすと、まずは沖田に押し付ける仕事の分別から始めるべく、軽い足取りで副長室へと戻っていった。