君の髪に咲く


「……何やってんだ、お前」

 昼間っから単一枚になって井戸端でバシャバシャと髪を洗う の姿を見た土方は、思わずそう呟いてしまっていた。
 髪を洗うなら、夜になってから風呂場で洗ったほうが良いだろうに。

 手ぬぐいでたっぷりと水を含んだ髪を大雑把に拭いた は、不機嫌きわまりない顔で後ろに立つ土方を振り返った。
 そして、髪を洗っている理由を言う。

「廊下を掃除している馬鹿どもが投げて遊んでた雑巾が、頭に直撃したんですよ!」

 しかも、かなり水分たっぷり、おまけにその雑巾は臭っていた。
 確かにそれは、洗わずには居られまいと土方は嘆息する。

「で、その馬鹿どもはどうした?」

 頭に来るのは分かるが、私闘は御法度。まさか刀を抜いてないだろうなと訝しい目を向ける土方に、 はにっこり笑ってみせた。
 顔こそ笑っているが、目は笑っていない状態で。

「……仕返ししたんだな」
「ええ、しっかりと。 刀は抜いてませんよ」

 何をどう仕返ししましたとは言わないあたりが恐ろしい。
 問いつめても口は割るまい、土方は仕返しにあった『馬鹿』に内心そっと同情していた。

「……せっかくの結い紐が雑巾汁を吸っちゃって台無しだ。 臭いとれりゃあいいんだけれど」

 手元の桶から、何度も水洗いしたらしいお気に入りの結い紐を出すと、それじゃそういうことでと は部屋に戻っていった。







 濡れた髪の落ちる肩に手ぬぐいをひろげて掛けたまま、 は暫し部屋で大人しくしていた。
 普通なら半乾きになった所で毛先に髪油を馴染ませてまとめてしまうのだが、この時は何気なく結わないまま座ぶとんを胸の下にかかえて寝転がり、本を読んでいた。
 
「無防備な格好のまま転がってるんじゃねぇよ、ったく……」
「わっ!」

 本に集中していたせいで、土方が部屋に近付いてくる足音にも気付かなかった。
 あわてて起き上がり本を文机の下に滑り込ませて片付ける。

「何かご用ですか、副長」
「用ってほどの事じゃあねえが……」

 土方は自分の懐に手をいれようとして、ふと別の事を思い付いて止めた。
 その仕種をいぶかしんだ が首を傾げるのを見て薄く笑う。

「……それ、面白そうだな。 ちょっと触らせろ」
「はぁ!?」

 肩や背中に流れる洗い髪を一房摘まみ上げて、あんた何を言い出すんだという意味で素頓狂な声をあげてしまう。

「いいじゃねぇか、女の髪なんて滅多に触る機会はねぇんだからよ」
「島原や祇園の綺麗所のところに行けばよりどりみどりでしょうが!」
「あんなぱつんぱつんに結い上げたもの、崩すのがおっくうでおいそれと触れるか」

 結髪に執心する遊女たちが聞いたら怒りだしそうだ。
 女の髪に無遠慮に手を伸ばして崩そうという男は論外だが、洗い髪で遊ばせろというのもいかがなものか。

「ほれ、後ろ向け。櫛はどこだ?」
「……引き出しの2段目」

 さっさと背後に回り込み、机から小道具を探そうとするものだから、諦めて大人しく触らせる事にした。
 肩に手ぬぐいをかけて、まとめ髪を作るための髪油が着物にたれたりして汚れないようにし、太い歯の櫛で大雑把にすいたあと、細い歯の櫛で丁寧に流れを作る。 
 手に薄く椿油を取り毛先に馴染ませ、ほつれやすいこめかみの横、眉のななめ上あたりの生え際にも薄くなじませ、もう一度櫛で梳く。

「……やっぱ男の髪とは違うな。 手触りがゴツくねえ」
「変な例えをするんですね」
「いやいやホントだぞ。 野郎の髪ってな、どこかゴワゴワしてるもんだ。 それに比べてこれときたら、まるで絹か猫の毛かっていうくらい手触りがやわらけぇ」

 そう、質の良い髪ではないはずだが……と、 は額にかかる自分の髪をひとふさ指にからめる。
 以前土方の髪に触れた事があるが、艶も張りもまとまりもある、女が羨むような良い髪だった。
 土方は片手でひとまとめにした髪を支え、もう片手で適当な長さにあらかじめ切ってある元結いを取ると、 がいつも髪を留めているあたりで器用に結ぶ。
 結び目の上から飾り布をかけて結び、布の裾を見えないように折り畳んで隠して、その上から愛用している飾りヒモを形よく結んで出来上がりだ。
 前髪の形も取らない手抜きも良い所の髪型だが、やはり丁寧に櫛を入れて作ると見栄えが違う。
 結い終えた後も、土方は上機嫌でまとめた髪を持ち上げてみたり、裾に指を絡めたりして遊んでいる。

「あの……そろそろ」
「ん? おう」

 道具を引き出しに戻し、肩から外した手ぬぐいを の膝のほうに落として土方は邪魔したなと部屋を出ていってしまった。
 いったいあの人何をしに来たのだろうと、先程まで土方が触れていた髪に自分の指を通しながら、 は眉を寄せた。
 この日本当は何をしにきたのかは、後日明らかになった。





 男でも女でも、几帳面な者なら毎日髪を解いて梳り、結うのが普通だ。
 けれど女髪だと、複雑な上に時間もかかるので、必然的に毎日とはいかなくなってくる。
 女の贅沢は日髪・日風呂といって、毎日髪を結い毎日風呂に入る事だと言われるくらいに、両者とも必須なくせに手間がかかるものだった。
 男装暦が長く、女髪など自分で結った事などない の毎日の支度は簡単なもので、乱れていなければさっと指を通して裾を整えるか、洗った時でも先日のように櫛で梳いて一ケ所結うだけ済む。
 その夜は遅くなってしまったが湯を使い、髪も丁寧に洗う事ができたので久しぶりにさっぱりした気分で自室へ戻った。
 また半乾きになるのを待ち、さて櫛をいれるかと小間物を入れている文机の引き出しを開けた。

 いつもの整髪用の質素な櫛に混じって、見覚えのない櫛、それと平打ちの簪が鎮座している。
 思わず目を擦ったが幻ではないらしい。
 手にとってみても消えることのないそれは、黒の台の上に金銀の蒔絵で牡丹の花を描いたもので、櫛と簪で一対の柄になっている。
 しかも、昼間に花を開き咲き誇る牡丹ではなく、夜に慎ましく花を閉じた牡丹の姿というのも珍しい。
 銀粉で白牡丹を描き、金粉で光の筋を描いている事から、黒い台は夜の景色を象徴しているのだろうと察しがついた。

 手にとったまま暫く固まった姿勢のままでいたが、先日土方が来た時以来この引き出しを開けていないから、あの時に土方が忍ばせたものだろうと思い至り、何という驚かしかたをしてくれるんだろうと思わず頬を染めてその場に座り込む。

「……簡単なの結う努力はしてみるか」

 髪の裾を輪にして作る玉結びとかいう髪型くらいならどうにかなるか? と、自分の髪をおそるおそると言ったふうにつまみ上げた。





 居室の障子を開け放てば、廊下ごしに月光が降り注ぐ庭を眺める事ができる。
 土方は文机に肘をついて斜に身体を預け、月が雲間に隠れるせいで、時折暗くなる微妙な明暗の景色を眺めながら、片手の指先でくるりと細い筆を回す。
 何とも創作意欲をかきたてられる、趣味の句作にぴったりの夜だ。
 文机の上には、雑紙にああでもない、こうでもないと書いては消された言葉のかけらが散らばっている。

「そろそろ、仕掛けに気付いた頃合かねぇ」

 町の小間物屋でひと目で気に入り買い求めた、一対の櫛と簪。
 普段男の形こそしているが、あれに似合いそうだと即座に買い求め、懐に持ち歩いていた。
 雑巾がぶつかっただの臭いがついただの騒いでいたが、髪を洗うその間を見つけられた時は、『これでも使え』と渡す気でいた土方にとっては良い機会になった。
 最初は普通に手渡しする気だったが、無防備に薄着姿に洗い髪を垂らしているところを見て、悪戯心が沸き上がった。
 悪戯心だったが触れてみて確信した。
 この髪には白牡丹がきっとよく似合う、と。
 前に女髪など結った事もないと言っていたから、どういう反応をしていいものか四苦八苦する様子を想像するのもまた楽しい。

「白牡丹、月夜月夜に染めてほし」

 自分の発句帳に気に入って書き留めてある一句を呟き、もう一度『白牡丹』と口にしてみる。








 ひそやかに想う人の黒髪に咲く白牡丹に相応しい句はどのようなものだろう。
 穏やかに目を細め、土方は月夜に映える庭の景色にもう一度視線を戻した。




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